混迷亭日乗 Editor's Diary

7月30日

早朝から京都・西京極アクアリーナでのアクアスロン大会に行く予定が、少し遅れて出掛ける。審判の仕事ではないので許していただいて、表彰のプレゼンターを勤めることだけさせていただいた。今までで一番スムーズに行われたようで、京都府協会もほっと一息、というところだろう。お隣の西京極スタジアムでは、高校野球の予選が行われているのだろう、盛んに応援の歓声が聞こえていた。

梅雨が明けたそうだ。

7時からは、二期公園緑地で、ご近所のFさん夫妻と一ヶ月ぶりにお魚BBQ。暗闇とはいえ、ランプの明るさで十分。そよ風もなかったけれど、人工小川でも立派なせせらぎ、耳に心地よくて涼。メイも水浴びで涼。


7月29日

「神戸からのメッセージ」の原稿のため、須磨浦公園駅へ。春の桜の季節ではないし、土曜の午前中といっても、もう11時台だったから、行楽客も少ないような。
ロープウエイをしり目に、スタコラと坂道を歩いて、針伏山頂をめざす。歩き始めてすぐに、「春の海 ひねもす のたりのたりかな」(蕪村)の句碑。いかにも瀬戸の内海は凪いでいるよう。ただ、陽射しがきつすぎる。玉のように汗が滴り落ちる。……、お後は雑誌のほうで。

結局、神戸電鉄の鵯越駅まで歩いて、菊水山上りはパス。後は電車で帰還。でも、どれぐらい歩いたのだろう? 4時半までかかってしまった。足裏が微熱を持っているみたい。早速、ぬる風呂でケア。
夕方、竹内ヒロクニさんの個展の記念トークに出掛けるつもりだったが、さすがに疲れて気力が立たず、沈没。


7月27日

アマゾンで頼んでいた『耳かきお蝶 第2巻』(湯浅ヒトシ)、堀江敏幸『おぱらばん』が到着。まずは耳かき、江戸時代の考証も行き届いて、喜怒哀楽の描線タッチも極端でおもしろく、基本的には人情ものなので、ホロリもあって、いいなあ、耳かき。
実際、母であれ、妻であれ、恋人であれ、娘であれ、膝枕の心地よさは至福である。安心と信頼が二乗になって訪れる。このしあわせを知らない男? そりゃあ、残念なこって。

堀江の「おぱらばん」(1999)。タイトルがいったいなに? だったのだが、読んではじめてわかった。auparavant オパラヴァン、以前という意味なのだが、フツーは、avant アヴァンをつかうので、類推できなかった。なぜ、「おぱらばん」なのか、読めばパリ在住居留民である中国人のひとかどの哀しみがひたひたと伝わってきた。

血液検査の結果。血糖値139。ヘモグロビンa1cは6.0%、コレステロール高めで261、善玉hdlは87。まあ、よしとせねばならない結果だった。


7月25日

月に一度の置塩医院。遺伝というのは功罪合わせて引き受けなくてはならないものだが、あからさまに「薬とともに生きていかなくては」と宣言されるとさすがにメゲル。
 それでも、この程度ですんでるんだからと、自らを慰撫するのも、ノーテンキな証左。


7月24日

遅ればせながら堀江敏幸『河岸忘日抄』(新潮社)を読了。なんていうのか、たいしたことは起こらないのだけれど、関わる人物像がちょっとクセありで、風景のなかで出てくる連中もなにがしかのいわくありげで気になるし、世界は連想ゲームで繋がっているようにも思えるし、繋がれていて中空に浮かんでいるような存在感が、うねるような文体のリズムにのせられて心地よく、繊細な感受性を持つひとへの憧憬もあって、なんだか世界から取り残されても平気なような気がする。
世の中は、前進と決断の世界だけじゃない、予見できる世界にはそぐわない人々の生きている証。

