混迷亭日乗 Editor's Diary

11月30日

28日。淡路市にて、デュアスロンチャレンジ大会の実行委員会。淡路市長の大会への思いをお聞きして、それを忖度しながらも、実現可能な線で来年以降、大会開催を進めていくことにする。

昨日は、ランニングがてら、内見会の原稿データを宮崎代表に手渡した後、イラストレーターのWAKKUNの個展へ。テーマは「歩く」。何気ない日常のおっさんの「ええなあ」感覚がユーモラスな筆致とともに、「少年のこころ」を蘇らせる。会場で、神戸新聞のベテラン記者Yさん(学芸批評に抜きん出た方である)にお会いして、しばし一時間もあれやこれや、とお話する。
それにしても、WAKKUNが「DRESSAGE」のイメージが強烈だったことを話してくれたのにはちょっと驚いた。
帰りに雨が日降り始めたので、急ぎかけっこで帰る。

今日は終日、大学院でのレジュメづくり。テーマは「ええじゃないか」と「廃仏棄釈」を通じて見る、庶民の負のエネルギー。はたして、2010年頃には勃発するのだろうか? という投げかけ。今の時代、庶民にそんなエネルギーがある、あるいは生まれていくだろうか?


11月27日

24日。雨模様。学生の講義感想へのコメントを書く。一人ひとり、対応するのだが、優秀な子については、素っ気なくなり、問題を抱えていそうな子には丁寧になる。はたして、どこまで、届くであろうか。

夜、高校同窓会の幹事慰労会が、トアウエストの「順徳」にて。久しぶりだ。味には定評のある店なので、それはともかく、紹興酒をついつい、いただく。
次回は、2010年の9月に、ということで、20回生専用のHPをつくろう、という話になって、私にお鉢が回ってくることに。ありゃまあ。

26日。的場章宏の『マルクスだったらこう考える』(2004)を読む。なんだか、今が来るような予感で書かれていたようだ。
マルクス者とマルクス主義者は違うし、さらにはレーニンがくっつくと、それはもう似て非なる者になってしまう。
昔、随分と乱暴な読み方をしていたのだなあと。マルクス読みのマルクス知らず。恥じ入るばかり、なりけり。
世界が一つの資本主義に覆われた結果、これからは、どのような状況になるのか、まさにマルクスが想っていたこと、国家という枠組みを超えて、権力からは遠い人々の連帯が起こりうるのかどうか。

あらためて、じわりじわりと、これからマルクスが黄泉の国から蘇ってくるのかもしれない。

27日。関学から、帰りに心斎橋の「テキパキ」へ。頭さっぱりしてもらって、ジュンとお茶飲み話をして、これからのキーワードは「助け合い」だね、と強調。


11月22日

16日。朝、ハンマースホイの番組に引き込まれる。映画監督小栗康平がその魅力についてコメントしていたが、大航海時代を迎えてバブル活力に溢れていた北欧デンマークにおいて、人の後ろ姿ばかりや、人の存在しない部屋や街角を描き続けた彼は、同時代のフェルメールにも似て、寡作であったという。時代の空虚な熱狂に背を向けて、絵筆をとることの意味は、現代にも通じるのだろう。
午後、沖縄出身の普天間かおりの「平和・いのち」のコンサート。知人のNさんが実行委員会を形成しているので、大倉山に出かける。彼女は、NHK時代劇『蝉しぐれ』のテーマソングを歌っていた人で、印象に残っている人だった。
ピアノとギターとボーカルのみ。これだけで、歌を聴かせることができる人であることがわかる。
圧巻は『さとうきび畑』のうた。これまで聞いた誰よりも、「ざわわ ざわわ」の繰り返しに感情が各々にこもっており、彼女はおじいを米軍の掃討作戦により塹壕にて失った経験も加味されて、涙滂沱の如く、であった。
その後、リ・フォープにて22日のモトコープロジェクト実行委員会の打ち合わせ。

17日。夜、久しぶりにKIFCHAの会合にて、北野のローテローゼへ。20名近くの集合で、10時頃まで4時間もわいわいがやがや。最近のドイツワインの赤は、辛口ではあっても通常の赤には及ばなかったのだが、年々、実に洗練されてきているようだ。これも新興国の追い上げに迫られてのいい結果だと言えるのかもしれない。

