混迷亭日乗 Editor's Diary

3月30日

長野県茅野市民館から電話。半年かけて製作していた故・富永直樹先生の自叙伝『彫琢抄』が完成し、手にとられたご長男から、「満足するできばえです」というお言葉をいただき、素直に喜ぶ。数日後、手もとに届くはずだ。
久しぶりに味わう本の出来上がりに立ち会う瞬間だ。

友人のFさんの次男が阪大大学院博士課程前期修了(今は修士のことをこういうらしい)して、民間企業の研究職(化学)についたので、今日は歓送会。勤務地は、とりあえずは現場である工場のある山口、四日市、神奈川のいずれかになるそうだ。こうして、皆巣立っていく。残るは、博士課程前期のうちの娘だけになってしまった。


3月29日

ヒミツの花園、講師の集まりで明石の坪谷邸へ。今年で最後となる講義のスケジュールを決めて、『パッチギ』が大好評で俄然忙しくなった趙博さんと丹波から直行帰りのKさんもあわせて4人で、趙博さん手作りの韓国宮廷料理サンゲタンがメインの夕食会。春はいかなごのこの地ではあるが、単なるくぎ煮だけではないのが、坪谷流料理の風流なところ。目の前でつくられるごま豆腐などたいらげていると、あっという間にお開きの時間。
沈む夕陽は見られなかったが、満足でありました。


3月27日

慌ただしくなってしまったこの数日間だった。

21日。お彼岸の中日。メイと墓参。出がけにハーバーランド西交差点で左後輪が破裂音とともにパンク。最寄りのGSまでなんとか徐行でたどり着き、タイヤ交換を依頼。正月に続いてのパンクだった。
いろいろ不具合の起きる時期にかかってきた。もう12万キロを超えているのだから。
その後、走行中に車中でメイが悲しげな鳴き声で泣訴。路肩に寄せて見てもわからない。墓苑でも歩行がぎこちなく、すぐに腹這いになってしまう。なんとかリードでひきずって帰途につく。
帰宅してからも階段を下りるのを極度に嫌がるので、抱いて降りた、ずっしりと32kgはこたえる。

夜、友人のSドクターに連絡。一晩様子をみて、おかしいようであれば病院へつれていくことに。

22日。朝の散歩でしきりに草を食べる。昨日のようではないようだが、やはり抱いて降りることにした。夜はなんとかふだんの感じに戻ってきた。今回は病院にいかなかったが、次回はやはり血液検査をしてもらうことにする。

23日。上京のための出がけに次姉から電話。M叔父が危篤だという。うそでしょ、2月には退院して元気になっていたじゃないか。
羽田空港から京急電鉄へと急いでいる頃、叔父の死去の報せ。自身に子どもがいなかったせいか、子どもの頃から可愛がってもらった叔父だった。クラシック(オーディオも)と小説、美術について、あるいは、私の母(弟だったので)への思いやり、いろいろと話してきたことが思い出される。若い頃は耳に痛いことを聞かされた。

神田の印刷会社S社にて挨拶をすませ、小平霊園へ向かう。今度の東京行きで、必ず寄っておこうと思っていた故・村上一郎(作家、文芸批評)氏の墓参。鬱病を患ってはいらしたが、三島由紀夫割腹自殺以降の世相への憤懣が尾を引いていったのか、1975年に自刃した。浪漫派といわれてもしかたがないが、まさしく文学の士であった。
同人誌「無名鬼」の追悼号をご自宅にお願いしたところ、送付されてきた冊子には、奥様の達筆の書状が認められていて、大事にとっている。

生キテハ有限の身トナリ
死ニテハ無名の鬼トナル
『振りさけ見れば』

新宿に戻り、時間があったのでしばらく徘徊する。夜、理事として最後のブロック懇談会。渋谷に席を変えて事務局長、事業広報委員長もまじえて懇談。これも一つの根回しの一種。

