混迷亭日乗 Editor's Diary

10月31日

股関節の可動域が広がることで、足首への負担も軽減される。故障箇所を治すためには根元をほぐす、という術。うなづける話ではある。

少し早めに神戸を出る。NAVIというものを使って京都コンサートホールへ。
その前に、女房殿がぜひとも確かめたいというので、大徳寺近くの今宮神社へ立ち寄ることに。その設定をめぐって一悶着。一旦設定した案内をキャンセルして設定し直すというのだが、それができない。彼女は助手席でマニュアルとにらめっこ、格闘している間に京都ICを降りてしまい、降参。指先でポイントをずらしながら、現在位置を確かめつつも、結局、地元の人に尋ねる始末。
お目当ては、神社の参道近くにある「餅屋」(正式名称は忘れた!)。なんでも30年前の学生時代、ノンジャパ連中と一緒に訪ねた神社で、とびきり美味しい餅を食べたことがある、という記憶を辿ってのこと。お目当てのお店はあったけれども、5時にて店じまい。あら、残念。
もともと、彼女は店の名前を覚えることに執着しない。銀閣寺前の有名な「おめん」も、長い間、場所と店名が一致せず、ようよう京都の友人に探してもらってぶちあたった、ということもあった。

それでも、6時にホールに着いたので、北山の近辺をちらっと、ということで、ホールの向かいにある陶器屋らしき店に立ち寄る。「MICHINAKABA」、という名前、なるほど、陶工への道なかば、という自己規定で、お安く作品を販売しているというわけだ。
女房殿は、早速、あれこれと品定め。この辺の感覚は中々優れているので、あっという間に6点ほど。しめて、たったの4200円。
こういうときの女房殿は、NAVIへの不機嫌から一転して、私も、一枚、くすんだ紺色の大皿を選んだ。

お目当ては、詩編交響曲「源氏物語」。これは、源氏物語千年紀実行委員会が作曲家千住明に委嘱して出来上がった曲で、作詞が松本隆。源氏物語の中から8編を選んで作られた詩編を、ソプラノとテノールが交互に歌い上げる。
松本本人が舞台で語っていたが、詩の一行ごとに、違う人間の思いがこめられているという試みは珍しく、作者が言及しなければ、よほどの研究者でなければ構造を読み解くことができないという仕掛けもまた、実験的である。
昨年の、能オペラ『隅田川』(これも次回はぜひ観たいものだ)に続いての、二人のコラボレーション。
もちろん、世界初演となる。4日、BSでライブが放映されるそうなので、ぜひお確かめいただきたい。12月にはCDも発売される予定だ。
千住は、映画音楽やドラマの作曲も数多く手掛けているし、松本の「ことば」は、十分に吟味され、そぎ落とされて生まれおち、歌い手を通して言霊となる。
ホールが大きすぎたのか、両者の声量にやや物足りなさを感じたものの、さらには、曲調の変化にもう少しメリハリがあってもいいかとも思うが、そんなことは些細なもので、京都交響楽団の管弦の響きに酔っておりました。
このような作品が1000年を経て生まれでてくるということの不思議さに紫式部もさぞ驚くことだろう。伝統が新しさを生む、とはかかる謂いなのだろう。

