混迷亭日乗 Editor's Diary

5月31日

大学院は、Iさんの発表。20世紀初頭、在日中国人留学生が、抗議の声をあげて、陳列をやめさせるにいたった、大阪での博覧会「人類館」事件。まったく知らなかった案件。今でこそ人権感覚は充溢しているが、それがなかった頃のことなのだが、日本に留学する中国人学生の推移は、「反日」の度合いをおしはかっているようで、増減のグラフが描かれる。
ここまで数回の日中関係、この愛憎関係はただごとではないのだが、それゆえにカッカしていてはどうにもならない。
帰りに地道だったので「カッサレード」で洋菓子を求めて帰宅。女房殿と娘が喜んだことは言うまでもない。


5月30日

今日は朝からどたばたしていたので、疲れがおしよせる。簡単にお好み焼きと水餃子の夕食をつくって後、事務所でギルガメシュの会報を仕上げて中央郵便局へ。夜の海岸通の交通量は驚くほど少ない。
早いもので、もう5月も終わりか!

27日。大阪・ロイヤルホテルにて安藤画伯パンフレットの色校正。さすがに絵の色彩をわかってらして、一点一点はっきりと指示をだされる。30点のうち無傷のOKは一点のみであった。問題は、その要望に現場が応じられるかどうか、である。コンピュータの進展と職人気質とのせめぎあいは、今も続く。

28日。朝の仕事、メイの散歩、食事を終えたら、急に眠くなりうたた寝。夕刻、1時間のまとまったジョグ。終盤、道路を横断していたら、つま先がひっかかって思わずこけそうに。左からトラックが来ていることはわかっていたが、運ちゃん、余裕はあるにせよ、前方で人が倒れそうになっていたのだから、びっくりしたことだろう。

29日。土曜日遅かったせいか、珍しく午前9時まで熟睡。午後から、友人である Sさんの企画した講演会に阪急六甲の「サラシャンティ」まででかける。講師は松下政経塾の創世記から関わってきた上甲さんという人で、松下電器退職後「青年塾」を主宰している。
「志」をもった日本人の育成に生涯をかける意気込みが伝わり、儒教的な礼、義、孝、仁などの日本的な土着化をめざしているように感じた。でも、大切なことなんだよね、こういうことって。
帰宅後、有人のKさんが、温灸(テルミー)の道具をもっていらして、約30分施療してくれた。薬効のある線香(灸)の匂いが強いが、実にほんわかとして気持ちいい。これは予防医学的な行為なのだが、自分でもできるとのことで、やり方を教わる。

5月26日

ここ数日、早朝は涼しい。朝日をうけながら神戸大橋を渡る際、長そでがちょうどいい案配だ。しかし、昼間は暑くなる、そして乾燥している。寒暖差が激しいのは、30年前の夏のカリフォルニアみたいだ。
聞くところによれば、渋谷界隈ではアブラムシの子どもが大量発生して、顔のまわりを飛び回っている、という。原因は、昨秋の平均気温のアップだ。親が無事に越冬したせいで産卵期が早まったらしい。東京は確実に亜熱帯になっているのか?

昨日はJR尼崎事故から一ヶ月だった。メディア(テレビ、新聞、スポーツ新聞、週刊誌)の夥しい報道と私との間に体温差があって、すぐには記せないのだが、私のキーワードは「臨界点」だと思っている。対策ではすまないレベルでの現代社会の宿阿(アポリア)である。人間が妥協しなければならない時点はもう過ぎたのだ。
ジュンク堂に寄って、数冊求める。一番気になっていたのは、西部邁氏の「友情」だ。私より10年上の世代で、60年安保闘争で全学連幹部として重要な役割を果たし、その後、転向して真性保守の論客として硬質の論陣を張り続けている。
その親友が半チョッパリのヤクザだった、という話なのだが。札幌で「貧困」を味わっていたとは聞いていたが、それに在日朝鮮人問題と暴力団がからむとは。親友が死したことで、ぜひとも書きおいておきたかったのだろう。襟を正して読むつもりだ。


5月24日

朝からばたばたしていたが、大学院へ。新聴講生のFさんの発表は「中国の環境問題」、パワーポイントを駆使して、いかに中国の環境問題が東アジア、ひいては世界の問題であることを発表。
しかし、アメリカ、中国はそれほど危機的状況だとは思っていないようだ。京都議定書に強硬反対するのも、それよりは経済成長なのである。
日本のスタンスは、スローダウン、冷的な成熟である。言い換えれば優雅なる衰退といってもいい。経済成長に希望を見いだす意識こそが相当時代とずれていると思うが、連中はそうは思っていないのだから始末が悪い。
世界の智慧が環境問題につぎこまれてしかるべきだ。21世紀は、人間が生きる環境が維持できるかどうか、にかかっている。
終了後、西宮北口の「メタモルフォーゼ」へ。 Fさんの慰労会というか、もう一人の新聴講生Kさん、2年目のGさんまじえて床屋談義。彼はフォークやポップスを歌う、異色の牧師である。アート&サウンドのたまり場「メタモ」が気にいっていただけたようで、よかった。


