混迷亭日乗 Editor's Diary

8月31日

29日。おとなの寺子屋は、田尻陽一・関西外大教授によるドン・キホーテの狂気と正気のお話。風邪や骨折で3名の欠席。インフルエンザではないようだが、いよいよ流行り始めている。
演出・舞台美術の神宮司啓さんも名古屋から来られて、討論を盛り上げていただいた。ドン・キホーテ、きちんと読んでいないことがよくわかったし、セルバンテスの波瀾万丈の人生は、いかに中世とはいえども、まさに生死との隣り合わせであったし、ユダヤ人ならではの仕事をするなかでの、稼ぐための物語づくりであった。
なにが狂気でなにが正気なのか、複層的に物事をみつめることで、そのバランスをはかることができるようにならなければ、人はどんどん道を誤っていくようだ。

あらためてドン・キホーテとサンチョパンサの物語、ひもといてみよう。新たな発見があるに違いない。

プチ打ち上げは「卓」と「ピア・ジュリアン」にて、女房殿とともに。クセックの神戸公演の実現に向けて、まじで考えて見ようか。

30日。六甲にて常任会議。事務局長のみが鈴鹿ロードレースで欠席。午後、プラネットに立ち寄って、寄贈本の整理。大きな本棚が必要になる。そこで10冊ばかり、個人的に関心のある本を持ち帰る。
夕方、選挙権を行使。大勝が予測される民主、少しでも生き残りをはかる弱小政党を勘案して投票する。女房殿はどこへ投票したのやら。
選挙速報を見ながらも、朝が早いので12時には就寝。

31日。民主党の大勝で、政権交代が決定。常任委員会の委員長をすべて独占できる圧勝となった。
夜、神戸新聞事業社にてサイクルエンデューロの打ち合わせ。ここでも、選挙の話など、話題にはならなかった。


8月27日

長いお別れならぬ、長いご無沙汰。
もうすでに夏も終わりの気配である。

12日。T先生の原稿、09年の変化もふまえて初校修正。図版もすべて修正された。
夜、ギルガメシュの例会。

13日。母校陸上部のOB&現役の集い。すごい数の現役生。ちょっと陸上でもしていようか、という感覚なのか、よくわからない。部活動の種類が減っているという話はよく聞くのだが、さすれば個人競技の陸上になびいていくのか???

15日。日本選手権、国体出場者による猪名川町での強化合宿。初めての試み。
2時半に来るはずの真福寺の和尚、すっかり忘れていたとのことで、やってきたのは夕方の5時。行事の後は、妹と女房殿とで、近くのお好み焼き屋さんで、お盆の会。
16日。再び、猪名川町へ。地元の大きなスイカを差し入れする。短い距離でのデュアスロン形式のインターバル、距離は短いけれども、相当にタフな練習。若者たちの、荒い息を聞いているだけで、そのつよさがまぶしい。精神的な強さを鍛える意味で、個別指導のポイントをおさえていた八尾監督の指導もまた、熱いものであった。秋の本番レースに、ぜひいかしてほしい。

17日。vivi病院へ行くために、実家(盲導犬センター)に帰る。お産が確定すれば、そのままとなる。またしばし、寂しくなる。

18日。vivi妊娠確定、予定日は9月9日。

19日。みずのわ出版のY氏と長電話。Sさんの評伝についての企画出版が可能かどうか、の話。だが、それだけにとどまらず、本が売れないことの現実とそれへの抵抗、というか戦いについての悲壮なまでの思い。だが、市場はしらーっとしているだけか。

21日。D社にて、新型インフルエンザについてのレクチュアを受ける。講師は岩田健太郎・神戸大学教授。まだ40歳代の世界を渡り歩いた感染医学の第一線の学者である。先だっては内田先生とも医学書院の企画で対談した、とのことでもあり、興味津々であった。
要は、インフルエンザ対策には「中腰の姿勢」が肝要との結論。これは、武道の極意ではないか!
終了後、心斎橋のテキパキで髪を切ってもらい、メロディでいっぱいひっかけて帰宅。音楽配信流通の世界でも、メガストアのみが生き残る線ら役がとられており、街の音楽文化を育ててきた店が消えようとしている。
こんな多様性のない世界におもしろみがあるはずがなかろうて。

