混迷亭日乗 Editor's Diary

4月30日

27日。撮影のために、高槻、万博記念公園、寝屋川市、中之島、そして武庫川、甲子園と歩く。予定では生駒まで行くつもりだったのだが、時間足らず断念。
万博でははじめて日本庭園に入り、多種の躑躅の色鮮やかさにに目が和む。

28日。大学院、お題は「1969 全共闘運動」。とりあげたのは、大学院博士課程後期のKさん。歴史になってしまった運動だが、セクトの
渦中にいた連中は黙して語らないので、渦中の周辺にいた者の証言で、状況証拠を固めていくしかない研究になってしまわざるをえない。思想を「自分の言語で語れなかった」というのは、当時の自分はそうは思っていなかったけれども、客観的にいえば確かにそうだったのだな、と肯定せざるをえない。
帰宅途中、内田先生と牧師のKさんと一緒になったので、御影まで当時の社会状況や音楽、そして、後期のテーマなどをひとしきり。

29日。昭和の日、おかげでNHKの昭和の一こま映像を見ることに。1955年、砂川闘争の映像を初めて見たような気がする。米軍基地拡張の土地強制収容について、「土に杭は打たれても、心に杭は打たれない」だったか、闘争を引っ張った農夫のことばが印象に残る。

大阪大学医学部FDのシンポジウムの校正をしていると、医学部の基礎研究に進む学生が激減している状況がよくわかり、医療崩壊の一面はここにも確実に現れている。現場の先生方の焦燥がよく伝わってきた。厚生労働省、財務省の「医療費抑制」イデオロギーの弊害はおそろしい。

デザイナーのWくんを自宅に送り、帰途に、大安亭に立ち寄り、いつもの野菜屋でしこたま野菜をみつくろう。本日、いきがよかったのはセロリ、エンダイブ、なすとインゲン豆。


4月26日

土曜日は一日、原稿修正のため仕事。

夕刻から、花隈のそば処「卓」にて、 HTAの S前理事長慰労会。常任理事の大半が集まってくれて、わいわいと。トライアスロンの常任理事会とて、もう大半が50代以上、話題は病気と食事と運動と老後、そしてそれぞれの業界の話。皆さんには、卓のうまいそばと、一品料理を満喫していただいたので、まずは良かった。
それにしても、いくら肩書きなんてどうってことないよ、と皆で分担してきたのだから、とはいっても、やはり副理事長の時代とは、精神的な負担がなんとなく違うような気がする。

今日も、丹波簿胃青垣町で、来月のトライアスロン大会の実行委員会に顔を出したのだが、地元のメインスタッフは、いずれも30代から40代、行政職員ではないのにもかかわらず、過疎のまち故にもともと人口が少ないなかで、よくぞ集まっていただいた、とうれしい限り。我々の競技はとにもかくにも人海戦術、スタッフが集まっていただかなければ成立しない。

その実行委員会にかこつけて、早めに現地入りして、スイムのトレーニング。昨年夏以来のできごと、なり。
8月初旬の島根でのスイム+ランでレースに復活するつもりゆえ、これから少しずつ水に慣れていきたいところ。今日は、併せてなんとか1500mを泳いだのだが、現役の頃とはほど遠いスピードであった。当たり前の話。スイムは、週2日トレーニングして、なんとか現状維持できるということなのだから。


4月24日

23日。秋晴れのような空気の心地よさ。大阪大学歯学部にてW先生と打ち合わせ。ようやく第4コーナーにさしかかってきた感じ。

今日、学生へのガイダンス原稿の修正にかかっていると、あっという間に時間が経っている。疲れたので、三分の二くらいで切り上げる。

夕方、女房殿が先週から少し、まったりジョグを始めたものの二日で途切れたので再開、ほとんど歩いている感覚で最初の2kmだけつきあってみると、残りの6km、俄然ピッチが上がって、久しぶりに気分よく、週3日のペースを崩さないようにすれば、8月のレースには間に合うかもしれない。

夜、水道筋の、なぜか、うどん屋ライブハウス「な也」で、有山じゅんじと前座の Kくん(知人であり、牧師)のライブ。有山のナマを聴くのも、ほぼ30年ぶり? ギターが凄い! マーチンなのだが、ネックがフェンダースタイル、さすがにキレがよく、音がすばらしい。有山のブルースやラグタイムも、もう芸人の域です、な。立派な存在感でありました! それでも、昔の「甘えた」雰囲気は今も残っていて、50を越えても少年の面影躍如。


