混迷亭日乗 Editor's Diary

4月30日

休みだったので、音楽(ミュー、ブラームス交響曲3・4番、ベートーベンピアノソナタを4つ)を聴きながら読書『女のフォークロア』(宮田登+伊藤比呂美)『火喰い鳥』(杉本章子)と昼寝(というより夕寝)。


4月29日

昭和天皇誕生日だが、私にとっては亡父の誕生日。生きていれば93歳。
午後、事務所で新聞記事を少し整理(というか捨てる)。
夕暮れ、島の中をラン10km。

夜、女房殿とともに『かもめ食堂』という映画を観る。舞台はフィンランド・ヘルシンキ。日本人女性(小林聡美)が始めた「おにぎり(japanese soul food)」がシンボルの食堂に集まる地元ピープルと、訳ありでヘルシンキにやってきた二人の日本人女性(片桐はいり+もたいまさこ)が手伝うことになる食堂運営を淡々と描き、始めは客がいなかったのが、ついに満員の日を迎える、というただそれだけの話だが、時折入るエピソードによって、おとなの寓話になっていると言ってもいい。
オーナーの日課は合気道の膝行から始まる。これがキーワードと言ってもいい。いつものように、いつものことをきちんとすること。それだけできれば人間って十分じゃない! というさりげない主張。
経営安定のための販促策などさらさら採用する氣のないオーナーなのでありました。原作は群ようこ、さんだそうです。


4月28日

いつもの4月末のような陽気。
北野町のキャサリン・アンダーセン邸の視察。昨年、作品集を作らせていただいた安藤岬画伯の別邸だ。説明すると長くなるのだが、グリーンとアイボリーを基調としたコロニアル・スタイルのように見えて、広い。震災後しばらくまでは「スウェーデンの館」として公開されていた時期もあったらしい。落下した煙突に説明書きがあった。

いろいろ考えることがあったのだが、どうまとめられるか、だ。


4月27日

企画書1本まとめたらもう3時半。
とある商品の生まれた1968年という時代に焦点をあてたものだが、自らの68年は、よくも悪くも人生の方向性が定まった年だったのかもしれない。大学一年生には刺激的すぎる年だった。

トライアスロン実業団「チームテイケイ」顧問の父上が亡くなられた。お通夜が大阪の南方面だったので、今日を逃すとまた来週後半になるので、高速を途中下車して心斎橋のテキパキへ。

血糖値122、ヘモグロビンa1cは6.5%。正常値上限に近付いた。


4月25日

昨日は、てなわけで、ギリギリまで大学院ゼミ発表の「ナショナリズム」レジュメ作成にかかってしまう。変換ミスがちと目立ってしまう。はずかしや。
およそ30名ぐらいの出席。
内田先生は、あらぬところへ話を持っていった。
日本の社会は、格差拡大など、流動化しているように見えるが、実は固定化していってるのではないか? 世襲の広がり、ニュータイプのクラスターができつつあり、そこにはなぜか入れないという状況がある。
いわゆる「勝ち組・負け組」と「バカの壁」、その問題は「組」と「壁」のほうにある。つまり開けられているが閉ざされた「組」と見えないのだがある「壁」に遮られて、入れない敗者たちがナショナリズムに吸い寄せられているのだ、という仮説だ。いま、ネット社会などで盛んにあおっている「嫌韓・嫌中」気分は、社会関係資本を持てない負け組のナショナリズムであり、所詮、弱々しいものであり、大きな力にもなりえない。
日本の生殺与奪を握っているアメリカへの「反米ナショナリズム」にならないのは、強いものに向かわないからで、まだ弱いと思っていられるアジアに向かっていってるだけなのである。

ゼミの聴講性を誘ったら「行きます」という3名とともに、林敏之(元ラグビー日本代表 38キャップ)氏の話を聴きにギャラリー島田へ。
熱情あふれる話ぶりに、トライアスロンの選手たちに聴かせたいと思う。世界で闘う「気持ち」を高め、「感動」をからだのうちから湧き出てくるようにさせなければ勝てません、という氏のひたむきさに感動する。