豊潤な秋の宵でありました。帰途はすんなり1時間15分。


10月28日

25日から久しぶりの東京。まずは、江戸博物館で開かれているボストン美術館所有の「浮世絵の里帰り」展。正しくは違うかも。久しぶりの大勢の人々と一緒に見る展覧会ゆえ、人垣の薄そうなところを狙って、ピンポイント鑑賞。時間がかかってしまったが、微細な表現とともに、生の色合いが時空をこえて、物語る。杉本章子の『写楽まぼろし』(小説)の世界とも行き来しながら、堪能した。
急いで横浜に向かって、赤れんが倉庫へ。旧知の人脈プランナーのNくんと久しぶりの対面。トリエンナーレが目的だったのに、時間が少なく現場にいながら干渉は断念。
夕方から、ハマの街を歩きながら、日之出町から黄金町に向かう。ここらあたりは、昔でいう悪所で、地元の人は「近寄らないほうが」というエリアだったのだが、このところ若い人たちが、スポット的に店を出し、町内会のような組織を動かし、アートを取り入れながら、街の雰囲気をおもしろくしようとがんばっているところなのである。
小さなカフェに入り、川沿いの夜の風情を楽しみ、売春宿と思しき通りをすり抜け、鵜ぇき前の焼き鳥屋で談論しながら、満面笑顔の女将と会話して、ハマの夜は更けていった。

26日。伊東ゆかりのコンサートの仕事に出かける息子と一緒に早く出て、お台場には8時前に到着。
日本選手権、女子は井出、男子は田山と、オリンピック出場組が貫禄を見せて勝利。やはりオリンピック5位入賞の影響は大きく、観衆も多くて盛り上がっていた。
久しぶりに理事に戻った気分で、表彰式、アワードパーティと楽しく過ごして、六本木へ。交差点をうろちょろしていると、なんと外国人の多い界隈であることか。
古い友人の主催するディスコパーティに呼ばれていたので、顔を出す。60年代、70年代のソウルブームを支えた裏方のニックさんの一周忌記念だった。
そこで、なぜかサンボマスターのメンバーと出会い(私はほとんど知らないが、電車男を知っている人なら御存知らしい)、また師匠であるKのことを書き記したKさんと会って、その後の出版の進捗などを聞く。また、今年亡くなった草森紳一さんのブックフェアを企画しているとのことで、神戸開催の橋渡しをすることを請け合う。

27日。息子の家からバスで西が丘の国立ナショナルトレーニングセンターへ。コーチングシンポジウムに出席。北京オリンピック女子5位入賞を果たした井出樹理の監督から、トレーニング状況の発表を聴く。水泳と陸上からのスカウティングと本人の強い意志と男子選手との合同練習に、短期間の競技力向上が顕著に見られたという報告。
午後は拡大強化本部会議。ロンドンオリンピックに向けての強化方針の方向性を確認。女子については、メダルを確実にするための方策、男子については、日本として参加選手枠3を獲得するために、強化指定選手らの意志統一をなんとしてもはかり、国としての総合力をつけたうえで、入賞を目指す。層の薄さが致命的だからだ。
雷雨の夕方、都営三田線、京浜急行で羽田へ。久しぶりに空港のラウンジでゆっくりした。そして、神戸へ。今回もスカイマークは20分遅れた。

西宮のメタモルフォーゼ。大学院は、発表者が風邪のため内田先生の「呪詛と祝福」という、近々の関心事。ITを駆使して、言葉で呪詛する時代。古代から人間はそれほど変わっていないという証左の一つがここにも。
余談だが、先生が依頼された論稿が掲載された「新潮45」の編集内容ががらっと変わっていた。ここ数年、男女関係の愛憎劇みたいな誌面で埋め尽くされていたのだが、同時にテレビに臆面もなくコメンテーターとして登場していた女性編集長、部数激減では話にならないので更迭されたらしい。じゃあ、部数が増えればそのままだったのか? 少しはまともな総合誌に戻るのか?
ちなみに、昨今、編集長がマスメディアの表に出ることが多くなっているらしいが、それもどうかな。黒子としての存在であったものがいつのまにか大手を振って歩いている。慎みを忘れた編集長さんたちは、これからどこへ?

