混迷亭日乗 Editor's Diary

2006年

1月31日

あっという間に睦月が逃げる。

25日に事務所のパソコンをG4にしてもらったのだが、メールソフトデータを読み込まず、再び修正を待つ。
26日は夜、現代美術のNPO法人リフォープの総会を三宮「中里」にて行う。理事6名が出席。各々忙しいのにありがとう、でございました。
おかげさまで、無事、書類が提出できるでしょう。
週末は近畿ブロック協議会の会議のため、京都・嵯峨野へ。本来は余裕を持って出かけて、周辺を散策したかったのだが、書類作成と仕事のチェックに手間どり、ぎりぎりで会場に到着。懇親会から二次会へと流れ、風呂に入ることも忘れて、近畿のみなさんとお話して11時に切り上げる。
翌朝は9時から会議、終了は3時半。阪急嵐山駅までの散歩のみの京都になってしまった。嗚呼。

30日。クイックジャパン(太田出版)に、私の「師」(ボス)であるKM(03年10月逝去)のルポを書き続けているKさんからメール。03年秋の私への取材原稿にチェックを入れてほしいという。東京の出版社のことなので、間髪を入れずに返さなくてはならず、しばし、事実確認のために思いは80年前後に飛んでいった。なかで、ダブダボという雑誌にボスが書いたエッセイが再録され、再読してみると、ボスの肉体が眼前に現れたような気がした。
「師」をのりこえることなどできはしない20数年の歩みを苦く思い出していた。そしたら、「バカヤロー」という言葉があの世から飛んで来た。

そして今日。明日の締め切りを前にして企画書を書き上げる。一晩置いて明日仕上げる予定。
そんなこんなで、HP更新が一週間ぶりになってしまった。スミマセン。


1月23日

大阪での仕事を終えて、佐野眞一氏の講演会に参加。40名ばかりの参加だったが、もっと多くの人に聴いてもらいたいほどの熱弁。
満州国の真実への肉薄への膂力は並大抵のものではない。『阿片王』は未読だが満州と高度経済成長とのリンケージは慧眼だ。昭和の謎はまだまだ解けてはいない。
氏の著書である『宮本常一のまなざし』(みずのわ出版)¥3000を購入したら手もと不如意になってしまったので、打ち上げには参加せず、残念。


1月22日

寒いが陽射しは温かい。昨日は午前2時半頃まで新年会。こんない遅くまで起きていたのは久し振りだ。
ベッドから抜け出したのは9時頃。遅い朝食の後、HATまで約1時間かけての往復ラン。都道府県対抗男子駅伝を見ながら、読書。日本のトップレベルの中学生、高校生の姿を見るのが楽しみだ。

夜、女房殿と映画『ALWAYS 三丁目の夕陽』を観る。昭和33年(1958)、東京タワーが完成。もはや戦後ではないという象徴の登場だった。当然、自分にひきつけて観てしまう。当時、但馬・浜坂の小学校3年生だった私と、映画の中の2人の少年はほぼ同じ年だった。
土の道、蒸気機関車、湯たんぽ、七輪、氷冷蔵庫、納豆売り、金魚売り、紙ヒコーキ、フラフープなどなど、東京と田舎の差はあれど、リアルタイムの復元が見事に施されていた。
一度だけ、父の出張につれられて夜行列車、急行「いずも」で東京に行ったことがあるが、丸の内のビル街に圧倒されたことを覚えているが東京タワーの記憶はない。
ビンボーにまつわって何度か泣かされてしまったけれど、公務員だった父にとって、給与が上がることはあっても下がることがなかったという暮らしには、やはり安堵があったに違いない。大正2年生まれの父の時代(昭和初期から1970年代にかけて)は戦争期・戦後混乱期をのぞけば、1950年頃からは上昇の一途だったのである。
きちんと作られた端正な佇まいの映画であった。しかし、すでに失われてしまった時代の映画でもある。若い人にもぜひ観ておいてほしい映画の一つだと思う。


1月21日

金曜の夜、上京。まだ雪にはなっていない。小竹向原の住宅街のなかの小さな家庭料理屋に入り、しばし息子からの連絡があるまで時間を待つ。この料理屋の常連の男女の話し声が否応なく聞こえるが、ほとんどが下ネタに終始。しかもリードするのは女性の声。あまりにあけすけなので、アッケラカン。思わず、映画『雨あがる』(山本周五郎原作)の一シーンの下層庶民を思い浮かべる。

