混迷亭日乗 Editor's Diary

7月31日

30日。朝のお仕事、メイの散歩、朝食、そして事務所で整理、そして、ランチ前にラン。8.5kmを50分。まあまあの調子で走れた。練習後の体重は56.4kg。そして昼寝(睡眠不足を補うのに最高!)、という出かけないときのほぼのルーティン。
5時前に起きて、ギャラリー島田へ。ミニアチュール展といって、出展作家が小品を少しずつ持ち寄って、壁という壁を埋め尽くす。数千円から高くても10万円台、きっとお気に入りの絵が、見つかると思うのだけど。
数人の顔見しりの作家さんがいたので、おしゃべりを楽しむ。持参のワイン、一杯(ドリアン・エステートのシャルドネ)だけは飲みました。のオープニング。数十人も入っているので、暑いのなんの。
全部の作品が売れるわけではないのはもちろんだが、気軽に買える機会の創出があるのはいいことだ。島田さんのプロデュースの力である。

31日。朝6時に起きて京都・西京極へ。電車の接続が悪く2時間もかかってしまった。今年で四回目のアクアスロン大会。キッズからシニアまで約180人の参加。もう、安心して見ていられるようになった。
ここでのお楽しみはなんといっても、お昼の寿司。界隈では有名らしいのだが、上にぎりを注文。お腹いっぱいでなんと1010円。2年ぶりの美味であった。豪快な海鮮どんぶりもたった710円。なぜか10円がつくという謎掛けが。さらにメニューには、ご主人のお願いも書いてある。「まだか、まだかと言わんとって」(京都弁で正しい?)なんて、ね。

一旦家に帰り、出直してギルガメシュの納涼例会。北に諏訪山から鍋蓋山の六甲の山並を眺めながらの屋外でのBBQ。メンバーの看護師、Kさん宅で参加は8名+犬2匹でこじんまりとしたものだったけど、トライアスロンだけを肴にわいわいと9時半頃までわいわいと。これも恒例になりそうだ。


7月29日

昨日からの続き、H大学生の成績つけ。100人もの提出カードにコメントをつけるので時間がかかり、夜の7時までかかり、宅急便で坪谷さんに送る。
ただでさえ眼が弱いのに、姿勢がしゃんとしていない様子がわかる、のたくった字が判読しにくいし、主語述語で結ばれていないし、おまけにうすい文字が多く、硬いシャーペンで字を書くな! と言いたい。

昨日今日と体重が57kg台になっている。いつもの練習後の計量じゃないから、はっきりとはいえないが、薬の効果が出たのかな?
女房殿はさらにはりきって薄味料理をつくる。「毎日、こんな食事だと私も体重は増えないわ!」とうれしそうに微笑む。
それにしてもおもいのほかビールを飲みたいと思わなくなってきた。芋焼酎『一刻者』(いっこもん と読む)の水割りがほんのり甘みが漂って美味しい。薩摩というのは気に触るけど……。


7月28日

とりあえず妹に知らせたら、すぐに連絡がいって、先輩糖尿気味(だったとか)の姉から電話がかかってきて、こまごまと注意される。「血糖値が400越えてるって。なにそれ! あんた、眼にいかんように、ちゃんとせな。日本酒は絶対あかんよ」。
で、糖尿騒ぎがおさまって、締め切り過ぎの補助金申請書類やら、なにやらでばたばたする。

夜は、WAVE117の元スタッフのI君がかかわるCAP HOUSEでのイベントに参加。関西のシンポジウムなどでお馴染みの社会分析人、サントリー次世代研究所(前・不易流行研究所)の佐藤部長がゲストの「今ってなに?」という井戸端会議。
外部からよりも内部参加者が多かったのだが、出席の若者たち、大人になる感覚がいまいちピンとこなかったみたいで、確実に通過儀礼が意識されていない。つまりはハードル(規範)の崩れは早く進行しているということだ。
ワインもビールも飲まずにお茶だけで2時間半もったね、できるもんだと変なところで感心する。火曜に続いて本日休肝日。


