混迷亭日乗 Editor's Diary

6月30日

朝の仕事を終え、サンポと朝食を終えて、少し横になっていたら、妹からメール。
母の調子がよくなく、今日から、介護施設へ20日間ほど、お願いするという。
なんでも昼夜が逆転し、夜に、妹を何度も起こし、食事も排せつも自分でしなくなり、言葉も明瞭でなくなってきたらしい。
近くなのでちょくちょく顔を出してみることにする。s


6月28日

女房殿の誕生日。彼女は電通からの帰りに、ミント(旧神戸新聞社ビル)にて成分献血ができた、とかでご満悦(従来は体重不足でできなかった)。場所もきれいで、スタッフも親切で、気分はよかったようで、これから誕生日は献血の日にしようかしら、と。
21日以来、ずっと二人とメイの生活。近未来では、いつしかメイも消えてしまう。ことばの数がやはり少なくなってしまうのは、道理か。
夕食は、女房好みのにぎり寿司、あさりのお吸い物、ゆず豆腐の冷や奴、ひじきサラダ。携帯電話の故障ゆえの買い換えも重なったので、近くのそごうで素材を買い求めた。デザートはカッサレードの抹茶パウンドケーキ。
この年になれば、プレゼントといっても、ささやかなもので、1971年キャロル・キングのファーストライブ盤(CDとしては95年に発表されたもの)にした。彼女は、なぜか自分から音楽や本を買い求めることは少ない。今までそれ以上に私が買ってきたのであきらめているのかもしれない。
ついでに立ち寄った古本屋で石川九揚の『漢字がつくった東アジア』(筑摩書房)を求める。新刊本のようであった。


6月25日

兵庫運河の原稿を出稿。貯木場だった頃の写真(1999)も探し出せたので、送付。笠松商店街の模様についての項は、紙面の都合でカットした。


6月24日

日曜なのにもかかわらず朝4時過ぎに目覚めたので、兵庫運河の原稿書きにかかった。昨日と打って変わって、外は雨。
女房殿は、お友達に紗の着付けを手伝ってもらって、無事、挙式に間に合うべくホテルオークラへ。着物は、女房殿の母上のもので、見るからにすばらしく、ン百万円はするものであろうな、と芸術の域に達する「お召し物」の世界にしばし酔う。

住吉にある神戸でもとびきりの洋菓子屋「CASSALADE」の代表であるOさんの結婚式。お相手は、神戸のS女学院高の英語教師でもあるTさんで、瞳の大きな愛くるしいお嬢さんであった。父上が内科医なのだが、若いお友達が多くて、堅苦しくなく、華やいだいいお式であった。お隣は阪大出身のM女子大教授で、高齢者の予防医学を研究されていて、昨今の医療問題について話が弾み、なにかの機会があればぜひ取材させていただくことに。
Tさんのご両親への謝辞の際には、ほんとうに落ち着いた家庭の幸せがあればなにもいうことはないというお手本のようなお話で、思わず涙目になってしまい、女房殿に冷やかされてしまう。
アフリカ漬けの娘のときには、いったいどうなるのだろう?

また、小笠原流の煎茶家元も解説付きで、お手前をご披露。流麗かつあでやかなるてさばきに、ただ見とれてしまう。

夕食は、先週、私だけが参加しなかった、観世流能で羽衣を舞ったMさんがいらして、それを観た総勢6名での、打ち上げとおぼしき宴会になる。能の舞のシテになれば、総額日本の高級車一台分の費えだと聞く。
それでもその日のために、コツコツと努力されるのだから、伝統芸事はやはり人生の大きなよすがなのだ。
時代がどうあろうと、規矩を揺るがさないことが、逆にいぶし銀の如く光り続けていく。その底力に脱帽する。


6月23日

快晴。神戸からのメッセージへの原稿のため兵庫運河へ。一年ぶりにバイクにまたがった。レーシングスーツをまとえば、気分はおのずとスピーディになる。99年に訪れたときとは、やはり変わっていた。運河の利用が実業から文化へとシフトしていく時代になったのである。
途中でデジタルカメラのバッテリーがあがってしまい、自宅へ戻る。笠松商店街の写真が撮れなかった。
デュアスロンのつもりで、そのままランへ。炎天下での約40分。

