混迷亭日乗 Editor's Diary

8月31日

29日、30日、31日とメイは点滴。しばらく続けて、血液検査をして、肝臓悪化値の低減がみられればいいのだが。

このところめっきり朝が涼しくなってきた。朝日の力も弱々しい。
昼、友人のYくん夫妻が顔を出す。市民病院の待ち時間が1時間は有にあるので、散歩がてらに立ち寄ってくれた。彼はパーキンソン病という難病に罹っているのだが、A放送の部長で、しごとはきっちりやっている。一方、彼女は人権派の弁護士で、難問題をスパスパとさばいていくので、当然のことだけどひっぱりだこだ。
二人でゆっくり散歩しているのを見ると、遅かれ早かれ我々もそうなるのだと思ってしまう。

一方、T社のNくんに久し振りに電話すると、「糖尿にきくいい薬があるから、邱永観先生のHPを見れば」とアドバイスしてくれた。その名は『癒消散』ゆしょうさん、2瓶セットで2万円だ。うーん。さすがに高いわい。
で、とりあえず主治医・置塩くんの指示を仰いでからのことにする。

夜、土曜以来のジョグ。7kmを約40分。湿気が高く、すごい汗をかいてすっきりした。体重は60kg。

それにしても、新しい眼鏡がどこへいったのかわからない。きっと7月半ばあたりからのことだろう。ケースも見つからないので、まじで、心配になってきた。


8月28日

昨日、タージーアニマルホスピタルから帰ってきたメイは、やはり元気なく、夕方の散歩も家を出たところで蹲るしだい。結局、おしっこだけで帰宅。
また夕食では生まれてはじめて、家族のお相伴を預からないという羽目に陥った。メイにしても丸一日食べていないだけに欲しいのは欲しいのだが、吠える体力もないのかもしれない。
主治医Sくんから「絶食!」と厳命されているだけに、どうしても「少しだけならいいじゃない」とあげたがる女房殿は、再度Sくんに電話するも、すでに病院は閉院。あきらめて自身もそそくさと食事の時間を切り上げて、メイと一緒に我慢しているようだった。

で、本日。再び女房殿と病院へ。看護スタッフの協力で、階段を抱き上げて昇ったということ。
薬をいただいて、「食事は少しだけならいいですよ」とのこと。野菜スープ状のごはん。
回復力が早いのか、夕方の散歩も近くのダイエーまでは行けるようになった。心なしか、眼の色も、一昨日の黄ばみ(黄疸症状)から、ふつうに戻ったかのよう。
しばらく点滴を受けるために、「近くの方がいいだろう」ということで、明日からは、Sくんの元スタッフで、六甲のフォーゲル動物病院へ行くことになる。

一方、私のほうは朝6時、浜寺公園へ出掛ける。8時前に、南海電車の駅を降り立つと、一瞬、昭和30年代の郊外の駅前商店街が、という錯覚。浜寺水練学校で有名だったところだ。とにかく静かである。国道(らしき道)を渡ると、立派な松林が広がる。こんなにすばらしい松だとは思わなかった。さぞかし、戦前は白砂青松のきれいな芽渟海が広がっていたことだろうと、想像する。水路をはさんで西側埋め立て地の大工場プラントがうらめしい。

大会は小学生から中学生までのジュニア・オンリー。約


8月27日

23日。置塩医院。血液検査。薬を飲み忘れないように、とのこと。F建設のコンセプト考える参考に、岩井克人の『会社はこれからどうなる』を求める。03年に発行されたものだが、『会社はだれのものか』に先立つ名著といわれる。

24日。高校時代のクラスメートOさんが、カッサレードのショップカードを見て来訪。市民活動の一環としてのあるイベントのフライヤー(最近はチラシのことをこういう)の作成依頼。もちろんボランティア価格。彼女は、だんな様が確か甲南大学の教授だったかと思う。聡明で、かつJRCや生徒会活動を行うマジメなひとだった。なんだか、ここにきて、高校ネットワークのつながりが復活してきたというのは、なんだか不思議な気がする。
夜8時までオフィス。F建設のカンプ用原稿を仕上げる。

