混迷亭日乗 Editor's Diary

6月30日

昨晩は、 NTT西日本への表敬訪問のため、JTUの岩城会長が大塚常務理事と来阪。近畿ブロックの主立った面々との懇親会。第一線を退いた感のある日本のトップ選手も参加していたので、ようやく次の時代に入りつつあるのだな、と感じていた。あとどのくらいで我々も引退できるだろうか。

大学院のテーマは1869年。神仏分離と廃仏毀釈。昨年、提出したテーマでもあるが、内田先生は、そこから日本人の一神教的宗教意識の希薄さへ敷衍していった。

帰宅が7時半頃だったのだが、東急ヴィレジの棟のあたりから、犬の鳴き声(吠える声)が連続しているので、珍しいなあ、と思っていて、自宅に戻ると聞こえなくなっていた。ので、「もしや? ヴィヴィが吠えていたのでは」と不安がよぎる。ヴィヴィはケージのなかにいたので、出してやったのだが、どうも吠えていたのは彼女ではないか? それが証拠に、食事の準備をしている間、もう犬の声は聞こえない。それは、自宅ドア直前で消えていたのだから。
家庭教師から戻ってきた女房殿に話すと、「ケージに入れておいたのがよくなかったのかしら」と。
これからは、留守の時には、メイのときのように、オープンにしておかなければ。ご近所迷惑に違いないのだから。


6月28日

土曜日、朝の仕事を終えてグリーンピア三木へ、前日作業を手伝って、1時に三宮へ戻り、 Tさんと図版挿入について打ち合わせ。その後、ジュンクによって、ようやく『1Q84』を購入する。
夕方は、友人のY夫妻とともに、垂水のK家におよばれ。落ち込んでいる女房殿とパーキンソン病に罹っているYさんへの介護の励ましが目的だった。
11時の帰宅となったが、ヴィヴィは落ち着いていたようだった。一安心!

今日は早朝からヴィヴィをつれて、グリーンピア三木の大会へ。朝早くから大丈夫かなと思っていたのだが、思いの外、風があって本部テントの下で、くつろいでいた。夕方遅くまで、よくがんばったもので、家に帰るとさすがに疲れたのだろう、あちこちでドタッとバタっと寝ていた。


6月26日

ヴィヴィ、私の目覚めの前に暴れることなく、早朝、ケージを出してやると落ち着いていたようだ。食事に対しても関心を見せる様子はなく、ケージの中で落ち着いている。

夜、Hくん来訪。エクセルについての説明を受ける。少しは使いこなせるようになるのかな?


6月25日

兵庫盲導犬協会からヴィヴィが到着。早速、諸注意を受けて、我が家の一員に。
住み慣れたケージとともに、リビングの一角に鎮座ましますとともに、家の中を自由に動き回る。


6月24日

月曜日。プラネットの実行委員会。急務はカフェの営業成績をあげること。夜は、HTA会長の末松信介参院議員の政経パーティ。首長たちとの名刺交換に精を出す。なかでは、加西市長がトライアスロンに感心を持っていただいたので、今後の進展に期待する。
森義朗・元総理大臣の講演なので、メディアも解散の言質をとろうと待機、したがって生臭い話はそうはなく、あくまでも自民党の一致団結をめざしたい、というおだやかなものとなっていた。

新開地にあるK高校という定時制高校にて講演。ここでは、諸事情で全日制(転換できないほど死語になっている?)に通えない若者と大人になってからあらためて高校を卒業したいという意欲に燃えた熟年の方々が混在しているが、多数派は「自尊感情をもてない若者たち」だ。
現場で格闘されている先生方への応援も含めて、ワタナベの複線的生き方について、お話する。さて、どんな感想を抱いてくれたことだろうか?