7月26日

昨日、ついに病院へ。同じクラスになったことはないが、高校時代の同級生のO医院へ。随分、久し振りだったが、なんだか一気に高校時代に戻る。きちんと自覚症状の経過をプリントしていったので、血糖値の異常さに早速検査。尿と血液とそして心電図をチェック。
「糖はプラス3やな。出てるなあ。蛋白はなし、尿酸も問題ない」、次いで心電図、「心臓に古傷があるなあ。思い当たりあるか?」「あるわけないやろ」「ま、いいか。心臓は元気や」、血液検査は「明日、結果が出るから、それから治療方法を検討するわ」、「家系に糖尿病の人は?」、「うん、親父」、「たぶん、それやなあ、運動も食事もいいしなあ」、「でも、薬は出すで、今日から飲んで、とにかく下げんとな」……、というわけで、今日を迎えたのだが。

かてて加えて、急な話だったけれど、HTAのS副理事長の案内で、糖尿病を完全に克服した広島の内海さんという矍鑠とした老人の講話もお聞きして、玄米や米糠、よもぎ、寒天など、太陽のエネルギーを吸収した穀物と野菜で、糖尿とはさようなら! をめざす気持ちにもなったのだが、医療と漢方、どちらもいいところをとっていきましょう、ということだとあらためて認識した。

で、今日の話。
Oは血液検査の数値表を見ながら、「間違いなく糖尿病。ただ、腎臓やすい臓に負担がかかっているとはいえない段階やから、昨日渡した薬でいこう。食事や運動は七分目ぐらいにしとくこと。食事内容は大きく変えることはないので、それほど気にせんでいいけど、レースはあかんで。それから休肝日を週に2日つくること、それぐらいできるやろ、ただ、薬の効果で冷や汗や立ちくらみやら低血糖になるかもしれんから、そのときはキャンデーでもいいし、砂糖水でもすぐに飲むこと」
「うん、わかった。」
「なんか、からだに異常を覚えたら、すぐ連絡してくれていいから。なにもなければ、今度は、今の薬が切れる前に来てくれたらいい」
「あと、コレステロールがちょっと高いとこだけやな」
「善玉と悪玉との関係は?」
「善玉が80、悪玉が140位。ま、気にしとこう」

それからしばらくは、彼の属する兵庫県医師会の仕事やら、私の仕事やらの話をして、引き上げた。なんだか、少し気は軽くなったような気がする。
さて、いつから休肝日を始めることにしようか?


7月24日

今日はオフの日。朝も8時半まで寝ることができた。すぐに、団地のペットクラブのお掃除に参加。ご近所のゴミ拾いである。朝食の後、ラフマニノフのピアノ協奏曲を聞きながら、さっそく『身体の言い分』を読む。今まで聞いた知見、新しく知ったことなど織りまぜて、復習しているような気分。お昼までに読了。あー、すっきりした。昼食は長崎皿うどん。二人で三人前分をつくる。女房殿との比率は1.2対1.8ぐらいか、外で食べる量よりはるかに多い。
その後、事務所で整理、女房殿は「居合い」の稽古にでかけていった。
日暮れどきにラン。約50分、8.5kmほど。まあまあの調子。ぬるま湯をはって、足裏のツボとアキレス腱をほぐす。
夕食は天然ハマチの刺身。あとは煮野菜とひじきの惣菜、とろろ豆腐など。

昨日、娘は民博のM教授宅で、アフリカ関係の研究者や院生とともにホームパーティに参加したとか。そこでも、諸大学の学部生の幼さ、教養の無さが話題になったとか。どうも偏差値レベルの問題ではなく、視野の狭さ、損得判断、効率一点張りといった、社会的な病のようである。

東京で昨日震度5強。でもこの程度では、息子に安否をたずねる気にもならなかった。高層ビル(住宅)、聞いただけでも気分が悪い。ほとんどの人間にとって地べたに近い方がいい、とはほとんど私の迷信である。