25日。淡路島大会、現地視察、コース確認、そして救急対応の淡路聖隷病院、平成東浦病院へご挨拶。帰ってきてから、光プレミアムに伴う光電話のNTTの工事。なんだかよくわからないのだが、いいコースを選んでいただいたようだ。
夜、ジョグ。走りだしからからだが軽く、キロ5分ペースでいける。いつもの8.5kmを45分で駆け抜けた。無理はしていないのだが、からだが速く走りたがるという状態。からだは順調に回復にかかっているかのようだ。体重は58kg。
血液検査の結果を置塩に聞く。血糖値は、前回と変わらず222なるも、グリコヘモグロビンも10.8%にまで下がってきた。「いい傾向だから、薬を続けよう」。

26日。朝夕はめっきり涼しく感じられる。特に天空と日陰は秋の気配。
大阪、F建設へ。だいたいのかたちが定まってきたようなので、来週半ばまでにはほぼかたまりそうだ。帰途、堂島のD社により、さらには新星堂によって、フレーニーのベスト盤、シューマンの交響曲4番、そしてアラニス・モリセットのアンプラグドを購入。
夜、NHK総合で藤沢周平原作の『秘太刀 馬の骨』が始まる。金曜夜のお楽しみがこれから6回だ。そういえば、『蝉しぐれ』が映画になったそうな。もうすぐ封切りだとか。山田洋次監督とは違うのだが、『たそがれ清兵衛』をしのぐかどうか、これもお楽しみ。

昨晩、メイが嘔吐。女房殿によれば、夜半まであわせて七、八回も吐いたそうな。今朝の散歩でも、我慢していたのか、すぐに胃液だけのようだが一度、吐き出した。通常ならクサを食べに行くのに、だるそうな感じで、遠くへ行きたがらなかった。
主治医のSくん(HTAの事務局のあるタージアニマルホスピタル)に電話して、すぐに連れていく。
最初、子宮まわりの膿を調べるスキャンを行い、異常はなかった。しかし、血液検査で数値に異常が出た。結果は、なんと、肝臓疾患。
で、今日は絶食。代わりに点滴を打ってもらった。点滴は肩口というのか? そこへ皮下注入。たいまち、らくだのようなコブができて、じわじわとからだに廻っていくという。Sいわく、「ドッグフードはおすすめできない。できれば、人間と一緒のものを食べさせて。栄養供給のため、点滴でしばらく通ってもらわないといけないかも」と。
今までの蓄積でどっとあふれるように一気にきたのかもしれないが、それにしても、肝臓とは。老体であることは確かだが、頑丈さがとりえのメイに、このような病魔が忍び寄っていたとは。

メイの老いと病いにつきあうときが、ついにやってきたようだ。


8月21日

11日。午前中、あたふたと片付けして、息子をのぞく家族揃って、福岡経由、長崎へ向けて出発。私にとっては4年ぶりの長崎。午後10時すぎに福岡の大姉宅に到着。義兄は11時過ぎの帰宅。Q電の副社長になってからというもの、ほとんど平日は家で夕食はないという。明日も、初盆の社員宅に社長、副社長、取締役あわせて手分けしてお参りだとか。

12日。ゆったりと朝の食事をいただき、5年ぶりの長崎東高同窓会に出る女房殿を筑前新宮駅まで送った後、私と娘は姉と一緒に、昼食は卸売り市場近くのたつみ寿司(博多一の評価とか)で上にぎりコース。「すごく、美味しい」のひとこと。こんなお寿司は生まれて初めてだった。
その後、天神の大丸、三越、岩田屋などでショッピング、私はシャツ、娘はシューズをプレゼントしていただく。なかなか決められない娘の買い物つきあいは疲れる! そして一路長崎へ。
全然混むこともなく到着、ところが、車庫に4台の車が入るため、メイの降りるスペースがとれず、大汗かくも断念、帰りの遅い女房殿にまかせて、バタンQ。

