混迷亭日乗 Editor's Diary

10月30日

先週休んだ大学院。来年、国土交通省に収縮が決まった神戸大大学院のS君による霊長類と人間を分つもの、という家族論に入るとばくちを提示。内田先生がストロースによる「コミュニケーション」の水準、女の交換(親族)・記号の交換(言語)・財貨の交換(経済)に加えて、葬制と家畜の創成を加えて、人間にしかできないものとして「共・身体の形成」をあげられた。自分の一部として勘違いできること、である。非常に強い共感能力=自我の拡大に罹患した生物種、それが人間である、と。
家族は血縁のみで閉じる必要はない、死者や馬、犬なども含まれる時間的な流れのネットワーク(祖霊とのつながり)のなかにある。
また子殺し仮説として、自殺者の多い国、寒い国、プロテスタントの国、一人暮らしの多い国、との強いリンク性が示された。要は、家族が解体されている文化圏ということになる。

帰りに、御座候を買って病院に寄った。母は美味しそうに食べてくれた。


10月28日

25日。翻訳家のT和子さん、テルミーもって、母をお見舞いにいってくれた。ありがとう、である。

26日。カメラマンの永田氏と会う。二人で酒を飲みながら話す、というのは初めてではないか。サンプラザかセンタープラザかの魚屋さんが直営の座り飲みや、というのか、一品300円前後。話がはずむので、あっというまに2時間経って、坪谷さんに紹介。
まずはトンカ書店にて写真をみてもらって、その後、河岸をかえて、料理が若者向きの店で再び焼酎を。写真のリテラシーについて、技術論ではなく、表現としての写真の見方を話してもらう。来年度、H大の講師陣に加わってもらうことに。お互い共通の知人もいて、チームとしてうまくいきそう。
ちょっと飲み過ぎた、ような。ちゃんと自転車で帰れたのではあるが。やばい。

27日。LAから管理職研修で甥が一時帰国中、また福岡から甥2組がそれぞれの連れ合いを連れて来神、合わせて7人が集合し、母の米寿を祝う会。お花とあたたかそうな銀色のベストに部屋履きのソックスとプレゼントされてうれしそうであった。
この12月に福岡で一組、来年2月に神戸で一組、カップルが誕生する。これで6人のうちうちをのぞいて4人が所帯を持つことになる。しかも、4人のお嫁さんが、産地が福岡、富山、岡山と別れるも、いずれもいわゆる美人の系列に入るのだから脱帽! しかし、彼等には子どもがなく、まだ私たち兄弟姉妹に孫はいない。
彼等が集合すると、全員がゴルフをするので、私だけが蚊帳の外になる。いかに、一般企業社会においてゴルフが普及していることかと知ることになる。
昨今のLAの状況を聞けば、20年前のLAしか知らないので、都市のなかでの地区間格差の拡大は確かに進んでいるようだ。ビジネスで成功をおさめる企業に属する日本人が増えて、日本語でも不自由しないようななっており、リトルトーキョー周辺はスラム化しているとか。メインランドは遠くになりにけり、である。


10月24日

昨日は大学院後期「家族論」にはじめて出席。小津安二郎の家族論。そうか、小津の映画には家族の一員がすでに欠損している家族が取り上げられ、その欠損したひとの存在が通奏低音のように流れているのか。死者がつないでいる、だから普遍的なのか。世界が「小津の世界」に引かれる理由はそこにあるのかもという仮説は実に魅力的だった。
夕食介護に間に合わせるため早退したのだが、最後までいたかった。
いつも不意打ちされるような案配で、内田先生の先生たるゆえんである。事前に、なにがお題になっているのかわからないのに、聞いているうちに仮想がふくらんでいく。

2日続いて夕食の介護にアーバンへ。お粥とちゃそばを全部、焼きさばのほぐしを少し食べてくれた。左腕の痛みを訴えるが、やはり徐々に浸潤しているんだろうな、と想像する。8時前には完全に寝入ったので退室する。姉によれば、明日は一時帰宅するつもりだそうだ。