雨の日の休日のように、誰もいない静謐な空間だけがそこにはあった。


7月23日

なぜか、身体がだるい。午前中、事務所にて雑用。昼食後、またしても横になる。これじゃいかん、と意を決して、ジョグ。走り出しがしんどい。ひょっとして、一年前のイメージが蘇る。高血糖の再来かよ、と。
しかし、走っているうちに、そうでもなくなってきて、神戸空港橋を渡る頃には坂を坂だと意識しない程度に足が出て行くようになった。結局、62分走って、雨のなか帰宅。

夜、NHKの「ワーキング・プア」というドキュメントを見る。この春先の時点での話だが、「棄民」という言葉が浮かんだ。
額に汗して働いて、生活保護レベルの生活を保持できない。誰だって、いつ転落していくかわからない、世の中になっている。もちろん、私だってその範疇に入る。会社経営者、自営業の悲惨な末路は、掃いて捨てるほど転がっているのだから。


7月22日

朝から珍しく快晴。
午後から、内田先生が講演するので女房殿とともに神戸女学院へ。蝉がここぞとばかりに鳴き始めている。
今ではどこの大学を行っているオープンキャンパスの一環ではあるが、女子大効用論をどのように展開されるのかを聴きにいった。
女子大一般より、むしろ神戸女学院の良さに結論づける方向へのお話。曰く、風水的によい、寮生活を送るとコミュニケーション感受性(場を読む力)が鋭敏になる、時間の守護者、つまり流れて行く時間のなかを生きる術を知る女性を育てることが女子教育の本源的責務だとおっしゃるのだ。
帰宅後、遅い昼食をいただいたら、走ろうと思っていたのだが、ちょっと横になっていたら、そのまま7時半まで爆睡。


7月21日

名ばかりで申し訳ないが、理事をしているNPO法人アスロン(体育、スポーツの家庭教師)の芦屋教室開校の日、開設記念の小宴のため少し顔を出す。

というのは、心斎橋で西アフリカ・ギニア出身の打楽器奏者モハメド・バングラケのライブがあるからだ。この師のワークショップに娘はお世話になっている。大阪、名古屋、東京と打ち続く。
後藤材木商店(?)という名のショットパブというのだろうか、小さな小屋だが約30人ぐらいで熱気ムンムン。
お見事としかいうほかはない、人間業を超えたパーカッション、リズムの解析は不可能と思えるほどの拍子が小気味よいほど空間に響く。初めてリアルな踊りを見せてくれた国立舞踊団のアムナタにしても、ないかが馮意しているとしか思えない原始性を発露している。

もっと大きな小屋で、複数の奏者、ダンサーの乱舞を見てみたいものである。誰か、スポンサードしてくれないものだろうか?


7月19日

昨日中に講義用のレジュメを作り終えていたので、余裕をみて久し振りに阪急ででかけたのが、失敗だった。
三宮、十三、高槻市、桂と4回も乗り換え、大宮で降りたとき、H大(花園)最寄りの市バスの停留所名がわからず、駅員に花園に行きたいと言ったら、「そこの出口上がって右向かいのバス停から乗ればいい」というので、飛び乗った。JR二条駅を通過して、千本丸太町を過ぎ、しばらくだと思っていたら、やはりバス停の名前がわからない、たしか千本仲立売だったか、と思って降りて少し歩いたのだが、どうも風景に見覚えがない。
向かいの本屋にとびこんで京都の地図で確かめたら、オーノー、一本西の西大路通だった。タクシーに乗るためには万札をくずさなければと思い、新刊で目についた故・杉浦日向子さんの『ごくらくちんみ』(新潮文庫)を求めて、タクシーで大学へ(結局、JRよりも高くついた、トホホ)。ぎりぎりセーフとあいなった。2時間かけての京都行き、おかげで、学食の冷やしうどんを食い損ね、空腹で講義を乗り切る羽目に。

