混迷亭日乗 Editor's Diary

11月30日

詳しくは言わないけれど、07年の花の祭典コンペは負け。勝った作品見せてもらったけど、絶句。ま、うちでは思いも寄らぬ発想です。女性モデルの頭のうえに花ばかりの盆栽カットだぜ。担当デザイナーとも笑いました。はい、出る幕なしです。スゴスゴ。

夜、神戸新聞で報じられたコンテンポラリーダンスの鑑賞。なんでも神戸女学院大学音楽学部に来春から舞踊学科が新設されるとのこと。その主任教授の振付けお披露めもかねて、ベルギー王立バレエ学校の選抜チームが登場したのである。会場は芦屋ルナホール。
さすが音楽学部の現役学生とOGたちで熱気ムンムン。ほぼ女性ばかりという客席は満員御礼。
期待にたがわぬユニークな振付けと自在な身体表現で酔わせてくれました。跳躍とすり足の双方がからみ、音楽もまさにワールドワイドなエッセンスがつまっていて、飽きませんでしたね。ローザンヌ国際バレエコンクールの審査員で振付けを担当するだけのことはありますね。これからが愉しみです。
女学院の思いきった試みに乾杯!

帰りの車中はレナータ・テバルディの朗々たるソプラノが響いて気持ちよか、ですたい。


11月29日

神戸市役所の臨海建設課を訪れ、神戸空港西端の親水性のある人工ラグーンの整備状況についてお尋ねする。来年2月の開港後、そこでスポーツイベントができないかどうかの打診。「3月になれば、植樹も半ばになるのでお連れしますよ」という返事。期待できそうだ。
大学院は中国の自然観。陶淵明と謝霊運という詩人の自然のとらえかたを通して日本の自然観との比較をする。中国の丁先生が先週に続き足の状態が悪く欠席で残念。先生は鴨長明や吉田兼好の隠遁思想を研究されているのでピッタシだったのに。
内田教授は、現在、高校などで漢文の授業が選択になっていることに憤懣やる方なし。同文同種だからこそ、おもしろいはずなのに。当時、漢文大好き少年だったとかでテストは全部100点。さすが日比谷である。
私とは違った。だって、古くさいし、高3のときの担任の先生が漢文そのもののような堅物だったんだもんね。


11月27日

秋晴れ。今年は、市営住宅前の銀杏の並木が一様に奇麗に染まった。
全日本女子ロードレース(神戸のダウンタウンから神戸空港の滑走路までのコースゆえ、関西テレビも入る大掛かりなもの)。ギルガメシュから3名の女性が出場。午前中だけ沿道で応援した。それぞれ、一般女子の部では全体の上位に入った模様。レースを見ているとやはり、参加したくなってしまう。
午後はプレゼンの付録みたいなことをやっつけてからジョグ。今日のコースにもとりいれられたHAT(県立近代美術館)まで往復約9km。なぎさボードウォークでは、日本人グループだろうかアフリカン太鼓の練習が行われ、ジャンベの響きが周囲のモダンそのものとはそぐわないのだが、練習場所に困っていることだけは容易にわかる。


11月26日

朝のおしごとの後、ギルガメシュのお報せづくり。忘年会は12月3日。いつもながら遅めのご案内で申し訳ない。
中央郵便局から、街頭の野菜売り、そしてHMVでMEWの1st「Frangers」、マリア・カラス『プレミアム』(3枚組)、そして、出たとこ勝負で、聞いたことのまったくないフランスの著名モデル、カルーナの弾き語りを購入。
夜はおでん。そんな季節になりました。土曜日ゆえ、遅くまで起きていてもいいぞ、と思っていたのに、あえなく11時にはダウン。習慣はなかなか変わりませんこと。


