混迷亭日乗 Editor's Diary

8月16日

母の初盆となった今年のお盆ウィークも終盤。母にふさわしい鎮魂歌ということで、フォーレの「レクイエム」を流しながら記す。

14日に、真福寺の和尚にお参りに来ていただき、その後、墓苑に墓参り。
4人兄弟姉妹の親族、集まって会食。義兄を中心に長時間にわたって、話ができてよかった。
15日は私をのぞく男たちは、亡父が会員であった淡路カントリーにてゴルフ。酷暑の中でも、ゴルフだけは別物らしい。
私は、姉妹たち女性陣ととともに、灘の酒心館にて昼食、そして、精霊流しを市の指定場所に納めて、有馬温泉、ねぎやに投宿。道中、有馬街道の変わりように時代の流れを感じる。フルコースの料理で満腹。夜更けまで歓談。

朝風呂、朝食後、散策する女性陣とは別に、ごろ寝して時間をつぶし、宿をチェックアウトして、新神戸駅まで福岡組5名を見送り、解散。
夕方、まだまだ熱気のこもる、しおさい公園をラン。

オリンピックは、陸上競技が始まり、いよいよ中盤から終盤へと向かう。フェンシングの太田選手がメダルを獲得し、全国紙のトップ記事になるなど、マイナー競技に日の目が当たる。ふと、わがトライアスロンも、こうなればいいのに、と思ってしまう。
義兄にも、マイナー競技の選手の支援・財政状況について話してはみたが、大会社のバックアップといっても、王道で攻めなければならないのは自明で、どのような展開になるのかはわからないが、どんなかたちでもいいので、九州でサポートしてくれればと願う。

8月11日

8日。北京オリンピック開幕。開会式、チャン・イーモウ監督の演出に圧倒される。人間の想像力、創造力は、尽きることのない井戸水のようである。一方で、この日、大阪でオリンピックが開催されていたなら、という9年前のIOC決定のことを思い出す。
しかし、睡魔には勝てず、入場行進の後半にて退室。

9日。ナガサキ、63回目の夏。先日、NHKで見たドキュメンタリー、投下の日、従軍カメラマン(米兵)の撮影した惨劇のショット。封印されていた悪夢が、彼の人生を変えた。
殺された弟を背負う少年の目と唇。
イラクでの米兵の捜索に怯えるイラクの少女の瞳と同様、忘れようのない一枚、であった。

明石の坪谷邸にて、料理と撮影の会。この月のメインは太刀魚とかわつえびの予定が、魚の棚に太刀魚入荷せず、急遽、サバとアジに変更。サバと野菜の「おやき」を初めて食す。豆腐ハンバーグの食感なれど、栄養も満点で美味なり。かぼちゃとえびの寒天よせも冷製オードブルとして、夏には最適。
月末、再度太刀魚にチャレンジすることに。

10日。早朝の始発で京都・西京極へ。第7回の京都アクアスロン大会。子どもから大人まで約230名の参加。すばらしい50mプールがあるおかげで、コンパクトな大会ができる。本日も気温は35度を越えた。距離が短いし、救護も冷房の効いた館内で対応できるので助かる。

12日のJTU壮行会を前に、八尾ナショナルチーム・コーチと最後の会話。田山の最終調整は上出来。8位入賞が期待できる、という思い。5日間で高地トレーニングの結果を出す方法を陸連の沢木強化本部長より伝授された由にて、ヘモグロビンのことだけに、科学的な根拠によるものではあるが、これも自信を持つための一つの方策なり、と納得する。

ノグチミヅキ、肉離れ状態になり、出場も危ぶまれるとの情報。ウエートトレーニングの落とし穴、である。「気の毒に」

今日、午後から川西のカトウ眼科へ。前回も視野検査をしたのだが、今回はより精密な検査。点眼薬のせいで、眼圧は15に下がっていたが、やはり進行度、私の場合、すでに視野欠損が3.5段階に達しているので、目標眼圧は15以下に持とう、と。月末、再度、チェックして薬の量と種類を決めよう、ということになった。

キタジマコウスケ、平泳ぎ連覇。感無量。


8月7日

4日。今年初めて、ベイスターズが勝っていくゲームを見ることができた。5回に連打で逆転、そのまま逃げ切る。美酒久しぶり!
豊島区で豪雨。マンホールで作業中の工事現業員、5人行方不明。

