混迷亭日乗 Editor's Diary

8月31日

京大の広報誌で一緒に仕事をしている写真家のNさんが、故郷の高知に引き上げるため、ディレクターであるMが送別会を開いたので同席する。
四万十川の源流に近い檮原(ゆずはら)町という過疎の村落だ。もちろん、仕事はあるわけではないが、幼友達が待っていてくれているという。
MもNさんも、ほぼ同世代ではあるが、いよいよ、いかにして、次の生活を送るのかというテーマが立ちはだかってきた。

ところで、若者がよく集まる居酒屋だったのだが、話には聞いていたけれども、若い夫婦たちとその子どもたちが居酒屋で夕食をいただき、酒とたばこの煙の中で過ごすという光景を目の当たりにした。西宮市は、いま人口流入が多くて、小学校の教室不足が起こっているのだが、文教住宅都市から、さらに大きな衛星都市に変貌していこうとしているようだ。

明日の県立美術館でのマリンバ奏者名倉誠人コンサートを控えて、息子が昨日から帰ってきている。リハーサルを二度行い、明日、現場で最終の調整ということだ。サンチェスというメキシコの作曲家による現代曲。デクーニングの絵画を背景にしてのスリリングな演奏になりそうで、わくわくしている。


8月29日

痛めている左ひじを診てもらうために、女房殿が通っている三宅接骨院に行く。
さっさと言われて、まっすぐ立って、左右へ側倒したり、ねじったりして、全体をさわられて、「典型的なテニス肘です。三、四回きてもらったらなおりますよ。左手首の骨折からくるもんですね」とあっさり。でもどうして、約40年前の骨折のことがわかったんだろう?

頚椎横のリンパ腺をじわっと指圧されて痛かったけれど、これでなおるのならとひたすら素直に。
「なおったら、合気道などできますか?」と尋ねたら、「ああ、大丈夫!」と。
実にあっけない診断であった。
次回は来週。
つまりは、医院に三つも通うことになる。これってなによ?

HTAの末松会長の日程により、11月中旬に20周年記念パーティを開く方向で決まりそうだ。2日の理事会で決まれば、準備にかかっていかなければならない。


8月26日

金曜。早朝に虫のすだく声を聞く。フェードアウトしていく蝉時雨と交代時期がやってきたようだ。

夜、「明日へのチケット」という映画を観る。エルマンノ・オルミ、アッバス・キアロスタミ、ケン・ローチという3人の名匠監督による共同長編。
ローマへ向かう列車に乗りあわせた人々の人生の転換点を描いたもの。功なりとげた薬学教授の老いらくの恋、将軍の妻ゆえにわがまま気ままの習い性を持った女性の孤立、サッカーフリークのヤング・スコティッシュとアルバニア難民との絡み合い、いずれも一枚の切符をめぐる人生模様。
EUという現実をフィクションでありながらもドキュメンタリーのように描ききる。小さな希望だけはあきらめるな、というメッセージ、それは庶民レベルの苦い真実を直視しているだけにヒリヒリと伝わってくる。
時あたかもコソボ自治州の独立をめぐるアルバニア系とセルヴィア系住民の武力対決(バックには米国、NATO系とロシアの支持がある)が迫っているというニュースがオーバーラップする。

土曜からまさに世界陸上の日々が始まった。初日の男子マラソンの半ば過ぎからテレビに釘付け。午前中の各種目の予選を見ているうちにそわそわしはじめ、女房殿が観戦用の小型の双眼鏡を求めに東急ハンズへ出かけ、戻ってきて夕食用のおにぎりを用意し、阪神百貨店でお惣菜を求め、地下鉄で長居競技場へ。まるで遠足に行く子どもにもどったかのような気分。
指定席は第3と第4コーナーの中間、ちょうど水濠と国旗掲揚ポールのところの最前席だった。イベント関係企業や大阪市関係団体が購入した席のようで、周囲はあまり陸上ファンという人たちではなかったようで、開会式をみたら、引き上げる人たちもいた。あー、もったいない。

開会式は、テーマが「鼓動」。思わず「鼓童」が出演するのか? と喜んだのはぬか喜び。大阪名物くいだおれパントマイム&ダンスチーム、宝塚歌劇団・春野寿美礼の歌う君が代、および彼女らが領導したダンスの群舞、そして、サラ・ブライトマンのジュピター独唱、なぜか織田裕二(?)・TBS世界陸上報道キャスターの大会テーマソング(?)の披露、最後に坂田藤十郎の大坂締によって開会イベントは終了。
女房殿は「安あがりだわねえ」とキツーイ一言。大阪市も大変なんだから、と別なところで同情。
選手団の行進については、選手が一人も登場しない、あるいは役員だけが申し訳程度に歩く国が続出。スポーツ大国ではカナダ、フランスあたりが確信犯。プラカード、旗ともにボーイスカウトたちが持っていた。オリンピックと違って、世界選はあくまで個人重視の大会だから、IAAF(国際陸連)は見逃しているのだろうか? 蒸し暑い大阪の夜だから、無理に出場する必要なし、という指示が出ていたのだろうか、それにしても少し寂しい光景だった。