終了後、西宮メタモルフォーゼにて、院生ドクターコースのIさんとアート関連の話。知的好奇心の高い子なので、モトコープロジェの話をして、うまくひきこめればと考えいる。


10月23日

三宅接骨院。太ももに乳酸がたまっているので、マッサージが痛い。3日も経っているのに、やはり年のせいか。
関学での田村先生(都市プランナー)の講義。コンバージョンという建物再生手法の実例を聞いていると、これからの都市の再生になくてはならない手法だと思う。新築へのこだわりを捨てなければ「よき日本」は再生できない。
これなど、規制を逆手にとったグッドアイデアである。「スクラップ&ビルド」だけでは、都市は魅力から遠くなる。


10月19日

秋晴れ、という夏の陽射しのなか、ひさしぶりに神戸空港まで84分(15kmぐらい)のラン。左足アキレス腱の痛みはさほどでもなくなった。
午後、モトコープロジェで高架下へ。「プラネットアース」年末オープンに向けて、討議。そして、2年後の助成が切れてからの見通しをさぐる。
近くの古本屋にて、20年前の橋本治の『貞女への道』を発見(文庫版)。これも講義の準備資料。


10月15日

11日。東急ハンズと打ち込んだら「投球判ず」と出てきたので思わず苦笑い。
老朽化したヘルメット(バイク用)の内側パッドの交換で相談しにいったのである。係のおにいさんに率直に尋ねる。「この部分(頭囲)をパッドのようなものであてがいたのですが」と。しばし、黙考したおにいさんは「これで、どうでしょう」と言って、示したのは、なんと「すきま風防ぎ用のスポンジテープ」。「応急措置ならいいでしょう」とにっこり。
まさにブリコラージュが現前した。「あるもので間に合わせしよう」という、不安定時代の生きる知恵である。たった210円で、とりあえず、明日の淡路行きがしのげることになった。

12日。自宅から、中央卸売り市場、須磨経由で明石港までバイク。垂水の海神社の秋祭りらしく、しめ縄が沿道に張られていた。当然、この辺りは大渋滞。
気持ちのいい秋日和で、播淡汽船で20分の海峡横断も風が心地よく、バイクで来て良かった、という瞬間。
十分の時間で間に合って、明石海峡公園の大会会場で下準備。海も透き通っていて美しい。
宿泊は、大会に協賛いただいた津名のスポーツホテル「アテーナ淡路」。モダンなスポーツ専用ホテルで、21世紀の新しいビジネスモデルになるのか否か。
夜は、審判長や事務局長とともに地元の仕出しやさん「仲よし」にて、一献。かわはぎの刺身、地蛸の天ぷらなどに舌鼓。ホテルに帰って、事務的作業を終えて、明日は5時起き。

13日。朝あけ時より早く、会場へ。午前7時にスタッフ受付、8時から選手受付、9時半Jr.のスタート、そして10時、一般のスタート。
すばらしい秋晴れとともに、おおむね順調に推移して、12時には競技終了。表彰式、協賛企業のプレゼント抽選会も滞りなく進んで、「ああ、よかった」。
帰りは女房殿の運転で神戸まで。10月でも、まだ陽焼けの一日であった。

昨日、雨のなか、女学院の帰途、西宮北口の「メタモルフォーゼ」に寄り、預かっていた作品を返そうとすると、坂出さんは「いいから、持って帰り。家のなかにたまってしゃーないねん」と。うん、ビール缶の四角風鈴は、我が家のベランダにて、ぶらさがることになりそうだ。そこで、われらがモトコープロジェクト、神戸市の助成がおりることを聞く。メールでは一次審査が通ったものだと思い込んでいたので、それはご同慶の至り。
自ら提案した「哲学カフェ」、実現することになりそうで、本気で案を練っていかなければならない。

花園大学、4回目の講義。本日はガクンと学生が減っていた。理由はわからない。しかし、少ない分、ほとんどが真剣に演習に取り組んでくれていたように思われる。11月の最終回は演習と質疑応答で閉めて、その後、希望者がいれば、打ち上げをしたいので、その旨、学生に伝えていただくことにした。
終了後、坪谷講師と、料理本のことで打ち合わせ。デザイナーのMくんが持ち寄った体裁見本について、話し合う。一ついいサンプルになりそうな本があったので、次回の料理までに、あらためて、スタッフに企画趣意の再確認をとるための叩き台を作ることにする。


