混迷亭日乗 Editor's Diary

12月31日

大晦日。残っていた賀状を書き始め、途中で車を洗車したら、もうお昼。それから、大安亭市場にて買い物に付き合い、賀状を書き終えたのは、午後の遅め。それから予定遅れのマドガラス拭き掃除。そしたら、紅白が始まって、幕開きに久石譲のオケが登場したので、ひょっとすると息子が映るかもしれない、と親ばか状態。カメラがなめたときに映ったかのように思ったのだが、女房殿は「人違いよ」と、冷静。視覚については自信がないので、そうか、と。しかし、2部の「歌のちから」のシーンでは、はっきりと確認できたようで、(私にはわからなかったけど)、なんだか不思議な気分。ちなみに、「歌の力オーケストラ」という集団名であった、
そしたら、女房殿には連絡があって、明日、帰神するとのこと。さぞかし、紅白の舞台裏の話で盛り上がることだろう。

大晦日の夕食は、正月おせちが続くので、大安亭で仕入れた牛タンのシチュウとサラダとバゲットと赤ワイン。これは、ソースを女房殿が作ったのだが、実にうまかった、明治屋中央亭には負けるけど、ね。
そして、娘が仕事から帰ってきたのが10時頃だったので、そこで年越しそばを一緒に食す。

28日。やっとこさ年賀状200枚を制作し、といっても、文面をコピーして、判を押印するだけのことなのだが、意外と時間がかかるのである。その後、大丸とジュンク堂(岩田健太郎先生の「感染症は実在しない」を購入)で、御礼の買い物をして、帰ってから最後の新聞記事整理がようやく終わる。賀状を書くまでには到らず。

29日は、朝から恒例のもちつき。
今回のつき手は、若き保育士のMくんと私のみ、といってよい。ほぼ2人だけで、150kgどうなることかと思ったが、午後5時前には無事、終了。それにしても、よくやるよ、とは自分の中の声。13日に予行演習しているので、長丁場にも持つからだになっている。
ただし、今回は初めて餅つき器が登場し、蒸した米を「こね」にそれを使用したのか、蒸しすぎがしばしば発生し、水気の多いもちができたのは反省材料。蒸しをきちっとチェックする人がいなけりゃ、失敗作も出てくるわね。

女房殿に迎えにきてもらって、着替えをして、そのまま、「とけいや」へ。陸上部の忘年会。今年は19回生4名、20回生3名、計7名の参加。私をのぞいて、みな還暦を過ぎたので、定年後の仕事や年金、そしてマスターズ陸上の話など、それに加えて、来ていないメンバーへの働きかけのきっかけづくりをしましょう、ということでカラオケ(北原ミレイの「風の盆」を初めてリストで発見、披露する。皆、しらなかった。石川さゆりの「風の盆恋唄」が有名)して散会。
カラオケビルでの火事の怖さを想像する。

30日。最後の朝の仕事を終えて、本当に、今度こそ、さようなら。ウエートトレーニングの代用になっていたので、来月からは、その代案を考えなくては。

朝から賀状書き。毛筆による住所書きとコメントで、午後になっても終わらず、からだが硬直してきたので、元町の大丸へ。眼をつけていた緑の手袋と、ヤマトでお世話になったDさんへの御礼を購入し、stepでランバード・ウエーブが半額だったので、真っ黒だけど練習用だから走り初めに求める。サイズがあったのでラッキー! 
そして、夜、引き続き賀状書き、峠を越した。今日はここまで、としよう。 


12月27日

20日。なんといっても全国高校駅伝のため、テレビの前にへばりつく。兵庫県勢は、男女(西脇工・須磨学園)とも2位で、まずはご同慶の至り。それにしても、須磨学園は男女ともスポーツ専門学校みたいになってきたのは、はたしていいことなんおか、それとも? なのか。その後、12kmのラン。

