混迷亭日乗 Editor's Diary

6月30日

ついに今年もすでに半分を過ぎる。いったい、何をしてきたんだろう、といみじくも考え込む。しかし、別段解決法があるわけでもなく、生きているだけでコストがかかるという現実があるのみ。


6月29日

画家の坪谷さんから連絡。今年のH大での講義の状況についてのコメントをいただく。一回目をどのようなものにするか、検討することにする。「憲法9条」への新たな視点・論点提示もおもしろいかもしれない。
夜、ゆっくり52分のジョグ。


6月28日

火曜日。蒸し暑い日。女学院の岡田山をゆっくり上がるだけで十分に汗をかく。発表は東京からやってきた鍼灸の資格を持つ院生のYさんによる陰陽宇宙の世界。当然、生と死をどうとらえるか、西洋医学と中国漢方医学とのバランス問題に言及していくわけで、病気持ちゆえに身につまされる話。
薬なしではインシュリン分泌が正常にならないとすれば、すでにそれが常態になっているわけで、時間は不可逆なのだから薬なしの身体に戻ることは、よほどの節制でもしなければ、もうないのかもしれない。それもすでに手遅れなのかも。
終了後、打ち上げ飲み会。参加する皆さん、女性も男性もそれぞれに節度のある人たちなので、お話していても心地よく酔える。

今日は女房殿の誕生日。娘が夜行のバスで東京経由、日光・尾瀬(アフリカン・ダンスのワークショップ。ギニア出身シドニー在住の太鼓の名手、バングラケが来日しているので集中レッスン)に行くものだから、夕方からケーキやらプレゼントやらでばたばたしてしまった。二人だけでケーキ食べる(もちろんカッサレード。私にとっては実に久し振り)のはなんだか寂しい。が、これからはこのスタイルがフツーになっていくわけだ。


6月26日

WCの結果、長くなるのでここでは書くまい。書くとサッカーだけのことじゃなくなるから、辛い。

土曜日。朝の仕事を終えて、またしてもグリーンピア三木へ。すっごく好天。大会準備のため、3時までいて、一旦帰宅。大阪・淀屋橋へ。
招待していただいた水越典子さんのフルートリサイタル。場所は大阪倶楽部という昭和初期の重厚かつ年期の入った気品のある建物。女房殿によれば、関西電力か大阪瓦斯のOBが利用する倶楽部だったとか。
雰囲気のあるなかでフルートが響く。柔らかくも鋭い音色が空間を包む。観客にはお弟子さんたちが多いのかもしれないが、アメリカとフランスの作曲家の作品で構成され、ジャズから現代音楽まで幅広い楽曲。コープランド、グリフェス、ラベルなど、初めて聴く作品から馴染みのあるものまで、いい機会を与えていただいた。後で、お電話をいただき、ムチンスキーの作品を所望した件で、「そんな作家の作品を知ってらっしゃるなんて」と驚いてらした。もちろん、こちらはクラリネットでしか知らないのだが、共通する点があるかもしれないと思ってのことだったのだが、実際、フルートの作品もあるようなので、これもまたご縁か?

日曜日、早朝から再びグリーンピア三木へ。予報より早く、雨が降り始め、ほとんど雨のなかでの大会となった。当然、バイクでのスリップは予想でき、落車が多くなってしまったが、骨折等までにはいたらず、ほっとする。
ジュニアからシニアまで370名ほどの参加で、施設民間運営委託の一年めは成功裡に終わったといっていい。とりあえず、ほっとする。


6月22日

雨。あまりにも有名な「そうだ、京都、行こう」というキャンペーン。それにちなむわけでもないが、京都へ京都へと眼を向けさせる企画が続く。折しも、5年連続で京都への観光客は増加した。昨年は愛知万博の影響もあり、外国人が急増、50代が多く出かけたという。リピーターも多い。
「京都にしかないもの」を求めて、人は動く。
雨の中、ポートライナーの橋脚の下を軽くジョグ。あまり濡れないので助かる。夕食は冷蔵庫のあまりものでなんとかつくる。
明日、未明の日本vsブラジル戦、早起きすればいいだけのことなのだが、今回は気乗りがしない。
何が起こっても不思議ではない、とも思うが、反面、完膚なきまでにやられる予感もする。
祈るのは、ホントに「samurai blue」になれるか? ということだ。
そういえば、JOAで知り合った首都大学東京のM先生が「なぜか、サッカーはナショナルカラー(もちろん白と赤)を使わないんだよなあ」(苦笑)と言っていたことを思いだす。
「samurai
」になってほしい、と祈るのみ。