「編集の技法」というテーマで講義を終えた後、一年前の受講生のNくんと講師の坪谷さんとともに、飲み会。彼は、今年卒業し、意に添わない自動車販売の職を得て3ヶ月、ノルマ(月間3台)がきつくて、ようやく一台成約できたところ、という。でも、「あえて自分に合わないと思える仕事について、試してみたかった」と、その言やよし。
仕事の向き不向きなど、実は不確かなもので、意外や意外ということだってある。少なくとも、四季を経験してから、でも転職は遅くない、と進言。会社生活してから、後に文筆活動に入った先達だって多いのだから。


7月17日

7時半頃から雨が降り始め、梅雨時の雨らしく激しく降る。振替休日ということだが、事務所で昼過ぎまで作業。
昼食にパスタ・ペペロンチーニをつくり、その後、堀江敏幸の『河岸忘日抄』を読み始める。パリ・セーヌ河岸での繋留されたボートが居場所となった地位不安定な研究者(予備軍?)の暮らし。まだ序盤なのに、なにか不思議な現実との関係性のなかで、主人公の思考は揺れ動く。なにかが起こりそうな気配。


7月16日

土曜日。いつものように朝のお仕事、メイの散歩、食事を終え、事務所で調べものがあったので、ついでに捨てるものを少し整理。
昼食後、カンカン照りのなか、ロングジョグ。1時間12分、約12km。北公園から神戸空港折り返しというコース。陽がおちてから走る方がいいのは確かなのだが、過酷な条件下での動きも体験しておかなかれば、からだはわかってくれない、のである。
いつもの年はひわさうみがめ大会に出かけているのだが、今年は要請がなかったのでパス。

夜は、映画『イノセント・ボイス』へ。12歳の少年兵という存在に打ちのめされた。1980年のエルサルバドルでの実話を元に描かれた内戦という過酷な状況下での少年たちの暮らし。
ここでも、アメリカがなぜ世界から嫌われるのか? がわかる。まともに貧困と相対しないで、軍事政権を後押しし、牛耳る富豪たちの自由を尊重し、中米に社会主義政権なるものを樹立させたくないから、に尽きる。

何度も涙がこぼれてくる。戦争の理不尽さ、恐怖で人間が壊れていく。
世界ではいまなお、30万人もの「子ども兵」がいる。
軽量のカラシニコフ銃がそのお先棒を担いでいる。そこでは製造物責任は問われない。

今朝はメイに6時半に起こされる。オイオイ、頼むよ、たまの日くらい寝坊させておくんなはい!
娘を神戸文化ホールに送り届け、なくしたケータイ、連絡がないので、機種変更で三宮へ。最新機種は重装備でパス。とすると乏しい選択ではあったが、Black & White Stripesのゼブラ模様の軽いものにした。ポイントがかなりあったらしく、0円であった。
その後、昼前に、母のいるショートステイ先を訪問、ご機嫌伺いする。20日まで滞在するので、また行くことにする。
朝の反動で、昼食後、本を読みながら爆睡。起きたらすでに夕刻だった。


7月14日

昨夕、姉と妹が事務所に来訪。母が乳ガンの手術をすることになった、という。齢83にもなる母に手術とは、とは3人が3人とも思っていたこと。しかし、医師の診たてによれば、術後の心配もないというし、リハビリのきつさもほとんどないし、術後も退院はすぐで日常の生活に戻れるというし、で、結局、了解したとのこと。担当の医師の所属するOクリニックは、神戸高校陸上部の一年下の後輩が経営する病院。
そもそも初見したK医院のK医師は診断の的確さに定評のある人で、我々も診断を経験しているし、彼の紹介がOクリニックだったというわけなので、了とするのも当然。7日入院、11日剔出手術という予定。

猛暑になった。ここ2日ばかり、寝汗で眼が覚める。?