11月25日

24日。このところプレゼンの作業が続く。
夜、豚の角煮をつくったら、まあまあの味。成功。

25日。夕方、『グレングールドの書簡集』をとりにいく。ついでに県庁前の古本屋有文堂へ。今日の収穫、幸田文の『木』、多田富雄『免疫の意味論』、養老猛司『人間科学』(『バカの壁』がバカ売れする前の硬質なヤツ)の3冊。いずれも定価の半値近いのでびっくり。

夕食は私特製のカリー、バルサコミ風味のサラダ、モツァレラチーズとトマト、ギョーザ・スープ。
金曜日なので、北原亜以子原作の『慶次郎縁側日記』をしっかと見る。今日は、この作品を通奏低音のように響いている「殺したいのに殺せない憎い奴」がダブルで登場。せつなくつらい話。しかし、縁切り寺は駆け込む役をやった今日のゲスト女優、へたくそでした、興ざめ。なんだありゃ。


11月23日

22日。大学院は中国人留学生Cさんによる『紅楼夢』の解説。三国志、水滸伝、西遊記にくらべ、なぜか、日本では読まれていない書物の不思議について「ああでもないこうでもない」という時間であった。
帰りすがら、三宮高架下の「一貫楼」の餃子を求める。夜は舌ヒラメ、肉じゃが、餃子、サラダとしていたら、女房殿からキツイ一発、「タンパク質ばかりじゃダメよ!」。

23日。晴天。
午前中に、体協提出の書類作成とカンプ用のコピーを書き上げようとしていると、なにげなく、テレビドラマが目にとまった。寺島しのぶが出ている。子を捨てたいと願い、立山の登山道で娘を放置する母役だった。なぜかひきこまれ、終わりまで見る羽目に。泣かされた。脚本は、とみると井上由美子だった。さすが、カンどころを押さえている。
あまりにいい天気なのでジョグ40分。
その後、中央郵便局経由の高架下の古本屋で、以前見たグレングールドの書簡集を確認。明後日まで置いてもらうように頼む。ちょうど、彼の発言集も同じみすずから出たところ。鷲田清一先生が朝日に書評していたので、これは2冊そろえなきゃ、と思ったのであった。ホントに役立つかどうかわからないんだけれど、これも縁だと思うことにしている。


11月21日

予期せぬ出来事。まず、AUSのバンカー兼トライアスリート、Jくんから国際電話があり、香港のBank of America勤務となり、引っ越してきたところ。東京からシドニーに戻ったときに、連絡先を失ってしまったので、なんにも連絡できなくなってしまった、という。そしたら、jinさんの古いビジネスカードが出てきたので、とにかく電話したという。
90年のアイアンマン世界選手権大会の帰途、ハワイ島のコナからホノルルへの飛行機の席の隣にいた青年で、当時は友人の応援のために参加、翌年、アイアンマン・ジャパン琵琶湖大会に参加したとき、我が家に滞在し、一緒に参加したのだった。彼は、もち元気一杯だったから、世界選手権への参加切符を勝ち取って引き上げ、その後、クレジット・リネイというフランス資本の銀行の東京支店に勤務していたのである。
 Jくんは、当時つきあっていたTさんと結婚し、すでに10歳と8歳のboy &girlの父親になっているという。声が聞けて、ホントにうれしかった。来年、日本に来るのは確実だから、ぜひ再会したい。

次いで、一昔前、しごとをさせていただいたH電鉄のTさん(グループ企業の取締役や関学大の講師も兼任)から連絡。今度、ご自身が上梓される本の原稿整理をお願いしたいとのこと。

