混迷亭日乗 Editor's Diary

9月29日

夕方しかいけないので、自転車で県立美術館へ。ジャコメッティ展。小さなトルソー、新聞に書かれた落書きのようなスケッチ。凝視することにあくなき集中力を注いだジャコメッティ。もし、仮にかの作品が家の中にあったなら、私は落ち着かない、と想像する。理知的なものは冷徹である。その佇まいが存在感で畳をぶち抜きそうな予感。
ヤナイハラ・イサクという哲学する男とジャコメッティという男の信頼という絆。矢内原伊作は、ヤナイハラ・アイザックになってしまったような日本の喪失。1950年代、フランス語でやり取りする書簡が妙に生々しい。

夜の帳がおりてから、10日ぶりのジョグ。体重の変化はなく(62kg台)、今月の血液検査の結果を聞くことを忘れていた。

明日は、のじぎく国体のため淡路だ。もう、なるようにしかならぬと腹をくくる。


9月27日

花園大学後期授業開始。私の持ち分の3限目。いつもどおり「ことば発想」での演習。夏休みの宿題であった課題図書4冊の書評を読む。少ない提出ではあったが、チラチラ目を通すと、学生たちは、素直に読んでいることがわかった。それだけでも、異種の書との出会いが刺激になったことを喜びたい。
終了後、坪谷講師の教え子の画家・渡辺美智雄氏の個展(新京極の平安画廊)へ出かける。とても愛らしいほのぼのとした作品。五味さんの雰囲気にもにているかな。その後、氏とともに、絵のデジタル・アーカイヴを残し、複製でビンジネスチャンスをと試みるIさんと合流して、三条の今風割烹「浜町」にて、小宴。かくして秋とはいえ、蒸し暑い京都の夜は更けていくのであった。

9月26日

午後から淡路市のT氏らが来訪。心配していた大会予算オーバーの話。アタマが痛い。いまさら言ってもせんないことで、腹くくるしかないわけで、、、。
大学院の後期が始まった。お題は「医療崩壊」。
医療現場に携わる生々しい現場報告と、我が身の病状と、アメリカンスタンダードと日本人の生死観。以前、聞いた中井英夫さんの話も重なって、先端医療や、大きな病院、中病院の医療の現場は精神的なストレスで相当参っていることがわかる。こじんまりとした開業医だけが、のがれているのかもしれない。
終了後、新宿での息子のトリオ「トリムルティ」のライブに行ってくれたTさんを誘って、お礼の一献をメタモルフォーゼにて。内田先生のところに集まる人たちって、なんだか、いいよな。鋭いところと、ほんわかしたところが同居しているという感じ。
おしゃべりしていたら、あっという間に最終の新幹線の時間になった。


9月24日

土曜日。いつものように、事務所で雑用。
夕刻、大阪・天満橋へ。大阪府トライアスロン協会T会長の大阪府知事賞受賞の祝宴。1988年の協会発足以来、長きにわたって大阪をまとめてこられた。同年代ではあるが、昨今は心臓に持病があるため、陣頭指揮をとってはいらっしゃらない。同業ではあるゆえ、ご苦労をお察し申し上げたい。
しかし、なにはともあれおめだたいことであった。これもトライアスロンが認められていく一つのプロセスだ。

港島小学校の運動会。今年、運動場に敷き詰められた芝生校庭をのぞき、素足が気持ちよさそうな子どもたちを見てから、東大阪の近畿大学に出かける。
近畿学連の協議ルール説明会に同席。午後1時から4時まで。最後に、一言。大学で燃え尽きるのか、学連登録選手が社会人になって、トライアスロンを続行しないという現状について、競技スポーツではなく、生涯スポーツとしてのトライアスロンへの想像力を持つことを薦める。
さて、出席した50〜60名の諸君のなかで、どれだけ心にとどめおいてくれたことだろうか?


