混迷亭日乗 Editor's Diary

2月29日

一昨日から右下の奥の「奥歯」が痛むので、島のなかの歯医者へ。一時期かかっていたところは、ある事由によって保険医指定からはずれたので、ご近所の評判のいいところへ。
ムシ歯だった。レントゲンを見ると、相当な範囲神経にまではおよんでいないらしいが、「しばらくいらっしゃい」ということになった。トホホ。痛みどめはなし。

きさらぎは逃げるように去っていく。


2月26日

冬の雨。

ある女性下着メーカーの企画の件で、J社から手渡された提示された参考資料(出版社発行ではない一風変わった雑誌など)を調べていると、一応市販されているらしいのだが、いずれも手触りが生成りというか、雑だけどぬくもりのある質感で、色合いが落ち着き、読者層はロハスに受けそうでもあり、華美ではない質素な中産階級向けというのか、そこをターゲットにしたいようなのである。
しかし、そのメーカーは、決してそのようなイメージではなかっただけに、本気で脱皮しようとしているのか、それがまだ見えていない。
例えばクーネル『ku:nel』、という雑誌をご存じだろうか? 
雰囲気はその空気に似ているのではあるが、そのコンセプトはなんだかトーキョーでしか成立しないような気もするが、実はいつのまにか燎原の火のように広がっていて、知らぬは私ばかりなりけり、の思い込みなのかもしれない。


2月24日

昨日の午後から季節風が厳しくなっていたが、やはり起きてみると、雪が散らついて周辺はほのかに白く彩られた。
ポートライナーも「積雪のためダイヤが乱れています」とのアナウンス。

朝から夕刻まで、審判員講習会と常任理事会で、花隈にて缶詰。帰宅すると、女房殿は急な要請で個人教授。
帰宅してから遅い夕食。手巻き寿司にて、58回目の誕生日は、静かに終わった。
今日はおなかの調子は元に戻っているようだ。安心。


2月23日

母の五七日。真言のお経を読むたびに暗唱できたらいいな、と思う。
昼食の鍋を総勢9人でいただいたのだが、その後、腸の調子が大変調、下痢状態で、元町へ所用があったのだが、気もそぞろ。事務所備え付きの薬箱から整腸剤を服用。
糖尿の新薬のせいか、はたまた昨晩の中華のせいか、昼の鍋か?

明日の審判員更新講習のエッセイをしあげて、映画『オフサイドガール』。イランでサッカーが大好きな若い女性たちが、女人禁制のスタジアムに侵入し、捕まって、かごの鳥になっている状況での、警備担当警察官とのやりとりを描いたもので、ドキュメンタリー性にとんだ作品。ドイツWCアジア予選で、イランがバーレーンを破って出場を果たした試合でのロケを敢行しているので臨場感は、スタンドの陰からでもストレートに伝わってきた。まことに微笑ましい、といっては失礼だが、彼女たちを取り巻く若者たちのナショナリズムでもあった。
国策映画とはまったく思えないこの映画を見ていると、最近のイランって、ホントに「悪」の枢軸か?


2月22日

置塩医院。このところHeA1cが6.3%、血糖値130前後なので、置塩は、薬を変えてみよう、と。ジメリンから3年目にして、初めての変化。コレステロールは標準値枠内におさまった。様子見という状態が延々と続きそうだ。

夜、指揮者・小林研一郎の音楽塾。新神戸駅南の新築高層ビルの一階にある神戸芸術センターでお披露目。地声とマイク音響の調整がつかず、中央端部と後方席では、聞こえ方が正逆で、結果、地声でコバケンは一人でしゃべることになり、予定のプログラムはできず、結果オーライではあったけれども、ホールとしてはどうなんだろか? と疑問が残る。残響が邪魔してマイクが使えない、となると多目的ホールとしては使えないことになる。


2月18日

大阪。仕事が始まるかどうかわからないが、ある会社を訪問し、企画課の悩みをドスンと聞くことになる。代理店を使わないで、さて、どう攻めていくのがよいのやら、悩ましい。

