混迷亭日乗 Editor's Diary

4月30日

今日も晴れ。振り替え休日だそうだ。
朝の仕事を終えて、午後からトアロード北詰西にあるCAP HOUSEへ歩いていった。往復約10kmだが、時間さえかければ全然遠いものではない。
春の年次報告会なのだが、作家の古典あり、ポケットパークのような空間でアイリッシュ・バグパイプとアコーディオンの演奏がありの、また、代表の杉山知子さんの家モチーフの土器に絵付けして焼いてくれるイベントもありで、ひとときを過ごす。著名人としてはサウンドアーチストの藤本由起夫、ノーリツの太田会長などが来られていた。
アーチスト兼ライターとなった「神戸から」「WAVE117」の元スタッフ、Iくんもすでに30歳。立派な大人である。ほぼ一年ぶりだろうか、しばし歓談。彼にやってもらいたい仕事があるのだが、代理店の選考に通れば、の話。吉報を願う。


4月29日

前半の連休が始まっている、いい天気。この島をぐるっとひとまわり。1時間13分のジョグ。低血糖になる状態もなんとなくわかるので、家の近くまできたら、歩いて帰る。本当に脱力感に襲われるので、力が入らないのである。
今日気付いたこと、神戸学院大学の西側公園になんと風力発電の羽が二基据付けてあるではないか。確かに北西からの風があるのではあるが、神戸で見るとはつい思わなかった。もちろん宮古島の巨大さには及ぶべくもないけれど。

夜、二期の公園でささやかにBBQ。参加は全部で6人と一匹。


4月27日

入院前にヘアカット。心斎橋「テキパキ」と「メロディ」へ。歩いている途中にある「ヴェトナム・フロッグ」をみて、あ、そうか、ここも親会社が倒産したんだ、と。時折、軽いランチをいただいた店であった。店は通常どおり営業していくらしい。どこかが安い値段で買い取るんでしょうねえ。


4月24日

大学院はK牧師による「宗教教育」。なかでも「宗教的素養の涵養」について考える。同じ言葉を使ってはいても、ある勢力の連中が言うものと、私が思うのとでは雲泥の差がある。政府権力者たちのいうそれは、あくまでも統治のための手段として、感謝の気持だの、先祖を敬うだの、道徳教育だのまで引き込んで、いきつく先は神社の大本である天皇教への収斂があるように思えてならない。真の意味での精霊への畏敬があるとは思えない。縄文の森への謙虚な気持ちをもつのなら、ここまで「美しい国」を破壊しては来なかっただろう。今さら「美しい国」を叫ぶのは自己撞着である。

夜、神戸JCでの友人、浄土真宗僧侶のMさんのご母堂のお通夜に参列。膵臓癌、とは亡き父と同じ病。発覚から死去までわずか一か月弱だったという。享年80歳。ご冥福をお祈りする。
東京出張の女房殿を迎えに最終便の神戸空港へ。雨の中、一直線の道路をひた走るが、意外に「距離」を感じる。日頃、よくぞランニングで走っていることだと、自身に対して感心する。
おなかが減っていたので、お土産のケーキに赤ワイン。ン、変ですか?


4月22日

HTAの理事会・総会に出席し、今年度事業計画案の趣旨説明の後、大阪へ。ぱらぱらと散らつく雨のなか、3月に逝った叔父の法要。いまだ現実感がない。すぐ上の兄であるもう一人の叔父の落胆は大きく、挨拶のときも感極まって声につまる。戦後60年に及ぶ交流だものなあ。
一方、母はといえば、車いすでの外出になってしまい、やはり全体としての老衰は進行、哀しみの感覚というより、むしろ、寂びしさに支配されていくようだ。

遅くなったのだが、知人であるD社のMさんが主催する酒心館コンサートに駆け付ける。パリ在住、ストラスブール音楽大学で教鞭をとるメゾソプラノ、小林真理さんのアンコール曲だけを聴いた。
Mさんはフランス語が堪能で、パリ支社勤務のときも、日本大使館に出入りして、日仏文化交流の下支えをやってきた経験を持つ。ご自身が多文化共生そのもので、D社でも一目置かれている存在だ。昨日は、倉敷の大原美術館内でコンサートをしたという。印象派画家にまつわるプーランクの小品をからめたので、大原美術館としても、大いに喜ばれたという。

