混迷亭日乗 Editor's Diary

11月30日

28日の六甲病院では、母の転院が認められず、そこで紹介されたHクリニックで、お世話になりそうな状況に。要するに、法律的に、かつビジネス的に、終末治療にあてはまらず、介護施設では十分な治療が施せないというはざまの存在だということだ。
今週、母の話す言葉、食事の量も少し減ってきている。

夜、新大阪のムラマツホールで、水越典子さんのフルートリサイタル。今回のプログラムは古典派。ロマン派への移行までの構成。打ち上げに誘われたのだが、明日の福岡行きのため、残念だけどお断りをして、帰路へ。

息子が2日のコンサートのために帰神。からだの堅さについて、ひとこと。三宅先生のところで、歪みきった身体を指摘されたらしい。東京で紹介してもらって、三軸の矯正しながらやらないと、しなやかな吹き方ができなくなるぞ、と脅しておいた。


11月25日

世間的には3連休。朝のお仕事のほか、3日間のうち2日はちゃんと走りました。その結果かどうか、どうも腰の辺りがしっくりこない。2日で22kmはこたえたのだろうか?
22日の夕飯介護のとき、病院の駐車場がつまっていたので、路上駐車していたら、きっちり違反ステッカーを貼られ、生真面目な妹からお目玉を食らう。

女房殿が借りてきた映画『それでもぼくはやってない』(日本)と『善き人のためのソナタ』(ドイツ)を見る。
前者は痴漢冤罪を取り扱ったものだが、ハッピーエンドにしていないところが周防監督の手腕。裁判は真実を断定するのではなく、有罪か無罪を判定するところ、という苦い現実をつきつけただけでも十分だ。
裁かれるべきは裁判官、というひとことが印象的。よくも悪くも限界のある日本の司法。

後者は、事前情報なし、先入観なしで見た。80年代なかばの東ドイツの密告制度を下敷きに、反体制的言動をする文化人を盗聴する大尉の「変化」に、グイグイと引き込まれていった。ノンフィクションではないにせよ、反体制派が善人で、体制派が悪人でと単純に分けられないことを描いただけでも、この映画は秀逸だと思う。
それにしても、音楽に感動して、人間は思想的に変わりうるのだろうか? 国家保安省のエリートだったからこそ、変わりえたのか? 盗聴者が芸術を理解しない朴念仁だったら、盗聴されていた劇作家は、ベルリンの壁の崩壊を待つまでもなく、自壊していたことだろう。
悪夢のようなホーネッカー(スターリンの幻影)体制は、「社会主義の敵」を葬るに、なんの抵抗も感じないからだ。
ちなみに挿入された楽曲『善き人のためのソナタ』は、この映画のためにつくられた作品だった。古典の名作でもなんでもなかった。
落ちぶれた(左遷、降格)大尉は、郵便配達夫になっていたが、後から思えば、彼の顔はプーチンに似ていたのだった。
社会が、社会主義下であっても、自由主義下であっても、一人で、淡々と生きていく孤独。近代個人主義が落とす影は濃くて寒い。わずかな希望があるだけ、まだ救いがあるということだろうか。


11月22日

高校時代から履いていた「オニツカ」(現・アシックス)シューズ。

9月29日に、亡くなられた故・鬼塚喜八郎(アシックス会長)のお別れ会。ポートピアホールにて盛大に催された。JTUの名代として参列。新聞報道によれば、1600人の参列だったという。
指名献花には、イチロー、高橋尚子、野口みずき、有森裕子、ロザ・モタ、ラッセ・ビレンなど、過去・現役のメダリストなどがずらり。
その後のパーティでも、イチローと野口をのぞいて、見かけた。高橋尚子とその恩師、小出義典監督が談笑していたが、目尻のしわに、年齢を感じさせて、見てはいけないものを見たような気がしてしまった。おそらく、名古屋で燃焼しきるのであろうが、アテネ選考での雪辱もこめて、起死回生の逆転を願っている。
三宅JTU副会長(東京五輪金メダリスト)も重量挙げシューズで「オニツカ」ブランドをメキシコ五輪から使ってらしたので、会場でご一緒した。

守口の大月眼科。視力、矯正ではあるが、なんとか1.0を保持。眼圧も、薬なしで14と15で、良好。来月、視野検査を実施。


11月20日

昨日、福岡から長姉が来神。明日まで、母に付き添う。
大学院は「介護と家族」。弱者が弱者を助力しあうという構図を描けなければ、なにかに代行してもらうことに依拠するだけになり、それは、すべて金に置き換えられる層だけに限られ、自らのなかに弱者を見つけられない近代人の宿痾なのかもしれないにしても、人間としてなすべきなのは、基本的に家族(疑似も含めて複数の構成員)という単位から始まるしかないのだろう。そういう意味では、今、母を支えるのは我々子どもたちであり、ヘルパーさんであり、病院の医師であり、看護婦さんたちとの、まさしく共同作業なのである。


11月18日

東京国際女子マラソン、野口みずきの圧勝。他者が存在していないかのようにレースを支配しづけて、坂を坂とも思わぬ力強さで北京を内定させる走りだった。渋井の30km以降は後魂の抜け殻が走っているようで、身体とはかくも虚ろに呼応するものなのかを印象づけた。
大阪、名古屋を走る候補者は、野口の幻影とも一緒に走らなければならなくなった。誰がその重荷に耐えられるだろうか?