同志社出身のK牧師とともに、東京から馳せ参じている新・聴講生Tさん、大阪のYさんとも話せて、なかなかいい夜になった。
来週は顔合わせ宴会、であります。



4月24日

阪急で京都大丸まで1時間半もかかってしまう。すでに石川九楊氏のトークは始まっていた。作品を例にとりながら、「書きっぷり」について話される。筆と紙、平仮名ではであい・ふれあい・わかれ、漢字だと遭遇・接触・離別、その関係がそれぞれ受け止める印象が異なってくる。前者はやさしい感じだし、後者はきっぱりとした感じになる。おんなことば・ふだんのことば、おとこことば・おおやけことばと言い換えてもいいかもしれない。
9.11以降の書は、垂直線の崩壊を語っているように見えるが、今後芸術家がすべきことは、希望を見いだす作品を描いていくことだと断言された。
あの程度の衝撃で崩壊するような超高層建築物を建てる思想が崩壊したのだという指摘は誰も言ってないように思う。自薦作品集を、いつか手にしてみたい。

HTA会長である末松信介参院議員の政経セミナーへ参加。森喜朗・元首相の講演を聴いた。昨日の千葉7区での衆院補欠選挙、民主党の勝利の直後だけに、報道陣が入り、生なましい話は聴けなかったが、それでも「変身したというが、人間の性格は治らない。相変わらず本会議も出てきませんよ。あの手この手で他党をかきまわす小沢はいずれ馬脚を現す」と、小沢人気は一時のものと切って捨てた。それより、自民党は、「実る稲穂が垂れるように、謙虚にならなやいかん」、と自戒をこめていた。もちろん、小泉首相は聞き入れないだろうが。

それにしても、1000人に及ぶ立席パーティで臨席された女性が、ワインのことに話が飛んで、それが元で旧知の方の奥様で保育園の経営をやってらっしゃるとは。世間は狭い。

遅れてHTAの常任会議。ところが出席者少なく、流会状態。報告・連絡事項のみにして9時半過ぎには切り上げ帰宅。


4月23日

女房殿が仕事(取材で京都)のため、理事をさせられている年に一度のペットクラブの総会に代理出席。総会に先立ってペットアドバイザーという方の講話があり、老犬介護問題が迫っていることを痛感させられる。

昼食後、ナショナリズムについてレジュメのまとめにかかろうとすると、メールが入っており、JTU技術審判委員のT君の父上が逝去。豊中でのお通夜に出掛ける。
昨年暮れの母上に続いてのご不幸だが、彼いわく「ほんまに仲よかったんですわあ。あっという間に追いかけていきましてん。うれしそうな顔してましたやろ」と。子どもに、かかる残像を残していけるのなら、立派な生涯だった、と言えるだろう。合掌。

女房殿に進めておいた京都大丸での前衛書家の石川九楊展。すごくおもしろかった、と感激して帰ってきた。
私は明日行くことにしている。レジュメの準備が氣になるが。


4月22日

判藤一利『昭和史 戦後篇』(平凡社)が、前巻に続いておもしろい。文芸春秋の編集長経験者だけに、どちらかといえば
といえば「保守」なのではあろうが、ご本人の穏やかさが文体に現れており、いい感じで読める。
まだ途中だが、昭和20年から25年ごろにかけて、知らなかったことなどがゾクゾクと。
返すがえすも、亡父からこの頃のこと、聴いておくべきだった。私が産まれるまでの間、どのような想いで日々を過ごしていたのか、ほとんど空白なのだから。

若いときに読んでおくべき本だと思う。

HATまでジョグ、1時間。明るい陽射しがうれしい。

夕刻、大阪・南森町、アートスペース208まで。写真研究者、小林美香さんのレクチュア。技術史のなかで、人間の手の写され方かた何を読み取るか? 大学の講師らしく、スライドを見せながらのお話。興味深く10時半まで滞在。こういう仕事を見つけられたのも、あくなく探求心がなせる技。
初期ダゲレオ写真の「こわさ」を教えてもらった。絵に代わるポートレートではあるが、魂が捕られる、という感情が理解できそう。


4月21日

置塩医院。いつも問診は短時間で終わる。指先の痺れがとれないことを伝える。「うん。過激な食事療法とかしてないやろね」と言う。「なんで?」「低血糖になるのもアカンから」「してない、してない。適宜に氣をつけながら、食べてるから」と答えておく。「薬はしばらくこのままで様子見」。血圧120と76。以上、終わり。


4月18日

神戸JC-OBのFさん来訪。不動産を例に、近頃の神戸・阪神間をめぐる世間話。銀行が金を貸すのは、会社でも個人でも、勝ち組ばかりなり、という話。

大学院は牧師のKさんの「乳幼児期の子育て論」考。もっともな論考の紹介の後で、内田先生は、論より実践。「こうあるべき」論から離れて、ざっくりと大雑把に、かつ「親は、にじみ出てくる正味の人間性で子に相対するしかない」と。
剣を引き合いに出して、プラスの部分、マイナスの部分の相反する作用が単独では出ない大きな力を出すのだから、光と影があって当たり前。
三砂ちづる先生のおっしゃるように、現代の人間はもっと、身体的に動物に近付いたほうがいい、ということなんだろう。


