混迷亭日乗 Editor's Diary

12月31日

26日 もう仕事納めに向かう気配。

27日 JTU指導者養成委員の相談を受けて、来年の近畿での講習会開催の地ならしにかかる。

28日 事務所の片づけ。しかし、思うようにはかどらず。論々神戸の更新もしばし手つかず。

29日 NPO法人兵庫農業くらぶのもちつきに参加。今年は六甲アイランドなので、9時半から4時まで。
夜は神戸高校陸上部19・20回生恒例の忘年会。いつもの時間、いつもの場所、そしていつものメンバー8名。医者2人、大阪府・兵庫県・神戸市の技術管理職各1人、大学教授1人、主婦1人、そしていわゆる民間は私だけ。皆、一年ずつ歳を重ねていくが雰囲気は高校時代。私が一番年下だけど、N女子大教授のMさんいわく「これからは団塊の世代の元気なところを見せようや」。

30日 年賀状書きに終始。宛名書きと一口コメントのせいか夜までかかって約250枚。ふーっ。

31日 窓、ベランダの掃除。そしてDVDがついにやってきたので何年ぶりかでオーディオボード(これが重い、さらにテレビの重量がなんと58kg)の移動を始めたまではよかったのだが、配線の問題かDVD映像がモノクロで音声聞こえずギブアップ。がらんとした棚のまま年越す羽目に。

それでは皆さん、よいお年を!

12月25日

24日。論々神戸発起人の一人、Sさんに原稿を見せて、今年最終号を発信。

橋本治『乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない』(集英社新書)『人はなぜ「美しい」がわかるのか』(ちくま新書)を同時平行に読んだ。平易な書き方だが、ねじれるようにうねえっていく文体にようやく慣れきたのかというところ。でもおもしろい。
清少納言『枕草紙』と吉田兼好『徒然草』のおもしろさの落差はビンボー貴族としての立ち位置の違いからくるものという指摘にあらためて驚いたり、たかが経済にふりまわされすぎの我々への温かくも突き放した提言があったりの、毒舌とは言わないまでも、十分に「考えさせる」仕掛けがほどこしてあります。ユニークでスゴイ人ですねえ。

寒さが少しゆるむ。全国高校女子駅伝を見てから、陽光を浴びながらジョグ。HATの東端までの往復12km。帰ってきて男子を見る。スタートで出遅れた兵庫・報徳学園のランナーがなかなか映し出されないので、残念だった。
しかし、ケニア人留学生に刺激された日本人が奮起して貯金を守って逃げ切る仙台育英の時代がいつまで続くのだろうか? 仙台育英の各選手の5000mの平均タイムが楽に14分30秒を切るとはスゴイ時代になったのものである。

夜はご近所に住む神戸の外国人学校の先生でアメリカ人のRさん宅でのクリスマスパーティ。
この日のために部屋は一面赤と緑と銀色とイルミネーション、そしてローソク、おっと失礼、やっぱりキャンドルって言わなくちゃ、で飾りつけ。
ホワイトエレファントといって、一風変わったプレゼント交換がありました。説明するのもめんどくさいので、パス。私がいただいたのは、クリスマス・ミュージック100曲入りCD。これはきっといいに違いないと素直に喜ぶ。
参加者の平均年齢は高いけれども、おしゃべりとダンスと音楽と食事とお酒で、楽しく夜はふけました、とさ。


12月23日

今上天皇の誕生日。御歳72だという。「女性と女系」をごちゃまぜにしている国民が多いなかで、男系を死守したい勢力の反攻が始まっている。小泉はどうもこの手の歴史認識が苦手なのか、関心がないのか、丸なげ感覚で有識者会議にまかせっきりみたいだ。

昨日は、雪と寒さのせいで、現代美術のNPO法人リフォープの年次総会は中止。一月に延期となった。
しんしんと冷える夕暮れに三宮に出て、年末・正月用の書籍とグレン・グールドの「イメージ」(2枚組だが、一枚がBach, もう一枚がnot Bachとおもしろい)、そしてケイト・ブッシュ12年ぶりの「アエリアル」を購入。
一旦家に戻って、夕食を終え、女房殿とメイとで最終日のルミナリエへ。今年の色合いはイエローとブルーが基調。12月の寒さゆえか、来訪者は減少したらしい。今となっては観光色が強いだけに、減るのは当然だろう。