夜は、おなじみのF夫妻とともに、毎年春の恒例、敦賀の山野菜での「てんぷら」。たまに、だからこそ、たらふくいただいた。


4月20日

晴れたので写真を撮りに住吉川へ。5月発行される『神戸からのメッセージ』用だ。
平日だけど、三々五々、老若男女の市民がのんびり散歩したり、水遊びをしている。平和な光景。住吉川清流は復活しているようだ。


4月18日

16日。曇りがち。大阪の三洋電機へ、T監査役に自伝完成のご挨拶。
17日。大学院のテーマははじめのうち「大学の存亡」から「教養」へとシフト。巷で言われる旧制高校型の「教養」の復活とは、ちょっと違う。「他者」との共生ができるかいなかも含めて、論語でいわれる六芸、すなわち「礼・楽・射(弓)・御(馬)・書・数」を基礎に、いつも「いったい俺はなにをしているんだろう」と内省できる態度こそが教養に通じるのでは、という。つまり、数値目標が設定できないものであり、教養を身に付けるには終わりがない、ということだ。
まさに「教養」の復権が肝要か、と。

夕方から、大阪の編集者Yさんの事務所へ。出版企画の打ち合わせから、すぐ裏の飲み屋さんへ。それが大正解。大阪・京橋に不思議な店があった。若い夫婦がオーナーだけど、その存在の仕方がアナーキーで面白い。説明すると長くなるので割愛。名古屋女子大のK先生にもお会いしたので、5月公演の劇団クセックを推薦し、フライヤーを送ることにした。名古屋の人に応援団をつくってほしいのだ。


4月15日

土曜日。女房殿が塾を午後早めに終えてくれて、一緒に京都に出かける。
古くからの友人Kちゃんが個人邸で開くコンサート。息子のコンサートにこられなかったことへのゴメンナサイ! と、さらには、私の目を心配してくれて、招待してくれた。
彼女を含めて3人の手になるお料理を食して後に吹き抜け居間で、ミュゼットジャズバンドの音に酔った。
ミュゼットという「エコールドパリ」のニュアンスに溢れた音楽をつくりあげるのは、ボタンアコーディオンと、ジャンゴ・ラインハルト、ステファン・グラッペリにつらなるジプシーギター、コントラバスのトリオからなるアンサンブル。
独学での日本人の器用さとあくなき趣味性の追求はやはりなかなかのもの。オタクに連なるのかもしれないが、開放的なオタクには参ってしまう。
京都はやはりパリが似合う。
これまた贅沢なひとときであった。
会場のY邸は、銀閣寺道、哲学の径の疎水に近い高級住宅地(たぶん)にあって、和住宅の3階建て。
最終の電車に間に合って、午前1時すぎに帰宅、寝たのは2時をまわっていたと思う。

日曜日。午前9時までぐっすり眠った。メイも起こしにこなかった。洗濯して、冬物と春夏ものとの入れ替えをしてみたが不十分。
今日も塾を終えた女房殿と友人のFさん(ダンナ)と湊川公園へ。先天性知的障がいをもつMちゃんのヘルパーをしているFさん(オクサン)がバザールに出かけていたので、そこへ。すでに終わりかけで、彼女は最後までつきあうので、別れた我々3人はメイと宇治川の桜を見ながらランチをとる。一週間前の満開から散り染めてはいるものの、二人とも初めてのところなので驚いていた。
あたたかくて、小川で子どもたちがびしゃびしゃになりながらも戯れている。のどかな春の一日。

息子によれば、日本最古のクラリネット八重奏楽団「オブロー・クラリネット・アンサンブル」の正式メンバーになった由、くわしくはわからないが、また一歩階段を上ってくれたのだろうか。


4月10日

大阪の出版社S社の社主、Yを訪ねる。20代の頃、共に釜の飯を食った。状況が厳しいなか、数万部売れる本を時折出すので、取り次ぎや書店からはそれなりに信用されている。話していると、20代の頃の編集会議とちっとも変わらない雰囲気だ。企画本を検討してもらって、条件があえば出してもらう。もっとも、原稿を仕上げるのはこちらになるのだが。

神戸女学院大学院聴講が始まった。昨年来のなじみの顔が多いので、今年も楽しそうだが、どれだけ出席できるだろうか? 
今年のテーマ。まず前期は「教育」、後期は「家族」。いずれも構造主義的アプローチを要求される。関係者以外の外圧ファクターによって、サンドバッグ状態になっている教育をどう立て直すか?