4月17日

ようやく春めいてきたのかもしれない。
夕刻、梅田にて、驚くべき才覚を13歳にて放つ林俊作展。入る情報量をことごとく消化して絵に仕立て上げる。まるで自動筆記のように。ものすごい好奇心と観察力に脱帽。これからはメディア対策にお父さん(イラストレーター)は大わらわになるだろう。
兵庫9区(明石・淡路島)選出の衆院議員西村康稔氏の大阪後援会特別セミナーに参加。ゲストはアステラス製薬会長の青木初夫氏とバイオベンチャーの仕掛人・阪大教授の森下竜一氏。青木さんには、フジサワ薬品の時代のカナダ、アイルランド・ハンガリー旅行での取材でお世話になったので、ご挨拶に伺った。「もう、あんなことはできないだろうなあ」と苦笑いされていた。研究者で社長になられたのではあるが、上場企業の大会社しゃちょうとは思えぬ気さくな方である。
関西経済浮上のキーとして大阪北部の「彩都」でのクラスターに期待すると森下氏は強調したが、国際競争において日本の薬開発力の高さはあるようなので、情報探査力と合わせてネットワーキングの重要性を指摘していた。
日本一の売り上げのタケダ薬品でも世界の15位ぐらいで、弱いと思われていても、日本は技術・開発では強い部分も持っているということだ。


4月16日

事務所にて読書。『不安型ナショナリズムの時代』、日中韓のいまのナショナリズムに至る概観に感心する。違うナショナリズムのあり方、気鋭の社会学者の視点が光る。次いで『わらう日本のナショナリズム』にかかったが、笑っていらっれなくなった。主に、我々全共闘に関わった者たちへの鋭い分析がなされているからだ。まだ途中なのでなんだが、連合赤軍に関する書物は一切アンタッチャブルだったので、北田暁大の読みときに頷くしか能はない。「あー、そうだったんだ」と今さら思ってもせんないことであるが…。
夜はご近所のFさんと一緒に食事。次男のTくん(阪大院生)が、就職決定。研究員として化学会社に決定。まずは、めでたい。

帰宅した娘に、内田先生と三砂ちづる先生の著書『身体知』を薦める。これからの若者にとって、いろんな知恵がつまっている珠玉の本と言っていい。


4月15日

午前、兵庫県公館にて兵庫国体に向けた決意表明を主とした市町体協・競技団体の会長、理事長、競技力向上委員会。Y委員が石垣島ワールドカップのため代理出席。天皇杯、皇后杯の獲得は決まったも同然(開催地特権あり)だが、儀式は必要ということ。
帰宅後、雨の中ジョグ。ポートライナーの橋桁とムービングウォークに沿っては知れば雨はしのげる。約5マイル。

夜、カナダ(ケベック州)映画『大いなる休暇』を観る。舞台は過疎の無医孤島。雇傭がないため保護で暮らす島民が、プラシチック工場誘致のためには医者が必要という条件をクリアするため、涙ぐましい嘘をついて若い医者を居住させようとする話。まあ、大人の寓話だが、ほのぼのと滑稽でおもしろかった。
生き馬の眼を射ぬくIT・金融の世界とはほど遠い話だが、殺伐乾燥とは程遠く、アイリッシュの世界とも近く、いいねえ。


4月14日

寒い一日。花冷え。事務所前のプロムナードの桜は散る気配を見せていない。なかには葉桜と同時開花の樹もある。なんだかヘン。


4月12日

夕方、ジュンク堂でナショナリズム関係の本を物色。北田暁大『蚩(わら 字が出ない)うナショナリズム』、高原基彰『不安型ナショナリズムの時代』など、若き新進気鋭の研究者のものが目立つ。60年代後半のナショナリズム論との対比にならざるをえない。


4月11日

春雨ならぬ激雨。西日本各地で嵐のような荒れ模様。
大阪・心斎橋でADのTさんと打ち合わせの後、神戸女学院へ。いよいよ4年目の聴講が始まった。今年はなんと院生8名、聴講22名という大所帯。
さっそくK牧師に続いて、25日、ナショナリズムというテーマで発表することになった。そして、おたのしみ宴会は5月2日。

大学淘汰の現実を知る。内田先生によれば、キリスト教系の関学(神学はもちろん関学系教員)は女学院に隣接する聖和大学(教員は同志社系・関学系だった)と統合したが、事実上の吸収。同志社系教員の追い出しに成功したので、合併成ったという話。
教育と福祉系の大学部(900名)が女学院の傍に屹立する。かたや同じ教養系を擁する神戸女学院の全定員は550名。それが何を意味するか、おわかりだろう。