マイフェイヴァリット・オーサーの一人、杉本章子『その日』信太郎人情始末帖(文芸春秋)を購入。装幀も美しい。その日とは、安政の大地震の日のことである。また、不幸が襲う、はずだ。ツライ、ね。


10月22日

18日から母はアーバンクリニックへ転院。家に帰れなかったので少しがっかりしたいたらしい。道理である。
T社のNさん来訪。中国の転変のすさまじさに仰天。オリンピックまで、なにかと話題が出てくること間違いない。

19日には福岡の長姉が来神。夕方から女房殿も合流したので、7時半頃まで病院にいて、その後食事へ。居留地のNOF海岸ビルにある「梅の花」という豆腐主体の店の本店は久留米だということを知った。今日の焼酎は吉兆豊山なり。

20日。午前中、大安亭にいき、店の様子などメモ。写真はあらためて撮ることに。
午後、義兄が福岡からやはり来神。来月は海外出張なので、今のうちに来ておきたかった、と。
雑談のなかで、昨今のビジネス来客の6割がたは地方の疲弊、窮状を訴える案件だ、と聞く。またこの夏、経団連訪中団の一員として、中国政府の要人と会ったらしいが、事前に送っていた内田先生の『街場の中国論』が参考になった、というのだから、義兄も常識外の意見を聞く耳を持っている人なのだと、あらためて感心する。
主治医のK先生が来られたので、義兄を中心に今後の病院について相談。緩和ケアと終末ケアの病院のいずれかに決まるまでは、アーバンでみていただくことに。ただし、食事のケアは我々兄弟姉妹で行う。
午後3時すぎ、坪谷さんと一緒に旧知の松田一戯さんの彫刻展(ユーモアのある木彫り)をのぞいてから、内田先生小林秀雄賞受賞の祝賀会へ。甲南麻雀連盟と甲南合気会、神戸女学院の先生方などの合同主催なので、カジュアルな雰囲気の中で和気藹々と進行。久しぶりに聴講生だった面々との再会もあった。みな多芸で、あっという間にお開き。打算というものがいっさい見られない気持ちのいい宴会だった。神戸製鋼ラグビー部の平尾剛さんや、元ミーツの名物副編集長だったライターの青山さんにはじめてお目にかかり、少しだけお話しさせていただいた。いつかなにかでご一緒できるかもしれない。
最後、突然にご指名で三本締の音頭をとらせていただいた。みなに幸あれ、と。
二次会はパスして、すぐ妹の家に戻り、兄弟姉妹たちで寿司をつまみながら過ごす。12月に福岡の甥が結婚するので、集いも徐々に若い世代に移っていくのかも、と。

21日。本来ならば、日本選手権でお台場に行っているはずだった。福岡の姉夫婦が帰り、次姉と妹、そして我々でローテーションを組んで、食事の介護に入る。
痛みを訴えるようになっているので、横にいるのが徐々に辛くなってきそうな気配だ。
本日も ご近所のFさん宅で野菜中心のお鍋をいただく。
そういえば、この週はじめから、早朝はやはり長袖になった。秋である。

村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』(文芸春秋)を読む。いかにも英語の変換版というタイトルだ。あらためて、シリアスランナーだったんだ、彼は。月間走行距離も250km〜300km、私の練習が多かったときよりもはるかに多い。
走るときの心理について微細に語りかけている、こんな本が書ける、っていいなあ、と素直に羨ましく思った。

いつかトライアスロンに復帰したい、と思う。仕事さえ、うまくいけば。


10月17日

11日。守口の大月眼科。眼圧は13と14で安定。薬なしでこの結果は上々。来月、ふたたびチェック。

13日のショートステイの日、咳き込みがひどくなっていたので、母は行くのを嫌がって、緊急で中央市民病院に入院した。入院したとたん、咳き込みはおさまって、肺炎の疑いがはれないので、検査が終わるまでの入院となった。
この日、姉も妹も風邪気味ゆえに、女房殿が夜病院に泊まることになった。
11日からコンクールのため神戸に帰ってきていた息子も母の顔を見て帰る。あえなく落選。どうも縁のない奴である。