5月23日

友人の自転車部品卸・T社のNさんを訪ねる。この4月から5月にかけて広州交易会と上海自転車ショウにでかけていた。ビジネスの現場に「反日」の動きはない、と断言。むしろ、T社の商品の動きも国内での消費性向では首都圏が突出し(6割を占める)、地方では動かないという。経済格差拡大社会の到来だ。
一方でアメリカのトライアスロン界は活況を呈している。理由は、インテリ&リッチ層の大量参加である。アイアンマン・シリーズ(スイム3.9km+バイク180.2km+ラン42.195km)が実に世界で20以上も開催され(私が参加していた90年代前半では10に満たなかった)、とりわけアメリカ東海岸と西海岸でもてはやされるスポーツ文化状況なのだ。
夜、一週間の休みからようやくジョグ。約40分。動き始めるとからだはしゃきっとしてくれる。先週のだるさからようやく解放されたかの気分。体重は60kg。


5月22日

土曜日、早朝の仕事を終えて、HTAのS副理事長をピックアップするために阪急六甲へ。五月晴れというより、夏の快晴といってよい。
彼は東洋医学やヨガなどに詳しいので、頻尿のこと聞くと、「温灸がいいんちゃう?」「病院に行かなくても治る」とひとこと、ふたこと。さっそく、来週、紹介されたところに行ってみよう。
大会前日の準備はスムーズに進み、夜は宿泊所のO邸で、大会主要スタッフとともに談笑。12時頃、ひきあげて就寝。

午前5時頃に目覚め。外はなぜか雨。天気予報通りだというが、まいったなあ、という感じ。7回目にして初めての雨大会となった。降ったりやんだりが続いていたが、心配していたとおり、雨の曲り角で転倒事故3件、しかしけがは大したことはない。
おおむね無事、終了。丹波市になってからの大会だったので、成功に終わったことが次に繋がる。
午後6時帰宅。ゆるめのお湯につかって、温浴したら、夕食になって、食べたら、眠くなって、そのまま、ベッドでZZZ。


5月20日

17日から20日まで、午後から出かけた日々が続いて、木曜日ぐらいからようやく、からだの動きも悲鳴をあげなくなってきた。
ただし、18日は、午後から撮影に閉じこもっていたので、二つの先約をすっぽかすという羽目に。完全に忘れてたんだよなあ。反省。
論々神戸も結局、原稿は届かず、2回休みという結果に。ここにきて、パワーダウンしていると言われてもしかたがない。なんだかあわただしいせいもあるのかもしれないが、言い訳にもなりはしない。
昨日は、大阪の友人S夫妻と夕食。去年の11月以来だったので、おたがい犬の話や、新事業の話などで食も進んだ。今の時代の先取り事業(高齢者のオーラルケア)を実現しているのだから勢いがある。

明日は、朝の仕事を終えて、丹波市青垣へ。いろいろ気ぜわしくさせられた大会が始まる。過去最高の参加者(170名)なので、気分的にはいいのだが……。


5月16日

13日。夕刻、大阪へ出かける。30年前、昔、というこになるのかなあ、お世話になった(というか、最初の結婚の仲人をしていただいた。離婚してからは神戸に移り、大阪とは仕事以外のつきあいをしなくなっていたので、随分ご無沙汰したし、最後に会ったのも多分15年ほど前になると思う)企画会社の社長Mさんを偲ぶ会に参加。毎日放送やイベント会社、同窓生の方々が中心で開かれたもの。昨年の告別式には出られなかったので、一周忌は出ることにした。
ところが、私の知っているひとはほとんど皆無、とういうことは当時の関係者が一人も出席していなかったのである。なぜなんだろう? 私より深く関わっている人は確実にいるはずなのに。そのことを誰に聞くわけもできず、なつかしさはこみあげてくるものの、なにやら釈然としない面持ちもまた、でありました。

14日。午前中にしごとの連絡だけして、ワセリンや、ワンサイズ大きなシューズを買って、神戸まつりの準備がざわめく元町・三宮を後に京都へ。駅からのマラソン専用バスで小浜の旅館へと向かう。約2時間半の行程、思わずそれをなんとか12時間以内で走らなければならないと思うと、いや、本当に大変だと今さらながら、できるのかなと不安がよぎる。
旅館は小浜一といってもいいぐらい新しくて、参加者をよく扱っていただきました。市内散歩をして、鯖缶のお土産も買って、夕食もおなかいっぱい食べ、準備をして早々に就寝。明日は4時頃に起きることに。