土曜日の朝、すでにあたり一面は雪模様。小さな牡丹雪が間断なく降りてくる。表参道でも路はシャーベット状態。11時から4時すぎまでの理事会、その後6時まで新年会。このほど、新たに顧問に就任したのは、前日刊スポーツ事業社社長の N氏とマーケティングと財務を強化する文化総合研究所のK社長(元三菱商事)。新たなJTU時代の幕開けといっていい。

午後9時半帰神し、すぐFさん宅へ伺ってポピア組の新年会。
社長を務めていた会社の整理にしたがってのFさんの転宅が島のなかで決まりそうで、皆一安心。無一文からの出発となるFさん、かえってサバサバした様子で報告。建設会社だから、マンション構造計算偽造問題の余波があったということだ。仕事のできる人だから、倒産しても必ず支援してくれる人や企業がいるというのが強味。

我が身ははてどうだろうか?


1月19日

12日の血液検査、血糖値190(108から)に上昇、ヘモグロビンのほうも7.4%(6.5%)に上昇。年末年始のせい? おもちなど炭水化物の食べ過ぎか? はたまた、ラン不足か? わからないけれど、2月の結果次第では、薬の増量もしくは変更もありうる、と置塩くんに言われてしまう。
少し気をつけることにしてみましょう!

遅れて開かれたギルガメシュの例会。子育てに忙しいAくんが久し振りに顔を見せてくれて嬉しい。そこで、2月12日のバレンタインラブラン駅伝は、「ノミーナ」のマスターNくん、Aくんの細君のMさん、そして私、アンカーはいまチーム最強のIくんと、デコボコチームで走ることになった。たった5kmだけど、編成ができてよかった。

土曜はJTU理事会。週末は雪の予報。そこで明日中に上京することにした。息子のアパートに転がり込む。


1月18日

昨日から例のiMacの電源が入らなくなっている。いよいよか?

朝、ちょっと原稿の修正をほどこして、京都花園大学最終の授業へ。
坪谷画伯、KIさん、KUさん、そしてCさん。学生に最後のことばを贈る。KIさんが震災差別のことを話し、私が学生を元気づけ、Cさんが学生の学ぶ姿勢に喝を入れ、KUさんが死と生を語ることでやさしく包んで、それからはポンポンと言いたいことを話して終了。まあ、ほとんどの学生にとっては変わった授業であったことで、それは刺激になったようだった。一年、講師の皆さん、お疲れでした。
終了後、河原町四条の路地裏にある「みこう庵」(? 居酒屋で非戦平和活動の拠点らしい、日本国憲法9条原文の大ポスターが壁に)で打ち上げ。Cさんの知人、共同通信京都支局の記者さんも同席。9時頃まで、まさしく、打ち上げどおり、楽しく芋焼酎で酔わせていただいた。
在日朝鮮人であるCさんの子ども時代の家族関係のリアルストーリーを聞いたが、話すほうも聞くほうも今だから、そして貧しさを知る世代だからすっと入ってくるのかもしれない。
もう一つ。金日成は朝鮮人ではない、という仮説を聞く。その証左に、ロシアに長くいたことや彼の語録にはレトリックがない、ひどい朝鮮語をあげていた。「彼は朝鮮人の文化をつぶした」と憤怒の形相でCさんは語っていた。初耳である。


1月17日

朝、5時46分。お仕事へ行くクルマのなかで目をあけたまま黙祷。11年が経ち12年目に入る。ウォークに行くことも考えていたが、8時の出発には間に合わないので取り止め。事務所にて雑用して過ごす。

しつこくかかる資産運用の電話。「○○ですが、渡辺社長はいらっしゃいますが?」
ムツッとした声で「17日なので社長は休みです。」と応える。
あっ、と息を飲むような気配がして、「また、かけなおします。」
もう、結構なのにね。神戸市民の特別の日には、営業なんかするな!