息子が先に帰宅していたので、二人で叔父の死への献杯。息子の主任教授の退官記念公演の模様を見せてもらう。

24日。朝ジョグ。少し肌寒い。理事会、社員総会、そしてフォーラムまで残って、懇親会をパスして、新幹線で帰神。神戸は雨だった。

25日。生涯スポーツデュアスロン大会のためグリーンピア三木へ。不参加となると M常任理事に大変な負担がかかるため、でかけざるをえない。外国人女性も参加しての小さな大会。メイもつれていったら、まあ、ふだんどおりの感じ。
午後、お通夜のため大阪へ。叔父さんの死顔、涙を止めることはできなかった。11時頃までいて、一旦帰宅。

26日。告別式、初七日法要。親族中心のこじんまりとした集い。福島・二本松からも本家代表で従兄弟が二人来てくれた。
福岡の長姉と甥を見送りに新大阪駅を経由して、8時半頃帰宅。やはりどっと疲れる。
母もきっと疲れたことだろう。母の兄弟は、これで弟二人だけになってしまった。叔父の奥さんは大阪の人なのだが、やはり足や心臓が悪く、疲れもあるので、即入院して静養することになった。いろんな意味で葬儀の精神的負担は大きいと思う。


3月15日

12日。置塩医院。2月のヘグロビンa1cは6.8%、少し悪化。「なんか変わったことあったか?」と。焼酎の飲み過ぎ? それはないと思うのだが、会合の際、やっぱり飲んでいるのかなあ? 晩酌では、ほんの小さな器に2杯程度、え、それは飲み過ぎですか? 

13日。NPOリ・フォープの理事懇談会。西元町の「米米 Be bee」という台湾料理店。理事長の美術家のMさん、美術館学芸員のKさん、まちづくりプランナーのKさんとそれぞれの世界での実力者たち。今年、神戸で行われるビエンナーレやら、神戸の不動産/建築状況やら、2時間余のおしゃべりで少し元気をもらう。

14日。手紙の反応が現れはじめ、お見舞いやら、近況伺いやらをいただき、あらためて気にかけていただき感謝。

東京の友人Mと、漫画家のビッグ錠さん、写真家の長島義明さんトリオが来訪。久闊を潤す。昨日、淡路の国際会議場で、国連関係の次代の情報産業育成シンポジウム(これがなかなか説明できない)に参加したとかで、立ち寄ってくれたのだ。
Mは震災の年、女房殿とコンビを組んで、神戸で『横尾忠則+細野晴臣 アートパワー展』を主催した。今は東京で人生蘇生プランナー(いかにも東京ならではの肩書きだ)として、人脈ネットワークを駆使した企画をぶちあげている。
ランチを北野のインドカリー「シャミアナ」で。錠さんは、明日岡山でマンガ学会があるそうで、三宮まで送り、別れる。震災前まで時間が戻ったようで、なんだかほっとしている自分がいた。


3月11日

土曜日。4月7日に行われる息子のコンサートの案内状を知人(長い間会ってないひとたちも含めて)に送付した。少しでもきていただけると有り難い。
大倉山の図書館から、ダイヤモンドの「アンレーヴ」、そして洋菓子の「カッサレード」と、同様にご機嫌伺いというか、ご案内。一所懸命がんばっている同級生を見ると、こちらもがんばらなくては、と。

日曜日。神戸空港橋往復コースのジョグ、73分。走りながらいろいろ考える。
この「論々神戸」もどうしたものか、と。現実に半年メールマガジンを出していない。もう、やれる状況じゃないので、発起人のSさんに申し出をしようかと。いわゆる市民活動へはまったく寄与などできていないのだから。

FMの民謡を聴きながら、農作業や漁撈や馬喰の労働歌がリファインされていくプロセスを思う。皆、非常にうまい。
作業と同調する節回しは、先月松山で観た「坊っちゃん劇場」の綿々の朗々たる詠唱が証明していた。そんな作業が現実になくなれば、民謡も無形文化として、どんどん洗練されて、保存というかたちにいってしまうのだろうか?

