混迷亭日乗 Editor's Diary

8月29日

月曜日、淡路島海峡公園にて、ほぼ半日費やす。関係者と一緒に国体コースのチェック。辺りは夏休みとはいえ、平日の公園。人氣(ひとけ)はほとんどない。まだまだ強い陽射しで、ぼーっとする。いったい私は何をしているんだろう?
旧国道があった時代のことを思い出す。神戸港から洲本まで船で3時間強だった。

今日は、事務所で原稿の修正。やはり疲れる。
夜、息子が送ってくれた北海道の味覚、タラバガニ、ホタテ貝、エビなど、うちだけでは食べきれないので、ご近所のFさん宅でお食事会。生だったので、やはりみずみずしく美味。しかしタラバのトゲは鋭い。9時半頃から始まったので、帰宅したら12時。なんでも、息子は明治大学マンドリン部の北海道ツアーに客演しているらしい。函館、小樽、苫小牧、そして帯広だそうだ。人知れず気づかってくれているのか。感謝!


8月28日

日曜日。4時50分に目が覚めて、もう一寝入りがあだに。起きたら7時。あわてて、出かけたが、開会式にはたぶん間に合わない。おまけに、難波駅から急行で羽衣駅で降りてしまい、何やら駅前の雰囲気が違うのでおかしいな、と思ったら案の定、一駅前の浜寺公園で降りるべきだったのだ。汗をふきふき歩いて戻る。着いたら9時10分を過ぎていて、40分の遅刻。ま、来賓ということなので、許していただく。
第3回キッズトライアスロン浜寺公園大会。今年も200人近い参加者で盛況。バイクで転んだ子もいたけれど、ほぼ無事に終了。直前に、ウェブで知り合った吹田の中学生Kくんがジュニアの部で3位に入賞。立ち場が逆だったら、どんな氣持ちだろう、と考えてみる。
表彰式には地元堺市のチアリーディングクラブのジュニアが賛助出演。華を添えてくれました。

帰宅後、近くのPIスポーツセンターの50mプールに出かけ、ひと泳ぎ。2年ぶり? に休み休み1000m。水の冷たさがここちよかった。ほどよい疲れが、また泳ぎたい、と。


8月26日

朝5時半。虫の音になった。
仕事、メイの散歩を終えて、ママチャリで青谷まで一走り。ところが、思いの他、坂がきつい。特にJRを越えてからというもの、立ちこぎをまぜながら汗だくの自転車となった。前の近代美術館、王子動物園から葺合高校、海星女学院、青谷の坂はきつい。あらためて神戸で変速機のない自転車が普及するとは思えないことを痛感。ロードレーサー、MTBとはエライ違いである。

Sさんとともに2度目の青谷の滝行。般若心経の暗唱はまだまだ。しかし、滝にあたっている時間は氣持ちよく、指先もしびれなかった。でも、これは今だからこそなんだ、と。これから秋、冬と、果たして耐えられるか?

帰りは一気の下り坂。ブレーキ音が氣になるほどで、帰宅後、事務所。昼食後、昼寝。夕方まで事務所。という一日であった。後は知らない。


8月25日

月例の置塩医院。先月の検査結果、コレステロール261と肝臓の数値に注意、とのご託宣。といって、今以上、脂をとらないようにするしか手がないもんな。さて、今日の検査結果はいかに。

JTUのA理事長より電話。2016年オリンピック開催立候補都市国内選定日は30日。競技団体も東京か福岡か1票を入れる。JTUの場合、猪谷会長がIOCの副会長でもあり、この問題については最も判断に相応しい人なので、一任だ。
しかし、20人の理事、一人ひとりの意見も聞いておきたい、とのこと。

迷わず「日本から立候補するなら福岡だ」と伝える。理由はいろいろあるが、2016年は多分、勝てない。南米という未開催の大陸があるからだ。だとすれば、世界で勝てる都市という概念そのものがもう次代にそぐわない。小さな都市でも開催できるオリンピックでなければ、真のオリンピック・ムーブメント(スポーツを通じての世界平和)からはほど遠いものになるのではなかろうか。