6月21日

土曜日。朝の仕事、それから西区の兵庫県盲導犬協会へ。女房殿と娘とともに繁殖犬(子どもを産む)とリジェクト犬(盲導犬に不向きだとわかった犬)との面会へいく。♀と♂それぞれ6匹の犬(イエローラブとホワイトシェパード)と対面、それぞれの性格を確かめて、検討する。3人の意見としては、マンションという居住環境とおっとりとした性格を持った犬ということで♀の繁殖犬、ヴィヴィちゃんを預かることにおよそまとまる。

午後から、第6回おとなの寺子屋「ラテンアメリカのコーヒーと国家形成」、気鋭の歴史学者小澤卓也氏は、予定を30分オーバーし、コーヒーの売却益で国家形成をなしたブラジル、コスタリカ、コロンビアを例に挙げて説明、苛烈な資本の収奪が後々まで影響を及ぼしたことを示してくれた。
簡単なまとめは、プラネットEartHのホームページに掲載しているので、よろしければごらんあれ。
珈琲をはじめ、バナナ、珍味、さらにはダイアモンドなど鉱物資源まで。西欧列強の価値観に支配された物品の流通で、世界は成り立ってきたことの影の大きさにもっと気づくべきだろう。
終了後、残った人々とともにいつもの韓国スープの店で懇親会。このような知的刺激を与えあう会があるから、やめられないのだな、とつくづく思う。

で、今日は久しぶりに外に出なくてよい日。だが、体育協会および生涯スポーツ連合への提出書類作成に半日費やす。
実は昨晩、女房殿と娘の間でチェーンゲート、リモコン連携が悪く、あがっていないのに進行して、バンパーからフェンダー、ボンネットまで、ザザーっと傷、なおかつ左ドアにへこみ傷、開閉に大きなきしみ音、という有様。一夜明けて女房殿、大きく落ち込むので、夕方、マツダまで見積もり査定へでかける。
さて、いくらかかるだろう? 
夕食を共にした友人のFさんによれば、おそらく30万ぐらい? 昨秋購入の車両価格のおよそ4分の1である。おおきなため息! 車両保険に入っていれば別だが、無事故無違反の近年ゆえに、入ってない年に限って、そういうことは起こるらしい。マーフィの法則、健在なり。


6月18日

神戸新聞事業社に所用のため、阪急百貨店の地下に駐車していたら、財布を忘れ大慌て。幸い給油カードがあったので、買い物して駐車料をただにして、出庫。ぼーっとしているなあ。
夕方よりプラネットで打ち合わせ。新型インフルエンザのせいで観光客激減のため、躍起となっている兵庫県の助成事業を利用してのプランをつくれないかと模索。昨日のアイデアとの関連でなにかできないかと、月曜日までに考えてみる。


6月17日

空梅雨のような陽気。

新型インフルエンザの影響で延期となっていたクセックの関西公演、関西外大で行われる。今回は、女房殿の友人・ヴォイスアーチストのマヤさんとともに、2年ぶりに訪れるも、今回はナビに従って、名神から高槻経由で入ったため、予想以上に時間がかかって、滑り込みセーフ。
舞台が広く、講堂も大きいので、迫力は満点だけれど、集中が難しい。領主役の若き俳優の存在感は今回もひときわ目立ち、娘役の真行寺さんは、とんぼ返りで、挨拶の時間もなく、手を振りながら新幹線へと向かった。
来年は金沢公演も決まろうとしていることを聞き、ふと神戸だとどれくらいでできるのか、と思った。


6月14日

あれ、もう一週間? 例によって備忘録。

8日。スポーツセンター50mプール今年のオープン。1000m途切れ途切れに泳いで首が疲れる。なれるまでにしておかないと、8/2の海に間に合わない。

9日。大学院、テーマは1909、満州鉄道共同経営日米問題、という知らない話。驚いたのは、朝河貫一という学者の存在だった。旧二本松藩の出身で、日本人で初めてエール大学の教授になった人だが、この御仁が日清日露のあと、浮ついた大国意識で満州権益を独占せんとする政府や国民に対して、アメリカの地から警鐘を鳴らしつけた、という。
知らなかった、故郷の凜とした知識人の著書『日本の禍機』、探してみよう。

10日。アジアアフリカを市場として大事に考えているこの会社なら、ということで、一発就職試験で上京していた娘から、三次面接合格との連絡。残るは、最終面接となるらしい。誰でも知っている企業なのだが、果たして???
女房殿、長崎から帰神。疲れの選択になったのだろうか?