現場はやはりおもしろい。男子砲丸投げの予選、大男の有力選手たちが大きなタオルを持って出番待ちの間、辺りをウロウロする様はなぜか滑稽だ。一方で、女子7種競技での砲丸投げでは、担当コーチたちが私たちのまわりまで降りてきて、選手を呼んではアドバイスを出投げかけ、ドイツ語、スウェーデン語、英語が飛び交う。

注目していた400mハードルの予選、為末と成迫の明暗は、まさか。現場にいると為末が一台目をひっかけて倒していたことがわからない。応援よりも、とりあえず目の前を走る為末にカメラをむけていたのだから、メインスタンド前での失速には絶句。
ハンマー投げも真向かいなので、はるか遠くの室伏を双眼鏡で確認するだけ。

女子10000mは、出だしのあまりの遅さにいやな予感。やや後ろの席にそろいのピンクTを着た福士の私設応援団(?)が陣取っていたので、黄色い声が一周ごとに高鳴ってすごいこと。靴が脱げそうになって、一時最後尾になってしまったり、気合いを入れるために、バックスタンド前の給水で頭から水をかぶったりと、相変わらずけれん味たっぷりの福士ではあったが、それだけに勝ったT・ディババの底力には理解不能な凄さを感じた。彼女も、一時腹をおさえて最後尾にポツンと離されたり、途中で急にスピードアップしたり、という風に、常識はずれのレース運び。それでも、9600m走った後での最終周は60秒と、まるで800mの選手並みの速さで他の選手を問題にしなかった。なに、それまではジョギングだって? まさか、絶句。

てなわけで、メインスタンド前の男子三段跳び予選には、まったく眼中に入らず、コメントなし、でした。

陸上のナイトゲームの楽しみの余韻にひたって、帰宅したのは午前様。

そして日曜もまた、昼寝とジョグをはさんで、朝から晩まで、テレビの前で陸上三昧。でありました。
400mハードル・成迫の0.01秒の不運は、陸上にはつきもののものなので、捲土重来を期するのみ。
女子400mの丹野は、歴史の一ページを開きましたね、拍手!
投擲の日本選手の出場は開催地特権ではあるものの、体力差の現実の前に脅えないで戦ってほしい、と祈るのみ。


8月24日

21日。NPO法人リフォープの声掛けで集まった作家たちのアートビアガーデンが湊川神社(JR神戸駅北)で始まった(31日まで)。今年で2回目。六甲アイランド野外展が終わって数年になるが、複数の出展作家が顔なじみなので、懐かしかった。
歓談のなかで、宮崎みよし理事長のいう「体温で表現しなきゃ」という言葉が印象に残る。

神社は神戸地裁の隣なので、近くに友人の弁護士の事務所があり、確かこの辺だったと思って探してみたのだが見当たらず、ちょっと? これもボケか?

22日。高校野球の決勝戦。小さな音で、聞くともなしに聞いていたラジオ。8回裏、一死満塁でトイレにたった。帰ってきたら、アナウンサーの声がなく、球場の騒然たる様だけが聞こえていた。なにかが起こったのだと思ったが、まさか逆転満塁ホームランとは。絶句。
佐賀北高校より実力が上の学校は全国にいっぱいあったろうに、よもや、を起こしてくれたという意味で、喝采。
この日本において野球が不滅である理由は、職業スポーツと直結するシステムに加えて、負けたら終わりというトーナメント方式のきりきりと心臓を痛めつける場面での人間の一挙手一投足が微妙な運命を分けてしまう残酷さに魅かれていくせいではないのか。