8月23日

処暑。朝5時半。この時間、蝉時雨はもうない。

神戸大丸に勤務するI理事の紹介で、急成長の女児アパレルファッションメーカーの社長に会う。ジュニアトライアスロンの大会協賛のお願い。だが、ターゲットが2歳〜6歳(就学前)なので、理由づけがむずかしいことがわかった。これに懲りることなく、ダメモト精神で行くしかない。

月・火とほぼコピー書きで終日。
T社の社内報の制作は10月以降になるそうだ。

息子の新トリオ、トリムルティのデビューが東京・新宿のライブハウスで決まったそうだ。ピアノ、パーカッション、そしてクラリネット。レパートリーは、クラシック、ジャズ、ラテンとなにやらコンテンポラリー気配。

3月下旬に指爪を挟んで内出血していた「淡路島模様」がついに消えた。5ヶ月かけて爪は1cm生成したことになる。ひとのからだは、一日たりとて同じではない。あらためてそう思う。


8月20日

ファッションタウン児島第8回倉敷国際トライアスロン大会。
金曜の夜半、一年ぶりにカヌーキャリアをルーフにセッティングするのに汗だく。
朝8時に三宮でHTA常任理事のYさんをピックアップして、まず倉敷のお隣の早島町へ。明石を過ぎた辺りから雨になりだし、播州はずっと雨。備前に入り嘘のように晴れる。
早島町の役場の向かい、ゆるびの舎を訪れ、玄関ロビーの吹き抜けに設置されている造形作家・高田有子(現・YUKO TAKADA KELLER)の「ハンモックムーン」(1998)を鑑賞。中空にトレペで小さな三角錐がたくさんテングスで吊るされ、集合体としてハンモックが月のように浮かんでいる。微妙な風に、揺らぎながら、総体として、レモンイエローとグレーのダブルトーンが柔らかな風情を醸し出している。
それにしても、緻密な作業と想像の豊かさのかけあわせに、一驚。

スイム会場の児島競艇場にて、コース設定を確認。受付、車検、開会式、競技説明会、そしてカーボパーティ。今年から、倉敷市も積極的に関与して、10回大会まで続けることは決定している。地元ボランティア3500人は、全国一だろう。
宿では、近畿・四国からの応援も含めて総勢56名の審判団の食事会及びミーティング。終わったときには、11時近かったので、すぐ就寝。

当日、4時半起床。しかし、3時すぎから断続的に目を覚ましていた。5時に弁当で食事、岡山県協会のK会長が手配してくれたタクシーで、6時過ぎに会場へ。
今回は、スイムのフライングがないように、スタートラインを一艇で押さえることになったので、何度かシミュレーションを行う。
本番は4組のスタート、いずれも整然としたスタートで、無事役目を終える。
その後、最後尾の泳者についていく。時折近づいては、状態を確認しながら、ついていく。
最終組がスタートして、10分もたたない頃に、一人の泳者の合図を確認。リタイアの意思をコースロープ内側のカヌー艇に伝え、救助艇がかけつけ、素早く対処。ほっとして、次いで後尾の泳者数人を目視しながら、カヌーを滑らせる。
1500m・1時間の制限ギリギリで泳ぎ終えた選手にはスタッフ皆で拍手。

スイムさえ終えれば、生死に関わる大きな事故はまずないので、一安心。
スイムは、今までそこにいた人が、一気に他界する可能性があるので、いつも死と隣あわせであることを意識

ここで、アップロードしてしまったらしい。

せねばならず、どこか重苦しいものを感じざるをえない。ハートアタックは、頑健な心臓にも突如やってくるのだから。

後は、随分気がラクになって、本部とペナルティボックス(違反した選手に注意と時間を与えるコーナー)を行き来しながら、無事競技が終わるのを待つ。

表彰式を終え、急いで帰宅。シャワーを浴びてソッコーで箕面観光ホテル(なにやらあやしげな増築で奇怪な建物だ)でのカントクというあだ名のMさん(バリ島在住/昨年、バリでお世話になった)の個展記念パーティへ。
40分遅れで到着、まさに宴たけなわのところ、すぐに声をかけてくれたオジサンがいた。
初めて大阪ミナミの宗右衛門町で会ったときは学生服の高校生だったOくん。Mori's formでの想い出が蘇る。今は、カップやバッジの製造・卸の社長さんだった。けれど、精神世界にも興味あるらしく、帰りに大重監督の新作映画のチラシをいただく。
さらに、ギニアのバングラケの神戸公演のときに、声をかけてくれた女性Yさんにも再会。今度はちゃんと、お仕事も聞いて、「論々神戸」の読者になっていただく。エチオピアがステキなところだと太鼓判。