論々神戸、今年最後の原稿を書いた。今秋の神戸市長選挙のこと。少しは市民派に刺激になるだろうか? 
夕方、シューズの紐を購入するため元町までジョグ。約8km。
我が家でご近所ポピア組の忘年会。子どもたちの参加はなし。そういう時期にさしかかったということだ。寒さゆえか母の調子は今ひとつという連絡が妹から入り、参加せず。このままだと徐々に衰えていくばかりだ。


12月22日

雪である。本格的な雪である。記憶のなかではポートアイランドに来てから初めての大雪である。
朝のメイは吹雪のなか、嬉しそうに中公園の雪絨毯のうえを、リードを自らくわえながら、走り回っていた。とはいっても、老犬ゆえ、ボテボテ、ドスドスという感じなのではあるが。

小年の頃、但馬に住んでいたことがあるだけに、雪が降ると無性にうれしくなる。
試験管に雪をためて、甘い蜜を入れてシャーベットをつくったこと、
みかん箱に、裂いた竹を火であぶって撓ませて打ち付け、ソリをつくって坂道をすべったこと、
一面雪景色のたんぼをスキーをはいて走りまわったこと、
かまくらをつくったりして、お隣の女の子とお医者さんごっこをしたこと、
降りしきる雪が日本海に吸い込まれて、どうして海は凍らないんだろう、と不思議に思ったこと、
など、次から次へと想い出はフラッシュされる。

こんな大雪の日ぐらい、みんな休んでしまえ、と思ったりもする。


12月19日

年末恒例のもちつき日が決まった。私に「もちつきの極意」を教えてくれた西宮のM家では25日、相生の兵庫農業倶楽部は29日。頼りにされている搗き手としては、例年に増して注文が多いというのは、トホホ状態、である。
午前中、諏訪山の山手大学にてのじぎく兵庫国体競技担当者運営会議。大教室なので寒いのなんの。冷えた2時間でありました。
厳しい冷え込みの夜は中華料理「悟空」にてHTA常任理事会&忘年会。協会設立から19年目、今でも昔話とは思えないのだが、もう20年かと、みなそれぞれに感慨一入。昨今の自転車景気事情など、あっという間に10時半。


12月18日

雪で自宅周辺が白く化粧したというS理事の出迎えを受けて、舞洲へ。
S理事長、S副理事長、アララみんなSです。ともども駅伝出場。
5kmの4区間。私の担当は2区、芝生道から淀川河口沿いの遊歩道折り返しのコース。行きは追い風、帰りは向かい風。S副理事長の置きみやげか、なんと10人抜きの一人抜かれて、一番若くて元気なS理事にタスキを渡す。2人合わせて47分23秒、上出来でしょう! アンカーは理事長(68歳)がふんばってくれました。合計年齢228歳のクリスマス駅伝、対岸の六甲山には雪雲がかかっていたが、南側は快晴の厳しい寒さと温かさ。いい汗をかきました、といっても寒風ですぐに渇いてしまいましたけど。
午後は事務所で、雑用とHTA会報の原稿を書いて送信。
遅い夕食後、しばらく女房殿と娘の見る「女子フィギュアスケート グランプリファイナル」につきあう。アスリート+アーチストの性格を持つ選手たちの一挙手一投足をのがさず、娘はダンスの専門なのでその視点からクールな評価をくだす。まさに氷上の華。この競技はまさに王侯貴族のためのスポーツ。スポンサーがメディアと企業に変わっただけと言ってよい。


12月17日

朝、三たびめのめぐみ外科。額のキズは3日前。順調に回復しているという。
雑用してから京都へ。思いのほか寒くはなかった。
目的は井上よう子さんグループの三人展とAUSのディーン・ボーエン展、いずれも寺町の画廊で開催されている。
井上さんの静謐画はHPでも見ることができる。http://yoko-scene.com/ 一度、おたずねくださるといい。クールな情景におだやかな精神が見えてくる。そして、いい意味での伶俐な狂気さえも仄かに感じられるかもしれない。
もうお二方は工芸作家の井上由季子さんと造形作家の高田ケラー有子さん。由季子さんは文化出版局から何冊も上梓されている、YUKOさんデンマーク在住で、村上龍主宰のJMMマガジンの定期寄稿者であることがわかって、3人の京都芸大トライアングルに喫驚。それぞれに上質の作品を創ってらして眼の保養。

