混迷亭日乗 Editor's Diary

3月31日

朝、小雪が舞った。春、まだ遠し。
民主党執行部はライブドアメール問題で遅きに失した総退陣。週刊朝日の記事、平野貞夫氏の発言によれば、さもありなん。情報提供に金額言及がからんでいたことは事実のようで、実にお粗末な話。
民主党が政権交代できる政党になれる、ということで、一旗あげたい政治家志望の連中が自民党ではなく、民主党を選ぶ。自民であれ、民主であれ、より政権に近くなることで「エリートの自負、自尊」は維持される。
してもいい自由のなかで、してはいけないことを「しない」という規矩を守ること、まさしく武士道精神の没落は左右を問わず表れる時代になってしまった。

日本の景気は回復基調で、株価もあれよあれよという間に17.000円を越え、このまま行けば小泉政権は安泰で、早くもマスメディアの関心は次の総裁候補の話になってしまう。それはないでしょう、と言っても聞く耳はもたない。


3月29日

午後、「春樹をめぐる冒険 世界は村上文学をどう読むか」というシンポジウムが神戸高(彼の母校)で行われた。カナダ、チェコ、香港、韓国でそれぞれ彼の作品を翻訳した研究者が来日、四方田犬彦氏がコーディネートを務めた。
阪急・西灘(おっと今は王子公園駅)から坂道を上がる。数十年ぶりゆえ、道の筋を間違えてしまう。息があがり、汗をかく。
旧新館の跡の位置に新装なった講堂は、意匠はほぼ同じに見え、油引きの床が昔の面影を留めていた。
すべての春樹作品を読んでいるわけではないが、かれの小説作品には興趣がそそられる。エッセイにおいても、立ち位置が端正で、言動不一致といういかがわしさがない。もちろん文壇と世界とも一線を画している。
終了後、四方田教授にご挨拶し、著書『1968』に掲載された「SUB」と師であるKのことをお話したら、「亡くなられたことは草森紳一さんから伺ってました」、そして、随分喜ばれて、「あのリトルマガジンはぴか一だよ。学生たちにも、こんな雑誌作らなきゃ、と言ってる」と。「全部持っていないので」と残念そう。今後、なにか動きがあったらご連絡することをお約束して、お別れした。

この日、春樹の同級生の男女が発言、彼の高校時代の特徴をあげてくれた。一、おしゃれ(ボタンダウンシャツと変わったポケットのズボン、ピカピカに磨いた革靴、英国風のきつく巻いた傘など) 二、シャイでニヤニヤ(ニコニコ?)していた 三、英語がよくでき、中尾先生に可愛がられていた(洋書を読んでいた) 四、音楽が好きだった(ジャズ&ポップス)などなど。

さらにハルキの中・高時代の実像に迫る証言が集められればおもしろい。


3月28日

春の嵐。そして春雷。県庁の帰り、古本屋で藤原新也の『藤原悪魔』(文庫版)を購入。


3月27日

内田教授らの新著『9条どうでしょう』(小田嶋隆・平川克美・町山智浩)を読む。四者四様の刺激的な憲法「9条」擁護論。従来の護憲・改憲論が色褪せていく。問題はこれらがマスメディアでも無視され、政治勢力にはならないところ。


3月26日

午後から大阪。大阪市長公館で開催されたシンポジウム「コミュニティに生かすオリンピアンの力」に参加。主催はWorld Olympian Association, Asia-Oseania。トリノ五輪の亀岡選手団長、ショートスケートの末吉選手、フリースタイルスキー・エアリアルの逸見選手が登壇、オリンピアンの果たすべき役割を各々に語った。
大川を借景に建てられた公開間近の市長公館、残念ながら桜はまだまだつぼみのままだった。

夜は、卒業祝いのホームパーティ。仲よしポピア組の最年少の娘とJくん(nハムに就職)が大学卒業。風邪で来られなかったMさんを除いて、Fさん、Sさんたちと祝杯を重ねて更けていきました。


3月25日

サイエンスライター竹内薫氏の『99.9%は仮説』(光文社新書)。売れているようだ。もともと筆力のある専門家でもあるので、彼のような媒介者がいることが本当に貴重だ。そして、専門家には科学史の勉強が必要という意見にも同感だ。定説が定説でなくなることがあって当たり前という時代である。前提をまったく疑うことなく、細分化、専門化してきた科学に埋没する専門家への警鐘と同時に、それを許してきたメディアへの警鐘として、自戒すべき内容となっている。