21日。女学院の講義1回目。学生は50名ぐらい。レジュメにそって、80分、残りの10分で、感想・意見を書かせる。今年も、およそ皆さん、きちんと書いてくれる。最前列の3人組が延々と書いてくれたので、終了が6時30分を軽くオーバー。したがって、帰宅は8時前。

22日。大学院は、Nさんによる「格差問題」。階層格差と所得格差について考える。さらには文化資本格差。そして、貧乏と貧困の区別、さらには私はビンボーを付け加える。貧困は行政対応がうまくいけば何とかなるが、貧乏は心理的側面が大きいので解決しにくい問題となり、ビンボーは明るくつつましく、対応する態度のことなので、その辺を区分けしておかないと、貧困にとらわれすぎて混乱する。
終了後、西宮北口で打ち上げ。17名ばかりの参加だが、これもひょっとして最後かもしれぬと思うと、なにやら寂しい。終盤に、マーケティングの世界で生き抜いてきたFさんが、声をかけてくれ、女房殿の事を心配してくれて、その気配りに感謝。

23日。午前中、ラン。午後からおとなの寺子屋。平尾剛さんを招いて、参加者は12名。5時半まで、スポーツと身体論で、出席した皆さんが発言してくれて、主宰者としては、満足。

24日から26日。大正にて研修。

26日。最後の日の午後には、大正名物「昭和山」(標高30mの山)に連れていっていただいて、記念写真。トータル10日間の研修だったが、先輩のKさんにはよくお世話していただいて、感謝。
帰りに、来年1月からの研修先である本山に出向いて、これまた先輩のHさんにご挨拶。
最後に、三宮で関学のT先生と打ち合わせ。
夜は、ポピア組の忘年会でフグチリ。なんでも今年は、フグが売れなくて、値下がりしているそうだ。それだけ、中間層がお金を使えなくなっているということなのだろう。11時過ぎにお開きになったのだが、帰宅して携帯を見たら、今晩、プラネットEartHのレコードコンサート(兼忘年会)を失念していたことに気づく。8時過ぎに、電話が入っていたのであった。Mさん、Sさん、ごめん!

27日。久しぶりに朝寝。viviも6時頃からベッドに潜り込んできて、一緒に9時近くまで朝寝。
今日は、たまっていた新聞記事の整理に一日を費やす。


12月19日

なんと2週間もあけてしまった。

4日。ガスと電気、双方のメリットを生かすキャンペーンのイメージ戦略で、「ハイブリッドな人々」、ということの投げかけ。土・日をかけて、めぼしい人々をささっとピックアップすることになった。

5日。プラネットEartH一周年記念イベント。旧知の牧師&シンガー、Kさんに登場願い、場を盛り上げていただいた。少ない参加者だったけれど、中身は濃かったのではないだろうか。kさんもイラストレータのWAKKUNと話ができたことを喜んでくれた。

6日。午後、HTAの常任会議。姫路の小さな大会に海上保安庁が茶々を入れて、主催者代表を書類送検するとかの半紙。とりあえず、客観的な資料を送付してもらうように。でないと、こちらも対策が考えられない。
夕方から、梅田にてチームブレイブの忘年会。80名もの参加で大盛り上がり。地域に支えられたトライアスロンクラブ、これも日本再生の小さな事例。
帰りの電車で理事のAさんから自費出版物の相談事。東京の出版社では300万円の見積もりだとか、適正なところをアドバイスする。

7日。午前中に、D社へ「ハイブリッドな人々」を送信。とりあえず20名ばかり。
そして、ついに髭を剃り落とす。女房殿は、初めて髭のない私を見るだけに、内心どんなものかと笑ってやろうと待ち構えてみたいだけど、「そんなに大きな落差はないわねえ、髭が白かったせいかな? でも、お母さんに似てきたわよね」と、少し期待はずれ。