さらには、なぜかA新聞広告局から年賀名刺広告の依頼。一枠23万円也。出せるような企業をまわればいいのに、新規営業ウーマンのトレーニングも兼ねているのだろう。


11月20日

久し振りに8時まで寝ることができた。ゆっくりの朝食の後、ジョグ50分。午後から堺へ。ご近所のF夫妻と一緒にサンスクエア堺へ。ナビが二人いたのに、高架道路を間違えてしまう。あんな小さな道、とブツブツ。
息子は24歳なのにからだだけは貫禄十分。まるで私の父を見ているようだ。変化に富んだプログラム構成であきさせなかったが、プロとアマ(最年少は高校一年生)の混成だけに甘さも目立つ。彼はといえば、バックをしたがえてソロを演奏するのはやはり気持ちいいらしい。超絶技巧を駆使する見せ場のある曲だったが、後で先生いわく、「今後はやはりコンクールのプライズがほしいな」とのコメント。肝に銘じているはずなのだが、親ゆずりのツメの甘さがあるんでしょうねえ。
久し振りに母も外でのコンサート。車いすが手放せなくなってしまったのだが、はたして気持ちの活性化に役立ったか?

夜は、F夫妻とともに母と妹と食事会。敦賀でとれたトラフグ鍋を中心に、母と妹の誕生日のケーキ(もちろんカッサレード)もあわせてお祝いした。


11月19日

朝から、大阪のサイクルモードショウにまにあわせるため普及用の資料作成。
午後、インテックス大阪に。なかなかの盛況。見ている限り自転車小僧(いい大人もそうである)たちで会場は大にぎわい。
JTUからN普及本部長とI会員拡大委員長が来阪。中年男のトライアスロン体験を情熱をこめて語るI委員長による約30分の実演トークがかえって新鮮。誰かに似ているなあ、と思っていたら学生時代の北九州の熱血漢、Nくんに思い当たった。
彼のいまは全く知らないが、よく下宿(なぜか広い部屋だった)にまねかれたことを思い出していた。
終えた後、本町の居酒屋『しゅく魚』で歓迎会、といっても6人のこじんまりとしたもの。あっという間に10時過ぎ。気持ち良く酔えました。ここでは芋焼酎・伊佐美がグラス700円でした。ぐるなびであたった店でしたが、なかなかいい店でした。


11月18日

息子がまた帰ってきた。今度は20日の大阪・堺での神戸セレーノクラリネットオーケストラ(息子の師匠が主宰、全国のまな弟子で構成される)でソロがあるという。賛助出演の方々(ボランティアですよ!)3名ご一行が我が家にお泊になった。19日が合同練習、そして20日が本番というわけだ。
HMVで「MEW」(輸入盤)を見つけて購入。予想以上の出来。今年のみっけものの一つ。
ライナーノーツの書体が変わっていて読みにくいことこのうえなく、なおかつデンマークゆえ、スペルもどう発音していいのか、さらには男女混合グループだと思うのだが、どの顔見てもどれが女の子? なぜか、ローマ帝国時代のゲルマン系蛮族(男は長髪があたりまえ)を連想する。ゆえににここでは詳しいことを省略。インターネットでおいおい調べてみる。


11月16日

前回の古本屋めぐりのなかで気になっていた本を求めに高架下の古本屋へ。ところが閉まっていた。水曜日のせいか、店の名前も知らないので、あらためて出なおし。
帰りの車のなかで、ちょいといいロックバンドの曲を聴く。調べたら、時間帯からすると曲名は「APOKALYPSO」で、デンマークの4人組MEWらしい。再度確認してみないとわからないのだが、ギターとベースのドライブ感と翳りのある雰囲気がよろしいのだ。


11月15日

大学院は「中国の辮髪と日本の丁髷」比較文化。昔の文献からの引用が多くて、おもしろかった。明から清、清から、近代中国まで、漢民族と満州民族との権力争奪戦のなかで、生死に関わる髪の毛問題が大きなウエートを占めていたことは、一目瞭然。中国と違って、江戸時代にさほど過酷な扱いはなかった日本。それでも、男にとって、髪を切る心境に追い込まれることや、否応なく髪を切られることにプラスの要素がないことに、あらためて院生たち(もちろん女性)が驚いていた様子に、こちらもへえーっ。

授業の後、急ぎ足で西宮北口のメタモルフォーゼにて、J社のディレクターH氏と、ある企画の打ち合わせ。まずは予算があうかどうか、という話ではあるが、2006年の幕開けになるかどうか。


