混迷亭日乗 Editor's Diary

11月30日

もう月末で、あと一か月で2006年が終わる。
いろんな意味で20年が経った。
次のステージはまだ見えてこない。
それを人は見つけようとしない、と言う。
一体、何がしたいのか、何をしようというのか?

区切りだけはつけなくては。


11月29日

曇りがち。紅葉が見事になりつつある女学院は文学賞(芥川賞・直木賞
と本屋大賞)を通して、文学批評の影響力の無さに言及する。発表者は学部の一回生のMさん。教室内にどよめきが起こる。だって、いまどきの学生で、群像と文芸春秋を読んでいるなんて、お友達と話合わない、のは納得するという状況なんだから。
あがり気味の発表だったけれど、なんだか、学生らしい学生に会った気がした。帰りの駅で、「ユダヤ学会のときに来てらしてましたよね」と声をかけられ、一駅の間お話する。好きな作家は町田康だとか、うん、いい線じゃないか。

東京から聴講に来ているTさんと牧師のKさんとで軽く一献。西宮北口のアイリッシュ・パブでギネスを少々、ソーダブレッド一齧り、というのは良かったけれど、BGMがなんの関係もないポップ・ミュージックっていうのはイカンぜよ!

「神戸からのメッセージ」締め切りが早くなり月末。今回は「Kobe College」。天候のいい日の午前中に写真を撮りにいかなくては。

本日の夕食はおでんなり。晩秋の匂いがします、です。


11月27日

暖かい雨が降る。
置塩医院。ヘモグロビンA1cが5.9%、ついに6%を切った。薬のせいでもあるので、しばらくは現量のまま。しかし、希望が出てきたという解釈をしたい。


11月25日

23の木曜日。夕食をつくりながらの夜のお楽しみ、『慶次郎縁側日記』がなぜかなくて、その代わりの、めったに見ない演歌の歌番組を流していたら、出てくる連中の歌のうまいこと、あっぱれなもの。民謡出身の人が多いのだろうが、修業という言葉がふさわしいのだろう、感心する。

24日。灰谷健次郎さん逝去の報が入る。こんなに早いとは思わなかった。挿絵の多くを担当されていた画家・坪谷さんの憔悴を想像する。

昔の出版仲間Mに会う。小さな仕事だが京大関係のもの、手伝うことに。

夜、大阪でJTU近畿ブロック協議会。来年度改選時期なので、4期8年務めさせていただいたことを感謝して、辞任を伝える。来年1月の滋賀での協議会で後任者が決まれば、晴れてバトンタッチをする。後任者を内々に想定しておくべきだという考えもあるが、とらないことにした。

今朝はいつものように、仕事、散歩、朝食、洗濯、そしてジョグ1時間。女房殿は一日中、塾なのである。お仕事していただいているのだから、せめてそれぐらいはしておかないと。
午後、内田先生の所属する日本ユダヤ学会関西例会で女学院へ。土曜日のキャンパスは人気なく寂しくもあり、紅葉が見事でもある晩秋の情景。
演題は、一つが「ユダヤ学における聖書研究:伝統批判と近代批判の交錯」で、あたり前のことだが、あまりにも知識がなさすぎて遠く理解がおよばない。二つ目が、岩波版フロイト全集の刊行に関連しての「モーゼと一神教」(1934)再読というテーマ。もしモーゼがエジプト人であったならという仮定で書かれたユダヤ人フロイトの立論について、やはりキーになるのは「父親殺し」の解釈。
きわめてアカデミックな会に久しぶりに参加して脳を揺さぶられ、帰りに駅の書店で小田島隆の『テレビ標本箱』を購入し、読み出すと止まらなくて、テレビの断末魔を聞いているようだった。先ほどまでのマニアックな世界とのあまりの落差に、これも日本と納得するのだった。


11月23日

20日。淡路市の大会担当職員が報告書を携えて来訪。この挨拶回りで落着となる。さて、来年の企画をどうしたものか?

21日。大阪・守口のS社でT先生自叙伝の打ち合わせの後、上京。西日暮里の喫茶店「銀座・ルノアール」でADのK氏と装幀の相談。ゆったりとした空間を持つここのような喫茶店らしいお店、とりわけ個人経営の店が激減していると聞く。