23日。弁護士事務所の件、電話をしたら「楠町から動いていないわよ」とのこと。見過ごした? 今度あらためて確かめてみよう。

夕方より大阪へ。World Olympian Association 大阪賞の受賞レセプション。おりから世界陸上の開催もあって、IOCのジャック・ロゲ会長も、IOC理事会ディナーから抜け出して、顔を出した。受賞したのは、スポーツの世界におけるイスラムと女性の地位向上をめざしているモロッコのモータワケル(女子400mハードル金メダリスト、IOC委員)女史、そしてIOC選手委員会。その委員長として、棒高跳びのセルゲイ・ブブカが代表で登壇した。
その他、2012年ロンドン・オリンピック招致に力を発揮した陸上のセバスチャン・コーをはじめ、水泳の鈴木大地(ソウルで金)など、オリンピアンのキラ星が出席。
トライアスロン・ファミリーはIOCのなかでの位置づけは高いので、このような席にも招待状が届くようになった。

いよいよあさって開幕! 開会式に出席だ。


8月20日

15日。亡父の墓参り。女房殿と2人だけのお参りはあまり例がない。先週末に姉が生けてくれていた花が酷暑でぐったり。もちろん水はスッカラカン。
性海寺に立ち寄り、忙しい法要を終えて一段落のT住職夫妻とお茶する。
話は、本堂の立て替えの話に。市の文化財でもあるのだが、その費用が億を軽く超える。助成金をいただいても上限があるので、数年前から檀家さんたちの協力もいただき準備はしていたのだが、費用の見積もりに1億円もの差があるのにはびっくり。
文化財専門の業者と宮大工の業者では、モノの見方も時間の掛け方も商売の仕方も違うので、一概に判断はできない。しかし、どちらを選ぶにせよゴーをかける前に、できるだけ疑問点をはらしておかないと、後で悔やむことになると言う。

16日。この夏、昨年からの流れなのか高校野球では熱戦が続く。なんとなく気付いたのは、ベンチ入りしている選手とレギュラーとの差が近年は接近しているのではないか、ということ。背番号が二桁の選手たち、二番手ピッチャーや代打の選手の活躍が目立つような気がする。統計的に裏打ちされていないので、あくまでも印象である。

18日。朝の仕事を終えて、ばたばたと用意して、午前11時に倉敷の児島へ向けて出発。岡山も猛暑であることにかわりはない。選手受付、開会式、競技説明会、カーボローディングパーティ、そして宿舎(鷲羽山。目の前が瀬戸の海、ひねもすのたりのプールのような海である)に帰って、夕食、ミーティング、風呂、そして寝る。

19日。朝5時起床。弁当の朝食をいただいて、岡山県協会会長とJTU中国ブロック・近畿ブロックの理事とともに6時宿舎発。6時半には、レースコースの競艇場に艇を浮かべ、1500mのコースを漕ぐ。ふつうに漕いで13分ばかり、このスピードは世界的なスイマーとほぼ同じ、あらためて彼等の魚ぶりがよくわかる。
8時、花火とともに第一グループが泳ぎはじめる。トップのスイマーの先を水先案内のごとく、先導する。その後は、フィニッシュ位置から外れようとする選手のコース逸脱を監視する。制限時間50分、リタイアは出たものの、大きなトラブルもなく終了。

午後2時、現地発。今年は高速に地道もまじえ、一度休憩し、阪神高速の渋滞をパスして帰ったので、午後5時過ぎにはなんとか自宅着。
さすがに疲れたのか、メイがいなくなってはじめて、ご近所のFさん夫妻を一緒の夕食を終えると急に眠くなり、そのままバタンとベッドへ。


8月14日

備忘録。
10日。金曜日、蒸し暑さの中、日没どきに神戸空港までラン。東の空、生駒山地の上に大きな積乱雲が字義どおり平らなテーブル状に発達、夕陽をまともに受けて茜色に染まる。
空港のCSでミネラルウォーターを補給し、夕闇となった帰途の空港橋からは、布引の山にむけてまっすぐのびた大通りのナトリウム灯がシュールな道筋をつけ、あたかも空に向かって走っていく趣があって幻想的。

11日。3月になくなった叔父の初盆のお参りに大阪へ。クラシックと文学に造形の深かった叔父の残したものの逸失を知り、一瞬呆然。文化の受け継ぎに無理解な振る舞いに言葉を失うばかり。
その後、夜遅くまで母宅にて、姉妹たちと共に過ごす。

12日。南京町の「てん」にて、みそだれ餃子と白しょうゆラーメン、そして生のヒューガルテンをいただく。
福岡の姉たちを見送った後、妹が帰宅する午後7時まで、母を見守る。立ったり、歩いたり、座ったり、その繰り返しをしているうちに時間は過ぎていった。
妹にバトンタッチして、ピア・ジュリアンにて、息子の芸大での同級生であった小牧亮子・須藤宮子のピアノデュオを楽しむ。

