混迷亭日乗 Editor's Diary

10月31日

版画家・岩田健三郎氏の「阪神淡路大震災双六」限定100部印刷納品完了。迫力のある可愛さで上出来、ぬのがみという紙の質感がよくて、好評。一枚1000円で頒布するという。そこで旧知の神戸新聞社会部記者のIさんに連絡。取材を依頼する。合わせて、論々神戸の50号への寄稿も依頼する。ずっと震災によりそってきた記者だけに、信頼できるからだ。本来ならずっと前に書いてほしかったのだが、ようやく正式にお願いできた。


10月30日

大阪・千里国際学園(インターナショナルスクール)でのJTUちびっ子・ジュニアトライアスロン教室のため、6時過ぎに出発。ようやくの冷え込みが秋らしい。参加申し込みが140名、当日参加は101名。無料なので気軽に不参加か? シーズンオフになったので、オリンピック代表選手、現役の強化指定選手も参加してくれて、大盛況。子どもたちにとっては、実りある教室だったと思う。
今後は、大阪の中心地(例えば、なみはやドームや長居公園など)で、500名規模で行えればという案もあるが、一体誰が責任者となって請け負うのか、それが問題だ。
保護者の皆さんには、体力が知力を養うこと、「私の身体は頭がいい」(@内田先生)、そして栄養の重要さをお話して、締めくくった。参加された保護者を見ていると、トライアスロンはまさしく、いま話題の「下流社会」(@三浦展)では行いえないスポーツであることは確かなようだ。


10月29日

朝は、しのつく雨。天気予報が的中。
目薬が切れたので、飯田眼科。左目の視力が若干落ち気味。それよりも、本を読むのに、眼鏡をかけないほうが読みやすくなってきた、という現実に不自由を感じる。どうしても、両眼で重なる視野欠損の部分に気がいってしまう。先生いわく、「糖尿のHbA1cを8%以下に押さえたい」。わたしゃ、HbA1と勘違いして「10%になっていますよ」、と応えていたのだが、帰って記録値を見ると7.4%。「なんだ、落ちてるじゃん」と安心する。ま、気休めだけど。
夜、マリンバ奏者・名倉誠人Nakura, makotoのリサイタルで松方ホールへ。ニューヨーク中心に活動し、年に一度は日本で公演する。神戸高の後輩でもあり、超絶技巧と類い稀な才能で、現代音楽にも通じる演奏活動を行う。ポップな曲を演奏しないのが、この時節、逆にいいですね。今回は一柳慧の曲、そして小泉八雲の青柳物語にインスパイアされた楽曲(写真映像も合わせて)が光っていた。


10月27日

淡路市から担当者が来神。来年の国体トライアスロン競技の打ち合わせ。淡路特産のさつまいもをいただく。ジュニアと一般の2本立て。リレー種目も検討材料としている。
夜、JTU近畿ブロックの会議で大阪。近所の読売新聞大阪本社周辺でぼや騒ぎか? 消防車とパトカーが集結。7時から9時半まで、2府4県の代表者の話を聞く。大会開催施設の売却譲渡や開催市町の合併での人員削減などで、開催が危ぶまれる話が浮上。ホントに地方は疲弊している。スポーツ文化に予算と人員の余裕がないのは情けないかぎり。
ただ、ジュニアの参加が増えていることが希望の芽だ


10月26日

版画家・岩田健三郎氏の震災すごろくの原版を見せていただく。さすがに、可愛くて迫力のある絵になっている。きっと売れる。11月1日から、すごろく展覧会が人と防災未来センターにて始まる。


10月25日

内田先生の『街場のアメリカ論』をいただく。ネコまんがのサイン入り。「恵存」と書いてある。本を贈られた方ならご存じだろうが、お手元にお置きくだされば幸いです、という意味の謙遜語。素直にうれしい。
マリーンズが快調。3連勝。でも、どうして下柳の後はウイリアムスじゃなかったんだろう? わからない。