13日。女房殿と義母、義姉とともに、西海町(現在は市)にある義兄の歯科医院(実家、今年父上を亡くされた)宅を訪問。お参りをする。帰ってからは、寺町界隈の散歩。整備された石畳み舗道の色合いが風景になじんで心地よい。

14日。午前中、二人の甥とともにお墓参り。その後、昔ながらの民家のままの氷(特製ミルクセーキで)屋さんでかき氷を食べる。この店は女房殿が中・高生の頃から変わっていないとか。いまも実に小気味良いおばあさんが陣当指揮をとっているのだ。当時、40代だったんだろうなあ。
夕方は、JTU九州ブロック理事のKさん宅でご馳走になる。市街中心部からクルマで15分たらず、閑静な地域で、少し山の方へいけばホタルが乱舞するという。地方の一軒家は広い。仏壇も堂々としていて、ゆったりとした空間がうらやましい。

15日。お盆、精霊流しの日。
お昼に行こうとしていた茶碗蒸しで有名な「吉宗」(よっそう)は行列がすごくて断念、結局ご近所の「慶華園」のチャンポンと皿うどん。両者とも、店によって味が異なるので、どこでもいいというわけにいかないのである。
6時頃から町内の精霊船(全長10mぐらいで、2両連結、舳先は円錐形のみよしと呼ばれる。連結の上には亡き義父の描いた達磨和尚の水彩画布が掲げられている。)に集まり始める。御供物を船に乗せて、銅鑼、爆竹、花火とともに市内のコースを練り歩く。八幡町の法被を借りて、町内の大人と若者が一緒になって八幡町から大波止の港まで精霊船を引っ張っていく。爆竹と花火の喧騒のなかで、ふとそれが途切れる瞬間、人はみな、祖霊との対話をしているのではないだろうか?

大波止から八幡町までの帰途、義兄が「県庁前ば、通って帰らんね」という。そこが精霊流しのいわば目抜き通りで、観光客やメディアも最も多いところ。大きな精霊船はここをゆっくりと通り、また規制は厳しくされるけれども、機動隊との小競り合い引き回しを行い、やんやの喝采を浴びるところだ。
法被姿ゆえ、車道の端を通ってもとがめられず、県庁前に到着。そこは煌々とした明るさ、そこになんと全長30m〜40mにも及ぶかと思われる巨大な精霊船が登場、なぜか担ぎ手は黒ずくめの若衆たち、粋な和服の姉さんたちが周囲に点在、一目でその筋の家中のものとわかる次第。前の船との間隔を大きくとって、自分たちのペースで行こうとしているようだった。規制なにするものぞ、という気概なのだろう。そりゃ、ケガ人も出るのは当然だ。
八幡町に帰って、公民館でご苦労様会。ご婦人方の手製料理とアルコールで、ひとしきり町衆の情報などに話の花が咲いていた。これも伝統行事ゆえの見えない財産、資産だ。

16日。義母にご挨拶して、長崎に別れを告げる。約750kmの行程、3回の休憩をはさんで、午後10時頃に帰神。

17日。ふだんの日に戻る。

18日。NTT工事、光プレミアムとかいうブロードバンドに変更。旧型iMacの作動が早くなった。
8日以来のジョグ。体重が59kg台になった。確実に増えていっている。

19日。大阪のF建設への提案。とにかく暑い。汗の出方が以前に戻った感じ。
明日の児島行きにそなえて、カヌーをひっぱりだし、据え付け器具を取り付けてくるまにセッティングした。大汗かいた作業だった。