4月20日

14日。最後の年になった大学院聴講。前期は、9のつく年の話題を選んでの発表で、ワタナベの担当は1939。ナチスドイツの勃興と対中国戦争の泥沼化の始まった年である。

15日。淀屋橋・山木画廊にて、坪田昌之個展。六甲アイランドの野外美術展に出品していた作家が成長した成果を作品集として発表。スポンサーがつくほどに洗練された作品になっていた。

その後、松竹座にて喜劇「耳かきお蝶」。湯浅ヒトシの原作漫画が好きで、まさか芝居になるとは思わず知らず、仕事仲間のデザイナーMくんからのご招待。しかし、やはりファンタジーの芝居化には無理がある。もっとも、松竹座の顧客にしてみれば、加藤茶がナマで見られるだけでもいいのかもしれない。貴重な経験をさせていただきました。おみやげに一本500円の耳かきを求めたので、娘に笑われた。

16日。丹波の柏原警察署と公民館に、大会運営協力についてのご挨拶伺い。宝塚から特急で50分。子どもの頃に比べれば早くなった。記憶では1時間15分ぐらいかかっていたように思う。2時間の滞在で、大阪経由京都行き。

祇園の小鍋屋「いさきち」にて、編集者のYさんと会食。お互いの企画ものについては、お互いが乗り気になれず、交渉は不成立。でも、いつものようにぐだぐだと話だけは弾み、結局最終の阪急で帰還。楽しさと疲れとで相殺。

17日。置塩医院。HeA1cが7.3%、血糖値160と上昇。置塩は「うーん、特に変わったことはないか?」とうなって、「次に下がらないようだったら、薬を変えよう」と。推量するに運動不足か、はたまたビールなどの再度の厳禁か、よくはわからない。体重もこのところ64kg台なので、ちょっと警戒警報。

内田先生から、結婚式の招待状。びっくりしたのだが、よくよく考えると、いつか誰かと一緒に老後を過ごされるのでは、と思っていたこともあって得心。
お相手は、大倉流の鼓奏者のようで、ということは今までに舞台でお目にかかっているはずのひとらしい。

なにはともあれ、めでたい、めでたい!

18日。プラネットEartHにて「おとなの寺子屋」第4回。石川康宏教授の非常にクリアな世界経済分析。マルクスこの現実を見たならば、どのように言及するか、というお題。はじめて20名満席になって、やはり窮屈ではあったが、皆さんそれなりに刺激を受けたようで、ますはほっと胸をなでおろした。
終了後、女学院聴講仲間と韓国スープの店で、軽く打ち上げて解散。

19日。初夏の陽気。半藤一利の『幕末史』(新潮社)を読み始める。語りが上手なので、すいすいと読める。複層的な尊皇攘夷の志士と幕府官僚の動きを追っているので臨場感があふれており、おもしろい。さすがに『昭和史』の作者だ。

3時から、舞踏川柳作家・情野(せいの)千里のパフォーマンス「赤姫青海波」。蛸踊りと称して、赤姫が青波に飛び込んで蛸になり、墨を吐く。
今回いただいた一句。

毛蟹真っ赤で男追いかけ蹲る だったかな?

男女の愛憎劇がお得意、遊女の如き扇情的なおべべがいつも、けらけらとしていてあっけらかん。

そして本日。兵庫生涯スポーツ連合の年次総会&懇親会。今年はインディアカ(バドミントンのソフト版)協会理事長(女性)が隣席で、レクリエーション系の方々は、なんだかとてものんびりとやってらっしゃるようで、どうもテンポがあいにくいのだが、たまたまお嬢さんが女学院の音楽学部卒でピアノを教えてらっしゃるとかで、ひとしきり音楽とスポーツの相関関係について歓談。ピア・ジュリアンのこと、お伝えする。

帰途、雨がぽつりぽつりと。


4月13日

夜、梅田のビルボードにて、小坂忠&Soul Connectionのライブ。還暦を過ぎた小坂忠のライブは、「春一番」のフォージョーハーフ以来、ということで、たぶん37年の空白期間があるはすだ。
当時、ヒッピー的なライフスタイルであった彼が住んでいたのは埼玉の入間川付近にあった米軍ハウス。音楽新聞の取材をかねて訪ねたことを覚えている。

「ありがとう」「機関車」「ホーロー」など、なつかしい曲と、昨今のソウルっぽい厚みのあるサウンドで、楽しませてもらった。バンドマスターは佐橋佳幸、ドラムは高橋幸広、ベースは小原礼、ゲストは細野晴臣という豪華版。

震災後の「横尾忠則+細野晴臣」展以来、となった女房殿は、細野さんに声をかけて、お互いに、元気エールを交換していた。

一時期、不遇の時期もあったが、牧師になって、信仰で持ち直し、今も元気でやっている姿を見ていると、負けてられないな、と思う。

きっかけをつくってくれたのは、ザ・メロディの Mである。あらためて、ありがとう!