6月21日

「神戸からのメッセージ」の次号原稿を脱稿。初回はこの間の青谷・滝行の話。自然のなかの神戸の魅力を見いだしてゆきたい。

息子からプレゼントが届く。社会人になってはじめてのこと。父の日は見事に忘れられていたな、と思っていただけに、うれしく裏切られた。


6月20日

蒸し暑い。大学院、今日のテーマ日本の中小企業。公認会計士のMさんが自身の取引先の中小企業を例に、ニッポンの企業の良さをあらためて強調。
儲けに走らない、リストラしない、正規雇用に努める、個人的蓄財をしない、という特長が企業を生き延びさせている、という。
内田先生も、自らのビジネス経験からして、「正直と信頼」がビジネスの根幹だと断じる。これがあればなんとかなる、とはいうものの、なんとかならないことも多く、恥じ入るのみ。

日経の夕刊でジャズピアニスト・山下洋輔が過去を振り返っている。69年の早稲田講堂での私家録音盤『DANCING古事記』(製作/麿赤児)にふれているが、そのLP、今やン万円の値がついているそうな。私の持っているものは、71年4月25日の3名のサイン入り。大学4年生の頃なのだが、どこで手に入れたのか、もう覚えていない……。昔の関西テレビのそばにあった「インタープレイ8」だったのかもしれない。


6月18日

17日。朝のお仕事を終え、メイの散歩と朝食をすませ、市バスで青谷まで。
待っていてくれた案内人Sさんとともに、大日大聖不動明王の鎮座まします滝へ向かう。青谷馬頭観音を過ぎるとすぐ山裾で、急坂に入る。あっと言う間に深山幽谷の気配。
速足で歩くこと約40分、滝へ到着。さっそく褌一丁に着替えて、Sさんが気合いもろとも、水をかぶり、身を浄め、滝に打たれる。高さ5mぐらいだろうか、蹴鞠ほどの水の束を肩に受け、般若心経を唱える。いつもひょうひょうとしているSさんにだが、ここにきて、合気道、杖術の有段者であることを再確認。実に迫力がある。これを真冬にやって、その後、摩耶山まで駆け上がるのだから。
次いで、私も入水する。右肩にずっしりと圧力を感じる。決して、肩の中央と頭に受けてはならない、と言われていたので、その通り。残念ながら、私はまだ般若心経を暗唱できないので、代わりに彼が唱えてくれる。
数分後だろうか、滝から出る。なにも考えてはいないという境地に達するわけはなく、初体験にただ状態を受け入れるばかり。禊とは、かくのごとき。
終了後はなにやら、からだがあたたかくなったようだ。しかし、右手中指が冷たさのため白蝋状態に。やばいなあ、と思いつつ、必死に手をこすり血行回復を試みる。ま、一種のアイシング状態になった、のだろう。下山途中で血がめぐりはじめ、ほっとする。

帰宅後、猛烈な睡魔に襲われ、3時まで爆睡。これも滝の行のせいか?

18日。グリーンピア三木トライアスロン教室。今回は大阪府協会の担当。21名の参加。早朝の雨もあがり、好天となった。ほとんどがトライアスロン初挑戦の人たちだが、こんな地道な教室を行うのも協会の責務である。
帰りに淡河(おうご)の道の駅で野菜(安くて多くて新鮮!)を求め、帰宅後、一週間ぶりに、北公園から神戸空港橋までジョグ68分。

そして夜は、日本vsクロアチアを観戦。どちらに女神が転んでもおかしくないミスの多い接戦でドロー。首の皮一枚つながってブラジル戦へ。絶対、勝てない相手ではないように思われる。なにが起こっても不思議はない。奇跡を祈る。


6月14日

母の日以来、一ヶ月ぶりに母の顔を見にいく。お土産は長崎・福砂屋のカステラ。女房殿は「そごうでも買えるわよ」と宣うが、なにか味が違うような気がして。
眼の異物感に加えて、今度はヘルペスによる痛みを訴える。「なんでこんなことになってしまったんだろ」というのが口癖になってしまった。
「元気出して」というのは禁句。ただ、「うん、うん、そうだよねえ」と相づちを打つ。
紅茶を入れてくれるのは嬉しいが、手もとの震えからか、熱湯をこぼしてしまい、やけどしなくてよかった、と胸をなでおろす。小一時間でおいとましたが、表情は落ち着いていたので安心。

スペインvsウクライナ。ウクライナに活路が見出せない。どうした! ガンバレ、と判官びいき。前半終了時には睡魔に襲われ、テレビの前から退散。


6月12日

朝10時の便で大村を出発、伊丹着。大都会が現実なのだが幻のようで、過疎地域のほうが現実のような氣がする。
ちょっと仕事で原子力発電のこと調べていると、本州の過疎とゲンパツは表裏一体、電力消費は大都会の自己矛盾。どこもゲンパツは来てほしい派と来て欲しくないイラナイ派の大対立。そして、地縁・血縁入り乱れてコミュニティは分裂する。