7月23日

22日。神戸ヘルスフーズ研究所でテルミー温灸3回目。からだは温かくなっている。腎臓、膀胱、アキレス腱、そして足裏を温めるように、とのこと。でも、この全身温灸1時間はほんとに気持ちいい。終了後いただいた黒大豆茶が美味しかったので、購入。一杯約80円なり。

午前中、アンレーヴで秋バージョンの撮影打ち合わせの後、市民社会推進機構のフォーラムに出席。災害看護のフロンティア、前都立広尾病看護師長のYさんの周囲を説得させる直球勝負、ときに変化球という姿勢に脱帽。
そして、震災で大怪我を負った後、障害者となった人々へのケアがまったくないことを訴えるKさんの「今度同じような震災があっったら、もう死にたいと娘は言っています」という発言がズシンと来てしまった。
今まで見捨てられてきた人々について、今のところなんら手立てはない。マスメディアなどを通じて問題の所在を告知していかなければ、ものごとは動かない。

夜、ご近所のFさん宅でホルモン焼きをご一緒に。大安亭市場で新鮮な食材が手にはいったからで、牛の生レバーが絶品だった。

本日発売の内田先生の最新刊は『身体の言い分』(毎日新聞社)、三軸修正の池上六郎先生との対談本。相変わらず小気味良いテンポで話が弾んでいる。明日は、久し振りのオフ日曜日。ゆっくりと寝られる。
そういえば、明日、女房殿は「居合い」の特別練習だそうである。胴着も届き、一ヶ月前に始めた合気道もいよいよルーティンになってきたようだ。水泳とか円容拳のときと同じで、きっと上達は早いことだろう。


7月20日

花園大学第2回目の講義。先週に比べ、京都は暑い。
講義後のコミュニケーションカードを見ると、若者問題の一つは日本語教育であることがわかる。日本語をしっかり体得しておかないと、人格がしっかりしないのは当然だ。そこで宿題を出すことにした。文字を書くことを課せなければ、日本語修得は復活しない。さて、9月にどのような応えが帰ってくることか?
終了後、昨年受講のNくんを坪谷先生が呼んでいたので、近くの食堂で一献。4年生になった彼は、就職活動をせず、一年実家に戻り、勉強して大学院にチャレンジするという。気づいたときがいつであっても、そこから、前向きに取り組めば、道はおのずと開けてくるはず。健闘を祈るばかり。


7月18日

朝の仕事終え、朝食後、再び眠る。蝉時雨しきり。
午後、事務所で少し、しごとをかたづけて夕方、5マイルのジョグ。体調はまずまず。
夜、ご近所のFさん宅でホームパーティ。息子のTくんが在籍する阪大大学院の化学研究室員総勢12名の宴たけなわのなかに突入。専門分野はむずかしいので、詳しくは聞かなかったが、この日、淡路島の海水浴場帰りということだった。ものすごい熱気でエアコンきかず、27歳を筆頭に若き俊英たちは、闊達に飲み談笑するのであった。


7月17日

土曜日。徳島県日和佐大会、三年ぶりに顔を出す。日本屈指の人気大会の一つ。朝6時出立。大阪府協会Y審判員の車にHTAのM審判員とともに同乗。最新のナビとETCについて教えてもらう。9時半に日和佐到着。
午前中に薬王寺にお参り。高台にある境内からの街の眺めはまさに変わってほしくない日本の小さな街のたたずまい。しかも、西国巡礼の姿を見ると、心が落ち着く。お寺の門前をなす果物屋の店先で、スタッフへの差し入れにみかんを所望する。高知産のものだが、小ぶりで実に甘かった。
いかにも田舎の街の商店街、思わず45年前の丹波柏原の商店街を思い出していた。