19日。花園大での最後の講義。演習を行った後、坪谷講師と志望者と一緒に大学近くの食堂にて打ち上げ。6人の学生はワンコイン(500円)にて、未成年もいるので、食事中心となる。こちらの呼びかけに応じて集まってくれた学生たちが、現状を話してくれるにつけ、教育に取り組む姿勢にいろいろあるからこそ、化学反応を示してくれるのだと思う。熱意のない先生も、ある意味での反面教師。
その後、おでんの「はんじょう」にて仕上げ。なんだか隣のカップルと「とある酒」のことから、話が盛り上がって、痛飲するはめに。

20日。関学にて、T先生に在京の版元へ届ける企画概要を手渡す。帰途、西宮北口までのタクシーの中で、26日にオープンする「阪急・西宮ガーデンシティ」(だった?)の行く末を案じる話。なにせ、この時期なので、想定外のアメリカ金融危機の後だけに、阪急電鉄としてもおおきな賭けになってしまった、という。

外務省の日本大使館調査員面接試験に上京していた娘が帰神。アフリカ勤務希望者は3名、採用は1名。娘は「面接は楽しかったけれど、多分、落ちているわ」と。理由は、他の2人はパリ留学経験があり、フランス語が堪能だったとか。いくら、スワヒリ語やスースー語に馴致しているとはいっても、公用語はフランス語だから、ねえ。

旧友、関大のI教授から、贈呈した内田先生の『街場の教育論』への感想メールが到来。きちんと読み込んでくれていて、我が事のように気分が良くなり、先生へメール。

このところの早朝の寒さが少し緩む。3時から実行委員会。おおよそ、内見会からオープニングまでの道筋を確認。
途中退席して、HTAのM副会長とともにしあわせの村へ。なんでも、ここは年間200万人もの人々が訪れているそうだ。
兵庫県生涯スポーツ連合の設立10周年記念総会。早いもので、もう10年か、と。この10年、何ほどのこともできてはいないけれど、次の10年には、もういないのだと思う。
トランポ・ロビクスの方々の演技を拝見し、その振り付けに進歩の跡が見られるのも、積み重ねの賜物だと思う。
帰りの市バスは、貸し切り気分。終着駅は貿易センター前。降りたのは私だけだった。


11月15日

8ー9日。グリーンピア三木にてカーフマンジャパン近畿ステージ。気温9℃という寒さのなか、主管ではあるものの、気疲れする部分がないので、レースの流れに身を任せておけばよかった。

今回、初めて神戸電鉄の緑が丘駅に降り立って、愕然とする。午後4時10分を最後に、10kmも離れているグリーンピア三木行きのバスはなかったのである。寒風吹きすさぶ駅頭で、急遽大阪府協会のU理事長に連絡、お迎えに来ていただく。助かりました、ホントに。あらためて感謝!

11日。京大広報の仕事で、島原の角屋もてなしの美術館を取材、見学。二度目の訪問だったが、前回は見られなかった2階の広間をすべて見せていただいた。いわば、広義の宴会場なのだが、建物としての重要文化財度数は相当に高いもの。建て増しにつぐ建て増しで、耐震構造の面での調査に京大が自主的に入っている。民間の財団法人なので、仮に補強が必要という調査結果が出たとしても、公費で補強という話にはならないらしい。

建物の醸成する空間というものが人間尾精神に及ぼす影響は数値でははかれない。

佐藤勝の『国家の罠』、文庫本になったので一読。今なお裁判で係争中ではあるが、どうひいき目に見ても、佐藤の主張に分がある、と感じざるをえない。それにしても、彼の記憶力のいいことに一驚。場面として保存できる力を持っているのもすごい。

当時、田中眞紀子VS鈴木宗男対決で、世間は大騒動で、鈴木悪役にさせられたことは覚えておいでだろう。
結果的に田中も鈴木も外務省から、遠ざけられてしまい、鈴木&佐藤は国策捜査によって塀の中に落とされてしまう。鈴木は、利権の固まりのように見えていたし、外務省のラスプーチンと揶揄されていた佐藤の傲岸さに、こちらの目も曇ってしまっていた。反省しきり!
権力のそばで戦うことのきわどさ、あらためて教えられたような気がする。続いて、続編が文庫から出されるようだ。
しかし、マスメディアは、最高裁の決定まで、判断留保を決め込むのだろうな。

知人のK牧師は、同志社神学部での彼の同期生。ちょうど、大学院で久しぶりに顔を合わせたので、ひとしきり、佐藤話題。

今日の内田先生は、太宰、夏目、谷崎、三島、村上ハルキ、橋本らについての仮説をぶちあげる。憑依系文学と解離系文学というキーワードで作家と作品を論じた。いつも、驚きの視点で話が展開される。まさに、太宰という触媒で内田節炸裂! といった感じ。だから、先生はやめられない。

