混迷亭日乗 Editor's Diary

9月30日

またしても一週間。
25日。H大講義の資料準備。
26日、夏休み後の出席はやはり少なく、40名に。講義のあと、坪谷講師につれられて、児童書の専門店、この世界では著名な「メリーゴーランド」の京都店にお邪魔する。レトロなビルの東の窓から東山にぽっかり浮かぶ仲秋の見事な名月を鑑賞。その後、ねぎを中心にしたお店で一献。

27日。淡路大会の中止お詫び文書をめぐって協議。
姉より連絡あり、母の容態について、10月はじめに全身MRTの検査を受ける、とのこと。最悪の場合も考慮しておいて、と言われる。二か月前に除去手術したばかりというのに、やはり、転移なのか? クソっ!

28日。NHKで慶応大学の教授たちと爆笑問題が語り合うトーク番組を見ていた。慶応って、やはり今の資本主義形態に合致している連中の最高学府なのかな? 受験する頃から、親近感はなく、選択肢にない大学だったけれど、どうなんだろう。慶応の方、ごめんなさい。

29日。内田ゼミでの発表の準備。江戸時代の寺子屋のこと。HATまで往復ラン。なぜか快調。気温が急降下して、筋肉が驚いている? クラブのKくんにばったり。腰骨折後のリハビリで散歩中だった。

30日。母宅へ。少々痛みを訴えるが、待ってもらうしかない。あんこなど、甘いものを受け付けなくなった。全身のMRT検査は、5日に決定した。


9月23日

お彼岸の中日。
朝、スポーツセンターでひと泳ぎ。先日のような、筋肉痛はおこらないようだ。少しは慣れようとしている。
墓参り。いつものように性海寺に立ち寄って、その後、西神中央でジャズを流す店を開業したSさんが夫婦で切り回している店「DAN」に初めていった。真空管アンプとレコードで昔ながら律儀にA面、B面を返して聞かせる。しかしあくまでも会話中心みたいで、開業以来あてにしていた団塊の世代、とうよりも、むしろ、その世代と下の世代の女性客が中心だとか。
西神の町も徐々に熟していっているようで、それにしては、夜、ちょっと止まり木的な店はないのだとか。

備忘録。
18日。夜、I課長とS事務局長とともにアクアスロン参加者対策を考える。
19日。友人のSと大阪で、寿司屋での一献。今後の仕事のことで相談。
車中、内田先生とラグビーの平尾剛さんの対談本「合気道とラグビーをつらぬくもの」を一気に読む。先生の定年後、開塾のお手伝いを望むもの、日参する光景がありありと浮かぶ。
20日。アクアスロン、会場地で思わぬ障害(金銭)がたちあがり、参加者少数ということもあって、急遽、中止の方向へ。夜、臨時常任会議。中止やむなきという雰囲気。
21日、三宅接骨院。背中の張りを指摘される。17日のスイムか、テープおこし原稿のせいか? その後、心斎橋「テキパキ」にて髪きり、次いで「メロディ」にて、預かっているKさんの絵を買ってくれるところをあたってほしいと頼む。
22日。図書館で借りてきた600ページにおよぶ叙事的な大作、アイヌが和人によって滅ぼされゆく様を描いた池澤夏樹の『静かな大地』、読みはじめるとなかなかとまらない。
夜、久しぶりに、80分走。神戸空港まで、気持ち良く走れた14kmだった。


9月17日

12日に安倍首相が突然辞任したのだった。それからメディアは大騒ぎをせざるをえなくなったのはご承知の通り。
こちらは金曜日夕方に事務所が雨漏り、ならぬ洗濯機配水管工事の不注意で水漏れ。
パソコン前の椅子が水浸し。原因がわかればとまるのでいいのだが、出かける前トラブルだったので、大阪の友人のSとの会食は延期にしてもらった。
母の調子はずいぶん回復して、ちゃんとお話ができるようになり、対話が成立するようになった。目が痛いというのは本当なんだろうが、目薬をさすしかないので、答えようがない。
でも、母の実家の福島・二本松、三浦本家の義姉さんの死について言い出したのは、いったいなんだったのだろう?