5時から、フルーティスト水越典子さんのコンサートへ出かける。今回は、ブラジルやスペインの作曲家めぐり。JRの事故があって、少し遅れてしまうが、アルトフルートの音色をはじめて生で聴いた。実に心地よい響きである。これからも少しまぜてやっていってもらいたい。打ち上げに誘われたのだが、手元不如意でもあったし、女房殿の多忙を思えば、と自制。

帰り、旭屋で内田先生の『潮』での関川夏央との対談と『PLAYBOY』のインタビューを読む。対談の方は、内田先生が話役で昨今の見解をくり出したものだったが、プレイボーイでは、私生活の面でのお披瀝があった。リズミカルなインタビューだったので、思わずぽろりなのかもしれない。
70年当時、東大でのセクト名を明かしてはいなかったが、われ思うにブント、ではなかったか?


6月21日

京大のモンゴル帝国歴史研究の第一人者、杉山正明教授への取材。ヨーロッパ史観に彩られてきた西洋史の書き直しが随所で行われているのが現代。ユーラシアから、世界を見れば、もっともっと世界史が違う風に見えてくるよ、と自信たっぷりにおっしゃる。それを支えるのは圧倒的な研究に対する根性と、現地調査だ。行動する学者、まさに畏敬に値する。

帰りに、東一条で、ゴマダラカミキリムシを見た。黒に白は相変わらず美しい。風景は一気に子供の頃に一変した。


6月19日

大学院の授業に浜松のスーさんこと現役中学のS先生が登場。久闊を叙する。現場の中学生を相手に生活指導することの困難さを見事に伝える。愚痴を言ってすっきりした??
毅然とした態度をとれ、って文科省の官僚は通達するけれど、どうやってやるんだよお! とまるで、当の中学生がすごんでいるみたいで、傑作。
講義の後は、自由参加で17名のプチ宴会。スーさん、ほんとに楽しそうでした。内田先生の周辺には良識という一服の涼風が訪れる。
そうそう、聴講一期生で社会学者の卵のNくんも、齢30を前にして、堂々たる巨体をあらわした。中国論では、尖閣諸島の領有権争い問題を取り上げたが、そのときから、もう2年になるのであるなあ。


6月18日

ギニア共和国から国立舞踊団ダンサーのアミナタが来日、一泊して全国ツアーに出る。娘も一緒。部族語のスースー語とフランス語がカタコトでチャンポン。娘のフランス語、もう少しマシかと思ったら、たいしたことなくて、おいおい、そんなんで大使館勤務なんか勤まるのかよ?


6月17日

朝5時起きで、グリーンピア三木へ。参加者340名程度、大きな事故なく無事終了。日本選手権の予選会もトラブルなくおさまった。
終わったのは午後5時半。長い一日で、やはり疲れる。夕食の少しの焼酎で酔いが早くまわってきたようで、バタンQ。


6月16日

午後、大会準備の手伝いで、グリーンピア三木へ。この日は大阪協会の人達が中心で、共催なので、兵庫協会は片身が狭い。

夕方戻ってきて、長田のK病院のU院長宅でのホームパーティに。誘ってくれたのは、この春から神戸国際大学で教鞭をとることになったOさんで、ご一緒するのはユニークな旅行企画会社を経営するYさん夫妻と、NPOを事業として成功させているHさん夫妻。
U先生の奥様は産婆さん(今は助産師といわなければならない?)で、年平均、ご自宅で20〜30人を取り上げるという。彼女が実に料理がうまい人で、まるで会席のごとく、一品ずつ登場。そのたびに歓声が! 強調されているのは「今日のは、ふだん料理なのよ」。こんなに美味しいものを毎日食べているのか、U先生に羨望のまなざしが注がれる。
初めて食べたのは、京料理の鴨ミンチのなんとかいう一品。まさしく料亭の味。
わいわいやっていると、あっという間に11時がちかくなり、お開き。

ところで、奥様が、但馬・浜坂の出身で、私の一学年下ということが判明。同じ小学校に通っていたというわけだ。わずか3クラスの小学校だったので、当然ニアミスがあったのかもしれない。今度は昔の話、昭和31年〜34年頃の浜坂の話を聞いてみたい。