12日。F.Mとしておこう、あるテナント運営会社からプラネットEartHのことを聞いて、ビルそのものの活性化のプラン相談を受ける。NPOならではのかきまわし、で何ができるか、代表の宮崎と、まずは近々に現場をみなくては、ということに。

13日。内田先生の結婚式。女学院のチャペルで、厳かに行われる。キリスト者である女学院のI学長が司式者ゆえ、当然かもしれないが、こころのこもったものとなった。「敬神愛隣」という精神がもっと実現されていれば、世界はこんなにも邪悪なもので支配されることはないだろうに。
その足で梅田・ドルチェ楽器に向かい、息子のコンサートのリハーサルを聴く。総銀製クラリネットのお披露目である。5時半までいて、ホテルオークラ神戸へ。
披露宴は平安の間で行われ、神戸女学院、合気道、文学、哲学、出版、大倉流鼓囃子方、能などのご縁のある方々が列席、フォーマルではありながら、カジュアルで、パフォーマンスもソプラノ二重唱だけで、お色直しもない、とても和みの満ちあふれた宴となった。
私の卓席は、フランス文学のN先生、音楽社会学のO先生、医学のS先生、英文学のI先生、経済社会学のK先生という面々で、すてきな晩餐とともに楽しい3時間となりました。

内田先生、20年近くの永い春でしたが、ほんとによかったね、という感じでした。

二次会は、大阪のスーパーだんじりエディターこと、江さんの行きつけの三宮「ローハイド」にて、東京・出版社軍団とともに談論風発、やはり、午前様になり、宿泊組はさらに三次会と流れていったのでありました。

スピーチがとてもあたたくてよかった内田先生の親友、平川克美さんともあえたし、阪大総長の鷲田先生に、ご挨拶できたのもよかったです。阪大のお仕事が広がっていくとうれしいのだけれど、これは本音ですね。


6月7日

土曜日から女房殿は長崎へ帰省。とりあえず、ストレスがかかっていた原稿を書き終えて、夜行バスの人となった。
この日、ワールドカップの最終予選で日本は辛勝して南アフリカ大会の切符を手に入れた。スーパースターはいなくとも、とっかえひっかえで走り回って誰でもが得点してよく、またできるシステムが身についてきたようだ。ジャパンオリジナルの戦い方ができるようになれば、結果はおのずとついてくるだろう。イビチャ・オシムからの流れを受けて、岡田監督の流れが「自然」になってくれば、なんとかなるのではないだろうか。
それにしても、世界に冠たるサッカーのなかで、ジャパンは着実に力をつけている。世界が待っているかどうかは別にして。

午前中、HTAの常任会議。28日の大会スタッフが足りない。13日に締めきりだが、まだ15名は不足している。頭が痛い。

新刊の乙川優三郎『闇の華』(文藝春秋)、50刷りを超える藤沢周平『霜の朝』(新潮文庫)を読む。封建の世の過酷な運命にもかかわらず凜として生きる武士や、庶民の人情ものはいくら読んでもあきることはない。思わず落涙させる力を持つ文章に、これからも惹かれていくことだろう。