4月8日

5日。『ピア・ジュリアン』でのステージ。曲目がなじみのない作曲家アンリ・ガニュバンの「アンダンテとアレグロ」が秀逸。どうして、こんないい曲がもっと流布されないのだろうか? 日本の演奏者の怠慢か、聞き手が難曲を敬遠するからか、演奏する機会を与えられない文化の底の浅さか? 
聞いていた交響楽団・大阪シンフォニカのチェロ主席奏者である金子林太郎氏が飛び入りで参加。伴奏の城綾乃さんと小品を聞かせてもらった。若手でありながら抜擢された金子さんの迫力のある演奏にうなる。
リップサービスかもしれないが「ワタナベくん、今度チェロと一緒にやろう」と言ってくださる。
7日に来られない友人のMくんと終電まで話し込む。知らなかった事実があきらかにされたのだが、これは胸のうちにしまいこんでおいたほうがいいかもしれない、と今は思った。

7日。6日の三木山森林公園でのコンサートもよかったようだ。なんでもステージの後がガラス張りで樹々のみどりが映えるとか、夜は夜でライトアップされるようで、それまたきっと美しいことだろう。
午後、雨模様のなか松方ホールへ。当日清算の受付を手伝って、遠くから来てくれた知人たちにご挨拶。できるだけ多くの方々に来ていただかなければ、出演者の負担になるので、本当に有り難いことなのである。
本番は2曲とも、掛け値なしで、すばらしかった。
前述の曲と日本を代表する作曲家・吉松隆の『鳥の形をした4つの小品』、いずれもピアニッシモのとても弱い音がホールの隅々まで伝わる。本人も、お客さんがよかったので、とても演奏しやすかったと満足した様子。

聴きにきてくださった皆様、ほんとうにありがとうございました。

午後9時過ぎから息子の好きな中華料理『悟空』で、家族と名古屋からかけつけてくれた女房殿の従兄弟のYちゃんとで打ち上げ。
その後、「ピア・ジュリアン」で特別コンサートをしていた前述の金子さんが待っているからと、息子と一緒に顔を出して、居残っていたお客さんを前に一曲披露。クラリネッット・ポルカで楽しく場を盛り上げる。こういう出会いで刺激を受けるのはいいな、と素直に思う。音楽のいいところだ。
芸大の頃から目をかけていただいたピアニストの藤渓さんと、昼間の演奏の感想を語り合う。
で、終電はなくなり、タクシーで帰宅。


4月4日

昨日、息子が帰神。8日までコンサートとオーディションが続くらしい。だからというわけでもないが、芋焼酎『一刻者』一升瓶を求めた。ま、息子の奨める『天酔楽』に及ぶべくもないかもしれないが、まろやかな味わいとつんとくる芋の香りが好ましい。

電報の企画提案があって、調べていたら、電報は明治2年に始まったという。まさに近代化とともに歩んできて、今もなお、続いている。140年の歴史、それが民営化と規制緩和の波のなかで翻弄されているのも一面だ。ほとんど冠婚葬祭以外で使われることがなくなった電報に未来はあるのか?

預かっているKさんの絵の売り先を探してもらうために、旧居留地の不動産会社の役員Eさん訪ねる。現代美術にも関心があるので、貿易から始まり、ホテル・飲食など手広く事業を営む経営のプロだけに、どのような査定をするのか興味津々だったのだが、好意的に検討していただくことになった。結果が楽しみだ。

寒い夜は、ギルガメシュの例会。今日は4人の参加。ずっーと音沙汰のなかったTくんが、諸事情によって鬱病に罹っているというメールが届いていたので、このクラブを続けていることで、トライアスロンへの復帰への希望が多少の勇気を与えているのであれば、ささやかなクラブの動向を知らせる会報の存在理由であっていいのだと思う。


4月2日

黄砂により灰白色の空。毎年、増えていくのだろうか。
奈良の永田眼科。手術前の検診と血液採取。術日が決まると思っていたら、未定のままで肩すかし。だが、今回の手術、実は白内障も合わせても検討されていたので、それはパス。まずは眼圧の低下という目的だけを狙う。

熊谷達也の短編集『懐郷』。昭和30年前後を舞台にしての能登の海女、集団就職など、田舎と都市の民俗を基底に人情を描く。ちょっとご都合主義も感じられるのだが、やはり落涙させられる掌編がある。「貧しさ」が、あたりまえだった時代のことだ。それが精神の貧困までにいたっていなかったのが、豊かな時代の貧しさとの違いだろう。


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