3月24日

大阪で写真家糸川さんのスタジオを訪れ、写真を掲載した「神戸からのメッセージ」を渡す。1時間余、写真や音楽や映画の話をしたが、70を過ぎても現役の熱っぽさが気持ちいい。
土佐堀から阿波座に向かう途中、ものものしい警戒がされていたのは、なるほど中国総領事舘だった。心斎橋のメロディに立ち寄り、「神戸からのメッセージ」への寄稿を伝える。カウンターには焼酎も品揃えされるようになって、夜はこれが受けている。CDの購買はますます萎むばかり。
作品に対する対価を払うことがなくなれば、制作側の熱意もいつしか萎むことになりかねない。消費者が安価なものだけで充足するのなら、そして育てなくなったら、コンセプトアルバムそのものが崩れていくような気がする。

娘の卒業式。ご近所の先輩から借用した袴姿で高槻へ。女房殿が出かけ、4月からの大学院での指導教官であるT教授にお会いし、ご挨拶。
謝恩会で遅くなったようで、この日は直接「おめでとう」、は言えず。


3月22日

雨。事務所のmacG4、昨日から電源入らず、チェックしてもらったら、内臓電池の交換がまず必要だった。合わせてアクロバットリーダーのバージョン変更をしてもらう。
なにかと不具合を申し立てるmacである。


3月21日

お彼岸の日。陽光は春だが、風は冷たい。桜はまだまだ先のようだ。
午後、グリーンピア三木でトライアスロン大会の打ち合わせ。
なにかと話題のグリーンピアも兵庫県が買い取り、4月からは運営を民間会社に委託するというPFI方式となる。スタッフは従前だから大きな変化はないものの、集客イベントプランニングは以前にも増して要求されることだろう。県の意向は生涯スポーツ対象が望ましいようである。
帰りに淡河の道の駅に立ち寄り、残り少ない地場野菜のなかからみつくろって購入する。
自宅から三木まで40分かからなくなった。しかし、日曜・祝日の帰りは港島海底トンネルを通らない方が賢明のようだ。空港関連見物の車で出口の信号が混むことがわかった。

World Baseball Classic、日本の優勝で幕が降りた。
イチローの一連の発言に興味深いものを覚えた。日本のナショナリズムにも変化が訪れているかも?


3月20日

6時前に置塩医院へ滑り込み。手の指先の冷え、痺れについて質すと、この冬の特別の寒さのせいではなく、「末梢血管の血流不全は糖尿のせい」と断言される。こまめに、湯で暖めたりすることだという。今日は、昼食後4時間だったので、8月以来、初めて尿のなかに糖が検出され、+3。
先月から再びアクトス1錠、ジメリン2錠に戻って、様子見となる。

夜、フリーマガジン「神戸からのメッセージ」のK編集長が来訪。25年前の北野町のことを書いた号を持って来てくれた。次号(5月発行)に後編が掲載される。そして、その後の執筆についても依頼を受ける。さて、何を書けばふさわしいか?
彼の話によると、神戸市は本気でビエンナーレをやるらしい。予算もつけたらしいが、横浜トリエンナーレには遠く及ばないようだし、いったい誰にプロデュースさせるのだろう? 地元に世界に直結できる人材がいるわけでなし、なんだか、ますますローカル・シティなみの自画自賛になっていくようだ。


3月19日

気温が低い。千里南まで10マイルレースに参加。昨年、練習の成果を確かめに参加した。有森裕子プロデュースのカンボジア復興支援レースの一つ。
ロングスリーブ、ロングタイツで寒さの中、ゆっくりと走り始めるが、北千里への長いじわっとした上り坂と向かい風を我慢して、10km過ぎたところで49分、という結構なペースだった。残り6kmを27分でまとめて、1時間16分台でフィニッシュ。まずはめでたしめでたし。

