混迷亭日乗 Editor's Diary

6月30日

ポートアイランド住民対象の検診に参加。驚くことに尿の糖度が高いことがわかった。血液検査がわかりしだい、もう一度、尿の精密検査ということに。
けだるさと頻尿の原因が何にあるのか、徐々にわかっていくような気がする。父は病院知らずの偉丈夫だったが、持病としてもつ軽い糖尿病のせいで、影で進行しているすい臓癌の発見が遅れてしまった。もう15年も前のことだが、最善の手を尽くしたかと問われれば、主治医を信じるしかない時代の常として、不信の目で見るということはしていない。


6月28日

大学院は日中近代化の比較。1840年のアヘン戦争をきっかけに、清は西洋の力を身をもって体験し、太平天国の乱、日清戦争、義和団事件と、なだれを打って崩壊への道を進む。わずか数十年で近代化に成功した日本と対照的な清、このたび女学院に客員教授として着任した中国のT先生は、「いまの中国人にとっては、直視したくない時代、認めたくない時代」だとおっしゃる。
内田先生は、近代化にすばやく成功したのは、江戸幕藩体制においてその基盤がすでにできていたせいだ、と提示。すべての藩=くにに、ほぼ等しく統治システムがあり、汎用性に富んでいたため、薩長土肥政権とはいえ、人材も抜てきされたため、挙国一致体制がとりやすかったこともあっただろう。
もし、鳥羽伏見の戦いにおいて慶喜が江戸に逃避しなければ、と、歴史にifを問いかけてみたい気がする。
まじで日本国連邦ができていたかもしれない。

女房殿の誕生日。大丸でプレゼントをさがし、カッサレードでケーキを求め、娘とともに元町のビストロ「熊猫矢」でディナー。ゆったりとときが流れる火曜日の夜でありました。


6月26日

土曜日からグリーンピア三木トライアスロンフェスティバルへ。炎天下の作業スタッフとは別で、屋内での作業なので助かる。
4時半起きなので、10時には寝たかったが、そうもいかず。連続して8時間ほど寝てみたい。
暑いには暑いのだが、曇り空っぽいので助かった。夕方まで長〜い一日。今年の特徴は、参加者が350人になり、昨年を上回ったこと、つまりは底を打ったのかもしれないが、一方で、やはり女性の参加者が増えないことには頭が痛い。女子の兵庫県選手権者を出せなかったのは初めてのことだろう。
大会自体の運営については、やはりスタッフの層の薄さがミスを呼んでしまう。これまた、つらいところだ。

帰宅して、ぬるめの湯につかって、左の足裏とアキレス腱をほぐす。こころなしか、ここ2日ほど、夜中の目覚めは1回になっている。
夕食は、Fさん宅で久し振りにポピア組の子どもたち(といっても27歳から22歳までになっている)の大半がそろっての家族パーティ。在ドイツのTちゃんと在東京のうちの息子が不参加だったが、幼なじみのわいわい感は、私の経験しない世界なので、うたたねのなかでの喧騒を静かに聞いていた。


6月24日

兵庫県生涯スポーツ連合の会長会、兼理事会にM副会長とともに出席。県はクールビズにさきがけてノーネクタイを実施しているし、暑さも夏並になってきたのでさすがにスーツ姿は少なくなった。でも、緊張感は全然ありません、な。


6月23日

ようやく体調も気にならなくなってきた。夕方のジョグ、最近のコースのなかではいつもは48分位のところ43分。素直に喜ぶ。体重は57kg台で下げ止まりか。


6月22日

得意先の謝恩パーティの日を勘違い。気づいたときはすでに終了の時間帯だった。手帖に書いていて間違える。情けねえ。


6月21日

大学院は、「江沢民の愛国主義運動」。90年代半ばのことだが、それが反日に繋がることの関連がいまいちわからない。きっとなにか外からはうかがいしれないものがうごめいたいたせいなのかもしれない。村山首相の談話による「侵略謝罪」もあったせいか、主だった反日は感じていないのが日本側の認識だったのだろう。
クルマで行ったときは、帰りに「カッサレード」でケーキを買って帰ることに。新製品がおまけについてきた。彼女の新作である。