午後から、ベトナム戦争のアメリカ軍海兵隊員だった人の話を聴く。実戦体験からPTSDにかかり、その後、日本国憲法9条の存在を知り、日本でその擁護を訴える活動をしている。
「Kill! Kill! Kill!」
人間射撃訓練の標的は、自分が思っていた頭部ではなく、聴衆の大多数が手を挙げた心臓部でもなく、金的(股間)だった。
戦争の匂いは死体の匂い。

帰途、ジュンク堂にて待望の『ロンググッドバイ』(R.チャンドラー 村上春樹・新訳)ほか、講義の資料となる数冊を求め、近くの古本屋で勝海舟の『氷川清話』(1968)が500円だったので、思わず買ってしまった。


3月7日

コミュニティビジネスの新展開を著わす企画。著者はH電鉄グループの執行役員かつK大学の非常勤講師。超多忙なので、版元が決まれば、資料収集、プロット作成、草稿作成となるのだが、さて、決まるかどうか。

夜、ギルガメシュ例会。東京マラソンの話を聞く。来年は今年の9万人を上回る応募になるだろうという観測。7時間もの警備体制は、テロ防止規制の予行演習にも通じることがわかる。


3月6日

奈良の永田眼科で手術説明会。約30分だけのPPTによる説明に、家族出席義務を課せられた女房殿は若干おかんむり。「このぐらいの説明だったら、わざわざ来る必然性がない」と。
20名ほどの同席者は、ほとんど高齢者ばかり。
終了後、質問した。「入院中のジョグはだめ?」。即座に「とんでもありません」と。手術日も4月2日の受診の後でなければ決まらない。

聴くだけの2週間の入院退屈をしのぐ方法を考えなくては。


3月4日

尼崎でのJTU近畿ブロック認定記録会。深江地区で不発弾騒ぎで、高速も43号線も一部不通で、クネクネ南北しながら西宮まで地道で行く。遅刻したが、まあ私は添え物みたいなものだから……。
しかし暖かい。思わず、私も走りたくなりました。とくに、小学校1年生の女の子と一緒にトラック一周400m。でもこれって、ひょっとして「ジイジイ」感覚か?


3月3日

雛祭り。遅ればせながら、内裏雛がリビングに飾られた。緋毛氈が空気を明るくする。うちのお嬢さんも、はや24歳となられておりまする。
土曜日とあって、家の中でなにやかやとして、少し走って、4時には家を出て高槻へ。内田先生のラスト講演(ということになっている)。
お題目は「これで日本は大丈夫?」だが、今日はミラーニューロンと共振体というところへオチがついて90分。デモの話も実感できるものだったし、やはり中間共同体が機能しないといけない、というのは右も左も関係なく、社会構造的に病んでいることへの処方箋だろう。
病み上がり状態なのに、うまく納まってメデタシメデタシ。
宇宙のゴミのようなものだけど、ぴかっと光るウチダ星。臨死体験の際にも、そうして死んでいくことへの「これで良かった」という思いがあるのではなかろうか。
このイメージがよかったなあ。
主催団体が「レゾナント」(共鳴)を掲げているだけに、60年代に疾風怒濤の嵐を経験した市民グループとお見受けした。
そういえば、高槻は辻元清美氏の選挙区だったし、今日はじめて聞いたのは大阪は基本的に天領で、高槻藩と岸和田藩のみだったということだった。あ、そうだったのか、と。
わざわざ栃木からいらした女性もいたのですよ、ウチダファン、じわじわと広がっていますです。
プチ打ち上げをお相伴して、内田先生と合気道の塾生でもあるTさんとお話ししながら10時半に帰宅。

ちゃんと、ちらし寿司とお吸い物と野菜のおひたしなど。春の淡薄色に華やかな夕食が残っておりました。感謝!


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