12日。置塩医院、HeA1c6.3%、このところ「まあ、この調子で」といった感じでルーティンになっている。同窓会には、急用でどうしてもいけなかった、と残念そう。

13日。関学、著者校正の原稿をすべて手渡す。T先生のほうでも、版元をあたる、と言ってくださった。在関西の版元の状況が思わしくないので、先生におまかせしたほうが気分的にはずいぶん楽になる。

帰りにジュンク堂にて書籍をまとめ買い、そしてHMVでCDを2枚。こういう日はとても気分がいい。

本日、昨晩のランのときに初めて聴いた佐々木秀実というシャンソン歌手のCD『懺悔』を頼みにアオイレコードに立ち寄り、しばし「アオイのおにいちゃん」と昨今の映画、音楽談義。
その後、明石の坪谷邸へ。前回は日本選手権で欠席。今回は、あおりいか、剣いか、ひいかの3種でいか三昧、いか尽くし、いかフルコース。剣いかとういのは、初めての経験。明石では珍しくはないそうだけど、もちっとした食感でおいしい。さらに熊本れんこんのすり身といか(内臓)の細切れで作られた揚げ団子のあんかけは旨く、自分でも作ってみたく、さてさて、、。料理写真の撮影とはいいながら、毎度、美味と美酒で、夜はふけていくのでありました。
来月は、合宿状態になりそうで、それはそれで、年忘れの大宴会になる?


11月6日

2日。高校卒業後40年同窓会。今回は安くあげるために老朽化している同窓会館で。約100名の出席。我々の時代は550名ばかりいたので、この出席率はいいのかどうか? ただし、同窓会費の納付率は低い、そうである。
5年ぶりで、そろそろ還暦だというのではあるが、出席する連中はだいたい元気なもので、わがクラスは10名ばかり。一次会、二次会(クラウンプラザホテル)、そして三次会(これは、熊内の蕎麦どころ「山親爺」に連れていった。蕎麦と日本酒で堪能した? はず)と楽しく過ごさせていただいた。次回は60代半ばになるのだろうか?

3日。朝、HTAの常任会議。主に9日のデュアスロン大会のこと。S理事長が有資格者ゆえに兵庫県体育協会体育功労賞の申請を決める。
午後過ぎて、最終日になっていた姫路美術館での川瀬巴水展(大正・昭和初期の版画家)に女房殿と出かける。送付されてきたフライヤーの版画を見て一目で気に入っていたのだ。絵柄は、芝大門の増上寺の雪景色、蛇の目傘を雪風に気圧されないようにふんばっている女性(勿論着物姿)が凛として収まっていた。
暮色濃い白鷺城の外堀を少し散歩して帰る。急に「御座候」が食べたくなっていた。

4日。どうしても待ちの連絡が必要なために、事務所離れられず、大学院は休む。

5日。オバマが時滑り的に勝利した。歴史的な一日になった。しかし、今回、4年前や8年前のように、オバマの人格には経緯を表するものの、民主党が勝ってほしいとはそれほど思わなかった。つまり、それほど01年以降のアメリカそのものへの幻滅がひどかったということだ。我ながら、そのクールさがうらめしい。

6日。関学での特別講義は、宝塚中心市街地活性化に取り組む関学のプログラムを採用した現役の官僚、内閣官房地域活性化統合事務局次長のK氏。出身母体は、旧建設省、旧厚生省、国土交通省。各省庁の縦割りと与党の要望と、野党の牽制と内閣府の指示という調整の嵐のなかにいらっしゃるそうで、しかしながら、それでもめげないで一歩後退、一歩半前進という思いで激務をこなしている、という。発表の最後にご自分の仕事への精神的バックボーンになっている、「正義」と「公務」について、ハムラビ法典や新渡戸稲造に言及したのには、好感が持てた。

夜、三宮で大学時代の友人、関大教授兼関大図書館長のIくんと久しぶりの食事とピアジュリアンで音楽(ファゴット)。構想中の「てつがくカフェ」(仮称)の講師として来て欲しかったからだ。
確かに皺と白髪は増えたけれども、若い頃の知的風貌は未だに健在であった。
話すことは裁判員制度、法科大学院、ゼミ生、院生の生態、そして社会から音楽まで多岐にわたり、あっという間に3時間半が過ぎていった。


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