午後からN社の物件に初出勤。場所は大阪環状線の大正駅。沖縄関連の店が目につく。研修なので、先輩の話を聞きなが、からだを動かす。

8日。朝、置塩医院。 HeA1c7.0%に戻る。置塩は少し渋い顔。女房殿は、その原因を果物と推定する。「10月、果物が多かったせいかしら? おいてると食べるんだから。食に対する制御が足りないのよ」と。
大学院のお題は、Fさんによる「経済ナショナリズム」。保護貿易のからみと内向き経済の動向もあって、内田先生は「贈与経済」に立ち戻ることをぶちかます。このところ、言及することが多くなってきている。近代経済学へのある意味でのアンチテーゼでもある。

9日。午後から大正。いろいろと管理のハウツーを伝授していただく。隣に銭湯があるので、年内に一度、帰りに入ってみよう。

10日。関学、今週はT先生による講義。クリスマス用のイルミネーションが用意されていた。

11日。雨模様。土佐堀のN社にて、管理研修。社長訓話、専務、業務担当からの心得、連絡など。そして昼食をいただいて解散。

12日。午後から大正。建物につきあいのある工務店の方が来訪し、悩みを先輩に打ち明ける。一時間ほどしゃべって、すっきりしたのかもしれない。3代目社長のぼんくらへの、叔父の心配ごと。家族経営企業によくある話。

夜、三宮の唐子にて、ギルガメシュの忘年会。新たな参加者があり、これでクラブも少し変わるかもしれない。
誰も髭のことは話題にしない。そんなもんなんだ。要するに顔なんて自意識を過剰にしなければ、気にはならないってこと。あるいは遠慮?

13日。午前中、走ろうと想っていたのだが、ちょうど団地のもちつき大会なので、少し手伝う。重い杵が一つしかないので、ほぼ独占して1時まで突き続ける。
そして、アメフトの甲子園ボウル観戦。法政有利の下馬評だったらしく、タッチダウンの応酬でハイスコアの戦いに。しかし、終盤、パントリターンのビッグゲインで関西大が優位に立ち、しかもクォータバックドロウのランが法政ディフェンスを翻弄して、ついに62年ぶりの勝利に。生きているうちに、関大が日本一になるなんて。
夢は起こる、かなうものなり、という証明がここにも一つ生まれたことは、希望は捨てないで、という箴言の有効性をあらためて確認するものなり。

それにしても、大学歌を歌えないOBではある。早稲田・慶応は知っているのに。

その後、気分良く、ポーアイ2期南まで66分のラン。

14日。午後から大正へ。終了後、朝日カルチャーセンターで分子生物学の福岡伸一VS内田樹の対談。時間が少しあったので、堂島のヴィクトリアンパブと称するパブで一杯、500円で小鉢付き、は良心的。
福岡先生を見る、生の声を聴くのは初めてだったが、期待に違わず、ソフトな語り口で、今の生物としての人間が置かれている存在について、動的平衡というキータームを使いながら、解説。内田先生は、昨今の贈与経済を持ち出しながらも、自然科学研究者の「見たいものを見る」ふるまいに注目し、研究の先にあるもの、見えるものの人類にとっての益・不益の不確実性に言及していた。
がん細胞とES細胞の性格的類似性を知れば、単純に再生医療が喜ばしいモノとは言っていられなくなるのである。
終了後、プチ宴会。福岡先生は残念ながら即帰京せねばならず、残った12人ばかりで、終電近くまで大歓談。

15日。ポートピアホテルの菓子折を持って、ヤマト神戸支店のK・旧居留地センター長に、長い間お世話になっただけにご挨拶、そしたら頼まれて、年末まで、数日だけかもしれないけれど、火曜・木曜は手伝うことになった。
50代へのお別れと共に、早朝のお仕事ともお別れである。

16日。午前中、大正へ。午後、帰宅後、笹川スポーツ財団への事業報告書を作成する。ほぼできあがったのだが、一部、不備があったので、事業社に連絡し、不足分を送付してもらうことになった。