その後、京都大丸のジョンレノン写真展へ。オナカペコペコだったので大丸のレストラン街に行ったら、どこも待ちの列。なんだか東京みたいでパス。地下のイノダでクラブハウスサンドとビール(クラブハウスでビールなしはイカン)でランチ。ここのクラブハウスは水準が高い。ちきんではなく、ロースハムとベーコンではあるが、味わいが一流ホテルよりもいいんではないかな。久し振りのイノダの珈琲、やはりコクがある。
イノダの味は変わらず、砂糖を入れないで飲む自分が変わっていたのであった。

会場ではちょうど、ビートルズのコピーバンドがライブ上演中。そういえば70年代はじめ、京都にバッド・ビートルズ(確かこんな名前だった?)という完璧コピーバンドがいたことを思い出す。
友人感覚での写真だが、写真家ボブ・グルーエンは控えめな表現に終始している。彼の紹介もまた多くを語ってはいなかった。
ジョンという魂が多くのファンの中でいまも生き続けていることは、訪れる人々の年齢の幅広さが物語っている。リアルタイムで経験した我々と、過去の偉大なタレントとして受け止める若者とが集えること自体、ロックがすでに歴史になっている証左と言えるのだろう。


3月17日

昨日はほぼ一年ぶりのKIFCHA(キフチャ)。神戸JC-OBの、初めに所属した委員会の委員長を中心にした気楽な集まり。世話人の弁護士のKさんは、とても視野の広い人なので、話していてもあきることがない。20年経っても集まっていこう、と意気軒昂。
先輩の化学薬品会社を経営するHさんによると、兵庫県内で、実業団チームをかかえるような元気のある企業は少ないね、とのこと。

一日中、資料原稿整理を終えたのでジョグ。今日は35分。日曜日には千里で10マイルレース。昨年程は走ってないので、そこそこにして、京都で開催中のボブ・グルーエンによるジョンレノンの写真展に出かけよう。


3月15日

昨日と打って変わって晴天。神戸空港の西端にある人工ラグーンを視察。思いのほか、海がきれいでほっとする。バイクコースの設定がむずかしそうなので、アクアスロンでプランを練ることにした。
ターミナルビルには見学混雑の名残か、やたら警備員が目立ち、拡声器で叫んでいる。どこかに似ているな、と思ったら高知空港だった。


3月14日

昨日も散らついたようだが、いつも出かける6時前、コナユキならぬ淡雪が舞い降りる。うっすらと車の屋根に薄化粧。一気に真冬に逆戻り。
夜、寒さにふるえながらジョグ。約40分。煌煌と明るい出来たばかりのイズミヤの廻りを通ってきた。女房殿曰く、「なんだか昔のダイエーみたい」。


3月12日

10日。横浜経由、東京へ。山下公園近くのF社社長を訪ね、依頼事。帰り際、近所の新聞博物館で、「日本の子ども60年」展を鑑賞。先週の山田(脩二)さんの写真にも共通する日本の村人の表情が映し出される。都会に住んでいても、基本的には村人、なのである。それは「良い」意味でも、「悪しき」意味でもある。それは程度の問題でもあり、バランスの問題でもある。
しかし、昔の写真に、のっぺらぼうと陰鬱なる表情が少ないのは確か、だった。

夜、品川でJTU地域ブロック理事との懇談会。明日の理事会に向けての情報交換でもある。地域と中央の情報感覚の温度差は、一朝一夕には埋まらない。
楽しく歓談して、息子のアパートに入っているつもりが、鍵を持ってきていないことに気づき、急いで連絡。息子の薦める小竹向原の「雪うさぎ」という愛らしい名前と風体のビア・バー(世界各国46種)で、栃木の生徒たちへの講習から帰ってくる息子をしばし待つ。ここの焼酎も知らない銘柄ばかりで、1杯800円也。美味ではあった。
私より年下のお客さん二人が、司馬遼太郎に始まり、床屋政談を展開。フムフム、と聴くこともなく聴いていた。単なる若者が集まるところではなさそうだ。
芸大生をよく知る若いママさんの父子評価あり。これからもいろいろお世話になることだろう、ということでご挨拶。

11日。中途半端な起き方だったので、ジョグせず。早めに表参道に到着、まだ開いていない表参道ヒルズを外から眺める。安藤忠雄・建築作品なんだけど、前の同潤会アパートと同様に50年経っても評価されるだろうか?