関関同立は西日本を市場として、まさに学生の一大囲い込みを始めているわけだ。
女学院が生き延びるために、内田先生は定年まで、奮闘する?!。


4月9日

9時よりHTA総会。12時前に、欠席の知らせを受けていた末松信介会長(衆院議員)が現れてびっくり。なんでも、先日、国会議員のなかで各府県トライアスロン協会会長を務めている議員懇談会が行われ、議員連盟が誕生するらしい。小野清子、橋本聖子のメダリストもいる。トライアスロンにとってはおおきな追い風となる。我が近畿ブロックでは、兵庫、滋賀、京都(自民と民主)の3名、いずれも政治家としては若手になるが、元気がいいので楽しみだ。
神戸市の村岡議員の逮捕については、何かと風評があったので、ほとんどつきあいはなく、一線を画していた、という。県レベルではあり得ない話、だと断じていた。

陽が高いうちに10kmのラン。身体と精神世界と食に詳しいHTAのS副理事長から「シャワーじゃなく、風呂に入れ」とすすめられ、気持ち良く、ぬるめの風呂に入ってさっぱりした。

ベイスターズ、10失点。今シーズン、加藤、川村、高宮、木塚と磐石の中継ぎがことごとく打ち込まれ、ゲーム・メイクができない。持ち味がネガになってしまったら、どうする? 


4月8日

明日のHTA年次総会の資料づくり。データがないものもあったが、コピーが残っていたので助かる。

池上英子『名誉と順応』『美と礼節の絆』、アマゾンのユーズドで入手。いずれも未読本にしか見えない美麗本。ついでに1円という文庫本もあったのには驚いた。

夕刻、坪谷画伯の近作「まるいいのち」展、ギャラリー島田へ。水彩とも色鉛筆ともつかぬタッチで、旬の食材が多種多様に描かれる。私は「筍」が気に入った。
見ているうちに、なぜか江戸時代の女流画家の生を綴った乙川優三廊の「冬の標」を思い出した。
この連作をなんらかのかたちで発表できないかと、考える。
閉廊後、画伯の教え子さんと一緒に三宮で会食。なんといくところいくところ休業やイベントや満員で断られ、一時間近くうろうろして、6軒目でようやくありついた。
焼酎と惣菜をつまみながら、いつぞやの話題になった、明石という立地、地産旬菜を生かした予約制旬材手料理の夕べ、を具体化できないかということに。もちろん、ちゃんと収益性を考慮しての話だ。上手なPR作戦を立てねばならない。


4月7日

週末、ようやく桜が満開に近くなった。しかし、空気は冷たい。
ベイスターズ、阪神に敗退。三浦が粘投したにもかかわらず、勝てるゲームを川村で落とす。悪い予感。


4月5日

雨上がる。
神戸市会議員、村岡某の収賄逮捕。宝塚市長贈収賄事件から繋がった。
限りなくグレーから黒に近いと聞いていたが、ついにという感じ。
舞台はリサイクルセンターやゴミ収集に関連する。

夜、ギルガメシュ例会。いつもより遅くまで盛り上がる。5月は諏訪山の新緑を見ながらのBBQパーティ。


4月3日

午後から大阪。ある糸の素材メーカーへでかけて、社長の相談を受ける。企業イメージチェンジのお手伝いだ。
その後、桃谷の創作割烹にて、紹介者のS氏、友人のN氏、K氏らと会食。同年代の気安さからか、楽しく歓談。芦屋までS氏のポルシェで送ってもらうなか、彼の次ぎなる事業展開を聞かせてもらう。K学大学院で経営学勉強中の彼だが、早速、投資者を募るかたちでのネットワークを使っての新規事業。
帰宅は12時前。


4月2日

日曜日。オフ。吉本隆明の『アフリカ的段階』(春秋社)を娘にすすめたら、既に読んだとのこと。今のアフリカ研究者なら、わかっていること、とすげなかった。で、未読の中沢新一『精霊の王』やら藤原新也『藤原悪魔』など手に取って乱読。とりわけ.5年ほど前の本だけど、藤原の辛らつな批評ととぼけた姿勢には吹き出すこと多く、読みごたえあり。まだ半分までしかいかないが、毒のある写真もさすが。

今日はどこにも出かけなかった。事務所でごそごそしていただけ。まだ春の宵という雰囲気ではない。


03年3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
04年1月
2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
05年1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
06年1月2月3月いま