21日。昨日からHTAのY常任理事とともに倉敷市児島に入る。高速降り口を間違えるポカ。今年7回目のファッションタウン児島国際大会。大会前日のカーボパーテ、ひらめの刺身と蛸のてんぷら、地元ジャズバンドの演奏が大目玉。
今年はカヌーでスイムのスタート、及び選手の監察を担当する。久し振りの水上滑走がうれしかった。
が、スイムで1人、病院へ搬送された。心臓関連の異常かもしれない。詳しくは後の報告を待つことにする。
岡山県協会幹部には、万が一の場合、事故経験者として、アドバイスできることはすると伝えて、会場を後にした。
帰宅後、ご近所のFさんとお食事。福井と長崎、福島の直産品によるバラエティに富んだ夕食。イサキ、アジ、ベラ、カワハギ、さつまいものツル、トイモ(初めて食べた)、ジャガイモなどなど、腹八分どころか、いっぱいに食べてしまった。


8月10日

9日。長崎原爆投下の日。
長崎生まれの女房殿はこの夏、四回目の東京、今日は日帰り。臓器移植ネットワーク関係の仕事であわただしくなっている。
午後7時半には息子の出演するピアジュリアンへ。今回はシューマン、ブラームス、モーツァルトという名曲ばかりのごまかせないプログラム。後で聞いたのだが、彼の先輩が「お前のモーツァルトには色気がない、優しくやさしく吹こう、としすぎているねえ」。うーん、おもしろい表現だなあ。

10日。北神戸に住む次姉が馬刺し(熊本産)とじゃがいも(こちらは、郷里の福島産。妹から)を持ってきてくれた。当然、糖尿の話。なんでも、姉のかかっている医師は糖尿の権威だそうで、私の話を聞いたら「異常な血糖値ゆえ、原因をさぐるために即入院」と宣ったそうな。人は実験台ではありませぬ。
午後からはアンレーヴ撮影の立ち会いで大阪・新町のスタジオへ。6時にはテキパキによって、近況報告。
とってかえって、北京料理「悟空」で夕食。この店で腹八分を守るのはクルシイ。
明日は、休み前にいろいろ片付けて、福岡・長崎に向けて出発する予定。女房殿も締め切りをかかえているゆえ、いつになるかはわからない。


8月8日

午後、締め切りの仕事を片付けてから、三宮の置塩医院へ。彼は自社ビルパーキングを持っているのでマルピーがただ。
2週間分の薬をもらって、血液検査。明日、結果を知らせるので電話してくれ、とのこと。現状報告の後、四方山話。置塩は、マジで医師会以外のしごとしていないって、ホントかな?

あわただしい夕食後、カッサレードのパティシェであるOくんと西宮のバー「メタモルフォーゼ」へ。地元西宮のFM局「さくら」の収録のゲストにオーナー兼現代美術家の坂出さんを紹介したからだ。簡単な打ちあわせっを終えたところに、マンガ評論家であり、大学でも教鞭をとっている村上知彦氏にばったり。「一緒にいい?」というので、3人でおしゃべりすることになる。Oくんは31歳、マンガは身近だったので、手塚治虫など昔のマンガのことや出版、現代学生の生態のことなど、ここぞとばかりに質問責め。あっというまに11時を過ぎていた。帰り着いたら午前様。
明日の演奏のために帰神した息子と一言二言で就寝。あ、4時間睡眠だ。


8月7日

日曜朝、加藤典洋『僕が批評家になったわけ』を読了。批評というジャンルがいかにして可能になったか、そこには誰もが読めるという環境があるかないかが大きい、という。
研究者が学会を相手に発表するのはむろんのことだが、やはり開かれて出していただかないと内向きのものでしかなく、他者の眼にさらされてこそ、評価も定まるというものだ。
内田先生の批評についても、好意的に評価。なぜ、これほどの人が今までまともに相手にされなかったのか不思議だ、と訝りつつも、集中的に出された書物のレベルはいずれも高いと書いている。
その舞台となったのがホームページだったこともあって、新しい書き手の登場としてとりあげた。だからこそ、ウチダの論が世間の眼にふれて、評価する編集者が現れて、支持するものが増えていったのである。