こじんまりとした小宴だったけど、パカパカ食べて、カントク自作の小豆色のツートンカラーのタイパンツを記念に購入して、ほろ酔い機嫌で、下界へ降りてきた。


8月17日

高校野球のラジオ中継を聴くともなしに小さく流している。
今年は終盤に大逆転という試合が多いようで、これがあるから皆さん、好きなんだなあと思うのだが、今日の試合には仰天した。
智辮学園和歌山vs帝京、8回・9回で15点も入っての逆転・再逆転。なんということだろう? しばし、手が止まってしまった。

北方領土貝殻島付近、ロシアが密漁船を追撃して、警告射撃、日本人船員が一人射殺された。
お互いのナショナリズムが喚起されることが次から次へと起こってくる。


8月15日

敗戦の日。そして小泉首相は靖国神社へ公式参拝した。肯定も反発もすべて想定内のことだったようだ。
夕方、とはいえ、夕陽が厳しい西区の墓苑へメイと一緒に出かけて墓参り。ほとんどは家族でする墓参り。女房殿は塾の講師なので、なんだか一人だと侘びしいものである。南に見えるはずの淡路島はぼーっと霞んでわからなかった。


8月14日

気温がぐんぐん上がる。午前中、母宅にてお坊さんに読経していただく。父の仏前にてお参り。母の術後は順調で19日に抜糸することになった。
午後から事務所に戻り、修正原稿を作成し、デザイナーのMくんに説明し、渡す。
ともに中学まで野球三昧だったのだが、丹波・柏原での想い出話を少しする。
女房殿は臓器移植の件で電通へ。

このところ、夕方のポートアイランド2期の道路を走ると、影がずいぶん長くなってきている。蒸し暑さは夏そのものだが、一日一日秋へと向かっている気配。
誰も歩いていない道路を走っていて感じるのだが、立ち入り禁止のフェンスが続き、未整備の空地の無彩色が茫漠たる精神の荒野を思わせ、向かってくるクルマが一瞬、操作を誤り突っ込んでくる幻想にとらわれる。昇天ですめばいいが、半身不随はイヤだな、などと、しょうもないことが浮かんでくる。冴えない話。


8月12日

10日は、妹も勤めが休みだったので、姉妹全員が集まり、母の退院祝い。叔父たちも集まり、法事の様相となった。

11日夜、大姉が帰福。母も落ち着いており、もう日常に戻るというか、大丈夫のようだ。

お盆休みが始まる。午後から事務所で原稿の修正。
夕方、メイと女房殿と一緒に明石松江海岸へ。海水浴場の隣、6時半だったので誰もいない砂浜で、しばし水遊び。すぐに海に入らなかったので、さすがに歳のせいかと思ったのだが、女房殿がほうりなげたら、海に入っていって泳ぎ、短い棒を捕っては持って帰ってくる(レトリーヴ retrieve)。まさにラブラドル半島のレトリヴァー、である。まだ本能は衰えてはいない。来年の夏は、どうだろうか? ふと、心配がよぎる。
帰りに明石焼をいただいて、夜風を感じながら、9時に帰宅。

なにげなくNHK教育で、この春亡くなった黒木和雄監督作品を扱ったドキュメンタリーを見た。戦争を描いた3部作『美しい夏キリシマ』『父と暮らせば』『紙屋悦子の青春』を中心に、助監督や評論家や俳優たちがコメントする。
グラマン機銃掃射によって頭を割られた級友をそのままにして、逃げ帰ったトラウマをかかえて戦後を生きてきた黒木監督の実相に迫ったもので、通り過ぎてきた監督作品への理解を進めた。