13日。たまっていた新聞の切り抜きに集中。
夜は、BSで市川昆が撮った『映画女優』を見る。吉永小百合が田中絹代を、菅原文太が溝口健二を演じていた。晩年、西鶴の『好色一代女』を田中絹代がやっていたんだ、と妙に納得。『流れる』での女中を演じていた田中を思い出していた。

14日。また母宅へ。父の回向をしていただく。この一か月半のなかで、母の反応が一番良かった日。かたことの言葉が聞き取れる。ただし、脈絡はない。
日が落ちてからラン。


8月7日

三宮の駐車場にクルマを置き忘れ、昨日朝、とりにいったらバッテリーあがり。とんだ夏バテならぬ、夏惚け。時間とカネの無駄だけ、という徒労感。

置塩医院。He-a1cは6.5%にやや下がる。血糖値は127。暴飲と脱水症に注意、と。
しかし、ここにきて、左肘の痛みが気になってしかたがない。できるだけ、意識的に使わないように、とするのだが、右利きなのに、思いのほか左手をつかっていることにあらためて驚く。それで、痛みが走って顔をしかめることに。

夕刻、若き日の出版社時代の上司だった大阪京橋のY事務所へ。年度末までに刊行ができるよう、T先生の出版の打ち合わせ。
そして、奥座敷ともいうべき裏の(表の?)「わさび」にて、おねえさんのお惣菜とほとんど飲んだことのない鹿児島芋焼酎で一献。今回は「女郎蜘蛛」と「黄麹」。Yさんに、ありがたくちょうだいする。二度目の訪問で、楽しみが一つ増えた。

Y氏から、まだまだ成し遂げていない「しごと」のことで発破をかけられる。還暦近くなってきていることもあるのだろうが、ホントは「お前、なにをしたいのだ?」と突き付けられているのとかわりない。買い被りだと応じるも、力がないのは丸分かり。
今読んでいる乙川優三郎の新刊『露の玉垣』にも、実在した新発田藩の武士たちの、人生何をなして、ついえていくのか、という通奏低音が流れている。ひとごとではない。


8月6日

3日。H大、学生のコミュニケーションカードへのコメント終了。時間はかかるが、その後、学生がどう対応してくれるのか気になるので、決して気が抜けない。

夕刻より、(公)亀井純子文化基金創立15周年記念パーティ。久しぶりに小山乃里子さんはじめ、基金の交付を受けたアーティスト団体の代表たちに会う。
9月の舞子ビラでの記念コンサートでは、伊藤ルミさん(生まれて初めての司会担当、そのういういしさ、っていいですねえ)のピアノとチェロのデュオが聴ける。

画家の井上よう子さんを女房殿に紹介する。板橋文夫氏のフリージャズとバンスリーの中川博志氏をBGMに、しばしおしゃべり。たぶん、気が合うのでは?

4日。朝から永田眼科へ。電車とタクシーでやはり2時間、診察と待ち時間で2時間、帰りに2時間、やはり疲れる。瞳孔が開いているのでぼんやりするため、疲れが増す。
眼圧、右15、左18。薬なしでの数値なので、右は満足、左だけ後でレーザーを照射。しかし、T主治医の思ったように下がらず、一か月後に様子をみましょう、ということになった。

台風がそれて蒸し暑いので、久しぶりに具沢山のグリーンカリー。今日のできは満足。
一人で食べる夕食に、メイはいない。

5日。長良川のジュニアトライアスロンの日本選手権の日だったのだが、母の介護のこともあるので、欠席。要出席でないところが理事と参与の気分的に違うところ。
早朝から、遅れていた体協への補助金申請書類をやっつけて、三宮に出てジュンク堂にたちより、乙川優三郎の新著『露の玉垣』ほかを求め、その足で母宅へ。姉がすでにきていたので、妹が帰ってくる7時頃まで、母のお世話。立ったり座ったり、ベッドからソファまで居間をいったりきたりすることにつきあう。

住宅管理組合の理事ゆえに、夏祭りの金魚すくい担当で子どもたちの相手をしていた女房殿に合流して、祭りの名残りの夕食。


8月2日

31日の通夜は、来ていただけるご近所のお友達だけで終え、昨日、鈴蘭台にある小さな動物霊園にて、火葬をしていただいた。
ここでも、動物の霊園でさえ、建設反対運動が起こっていたようで、その名残りの看板群が見苦しく主張をしていた。
小さな骨をいただいて、自宅に戻り、女房殿がオーディオボードの一角に小さな祭壇スペースをつくって、お線香を炊く。

自宅に戻れば、必ずシッポふりふり玄関まで迎えに来る黒く存在感のある物体は、もういない。


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