うみがめまつりのパレードでは、小学生から水質を汚さない「たわし」をもらったが、なかには制作者の小学生からの手紙が入っており、洗剤をできるだけ使わないで、という願いが託されていた。
そんな「ひわさ」に今年上陸して産卵したうみがめは22頭。うみがめのためにも、住民のためにも環境保護が必要な町だが、ここも平成の市町村大合併の例にもれず、町長リコールの動きもあり、揺れている。
大会推進の町長だけに、来年春までにどうなることか。
夜の大会関係者や協賛企業関係の懇親会で、藤原新也『なにも願わない手を合わせるだけ』(河出書房)に登場する日和佐町と薬王寺の描写に触れてご挨拶。今年はいいネタがあったので、喜んでいただけたと思う。まさに日和佐は「美しい箱庭」のような町なのである。

大会当日。朝6時に起きて、食事。強化指定選手で北京代表をならう細田雄一選手とっ少し話をする。徳島・池田町の出身だが、15歳の折、豪州へ渡り、その後トライアスロン選手として頭角を現し、今年はWCでも上位を争うまでに成長した20歳の青年。母上、姉上がアメリカ在住とのことで、気質は日本人離れしており、期待の選手の1人だ。

過去最高の493名のエントリー、波打ち際の高波をのりこえてレースは始まり、平野司(関西大学)がスイムから独走で連覇。細田選手は3位、女子は久保田早紀(関西大学出)が初優勝、表彰式で後輩に楯を贈ることができ、素直に喜べるようになった。今年のは日和佐は、あたかも関大デーとなった。
全ての行事を終え、リアス式海岸をのぞむホテル「白い灯台」の展望風呂で汗を流し、帰途についた。
午後7時半に神戸着。心地よい疲れの大会だった。


7月14日

2週続けて女房殿が東京出張。今回は臓器移植ネットワークのPRに関してのしごと。夕食は、鯵のひらき・だいこんおろし・シークヮーサー添え、きんぴらごぼう、かんぱちの刺身、餃子入りおすいもの。
これからは、食事療法の導入になるのか、嗚呼。


7月13日

例年、京都のこの時期、汗だくだが、今年はそんなことなく、花園大学の講義にでかける。
100人もの学生を前にマイクを握ってのお話。レジュメ自体をベースにはしたのだが、要素が多かったというか、最初にこだわりすぎたところがあって時間足りず、あっという間の90分。事前情報をいただいていたのだが、その通り、ZZZの学生が数名、目立つ。ただ出席するだけの時間つぶし。もったいなくもあり、情けなくもあり。しかし、そんな連中は別にして、思いが届きそうな学生さんを相手に突っ走る。
帰途、講師の坪谷さんと三宮で軽く一献。
昔の話になるが、代々木(民青)と反代々木(全共闘)、坪谷先生の神戸大学での生態と私の関西大学の生態は違っていたようだ。あるいは、私だけが知らなかったのかもしれないが、その点で情の部分で坪谷さんは代々木のほうに親近感があるのかもしれない。「暴力的」、これが男女関係にも出てくるのではやるせない。
自分で宿題をつくってしまったので来週の準備に時間がかかる。


7月12日

大学院は前期終了の日。今週は「中華思想」。それに加えて「王道思想」も加わりスリリングであった。中国には昔から膨張する意志はない。いわゆる覇道ではない、ということだ(台湾問題はひとまずおいておく)。いまの国を治めるのに精いっぱいである。周辺の少数民族に有利な特権を与えながら、暴発をおさえるに精いっぱいというところ。「チベット」に対する弾圧も、欧米人権思想との落差が大きすぎて、解決にはほど遠い。