11月17日

15日。JTUのO常務理事が高松出張なので、途中、新大阪で来年の淡路島大会について、相談する。できれば、JTUの主催・共催大会へ移行したい。
帰りに六甲のS副理事長宅にたちより、近くの喫茶店でお話。この喫茶店、戦前の昭和のイメージを打ち出しており、古本を少しおいたりして、一松人形カットのお姉さんが一人で切り盛りしているみたい。内田百けん(門構えに月)本があったりして。なかなかのもの。今の30代には、昭和への憧憬を持つ人がぽつぽつできているようだ。

この日、病院へランででかけたら、看護婦さんたちとがっちんこして、皆びっくり、「デューク更家みたい」とありがたくないお言葉。
母の食事、今までで最も少ない日で、左腕をさすり、辛そうであった。こちらも辛い。

今朝、映画『サンジャックへの道』を観る。1500kmの現代の巡礼グループの人間模様群像劇。それにしても、攻撃的なおしゃべりにはうんざりさせられる。ただひたすら歩くことで、そのトゲが溶けていくようになるのだが、近代的個人主義は、ほとほと厄介なものではある。まさに肉食連中とつきあっていかなきゃならぬ、わが草食の民よ、こころしてかかろう、ね。

この日のランは快調で5マイル、44分。

HTA設立20周年記念会。司会役だったのだが、はじめの頃、滑舌せず、かみまくる。
ナショナルチームのYコーチのユニークな記念スピーチで、会場もこちらもようやくなごんだのか、いい感じになり、無事、終了。大きな行事を終えてひと安堵。
やはり、思っていたとおり、司会者は食べられなかった。で、終わった後、大阪協会の幹部たちと二次会で食べる。ちょうど、ボジョレー・ヌーヴォーの時期なので、ワインをいただく、昔からボジョレーのあっさり味はかわらないね。ありがたがる味ではないのだけれど、皆でわいわいするには、ま、いいか。


11月14日

12日。週末に迫ったHTA20周年記念会の打ち合わせ。
終わった後、珍しく数人で会食。S事務局長のパーソナルな話を聞く。

13日。午前中、事務所引き上げを大家さんに通告。来年6月末でオサラバだ。
午後、机と椅子、そして所蔵書籍の一部分をMくんに譲渡。一緒に来たカメラマンのN氏は四万十川の上流に帰郷したのだが、彼等が引き上げた後に、そうだ、カヌーを差し上げたらいいのでは、と思った。少しずつ、事務所の備品を処分していく予定。

Tさんの個展の打ち合わせ。作品タイトルのアイデアをお手伝いする。しかし、訪れたときには、すでに宴会状態(本日は北海道物産展の趣向)で、私の作品鑑賞は後日に延期。持ち込んだ焼酎「百年の孤独」を飲んでいると、あっという間に11時で、あわてて退散。しかし、飲み過ぎた感あり。いつも、Tさんとそのグループによる食事は美味なり。


11月11日

なんだか一週間のまとめがきになってきた。備忘録。

6日。母の新たな薬が体に合わなくて、食事を吐き出す。からだが拒否している。で、元に戻るようだ。

8日。娘、無事帰国。早速、家の中には、ギニア・コナクリではなく、パリで手に入れた、今のアフリカン・ミュージックDVDがかかっている。いや、なかなかのもの。
手にしていた文庫本を見せて「これ、うちにある?」。なんと、藤沢周平の『三屋清左衛門残日録』(文春文庫)。関西空港の書店で求めて、飛行機のなかと向こうで読んで、感動したらしい。とりわけ、中継地のパリで読んでいると、古き日本の「良さ」を「むっちゃ感じた」という。
小藩の上士なみの奉禄をいただく用人から隠居したじいさんの日記、と言ってしまえばそれまでだが、「老い」をどのように生ききるかを描いたまことに滋味あふれる作品で、「おいおい、わかるのかよ?」とちゃちの一つも入れたくなるが、ま、よいではないかいな、と。