6月19日

16日。朝方のみ、ささやかな雨。2週間ぶりに、テルミー温灸施療。からだはずいぶん、温まってきているのに、頻尿の改善が見られないのは、他の原因があるとのこと。今回の結果、背骨の下から5番目の骨の陥没も影響しているかもしれない、そして腎臓の問題は尿管に関連するアキレス腱にあり。とりわけ、左アキレス腱を毎日ほぐし、温めることに専念してくださいとのこと。
身体を冷やさないことには変わりはない。できるだけ冷たい食べ物、飲み物を控えること。
で、こんばんはギネスを一杯だけいただいた。ギネスはクリーミーなので、ビールのようなのどごし爽快感は味わえない。それでも、少し飲めないストレスは和らぐ。

17日。イザベル・アジャーニ主演の「Bon Voyage!」を鑑賞。「薔薇のスタビスキー」でのアニー・デュプレーと並んで、「アデルの恋の物語」以来、うっとりとみとれてしまう女優の1人。ドイツ軍に占領されたビシー政権下のパリにおける、閣僚と女優と幼友達をめぐる一種の悲喜劇なのだが、わがまま、自由奔放、天真爛漫、悪気なし女優を演じているが、地なのかもしれませんねえ。とにかく、観ているだけでも十分なのでありました。

土曜日、和歌山への出発は午後になってしまった。乗り継いで到着は4時半、なんとなく近畿ブロックの出席者が早めに、審判控え室に集まっていたので、当初予定より早く5時すぎにブロック協議会を開始、皆さんの協力をいただいて6時半には終えることができた。来年は、はじめから組み込んでおきたい。
会えば皆さんから、「渡邊理事、やせたんじゃないですか?」と質問攻め。前回の理事会が3月下旬(63kg台)だったから、やはり、4月中旬から目立ってやせた(62〜60kg)ということになる。60kgを切ったのは5月25日だ。これ以降、60kgに戻ることはなく、現在は58kg台となっている。

夕食はA理事長、O常務理事、M顧問、M国際委員らと居酒屋で。確か「銀平」とか。ここでも焼酎のお湯割りをいただく。ここでは別段、深刻な話もなく、ホテルへ帰って、10時半には就寝。しかし、3度起きてしまう。テンピュール枕も効果なしだった。

朝5時半には起きて、6時にホテル発。レンタカーのハイエース、というところに今回の資金的余裕のなさが見てとれる。
午前8時、今年初めての試み、エージグループのアクアスロンから始まり、キッズまで約150人がマリーナシティの気持ちよさそうな水につかって泳いでいた。
11時から始まったメインのジャパンカップ第3戦は、女子がAUSのピップ・テーラー、男子が平野司(関西大)の優勝、トライアスロンを始めて2年目の兵庫県の杉本宏樹がエリートレースで3位初入賞、今後が期待できる結果となった。
シティ内の黒潮温泉にでも入って帰りたい気分ではあったが、午後4時には後にして帰宅した。曇り空だが紫外線はきつく、顔が陽焼け。ぬるめの風呂で身体を休めて、お休みである。


6月15日

もひとつ、すっきりしない体調である。午前中がいけない。「よっこらしょ」といった感じでからだを動かしている。久し振りに会う人、みな「やせましたねえ」と言う。頬がこけているので、はっきり見えるのだろう。

今日は安保改定の日、といったって話題にもなりやしない。樺美智子さんのことが朝日新聞の天声人語でとりあげられる。「私たちが行動しなければ誰がするの?」という母親への言葉。説明するまでもないが、国会前の抗議行動で圧死させられた東大生(神戸高卒)だ。

昨年、取材したクラリネットの上田浩子さんのコンサートのため、大阪音大オペラハウスへ。阪急の庄内で下車し、音大通りに入ってすぐ。ちいさいけれど、3階席もあって、オペラハウス仕様。
「晩年ブラームスの夕べ」とあって、全5曲ともブラームス。後半のプログラムにはピアノとチェロの三重奏もあり、迫力のともなった演奏だった。アンコールも、ハンガリアン舞曲のなかの一曲、楽しそうに吹いてらした(ホントはたいへんだったと思うけど)。