夜、松方ホールでぼたんの会主催の竹下景子による震災詩の朗読会に参加。何度か聞き逃していた板橋文夫のフリージャズピアノを初めて聴いた。往年の山下洋輔経験というか激しい即興パフォーマンスに万雷の拍手。
しみん基金神戸の黒田理事長によれば、竹下景子はこの日だけは特別の日として、支援のため神戸に来てくれるという。落ち着いた朗読は耳に滑り落ちるように流れていった。声により言葉もまたさらに生かされていくようだ。

詩の朗読、入選の一編は高校時代の同級生であり、同人仲間だったSくんの作品。絵を描き、小説をしたため、今度は詩編。少なくとも最優秀の優等生作品よりは格段に優れていた。

帰宅したとて、今年は家族となにやら話すこともなく、風化は確実に忍び寄る。

なんでもライブドアに司直の手が入ったらしい。塀際の詐欺師、ついに落ちてしまいました、とさ。


1月15日

昨日、春を思わす雨と風。大倉山の図書館へ、卒論仕上げに必死の娘に同行。ついでに検索してみたら池上英子『名誉と順応』(2000)があり早速借りる。原著は英語で書かれた研究で、日本語翻訳を元筑摩書房の社長が行ったというちょっと変わった書物。サムライ精神の自立と協調を名誉と順応というキーワードで歴史社会学的にさぐり、日本的といわれる集団主義ではくくりきれず、さらには個人主義が根付いていないというのも実は安直な規定で他者にわかりやすくしているだけではないかという課題に果敢に取り組んだ大著である。
やはり日本を立て直すには「武士道精神」が必要なようだ。ベストセラー『国家の品格』(藤原正彦)に、芯として語られているのもそれだろう。ノブレス・オブリージュ、ディーセンシーという言葉にも相通じるものである。
さて2週間のうちに読めるかどうか。

で、今日はJTU理事会提出資料2点の作成でつぶれる。
夕方、iMacのオーバーホールにITアドバイザーのMくん来訪。結局8時過ぎまで。動いてくれるようになったが、ホンネはもう次のマシンに変えたいところ。
本日、論々神戸52号、発信。小さな波紋が広がることだろうか?


1月13日

みずのわ出版のYさんの原稿届く。神戸関係の作品を中心にエッセイ風に書いていただいた。69年生まれだけど、古風な感じが漂う。大手の編集者にはないタイプだろうな。
ネットで注文した『誰も戦後を知らない』『耳かきお蝶』『驕れる白人と闘うための日本近代史』(それにしてもスゴイタイトルだ! ドイツ語原題は「宇宙船日本 1989」)が届く。アマゾンであったり、個人の出品であったりするので、受領の返礼を書いて投函する。なんだか、みずしらずの個人に対して想像がふくらみ、不思議な感じ。
さっそく漫画の『耳かきお蝶』。天保年間を舞台に、耳かきを生業とするお嬢の暮らしぶりがギャグをまじえながら描かれる。ウン、この人の描く雰囲気がいい。ややこしい情報に振り回されない自然な日常での喜怒哀楽である。まだ1巻なので今後が楽しみ。


1月11日

自宅でH電鉄のTさん、ITアドバイザーのMくんを招いて新年会。
歌手の摩耶さんからいただいた鹿肉のたたきが思いのほか美味で、牛のたたきみたいで舌鼓を打つ。TさんはM組の役員、関学の講師も勤める多忙の独身エリート。宝塚の再生まちづくりに関する本をつくるのをお手伝いすることに。
今日もたのしいひととき。

オフィスのiMac、すぐフリーズするようになったので、Mくんに日曜に見てもらうことにした。いよいよ交代どきか。奇しくも明日はインテル内臓のMacが発表される日とか。


1月10日

大学院へ。初めて阪急の「ピタパ」を使う。おー、すごい。いくらか料金はわからないけど、光ったら通過できる。
今年最初で年度末最後の授業。中国論のまとめ。シロート中国論の一念ではあったが、長尺のモノサシで中国を見られたことが収穫だった。ホントに中国が混乱して困るのは世界だ。なんとかうまくやっていってくださいな、胡錦壽さん、という感じで、決して反中・嫌中という感情で切らないでぐずぐずと考えていたい。終了後、打ち上げで焼き鳥屋さんに11人。楽しくも知的にスリリングなひとときだった。
この3月に中国へ帰られる丁先生のいらっしゃる広州外語大学へ来年2月行きましょう、ということになった、実現すれば初の訪中だ。
もう一つ、甲南麻雀連盟の話題。第3軍の組織化が可能になるかどうか。次回は2月4日だそうである。