10月24日

神戸市長選挙。予想通り、現職の再選。投票率30%。我が家で投票したのも3人に一人でした。


10月23日

土曜日、朝のしごとを終えて東京へ。この10日間で3回、しかもほとんどしごとではない、というのが寂しい。
茗荷谷のつくば大東京キャンパスで、Japan Olympic Academyの年次セッションに参加。JOAの会長はJTUの猪谷会長、そして理事長はJTUの理事でもあるWさん(東京で翻訳会社経営。しごとでのパートナーでもある)なので、出席。課題は「オリンピック招致のためにJOAは何ができるか」。午後1時から5時半まで白熱した議論が行われた。もっっとも、重要な点は、2016年のオリンピック招致に不可欠な市民の意識の盛り上がりをどうつくりあげるのか? ということ。その理念が先であって、決して都市整備、経済効果、国威発揚が目的ではないことだ。日本オリンピック委員会、日本体育協会、スポーツ文化研究者やジャーナリスト、スポーツビジネス関係者らが会員らしい団体だけに、まずはしっかりした理念があるから、オリンピックを招致するんだ、ということでなければ、仮に成功したとしても文化遺産にならないだろう。
懇親会では、駅のすぐそばのトラットリアでイタリア・ワインを中心にいただいた。出席していたJOCの事務局幹部は、さすがに切れ者といった感じ。国際慣れもあるし、会話にソツがなかった。

秋晴れのお台場での第11回日本トライアスロン選手権。近畿ブロック女子代表、3名のうち完走は1名。男子は5名のうち2名だった。やはりバイクで逃げ切れなく、周回遅れになってしまう。スイムでトップから5分以内の差
であがらないと、苦しい。
男子は後輩の平野司(関西大学・22)、女子はベテラン庭田清美(アシックスザバス/在AUS・34)の優勝。
今年は財政難のあおりを受け、女子委員会のフォーラムやアワードパーティが設定されず、ちと寂しいものがあったが、やむをえない。終了後、W理事、N理事とお茶をのんで解散。4時の飛行機で帰神。


10月21日

午前中、大阪のJ社。その後、心斎橋の「テキパキ」で散髪。
グッッドニュースとバッッドニュース。娘が、大阪外大大学院に合格。アフリカ地域文化の研究に入ることになる。一方、息子は日本木管コンクール、一次予選に残らず。
夜、生田川畔の北京料理『悟空』(うまくて、安い!)で食事。「おめでとうと残念でした」会。参加者170名のうち15名に残らなかったのだが、息子曰く「前のヤツが残ったのに、なんでだろう?」。本選出場者の過半数は、芸大の先輩、後輩たちだったらしい。クラリネット四重奏の仲間のOさんは勝ち残った。日曜日に結果が出る。
たった4分(課題曲が一曲、二次予選では3曲吹ける)で参加料¥30000、参加記念品に立杭焼の花瓶。「記念品いらないから、参加料安くしろ!」と負けおしみ! を言っておりましたね。また、2年後はどうするのかしらん?


10月20日

あわただしく日々が過ぎる。日記というよりも、まとめのようになってきた。

16日。日曜日。『中国における市民社会』関連本に集中。ジョグは一週間ぶりで1時間。11kmぐらい。体重61kg。

17日。レジュメ作成にかかりっきり。なんとかできた。フーッ。

18日。大学院発表終了。終わった後、中国のT先生が「私も中国の市民社会は、まだ芽生えたばかりだと思います。これからもいろいろ教えてください』とおっしゃった。共産党の許す限りでのNGO、NPOだけに、政府の肩代わりとしてパートナーになっているので、日本の市民社会と単純に比較してもはじまらなく、そのうえでの展開がどうなされていくのか、ということになる。相互に偏狭なナショナリズムの台頭が頭痛だ。
終了後、仏教大Nくん、同志社大Fさん、お互い博士課程を歩む聴講生と「メタモルフォーゼ」で談論。社会学と国語学、フムフムとうなづくこと、多し。

19日。飛行機の時間を間違え、新幹線で上京。横浜で「横浜トリエンナーレ2005」を鑑賞、時間が少なく、あわててJTU会長である「猪谷千春IOC副会長就任祝賀パーティ」に滑り込む。全国から約1000人に及ぶ方々が参集。
岡野・日本サッカー協会会長、羽田孜・民主党副代表、中山・文部科学大臣、柔道の山下泰裕氏など、スポーツ関係者が大集合。トライアスロンのPRにも大いになったと思われる。

20日。芦花公園の世田谷文学館で開催されている『藤沢周平展』へ。開館前に着いたのだが、閑静な住宅街で休むところなく、お掃除おばさんにすすめられて、道路をはさんだ向かいのゴルフ練習場の談話室で待っていた。そこには、平日の朝からゴルフ練習に興じる、ゆとりある高齢者たち、がいた。
藤沢氏の生現稿を眺める。升目にこじんまりと端正な文字が並び、推敲の後も伺えるが、総じて少ないほうだそうだ。作品の生まれる背景もさることながら、氏の生そのものに、好感が持てる。文壇というものにも、積極的ではなかったそうだが、功なり名を遂げてなお、つつましさを失わなかった作家だった。日々の仕事をこなす人々と同じ視座を持っていた。