4月12日

8日。福岡の大姉より、山口・萩沖の一夜干しなど、届く。きわめて美味なり。みずみずしさと乾き具合のバランスとほのかな塩味がバランスよく喉を通っていく。

9日。車運転用の眼鏡を新調。視力0.8までになり、よく見える。ただし、手元はまったくだめ。使い分けをこまめに。それにしても、昨今のフレームは圧倒的に平べったい長方形が多くて、小さめのフレーム枠が少ない。売れ筋というのは、なんだか、付和雷同に近いもので、気持ちのいいものではない。

10日。心斎橋テキパキにて散髪。ザ・メロディにて、鎖骨靱帯を損傷して包帯姿のMを見舞いがてら、一服。

11日。先週の漁期うち止めによって、不満ながらも行った撮影被写体への拘りから、坪谷邸にてフルセの再撮影。その後、友人の方々とともに会食。今シーズンはいかなごをたらふく食べたことになる。フルセをたくさん食べることを、特に子どもには勧めたい。小魚をまるごと食べる食習慣をつけることが何よりも必要だ。

12日。HTAの年次総会。理事長就任が正式決定となる。末松会長も出席していただき、新たな出発となる。これからは、最後は理事長、という安全装置がなくなったので、やはり、気を引き締めていかなくてはならない。

終了後、プラネットに立ち寄ったら、映像イベントの企画を担当する小池さんとともに、映像作家の原将人(鬼才)が来ていて、びっくり。35年ぶりともなる再会。
7月に映像ライブを行うことになった、というわけで、今後の展開が楽しみになってきた。

その後、大阪大学中之島センターにて、関西5大学連携事業についての打ち合わせ。


4月7日

今日、ようやくメール、復活しました。やれやれ。
おとなの寺子屋、朝日新聞神戸版に小さく情報欄に紹介されただけで、4名の参加申し込み。予約が18名に達したので、マジで配置を考えないと。

ポートアイランド2期の広場に工事のクレーンが林立し、再生医療関係の建物が建つらしい。この頃は、進出企業の集積が徐々に成りつつあるようで、空港の土地売却とは対照的だ。

土曜日。姉夫婦にきていただいて、風呂場の扉ノブ、部屋のスイッチの交換など、お願いする。電気技師なので、申し訳ないけれど、実に重宝させていただいている次第。

日曜日。午前中、六甲にて臨時常任会議。12日の年次総会に向けての、資料調整。理事長、退院後、久しぶりに出席され、徐々に日常生活に戻りつつある模様。油断はできないけれど、喜ばしい。その後、プラネットEartHに立ち寄り、クセックのチラシ掲出を頼み、宮崎代表と打ち合わせ」。

いかなご新仔による料理撮影の日。小さい新仔からフルセまで、いかなご尽くし。まさにぱくぱくと食べ尽くしました! 
明石・坪谷邸にて、この企画も、早いもので一年経ったので、感慨あり。
これから、なんとか版元をあたって出版にこぎつけるようにしないといけない。明石の地酒、名も知れぬ醸造元の大吟醸を少しだけいただく。えもいわれぬ味わい。
花見はなかったけれど、桜餅と柏餅もいただいて、ほろ酔い気分で、AD のMくんとともに帰途につく。


4月3日

いまだにプロバイダーからのアドバイスにも拘わらず、サーバーの容量の空きをつくることができず、メールの問題は片付かないので受信ができないままになっている。もうかれこれ一週間になる。
15年以上、インターネットを使っていながら、その後まったくシンポしない石頭の情報デバイスはここにあるわけだ。

名古屋の敬愛する劇団クセックから今年の公演案内が届いたら、驚いた!
真行寺君枝さんがゲスト出演する、という。1月の出版記念パーティには出席できなかったので、なにはなくても駆けつけなくては!

ちょっといい知らせが届いたので、少しは春の気分になるかしらん。


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