佐野眞一『東電OL殺人事件』(新潮文庫)を読了。今度論々神戸に寄稿していただくみずのわ出版のY氏の誘いで23日、氏の講演を聞き、その後、二次会もあるというので、読んでみたのだ。
当時、セックス・スキャンダラスな騒がれ方をして冤罪になりそうな事件だったのだが、興味を持たなかったのだが、読んでみて被告のネパール人は無罪になったものの、なんだかうつうつした気分。
そうか、もう8年も前の事件だったのか、と。そばを通りはするが、行ったことのない渋谷・円山町が俄然前景として現れたような気がする。上京の折に、被害者に手を合わせに行ってみよう。


1月8日

ETCの取り付けというのに1時間半もかかるとは知らなかった。それで、ジュンク堂で立ち読み。内田教授の東大の友人で一昨年不慮の事故で亡くなった竹信さん(元朝日新聞記者)の『ワンコイン悦楽堂』。ワンコインの悦楽とは百円、五百円で買う古本のなかから恣意的にチョイスした本の批評のこと。亡くなった彼のPCに原稿データが残っていたものを編集し、内田教授がブログで出版社に呼びかけ、情報センター出版局が落札した企画だ。
高橋源一郎(彼とは灘中・高の同級生)氏と内田教授の対談によれば、彼は早熟の天才、内田教授がレヴィナスに関わるのも、高橋氏が文学に進むのも、媒体は彼だったらしい。なにせ、中1で中3までの教科を、高1で高3までをやっつけてしまう灘中・高のなかで、中学ですでに埴谷、吉本など難解な思想家の著書を読みこなし、異才を放っていたというのだから空恐ろしい。したがって、取り上げられた本も、一筋縄ではいかない。ぜひ、書店で分厚い本を手にとってみてください。

てなわけで午前中はつぶれ、午後はHATのJICA(緒方貞子理事長)でのCODE海外災害援助シンポジウムへ。そして芹田氏の基調報告があり、JICAの浅野氏、スズキムネオ問題のときに話題になったピースウィンズの大西氏、県知事井戸氏のパネルディスカッション。実務家のあつまりだったので、具体的な話にまで踏み込めたのではなかろうか。
さて、神戸空港から海外緊急援助チャーター機は飛び立つことができるだろうか?

HATを歩いていて奇妙な感覚に襲われた。
モダンな新築が目新しい都市空間、整然としたセルフスタンドの奥にはカフェもある。アミューズメント施設も併設された複合ショッピングセンターもできた。空は果てしなく広く感じる。電信柱はもう立っていない。
そう雑多性がまったくといっていいほど存在しないのだ。
歩いている自身の体重感覚が喪失されたように浮遊している。質感がない。いったいここはどこで、今はいつなんだろうか? 


1月7日

再び大寒波襲来かと思われたのに、雪は降らず。乾いた寒さが身に沁みる。
午前中から午後にかけて、ギャラリー島田、アンレーヴ、リ・フォープ、そして市民活動センター神戸(KEC)に挨拶かねてひとまわり。KECでは、アジア地域のフェアトレードに取り組み、大学で講師をされている論々神戸の読者Mさんに初めて出会う。ありがたいことである。
一旦自宅に戻り、明石の画家・坪谷さん宅での趙博(チョウ・
パキ)さんのライブとお食事の会に参加。久し振りにサンテレビ報道局長のMさんや紙芝居の東野健二さんにお会いする。阪神高齢者・障害者ネットワークの黒田さんや明石まちづくり研究所の松本さんなどと最後まで居残り、帰宅したときは午前様でした。


1月5日 

4日。事務所開き。お掃除と片づけと賀状返事書き、そして投函のため、またしても中央郵便局までラン。往復約45分。着替えの際、眼鏡を落としたらしく、左足で踏んでしまう。あわれ、レンズとフレームの片方ずつが壊れてしまった。
今年最初のドジである。BADAのお気に入りフレームなのでモリカワで直せるかどうか、グスン。