15日。午前6時、参加者約300人は商店街の鯖街道起点をスタート。ゆるゆると走り出す。なんとなく1km6分程度のペースだろうか。前にクラブ仲間の石飛くんと松尾さん、前後して加藤さんと清水さん、少しずつゆるやかに登っていく。最初のAD(エイドステーション)で(約10km地点)立ち止まって、バナナやスポーツドリンクなどをいただき、再び走り始める。徐々に坂がきつくなるのだが、14.8kmの民家のADで小用。石飛・松尾コンビと会ったが、これを最後にフィニッシュまで会うことはなかった。

875mの根来坂峠(19.6km)までは山道登山、転げ落ちないようにブナ林を登って行く。頂点を過ぎると一種の爽快感があり、徐々に下っていく。清水さんは、下りで一度転んだらしく、唇の上を少しかすり傷。でもまだ元気。失速したような若い女性に声をかける余裕もある。徐々に人家があらわれてきて、知っている人たちが声をかけてくれる。
針畑診療所前AD(27km 410m)でいただいたキュウリと井戸水の美味しかったこと。加藤さん、清水さんとは付かず離れずというぐらいで、ひたひたと走り続ける。

川合(38.6km 350m)からは再びの登りに入るが、この間は足が前に動き、快調になる。下りで抜かれていた人たちを次々とパス、久多AD(41.2km 385m)まではいい感じで進み、いつのまにか、加藤さん、清水さんは離れていたようだった。ここは、途中最大のADで、赤飯おにぎりをいただいて、2つめの山登りに挑むが、これがこたえました。

渓流沿いから峰床山の杉林に入り、ジグザグにオグロ坂峠の急坂を登り出すと、急に辛くなってきた。息があがり、さっきのエイドでの赤飯がせりあがってくるような気がする。杉林からブナ林に代わり、標高が変わったようだと思っても、最高点(44.7km 870m)までどれぐらいかわからない。目を歩く人の姿を見失わないようがんばってきたのだが、後ろに10数人の姿がせまってきたので、しばし木の根株に腰をおろし、先へ行ってもらう。そのなかに清水さんも混じっていたので、付いて歩く。ようやく、平になったもののすぐ走り出す気になれなかったが、加藤さんも追い付いてきたので、ようやく走り出す。

ところが、しばらく行くとまた暗い杉林になり、小雨がぱらつきはじめ、なおかつ急に下っているので、3回目の山登りがあるのかとガックリ。
大見別れのAD(51.1km)で「あと6km登れば下るだけ」と言われ、だらだらとした石ころだらけの道を登りを歩く。途中、オフロードバイクのにいちゃんと、MTBのカップルに出会ったが、笑顔の元気すらない。それでもついに杉峠(56.8km 850m)に到着。後は下るだけ、ここのADでは豆腐のそうめんをいただき、思わずお代わりするほど美味しかった。

ここまで来ると残り20kmを切ったことになるので、気分を切り替えて下り坂へ。花背峠で車道と合流し、鞍馬に向かってひたすら下る。ところが、この下りで太腿が悲鳴をあげた。走り降りるのが痛いのでセーブをかけるが、ブレーキをかけながら降りるので精神的にもよろしくない。加藤さん、清水さんの姿が見えなくなってしまった。およそ5kmにも及ぶ長い下りで約500mも降りたことになり、鞍馬温泉に到着(63km 275m)。ここで京都トライアスロン協会の現T理事長と前M理事長に遭遇、彼らも「まさか渡邊さんが走るなんて?」という面持ちだったが、M理事長もやや引退気味なので、ちょっと刺激になったみたいだった。

市街最北という感じの市原で右折し、賀茂川左岸に出ると70km地点、いよいよ残り6kmとなる。市街にさしかかり、葵祭の日ともあって、河原に遊ぶ子どもたちや、ベンチで読書や語らいをするひとなど、思い思いに休日を楽しんでいる。あらためて、賀茂川は京都市民の憩いの場なんだと痛感した。でもこの広い河原空間はいい。庭園都市京都の底力だと思われる。
賀茂川にかかる橋が何本あるのかわからないが、いつ出町柳の橋になるのかと期待する度に裏切られて、加藤さん、清水さんとともに、ようやくゴールにたどり着く。10時間46分の鯖街道だった。

先にフィニッシュした石飛くんと松尾さんが出迎えてくれ、さらに友人のFさん夫妻とその子息夫妻、そして娘に出迎えられて、照れくさいものの、笑顔でしばらくハイテンションの状態が続く。完走の浜焼き鯖とビールとロングTシャツをいただいてひと段落するも、すぐ近くの子息のお家でひと風呂浴びることに。
そして、彼が働いている祇園花見小路の『亀厘』でお食事をいただくことになった。とおても美味しい食事だったのだけど、なんいせ胃の中がむちゃくちゃ状態なのでビール飲めず、舌の様子も尋常ではないので、ほんとの美味しさはまた今度、ということに。しかし、おかゆのうまいこととと言ったら!