約30分間のあわただしい観覧だったが、しかたない。羽田までどのくらいかかるかわからなかったので2時間の余裕をもって出た。
偶然、便が一緒だったので、搭乗口で息子に会って帰神。彼は週末にある2年に一度の日本木管コンクールに出るためだ。はたして今回は、どうなのか? 練習三昧ではない日常を送る彼にとってはハンディだろうが、それは言ってもせんないこと。本選に残ることを祈るばかりだ。 


10月15日

11日。血液検査の結果を聞く。血糖値134まで下がる。HbA1cも7.4%に。まだ正常値を上回っているが、
予想以上に改善されているらしい。コレステロールが246と、まだ高いので、気を緩めずにいこう、と医師・置塩くんは言う。「なんでかなあ」と言うと、遺伝的体質もあるので、と、ごにょごにょ。

仕事の遅れで、大学院講義に遅刻。今日のテーマは、中国の社会関係資本。見えない資産(invisible asset)京大大学院性のKくんの2回目。途中からだったので京は発言なし。10日のことがあったので、来週のテーマを「中国における市民社会」にすると言ってしまった。でも、市民社会って、できあがっているんだろうか? 先生の新著『街場のアメリカ論』では、院生・聴講生への謝辞として、私の名をあげていただいたそうである。年長だからかな? でも、正直、うれしい。
インドから帰ってきたFさんから、象のキーホルダーをいただく。可愛らしい木の彫り物だった。帰りに、明日のお土産用お菓子を住吉の「カッサレード」で求める。

12日。ジュンク堂で、中国の市民社会関係の書物をあたってみるが、なかなかコレというものがない。うーん、どうしよう。
夜、いつもの「ノミーナ」で、ギルガメシュの例会。11月、岡山障害者国体出場のK君応援の方向で、青垣マラソン出席を調整することにした。

13日。あわただしく、というわけでもなく、東京へ。新横浜で下車、F社へごあいさつ。春のプレゼンのこともあり、今後のこともありだったのだが、少し早く付いたので、目の前に広がる山下公園ののんびりした雰囲気を楽しむ。ちょうど、横浜トリエンナーレをやっているので、次の19日の上京の折にはぜひ、観にいこう。パンフレットがカッコイイ。
夜、JTU理事5人(ブロック代表)とともに渋谷で食事。2時間ほど歓談。

14日。息子のアパートを8時に出て、永田町へ。HTA会長である末松・参議院議員を訪ね、19日のJTU猪谷会長の国際オリンピック委員会副会長就任祝いの集いへの出席をお願いする。日本人2人目の快挙ゆえ、JOCと日体協の共催となった重みを伝える。とても忙しそうで、寝る時間が少なくなった、と。
次いで、震災後の阪神淡路復興基金のときから知り合いで、当時から好青年だった市村・衆議院議員を訪ねる。ちょうど、委員会質問の前だったが、久し振りに会ったのでにこにこと迎えてくれた。もう息子さんは5歳になっているそうな。そう、震災から10年だもの。

11時より4時半まで、青山学院で理事会。今後のJTUの方向性を決める財政面でのメドがついたとの報告があり、同慶のいたり。トップセールスの成果か、トライアスロンという文化に財政支援していただける企業が出現したのである。
軽食の懇親会を経て、夜、10時すぎ、新神戸。

15日、土曜日、雨。午前中、データを印刷会社へ送付。午後、ジュンク堂にて中国関連書物を漁る。夕方、事務所に帰り、さっそく読み始める。明日にはだいたいのレジュメの骨子を作っておかなければ、バタバタになってしまいそう。
ちょうど公開中の映画『蝉しぐれ』に会わせ、藤沢周平関連ムックも刊行されており、夕食後は11時まで、それに夢中。

死ぬまでに山形の鶴岡周辺にも行ってみたい。


10月10日

朝の仕事を終えて、事務所にいき、論々神戸のHPを更新。
午後から、六甲で神戸大学文学部の岩崎先生がコーディネーターをつとめる市民社会研究会へ出席。筑波大学、神戸大学、韓国外語学院大学の先生方4名の、中国、韓国の市民社会に関する報告。フィールドワークもありの、実に興味深い報告発表だった。なにせ共産党の存在感の圧倒する中国なのだが、どうもそのほころびが否応なく進行しているようだ。それが吉と出るのか凶と出るのか。
内田先生の中国論のテーマにしても面白いかもしれないと思う。次の週だから、何にするか決めなくてはいけない。
終了後、岩崎先生、先生の助手Tさん、大学院生Yさん、そして韓国のチョ先生、をまじえて5人で近くの居酒屋で会食。チョさんいわく、「どうしてみんな帰っちゃうの? 韓国では、これから一緒に討論するよ」と不満顔。岩崎先生が、「大学はいま、みなさん忙しいんですよ」ととりなすと、「じゃ、先生は、ひまなの?」と切り返し、大笑い。
さすが岩崎先生、日韓の歴史問題や国民性の比較文化をまじえて、楽しい懇談となり、参加してよかった。