6月13日

京都大学N副学長、および魚類生態学のA教授への取材。取材そのものより、京都で一日仕事、というのが、やはり疲れる。
京都大学にはミニ東大になってほしくない、と思うばかりだ。

内田先生のブログに、白川静先生への思いと貧乏論が掲載された。二つとも、またまた今までおっしゃったことなどが整理されて、孔子とレヴィナス、貧困と貧乏、について考えさせられた。私の名前である「仁」に名前負けしないように生きて、朽ちること、これからは論語の世界が大きく広がってきそうな気がする。


6月12日

来客があったので、大学院に遅れると思い、車ででかけたら、女房殿はメイをワクチン接種のため、獣医へ出かけたかったらしく、車がないことでちょいと不機嫌。


6月10日

トライアスロン教室はパスさせていただいた。
HATから大阪方面は灰色の雲、こちらから西側は好天。と思っていたら降ってきました、雷が鳴りながらの温かい雨。実に不穏な天候。

元町のステップで、練習用のシューズ、半額になっているものを購入。
メイを散歩させていたら、乙仲通りに、なにやらレトロっぽい「時計の修理屋さん」を発見。もう30年以上も前に、就職したての妹が薄給の中からプレゼントしてくれた手巻きの時計(セイコー)の修理をどこでしようかと持っていたので、思わず、ドアをあけて入ってみると、やはりアンティークな時計から、修理したらまだまだ使える機械仕掛けの時計まで、時計を愛するご主人の店。
同年代より少し下だろうか、実直そうなご主人が、預かってくれて、見積もりは8000円也。何度も分解掃除をしているので、すでに投下した金額は、たぶん購入価格を上回っているのだろうけど、これはとても気に入っているので、躊躇せずお願いした。

大学西公園でメイと涼んでいたら、姉と甥とそのフィアンセと、ミニチュアダックスフントの子ども「元気」くんと遭遇。初散歩、だったらしい。この公園も徐々に人々に知られていくことだろう。

女房殿は、塾、住宅管理組合の総会、懇親会。夕食は、Fさん宅にて、敦賀の魚パーティ。


6月9日

再びジョグ。ふくらはぎにちょっとしたはりがあるものの、7日と同様、5km程度。
夕方から大阪で、近畿ブロック協議会。その後、奈良県協会K会長がジャイカ(国際協力事業団? だったっけ)の派遣で、パラグアイでの緑栽指導に2年間行かれるので、北新地(大阪協会にリッチなピープルがいるので)で送別会。そこでは「しまむらさき」という芋焼酎をいただく、なかなか美味。


6月7日

昨晩はギルガメシュの例会。過去最低の3名。86年発足のわがクラブも、いよいよ高齢者のみにて瓦解の時期を迎えつつあるのか?

大倉山の図書館に『藩校と寺子屋』(石川松太郎)がないことがわかった。明石の県立図書館にもないという。アマゾンで買っておくべきであった。まあ、ゼミでの発表は後期になったので、時間はあるのが救い、根気良く探してみよう。

で、本日は、曇り空でもあったので、ついにジョグを開始。35分、2軸走法(両手を腰の後ろに添えて、ねじらないで右足、左足を真ん前に出し、すり足に近い方法で上下動を抑えて走る。ナンバ走りに似ている)でゆっくり。久しぶりに海風にもあたり、気持ちよい汗を流した。一か月以上のブランクではあったが、まずは一歩から。


6月5日

関西電力のメールマガジン『インサイト』に、なんと甲野善紀先生が登場。1日の講義で話された内容の要約という感じのエッセイであった。ということは、いまの先生の思っていることが聞けたというわけだ。ぜひ、トライアスロン関係者にも、身体運用の術理を体験してほしいものだ。

先生から、上梓された『街場の中国論』をサイン入りで献本される。最年長というだけで、献辞をいただき、他のゼミ生に申し訳ないが、まことに光栄なことである。発行元は、ミシマ社。若干30歳で出版社を起業したMさんの4冊目の本である。
内容はといえば、まさに内田哲学が語られる。こんな中国論って読んだことない、という刺激があらためて注ぎ込まれる。講義のときから一年は経っているのだが、まったく新たな書きおこしと言ってもいい。隣国への理解とまなざしにバイアスがかかればかかるほど、都合のいい中国論しか出てこないし、やはり4000年の歴史を分母にして眺めていかないと見えてこないものが多いのだ。