11月13日

カウフマン・デュアスロン近畿ステージのため、メイも連れてグリーンピア三木へ。午前中を過ごして、帰り道に淡河(おうごと読む)の道の駅で、元気で安い野菜を仕入れる。

一息入れて、母上を訪ねていき、誕生日の花とお菓子を渡し、そしていつもの愚痴を聞く。今はもうテレビ・ラジオにも関心を失っているので、静けさだけが支配する孤独感をしきりに訴えるのだ。大げさなのだがしかたがない。今日の様子を次姉に伝える。
その足で、遅ればせながら『エイズとの闘い 及びホワイトバンド運動』と題する林達夫氏(NPOアフリカ日本協議会代表理事)の講演会に顔を出す。こじんまりとした集まりだったが、やっていることは大きい。「ほっとけない世界の貧しさ」キャンペーンは、とっくに始まっている。政策を変える力になるように、と動き始めている。

D社でのしごとで一緒しているS氏が来訪。自宅で夕食(早速野菜をたっぷり使った)をともにする。今後のしごとの展開の相談も含めて、10時頃まで。


11月12日

『ご臨終メディア 質問しないマスコミと一人で考えない日本人』(森達也・森巣博 集英社新書)という刺激的なタイトル。12月のH大での話のネタにと思って読んでみた。
抗議をおそれる優等生社員が垂れ流す報道と自主規制、市民は善意でバッシング、なぜか裏腹の共犯関係をもったまま、世間の意見が形成されていく。
視聴率という化け物にふりまわされて、ジャーナリズムって、死にかけている? 
今日のジョグは65分。快調といってよいペースで12km余。

夜、映画『真実のマレーネ・ディートリッヒ』を観る。ドキュメンタリーだが、ヒトラーの右腕ゲッペルスの要請を断り、故郷ドイツを去り、アメリカ市民として、連合軍兵士を慰問し続けた彼女は、つくられた女優でもタレントでもなかった。
「リリー・マルレーン」「花はどこへ行った?」は、彼女にとってまぎれもなく、自由を奪いとるものへの抵抗の歌だった。


11月11日

午後から激しい雨。大阪で、「臓器移植ネットワーク」が主催し、臓器移植を若い人たちに考えてもらうために、FM802とともに開催したコンサート。制作にはD社も関わったため、関係者として入場。ナンバ8(ハッチ)という会場は初めてだった。出演はお目当ての南佳孝と2グループ。数年ぶりに聞いた。6曲ばかり、アコースティックのユニットで、弾き語り。この日に合わせてか「窓の外は雨」と歌っていたが、女房殿は高音の声の伸びに張りがなくなったわねえ、とぽつり。そうかなあ、と私。加齢によるものだろうか? 
だとしたらさびしいね。なんでもバックのユニットは「湘南たきび隊」というそうな。なんだか隠居気分。
帰りの高速道路も雨だった。


11月10日

懸案だったとある企画書をなんとか書き上げて大阪・本町の割烹『ふる里』へ。

車中で『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』(関岡英之 文春新書)を読む。巻をおくあたわず、という感触。昨年4月の刊行で、現在12刷。まったく知らない著者であり、刊行時にも気づかなかったのだが、たまたま昨日、別の新書を探していたときにぶつかって購入した。
そしたら、今日発売の文藝春秋12月号で、巻頭エッセイとして「奪われる日本」が掲載されているではないか。
編集後記には、編集子が、巷では「おい、あの本読んだか?」という口コミで広まっていった、云々と記している。発売に合わせて、書店サイドが棚から表に出してきたに違いない。さすれば刊行時もさほど話題にはなっていなかったのかもしれない。
しかし、ここにきて自民圧勝の結果、なにかが大きく変わっていこうとする予感がしたのだろう。ぜひ、読んでいただきたい。
20年も30年もかけて、アメリカは自国の国益のために、えげつないほどうまく圧力をかけて、諸要求をのませていっているのである。
小泉、竹中はその走狗といって間違いない。ホント、言いたかないけど、反米ナショナリストになってやる! と思いますよ!