10月9日

近畿ブロックのトライアスロン・シーズンも終わって一段落。でも、朝6時半には、私が寝ていることがわかるとメイが「早く朝ごはんちょうだい!」と起こしにくる。なかなか朝遅くまで眠ることができず、ンモーッ。
まだ読了していない『ローマ人の物語 第12巻』(塩野七生)にとりかかる。紀元後200年代、皇帝が短期間にごろごろ変わるという不安定期の叙述。皇帝VS元老院のバランスが悪い意味でとれているため、内憂外患に対応できなくなりつつあるローマ帝国。そろそろ14巻が出る時期がやってくる。早く、追っかけなくっちゃ。

夜、藤沢周平原作、映画『蝉しぐれ』を観る。原作、テレビドラマ、そして映画。それぞれに味わいがあって、それなりに楽しめた。女房殿はテレビドラマの感動があったので、映画の2時間余は物足りなかったようだ。
筋書きの合間に入る自然の映像美と民の暮らし、あらためて、まぎれもなく江戸文明が滅んでしまったのだと痛切に感じる。無機物の存在しない世界、である。黒土監督、構想15年をかけた初映画作品だった。今後も期待できそう。


10月8日

パキスタンで大地震。またしても都市直下型。多大な犠牲者が出そうだ。

朝からH大学の学生の感想に返事の朱入れ。80人ばかりなので、午後3時頃までかかってしまった。その後、約40分のジョグ。ちょっと身体が重い感じ。知らなかったのだが、近くの神戸女子大が新たな学舎を建設中、健康福祉学部だそうな。どこもかしこも、生き残りのために、就職最優先、IT、介護、リハビリ、健康、栄養と見事なまでに専門学校化している。わかるけれども、じっくりものごと考える気風を残す大学が少なくなる。それでいいの?

夕方、画家・中辻悦子さんの個展でギャラリー島田へ。 H大学生の添削簿を坪谷講師に手渡すこともあったので、一緒にお邪魔した。
久し振りに中辻さんの抽象作品を観る。もう10数年前、彼女のシルクスクリーン作品を大阪・石橋のギャラリーで求め、今も部屋にかけている。オープニングの日だったので、作家の人たちでにぎわう。
井上よう子さんもいらしていた。いつもからだのこと気づかっていただいて、恐縮。今度、海の見える大きな建物の一面(壁面)を飾るプランがすすんでいるそうだ。ご同慶のいたり。

帰り、小雨、ぱらつく。


10月7日

置塩医院で血液検査。尿に糖は降りていないので、たぶん改善されているだろう、とのこと。

夜、松方ホールにて、うーろん亭ちゃ太郎さんのオペラ落語を聞く、聴く。これが爆笑もの。カウンターテナーまでやるので大変だろうが、そこは東京芸大受験を首席で不合格という経歴の持ち主、50歳できっぱり「止める」との判断は了解できる。これからはビデオでしか聴けないのは残念だが、見事な一芸であった。企画した神戸芝居カーニバルのNさんに拍手。そして、すすめてくれた都市プランナーのOさんにも御礼。


10月5日

小雨模様の京都。H大、今年4回目で、最後の講義。「ことば発想法」は受けたようで、珍しく拍手が起こった。
終了後、坪谷講師と三宮の『花へんろ』で軽く一献。還暦を間近にするようになって、これからのことを話しているうちに、彼女は本当に旬の食材を生かした料理が得意なので、明石近辺の旬の素材しか使わない、一月10日間ぐらいしか開けない、そして、文化の香りがする美味くて安い割烹やをやろう、と話が盛り上がる。酒の席のことなので、細かいことはまだ全然。でもまあ、夢の一つかな。

留守中に、
元ダイエー、デイリースポーツ(神戸新聞系列)、今は東京で「人生蘇生プランナー」なる肩書きで、メディアや政界、ベンチャー経済界、そしてアート系表現者のネットワークを形成しながら、さまざまなイベントにからんでいる友人Nが神戸にやってきた。
女房殿とも文化活動を通じて懇意なので、話をきいたら、今度の神戸市長選挙で、彼は、M候補の支援のための選挙パフォーマンスのプランニングをやっているとのことだった。
ありゃまあ、である。で、なにやら、お願いがあったらしい。私は詳しくは知らないけれど、なにやら息子と娘に手伝ってほしいとのこと。選挙応援運動員として音楽と舞踊で何ができるというのだろうか?