10月10日

淡路大会の詰めで、この週は連絡でばたばたさせられる。

が、金融危機、六本木ヒルズなどの開発にも関わった不動産・建築の専門家であるTさんによれば、3年ぐらいは続く、というご託宣。
しかし、ずっとこのかた不景気であった身からすれば、ほとんど一緒じゃないの、と言いたくもなる。もっとも、人生このかた初めて味わう「ひどい時代」になるのかもしれないが。さすがに、ゆとりのある人は、金を購入する(増えはしないが、債券や紙幣のように紙くずになることはない)ようで相場は上がってくるのは当然か。
株を扱っている友人Tによれば、塩漬けするしかないかなあ、と。ただ、倒産企業が増えれば、競売の空き物件を虎視眈々とねらっている向きもあるわけで、まことに資本主義というのは、人の不幸と自分の幸福が裏腹なシステムであることだわい。
要するに、儲けた総体から得る人々(高額取りのエリートたち)と、今回の喪失で失う人々(サブプライムゾーン人たち)の総体がそれぞれ違うというだけであって、なんとも無慈悲なことではある。それが自由の代償でもある。


10月8日

やはり、右足が軸になっているので、どうしても、左と比べると疲労が出やすい、という。痛みはほとんどなくなっているのだが、2週間後にチェックしましょう、とのこと。
偶然、内田先生のIT秘書Iくんとばったり。合気道で腰を打った、とのこと。
さらに、私より、先に見ていただいていた白髪まじりのおばさんが、ひょんなことで、ボクシングの世界チャンプ、長谷川穂積選手(三宅先生が調整している)が働いているタイ料理の店の話をしていて、「長谷川くんがよくポートアイランドを走っているのよ」なんて、話しかけたら、「渡辺さんて、編集者の?」と聞かれるので、「ええそうですが」と怪訝な顔をしていると、「Sです」とおっしゃる。
一昔前、といっても80年代だが、居留地に事務所をかまえていたライター集団の女ボスのsさんだった。なんでも、本山の北に住んでいるとか、でびっくり。今でも、あまから手帖などの食の取材をしている、という。
Sさんとは、なぜか出没するところが違うようで、ばったり、ということもなかったのだが、思わぬところで、白髪になるのは当たり前で、お互い年を感じさせる出会いではありました。でも、元気そうで、なにより、でしたね。連れ合いの写真家Kさんも元気だとか。


10月5日

左足のアキレス腱に痛みを感じていたので、土曜日はおそるおそる元町の浜屋までラン。走れないことはないのだが、来週、三宅接骨院にいくことにする。今回も左、私の故障はこのところずっと左。知らず知らずのうちの軸の傾きが影響しているんだろうなあ。

坂出さんの原稿150枚を読了。生前の村上三郎さんの表情を思い出しながら引き込まれていった。そうだったのか、坂出さんの師匠とでも言える人だったのだ。美術の話など、とんとしなかった人だったけど、メタモルフォーゼでの言動は、まさしくダダイストであり、哲学者であったのだと。
本にして残しておきたいのはやまやまだ。編集者Yさんにも知らせることにする。

ひるがえって、わが師匠に対して、坂出さんほどの執着がないことに、しばし呆然。

午前中、六甲にて臨時常任会議。失念していたが、連絡受けて飛び出して、30分遅刻。
大会運営の重鎮、常任理事Mさんの奥さんがヘルニアで入院と聞く。

昨日はクルマの一か月点検。待っている時間に、石屋川付近を散歩、食パンしかつくらないというパン屋をみつけ、購入。一斤(3食)570円だから高い。それだけの味なんだろうか。(帰って食すると、確かにうまい。一日おいてサンドウィッチにするも、やわらかさ衰えず、美味なり。)
そして、随分久しぶりに「もっこす」でラーメン。ん、なんだか味があっさりしている。私の舌が濃い味を求めているのか、どうかわからぬが、一杯700円なり、こんな値段だったっけ?