22日。朝の仕事を終えて、新幹線で横浜へ。世界選手権シリーズの横浜大会。
ユースの女子とエリート女子のレースには間に合わず、であった。山下公園と居留地界隈、赤れんが倉庫と、大都市のレースとしてはすばらしい舞台となっていた。
まずは無事レースを終えたN事務局長と、しばし、雑談。大きな大会だけに、お金にまつわる話やオフレコの話も多々あり、トライアスロンの裏面史、もまた、現実なのだろうが、どうしてそうなるのか、金を動かせる人々の無私ならぬ「利益」へのこだわりは、ほとんど実感できないので、理解の埒外にある。
終了後、湘南新宿ラインで池袋に行くはずだったのだが、そのホームが横浜に見あたらず、京浜東北線で,息子の家へ。彼は、大宮での仕事でずいぶん遅くなるとのこと、おかげで、世界陸上の男子マラソンをつぶさにみることができた。
佐藤敦史の6位入賞に拍手。前にいるのはすべてアフリカ勢であった。北京惨敗の屈辱につばをはきかける奴腹がいたなかで、はいあがったのは、会津魂である。そのことだけは、覚えておきたい。
23日。朝6時前には出発し、8時スタートのユース男子、そして10時からの男子エリート、午後からのキッズとレースを応援。
JTUの岩城会長と行動をともにする。合間に選挙情勢について聞いたりしたが、福島県でもよくて2勝4敗、下手すれば全滅だとおっしゃっていた。時折入る携帯電話にこたえながら、深刻な表情が現実を物語る。来年がご自身の参院選挙。はたして、この時代の大転換期にあって、新たな国作りのコンセプトを提示できるのは、いずこの政党になるのだろうか。今のマニフェストでは、あまりにも、ほころびを繕うものばかりが目立つので、残念ながら、こころ踊るものはない。しかし、現実に政権交代は起こりそうなのである。
未経験ゾーンに入るとき、それは、旧来の勢力には退場していただく、ということなのだろう。
宴の後の山下公園を後にして、帰神。再び、日焼けした火照りのせいで、新幹線のなかでは、半分寝ていた。

24日。神戸南ロータリークラブでゲストスピーカ。健康であっても持病を抱えることの意味合いについてお話する。さて、えらいお歴々には、理解していただけたことだろうか?

25日。置塩医院。HeA1c6.7%、血糖値138に。ようやく6%台に落ちてきた。7月もそうだればいい。

26日。神戸新聞事業社での打ち合わせの帰り、湊川神社で開かれている「アートビアガーデン」に流れる。今年、確か3回目? メディアでの紹介もあって、わりと盛況のようで喜ばしい。
HTAのS副理事長をリフォープの宮崎さんに紹介してから、彼女が講師をしている神戸のS幼稚園の先生方のグループに合流して、アートや遊びについての教育論をしばしわいわいと語り合う。


8月9日

7日。午後、宝塚逆瀬川のSCでうたごえ喫茶を現地見聞。関学と地元商店街のコラボレーションの一例。でも、50年代のうたごえ喫茶と違って、レパートリーにロシア民謡色はなく、お世話をしていただくおばさまタッチの衣装にフォークロア色が残っている程度で、なんとなく肩すかし感は否めない。
マンション居住区の集会所でのうたごえ喫茶という感じで、はたして、高齢者のハートをつかめるのだろうか?

その後、プラネットEartHにて、オーラルヒストリーの取材を受ける。お題は「1968の学生運動の現認報告」。わずか2年足らずの疾風怒濤の時代の見知っていることを、研究者の卵の前で吐露することになる。約2時間かけて、お話ししたが、おそらくは理解とは遠いところで、しかしながら、彼女のなかで、なにかしらの熱情というものが伝われば、それでいいのかもしれない。

40年という時間の流れ。当時、行き交った人々の面影が錯綜する。

8日。福岡の甥夫婦が今春生まれた長男を連れて、墓参をかねて来神。28年前の息子のことを思い出す。昼食を熊内の山親爺にて。賑わっているようで、やはり口コミの強さだろうか。真夏の直射を浴びながら墓参り。
夕方からプラネットの広報会議。国立明石工専のインターンシップで学生が2人参加。いずれもが女生徒(といっても4年生なので学生?)。


8月5日

1日。朝の9時半に三宮で同行3人をピックアップ。一路、島根・出雲へ。
複合競技としては10年ぶりの参加になる「スイムラン多伎」。米子を通過すると、有料道路が延長していて、出雲までずいぶんと早くなったと思われる。出雲市街では、立派な幹線道路ができていて、社会資本投下の集中ぶりがうかがえた。偶然、後ろの神戸ナンバーのクルマが、ギルガメシュのUくん(O薬品)で、彼は毎年、一種のレクリエーションをかねて、部下を引き連れて参加をするようになっている。
14時にはコミュニティセンターに到着。3時からの開会式、競技説明会を待つ。終了後、簡単なガーデンパーティと抽選会。スイカがうまい!
国民宿舎国引荘は湖畔の宿、改装されたのか綺麗になっていた。風呂、食事をすませて早々と就寝。

2日。曇り空。受付をすませ、ナンバーのボディマーキング、足の甲に書かれたのは初めてだ。水温は25度、日照の少ない年としては十分だ。心配していたウエットスーツは二の腕の部分がきつい程度で、それほど劣化していなかった。すばらしい! メーカーのシロモトさんに今度会ったら報告しておこう。