前期の打ち上げ。西宮北口のそばの居酒屋で。
同席した上海外語大学から着任されたT先生は、とても穏やかな、そして控えめな方である。中世の日本文学、なかでも鴨長明の研究をなさっている。文革時代は少年期、走資派といわれた先生たちを糾弾していた、という。でも、子どもだもの、周囲と一緒でなければ存在が許されないという環境のなかでは、それがおかしいとは思わないはずだ。おそらく、私だって、毛沢東語録をふりかざして、自己批判を迫っていたと思う。
あ、そういえば、『方丈記』、高校時代にかいつまんで読んだだけで、全文を通して、読んだことはないことを思い出す。
同席した牧師のKさんは、J大の同級生に、あの外務省のラスプーチンと呼ばれた「佐藤某」がいたという。彼の書いた『国家の罠』を当然読まれたそうで、「外務省改革のスケープゴート」にされてしまったんですねえ、と。
一年目のとき、学部の三年生だったKさんも修士の一年生、若者の成長は目を見張るものがありますね、とあらためて関心する。
ヨガ・インストラクターのFさんは、主婦であり、母であり、イラストも描かれるとても感受性の豊かな方ですが、ほぼ毎週、近江から西宮まで通われていたけれど、彼女のブログhttp://d.hatena.ne.jp/eco1/もまた読みごたえのあるものなので、ご紹介しておく。

あ、そうそう、内田先生の『阿Q正伝』(魯迅)についての記憶がきちんとしているのにはさすがと感服。もう、忘れてしまっていたもの。

健康診断の結果がとどいた。心配していた腎臓ではなく、やはり糖尿だ。それとコレステロールの値が正常範囲を超えている。どうしてなのか、わからない。
知らない間に、糖をとり過ぎている? 女房殿のほうは、ほとんどオールA。同じものを食べているのに、どうして? と彼女も言う。違うのは、酒や果物、スポーツドリンク、100%果汁などがよくなかったのだろうか?
とにかく血糖値が高い。医者による診断を求めている。ここ二ヶ月の「だるさ」の元が糖尿のせいなのか、来週、医者にかかることにした。高校の同級生Oくんに診てもらうことにする。

たぶん、食事制限がかかるんだろうなあ。グスン。


7月11日

9日。雨。午前中、アンレーヴ。午後、大阪外大の夏まつりへ。学部生最後の祭りとて参観。娘がリードするアフリカンダンス同好会のステージを拝見。はじけるような若さをみせつけられる。
昨日の午後、からだがだるいので、午後、2時間ほど寝た。そのせいか、土曜・日曜とだるさはとれている。やはり、睡眠がたりないのだろうか。

10日。朝6時に出発。奈良ドリームランドでのアクアスロン大会に出席、開会式出席と、キッズのスターターをつとめ、すぐに滋賀県高島市のびわこトライアスロン大会へ。およそ2時間(途中、ドジを2回ふんだので)もかかってしまい、ランの終盤に到着。最後のトライアスロン駅伝以来の高島・新旭への訪問だけど、なつかしくもありで、交通量の少ない湖岸道路を走っていると盛んだった頃のトライアスロン、そして民泊でお世話になった頃のことを思い出していた。ギルガメシュの創設発起人の1人、種村さんは今どうしているのだろうか?
薄曇りの琵琶湖には強い南風が吹いていた。
大会実行委員長とちびっこチャレンジレースの事務局担当者とお合いして、滋賀県の大会のさらなる充実ををお願いする。地元の特産品の抽選会があるので、参加180名の選手のほとんどが残っていて、盛り上がりにひと役かっていた。

2時半に帰宅。ジョグ、いつものコース約8キロ、体調はいいようで、キロ5分ペースで刻めた。金曜の昼寝が効いた?

夜は、娘のダンスワークショップでの師匠にあたるギニア共和国を代表するジェンベ奏者、バングラ・ケの属する「バングーラ ファミリー」のライブのためフィッッシュダンスホールへ。
あらためて、すごい! 目にもとまらぬ早叩き。何十分の一拍子なのか、手がトランス状態に入ったかのごとく乱打する。まさに精神と肉体が合致して共鳴している。日本の鼓童など和太鼓を意識したパフォーマンスもまじえて、10時半まで音楽は疾走した。
バングラ・ケにはおよそ一年ぶりの再会。あと東京、名古屋公演が控えているそうなのだが、娘に言わせると、「今日の演奏は今までのなかでも一番とちがうかなあ」とのこと。いやあ、堪能いたしました。