5日。北原ミレイの『ざんげのねうちもない』(1970)に聞き惚れる。阿久悠没後一周年記念のNHKの歌番組でのこと。驚いたのは、ここで初めて秘話が明かされて、実は歌詞に4番があったのだという。北原は覚えているので、披露した。もう記録となって刻まれるので記しておく。

 あれは何月 風の夜
 とっくに二十歳も過ぎた頃
 鉄の格子の空を見て 月の姿がさみしくて
 愛というのじゃないけれど 私は誰かが欲しかった

 一番「14歳」、二番「15歳」、三番「19歳」、そして「とっくに二十歳を過ぎ」、五番「年も忘れた頃」に教会で懺悔をする。

 男になぶられ捨てられ、ナイフで復讐する女の恨み節ではあるのだが、情念という言葉が生き生きしていた時代の歌であった。それは、そのまま60年代への挽歌でもあったろうか。舞台では、上村一夫の絵とおぼしき背景が流れ、北原は万感の思いを込めて歌った。本人は、あまりに暗い歌ゆえに、「私らしくはない」とは思っていたようだが、なにせデビュー作ゆえ、「無我夢中で一生懸命歌うのみ」であったという。
このイメージが幸か不幸か、「捨てるものがあるうちはいい」「石狩挽歌」「風の盆」などなど、絶唱ともいえる北原の評価を高めていったのである。単なる演歌歌手ではない、むしろ、日本のシャンソニエといったほうがふさわしいのかもしれない。 

6日。ヒロシマ。63回目の夏。戦争体験者の減少に抗して、語り継ぐことの重要度増す、この頃。

立秋。早朝の気配は蝉時雨のなかなれど、上空は秋の雲。
置塩医院。血糖値143、HeA1c6.4%。まあまあ、というところ。心電図もとってみたが、まったく異常なし。
秋の5年ぶり同窓会の話になり、「今回、参加者は減るだろうな、勝ち組と負け組がはっきりしてくるから。物故者のなかにも数人は自殺、と聞くし、我々は挫折体験が少ないのかもなあ」と、何気なく、勝ち組に属していると自認しているからこそ出てくる言葉ではあった。
確かに、前回は一流ホテルで会費1万円だけど、今回は同窓会館で5000円。そんなこともあって、決定したのかもしれない。


8月3日

土曜日。京都へ。花園大の坪谷講師とともに、京都教育文化センターにてピースナインコンサート。これは憲法9条を守ろうとする市民団体の主催によるもの。高石ともやと松元ヒロ(この人のコントはそれはもう反政府的で爆笑!)、それに日本版ウッドストックの草分けと言われる中津川フォークジャンボリーの企画者、笠木透(もう71歳とは思えぬ若々しさ)とのジョイント。
高石さんは、私をトライアスロンに引き入れるきっかけを作った人。コンサートとして一番初めは、68年の関西大の大教室、という記憶。
久しぶりにじっくりと聞かせてもらったが、もうフォークという範疇をこえて、弾き語りという芸、吟遊詩人になっている。民衆の歌、というレッテルをも超えて、どこでも「歌が生まれ、聞こえてくる」という存在。ロビーで近作のソングブック『西国33か所巡礼の歌』を購入し、神戸での花火があるので、誘われた打ち上げを遠慮して、京都を後にする。おみやげに、憲法9条と前文が印刷されたうちわをいただいた。
JR京都駅までの徒歩とバスの間、外国人が多いのに、あらためて驚く。神戸の比ではない。土曜日だから観光者が多いのかもしれないが、それだけではないようで、居住者が増えているのか、それにしてもそこここにいる。

7時半に帰宅。着替えて、しおさい公園の北端の一等席へ歩いている途中に花火は夜空に花を咲かせはじめた。
すぐそばのマンションに引っ越してきた甥が、ご苦労なことに昼から場所を確保してくれていた。奥さんの家族の方々もこられ、結婚式以来の親族会。東京のKちゃん親子もお相伴。なんでも6200発だそうで、近隣では最も豪華な花火らしく、こんなに間近で花火を見たのは、初めてなので、思い出に残る夜になったことだろう。


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