午後、事務所で整理。日暮れどきになって、メイと娘とともに明石・松江海岸へ。6時を過ぎればプライベート・ビーチ同然。水もきれいで、波打ち際には碧の海藻がおびただしい。
何度もメイと一緒に泳ぐ。やはり、あばらの浮き出た身体がさびしい。日没まで過ごして、帰途に明石銀座に立ち寄り、明石焼(いわゆるたこ焼きではない。だが、だし入りつゆでいただく美味なもの)を持ち帰り、おいしくいただいた。

ヘルシンキ世界陸上が始まった。本来ならばワクワクするのだが、夜半の放送なのでライブでは見られない。
それに、水泳も陸上も、なぜNHKではないのだろうか、民放はうるさくてしかたがないのだ。


8月6日

立秋。
そしてヒロシマ原爆投下の日。

いつも通り、朝の仕事、メイの散歩、朝食。そして今日は「アンレーヴ」へ。打ち合わせ、ランチの後、ジュンク堂書店で資料の探し物。HMVでは、マーラーの交響曲2番、サティもの、そして女房殿が気に入ったというファジル・サイの最新盤「モーツァルト・ピアノ協奏曲」を求める。
夕方、いつもの7.5kmコース、途中まで快調、途中でリストウォッチのラップ機能が変調をきたし、時計はとれず。でも、たぶん、一番いいはずだ。ここでも体調の良化がみられる。

夜は、昔ホストファミリーをしていた韓国のソンヨンさんと娘のヨジンちゃん、そしてライターのOさんが来訪、お食事会。ソンヨンさんは神戸大学大学院を修了後、同大学及び他の大学で韓国語を教えているが、中学生の頃あったきりの久し振りのヨジンちゃんは釜山の三菱電機に就職が決まったという。
日韓比較文化論になってしまうが、彼女も日本の大学生の日本語能力の劣化には驚いている。もうすでに、日本の大学卒の肩書きは、世界に通用しなくなっているといっていい。

そして神戸は大花火大会だった。


8月5日

テルミー温灸の日。施療をほどこすBさんが「もう、からだの変なしこりはなくなったので、左足のアキレス腱だけ、ひやさないように」とご託宣。「糖尿病になったのも、からだを見直しなさということなのかも。いい機会なので、飲食・運動も、もう一度、日々チェックしてください」。
夜、尿意で起きることもなくなったし、飲みものもほどほどになったし、変なのどの渇きもまくなったし、体重も底を脱したようだ。

吉本隆明『中学生のための社会科』。老齢とは意志と行為の背理、か。79歳の臨死体験をもつ思索者の言なり。

ここには、今まで聞いたことのない提言があった。それは給料体系について。
第三次産業の給与所得者の立場に立って、

1 学歴(職歴
)、勤続年数、扶養家族、この3つは各々同一であれば同一給料とする。同一でなければ数が多いほど多く支払われること。能力、能率、勤勉などの差異はこの3つの要素には一切加味されない。
2 職場責任者は、能力差、勤勉度合い、人間的好悪の差があり、給料の差として支払いたいときは、1の要素以外のもので差を付ける。

以上について、給与受給者は一切異論をはさまない。1について職場責任者の介入は許されない。

という提案だ。
さらに、もっとも不当なのは、能力能率主義、上級者の買ってな主管にすぎない裁量によって、決められるシステムだという。これはそのままアメリカナイゼーションへの痛烈な批判となる。とりわけ、職業スポーツの報酬体系は低俗きわまりないと喝破する。

いかに能力の高い者であっても、法外な給与に「夢」を託すような勘違いが大手をふってまかりとおってきただけに、経営者側でもなく労働「官僚的」組合側でもない、一給与所得者の立場に立った提案は眼をひいた。