ディーン・ボーエンは、以前アンセット航空日本支社のPR誌を制作しているときに紹介したことがある。とぼけた味わいのヒトや犬が登場する。イラストレーションのタッチが雑に見えるけれど夢があり、そしてあたたかい。

駅そばであわただしく「にしんそば」食って神戸に戻り、ギャラリー島田での忘年パーティに、女房殿と参加。ピアニスト・伊藤ルミさんの来年2月のコンサート切符(県立文化芸術センター)をじゃんけん抽選でいただいた。じゃんけんで勝ち残ったのは、はじめての経験。
民衆の思想史的な出版を一人で営むみずのわ出版のYくんに出会う。その志はもうすでに私にはない。

帰りに母宅を訪れ、例年、渡邊の本家から送っていただく福島のりんごをもらいうける。これが絶品! そう、桃、梨もあって福島は果実の宝庫!。


12月16日

午後から大阪。D社とJ社。そして、アタマかゆいこともあって、心斎橋の「テキパキ」へ。同世代だけにお笑いと同情と自戒の世界。彼女とはずっと髪結い床の感覚でいくんだろうなあ。


12月15日

NPO法人で『神戸からのメッセージ』というフリーマガジン(30000部 隔月刊 12号まで刊行)がある。
80年頃の北野町界隈をテーマに以前から頼まれていたので、いまの北野を歩いてみなければということで、確認するために出かけた。
ウム、空地が散見されて虫くい状態だ。土産物屋さんはあちこちに点在している。25年前との相違を思い出しながらメイと歩いていた。ひっそりとした陰影がなくなっている。ラブホテルが表から消えていった変化を是とするかいなか。
不測の事態が起こらなければ来年3月17日発行号に掲載されているはずである。


12月14日

早朝、仕事場で転倒。額がざっくり割れた(らしい)。血があまり流れていなかったので、バンドエイドで手当して、帰宅。
朝食の後、女房殿が勧めるので念のため、久し振りにめぐみ外科へ。なんだか病因通いが続く。
めぐみさんは、長い間、トライアスロン出場の際に、必ず負荷心電図の検査をお願いしていたこともあって、なじみのお医者さん。一目見ればまぎれもなく沖縄南島出身の顔立ちで、豪快なんであります。なんてったって、昔、Y組のT組長の主治医でもあったんだから。
で、応急のバンドエイドはがして、ひとこと。「鑑持って見てみ。な、わかるやろ、縫わなアカンで」。見ると、ウン、確かにぱかっと割れて、白い頭蓋骨が見えている。アリャリャンリャン。
「麻酔打つからな、ちょっと痛いでえ」。と、確かに痛ーい! でも、あっと言う間に麻酔が効いて、いつのまにやら太い針で3針縫ったそうな。「ま、正月までには治るやろ。ええな」。なにがいいんだか?
みれば、額に大きなガムテープを張っているみたい。今日は、同年代の来客2名。「おっとびっくり」で、注意力散漫はやはり怪我のもと、お互い気をつけましょうね、と自戒しあうのでありました。

ところで、この冬第一級の寒波到来。
播州赤穂浪士討ち入りの日。
幼稚園児の折、若武者稚児の出で立ちで義士祭に参加した。おしろい塗りたくりの顔のモノクロ写真(たぶん1955年)が残っている。住んでいたのは県土木の官舎でお堀端だった。物見櫓と大石神社、そして濠の蓮と蛙の声が一緒になってよみがえる。


12月13日

一日中、ゴーストライターをつとめる。明日が一応の締め切り日なので、さすがに大学院へは行けなかった。今年最後の授業だったので、行きたかったのだが、昨日とか日曜日につめておけばいいのに、と思っても後の祭り。
でも、おかげで、ほぼ4分の3が終了、目処はついた。

あ、そうそう。昨日は蟹すきであった。といってもロシア産(女房殿は「そごう」で購入したそうであります)ではありますが、なにか。でもロシアの方に言います、ホントに美味でした。
蟹は小学校時代(1年〜4年 但馬の浜坂時代)にたらふく食べましたので、別にいいんです、でも負け惜しみですか、ねえ。
東急ハンズでdogs year bookやら陰暦やら額縁やら、迎春の準備の品を求める。月曜日、人出は多いようですね。

再び、あ、そうそう。イスズベイカリーの発芽玄米食パンは絶品です。ちょっとお高いですが、パン食より米食を勧められる身としては、なんかいい落としどころかなあ、なんて思っています。お試しあれ!