青山学院アイビーホールでの、JTU理事会、社員総会。
猪谷会長がIOC副会長に就任したせいか、超多忙になり、三宅副会長が強化本部を退き、会長補佐として国体に重点を置く体制変更が承認された。
最後の懇親会で、福岡県の代表社員Iさんと名刺交換したところ、神戸高の先輩であることが判明。あらためて、奇遇におどろき、今後の交流をお願いする。
20時前の新幹線で帰神。

で、本日。尼崎市での近畿ブロックの認定記録会。小雨模様で、選手にとっては少し肌寒いコンディションだったかもしれない。約40名の参加で無事終了。
帰宅後、着替えて、前述の山田さんと篠山紀信とのギャラリートークへ駆け付ける。すでに始まっていたのだが、生の篠山氏を初見。そういえば、息子さんが俳優デビューするというニュースを最近聴いたな、と。
デジタル写真と肖像権問題でのトーク、山田さんは「写真は複製芸術、なにもモノクロ焼付けにこだわることはない」「肖像権は、優秀な弁護士をつけるしかない」と明解な発言。
つまりは、モノクロ現像すると環境破壊がつきまとう、芸術家気取りしたところで、足元はぐらぐらだよ、問題起きるとお金がかかる世の中になった、ということ。でも、写真家にとったら、そんなことどうでもいいじゃない? っていう気概を持て、ってことですよね。

夜は、母と妹の家に行って食事。ほぼ一ヶ月ぶりだが、からだの不調を訴え続けるのは変わらない。食欲はあるので、もう少し、なにかに意欲を持ってほしいのだが。それが、むずかしい。


3月8日

HMVで、ポール・メイエのクラリネット協奏曲、R・テバルディのトゥーランドット、S・ゲンズブールの女性特集、ベートーベンのピアノソナタ17番を購入。全部、安価盤だったけれど、それぞれに納得。これもストレスの発散の一つ。

ギルガメシュ例会。新会員の女性が参加。昨年、参加した「鯖街道マラソン」にチャレンジする、という。成功を祈る!


3月7日

ギャラリー島田にて、精神科医、中井久夫先生のトーク。いろいろな誌面で拝読していたが、神戸新聞掲載の「清陰星雨」を切り取って参考にすることが多かった。
『 WAVE117』の1号(97年11月)に掲載されて以来の対面だった。もう10年になんなんとするのかと、あらためて驚く。
神戸にまつわるよしなしごと、ではあったが、随所に中井流の冷徹な観察眼が光っていたのだが、通い慣れていた店がなくなってしまうことへの寂しさがかくせないようで、72歳というお年を考えれば、さもありなん。
震災後、神戸で特に増えたものは?
答えは「お地蔵さん」。神戸大学の研究者によれば、倍以上になっているという。子どもを大切にする気持ちの現れだろう。そしてその土地は誰のものでもない、という。ホッとする話であった。
最後のほうでは、日本民族の成り立ちについて、ミトコンドリア的には混血の最たるものという指摘には大いにうなづけるものだった。そういえば、最近、古代中国の都に西から白人が流れ込み、そのまま居着いたという話も無視できないようになっているらしい。


3月5日

土曜日。午前中から事務所。夕方になる前に一週間ぶりにジョグ。このペースだと練習とはいえない。
息子のライブステージのため三宮駅前の「pia julien」へ。7時半開演なので早めにスタンバイ。
編集仲間のMくん夫妻、京都の陶芸家Kちゃん、D社プロデューサーのK&Mさん、まちづくりプランナーのOさん、関大教授のMさん、神戸大講師の韓国人Cさん、息子の神戸高・芸大と同級生で卒業後英国へ留学中のDさんのお母さんとその仲間たちと、たくさん来ていただきました。本当にありがとうございました。
ここでは、好きな曲を演らせていただけるので、うれしいようです。ムチンスキーとスタンフォードという馴染みの無い作曲家の楽曲は、むずかしいけれどやりがいのあるもので、熱演していました。
終了後、歓談しながら、できるだけ滞留して、お開き。店の専属ピアニスト、藤渓さんのCD『jazzical class』(jazzとclassicのピアノによるアンサンブル)を購入して帰宅。