週末は徳島・美波町(旧・日和佐町)でのひわさうみがめトライアスロン大会。今までと違って、一審判員として参加。気がラクなので、持ち場の役目をこなすだけでよい。
晴れ間あり、曇りあり、大雨あり、となんでもありの天候で、最悪のコンディションでなかったのが救いだった。お土産は、カツオのタタキ。真空パックで3時間冷やしたままで持ち帰り、やはり身がしまっていて美味なり。

今日は朝の仕事を終えて、昼寝と今年初めてのプールで泳ぐ。ゆったりと息を切らさない程度で、やはり慣れない筋肉が悲鳴をあげる。心地よい疲れで、休みらしい休み。


9月11日

セプテンバー911。6年経った。アメリカの凋落は進んでいる。これほど感謝されなくなってしまったら、どこかで振り子を戻さないと、言うこときくのは、先だって会合したばかりの日本とオーストラリアだけになってしまいますよ。

夜、BSで15年前のNHK時代劇『腕に覚えあり』をみる。原作は、藤沢周平『用心棒日月抄』。まだ、氏は生きてらして、私は藤沢本に手をそめていなかった時期だ。主人公の脱藩者青江又八郎役は若き日の村上弘明、相棒である5人の子持ち浪人細江源太夫は渡辺徹。これもまだ貫禄太りまではいっていない。頃は元禄、ちょうど赤穂騒動が背景として絡んでくるので、異説赤穂浪士編としても一興だ。しばらく火曜の夜のお楽しみ、である。

9月10日

7日。置塩医院。A1cは6.1%までにこぎつけて、落ち着いてきたらしい。ただ、コレステロールが250以上という高値安定状態なので(219以下がのぞましい、とか)、とうとう、肝臓内でつくる酵素分解薬をいただく羽目に。善玉の健闘むなしく悪玉が優位に立っているので要注意とのご宣告、あーあ。ちなみにどんな食品の取り過ぎに注意か、というと、高い値では鰻、いくら、卵、鶏のレバー。とすると、問題は卵とレバーだ。納豆に卵を控えるのがつらいねえ。鶏の生レバーは鉄分が豊富で好きなのだが、月に一回程度なら、という話。ま、しかたない。
大丸神戸店での「ベルエポックの輝き」展の招待券を看護婦さんに差し上げると、今までにない笑みで見送ってくれた、なんとまあ(苦笑)。

8日。病院が続く。奈良の永田眼科。眼圧、両眼とも14。術後の経過としては、とても良好。「レーザーの穴もちゃんとい空いてますよ」とT医師は微笑む。「次は、12月でいいです。それまでは、いつものI先生のところで眼圧をチェックしてもらってください。こちらから報告しておきますから」と。

土・日はTさんの講義の原稿化。全6章のうちの1章分を仕上げる。

合間にクルマを見にいく。ヤナセの中古やトヨタの販売店を訪ねて、試乗もした。でも決められない。
実は、2週間前だったろうか、フロンドガラスにヒビが入っているのに女房殿が気付いた。何かが当たったのか、当てられたのかわからないが、はじめは幅10cm程度だったが、今では幅40cmぐらい走っている。すぐには、割れたりはしないらしいが、やはり要注意。
交換すると見積もりは10万円以上、すでに13万kmを走り、来年8月が車検、車体は前後左に凹状態。エンジンが元気なれど、さすがに10年目のくたびれ感がただよう。今のステージアはとても気にいっているのだが、次のクルマが、さすがに燃費6〜7km前後のハイオクでは、環境問題のクローズアップもあって、旗色は悪く、お金もないことだし、デザインで気に入っていても、パスしなければならないような気分に陥る。
しばし、悩む日々続きそう。

10日。チームテイケイのスクール生たちが主催の「世界選手権および今シーズンの報告会」に招かれて、大阪・本町の割烹「ふるさと」へ。監督の八尾彰一、世界選手権日本代表で20位(日本最高位)田山寛豪はじめ、次世代の杉本宏樹、三木邦彦、久保田早紀など、選手たちの今シーズンの報告を聞く。世界陸上大阪大会と同様、世界はさらに前へ進んでいるという印象。
帰り際、コーチ兼選手の小原工とバイク・メカニック担当の三島氏とお茶する。やはり、世界と戦うための方策の模索が話題になる。バイクでのゆとりのなさの問題点をクリアするにはどうすればいい? 今はこれに尽きる。


