混迷亭日乗 Editor's Diary

9月30日

月末の金曜日。夕方、明日から公開予定の映画『蝉しぐれ』の前売券を求めにハーバーランドまで。そしたら、東京では見られない前売券なので近くのローソン行かれたら、とのこと。店のおにいちゃんが寄り添って、高齢者みたく、機械の前に立って、キー操作を眺めるだけ。その方が早いからだ。
ついでに、その道筋の古本屋の前に駐車スペースがあったので寄ったみたら、レヴィ・ストロースの『野生の思考』(1976年)が1500円だったので、即購入。娘のため、とはいいながら、自分のためっでもありました。近刊では5000円ぐらいじゃなかったか、な?

9月29日

ながらくのご無沙汰。今年懸案の淡路島大会が無事終了。脱力感とお視事が重なってようやく、「論々神戸」に向きました。

23日。お彼岸の中日。午後の早い時期に企画書あげて、墓参りの予定だったが、時間がおしてしまい、女房殿にお任せする。
夜は、大阪の老舗トライアスロンクラブ「コスミック」のパーティにお招きいただいたので出席。しかし、時間を間違えたうえ、降りる駅も「堺」と「堺東」を間違え、あわててタクシーでホテルに駆け付ける始末。40分の遅刻。ぼけてます。

24日〜25日。淡路島トライアスロン大会。書き出すと長くなるので、省略。
過去4回の大会のなかで再高の出来。本当に胸をなでおろした。事故なしが一番。帰宅後、事務所で企画書のチェックと見積書の作成。

26日。朝一番で大阪のJ社に企画書、見積書を提出。連日、休みにもかかわらず5時台に起きていたので眠いことこのうえない。夕方は、再び大阪のO社にHPの展開案を提出。一日大阪2往復だったので、夜は、娘が夕食(キーマカレー)をつくってくれた。週に一度の休肝日。

27日。明日から始まるH大学講義のレジュメづくり。当初の予定を変更して、「総選挙におけるメディアリテラシー」をまとめて、話すことにする。
この作成のため、後期が始まった女学院大学院は欠席。夕食は、豚肉と野菜中心の鍋。

28日。双六のデザインをコープに持っていき、そのまま京都・H大での講義。
二条駅近くの線路ぞいに、立命館の大学院学舎が建設中だった。産学協同という約40年前なら考えられない路線を突っ走って、ビジネススクールみたくになっている日の出の勢いの立命館、今はいいだろうが、いずれ疲弊するのではないだろうか。プラグマチストを排出するアメリカの大学をまねてどうするのだろう?
今回は、ほぼ時間一杯しゃべりっぱなし。にもかかわらず、寝ていたのは10人程度。まあいいほうだろう。この「現代メディア文化」、始まって丸4年になるが、学生の人気も高く、来年までは確実に続くことになった。
坪谷講師も、作品制作にかかりっきりで、今日は京都帰りの一献をなしにして、7時半頃に帰宅。夕食は、油ののった秋刀魚とゴーヤチャンプルー。

29日。学生の宿題だった作文『私の想い出』(縦書きと横書きの落差を調べるため)をちらっと読んでみたが、ウーン。ここまで大学生の作文能力が落ちているか! 現実に、あらためて唖然。
午後から、大会後片付けの手違いで置き忘れられた俵型ブイをひきあげるため翼港に向かう。秋の好天、海の色がきれいな明石海峡、平日、なにもしないでぼーっとしていたい。
夜になって、元町の「REGAL」で、ダブルモンク・タイプのシューズを購入。スリップオンタイプは好きじゃないのだが、なぜか、このスタイルは別で、キャンペーン中だったことも手伝って求めた。ショッピングはストレスの発散というのもよくわかる。


9月21日

高校時代のクラスメートUさんが来訪。彼女たちが企画する「双六展覧会」のフライヤーのお手伝い。版画家の岩田健三郎氏の原画をいただく。なんとも味わいのある絵柄がほほえましい。
雑談で、どうしても今どきの学生たちや公務員に対するバッシング、の話になってしまう。Uさんのだんなは神戸大で英文学、Kさんのだんなは勤務医で内科専門。ともに独立行政法人化によって、さまざまな影響が出始めている。要は、なにやら社会に直接役立ちそうもない認定されたジャンルは隅に追いやられてしまいそうな気運なのだ。いやだねえ、といっても始まらない。