夜、HTAの常任会議。9時過ぎには終えて、日本vsオーストラリア戦のため、帰宅。
冷静に観ていたのだが、残り8分で大逆転負け。しかし、4年前にくらべて、熱くなっていない自分に驚く。どうも、トルシエとジーコを知らず知らず比べていて、理論的には自立と自律を求めるジーコのスタイルが好みのはずなのに、トルシエの情熱むき出しと組織優先スタイルのコンプレックスを評価してしまう、ようだ。

私はスーパースターを好まない、のかもしれない。


6月11日

9日。夕刻の便で長崎へ。八幡町の女房殿の実家へお邪魔する。茶道の先生である義母のお茶をいただき、ひとときの充足。義姉とは、犬の問題、健康問題、保険料問題、長崎の景気などをひとしきり。聞き役にまわって、就寝。

10日、午前中、電器屋でポータブルCDプレイヤー(再正専用なら安い)を求め、義母とお話する中で話題になった『えんぴつでなぞる奥の細道』をプレゼントし、ごあいさつしてから、お昼のフェリー便で上五島の奈良尾へ。中国のK理事、北海道のO理事夫妻と一緒になって、談笑しながら昼寝して、3時間の船の旅。

ここで息子が薫陶を受けたアメリカ在住のクラリネット・プレイヤー大島文子の『アメリカン・スナップショット』を聴いていたのだが、これが素晴らしい。現代作曲家であるコープランド、ムチンスキー、バーンスタインなどの作品で構成されているのだが、いずれもセンス溢れる作品と演奏で70分が充実している。あらためて、大島文子に師事したいという息子のセンスの良さに脱帽した。

受付をすませ、旅館に送ってもらい、午後5時からの開会式、競技説明会に出席。奈良県協会のY事務局長も個人参加。終わって約30分のジョグ。お風呂を浴びて夕食。
これがなんとも豪勢。イシダイのつくり、アジのたたき、ヒラマサの刺身、五島牛の焙り焼、サザエのつぼ焼き、などなど、たらふく馳走になる。しかも焼酎一杯300円。
長崎県協会の新会長Yさんと歓談。医者なので、昨今の数値に頼る医療の危うさについて、意見が一致。薬にふりまわされないで、高血糖にも対処するほうがいいとの結論に達する。

11日。レース当日、雲行きはおぼつかないが、それよりスイム会場の高波が気になる。レース30分前に、K審判長がスイム一周回(670m)に変更を決定。リタイア者が少ない結果につながった。スイムのK理事のフィニッシュからバイクのO理事の出発を見届けて、ランスタート地点に戻る。
リレーは11チームの参加、わがJTU理事チームは後ろのほうだったが、襷がわりのタイミングベルトを受けてスタート。
直後の坂上りが思いのほかキツイ。そこで2人をパス、一旦下って、次いで二つ目の坂をあえいで上り、エメラルドグリーンの透明な海岸線に出る。ポツンポツンと走っている個人競技者をパス、しかしなかなかリレーの走者が見えてこない。名前を読んで応援してくれる地元の人々に、手をあげて応えながら、エイドステーションの水を頭からかぶりながら、力強く進んで行く。
そして三つ目の長い坂を越えて、折り返しに向かう。ようやくリレーの先行者とすれ違うが、2kmは離されている模様。「こりゃ、追い付かんなあ」と思いつつも、前から落ちてくる者をパス、二つの坂道も行きよりはラクに感じながら、町中に入り残り2km、ストライドを伸ばすも、前にランナーの背は見えない。ようやく残り数百mで3人を抜いて、仲間3人と共にフィニッシュ。なんとかキロ5分のペースで、1時間15分のタイム。まんぞくまんぞく。

午後3時からのアワード・パーティ。地元漁協、婦人会などの協力で、これまた豪勢なおもてなし。刺身盛り合わせに種々の手料理、ビールで乾杯。
一旦中止となった大会を、行政抜きの民間だけで盛り上げた実行委員会のご尽力にただただ深謝。
次回参加者の倍増を願っての万歳三唱とA実行委員長(地元の歯医者さん)の胴上げで上五島大会は幕を閉じた。
過疎の町の年に一度のお祭りかもしれないが、島を離れるときの「上五島・奈良尾」のもてなし印象は、参加者の胸に刻まれていく。


6月7日

昨日、淡路国体トライアスロン競技のポスター、チラシの再校正チェック。募集はすでに始まっているが、出足は好調のよう。だって、参加費3000円だもん。

大学院のお題はLOHAS。Lifestyle of Health and Sustainability. 淡々と紹介され、なるほど、と思う反面、好きにすれば、と冷ややかに遇する。いかにもアメリカの知的スノッブたちが好みそうなものだし、いまのトウキョーには予備軍がいっぱいだろうから、マーケティングに合致するのもわかるし、でも、今さら輸入トレンドでもないだろう、って。
でも、これがゆるやかなナショナリズムに結びついていくのだとしたら、時間をかけて説明していかなければならないので、面倒になる。