8月4日

韓国宮廷ドラマ『チャングム』、いよいよ残すところ10話あまりとなり、主人公チャングム(宮廷の女官であり、医女)の愛する者たちへの復讐へ積極的な姿勢が見られるようになってきた。
君側の奸を打倒する勧善懲悪ドラマであることは確かなのだが、おのが立場をなにがなんでも保守するという姿勢は封建制においてはむしろ当り前のことだからして、邪悪ということで切り捨てるだけではおさまらない苦悩をかかえているので心理ドラマとしても秀逸である。
今日は王の直属武官も登場、演じる俳優はニヒルで冷徹な恐怖を味わわせる面持ちで迫力あり。闇から闇へ葬る部隊が出てきたことで、チャングムはいよいよ王権の中枢へと近付いていくのであった、チャンチャン。


8月3日

暑いのだが、例年のように寝苦しいということはない。
薬を服用しはじめて一週間過ぎて、確かに頻尿はなくなり、だるさもとれ、体重の減少傾向は留まり、57kg台までになった。ふだん薬を飲まないだけに効いているのかもしれない。

岩井克人『会社はだれのものか』によれば、会社は社会のもので、株主のものだけでは決してない。先頃のフジテレビVSライブドアの会社支配をめぐる騒ぎが本質はずれのドタバタ劇だったことがわかる。1400億円儲けたライブドアにとってもそのツケはきっとくることだろう。
まだMBA信奉、短期集中売り上げ成果スタイルに象徴されるようなアメリカ型会社へのオマージュがあるようなら、残念ながら会社としての魅力に欠けると言わざるをえばいようだ。
岩井克人はアカデミズムしか知らない研究者ではあるが、非凡である。この本には企画のヒントがつまっている。学生にもぜひ読ませたい。


8月2日

デザイナーのWくんと一緒に大阪のゼネコンF建設へ。なんでも、会社案内の相談。やたらと営業努力をしないでも受注をしっかと行えば会社はやっていける、という証明のような会社。うーん、建設業社がばったばったと倒産する時期は過ぎ去ったということか。
ちょっと時間があったので、お茶したら、そこはUCCの直営ショップでメニューが豊富。私は、はちみつカフェオレ、彼は豆乳カフェオレ、なんだかいい大人の飲むもんではないなあ、と苦笑。
心斎橋のT社に寄って打ち合わせしてから、CDショップの「メロディ」へ。長年の友達であるオーナーのMに糖尿病報告。ここでも病気の話。いまは、しかたがないなあ。

夜は、講話:寺田匡宏(歴史学、博物館人類学)、笠原一人(建築史・都市史)、進行:季村敏夫(詩人)による、アジア・ヨーロッパでの戦争博物館・美術館をめぐる表現についての報告会に参加。岩波ジュニア新書『訪ねてみよう 戦争を学ぶ ミュージアム/メモリアル』での出版記念も兼ねていた。
戦争体験のない者が戦争をどう受け止めるか、意外に見落とされているのが建物としての表現で、博物館の展示も合わせて、その印象は大きく左右するので実に重要なのだ。
しかし、30代前半の彼ら二人の提言は、平和運動に関わる者たちをも刺激する。なぜなら、「解釈や分析はわかった。そこであんたたちはなぜ、戦争をなくすための具体的な行動をおこさないのか?」と。
それでも、私は安易なかたちでのどちらかに所属するという処しかたをとらないかれらの選択を賢明なる知性の証ととらえる。
粗雑な二元論にあてはまらないのが戦争だからだ。


8月1日

真綿でしめつけられるような蒸し暑さ。
一ヶ月ぶりに飯田眼科。糖尿病の件を報告。先生曰く「なるほど、それでここ数カ月の視力の低下や眼圧の高さの説明がつくなあ」「血糖値やグリコヘモグロビンの値を教えてください」というので、告げると「そりゃあ、高い」と驚きの声。ずっと2年にわたって経緯を調べているが、どうも私は一つの異例なモデルとして興味津々に見られているようだ。来月は視野検査。

大丸でF社へのお中元を依頼。女性の多い職場なので、ツマガリのクッキーセット。出かけたカッサレードは今日から夏休みだったのだ。がっくり。


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04年1月
2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
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