9月20日

午後、HTAのS理事長とともに新・淡路市長への表敬訪問。もっと地元が主体になっていただかないと大会は長続きしない、という致命的な欠陥を抱えているのが、哀しいかなわがトライアスロン。今年は、ゲンナマが大幅に足りないのだ。


9月19日

世間的には三連休。しかし、今日はぶっ倒れていた。土曜、日曜と全体としてからだにだるさがあっって、今日は、昼間3時間ほど寝ていた。本を読んでは寝て、を繰り返す。2日続けたランも今日は取り止め。

土曜日。金子勝・アンドリュー・デウィット共著『メディア危機』(NHKブックス)を読了。花園大學後期の授業のとっぱしに、これと総選挙をからませて、話をしようと思う。アメリカのメディアのていたらくが日本に伝播し、海外論調の主たる流れを構成する。その怖さをあらためて強調したい。欧州の論調とでバランスをとらなければ、メディア・リテラシーそのものが育たない危機感を持つ。

日曜日。多文化共生シンポジウム「日韓交流」のため、松方ホールへ。
辛淑玉(シン・スゴ)、朴一(パク・イル)・大阪市立大学教授、音谷健郎(ジャーナリスト)、宮崎みよし(現代美術家)という面々。文化交流も政治の前には形なし。在日に対する日本政府の圧力がなくならない限り、怨嗟の声は巷に瀰漫するが、気づこうとしなければ、ないも同然だ。震災時の神戸の在日集落と部落問題をマスメディアは避けて通る。
このシンポジウム、朝日新聞神戸版にも大きくとりあげられたが、聴衆は約50人程度。しかも、在日の方が多かったように思う。もっと集まってもいいはずなのに、神戸の関心はこんなものか。

会場の南側では、よさこい大集会が行われていたようで、大勢の人々。俺には、あの踊りがわからない。なにやら「華美装飾トラック」人間版、もしくはカラオケの踊り版か? みんな、自己表現したいんだろうが、その表現レベルがいかにも拙い。そこがいいのかもしれないが、残念ながら、私の美意識をかすりはしない。

夜は、ご近所のFさん宅で、久し振りの仲良しポピア組会。


9月15日

陰暦葉月12日。蒸暑が去った。9月になって初めてのひんやりとした朝。

昨晩、明石の坪谷画伯宅にて花園大学講師陣の打ち合わせと称するお食事会。全員ではないが6名での小宴。明石の肴(魚)づくしゆえ、美酒と美味を堪能。キス、タチウオ、タコ、ごまどうふ、旬菜などなど。
話題はやはり総選挙と学生など若者の票。集まりの方々は、いわゆる野党系の立場。憤懣やる方ない、やるせなく、憤り、はては「こんな日本に誰がした!」となるのだが、それを言っちゃ、ますます若者は逃げ、避け、現状肯定のたこつぼに入ることを助長し、それを保持するための改革を指向するだけになってしまう。

午前中、大阪・梅田。事業記念誌・競合プレゼンで、値段勝負になるのかどうか?
とんぼ返りで、午後、淡路島で大会実行委員会。ということで、一日が終わった。
交流のつばさ港の修復担当ゆえ、約35年前、父が勤務していた洲本土木事務所を挨拶に訪問。当時、近代化のシンボルともされた兵庫県総合庁舎だったが、今はその面影はない。港湾担当者は不在だったが、女子事務職員(ほんとはアルバイトかもしれない?)の変容(化粧バッチシ、美形であることは間違いない)に驚く。神戸の町中を闊歩している、金髪・穴空き脱色ジーンズ・へそだしルック、そのもの。一日3便で3時間かけて船で訪ねた洲本はいま車(高速道)で1時間。ファッションに時差はない。帰途、立ち寄ったT病院の事務長(そう、40歳前後かな?)だって、今風の楕円形薄型のセルフレーム、カラーはオリーブグリーンですぜ!

スタッフが担当していた月例の仕事、予算縮小で10月末で終了。またしても冬がやってくる。

そういえば、神戸市長選挙は10月23日だそうだ。


9月13日

総選挙の分析があちこちで語られ、述べられる。やはりユニークかつ深刻な問題を指摘するのは内田先生の毎日新聞掲載原稿(ブログに再掲http://blog.tatsuru.com/)。そこで見られるのは、大衆の「弱者」への嫌悪感と、自分だけが「弱者」と主張できるというミーイズムの浸透など、不気味で陰湿な気配の瀰漫だ。常識的でまっとうな庶民の姿を見つけるのが困難な時代にはなってほしくない。