久しぶりの300名によるスイム一斉スタートでは、最初のコーナーまでの200mぐらいの間に、体の接触や乗りかかり、蹴りなどで難儀する。左のゴーグルに衝撃を感じ、少し海水が入り、左オープンのため、景色が見えにくくなる。しかたがない。3度目のコーナーで、防潮堤を左に見ながらの最長直線コースに入ったのだが、思いのほか、防潮堤に寄りすぎて,スタッフに、「もっと向こう!」と指示される。ようやく第4コーナーブイを曲がってフィニッシュへ。時計を見る余裕もなく、シャワーにてウェットスーツを脱ぎにかかるが、両腕が抜けなくてあせってしまう。観客からは、「あの人脱げなくて困っているわ」と思われていたことだろう。その間にUくんが「ジンさん、お先に」と行ってしまった。いったい、何分を費やしたのか、ランのスタート後、時計を見ると9時31分をさしている。「あれ、ストップウォッチになっていない!」、これもスイムのバトルで、接触した際に、モードが変わってしまったのだろう、と。しかたがない。ということは、確実に30分以内にスイムを終えているのだから、まあ、よし、である、と自分を納得させる。

ランに入ると、絶対的にスピードの差がある選手には抜かれるものの、じわじわと前の選手をとらえて、視界に入った選手を抜いていく。決して早いわけではないが、それでも、走れているのだ、と言い聞かせて、パスしていく。3つめのエイドステーションを過ぎる前に、すでにトップの選手は、折り返しから脱兎のごとく、下っていく。hじめのうちは何人前にいるのかなと数えていたが、途中であきらめた。折り返しから戻ってくるIくんが声をかけてくれる。ずいぶん前のほうを走っている様子だ。ただ、同じエージグループの白レースナンバーは、まだ一桁だったように思えたので、後半にかける。
折り返してからも、数は少ないながら、前の選手を一人ひとりとらえていく。残り1kmをきってからも、白ナンバーの選手には一人抜かれただけで、フィニッシュ。時計を見ると10時25分頃だった。たぶん53分ぐらいで走っていたようである。まあまあ、よく走れたかな。
同行のKくんは5位ぐらい、女性のMさんは4位ぐらいだろう、という話。Iくんは,来年は56歳以上の部に入るので、確実に入賞が狙える位置にいるらしい。
ということで、わがチームはそれぞれに,納得のいくレースができたいたように思う。

一段落していたら、国交省の出雲の出先機関に転勤しているSくんとそのフィアンセYさんが来てくれたので、さっそく着替えをして、近くの小田温泉の割烹にて、昼食を一緒に過ごす。鮎の塩焼きが香ばしくて美味、そしてトマト豆腐なるものを初めて食した。センスのいい田舎料理、これも情報社会の今日、地方の強みだ。
彼らの10月の結婚式にて、乾杯の音頭を依頼される。内田先生のゼミ生と聴講生で会ったのがきっかけだったのだが、赤い糸の結びつきに,私の誘ったアートイベントが一役買ったのだそうで、うれしいことで、即答。
彼らを見ていると、やはり、ういういしくてまぶしい。お互いが大学院卒で、いい意味での育ちの良さが現れていて、なんていうのか、「確かなるしあわせ」というのだろうか、「ここに幸あれ」と祈るのみである。

表彰式では、やはりMさんが女子総合で4位、年代別で、Kくんが5位、Iくんは9位、私は10位、という結果でありました。

帰りは、休憩をはさんで4時間半の行程。高速のおかげで、出雲はかなり近くに感じるようになりました。ずっと曇り空だったのに、兵庫県に入る頃から、晴れ。今年初めてのくっきりとした入道雲を東の空に見ることができた夏の一日、もう10年も選手としての実感を味わっていなかったので、しみじみと選手のほうがやっぱりいいなあ、と感じいるのでありました。

3日。夕方より、京都でのおでんの日からの続き、ということで歴史学者のO先生と一緒に明石の坪谷邸にお邪魔する。しゃこ、甘エビ、タコ、わかめなどの美味、珍味を酒肴として夏の宴。O先生も、ロケーションとともに、数々の酒肴に舌鼓。ともに、最終電車まで談論風発で、いつもながらのおもてなしに深謝、です。

5日。月末からヴィヴィの食欲が一気になくなったので心配した女房殿が盲導犬協会に連絡したところ、土曜日に引き取って、かかりつけの三田の病院で検査しても異常なし、体重も26.4kg、3日まで、食事
もとっているし、安心してください、というので4日に引き取りにいって帰宅、ところが、またしても今日まで、食事をとらないのである。決して、元気がないわけではなく、夏やせでもない。しばらく、様子見をすることに。


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