7月13日

そうか、10日間もほっておいたのか!
ということでメモ程度に記す。ちなみにジョグは12日ぶりとなった。軽めの夕食が続いたせいか、体重は63kg台を維持している。

3日 夏休みに入る前にギャラリー島田を訪れ、論々神戸のこと、あらためて寄稿をお願いする。次いでリ・フォープのM理事長を訪ね、近況報告。

4日 大学院は昨今の本屋事情。ジュンク堂書店でアルバイトに励む院生Yさんによる現場報告。帰りに、同じく鍼灸師でもある院生のYさんを自宅に招待。女房殿の肩と腰を見ていただく。知的好氣心の旺盛かつ細やかな気配りも合わせもつ女性だ。

5日 ギルガメシュ例会。16日の皆生大会への応援体制を決める。私は行けない。

7日 大阪・心斎橋ザ・メロディのMを訪ねる。CDの売り上げは激減。しかし、夕方からの団欒場として機能しはじめて、飲食関係の売り上げは増加。
夜、水道筋のうどん屋さんがライブハウスに変身。同じ大学院聴講生でIくんと一緒に牧師のKさんのライブへ。ゲストは会津若松の歌姫サミーさん。スタンダードな曲を中心に2時間たっぷり。芸は身を助ける。

8日 会議の資料をつくりあげ、午後から近江高島へ。夕刻から会議、終えてから宿泊組で夕食をかねての懇親会。近江牛のスキヤキだったのだが、野菜中心にたっぷりいただいた。

9日 びわ湖トライアスロン大会。滋賀県の協会会長、田島議員とともに川端達夫・前民主党幹事長にお会いして、大会へのてこ入れをお願いする。午後、大会を後にして、一旦帰宅。携帯電話の紛失に気づく。たぶん電車のなかか、山科駅のトイレでシャツを着替えた際に置き忘れたか? 
その後、次姉宅を訪問。7時頃に帰宅。

10日 彫刻家、故・富永直樹先生のご子息(S電機役員)より電話。来年4月の一周忌にあわせて自伝を完成させたいとの由。早速、最終原稿を再プリントし、送付する。いい本に仕上げるのがなによりもの供養だと考える。

11日 とある企業の社内報の企画案を一本。大学院は、明日のH大の講義レジュメ作成のため、間に合わず、打ち上げだけに参加。内田先生宅で、わいわいと。内田先生、中学・高校の頃、ドラマーになりたかった、とは初耳の話。サンタナのドラマーのサウンドを聴いて打ちのめされて、「俺には才能ない」と断念したそうな。

12日 H大学での講義。約90名の学生たち。課題を与えて、とにかく意見、考えを書かせてみる。結果、返事が大変な作業になりそうで、、、苦笑。
夜は、大阪・玉造で趙博さんのひとりキネマ「パッチギ」(04 井筒和幸監督)のプレビューを鑑賞。2時間強におよぶ大熱演。
帰宅は午前様とあいなった。


7月2日

土曜日。早朝の仕事、メイの散歩、朝食といつものように。その後が読書。『いのちを纏う 色・織・きものの思想』志村ふくみ・鶴見和子、2004年5月の二日間にわたる対談がまとまったもので、今年4月に刊行された。
お二人とも齢80を越え、とにかく語り尽くしておかなければという切迫感がみなぎっていて、実に鋭く重い。「きものの思想」は世界に誇りうる文化・文明であることの再認識させ、いまという時代にうまくつきあいながらねじふせていく方策をも語り合う。裂帛の気合いというものも感じさせていただいた。今年の上半期の大収穫。
夕方、HATまでジョグ。往復66分、南から見るHATの風景、東から見る三宮高層ビルの風景、復興副都心の象徴なんだけれど、海の淀みと同様、なぜか物悲しい。

日曜日。どこにも出かけなくていいオフである。
ミクシイという日記のほうにも書いたが、散歩に名を借りて、メイとマーラーの交響曲3番、鬼平犯科帳19巻ですごした1時間45分は充足していた。一時の鬱を忘れる時の流れ。
その後、夕食はポートアイランド二期公園地区でアウトドアでの魚料理。Fさん夫妻とともに薄暮の晩餐を楽しんだ。


03年3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
04年1月
2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
05年1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
06年1月2月3月4月5月6月いま