14日。午前中、病院。午後から明石での内田先生の講演。さすがに明石だと知人はいない。誘われた坪谷さんへ女房殿のお手製みそをお渡しする。手前味噌だけど、おいしいはず。「学びからの逃走、学びへの回帰」、単純な処方箋はない。講演後、楽屋で坪谷さんを先生に紹介する。
昼間だったし、先週から坪谷さんの体調もいまいちのようだったので、夕方から病院に戻るため、JR三宮駅まで先生と一緒に帰る。
面会時間終了の8時までいた。痰が絡むがなかな出ないので苦しそう。
遅い夕食を、ご近所のFさん宅でいただく。感謝!

15日。峠をこえてしまったのかもしれない。というより、ここまで延びてきたことのほうが不思議だったのかも。
スポーツに限らず、結果がすべての論理には勝てない。すべては言い訳にすぎないから。

16日。昨日今日と夕食の介護。叔父がお見舞いにきてくれた。夕食は思いのほか食べてくれる。ただ、血圧は入院してからずっと高止まりだ。日の落ちるのが早い。

17日。私が知っているかぎり、きょうはじめて、夕食後、ぐっと眠り込んだ。肺炎の恐れは消えたので、否応なく明日は退院。アーバンクリニックにて、様子見となる。19日からは、多忙な福岡の姉が来てくれる。


10月10日

8日。淡路アクアスロン大会中止の日。朝の雨もあがり、そこで午後から姫路市立美術館での『シュールリアリスム』展へ。ルネマグリット、マンレイ、マックスエルンスト、ダリ、ミロ、レオノールフィニ、パウルクレーなど有名どころの作品が数点ずつ、こじんまりとした展示なのだが、あらためてその新鮮さに驚く。
出たところで、あまった招待券を一枚、偶然通りかかったカップルに差し上げ、姫路駅までメインの商店街を通って帰途につく。JR新快速で姫路は近くなった。
直近の直木賞受賞作家、松井今朝子の『幕末あどれさん』(PHP文庫 奥付を見れば2004年初版とある。賞をとらなければ再版されていなかっただろう。)と道浦母都子の『無援の抒情』(岩波ライブラリー版 古本)が目に付いたので求める。
40年前、いったい私は何をしていたのだろう?

9日。置塩医院。ヘモグロビンa1c6.1%、血糖値118と安定。さて、コレステロールはダウンしているかどうか?
台所のシンクにてなぜかボコッボコッと音が聞こえると、じわじわと汚水が逆流し、排水口から高さ数cmにまで達する。お隣のKさん宅はもう少し高く、せっせとくみ出す始末。
翌日、管理事務所の訴えて業者に対応してもらうことになった。
溝口健二の『雨月物語』を見始めたところだったのだが、落ち着かず。次の日へ持ち越し。永井荷風原作とされる『四畳半襖の下張り』は、コミカルではあったのだが、映画としてはいまいちか。やがて哀しき男の性なるや?

本日は、ギリシア・スパルタスロン(246kmを制限時間35時間以内で走るウルトラマラソン)から、かえってきたばかりのKさんのお疲れ会だったのだが、姉から電話。

母の検査結果はクロ。すでに鎖骨付近のリンパ腫瘍はからだの前後に広がり、手術不可能。咳き込みについては、まだ肺炎にはいたってないようだが、解熱剤と痛み止めで散らすしかない、という。妹からの連絡ではなかったのは、落ち込んでいるからなのだろう。
13日からのしばらくのショートステイの状態いかんで、緊急入院になるらしい。