夜は、聴講生12名が参加して、クローバーの会。3卓囲んでジャラジャラしている間に必殺ネバネバ・パスタをつくる。内田先生を囲む卓をのぞいて、みな初心者ゆえ、最後にそのうちの一卓に少しだけ入る。久し振りにマージャン、何年ぶりだろう? でした。

今日。メイと散歩していたら、夏草の匂い。すると、hissing on the summer loan とジョニ・ミッチェルの歌声が脳内に響いてきた。精液の匂いにも似て、噎せかえるようでもあり、ものみな蠢きだしてくる季節の到来か。

夜、ギルガメシュ例会。いつもの東急ハンズ西隣の「ノミーナ」。今日は賑わっていた。烏賊の韓国風サラダが涼しげで辛く、美味い。
長老のKさん、スパルタスロン参加を断念。理由は、鯖街道ウルトラマラソン走破後の心電図検査で、心筋梗塞の疑いが出て、診断書をギリシアの主催者に提出できない、という。心電図は確かに事実を映し出すが、本人の健康状態を反映しているわけではない。医者は、月間300〜400kmも走る人間は尋常ではないと判断する。ああ、無情。


6月5日

皐月の雨模様から離れて梅雨の気配はない。
夕刻、「神戸からのメッセージ」K編集長来訪。ひとしきり、神戸の経済事情、また市会議員汚職について、所見をいただく。2チャンネルでは活発に情報が行き交っているらしい。
次回からの原稿について、ちょっと変わったスポットの紹介をしてみよう、と提案。まずは6月20日頃の締め切りで始めることにする。一回目は青谷の滝。

夜遅くITアドバイザーのMくん現れ、メールの修復にとりかかる。結局、macのmailを採用せず、アントラージュを採用することに。残念ながら今までのアドレスリストはパーである。一つずつ移動させる羽目に。しかし、助かりました。many thanks ! Mくん。


6月4日

金曜日、午後の便で上京。品川での地域ブロック代表理事懇談会。開始までに少し余裕があったので、新しい品川駅の南側のテナントビルを歩く。モダンというよりウルトラモダンといった無機質的にデザインされた空間に、屋内でありながらオープンのカフェやビストロや多国籍の選別物品が並ぶ。買ったことのある鎌倉シャツの店舗もあった。ムー、スゴイ。
一方で、金曜夜の居酒屋で7人はきつく、3軒満席アウトで、4軒目。ここでは、対応の店員がいずれも中国人。もうあたりまえの光景である。
地域の抱える課題をぶつけあうも、妙案に苦慮する。終了後、小竹向原の息子宅へ。ほとんど寝かけに息子殿、帰宅。

土曜日。早朝、城北公園までジョグ。大きな欅の森公園。走っているうちに、道に迷いかけたが、それは石神井川が湾曲しているところなので東西南北がつかみにくいためである。昼なお暗いという感じがするこの公園は気持ちがいい。今回も息子とはほとんど会話なし。
表参道のプロントで朝食、その後、午前中から午後にかけてJTU理事会、のち社員総会。午後5時半〜懇親会。
JTUはいいクライアントを見つけたため、財政面も安定する。東京の景気回復がこんなところにも影響する。地方との格差拡大の現実。
19時50分の新幹線で帰神。

日曜日。早朝、メイの散歩、食事をすませ、ほぼ一年ぶりのバイクで、グリーンピア三木へ。週末の上五島のレースを控えて、長時間からだを動かすための訓練の一つだった。
板宿から白川台、木見から押部谷というコース。なんだか随分大回りしたようだが、コーチのIくんによれば、それが最短コースだという。
トライアスロン教室は参加者17名。コーチが3名。無事終了。

しかし、帰りのコース選択にほぞを噛む。呑吐(どんと)ダムから箕谷、六甲山の森林植物園から諏訪山へ降りるという通いなれたコースだったのだが、ここ数年走っていないことの情報欠落が苦痛を産んだ。
諏訪山のドライブウエイが「でこぼこ」だったのである。車のスピードを落とさせるためのダンダラ模様がほぼ全線にわたって施され、ロードレーサーの細いタイヤに猛烈なショックを与える。急坂でのブレーキングをかけっぱなしという状態で、バイクへの負担、影響が出ないかと精神的に参ってしまった。さらに上腕から手先に賭けて、緊張からの筋肉痛。

もう二度と諏訪山ドライブウエイは走らない。


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