9月22日

21日朝、上京。神田の印刷会社精興社を訪れ、T先生自叙伝の印刷についての打ち合わせをかねての挨拶。その後、上野・寛永寺に眠る先生の墓前にて手を合わせる。表参道に戻って、神宮前のHBギャラリーに、装幀家であるKくんの個展を訪れる。彼がいたので、数年ぶりの会話を弾ませる。
雑誌は、書き手に「この雑誌に書きたいな、と思わせるものでないとあかんで」と今なお大阪弁で、まっとうな弁。編集子の情熱がこもらないと出している意味はないね、と耳の痛い指摘。我が身にもあてはまる。
関川夏央氏の小品をまとめた小冊子がワンコイン100冊限定だったので、一冊購入。
再び、西日暮里に向かい、私のボスの片腕だったアートディレクターのKさんと。知り合いのMさん(優秀なカメラマン、そして業界では知られたスタイリストだった奥さん)ご夫妻の経営するリストランテ(ライブもあり、写真スペースもあり、のすてきな空間)にて、夕食とともに歓談。写真家論も含めて、多弁のMさんの語り口に酔った時間だった。佐野 寛のメディア写真論は、ほぼ彼の編集である。もうすぐ2刷りに入るとのことで、期待してほしい、と。
特に若い人は、写真による表現論をきちんとおさらいしておかないと、実は前に進めないよ、と。
11時過ぎに息子のアパートへ。
NHKの「トップランナー」にソプラノの森麻季が登場。しばし、見入る。細い身体だが、相当な実力の持ち主。さすが、聞き手を魅了する力を持っている。

22日、永田町の議員会館に、S議員とI議員を訪ねる。ご挨拶なのでアポはなし。いずれも不在だったので、秘書の方に言づてして退出。
青山のJTUにて午後5時まで理事会。アジア大会の日本代表選手男女各2名が決定した。
また、財務面における堅固な組織になるよう、公益法人JTUは担当のK顧問の手によって、財務委員会主導のもと、再出発することになった。
そして7時すぎまで懇親会。品川駅、8時前の新幹線で帰神。


9月20日

ばたばたと淡路市へ。S理事長とM審判長とともに、午前中は専門委員会の会議。
午後、明日の東京行きのための準備資料をつくる。
夜、内田先生の聴講生である東大院生のIくんが来訪。女房殿の手料理とともに夕食。いろいろと知的刺激を受ける。


9月18日

20日の専門委員会に間に合わせるため、救護態勢のチェック。S事務局長とメールでやりとり。
夜、北京料理『第一楼』での西田光男展へ。埼玉・秩父にて、鍛鉄で工芸品をつくり、ロングのトライアスロンを愛好する文字どおりのアイアンワークのアイアンマン。灰谷邸の門扉を製作したとのことで、坪谷画伯とも交遊があるとかで、ご一緒した。
小さなお香立てを購入後、第一楼にて会食。お勧めのオードブルだけでもほぼ十分な量で、しっかりとした美味。紹興酒とともに、歓談の夜は更けて、でありました。


9月17日

愛知県蒲郡でのコンチネンタルカップをパス。JTU理事としては最後の見納めかもしれないので、行こうかとも考えたのだが、気力が奮い立たず断念。
事務所で、各種連絡。国体の救護態勢での意見調整。なんとか、うまくいきそうだ。
夕刻、これも何年ぶりか、若い頃いた出版社のYさん(当時の編集長)が、久しぶりの神戸なので、出てこないかとの誘い。
台風はどうなるのか、雨模様になりそうな三宮の居酒屋を2軒はしご。出版・編集、印刷・製本、社会風潮、思想など、4時間にわたって、存分に語り合う。熟知している大阪の版元での出版への誘いもあって、企画を売り込めばいい、と勧められる。

本にして世に出したい企画? いつのまにか、そういう眼で企画を考えなくなっている自分に気づく。
そこで、Quick Japan(太田出版)に連載中の『あるリトルマガジンに捧ぐ』。著者のKさんの連載もいよいよ最終コーナーにかかってきた。もし太田出版で出さないのなら、話を持ちかけることができる。

もともとお酒に強い人なのだが、同じ話が繰り返されるようになったので、切り上げる。これも齢のせいか。お互いに要注意。


9月16日

国体淡路大会の準備のことで手間どる。だんだんしんどくなってきた。気がめいることがクリアできないで、先延ばしだ。20日の淡路市での専門委員会をこえれば目処がつく?