夜、トライアスロン議員連盟との懇親会で赤坂見附へ。久しぶりに一ツ木通りを歩く。80年代初め、今は亡き師・Kとカラオケした店のことが思い出される。師の歌は『なんとかのララバイ』、確か岩崎宏美の歌だった。
議員連盟の幹事長はみなさんご存知スケート出身の橋本聖子参院議員。私の近畿ブロックからは、兵庫・滋賀・京都の3名の加盟団体会長をいただいているが、自民・民主問わずいずれも前途有望の方々で、本当に心強い。
JTUの猪谷会長(IOC副会長)は、この場で「スポーツ省」の設置を強く要望した。議員の方々は、スポーツ庁ならなんとかなるか、という反応であったが、早速橋本幹事長が「公約」に掲げたいとの意向を表明。
このような会を開く限り、ただの懇親だけではないのだ、とあらためて痛感。このような会合がほぼ毎日のように続くのだから、東京での議員も確かに大変である。実際、タフでないとやっていけない。
議連の会長である岩城参院議員は福島出身で自身もトライアスリートだが、この会が実現したのも下働きをしたO秘書がいるからこそだと、やはり秘書の力は大きい。要するに、出席してほしい肝心の議員の日時設定調整は困難をきわめるのだから、その手間たるや、想像するに……。

22日。月曜から風邪気味なのは、私にとって本当の季節の変わり目が来たということだ。
不景気というのは、家庭にもおよぶわけで、息子のアパートに泊まっても、ほとんど会話が成立しない。寂しいものである。

神田のS社を訪問し、T先生の自叙伝の進行について打ち合わせ。午後の羽田便で帰神。


11月19日

落ち葉のカサコソが似合うようになった。この秋はじめてのセーターに袖を通す。とはいってもコットンだから、まだ寒いというわけではない。

東京国際女子マラソン。チームQの高橋尚子に注目。なぜなら、チームQという新たなスタイルで女子マラソンを戦う存在の成否が、今後の女子マラソンの「指導」に化学変化が生じる可能性が膨らむからだ。
結果は、残念の一言。なにが高橋におこったのか。35km以降の失速は、3年前の脱水症状によるものとは明らかに違う。
変化させた練習方法の結果が裏目に出たのか? 寒さ対策に不備があったのか? はたまた報じられないなにかがあったのか?
明日の紙面に頼るとしよう。

東京の印刷会社S社から、組見本が到着。やはりわくわくする。久しぶりに丁寧な版面見本をいただいて、ちょっとした感動。やはり、本づくりはいいな。


11月18日

いつのまにか、真っ暗な早朝になってしまった。椋鳥がひとしきり大きな樹木のなかで騒がしい。
しごとを8時に終えて、すぐ六甲のS宅により、トンネルを抜けて、三木の防災公園陸上競技場へ。ひょうご生涯スポーツ大会開会式への出席。わがHTAは4名の役員のみの参加。動員がきかないわが組織の特長ゆえしかたがない。

11時半に帰宅し、ばたばたして、女房殿とともに芦屋・奥池での芋煮&BBQへ。雨がぱらついてきたので、一旦引き返しメイを置いて出発。
曇り空気温10度のなかでの芋煮&BBQ。誘ってくれたのは、A放送のKさんと広告代理店D社のYさん、そしてその兄さんである大手酒メーカーS社のYさんのご家族など、総勢15名ほど。4時半までワイワイと。Yさんはブレンダーなので、世界各地を回っているので、お酒事情のほか、過剰なまでの健康攻勢のなか、お酒文化をどう守るかなど、現場のお話を聞かせていただいた。
いまK家にホームステイ中の英国の大学へ留学をしているドイツ人学生Mくん(26)の専攻はドキュメンタリー映像なので、日本文化に言及してのお酒談義とあいなった。帰宅は7時過ぎ。女房殿は管理組合に理事会へ。私は簡単な夕食づくり。
お遍路さんを描いたNHKのドラマをなにげなく見ていると、ここでも団塊世代の子育て失敗や夫婦危機がとりあげられ、07年問題も重ねて、しばらくは団塊バッシングが続くのは間違いない。なぜなら、戦後60年の規範意識のゆるみの主たる要因の一つに彼等の自己主張があったから、とされるからだ。


11月14日

昨日のHTA常任会議で、来年度以降の執行部体制が代わることになった。もちろん、私も含めてのこと。20年もかかわってくれば、人生に波風がたつということだ。
このご時世、なるようになるさ、精神ではいけないのだろうか?

大学院は「追っかけ娘」の世界。現代日本社会の生んだ徒花なのか。実際にそこで生きてきた修士院生の赤裸々なレポート。全然知らない世界で、「ヘエー」と、驚くことしきり。
帰りに、批評のため映画の試写会に出かける内田先生と電車が一緒になり、企画として山折哲雄先生との対談をふってみると、まんざらでもなさそうなのだけど、「目上の人とは対談にならないのよ。聞き上手だからさ、養老先生のときもほとんど8割方、聞いているほうだから」とのご返事。
とにかく忙しくて、『街場の中国論』も来年春頃になりそうだ、とのことでありました。