オリンピック代表選手を輩出するトライアスロン実業団「チームテイケイ」の年次報告会。熊本の銀杏から始まり、おつくり、ぶりの照焼き、だし巻き、そして寄せ鍋と。気が付くと11時過ぎ。楽しい時間はあっというまに過ぎ、帰宅は午前様とあいなった。


11月8日

大学院、今週は「東シナ海油田問題」。結論、日中共同開発しかありませんな。しかも、大衆世論に反して、中国の言い分を飲んで、「徳」をみせるしかありませんな。双方の主張を吟味したら、どうひいき目に見ても、この問題でも対立して日本の国益になるとは思えませんしね。


11月7日

血液検査の結果。血糖値109、ヘモグロビンA1c6.6%、いずれも基準値に突入。薬の一つを一日一個に減量の指示。次回は軽い薬に変更される予定。

フランスで暴動。ムスリム少年の逮捕がきっかけになって、同化になじまず、人種的にも、経済的にも、住居的にも差別された若者たちが中心に起こした模様。少し前のイギリスのテロといい、今回の腐乱といい、「共存」と「同化」の施策がほころびた、との報道。
だが、そう短絡的に言い切ってしまっていいのだろうか? タカ派的に、だから「移民を規制しろ!」という趨勢に、加担するだけではないのか?
ヨーロッパの知性を知らしめたヴィルパン首相(国連でブッシュのイラク侵攻に抵抗した)が一時的に鎮圧を行うようだが、立場上の苦悩を推察するのみ。


11月6日

4日。世間的には6日まで連休も多いのかな?
高校の同級生Mくんが単身赴任の東京から一時帰神。昼の3時すぎから、居酒屋で久し振りに旧交を温める。私のボスK氏のことも、神戸商大(現・兵庫県立大)在学中から私より早く知っていて(ということは神戸のシティボーイらしく早熟だったわけだ)、できれば雑誌や編集の世界に入りたかったようだが、そうはぜず、経済実務の世界で生きてきた。今は旧三和BKグループのIT業界に属するが、やってる仕事のことは複雑で大きすぎて、私にはよくわからんが、まあいい。
そんなおっさん二人が開店前の居酒屋で、カウンターの親父さん相手(といっても我々より年下)に昭和30年代以降の三宮近辺の情緒などについて、しゃべっているとあっという間に夕闇のなか。ほろ酔い加減で帰宅。
さすがに置塩医院へは明日に延期。たくさん飲んだとは思わなかったのだが、その後のことは、あまり覚えていない。金曜夜のことだから、NHK時代劇『慶次郎縁側日記』(原作・北原亜以子)を観ていたはずである。

5日。朝のしごとの後、置塩医院へ。尿酸、蛋白まったく異常なし。血圧136/70。通常よりやや高め。血液検査。この結果次第では、薬を軽くしよう、という。しかし、低血糖発作がこわいので、腹が減っているときの運動は厳禁、となった。
で、帰宅して朝食。その後しばらくして、3日と同じポートアイランド2期工事区を廻るコースで、ジョグ75分。体重61.6kg、体脂肪15.1%。
軽く昼食して、高架下の古本屋めぐり。プレゼンし療養の花の写真、その他、人間国宝・志村ふくみの随筆を2冊、タイトルにひかれていたのだが、まだ読んでいなかった江國香織『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』、鷲田清一『死なないでいる理由』などを購入。とある書店で孤高のピアニスト、グレン・グールドの『書簡集』が4500円になっていた。私が、というより、息子に読んでほしいと思ったので、どうしようかと迷った。果たして、そのように贈ったものが喜ばれるかどうかは、まことにはかりしれない。自分がそのようにされたことがないので、すぐ東京の古本屋に行くかもしれないではないか?
女房殿は内田先生の甲南合気塾でみっちりお稽古。疲れきって帰ってきた。