夜、「ハルとナツ」4回目を見る。1951年の単独講和によって、敵対国であった日本とブラジルは、ようやく行き来が始まる。それでも戦争に日本が勝ったと信じてしか生きられない父親の姿が妙にせつない。ブラジルから逃げ出し、軍人として成長し、特攻で死んだ息子を自慢に思い、日本人としての誇りだけを生きがいにして生きてきた北海道出身の貧農を、愚か者だ、と冷笑できはしない。


10月4日

午前中に雨模様。H大学生の「総選挙メディアリテラシー問題」の感想にチェックを入れる。80人もの数なので時間がかかってしまう。ていねいに応えるなかで、一人でも二人でも、社会への関心をいだく学生になってもらわないと、という想いで「朱」の返事を入れる。
午後、女学院へ。後期、私にとっては初めての授業。テーマは「1989年、天安門事件」。いまだ全容は伺い知れず。中国人であるT先生と留学生に当時のお話を聞く。情報公開されないお国柄ゆえ、把握することはむずかしいし、ふつうの国民にはほとんど影響なく、知的階層と学生を中心にした不満が暴発した様相。民主化要求の指導者たちは、当の国民に支持されず、当時のアメリカに保護される構図は哀しい。
地方のK大学の学生だったT先生は、開放感こそ味わったものの、決して政権に歯向かったわけではないという。まして北京のことがわからないので、北京大学や清華大学の指導者たちにしたがったまでだという。バスや電車が無賃状態だったというのが印象的。動乱鎮圧で何名の死者があったのか、300名とも1000名とも言われるが、真相は不明だ。デモ隊の数だって100万とも数十万とも言われるが今もってさだかではない。
当時小学生の留学生は、教科書には簡単に書かれているだけで「よく知らない出来事」だという。多くの中国人にとって、あれは西側の国が大騒ぎをしただけの「遠い国の出来事」だったのかもしれない。
今の天安門では、デモ・集会の類いはは禁じられているそうだ。
夕食は、娘お気に入りのキムチ鍋。


10月2日

土曜日。午前中から午後にかけて、事務所。木・金と夕方走ったので、今日はパス。体重は60.8kg。少しずつ無駄肉が復活しつつあるようだ。
古くからの友人Mくん(といっても、50は越えた)の結婚式の立会人(といっても署名するだけ)のために三宮のMホテル付きチャペルへ。
新婦は初婚で30代になったばかり。ご両親は私と同年代か? さぞ複雑な心境ではあることは容易に想像がつく。ほとんど情報がない状態での出席だったので、これから、とっちめてやるつもり。彼に紹介してもらったフリーラーターのOさんと女房殿と一緒に、近くのTホテルのトラットリアで軽食。フォカッチオというイタリアン・バーガーみたいなヤツとビール(おお、久し振り! 今日は女房殿の許可が出た!)エスプレッソで、秋の夕暮れのおしゃべり。
夕食は、女房殿お手製の餃子。これがお世辞ぬきで、うまい。

朝、6時には勝手に目が覚める。メイを連れて大阪舞洲スポーツアイランドへ。今日はゲスト扱いなので、のんびりムード。本部テントでは、大阪府協会K副理事長の奥様とお嬢ちゃんがメイのお相手をしていただいた。芝生や小さなせせらぎあがあるので、一日、野外の匂いを嗅いだので満足だっただろう。
今年10回目を迎えた大会は、開催場所が、毎日メディアをにぎわす大阪市の外郭団体の整理統合の対象なので、来年度については、その行方が定まっていない。願わくば、スポーツ振興のためにも存続されんことを祈る。市民の健康増進にとって大切なことまで、予算カットではたまりません。

夜、娘が見るというので、NHKのドラマにつきあった。橋田壽賀子脚本の『ハルとナツ』。昭和初期のブラジル移民(神戸・山本通に待機収容所跡があり、現在は、建物を神戸の現代美術集団CAP HOUSEが管理)の労苦の物語の1回目。
感情移入過多の演出(脚本?)が華につくも、このような歴史的事実を知ることはいまの若者には必要なことだと思う。


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