友人のSに手紙。仕事のうえでの相談を託す。


11月12日

11日。朝の仕事を終えた後、摩耶山麓にて、今年3回目の滝行。脳天に突き刺さる感覚が痛い。般若心経はいまだ暗誦できず。

夜、映画『戦場のアリア』。第一次世界大戦でのスコットランド・フランス軍vsドイツ軍との間に起きたクリスマス停戦の実話を基にしている。
クリスマス停戦すらできなくなっている現実があちこちで起きているが、「聖戦」を説く者の言辞は十字軍の時代といささかも変わっていない。

12日。6時起床。グリーンピア三木でのカーフマンジャパン近畿ステージへ。キッズからエリートまで、約150名の参加。やはり、なんとなく自転車得意の人が参加している感じ。曇天で寒く、雨がぱらついたり、太陽が顔をのぞかせたり、変転した天候のなか、誰一人事故なく、無事終了。

母の86歳の誕生日(7日)だったので、夜は妹の宅で、鍋を囲む。8月の乳ガン切除手術以来、顔色もよくすこぶる元気に見える。眼医者も替わって(私の通う飯田眼科)薬が減って、それも良かったのかも。いつになくおしゃべりな母であった。


11月9日

7日。ようやく秋冷。女学院。テーマは少子化。子育ての環境整備、アメを増やせ、というが、マクロでいえば少子化なぜ悪い? 不安がらせる風潮がなんだかヘン。
しかし、結婚、そして子育てはできればしたほうがいい。他者との共生、それが学べる。
それは少子化であろうが、人口増加であろうが、知ったこっちゃない。

6日にクラスメートの結婚式で帰神した息子をまじえ、久しぶりに家族4人で昼食。夜は、娘がダンスの追い込みなので、3人でお決まり中華の『悟空』。最終の飛行機で東京へ帰っていった。もう東京で6年か。
12月に、あるオケのオーディションを受けるようだが、100倍以上の倍率だそうだ。

8日。スティングが中世の吟遊詩人に戻ったかの新譜、自身が好むトリビュートのようなジェーン・バーキンの06年新作、そしてマーラーの交響曲5番。いずれも輸入版なので安かった。

木曜夜はNHKの『慶次郎縁側日記』。夕食をつくりながら見ている。といってはウソだ。作る手をとめて見入っている。どんな言葉を吐くのか、あるいは紡ぎ出すのか、いつも注視している。それだけ、北原亜以子の世界には言霊が宿っているということだと思う。


11月5日

霜月とはいえ、暖かい。世間的には三連休であるが、3日はJTUちびっ子トライアスロン教室(加東市)で、4日は半分しごとで、夜は中学時代の恩師、遠藤賢太郎先生(画家・山形大学名誉教授)が6年ぶりに来神。すぐに声かけられる連中で三宮にて小宴を催す。すでに古希を越えられたが、すこぶる元気にて、山形訛りが懐かしい。藤沢周平ゆかりの里だけに、「渡邊くん、ぜひおいで。戊辰戦争ゆかりの史跡や鶴岡の酒井家=お殿さま=の人にも紹介してやるぞ」。先生の絵がラベルに使われた米焼酎『虎虎』をいただく。
この冬、山田洋次監督の手になる藤沢作品4作目、『武士の一分』が公開される。山形、庄内へ行きたし。

で、本日。初めて高野山へ登る。というのも文化庁主催の国際シンポジウム『音楽と文化』に参加のため。参加は抽選ということだったので、10通出して6通の当選。そこで、友人に呼びかけて、朝7時半集合で、F夫妻とTさん、あわせて5人で出発。
途中、和歌山・粉河の“安い・うまい・安全”という「めっけもん屋」で、しこたま地場の野菜・果物を購入して、山登りへ。
暖秋のため、寒くはなく、紅葉も部分的なもので未だし。大木の杉木立と名だたる名家・著名企業の墓が立ち並ぶ奥の院参道を歩いていると、おお、母の郷、二本松藩丹羽家の墓があるではないか。思わず、手を合わせる。奥の院は、まさしく荘厳であった。

休憩所で持参のお弁当をほおばり腹ごしらえをして、1時から5時までシンポジウム。韓国仏教の踊る念仏、イスラムのクルアン(コーランと言われることが多い)の朗誦、カトリックの聖歌、そしてわが真言の声明(しょうみょう)が披瀝された後、内外の学者によるディスカッションがおこなわれた。
祈りと音楽というテーマで、北米先住民、韓国仏教、キリスト教、イスラム教、そして真言密教と、それぞれに神と人間とのコミュニケーション、あるいは交感についてのアカデミックな実証体験をベースに、とてもいい経験をさせていただいた。
まさに、世界は多様である。どこが進んでいるのでもなく、劣っているのでもなく、違うのが当たり前であり、それでもなお、つながりあおうとする平和への意志が大切なのだとまとめられた。
最後に、高野山の鐘の音はまさしく音楽である、とコーディネーターは語った。

午後8時過ぎに帰宅後は、寄せ鍋パーティ。仕入れた新鮮野菜と雑炊で美味しくいただいた。


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