夕食はひさしぶりにゴーヤ・チャンプルーをつくり、トマトとモツァレラチーズ、バジル添えに揚げむきエビというヘンテコリンな組み合わせ。だけど、自分では満足しているので、まいいか。


6月4日

水無月に入った朔日、武術研究者である甲野善紀さんが神戸女学院の客員教授になられたお披露目の講義と実技指導をされるというので岡田山に出かけた。
お話の方は、身体の動きを科学でなんでも説明しようというのには無理がある、という、いわれてみれば至極まともなことなのだが、実際に見せても、これがなかなか一般には受け入れられないようである。終了後、招聘した内田先生ともまじえて、残った13名で、ささやかに門戸厄神の焼き鳥屋さんで懇親会。合気道も教える高校の国語の先生(♂)とトイメンだったのだが、現場の教育の話になり、フェミニズムとマチズモへの世代間落差を感じる話し合いになっておもしろかった。

3日は、内田先生の年一回のお楽しみ、湊川神社・神能殿で開かれた下川流謡の会に顔を出し、午後の部では、ようやく肩が動くようになって久しぶりに着物を着た女房殿も一緒に最後まで鑑賞。やっぱり、謡といい、能といい、「型」にこめられた感情の発露には、ますますひかれるものを感じる。西宮の叔父が謡の先生をやっているので、習いにいってみようか、と話し合っていたことに我ながら驚く。

室内でのサングラスは不要になったように感じる。

で、今日は永田眼科へ電車でいったら、やはり2時間はみておかないといけないことがわかった。間に合いそうもないのでタクシーで滑り込む。
主治医のT先生(なかなか清楚な感じですぞ!)が、「経過は大変良好です。薬を使わないで眼圧は16と18。」の合格点。運動はしてもいいかと尋ねると「いいでしょう」とニッコリ。我ながら、基礎代謝がいいのかな、と勝手に解釈する。次は8月初旬の診察となった。しかし、小旅行で帰社したのは午後2時半であった。


03年3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
04年1月
2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
05年1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
06年1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月
06年12月&07年1月2月3月4月5月

混迷亭日乗 Editor's Diary

6月30日

朝の仕事を終え、サンポと朝食を終えて、少し横になっていたら、妹からメール。
母の調子がよくなく、今日から、介護施設へ20日間ほど、お願いするという。
なんでも昼夜が逆転し、夜に、妹を何度も起こし、食事も排せつも自分でしなくなり、言葉も明瞭でなくなってきたらしい。
近くなのでちょくちょく顔を出してみることにする。s


6月28日

女房殿の誕生日。彼女は電通からの帰りに、ミント(旧神戸新聞社ビル)にて成分献血ができた、とかでご満悦(従来は体重不足でできなかった)。場所もきれいで、スタッフも親切で、気分はよかったようで、これから誕生日は献血の日にしようかしら、と。
21日以来、ずっと二人とメイの生活。近未来では、いつしかメイも消えてしまう。ことばの数がやはり少なくなってしまうのは、道理か。
夕食は、女房好みのにぎり寿司、あさりのお吸い物、ゆず豆腐の冷や奴、ひじきサラダ。携帯電話の故障ゆえの買い換えも重なったので、近くのそごうで素材を買い求めた。デザートはカッサレードの抹茶パウンドケーキ。
この年になれば、プレゼントといっても、ささやかなもので、1971年キャロル・キングのファーストライブ盤(CDとしては95年に発表されたもの)にした。彼女は、なぜか自分から音楽や本を買い求めることは少ない。今までそれ以上に私が買ってきたのであきらめているのかもしれない。
ついでに立ち寄った古本屋で石川九揚の『漢字がつくった東アジア』(筑摩書房)を求める。新刊本のようであった。


6月25日

兵庫運河の原稿を出稿。貯木場だった頃の写真(1999)も探し出せたので、送付。笠松商店街の模様についての項は、紙面の都合でカットした。


6月24日

日曜なのにもかかわらず朝4時過ぎに目覚めたので、兵庫運河の原稿書きにかかった。昨日と打って変わって、外は雨。
女房殿は、お友達に紗の着付けを手伝ってもらって、無事、挙式に間に合うべくホテルオークラへ。着物は、女房殿の母上のもので、見るからにすばらしく、ン百万円はするものであろうな、と芸術の域に達する「お召し物」の世界にしばし酔う。