戦後61年、この夏の戦争を考える一編である。


8月9日

ナガサキ原爆から61年の日。追悼式典の実況を聞いていて、被爆者の切々たる思いのスピーチとヒロシマに続く小泉首相の早口ぶっきらぼうのスピーチの好対照。

母が退院。次姉がつきそってくれ、福岡の姉もかけつけてきてくれた。
夜、母の自宅へ。術後、2日目とは思えないほど、回復している。
母が寝付いた後、姉たちの周辺の話を聞いていると、やはり介護のこと。うまくいっているところのほうが少ないような気がするところからも、なにやらうすらさむい血縁を感じざるをえない。
現在、朝日新聞夕刊に連載中の『悪人』(吉田修一)は、佐賀、長崎、博多といったところが舞台。長崎出身だけに、さすが地の会話がリアリティに富んでいて、珍しく読んでいるのだが、出会い系サイトでの結びつきから始まる悪夢の世界が広がるのも、血縁の濃さがコミニケーションの希薄さをうむというパラドックス、田舎であるがゆえの都市情報との落差に対応しきれない欲望のいきどころのなさと関わっている、と感じさせる。
ほんのちょっとしたヴァーチャルなきっかけが、現実の酷薄さを生んでしまう歯止めのなさ。ブレーキのかかる倫理はここにありはしない。


8月8日

県庁近くの企画会社からの帰り、古本屋に立ちよると、古山高麗雄の『二十三の戦争短篇小説』がなんとワンコインの500円。芥川賞の『プレオー8の夜明け』も入っている。年譜を見ると、母と同じ大正9年(1900)の生まれだった。
夜、病院へ。母はベッドに腰かけて叔父と話していた。昨日に比べると随分元気そうに見える。
面会時間を過ぎて退出。しかたがないとは思うけれど、病気の話に終始するのは正直つらいものがある。


8月7日

母の摘出手術、無事終了。7時頃、病院へ。高齢のため局部麻酔で行われたが、ひどい痛みでなくてよかった。手術の緊張が緩んだのか何度か排便が続き、立ったり寝たりで疲れたのだろう、眠りたそうなので午後9時過ぎには退出。順調にいけば9日にも退院できるということだ。
今日も叔父二人(母の弟、在阪神間)がお見舞いに駆けつけてくれた。明日には、福岡の長姉がやってくる予定だ。


8月6日

土曜日。午後から事務所で、原稿のまとめ。夕方、デザイナーのMくんに送信。
そういえば神戸花火大会。午後7時半過ぎ、中公園の木立の上に花を開くものだけをメイとともに観る。メイは我関せず、芝生の上でくつろぐのみ。

今日。原稿かき。一応仕上げたものの、送付せず。明日、推敲したものを送るつもり。土・日ともに、原稿の後、ジョグを50分弱。蒸し暑さのためか、体重は62kgになっている。
女房殿は今日から3日間、阪大で英語のブラッシュアップ研修。英語の初等教育での必修に突き進む研究者たちの英語原理主義にも似た思考様式に、ダメを出す。


8月4日

飯田眼科。視野検査。もう3年。比較すれば3%の下落。薬をさし続けての結果である。

夜、乳癌手術のため入院した母を見舞いに神鋼病院へ。次姉夫婦と叔父(母の弟)に出会う。8時の面会時間までいて退出。執刀日は7日。1〜2時間で済むそうである。


8月1日

花園大の学生のコメントをチェックし、朱入れする。ほぼ一日仕事。

夜、デンマーク在住の造形作家、YUKO TAKADA KELLERさんのレクチュアを聴きにギャラリー島田へ。会場で、農業倶楽部のOTさんや復興塾のOUさんに久し振りにお会いした。お互い、震災で知り合ってから、11年になる。当然、「白髪増えましたねえ」という時候の挨拶。
北欧のアート・シーンは、市民社会によって育てられている実情を知る。もちろん実力があって、のことだが。小さな国でも成熟すれば、それを停滞というのだろうか。さらには、君臨するはずの女王陛下が直々にお出ましになって、寒風吹き荒ぶ野外展覧会で作家とトークする、なんて。

YUKOさんは、単なる作家にあらず、プロデュース、ディレクション、広報、マネジメントもやってしまうスーパーレディだ。
彼女の作品が岡山県早島町の町民会館にあると聞き、確か倉敷の近くだと思うので、この19日に寄って見てみようと思う。

企画してくれた画家・井上よう子さんとは京都芸大の同期生。彼女の作品も好きなので、終了後の小宴もあって、とても楽しい一日であった。


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