昨年、西宮ゆかりの大学新卒で共演したなかから、選ばれた5名の若手演奏家によるコンサート。
会場の西宮フレンティホールへ。リハーサルに20分ほどつきあったが、音響がひどいという。自分の音がつかめないようだった。
今日も熱演だったが、トリだったので、ホールは熱気がこもっていて最悪だったらしい。汗をかきかきの演奏だったが、大きな拍手を受けて退場。
ムチンスキーの曲は、その世界に引きずり込む力を持っている。彼が薫陶を受けた大島文子氏のアルバムに入っているという。
ともかく無事終了、した。なんだかこの一年で急に大きくなったような気がした。
中学・高校時代の友人たちがかけつけてきてくれ、小学校の担任だったS先生まで来ていただいた。HTAのS理事長夫妻、芝居プロデューサーのN&Yさん、弁護士のYさんたち、ポピア組のFさん、Sさん夫妻、数少ない親戚の皆さん、伴奏者のKさんのお母さん、叔母さんほか、息子を応援してくださっている皆さん、本当にありがとうございました。
ちなみに、3月20日、地元の西宮FM放送で流されるそうです。


3月3日

ひなまつり。遅ればせながら、我が家にも愛らしい夫婦雛が鎮座ましました。
聞くところによると、世界広しといえども、女の子のお祭りがあるのはニッポンだけであるそうな。ジェンダーのことはともかく民俗伝統のつよさ、保持してほしい。

県立美術館へ山田脩二さん(淡路在住のカワラマン&カメラマン&今後、炭焼きマンになる?)の写真展を観に行く。
安藤忠雄設計の美術館、嘘だと思われるが、実は初めて中に入った。予想どおり、サインボードやピクトだけではスムーズな動線はムリなので、館員が作成したと思われる案内がペタペタと貼ってある。
山田さんには、18年ほど前に、取材して以来、夫婦ともども可愛がっていただいている。「来週11日のシンポジウム(というか、漫談になるか?)は、かみさんは行けますが、僕は東京なので来られないので残念です」と伝えると、「12日はどう。キシンさんが4時頃来るから、おいで」と誘っていただいた。日曜はJTU認定記録会(スイムとラン 若手発掘の機会)だが、なんとか間に合う。

この日は前衛生け花の先生とのギャラリートークだった。額装的西洋絵画鑑賞への懐疑といった趣を体現している展示だったので、さぞかしご苦労(企画した学芸員も)があったことと想像する。 安藤忠雄の素のコンクリートの箱に対して、木と土の素材(瓦)で大胆に対抗していたので、おそらく今までにない展示形態になったのではないだろうか?
写真については今さら言うまでもない。モノクロのニッポンを切り取った凄みのある表情が我々を突き刺す。

山田さん、19日の最終日までにお酒、飲めるといいですね。でも、山田以後、美術館はさらに規制が厳しくなったりして?

明日、明後日のコンサートのために帰神する息子と伴奏者を迎えに新神戸。その後、家族で中華料理「悟空」へ。
息子によれば東京芸大もリストラの嵐。来年度、助手の給与は半減、教授・講師数も削減、独立行政法人になって「教養教育」は「ムダの象徴」にさせられたようである。教養の成果主義っていったい何? なんでも計量できるというのは、金融デリバティブがすぐに考えられるようなカシコイ連中だけなんでしょうな。


3月1日

雨模様。
プレゼン企画提出。一段落。
三宮・東急ハンズ西の「リンガーハット」で遅い昼食で長崎ちゃんぽん。日本のファストフードであるそば・うどんはともかくmade in USのファストフードはほとんど食べない私だが、ここのちゃんぽんは別。長崎の有名店で食べるちゃんぽんより上等で安い。
夜、明石の坪谷画伯宅で、2006年度花園大学講義の講師陣と打ち合わせ。シンガーソングラーターの趙博さんが、臨時でam神戸・谷五郎のピンチヒッターでパーソナリティをしている、という。ホントに多芸な才、感心。

いかなご漁の解禁で、坪谷さんの手料理はいかなごづくし。いつもながらお見事。この楽しみがあるために講師を勤めているといったら、学生に失礼か?
さらに大分・中津の麦焼酎(銘柄を失念)で気持ち良く酔いました。


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