置塩医院。またHeA1c、6.4%に上がる。5%台に定着しない。しかたないねえ。コレステロールは下がり傾向で良し、とせねば。

9日。三宅接骨院。左肘、ほぼ良くなってきたので、次回は12月でいいでしょう、とのこと。ただ、完治にならないのが歯がゆい。
西宮の友人、Mの引っ越し先事務所、古書店も開業するので、下見をかねて訪問。うちにある本も過半は引き取ってもらうことになる。
夕方、JCの先輩、タカハシパールのアンテナショップが北野町にオープンしたので、にぎやかしに出かける。そこで、若かりし頃、一緒に仕事をしていたのだが、ながらく風のうわさのみにて、音沙汰のなかったMさんに再会。
ボスだったKMから離れて以来、わずかしか見かけたことがなかった。クイックジャパンの取材のときでも、杳として連絡先はわからずじまい。芦屋にお住まいだという。加齢はともかくも、浅丘ルリ子に似た風貌は変わってはいなかった。
時間がなかったので、サヨナラして、後日、ボスの取材のことについてはきちんとはなしておきたい、と手紙を書く。

姉とバトンタッチして、8時まで病院。

土曜日は、ようやく秋・冬物衣料とタンスの中が入れ替わる。生田川までラン5マイル。

11日。カーフマンジャパン近畿ステージ、グリーンピア三木大会。デュアスロンのエリートと一般からキッズまでの大会。約190名の参加。エリートの部門で落車・転倒にて、病院送りはあったものの、そのうち一人は第2ランで逆転優勝。この根性には頭が下がる。救護の出番はなかったので一安心。
夕方から、母のところへ。今日は食事がいつもの半分くらいで進まず。女房殿が明るくさかんに声をかけるも、うつらうつら。徐々に心配になる。


11月4日

NHK木曜ドラマ『風の果て』(藤沢周平 原作)が始まっている。1日は3回目。もちろん原作は読んでいるのだが、追体験できるので見る。
主人である下士の次男、上村隼太を母港の入り江のように見守る年上の女中、ふきの存在が切なくて切なくて。涙なくして見られない。この日、ふきは、今後の苦労が目に見えている子連れの下士に嫁ぐことを隼太に告げる。思春期の荒れるこころをしっかと受けとめてくれた彼女の存在、今なら封建制家父長制度の人権蹂躙はなはだしいと、男の身勝手さに非難轟々であろうが、そうはわかっていても、従容としている姿がこころを打つのはまぎれもないことで、隼太はそれによって、大人への道を誤らなかったことになる。
ぜひ御覧下さい。

事務所のmacOS9.2のトラブルをうちのシステムアドバイザー・Mくんが解消してくれた。2日は、ワードのトラブルをお願いしてこれも復帰。
母の夕食介護。

3日。朝日放送のKさん、サントリーのYさんに誘われて甲子園浜にて芋煮ホームパーティ。一年ぶりとはいえ、当たり前のことながら、彼等の子どもたちの成長に目を見張る。好天に恵まれて本場のワイン(今日は解禁)とチーズ、そしてイメルゴ豚(初めて食す)に美味を堪能。
夕方からのWOAのハロウィーンパーティは欠席させていただく。ベレシュ所長に女房殿から、母の介護のため、断りの電話を入れてもらった(彼は日本語が不自由)ところ、「じゃあ、貴女がjinさんの代わりにきて下さい、来年はできるかどうかわからないからね」とのことでありました。
そして、夕食介護。食べてくれるので、体力が落ちないのがせめてのもの救い。左鎖骨部の腫れは日に日に大きくなってくるようだ。O院長(Oくんは高校陸上部の一年後輩)も「せいいっぱい、やらせていただきます」と言ってくれているので助かるのだが、六甲病院(ターミナルケアのホスピス)の面談は今月28日なので、そこでの決定まで、一時の在宅とアーバンクリニックでの療養で凌いでいくしかない。

4日。民主党小沢代表が辞意表明、で大騒ぎ。この間の会談以降の報道で印象に残ったこと。
この社会では、ボス交は、やはり嫌われる、こと。
福田首相が報道陣をきっと睨み付けて「小沢を信頼しているから話し合った」と言ってのけたこと。
小沢代表が「一部のマスメディアを公然と非難した」こと。

グレーゾーンのことを、メディアによって正反対で報じられるようでは、憶測でいかようにも伝えられることの恐さを知ると同時に、今のマスメディアにいる人間たちが理解できないことは、国民も理解できない、と思い込んでいることに、ある種の陥穽があるではないだろうか。早く報道するために、早くわかりたいために、即断してしまう愚かさを自覚していないところが寂しいし、情けない。

一週間ぶりにラン。神戸空港コースで86分、約15km。そして、夕食介護。


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