住吉にある神戸でもとびきりの洋菓子屋「CASSALADE」の代表であるOさんの結婚式。お相手は、神戸のS女学院高の英語教師でもあるTさんで、瞳の大きな愛くるしいお嬢さんであった。父上が内科医なのだが、若いお友達が多くて、堅苦しくなく、華やいだいいお式であった。お隣は阪大出身のM女子大教授で、高齢者の予防医学を研究されていて、昨今の医療問題について話が弾み、なにかの機会があればぜひ取材させていただくことに。
Tさんのご両親への謝辞の際には、ほんとうに落ち着いた家庭の幸せがあればなにもいうことはないというお手本のようなお話で、思わず涙目になってしまい、女房殿に冷やかされてしまう。
アフリカ漬けの娘のときには、いったいどうなるのだろう?

また、小笠原流の煎茶家元も解説付きで、お手前をご披露。流麗かつあでやかなるてさばきに、ただ見とれてしまう。

夕食は、先週、私だけが参加しなかった、観世流能で羽衣を舞ったMさんがいらして、それを観た総勢6名での、打ち上げとおぼしき宴会になる。能の舞のシテになれば、総額日本の高級車一台分の費えだと聞く。
それでもその日のために、コツコツと努力されるのだから、伝統芸事はやはり人生の大きなよすがなのだ。
時代がどうあろうと、規矩を揺るがさないことが、逆にいぶし銀の如く光り続けていく。その底力に脱帽する。


6月23日

快晴。神戸からのメッセージへの原稿のため兵庫運河へ。一年ぶりにバイクにまたがった。レーシングスーツをまとえば、気分はおのずとスピーディになる。99年に訪れたときとは、やはり変わっていた。運河の利用が実業から文化へとシフトしていく時代になったのである。
途中でデジタルカメラのバッテリーがあがってしまい、自宅へ戻る。笠松商店街の写真が撮れなかった。
デュアスロンのつもりで、そのままランへ。炎天下での約40分。

5時から、フルーティスト水越典子さんのコンサートへ出かける。今回は、ブラジルやスペインの作曲家めぐり。JRの事故があって、少し遅れてしまうが、アルトフルートの音色をはじめて生で聴いた。実に心地よい響きである。これからも少しまぜてやっていってもらいたい。打ち上げに誘われたのだが、手元不如意でもあったし、女房殿の多忙を思えば、と自制。

帰り、旭屋で内田先生の『潮』での関川夏央との対談と『PLAYBOY』のインタビューを読む。対談の方は、内田先生が話役で昨今の見解をくり出したものだったが、プレイボーイでは、私生活の面でのお披瀝があった。リズミカルなインタビューだったので、思わずぽろりなのかもしれない。
70年当時、東大でのセクト名を明かしてはいなかったが、われ思うにブント、ではなかったか?


6月21日

京大のモンゴル帝国歴史研究の第一人者、杉山正明教授への取材。ヨーロッパ史観に彩られてきた西洋史の書き直しが随所で行われているのが現代。ユーラシアから、世界を見れば、もっともっと世界史が違う風に見えてくるよ、と自信たっぷりにおっしゃる。それを支えるのは圧倒的な研究に対する根性と、現地調査だ。行動する学者、まさに畏敬に値する。

帰りに、東一条で、ゴマダラカミキリムシを見た。黒に白は相変わらず美しい。風景は一気に子供の頃に一変した。


6月19日

大学院の授業に浜松のスーさんこと現役中学のS先生が登場。久闊を叙する。現場の中学生を相手に生活指導することの困難さを見事に伝える。愚痴を言ってすっきりした??
毅然とした態度をとれ、って文科省の官僚は通達するけれど、どうやってやるんだよお! とまるで、当の中学生がすごんでいるみたいで、傑作。
講義の後は、自由参加で17名のプチ宴会。スーさん、ほんとに楽しそうでした。内田先生の周辺には良識という一服の涼風が訪れる。
そうそう、聴講一期生で社会学者の卵のNくんも、齢30を前にして、堂々たる巨体をあらわした。中国論では、尖閣諸島の領有権争い問題を取り上げたが、そのときから、もう2年になるのであるなあ。


6月18日

ギニア共和国から国立舞踊団ダンサーのアミナタが来日、一泊して全国ツアーに出る。娘も一緒。部族語のスースー語とフランス語がカタコトでチャンポン。娘のフランス語、もう少しマシかと思ったら、たいしたことなくて、おいおい、そんなんで大使館勤務なんか勤まるのかよ?