6月5日

鹿島茂の『吉本隆明1968』(平凡社新書)を読む。1968、東大入学生の吉本体験を赤裸々に記したもの。とりわけ、強い印象を残すのは、少年期までどのような環境下で育ったのか、そして先の戦争をどの年代でくぐり抜けたか、そして1968〜1969をどの年代で、どのように味わったかという、世代的な体験が色濃く思想形成に陰を落とすか、ということへのこだわりだった。それを、吉本隆明と高村光太郎に類型を見いだしていたところに、鹿島の炯眼を見た。
単純な世代論に与したくはないけれど、私たちの父の世代、母の世代(大正一桁生まれ)と、昭和一桁生まれでは、戦争の思想的な理解度もことなるし、出自の階層によっても、受け止め方が異ならざるをえない、そのことに重きをおいてこなかった、というのは、精神史を語るうえで、今を基準としがちな戦後の合理主義、民主主義を大前提にしている識者の陥りがちな瑕瑾といえるのではなかろうか。
先般、彼の『ドーダの近代史』に、軽妙かつ真摯な分析に目を見張っただけに、いよいよ、40年前の「全共闘」が歴史研究対象のまな板に上ってきたかの感がある。


6月2日

結局、1月のibook、5月のpowerbookの昇天に伴って、その間のデータは損失されてしまいました。バックアップしていなかったせいとはいえ、大した記録でもないので、しかたないね、と。ただ、コンピュータ業界への「不信」と「怒り」は消え去ることはないだろう。不完全な機械を売り続けている限りは。

午後、阪神西宮駅近くにある編集プロのMくんのオフィスを訪れ、その足で阪急西宮北口駅まで歩いてみた。私の足で20分、大した距離ではなかったのだが、やっぱり2km はあったようで、汗をかく。

大学院では「1979年」、テーマは「キャリアウーマン」。私にとっては、なんといっても村上春樹『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞したことが強い記憶に残っている。
離婚して、しばし知人の家に下宿して、その後、神戸・北野の通称「ベイビュウマンション」に引っ越した頃だった。
賞の選者は、佐多稲子、島尾敏雄、丸谷才一、吉行淳之介といった重鎮。すでに、ほぼ鬼籍に入っている。しかし、昨今の文学賞の選者に比べると、その存在の重さが違うことに、30年の世の移り変わりを今更ながら痛感。
折しも、書き下ろし『1Q84』上下巻が刊行されたばかりで、早くも70万部を超える、とか。コアなファンばかりか、「世界的」という評価に誘われてか、さらには団塊の世代も戻ってきているのかもしれない。


1月5日

昨日から実質の仕事始め。
まだ、年末のもちつきの後遺症か、少しずつ改善されていっているのだが、腰の違和感がいまだ残っている。
原稿を仕上げて、裁判員制度の特集をしていた「現代思想」の昨年10月号を読んでいたら、制度そのものへの懐疑を述べる主張が多く、いやはや、どうしたものか、という感じ。やはり識者には違和感が多く、庶民は敬遠する人が多く、だけども
厳罰を期待する声も多く、といっ具合に、おさまりが頗る悪い。
24日の関大・市川教授の講話は、はたしてどのような展開になるのか、私にも定見がないので、どのようにすべきか、悩んでしまう。

夕方、プラネットEartHに打ち合わせをかねて顔を出す。新たな展覧会が始まっていて、このい雰囲気の変わりようが面白い。
カフェ単体での営業がむずかしいのはわかっていたが、もう少し雑誌メディアへのPRをすすめていかなくてはなるまい。


09年1月3日

今日も朝は快晴。箱根駅伝の復路放送を聴きながら5マイルのジョグ。
昨日の東洋大・柏原君の信じられない箱根山登りの勢いを復路の選手がしっかりと受け継いで、まさかの初優勝。歴史の1ページがつくられた。
人間の可能性というのは、本当に、はかりしれない。

相変わらず神戸港はおだやかできれいに見える。
しかし、人が蠢く現実は見えてこない。

母の一周忌が間もなくやってくる。母の顔を描きながら、47分のジョグを終えたら、食事とお酒がすばらしく美味しく感じられた。


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