12月11日

土曜日は晴れ。午前中にキリのいいところで原稿書きをやめて、一週間ぶりにジョグ。脇浜海岸まで一走り、と言う所まではよかったのだが、向こうでガス欠に。脱力状態で、ふらふら走りで家にたどり着き、すぐにパスタ作ってかきこむ。ふーっと、一息。用心、用心。
夕方早めに、女房殿とメイも連れて、HATで食材のお買い物。関西スーパーという名のスーパー。ヤマブシダケというキノコを初めて見て、食べてみることに。

夜、神戸名画サークルの例会で、なんとウルグアイ映画「WHISKY」を鑑賞。お隣の大国ブラジルとの比較もさることながら、中年3人組のなんともいえないほろ苦い珍道中に、結論を提示しないのだから、?をかかえたまま、帰路につく。
手巻き寿司の夕食で、さっきのヤマブシダケ、なかなか舌触りといい、香りといい、象牙色といい、お吸い物に映えまする。

日曜日。舞子ビラで、兵庫県体育協会主催の競技力向上研修会。高校サッカー界の名門、長崎県国見高校の小嶺監督の講演を聴く。日本一に何度もなっている監督さんだが、最初の20年は徹底したスパルタ教育だったという。どうも、カリスマ性をもつ監督さんに共通するのは、それが下地にあっての、反省も含めて、手綱さばきがあるように思われる。
さらに情熱という覚悟があるので、子どもたちはついていくし、期待にも応えるし、自らすすんで練習もし、耐えられる強いからだになる。
小嶺さんは、お米パワーを信じている。「朝からどんぶり飯」これは頑として譲らないそうだ。
同行したチームテイケイの八尾監督とともに、報徳学園の相撲部監督のYさんと懇談。33年間の高校教師生活のいろいろな想い出を話してくだすって、とても興味深いものだった。


12月9日

金曜夜のお愉しみNHK の「慶次郎縁側日記」は、特番「大阪特集」のため11時からになってしまった。
今クールの最終回。
娘(許嫁)をレイプされ、自害させられた、八丁堀の同心、慶次郎とその養子晃太郎のうらみは、犯人常蔵の病死ゆえに、果たせはしなかった。しかし、それが縁で、さつきと結ばれ、娘八千代が誕生し、舅と父になった。
常蔵の娘おぶんは、父の罪を一身に背負って健気に生きるが、辰蔵(晃太郎の手先で、有能な岡っ引きである)と相愛の仲になり、一緒に住むことになる。

はて、さて、慶次郎と晃太郎の憎んでも憎みきれないうらみは、どうなるのか?

というような話なのだが、詳しくは北原亜以子原作にあたられたし。
昨今の時代小説作家で必ず読むのは、あの世の方々は別にして、氏に加えて、乙川優三郎、杉本章子、でした。


12月8日

日米開戦の日(1941)、そしてジョン・レノンの命日(1980)。
”happy christmas”がラジオから流れる。
War is over, if you want.

自衛隊はイラク駐留を1年間の延長を再決定。アメリカに忠実な国としてさらに記憶に残ることになった。当初の43ヶ国から27ヶ国になっているらしい。欧米というが、WASPアングロサクソン族主導の国と同盟しているといってもいいだろう。
サダム・フセインは、いわゆる戦犯法廷で吠えている。
そして、アメリカ軍がイラクのマスコミを賄賂で報道誘導した、という報道があったばかりだ。


12月6日

大学院。中国の教科書に見られる「反日教育」。現物を見せていただいた。正直のところ、拍子抜けした。一党独裁の共産党政府がつくる欽定教科書のようなものだから、もっとえげつなく旧日本軍の悪行をあげつらっているものだと思っていた。これなら、むしろ、南京大虐殺のことを声高に言い募る左翼勢力のプロパガンダのほうが「キツイ表現」を使っている。一方で、右翼がいい募る「虐殺なんてなく、いわゆる戦争行為における突出した出来事に過ぎない」というのも、我田引水以外なにものでもない。
いずれにしても、日本の教科書と中国のそれでは、近代史・現代史にさいている記述のボリュームが圧倒的に違う。もちろん、わが国が少なくあっさりとしているし、中国のそれは詳述されている。政治体制の違いが如実に反映されている。