7月7日

昨晩、ギルガメシュの例会。ギネスを一杯、飲んでしまった。
17日、今年25周年を迎えるトライアスロン生誕の地、鳥取県の皆生大会応援に連れて行ってもらうことになった。日和佐大会からの出席要請が来ないので、切り替える。

4時頃だろうか、激しい雷雨。事務所の前で、雨宿りする人、数人。
まだまだからだのだるさが続く。今日は走らないことにした。
夕食はできあいの刺身とお寿司にゴーヤチャンプルーという変な組み合わせ。木曜夜のお楽しみ、韓国李王朝宮廷ドラマ『チャングム』を見る。毎回、ヒロインは、ジェットコースターのように権力闘争に翻弄され、その都度、なんとか逃げ切って逆境にもめげず、その場で闘い抜く、勧善懲悪といえばそうなのだが、現代風アレンジがほどかおされ、韓国では放映時60%をこえる視聴率だったらしい。話はながいので、まだまだ続く。

あ、そういえば七夕だった。天の川を見たのはもういつのことになるだろう?


7月5日

曇り後晴れ後雨後曇り。なんだか。
今週は電車で女学院。17世紀から18世紀のイエズス会の中国(清)での布教。これは東西交流につながり、イエズス会宣教師は、中国の精神、文化を学び、清の皇帝は、彼らの持ち込む実学(技術力)に関心があり、布教行動を許したのである。
フランスをはじめ中国文化及び精神への注目は、シノワズリー(中国趣味)として宮廷に広まったのをはじめ、道教(老子)が啓蒙思想に与えた影響は多なり、というところ。イエズス会の宣教師たちは、異文化理解をもってかなりスムーズに中国社会にとけこんだ模様だが、後のドミニコ会、フランシス会は教義に頑ななゆえに摩擦をひきおこし、キリスト教は禁止される憂き目にあう。
ただ、当時、中国にも隠れキリシタンがいたと思うのだが、現在はどうなっているのだろう? 宗教はアヘンである、とはマルクス主義者の弁だったと記憶するが、諸宗教はどのように現代中国社会になじんでいるのだろうか?


7月4日

雨。断続的に雨。
「論々神戸」の寄稿が滞り、自身で書く羽目に。県知事選挙について思うところを述べ、送信。でも、これも自業自得です。はい。


7月3日

2日の昼間にまとまった雨が降った。今朝も降ったりやんだり。
朝、メイを連れてグリーンピア三木へ。「エックステラジャパン」というマウンテンバイクを使った複合競技の視察。来年度は協会としても協力をする大会。参加選手30名程度だが、黎明期はいつもそんなもの。雨の中、どろんこになりながら、嬉しそうな顔をしてフィニッシュに帰ってくる。思わず、レース講評で「来年は私も出たい」と言ったら、選手たちから「おお!」と拍手。
メイも青々とした芝生の上で雨まみれになりながら感触を楽しんでいた。一般の客が見当たらない雨のグリーンピアの風情もまたよし、の半日であった。

帰宅後、ばたっと夕刻まで爆睡。
白川静と梅原猛の対談、というか問答、「呪の思想」、ようやく終盤を迎える。知の巨頭、かくありなん、という師弟問答にも似て、そこに故・高橋和巳が加わっている様を想像すると、まさに「他者」が違う姿で存在している、という意味合いがぐっと近寄ってくる。一気に、ときは70年前後に舞い戻る。


7月1日

神戸は朝、おしめりの雨。と思っていたら本格的な梅雨の雨になった。
退院したIくんから連絡。除去腫瘍の精密検査の結果、OK。ふたたび練習が始められるという知らせ。声も弾んでいた。

夕刻、ギャラリー島田へ、井上よう子展を観にいく。DMをいただいたのだが、その絵は昨年訪れたアイルランドのカントリーサイドの一本道と重なった。道の向こうには鈍色に輝く海。沈鬱な青の空気なのだが、静謐とともに不思議な軽さが漂う。絵に人は描かれていないが、静かに人生をみつめる人のいる気配がある。スティルライフ、とは静物画のことだが、私には音の響きも「静かな生活」でいいと思っている。


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