夜、BSで、先日死去した市川昆の『細雪』。80年代の私にとっては、映画館で見る映画ではないので、うっちゃっておいたのだが、谷崎潤一郎の再評価と岸恵子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子の4姉妹に伊丹十三、石坂浩二がからむというので見たけれど、ウン、なんていうのか、昭和10年代、大阪の老舗「商家」問題なのではあろうが、4姉妹の呼び名が上から順に、いとはん、なかんちゃん、きあんちゃん、こいさんと、とてもおもしろかった。


2月17日

16日。JTU認定記録会のため京都・西京極へ。午前中にスイム、午後からラン。44名の主に強化指定をめざすジュニアとエリート選手が出場。北京をめざす田山は5000京都府協会の運営もうまくいって、安堵。来年は兵庫に戻ってくるかどうか、調整が必要。
雪の舞い散る西京極、風がないだけ、気温も低くなくて、選手にとっては悪条件ではなく、たすかりました。
帰りに、母の四七日。納骨は百箇日にしようということで決定。母が好きだった「御座候」にて妹とお茶する。播州赤穂にいたときに、我々も好きになった「御座候」、である。

17日。全国から応募したが15万人という東京マラソン、今年で2回目。藤原新という新星が浮上、北京の選考は陸連幹部を悩ませることになりそうだ。
昨年も思ったことだが、「夢」はいつか実現する、という実例がここに一つある。
助走は市民活動ではあったが、急速に進展したのは、オリンピック招致のせい。この大きなニンジンがあるせいで、石原都知事というアクが強すぎるが人気の高いヒトゆえに、この企画は実現した。
招致が敗れたときに、このマラソンが続けられるかどうかが、ホントの意味を生むことになると思う。


2月14日

東京から帰ってきて一息ついたところ。

9日。母の三七日。若きお坊さんと真言の意味内容について、少しお話する。修行がずっと続く彼等にしても、奥義を求めること自体に意味がある、としか考えられらない。

10日。ポートアイランド内にてバレンタインラブラン。事務所の前がコースなので、クラブのメンバーや知人たちを応援。
夕方には、私のラン。神戸空港まで走って80分。夜は、ご近所のFさんと一緒にキムチ鍋。

11日。父の命日で墓参り。その足で性海寺へ。今年の星祭りには参加できなかったのだが、来年度中に、ついに本堂の修復工事に着工することになった。日本でも有数の宮大工集団が入って修復する。文化財にもなりうるので、国の補助、神戸市の補助も当然だが、その契約について、いろいろあったのも当然で、住職夫妻の心労は絶えないようである。

12日。母がお世話になった「林山クリニック希望の家」の梁院長に姉妹と一緒にご挨拶。妹が気持ちばかりの寄付金を献呈する。
母より先に入院し、犬とともに最期のときを過ごしている男性の患者さんは、お元気そうであった。
元町のビストロ「猫熊矢」にてランチ。ここの1000円は絶対に安い!

13日。上京して、息子が個展でのクリスマスライブでお世話になったテキスタイルデザイナー&織作家の麻生さんご夫妻にご挨拶と近況のご報告。
 夜、年に一度のトライアスロン国会議員連盟の懇談会(東京・赤坂にて)に出席。兵庫県の会長は末松参院議員なので、同席しておかないと、国体正式協議採用を願うJTU側の熱意の証明にならない。
森元首相(日本体育協会会長でもある)が出席、議連の会長である岩城官房副長官が進行役だったのだが、オフレコになる話があったので、表記できないのでご勘弁。

そして今日、息子の家から羽田まで、時間の読み違えで、着いたら飛行機は出る寸前、一便遅れて神戸に帰着。ホントに読みが甘い。
でもメトロ有楽町線の遅れは二乗茶飯事なのだろうか、有楽町まで10分もよけいにかかってしまうのだから。


2月8日

5日。梅田阪急にて井上よう子さんの個展。3ケ月間に40点もの出品。過去の作品も少しまじえてではあるが、画業だけではないその日常をうかがっているだけに、その集中力にまず脱帽。
ブルーの色彩に華やいだ海の色合いが加わり、デンマークの空のブルーとは異彩を放つ。好みとしてはわかれるが、百貨店という客筋は、あらたな広がりを見せることだろう。
道端にぽつんと置かれたイエローのバイクが印象的な海に向かういなかの一本道に蜃気楼のように風力発電の羽根が回っている、ここにも風。好きな絵である。お金があれば。