そして今日。ギルガメシュのKくんが障害者国体出場のため、チームメイト6名で応援に岡山の児島へ。
50m自由形、50m背泳ぎで、いずれも銀メダル。障害区分が細かく分かれるが、彼は左半身不随のため、片手で泳ぐ。来年は日本選手権出場をめざして、練習に精を出す。トライアスロンで培った精神で、理髪という仕事はできなくなったが、あきらめずにチャレンジする姿が彼を変えていった。
その他、さまざまな障害を持ちながら、皆それぞれが懸命に泳ぐ。メダルがあってもなくても、皆で支え合うこういう大会の雰囲気が、彼らに勇気を与えることは間違いないようだ。


11月3日

文化の日。快晴。ジョグ75分。5分40秒ペース。神戸空港方面への整備が着々と進んでいるようだ。なんでも「海鳥園」という植物の温室と鳥類の飛翔が見られるガラスに覆われた施設が完成している。12月8日の開園という報道。日米開戦とジョンレノンの命日。
女房殿は大阪での子ども教育問題のシンポジウムに参加。なんでも、昨今の母親が家庭内教師化現象を起こしており、子どもの休まる胸になっていないそうな。合わせて、「聴く力」を取り戻すことが印象的だったらしい。阪大の鷲田清一教授の著書でも指摘されているし、内田先生も同様のことを何度もおっしゃっている。愛であれ、気遣いであれ、コミュニケーションなど、起源の経験は常に受動的なものである、と。


11月2日

人と防災・未来センターにて、「双六展」を拝見。版画家・岩田健三郎氏のサイン入り「双六」をいただく。すでに60枚ほど売れたらしい。
担当の高校時代のクラスメートのUさん曰く「(将来の)お孫さんと一緒に遊んでね」には一瞬、唖然。
その後、デザイナーNさんと、中旬の予定されているあるイベントのプレゼンの打ち合わせ。ダメモトでデザインとコピーで「しっかり遊んでみる」ことを確認。

夜、ギルガメシュの例会。隠岐の島、四万十川100kmマラソンの話題が中心。そして、忘年会を12月3日に決定。


11月1日

もう霜月。
ある企画案を作り上げなければいけないのだが、中途で止まったまま。なかなか「これだ」という説得力のある地点まで到達していない。
その前に片付けなければならないものがあって、アタフタ。大学院はギリギリに飛び込む。今日のテーマは「中国と北朝鮮の関係 とくに経済事情」。同志社大国語学講師、Fさんの発表。学者の卵らしく過不足のないレジュメと資料。
中国にとって、周辺は戦争をした経験のある国ばかりのなかで、唯一それがないのが北朝鮮。だから、冷熱期間はあっても、援助し続けるのは当然だということがわかった。独裁体制は具合が悪くても、中国人民にとっては、ほっとできる国なのだという。北夷・東狄・西戎・南蛮に囲まれたなかでの通り道といってよい。北朝鮮の経済特区となった羅津・先鋒地区をとおれば、そこは開けた日本海。米軍と直接対峙する台湾海峡を挟んだ緊張感はない。

夜、娘が見ている芸術祭参加作品のテレビドラマ「火垂るの墓」(野坂昭如・原作)をなにげに見てしまう。出来えお一々あげつらうことはしたくないのだが、海軍大佐である父の教えを頑なに守り、理路整然と生きることで妹を飢えで死なせてしまった神戸一中生(当時のエリート)である主人公の生き方と、母を空襲で失った二人を始めは温かく受け入れてくれた叔母さんの配給不足になるにつれての非情なまでの差別が描かれていて、庶民の女性のたくましさ、したたかさに、複雑な思いを抱く。
舞台となった西宮の小高い丘の満池谷は、市の焼却場と桜の名所で知られているところ。昭和20年、そこから西は大空襲で焼け野原だった。


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