終了後、滋賀から来られているFさんとメタモルフォーゼで、一献。フェミニズムや子育てなどについておしゃべり。
来年は、ロシアという話もあったのだが、床屋政談するにはさすがに材料に乏しく、「現代日本論」に戻ることに。


12月5日

木枯らし一番。本格的な冬模様。
置塩医院と飯田眼科。尿は問題なし。薬を減らした結果がどうでるか。
眼のほうは眼圧が19と18。決してよろしくはない。なんとか15以下にしたいというのが先生の希望。薬を追加するにしても、さして効き目があるとは考えられないので、手術も視野に入れておいてください、決めるのはあなたです、とのこと。まさしく自己決定ですわな。これをしてinformed consentという。

しかし、常々思っていたのだが、視野検査にしても、だいたいこんなもんかな、というアバウトな状態で見える斑点に反応してスイッチを押しているが、なんとなく8割ぐらいがあたっているかな、としか言いようがないのである。
これが母のような高齢者だと、判断の遅さが相まって、とても正確な対応ができているとは思えない。そのあたりを勘案しての医者の判断なのだろうが、なんとも割り切れるものでない。
ま、こんなもんだわな、と達観して決めていかなきゃいけない、というなんとも非科学的な判断をすることになるのである。


12月4日

うってかわって雨。寒風吹き荒ぶ。今晩からさらに寒気流れ込む。
ゴーストライターとしての原稿に着手しなければならないのだが、集中できず。

あらためて志村ふくみ『一色一生』(1984 エッセイストクラブ受賞作品)を繙く。染織などの伝統工芸の危機はすでに始まっており、西陣ルポのなかにそれは表れる。細かな分業体制で和装を支える西陣全体がひとつの会社のように描かれている。そういえば、以前うちのスタッフ、Nさんの実家は西陣の芯屋(反物の芯をつくる)さんだった。
権力者の支持なくして維持できない伝統工芸とはなにか、考えさせられる。また、伝統とは「いのち」であると言い切る。因習でも前例踏襲でもない、この断定が救われる思いだ。伝統をありがたがる連中の誤解を正すには十分なことばである。
夕食は湯豆腐。柚子の香り・味がなんともうれしい。BGMは久し振りにペギー・リーの「Black coffee」でした。


12月3日

晴天。神戸の東副都心構想の中心地、脇浜海岸通(通称HAT)までランニング、11kmぐらいを1時間。なぎさ沿いのボードウォークを走るのは気持ち良い。港の水も思いのほかきれいそうだ。
神戸空港開港に向けて、新幹線の新神戸駅からまっすぐ南下できる道路が工事中で、ようやく来年中には貫通するらしい。ポートアイランドからもHATへはアクセスしやすくなる。

午後、「論々神戸」の論考がI記者から届いた。内容はニューオーリンズの地元紙の記者が神戸新聞を訪れ、双方の実情交換に触発されたことなど。論々神戸もはや3年目で、遅蒔きながら50号に到達した。反響はどうあれ、これからも、できる限り続けて行く。

夜、「悟空」でギルガメシュの忘年会。9名+αで楽しく3時間半。来年はクラブ創立20年を迎える。長老のKさんは再度スパルタスロン(246km 制限36時間)に挑戦する予定。さて、私はなにに?


12月2日

友人の翻訳家兼セラピストのTさんに誘われ、六甲山上の「茜庵」へ。ここは一日一組だけの予約制で、お昼と宿泊の両方があり、別棟の喫茶室をご主人夫妻とお嬢様の3人できりもりしておられる。
女房殿と私の次姉と4人で、昼食と檜風呂を味わいに訪れる。来春の亡父の17回忌の下調べも兼ねていた。昭和30年築の山荘をリフォームした一軒家で、はるかに車の通る音が聞こえるほかは音はない。自然の音だけである。
市街地から車で40分。まさに別天地。六甲山の懐は深い。


12月1日

師走に入った。が、そんな感じがまったくしない。
イマニュエル・ウォーラーステインの『脱商品化の時代 アメリカンパワーの衰退と来るべき世界』(藤原書店 2004)を読み始める。アメリカの知的巨人といってよい。
第一次世界大戦と第二次世界大戦は、打ち続く「米独30年戦争」をとらえたほうがよい、とか、東西冷戦は、資本主義VS社会主義というイデオロギー対立よりも「ヤルタ協定」維持路線のなかでのシステム間競争だ、という指摘とか、刺激的だ。


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