10月3日

今週は大学の週。30日、女学院、大学院後期の開始。今年は「日本表象論」。第一回は現役院生Iさんの発表、「すばらしきかな、可愛い、日本」。相変わらず、内田先生の話は、あらぬ方向へ飛んでいき、日米政治のおとなこども論にまでにおよぶ。今期は録音なしということで、大いに脱線が期待できる。
帰りに西宮のメタモルフォーゼに寄って、この間の堀尾さんグループ展覧会のときの空き缶の作品を坂出さんから一時拝借。そこで、明日の大学の講義のつかみに使いたいということから、仕事の話になって、それなら、ということで、書きためた原稿があるので読んでほしい、とのこと。それは、具体の美術家・故村上三郎氏のことを書いたものだという。
そういえば、XワイフのYに生前、最後に会ったのが、村上さんの葬儀のときだったことを思い出した。ファイルでデータを送ってくれるというのだが、バーのオーナーにしてサウンドアーチストの彼の文章がどのようなものなのか、興味津々。

1日。福島の渡邊の従姉妹4名がそろって来神。新神戸駅で福岡の姉も合流し、妹も一緒に伊勢・勝浦方面へ小旅行。京都へ。私は、ご挨拶して京都へお仕事。

花園大学で、こちらは、相変わらず「ことば発想」も端緒から。それにしても、全体的に学生のアタマの固いこと! ことばで遊ぶ、経験があまりにも少なすぎるのか。
夏休みあけということもあって少ない人数なので、次回の演習をグループにすることにした。
秋になったというので、坪谷先生と、大宮のおでんやさん「はんじょう」へ。秋のお楽しみの一つ。昭和5年生まれの女将さんと話が弾んで、11月にも立ち寄ることを約束。
帰り途には、坪谷・母上様へのおみやげの「おでんの一人旅事件」も発生、二人しててんやわんや、となったのだが、最終的には、阪急電車の車掌さん、ありがとうございました! 坪谷先生、申し訳ありませんでした!
でも、車中の若者生態の話で盛り上がっていたときに、突然乗り換え、にも一因ありか? な?

2日。関学で、都市再生講義の一回目。都市計画プランナーの田村先生は東京からわざわざのお越しで、4回連続の講義となる。今回は、データによる解説が中心だったが、データの読み込みへの注意事項には同意。ジャーナリズムは、データの平均値と中央値について、もう少し、ていねいな解説を加えるべきだと思う。

夜は、神戸新聞事業社にて、淡路大会の事務方の最終の会議。短い期間での募集で、なんとか80人の参加で形になるのでほっとしたところ。

で、本日、原稿の校正をいただく際の高橋先生との朝の話。アメリカ発の恐慌に近い事態について、不動産・建設業界最前線では、毎日中堅企業の倒産報告が数件舞い込んでいる、という。工事中断の高層ビルがあちこちに。あっという間に、貸し渋りが蔓延、新興企業、元気である企業ですら、融資ストップの声がかかる。その原因は、ここぞとばかりの金融機関の「ねたみ、そねみ」というのだから、ここだけの話的な匂い。倒産企業ではあっても、後で買い取れば安い買い物になるのだろう、まさに日本版ハゲタカといってもいいのかもしれない。(ハゲタカさんごめん! 白頭鷲と言い直そうか?)。
おそらく、アメリカでは、銀行取り付け騒動に発展するという予測。その余波が日本のどこまでにおよぶのか、
これからしばし、資産は現金が一番という見解だった。
もしお金を持ってらっしゃる方は、ぜひタンス預金を! 私は資産には関係ないけど、ご参考までに。


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