6月14日

今週はなんとか行けた岡田山。汗をかきかきのヒルアップ。しかし、なんとかならんかねえ、金髪、へそだし、穴空きジーンズにミュールとかいうぺたぺたつっかけ、女学院にもちらほら見かけるまでに増殖している。せっかくのきれいな顔が「もったいない」。
大学院は「中国の教育事情」。初等・中等、さらには高等教育。大学進学率がまだひとけたなのだが、ここにきて急激にアップしそうだし、卒業証書が出世=金獲得にリンクしてしまうため、教育ビジネスが満を辞して進出。英語とITが必須となれば、おいおいアメリカじゃんか。
ホントに必要なのは、リベラルアーツ、っていったって、聞く耳持たねえだろうなあ。
帰り道、聴講生のK牧師と一緒したら、先頃『国家の罠』を出版した外務省の佐藤なんだっけ(鈴木宗男とともにロシアの利益誘導で、はめられたと主張する)さんが大学の神学科で同期だったらしい。すごい勉強家で頭脳も明晰だったそうで、彼曰く、グローバリゼーションへと政府、外務省が舵を切るときにスケープゴートが必要だった、とのこと。さもありなん、だけど、ついた相手が悪かったなあ。


6月12日

ようやく土曜日からなんとなく、普通になってきたようだ。雨のなかジョグしたが、後半はリズムよく走れたように思う。
夜、大阪の叔父が須磨で史跡散歩をしてきたから、と連絡していきたので、「ピアジュリアン」に。小一時間しゃべっていたが、自分のペースで話していて、こちらの言うことに、あまり関心を示さない。元町のジャムジャムというジャズ喫茶のマッキントッシュ・システムに驚き、「下手な生演奏よりすごい」とご満悦。もう77歳だが、i-podでクラシックやジャズを聴く日常ですこぶる元気。だが、父が亡くなった歳を越えている。姉である母を心配してくれて、妹にはよく連絡してくれている。

朝、神戸空港開港に向けての記念レースが港島自治会連合の主催で行われた。空港の滑走路、取り付け橋(800m)を渡れるとあって、3800人余が参加、ウォークも含めると約8000人という話。
スターターは市の助役、応援演奏は港島中学の吹奏楽部、橋から空港島にかけては応援者や観客は入れないので盛り上がりには欠けるけれど、ランナーのとっては記念になるので人気が高い。
ともかく現在の風景を写真におさめておこうと思って、ときどき写真を撮りながら、ゆっくりと走った。前半はHTAのS副理事長と、後半はギルガメシュのIくんとおしゃべり(主に、今お互いがかかえる腎臓や膀胱炎、精密検査など、病気とはいえないまでも体調不良の話だから冴えない!)しながら、10kmを約1時間でゴール。

空港ビル等はまだ骨格部分だけのようで、なんともしまりのない風景が広がる。開放感はあるものの、灰色の滑走路はだだっぴろいばかり。遠くに見える須磨浦からの六甲山系も離れ過ぎているのかもしれないが、迫力にかけていた。北岸には親水ゾーンが広がるそうだが、そっれも空港用地が売れないための苦肉の策だろう。ま、後知恵ですな。それが人気を呼ぶかもしれないが、決して誇れるものでもなんでもない。
聞くところによれば、東京へは伊丹、関空と同じ料金になったそうだし、利用促進のため、神戸市では主な企業には空港利用のインセンティブが用意されているらしい。空港島はもちろんのこと、売れないポートアイアランド2期の用地をなりふりかまわぬ姿勢で誘致している神戸市だが、果たして、21世紀当初最大の「愚行」と譏られぬようになるだろうか?