このところ、寒い日々。明日は雪模様になるかもしれない、という。
知友である広島のK理事の母上が逝去された。天寿をまっとうされたと御悔やみの電報を打つ。直接の面識はないにしても、彼の母上がどのような人であったのか、関連する人々が想像する時間が大切なのだろう。わかっていることとはいえ、母の親族葬に一抹のさびしさを感じるのはこういうときだ。

大丸に勤める友人Iくんによれば、百貨店の12月の売り上げは全国的にもそうであるが、神戸店も落ち込んだという。
サブプライムに端を発する金融危機の影響のなだろうが、サブプライムが発足した当時は、この話題はメディアに取り上げられていたのだろうか? 私は記憶にないが、好景気のときには致命傷になるなどと想像はしないのが人間か?
ファンド資本主義による、過剰な信用膨張がはじけようとしている今、これからは未曾有のことが起こっても不思議じゃないと、識者は言っているが、施政者はまるで先行きが見通せないことを知っていながら、不安を持たせないようにかくしているのではないか、と疑わざるをえない。
そういえば、いつの頃から、ふだんのニュースでしょっちゅう、為替レートだの、株価の上げ下げだの、を言うようになったのだろうか?
てなことが、ほぼ2週間ぶりに走っている間、脳裏に去来していた。


2月4日

29日。2日にある兄の結婚式のため休暇をとってアメリカから帰国した甥を「ピアジュリアン」に誘って、青汁食品のこともあるので、アメリカの健康関連話を中心に、暮らしの話を聞く。彼は、日本でも有名なデジタルエンタテインメント企業の財務を担当しているのだが、4年前からアメリカ法人で幹部として指揮をとっている。最初はサンフランシスコ、いまはLAに在住。ラスベガスなどカジノのあるところを中心に、事業を展開しているのだが、アメリカでのビジネスの長所、短所を手際良く説明。アメリカの低落傾向については同意、EUへのまなざしを持っていた方がいいんじゃないか、という。
「やっぱり、神戸はほっとする」と、日本では巨体、しかしアメリカでは目立たないというメタボ風の体で、クラシックの弦楽四重奏ライブに感心していた。

30日。寒中見舞いの葉書書き180枚、一口コメント入れたので、ほぼ半日かかってしまう。
はや睦月も終える頃、今年は近年になく、寒気厳しくなって、なにやら気候の変わり目に入ったのか、と。

2日。次姉の甥の結婚式。三宮の小体なホテルで複数のカップルが同時に祝福される、という世界。これで、姉の甥4人、全員が婚姻した。そして、渡邊の甥姪全員6名が集合。残るは私の子どもだけとなった。
余興で、息子は「ラブ」を奏で、娘はジャズダンスを披露した。やんやの喝采だったけれど、それは新郎側だけか? 新婦のお友達でもあるカルテットも演奏、そのメンバーの一人は息子の高校の後輩だったとか。
二次会は「とけいや」にて鍋を囲む。姉妹親族一同、一人ずつのスピーチを行ったが、家族という最小の共同体を周縁で支えてくれる親族という小さな共同体。
砂を噛むような現代にあって、この大切さを身を以て示すことができているというのも僥倖かもしれない。

さんざん酔っぱらって雨の中帰宅して、ぐっすり寝て、翌日は、再び「オークラ」にて昼食会。福岡へ帰る長姉の家族、総勢6名(+1匹)を見送って、母の二七日と父の命日法要を営んでいただく。ここで数字の符号について、こんなこともあるのだ、と。。
 父 平成2年2月11日 母 平成20年1月21日
 いずれも0から2までに収まってしまった。
 残った姉と妹と甥姪たちと、仕上げは二宮のこぎれいな焼き肉屋「鶴参」にて、息子はぎりぎりまで食べて神戸空港へ。

この二日がめでたいことであったゆえに、棟の大規模修理工事のために、ベランダの物置きの解体に昼過ぎまでかける。この手のことにはとんとセンスのない私だけに、女房殿が電気技術屋だった義兄に援軍を頼んでいたので、手伝ってもらって、無事終了。助かった!
なにもなくなったベランダの広さに、ちょっと感動。

夜、HTAの常任会議。後継者への悩み、世代交代への期待をまたしてもこぼす。


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