友人の会社が会社更生法の適用となった。
知性といい人格といい、サラリーマンから出世して、オーナーからバトンタッチされ、経営者として立派にこなしてきたのだが、冷酷非常なこの時勢には合わなかった、としか言い様がない。

取り残されそうだ、というのは自身もそうであり、加齢と仕事の中身とのズレが実感されないうちに、転進がはかれるかどうか。転進というのは日本陸軍の言い訳で、実は撤退だったのだが。


9月11日

木曜日から世界選手権蒲郡大会と岡山国体が続いた。午後、神戸を出発、約4時間の道程で蒲郡着。記念イベントのアクアスロンの世界選手権、といっても、本番の選手権出場者のなかから、チャレンジする選手が出場するというおまけのようなイベント。平日の夜のレースのため、熱心なファンと関係者のみが見守るという、なんだか寂しいレースであった。ほかの開催地でも、こんなものなんだろうか? そうではないような気もするのだが。
宿舎は高台に建つHホテル。ホテルとはいうが、なんだか改装につぐ改装で迷路のような古い旅館の典型。しかし、露店風呂は広くて海が一望でき、すばらしかった。

8日は、A理事長の組織にまつわる「思い、つぶやき」を受け止める一日となった。はたして、これからのトライアスロンは、どこへ行こうとするのだろうか?

9日。朝から夕方まで、ITU(国際トライアスロン連合)の総会にアテンド。世界33ヶ国の代表が集まっていた。委任は認められないので、出席しないと議決に参加できないことになる規則。A理事長の横の席で、感想や相談を受けながらの長時間、英語オンリーの世界に浸り続ける。くやしいけれど、中身の半分以上がわからない。各国の代表者たちの発言を聞くうちに、国際競技団体のなかでの存在感を表すには、それにふさわしい人物を送り込まなければ話にならない。しかも、残念なことに、アジアからの発言は、日本の猪谷千春・ITU副会長兼IOC副会長だけだった。
途中、高円宮妃殿下(Princess Takamado)が臨席され、立て板に水の如きの英語による歓迎スピーチ(もちろん、ご自分の意見もはっきりとおっしゃる)で、場内を圧倒。まさに、日本の皇室外交の一端をかいまみる思い。外国人をも感嘆させるのだから、アンチ天皇制をかたくなに唱える向きは、見たくもない現実だろう。
一方で、夕刻からのVIP歓迎パーティ。本来は、遠路いらしたITU総会参加者を歓迎するという意味合いだろう。しかし、彼らはさておいて、地元の愛知県知事、市長、議長はじめ、スポンサー企業代表者のみが高円宮妃殿下を囲む一席で固まるといういかにも日本的な席となった。せっかくだからITU総会参加の各国代表者などと交流すればと思うのだが、そうはさせないところが、いわゆる「国際センスの欠如」である。まさか宮内庁の指示ではあるまい。盲目的な天皇制支持者たちの思考停止基準を見せつけられた感じだった。
終了後、神戸に帰る。高速代の節約のため、刈谷まで地道を走ったのだが、2度ほど迷って、東明ICから伊勢湾岸、西名阪を通って約4時間。午前様で、疲れました。

10日。午後、宝塚からHTAのS理事長の車に同乗させてもらい岡山県へ。午後5時半頃に、新見市神郷地区に到着。中国山地の人造ダム湖畔に、広いキャンプや体験交流のできる立派な施設、温泉、多目的広場などが点在する。まさに山の天気の典型で、大雨が降り、本番が心配されたのだが、翌日は早朝、霧がたちこめるなか、晴れ上がり、絶好のコンディションとなった。
バイクコースは里山のなだらかな道路を周回するコース。山、たんぼ、点在する農家、せせらぎの小川、いかにも日本の原風景といったところ。うらやましい限り。

子どもたちから一般まで、無事、レースは終了。帰りはHTAのK技術審判員の車に同乗、中国道ではほとんど爆睡。明石まで送ってもらい、午後8時頃帰宅。
総選挙の開票速報を見る。「自民が300まで行く」という。マスコミの予想以上に大きく振れたようだが、伯仲してほしかった、というのが本音だった。鬱々たる気分になる。
さ、コイズミくん、君は国内的にはなんでもできるわけだ。

午前1時まで待ったが、兵庫6区の知人の「当確」が出てこないので寝ることにした。


9月7日

台風一過。近畿の直撃はなかった。
がしかし、淡路島の翼港が大波をかぶり、またしても道路の剥離が起こったという報せ。スイムができることを祈るばかり。県洲本土木事務所(35年前、父が所長を勤めていたところ)の皆さん、よろしくお願い!