午後、グリーンピア三木でのトライアスロン教室へ。バイクとランだったが、1人参加の女性がドロップハンドルの自転車がまったく初めてだったので、またいで乗り、足をついて降りるところからの指導となった。はじめはどうなることかと思ったが、1時間ほどで走れるようになる、まずはメデタシメデタシ。
よくぞHPでの「トライアスロン教室」の案内で来てくれたものと嬉しい限り。女性5名(男性12名)の参加がなによりであった。


6月9日

やはりだるい。男の更年期障害かと笑われる。
火曜日、大学院は休んでしまったので、自分を鼓舞するためにも走ってみたが、そのしんどさは、かなりのもの。3kmぐらい過ぎないとまともに走っている気がしない。水曜日もそうだったし、今日は帰宅してから夕食まで横たわっている始末。女房殿と娘からは、さらなる「冷たいものを控える」厳命が下った。一週間経ったのに、頻尿の改善はないので、徹底化が足りないというわけだ。

昨日はWカップ出場決定の日。2点目のFW大黒のしゃにむなゴール突進が印象的だった。
ジーコ監督ではワールドカップへ行けない、と行っていたジャーナリストたちには、鉄槌がくだされた。選手にとっても、監督にとっても「時間の流れ」による蓄積の有機的な結合は、戦術以上に大きいものだったようである。
ひるがえって、わがトライアスロンにおいては、監督への信認がなければ、すすんでナショナルチーム合宿への参加もうまくゆくまいという現実がある。個人競技では、やはり指導者との信頼関係が第一だ。


6月6日

今日は心なしか、だるさも軽減したかのように思える。夜、大阪の友人S夫妻とわい雑な阪急東通商店街のなかの韓国焼肉店「東大門」で食事。ご主人が彼らの高校の同級生。成績とは別に、在日だという理由で世界に冠たる日本企業に就職できず、実家の焼肉店を継いだ。今は昔、という話だ。
レバ刺、上ロース、ハツなど、思いきり食べた。ビールが飲めないのが寂しい。

西部邁の「友情」を読了。創造を絶する北海道の戦前の貧困が描かれている。数年前、NHK朝の連続ドラマ「すずらん」とも重なる舞台ではあるが、萠ちゃんにの周囲には人情があったが、氏の唯一無比の友人、八九三の海野治夫の周囲にそれは存在しなかった。
一時期、西部氏の雑誌「発言者」を愛読していたが、その氏の背後にこんな話があったとは。焼身(あるいは投身)自殺した海野氏の鎮魂のために、氏は乾坤一擲の思いで、この書を世に送り出した。
ある意味、西部氏にとっても、この世にいつおさらばしてもいい覚悟で書いていたに違いない。
戦前から戦後にかけて、酷薄な世間があった時代、として記録されたことは覚えておいてよい。
北海道の開拓は、教科書に書かれているような「屯田兵」ごときの話ではなく、記録に残されなかった人間の闇の世界があったことは想像にかたくない。
60年安保全学連主流派幹部だった西部氏の処世は、それだけで十分存在感があり、テレビ界での居心地の悪さを実感しつつも、バブル期に評論家活動で多忙であったことは、決して本意ではなかったにせよ、見ていて無理してるのでは、と思わせることがあったのも、海野氏の存在がはりついていたせいなのかもしれない。


6月5日

3日。今週は、なんとなく身体がだるい。朝も自転車を使う気がおこらないのだ。午後、生田川畔のバイクショップ「ガレリア2001」に出かけ、大会副賞協賛を依頼。景気は決してよろしくないそうで、2、3年後から始まる団塊世代の本格的なリタイアに期待をかけようか、という話になる。
帰りに「サンジルシ」によって、クランベリー・ジュース&ソース、ローズヒップ・ティなど、果物&野菜に代わるものを求める。いずれも、美味しいものなのでいいのだが、寂しい。

4日。やはり身体がだるくてしかたがない。朝の仕事のあと、一眠り。午後、事務所。のどの渇きも通常の感じではなく、断続的に冷たくない水分を摂る。
こんなときこそ、と思ってジョグ。走りはじめはからだが重く、体感でキロ7分位のペースでいく。後半こそ、身体が慣れてきたのか、5分台にあがったのだが。
夕立ち、正確には7時近かったので通り雨か。欅や楠の大木が多いので、木立の下は居代な傘で覆われているようで、降り始めにぬれることはなかった。走っていて気持ちいい雨だった。夕立ちらしい夕立ちを忘れてどのぐらいになるだろうか? 季語が季語として成立しなくなれば、日本人も変質していかざるをえないと思うと、まことに寂しいかぎり。