今日は午後から、大阪のお得意先へ年始廻り。梅田のJ社、D社、A社。A社でK・ストプラ(なんの略かわかりますか?)局長に久し振りにお会いする。昨年末の大病を患ったとかで、そういえば彼も五十路になる。かれこれ20年近い付きあいだが、もうそんなにという感あり。その後、大国町のC社を訪れ、まだ人通りの少ない今宮駅から環状線に乗って帰神。

これからどのような仕事をつくっていくのか、今年は正念場になると思う。


1月3日

トライアスロン協会の会報担当のS副理事長より連絡。至急、会報の校正を頼むとのことで、事務所でチェックし返送。

箱根駅伝、なんと、トラックのスターがいない亜細亜大学が初優勝。順大、駒大は予想はずれのアクシデント。しかも、復路は法政が優勝という、今年は意外性がつきまとうことになった。それにしても順大の主将、難波君の脱水症状のウラになにがあったのか? 
意識朦朧としていてもタスキをつなぐために彼は5kmも走った。スゴイ精神力と無謀な根性論がウラハラに同居する競技、そこに感動がひそむので、厄介なのである。

クリスマス以来、一週間手つかずの論々神戸のHP更新をやりかけで、陽射しの温かいうちにお墓参りへ。
西神戸の端にある墓地で父にご挨拶。今年は十七回忌。
そしていつものように、近くの押部谷にある性海寺(真言宗)をたずね、友人のご住職夫妻にご挨拶かたがた、おしゃべり。ほし芋、黒糖もち、干し柿など火鉢にあたりながらいただく。
学校教育現場の教師・保護者・子どもに関わる混乱を聞くにつけ、人心の荒廃ここに極まれり、との感深し。
夜は、友人のY夫妻とお嬢さんが来訪。一緒に夕食。彼は某放送局の管理職なのだが、現代の難病、パーキンソン病にかかっているので、彼女(弁護士)が介護しながら、闘病中。
どうしてもからだの動きがゆっくりとなるので、誰かがつきそって動いてやらなければ、ますます筋肉は畏縮するようになる。そこをなんとかできるようなプログラムを考えられないか、と相談をうける。ちょっと、こころあたりがあるので、考えてみることにした。


1月2日

ヤマダ電器の係員がやってきて、テレビの奥の複数ジャックを配線替え、そしたらアララきれいに映ること! わずか数十秒のこと。機器の不良ではなかったのである。取扱説明書の指示とこちらの理解がかみあわなかったことが原因。私の問題でもなく、娘も確認していたのだから若者ならOKというわけでもない。ケーブルテレビとの関連で、どうも話が複雑になってしまうようだ。
係員、2人も来ていただいたのに、手数料は結構です、とのこと。ありがたや。
それにしても、DVDの取扱説明書の分厚いこと、1cmもある。見ただけでウンザリしてしまった。ゆえに、後は娘におまかせ、という次第。

箱根駅伝、今年往路は順天堂大学の優勝。順大・今井選手の山登りが圧巻。上位校のタイム差が接近、明日は断然駒沢が優位に立った。がしかし、今年の往路は波乱含みだったので、順大が久し振りに逃げ切るかも。


1月1日 元旦
あけましておめでとうございます。

いつものようにメイの散歩から始まった。
静かなトラック集積基地周辺にはなにも動きは見られない。時間が止まったようなセピア色の風景だ。
お屠蘇とお雑煮と地味目のおせち、そしてお酒は「奥の松」(母の地元・福島二本松の地酒)で、新年のご挨拶。自分でついたもちで食べる雑煮は、だしの旨さもあって格別のうまさである。息子は年末年始にかけてのクラリネット四重奏の仕事で帰神しなかった。親子3人だけの正月は初めてである。
午後、諏訪山の諏訪神社へ。メイの足を考えて、階段を使わずに坂道から社殿へ。これも初めてのこと。おみくじは中吉。木の枝に結ばず持ち帰ることにした。
その足で北区の次姉宅へご挨拶。母と妹は先着していたので、一緒に夕食。ここで芋焼酎「森伊蔵」(なんでも東京では2、3万円の値がつくという稀少価値もの)が登場。福岡の長姉からいただいたもので、ありがたく頂戴! 味は? といえば、まろやか、上品な甘みの美味しさとしか言えず、私には猫に小判! でありました。


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