9月15日

来週の東京行きでの調整。久しぶりに西日暮里の画家・Kさん(私のボス、KMの良き片腕だった元アートディレクター)に連絡。T先生の自叙伝の装幀を依頼するつもり。上野の寛永寺に眠るT先生をお参りした後、お会いする約束をする。


9月13日

12日。明石の坪谷画伯宅にて、明石の魚介の美味(いつもながら絶品!)をいただきながら花園大学非常勤講師陣が集まって、後期に向けての意見交換。1.17に集う意味合いなど、お互いの思いを語り合うも、社会的意味の論理づけができるかどうか、さてどうだろう?
帰途、明石駅のプラットホームにはまぎれもない秋風が吹いていた。

雨が降り出す。
県庁へ行く用事があったので、ついでに古書有文堂に立ち寄る。そしたら、あった。ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』上下2巻が半額以下の2000円。これ幸いとばかりに購入。
東京のFさんから手紙。2001年のエルジャポン創刊200号記念「ジャン・コクトー ナイト」の模様を伝えるカラーコピーが添えてあった。音楽あり、舞踊ありの粋な催しだったことが伺える。それでも、彼の持ち出しがあったというのだから、表向きの華やぎとは裏腹のなにやら文化の貧相さも伝わる次第。硬軟両派を抱摂するのはいとむづかしきことなり。


9月11日

911。
思い出すのは付随した人間関係。ある件で訪ねたカメラマンは不在で、家に帰ってテレビをオンすると、なにやらビルの火災らしき映像がライブで中継されていた。
これをきっかけに我社は定期の仕事を失うことにつながった。まさにふんだりけったりの911である。
富の象徴が崩壊させられ、技術の象徴が崩壊させられ、垂直民主主義の限界が露呈した。
世界で最も富める国が弱いものイジメをしているとしか思えないブッシュの戦闘姿勢がおぞましい。


9月10日

午後から大阪、フォーラム&シンポジウム「物と心と人間観と」「科学技術と生死観〜生命領域の技術化を問う」に参加。昨今の殺伐たる世情への提言ではあるが、問題はこんなことに関心すら向けない連中を相手に声が届かないことにある。


9月9日

朝の仕事を終え、暑さゆえ少し休んで、『憲法九条を世界遺産に』太田光・中沢新一(集英社親書)を読む。
太田光の「爆笑問題」って、お笑いコンビ、出始めた頃からちっとも面白いと思わないのだが、昨今は、時事問題、政治問題に突っ込んでいるらしい。はたして、小林よしのりに対抗できる存在になっているのだろうか? それはともかく、憲法9条の稀代のユニークさゆえに、遺産として守ろうという発想は理解できる。ジョン・ダワーの『敗北をだきしめて』を読む必要があるのかもしれない。
夕方から大阪へ。大重潤一郎監督新作ドキュメンタリー『久高島オデッセイ』を鑑賞。沖縄でイザイホー(島に生まれ、島外に出たことのない女性を頂点に、島内の女性だけが神と交わる12年に一度の神事。1978年を最後に途絶える)という神事を支えてきた関連行事を守り続けようとする島民の今を描いている。ニライカナイ(神は太陽の昇る東方からやって来る)を奉るこの神事も、現代では奇蹟だったと言えるかのもしれない。イザイホーはできないけれど、通常の神事はなんとか守ろうとする島民の表情は気高い。

世界が琉球王国だけであったなら、存続していたであろうイザイホー。男子禁制である一大神事の存在は、男女同権論者の立ち入るべきではない聖域といってもいいかもしれない。


9月8日

気が付けば5日も日記をつけなかった。

4日 JC・OBのF氏来訪。いつもの大丸美術展招待券をいただく。夜、HTA常任会議。
5日 T先生自叙伝の原稿の校正に入る。
6日 KSJ社にて淡路国体打ち合わせ。ほぼ3時間、終わると蒸し暑さのなかの雨。自転車を置いて帰る。夜、ギルガメシュ定例会。
7日 T先生のご遺族代表としてご子息、大阪・守口にあるS電機の役員なので本社に伺う。とてもスマートな紳士、学習院らしさが大阪で馴染むのは大変ではなかったろうかと想像する。書籍のサンプルをお見せしながら、完成本のイメージをつかんでいただく。21日には、東京の印刷会社S社へ出向く予定。長年、愛着のあるS書体を使えることが無性に嬉しい。この書体は、日本の出版文化の粋だと思っているからだ。
8日 まるで熱帯のように蒸し暑い。


9月3日

忙しい月末だった。仕事がすんなりいかなったせいもある。
おまけにドジは踏むし(今日、5時半の始発で出かけたのに奈良の会場地を間違える)、帰ってきてもイロイロあって、疲れた。

話は変わるが、FMで聴いた藤原由紀乃というピアニストは良い。バッハのトッカータが、なにか心に沁み入るのだ。ブラームスのパガニーニもそうだった。
検索にかけてみよう。


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