17日。今日から寒気。作業用のために、LLビーンに行って、ネルが裏打ちされたチノパンツを購入。20%オフだったので、交替用にと2着。
関学の講義は、都市文化研究所のK代表。大阪・淀川十三の干潟再生プロジェクトのファシリテーターである。知らなかった、十三に干潟が復活して、鳥たちの楽園ができつつあることを。
気さくなおっちゃんという感じで、灘高の生徒たちも、ふりまわされながらも、講義を楽しんでいるのではないかしらん。

18日。フルタイムでの研修。担当のKさんも、「もう教えることないさかいに、早めにきりあげてや」と一時間前に上がる。駅近くの定食屋にて、500円の昼食。さすがに下町である。
小さなパン屋さんもあったので、試しにバゲットの小さいやつを購入し、明朝の朝食にする。帰りに、年賀状を200枚ようやく購入。27日には作成できるだろうか?

土曜日。この日もフルタイム。昨日のパンはなかなかのもの。今日はバゲットを買って帰ろう。
さすがに三宮から大阪ドーム前まで、通勤ラッシュはない。いつもどおりの管理、清掃だが
土曜日は手持ちぶさたになる。そこで、南堀江まで歩いて、他の物件の管理状況を教えてもらいに行く。
その後、早めに上がって、帰宅。そして、ようやく、このように更新している次第。


12月3日

1日。師走。大学院は、Aさんインフルエンザにて欠席。そこで急遽。内田先生の独演会に。お題は、まさしく感染症と政治。文部科学省の入学試験インフルエンザ対応の通達の政治性について、また感染症対策の政治性について、神戸大学・岩田健太郎教授との対談をネタに一石。
要するになんだね、恐怖と不安で人心を掌握することが権力の醍醐味なんだろうな。

予定では研修が始まるはずだったのに、自宅研修となった。しばらく連絡があるまで、研修とはいっても待機、である。

2日。京大人文科学研究所の岡田暁生先生に講師依頼状を発送。果たして受諾していただけるかどうか。
夜、朝日新聞神戸支局N総局長就任祝いの文化芸術関連ピープルの集いに顔を出す。30人ぐらいの気安くも、またなにかとアサヒに追従する空気もなきにしもあらず、ではあったが、まだ40代半ばと見える局長が神戸滞在2年ばかりのなかで、何をつかんでいくのだろうか? 気概のジャーナリストであってほしいものである。久しぶりの顔! にも何人か。

3日。関学は建築家の田村先生の2回目。古いマンションの建て替え成功例、同潤会江戸川アパート、国際文化会館、求道学舎などの保守再生プロジェクトについて。
事業実現への熱意と実現への仕組み作り、そして人的ネットワーク、これらがなければ新たな社会的事業はなしえない、という実例だった。
保守再生のためにイノベーション、この組み合わせがいいねえ。

暗くなってからラン46分。8kmぐらい。帰りに豆腐と納豆買い足して、寄せ鍋。最近、納豆が値崩れしているのが気になる。安売りしすぎ! 生産する茨城や栃木の中小会社が果たして続くのだろうか? ちなみに、私は関西の会社の納豆は基本的に食いません!

NHKのクローズアップ現代に、来日したマイケル・ムーア監督が出演していた。なにげなく見ていたのだが、「私はいささか疲れてきたので、少し休みたい」という。
さもありなん、アメリカの恥部である、銃社会、市場原理主義、ウルトラ・キリスト教などを、告発し続けてきたのだから。
彼の発言を聞いていると、時計の針が40年前に戻ったかのような感覚に襲われた。啓蒙主義的言質のオンパレードである。
get up! stand up! power to the people!
しかも、「昔のアメリカはこんなんじゃなかった」という。そして、「アメリカを愛するが故に告発する」と。

気持ちはわかるが、残念ながら、アメリカの建国のコンセプトに、彼が告発するそれが含まれていた、ことに気づいていないのは、もの悲しい。

ひょっとして、アメリカは我々以上に、メディア・リテラシーが人々の間に馴致していないのかもしれない! って。

悪の権化、その名は「資本主義」。監督の願いどおり、アメリカの人民は「立ち上がる」だろうか?


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