5日。朝8時、ご近所のF夫妻とともに、倉敷へ。内田先生の教え子の旦那様、ガラス作家の故・赤澤清和氏の個展を観るために、そして大原美術館もあわせて、これもご縁のもの。個展の数日前、バイクの転倒事故で氏は天に旅立ったので、遺作展になってしまったのだ。
縄文感覚のあふれる力強い作品は、まだ若い作家のこれからを予見されるに十分だった。早すぎる夭逝に、ただご冥福をお祈りするばかり。
出立時には曇天だったが、倉敷では晴れ上がり、ゆったりと絵画や陶器等、初めてみたものばかりで、コレクションの力に圧倒された。美観地区の名のとおり、白壁と疎水、庭園と小さいながら、ほどよく管理されていた。
帰途、明石・魚の棚でいきのいい魚貝類と野菜を仕入れ、夜はMさん母子(といってもシューカツに忙しい4年生)もまじえ、豪勢な食卓となった。
それにしても、ビールが恋しい。


6月2日

1日。大阪の安藤アトリエに再校正を持参。色合いについては、予想通りOKをいただく。

地下鉄西田辺駅から徒歩で出かけたのだが、この付近の民家には昭和30年〜40年代の雰囲気を残した風情が見られ、落ち着いて見える。同行のFくんによれば、4m道路が認められていた時代なので、車の往来が多くなかったんじゃないか、ということだった。そんな民家の玄関先に紫陽花が開花、もう水無月だった。
夜はギルガメシュの例会。鯖街道マラソン仲間を中心に打ち上げ状態。今後も、一緒に参加できるレースが年に2回はほしいと思う。
続いて、ピアジュリアン開店8周年記念の夜、藤渓さんのピアノには間に合わなかったが、オーナーのK先輩と、神戸高校42回生の吹奏楽出身のNさんとおしゃべり。帰りは12時をまわり、最終電車となりました。

今日は、今年にしては珍しく朝8時前頃から雨になった。熱い陽射しの日々だっただけにひんやりした感じ。
テルミー温灸のため、摂津本山へ。最近出かけていなかったので感が狂い、行き過ぎて戻ったりしたので、25分も遅刻。幸い11時からキャンセルがあったので助かった。

施療者は40代前半といったところか、怜悧そうな女性で、温灸を骨と筋肉、ツボをさぐりあてるように温灸をほどこしていく。実にぽんわりあったかくなって気持ちいい。
いろいろ問診されながらの1時間。頻尿にいたった原因は、「冷えからくる腎臓過負担による症状」と診断される。対症療法は、ビールと果実、冷たい乳製品を控えること、半ズボンをさけること、水分の摂取は一回に100ccまでにおさえること。これを一週間断行して様子をみましょう、とのこと。
汗の出るツボも閉塞していたので、すべてが腎臓に負担をかけることになっていたのである。
曰く
「肺が止まるような経験をしませんでしたか? 肺と泌尿器は関連しているんですよ」
「左足の筋のこりも冷えから来ています。」
頚椎を押さえながら「目が疲れていますねえ。どんなお仕事?」
「緑内障だって、あきらめないでね。よくなることもあるんだから」
「柔らかい筋肉ですねえ、」
「クランベリーの果実は目にいいの。これぐらいならいいですよ」
「去年の夏は猛暑でしたでしょ。無意識のうちに、内外から身体を冷やし過ぎているんですよ」、
などなど、淡々と話していただいた。
さて、実行するとするか! この点について、私は素直なんである。一週間、びわとも先生の言に従うこととする。その結果を報告しに行こう。

夕方、再び安藤アトリエへ行って、とんぼがえり。印刷会社に写真を届けたら7時をまわっていた。


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