9月5日

1日。世界陸上もいよいよ終盤。男子4×100m日本新で決勝進出。めでたしめでたし。
朝の仕事を終えて、有馬へ。HTAの20周年の会場の実地見分だったのだが、時すでに遅し。先約が入っているという。知り合いのEさんが社長なので、いろいろ便宜がはかれると思っていたのだが、残念。暑気滞る有馬をあとに自宅に戻り、午後から息子と女房殿とともに県立美術館へ。
3時に現地で演奏と絵画を見にきてくれた編集者のYさんと簡単な打ち合わせをして、リハを会場で聴く。ひどい残響でびっくり。足が長すぎる。マリンバとクラリネッットがクリアに聞こえない。まいったなあ、! でも会場という制約なのでしかたない。
ところが本番はびっくり。お客さまが満席以上の270名も入ると、それが吸音装置に変化した。名倉誠人の熱の入った演奏とニューヨークでの絵に関するトーク、美術館学芸員のH氏による現代絵画の解説のコラボレーションは大成功だった。決して現代の音楽や絵画に関心があるのではない人々が大半の聴衆を前にして、最後まで集中が途切れない演奏だった。ひいき目に言うのではなく、万来の拍手はおざなりではなかったと思う。
最後の曲での息子との共演が終わった瞬間、緊張の時間は、ゆっくりと弛緩していき、じわーっとひろがる感動で、すごく満たされたコンサートになりました。

終了後、名倉誠人氏、彼の母上のKさん、学芸員のH氏、実質のプロデューサーである島田氏などとささやかな打ち上げ。豊かなひとときを過ごさせていただいた。この日ばかりはワイン解禁でありました。
関係の皆様に、そして集まっていただいたお客さまに、あらためてお礼を申し上げます。

2日。いやおうなく早起き。女子マラソンが始まった。想像以上のスローペース。実質上、誰がレースを支配しているのか? 折り返し過ぎの大阪城で動き始めたレースは、徐々にふりおとしが始まり、最終的には日本2人、中国2人、ケニア3人、ルーマニア1人の8人の中からメダリストが出るという展開に。
土佐の執念は凄かった。いったん5位に落ちながらも、身体の悲鳴との呼応にもかかわらず、3位をもぎとった。世界陸上大阪大会唯一のメダル、北京オリンピック代表内定、土佐自身の引退の延長、日本陸連の総括への影響、酷暑の大会開催への対応、心の支えの存在、観衆の後押しの力など、いろんな意味がかぶさってくる銅メダルだった。感動させる力を持った激走だった。あらためて、「良かったねえ、ほっとしたねえ」、おめでとう!
最終の4×400リレー(せんろく、もしくはマイル)に、日本チームが出ていないのがとても残念ではあったけれど、世界選手権を目の当たりにできたことを素直にうれしく思う。
これも冥土への土産の一つになることだろう。

午後からHTAの理事会。S事務局長が、早期に会社(上場企業)を辞めて保育園の開業に転進。難病で息子さんを亡くしてから、考えはじめていたことだったという。神戸大大学院で経営学を学んでいたのもその布石だった。また、M常任理事も会長と社長の方針の違いを契機に会社を辞めたという。まさに今の時代を象徴している出来事だった。

4日。淡路市長へのアクアスロン大会実施の挨拶と補助金申請の内容説明。遅すぎるのだがこれも相手のあることなのでやむをえない。

今日、2回目の三宅接骨院。頚椎を中心にほぐしていただくが、まだ少しずれがあるようで、肘の痛みはそれほど変わってはいないが、悪化している感じはない。

夜、ギルガメシュの例会。家庭事情でご無沙汰していたIくんがようやく落ち着いた、ということで復帰。いつものメンバーに戻ったようで、めでたい。
63歳の長老Kさんは、今月下旬、いよいよギリシアのスパルタスロンへ、3度目の挑戦。246kmを36時間以内に走るという、とんでもないウルトラマラソン。もちろん、眠っている余裕はない。最初の関門は80km地点で10時間30分が制限。この時間は、参加資格の100kmマラソンでクリアしなければならない時間だ。キロ6分のペースを維持することは、なかなかできるものではない。


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