ことここにおよんでは、私は母のために何がしてやれたというのだろうか?
40年前から、不肖の息子であったというしかない。


10月7日

午後、娘が三度目のギニアへ旅立った。昨晩は、日本食がまたさようなら、なので、そごうで寿司のにぎりとお刺身をもとめて、二人で味わった。
女房殿は21年ぶりのおくんちで長崎へ。義母も高齢ゆえ、おそらく最後の踊り町(7年に一度の担当が回ってくる)になるのだろう。
庭見世、だったか、通りに面した庭を開放して、お茶の生徒さんたちの協力を得て、抹茶をふるまっていることだろう。
兵庫県民会館へHTA20周年記念会の打ち合わせにいったので、いつもの有文堂によったら、飯島耕一の『港町』(1981)があり、仮フランス装でもあったので求めた。彼が訪れた全世界の港町についての紀行記で、沖縄観光ブームの訪れる前の宮古島、池間島、石垣島などの描写があり、もうすでに失われた田舎の港町風情が現前する。

昨晩、テレビで『フラガール』を観る。何度も涙する。ともこもそうだが、さなえもまた愛らしい。福島なまりが実に自然で、抵抗感はなかった。ダンスの指導者役の松雪さんというのか、すっぴんのしわ具合がよかよか。
九州の三井三池は大規模闘争となり、常磐は不発だった。それゆえに、お上に反抗すらできぬ東北の保守性を疎んじ、「東北のハワイ」だなんて、まさに野暮の極みと馬鹿にしていた若き頃を恥じる。常磐ハワイアンセンターに、虚構とはいえ、こんな内実の歴史があったなんて、まったく知らなかった。


10月5日

1日。真夏の9月が終わった。

2日。大学院後期始まる。前期のしっぽを引きずるかたちで、江戸期の寺子屋教育について論じる。教育論の仕上げとともに、家族論へのバトンタッチのつもりで話した。
ゲストが来られていて、講談社のAさん。実は、後期の「家族論」は、講談社から発行されることに。ミシマ社ではなかったの? 宴席での約束、複数の確認者がいるのだから逃げられない。内田先生の恐怖のダブルブッキング、である。作家はツヨイ、のである。ミシマさんに深く同情する。
後期最初なので、顔合わせ宴会。東京からTさん、いらしていたので、帰る間際に少しお話をする。ロッポンギヒルズ美術館で開かれているル・コルビジェ展の一点をお土産にいただく。多謝!

3日。H大、最後の講義。今週は10人増えて、50名。終了後、西院にて、おでんの名店と、私が勝手に呼んでいる『五合』(はんじょう)で、来年の講義での「メディア・リテラシーへの特化」について、話し合う。写真メディアについての候補として、知人のカメラマンN氏を提案する。ちょうど、トアウエストのユニークな古本屋「トンカ書店」で個展を開いているので、のぞいてください、と。

4日。淡路市役所へ、市長を訪問。HTAの理事長、事務局長とKSJ社の部長らと一緒に、大会中止のお詫び行脚。了解をいただき、来年に向けて、早めの準備をすることを確認した。
県に対する施設利用の交渉はおまかせするとして、根回しだけは先に手を打ちましょう、と合意。

午後、亡くなった叔父の形見分けとして、木村光佑画伯(前.京都工芸繊維大学学長)の版画を数点いただくために、姉と妹を伴って大阪へ。
あまりにも重いベルナール・ビュッフェの作品集(フランス版)もいただいた。それにしても、叔父の趣味・嗜好がついに理解できない叔母ではあった。もったいない。

5日。母の全身MRI(Magnetic Resonance Imaging)の日。夜、女房殿と娘がそろって会いにいった。よく話して元気だった、そうだが、見た目にも鎖骨部の腫瘍は隆起が明瞭で、一抹の不安はかくせない。10には結果がわかるそうだ。


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06年12月&07年1月2月3月4月5月6月7月8月9月いま