6月17日

朝5時起きで、グリーンピア三木へ。参加者340名程度、大きな事故なく無事終了。日本選手権の予選会もトラブルなくおさまった。
終わったのは午後5時半。長い一日で、やはり疲れる。夕食の少しの焼酎で酔いが早くまわってきたようで、バタンQ。


6月16日

午後、大会準備の手伝いで、グリーンピア三木へ。この日は大阪協会の人達が中心で、共催なので、兵庫協会は片身が狭い。

夕方戻ってきて、長田のK病院のU院長宅でのホームパーティに。誘ってくれたのは、この春から神戸国際大学で教鞭をとることになったOさんで、ご一緒するのはユニークな旅行企画会社を経営するYさん夫妻と、NPOを事業として成功させているHさん夫妻。
U先生の奥様は産婆さん(今は助産師といわなければならない?)で、年平均、ご自宅で20〜30人を取り上げるという。彼女が実に料理がうまい人で、まるで会席のごとく、一品ずつ登場。そのたびに歓声が! 強調されているのは「今日のは、ふだん料理なのよ」。こんなに美味しいものを毎日食べているのか、U先生に羨望のまなざしが注がれる。
初めて食べたのは、京料理の鴨ミンチのなんとかいう一品。まさしく料亭の味。
わいわいやっていると、あっという間に11時がちかくなり、お開き。

ところで、奥様が、但馬・浜坂の出身で、私の一学年下ということが判明。同じ小学校に通っていたというわけだ。わずか3クラスの小学校だったので、当然ニアミスがあったのかもしれない。今度は昔の話、昭和31年〜34年頃の浜坂の話を聞いてみたい。


6月13日

京都大学N副学長、および魚類生態学のA教授への取材。取材そのものより、京都で一日仕事、というのが、やはり疲れる。
京都大学にはミニ東大になってほしくない、と思うばかりだ。

内田先生のブログに、白川静先生への思いと貧乏論が掲載された。二つとも、またまた今までおっしゃったことなどが整理されて、孔子とレヴィナス、貧困と貧乏、について考えさせられた。私の名前である「仁」に名前負けしないように生きて、朽ちること、これからは論語の世界が大きく広がってきそうな気がする。


6月12日

来客があったので、大学院に遅れると思い、車ででかけたら、女房殿はメイをワクチン接種のため、獣医へ出かけたかったらしく、車がないことでちょいと不機嫌。


6月10日

トライアスロン教室はパスさせていただいた。
HATから大阪方面は灰色の雲、こちらから西側は好天。と思っていたら降ってきました、雷が鳴りながらの温かい雨。実に不穏な天候。

元町のステップで、練習用のシューズ、半額になっているものを購入。
メイを散歩させていたら、乙仲通りに、なにやらレトロっぽい「時計の修理屋さん」を発見。もう30年以上も前に、就職したての妹が薄給の中からプレゼントしてくれた手巻きの時計(セイコー)の修理をどこでしようかと持っていたので、思わず、ドアをあけて入ってみると、やはりアンティークな時計から、修理したらまだまだ使える機械仕掛けの時計まで、時計を愛するご主人の店。
同年代より少し下だろうか、実直そうなご主人が、預かってくれて、見積もりは8000円也。何度も分解掃除をしているので、すでに投下した金額は、たぶん購入価格を上回っているのだろうけど、これはとても気に入っているので、躊躇せずお願いした。

大学西公園でメイと涼んでいたら、姉と甥とそのフィアンセと、ミニチュアダックスフントの子ども「元気」くんと遭遇。初散歩、だったらしい。この公園も徐々に人々に知られていくことだろう。

女房殿は、塾、住宅管理組合の総会、懇親会。夕食は、Fさん宅にて、敦賀の魚パーティ。


6月9日

再びジョグ。ふくらはぎにちょっとしたはりがあるものの、7日と同様、5km程度。
夕方から大阪で、近畿ブロック協議会。その後、奈良県協会K会長がジャイカ(国際協力事業団? だったっけ)の派遣で、パラグアイでの緑栽指導に2年間行かれるので、北新地(大阪協会にリッチなピープルがいるので)で送別会。そこでは「しまむらさき」という芋焼酎をいただく、なかなか美味。


6月7日

昨晩はギルガメシュの例会。過去最低の3名。86年発足のわがクラブも、いよいよ高齢者のみにて瓦解の時期を迎えつつあるのか?