夜、東急ハンズ西隣のレストラン・バー「ノミーナ」にてギルガメシュの例会。出席6名。こちらは、秋から冬に向けてマラソンシーズンに入る。とりわけ、四万十川100kmマラソンの話題で盛り上がる。死ぬまでに一度は出てみたい大会の一つ。


9月6日

娘の勧めで国立セネガル舞踊団の公演(神戸文化ホール)を見せてもらう。ギニアの音楽と舞踊には触れてきたので、比較検討ができる。やはり部族の違いからか、セネガルのダンサーは背が高くてスリムだ。踊りは洗練された統一感というよりは、エネルギッシュでアクロバティックで、ややエンターテインメント性にも富んでおり、さすがに世界各国歴訪するだけのことはある。
さらに衣装の色合いが鮮烈で、美しい。これについていえば、楽器の解説で登場した団長(中年の男性)が着ていた、真っ白の貫頭衣、実に見事な美しさ。流れるラインのコンビネーションが漣のようで、素材はなんなのかわからないが、ほれぼれとした。ヨーガンレールが好きそうな感じ。イメージでいえば、オリンピックのときの役員の着ている民族衣装、だろうか。

娘は、ロビーでアフリカ民芸品の販売を手伝う。公演を終えた打楽器奏者が現れて、今叩いていた自らの楽器「ジェンベ」を売り始めた。売って国にかえりたいのである。
娘によれば、「彼らは、名手だから楽器にはそんなにこだわらないし、先進国で売れれば、いい稼ぎになるもの」という。


9月4日

陰暦葉月朔日。蒸し暑さは格別だ。

2日は飯田眼科で半年ぶりの視野検査。欠損%が上がった。ついに両眼でも見えていないところ(視野でいえば北東部のある部分)とが出現している。糖尿の影響もあるのか、治療に通い始めて安定していた%が2、3ポイント悪化。「あなたは50代半ばなので、後20年はもってもらわないといかんので、次の検査結果次第では、手術も考えねばならない」ということ。
たしかに、読書にしても新聞にしても、裸眼で読んでしまいたくなる、ここ一、二ヶ月。なんとなく、意気消沈である。

3日。ミスター・トライアスロンこと小原工選手(シドニー五輪代表)の岳父が31日に突然の死去。
朝の仕事を終えて、あたふたと(まさに)8時半の高速バスで鳥取県米子へ向かう。やはりラクチン。

バスのなかで数年前の芥川賞作家・堀江敏幸の『雪沼とその周辺」を読む。雪原に佇む一両の気動車が描かれた装幀にひかれて購入したもの。数々の文学賞にも輝いているが、雪沼という北海道の田舎町に棲息する心静かな人々の気持ちを描いたもので、地味でまっとうな、まるで和菓子のような短編連作集だった。まだ40代前半の作家だが、どうして、50、60代の世代のこころが、微細にわたり、ていねいに描かれ、そして読者の解釈の余地を残していく。残響が沁み入るといっていいのだろうか。 

立派に喪主を勤めた小原くんの涙顔に、思わずもらい泣き。ハワイ・アイアンマン世界選手権に連れて行く予定だったそうな。今年はきっと父上の想い出と一緒に、溶岩大地を疾走することだろう。合掌。
帰りのバスに乗る頃には轟々たる雨となり、中国山地も涙雨。10人の乗客の沈黙を乗せて、午後8時前に帰神。
食事前、この米子行きについて、女房殿のよけいな一言にむかついて、不機嫌。

今日は今日とて、朝、5時45分に家を出る。次にゆっくり寝ていられるのはいつになるのか?
まほろば奈良ドリームランド大会も、会場自体が、近鉄のあやめ池遊園地の閉鎖で活況を呈しており、来年も開催できるような見込みが出てきたようだ。参加82名は昨年を30名ほど上回っている。なかに、買い物自転車で参加する若者グループがいて、思わず健闘を称える。「来年もコレで参加しますよ!」と元気な声。
開催中に訃報。トライアスロンのバイク・マーシャルで馴染みの大阪のTさんが一年余の胃ガン闘病の甲斐なく死去、との報せ。

大阪・天六での通夜。無宗教で行われる。焼香の際、集う人々の故人に向けての一言が、その場に居合わせた者のこころへ響く。最期は、淀川キリスト病院だったそうな。わが友人、Tさんが最期に過ごしたのもここだった、きっとやすらかな最期を迎えられたことと思う。合掌。


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