大倉山の図書館に『藩校と寺子屋』(石川松太郎)がないことがわかった。明石の県立図書館にもないという。アマゾンで買っておくべきであった。まあ、ゼミでの発表は後期になったので、時間はあるのが救い、根気良く探してみよう。

で、本日は、曇り空でもあったので、ついにジョグを開始。35分、2軸走法(両手を腰の後ろに添えて、ねじらないで右足、左足を真ん前に出し、すり足に近い方法で上下動を抑えて走る。ナンバ走りに似ている)でゆっくり。久しぶりに海風にもあたり、気持ちよい汗を流した。一か月以上のブランクではあったが、まずは一歩から。


6月5日

関西電力のメールマガジン『インサイト』に、なんと甲野善紀先生が登場。1日の講義で話された内容の要約という感じのエッセイであった。ということは、いまの先生の思っていることが聞けたというわけだ。ぜひ、トライアスロン関係者にも、身体運用の術理を体験してほしいものだ。

先生から、上梓された『街場の中国論』をサイン入りで献本される。最年長というだけで、献辞をいただき、他のゼミ生に申し訳ないが、まことに光栄なことである。発行元は、ミシマ社。若干30歳で出版社を起業したMさんの4冊目の本である。
内容はといえば、まさに内田哲学が語られる。こんな中国論って読んだことない、という刺激があらためて注ぎ込まれる。講義のときから一年は経っているのだが、まったく新たな書きおこしと言ってもいい。隣国への理解とまなざしにバイアスがかかればかかるほど、都合のいい中国論しか出てこないし、やはり4000年の歴史を分母にして眺めていかないと見えてこないものが多いのだ。

夕食はひさしぶりにゴーヤ・チャンプルーをつくり、トマトとモツァレラチーズ、バジル添えに揚げむきエビというヘンテコリンな組み合わせ。だけど、自分では満足しているので、まいいか。


6月4日

水無月に入った朔日、武術研究者である甲野善紀さんが神戸女学院の客員教授になられたお披露目の講義と実技指導をされるというので岡田山に出かけた。
お話の方は、身体の動きを科学でなんでも説明しようというのには無理がある、という、いわれてみれば至極まともなことなのだが、実際に見せても、これがなかなか一般には受け入れられないようである。終了後、招聘した内田先生ともまじえて、残った13名で、ささやかに門戸厄神の焼き鳥屋さんで懇親会。合気道も教える高校の国語の先生(♂)とトイメンだったのだが、現場の教育の話になり、フェミニズムとマチズモへの世代間落差を感じる話し合いになっておもしろかった。

3日は、内田先生の年一回のお楽しみ、湊川神社・神能殿で開かれた下川流謡の会に顔を出し、午後の部では、ようやく肩が動くようになって久しぶりに着物を着た女房殿も一緒に最後まで鑑賞。やっぱり、謡といい、能といい、「型」にこめられた感情の発露には、ますますひかれるものを感じる。西宮の叔父が謡の先生をやっているので、習いにいってみようか、と話し合っていたことに我ながら驚く。

室内でのサングラスは不要になったように感じる。

で、今日は永田眼科へ電車でいったら、やはり2時間はみておかないといけないことがわかった。間に合いそうもないのでタクシーで滑り込む。
主治医のT先生(なかなか清楚な感じですぞ!)が、「経過は大変良好です。薬を使わないで眼圧は16と18。」の合格点。運動はしてもいいかと尋ねると「いいでしょう」とニッコリ。我ながら、基礎代謝がいいのかな、と勝手に解釈する。次は8月初旬の診察となった。しかし、小旅行で帰社したのは午後2時半であった。


03年3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
04年1月
2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
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06年1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月
06年12月&07年1月2月3月4月5月いま