神戸までくるまに乗っけてもらって、夢見心地。Fさん、なにからなにまでお世話に也、ありがとうございました。
人間の身体って、ホントすごいよなあ、とあらためて、走ってくれた「足」に感動!


5月11日

半日閉じこもっての撮影。進行を仕切っているわけでもないので、余計に疲れた。この間お茶(500ml)を2本、缶珈琲1本、冷静にトイレを数えたら4回。やはり多いよね。
午後8時よりギルガメシュの例会。ここでもビール1リットル、ジンジャーエール1杯と軽く食事。
日曜日に迫ってきた鯖街道マラソンの諸注意をウルトラマラソンの先輩たちから聞いていたのだが、いかんせん練習量の不足は否めない。Iくんは月間400km、Kさんは、軽く山路40km走を何回もこなしている。
明日、最後のランでしめくくり、体力温存せよ、とのアドバイスでのぞむことにする。雨の予想じゃないことだけでも良かったね、なんて。
帰宅後、アルコールが効いたのか、食事する気力も無く、すぐ寝てしまった。


5月10日

女学院大学院の中国論は「近代史・現代史」、清から中華人民共和国まで、出来事の連なり方に、あらためて「そうだったのか」と気付かされる。
文化代革命の頃、社会主義を実現したかの国は、ある種の希望であったことは確かだ。なにせ、ソ連と並んで、革命を成就させていた大国の一つだったから。日本でもアメリカ側とソ連・中国側の代理戦争みたいなかたちで、政治が行われていたので、情報の少ないなかで、象をなでて勝手に印象づけていたものだった。


5月8日 

第59回兵庫県民体育大会開会式に出席。いつもながら頭の痛い開会式。参加者はたった8人。終了後、青垣大会の打ち合わせ。終了後、グリーンピア三木で大会の打ち合わせ。終わって帰宅したら午後5時前。さっと着替えて約1時間のラン。たぶん11kmは走れたと思う。でも、連休中に30〜40km走は果たせなかった。不安不安。
母上に、花を持っていった。ちょうど妹も帰ってきたところで、軽く食事。居間で転んだらしく右頬に内出血のあと。足はからきし弱くなっている。
乾杯の時も、「お母さんらしいことしてあげられないねえ」といつもの弱気なひとこと。「いえいえ十分していただきました」と返す。
妹はといえば連休中に女三姉妹で福島へ出かけ、実家と裏磐梯、飯坂温泉を巡ってきたとのことで、写真も見せてもらう。桜をはじめ一斉に花開く季節、さぞ美しい山野だったことだろう。


5月7日

6日。午前中にあたふたとかたづけて、午後2時過ぎ、名古屋へ向かう。雨の中、渋滞なしの名神高速で約3時間、240kmの行程。女房殿の従姉妹宅でひと休みして地下鉄で愛知県立芸術劇場へ。劇団クセックの公演『ドンキホーテ』を観るためだ。万博スペイン館の主催のせいで、招待していただいた。東京からやってきたクライアントのAさんと合流、演出の神宮寺啓さんにご挨拶して、いざ観覧。
ドンキホーテは子どもの頃読んだ程度で、騎士道ファンタジーぐらいしか覚えてないのだが、ドンキホーテと従者のサンチョパンサとの掛け合いなど、真実と狂気の裏腹さ加減、自身の変化と周囲の変化の落差など、新たな解釈とリズミカルかつ持久力のある表現で1時間40分を走りきった。
終演後、神宮寺さんと南山大学時代の演劇の同志、さらにはドンキホーテ2役の吉田さんを交えて、食事。飲んで食べてしゃべりまくって午前1時。タクシーで星ヶ丘まで帰って、バタンQ。

7日。早朝は雨、で、うつうつと9時まで寝ていた。午後から万博に行ってみるか、としていたのだが、シナリオを読んでいた女房殿が「もう一度観てみたい」と、のたまったので急遽マチネーに。昼には五月晴れとなり、少し時間があったのでご近所のジョギング。星ヶ丘は文教地区で、どうも高級住宅地のようだ。三越、GAP、総ガラス張りテナントビルなど、坂に沿ってゆうたりとしている。すぐ近くには東山動植物園もあり、躑躅が咲き誇っていた。

2回目は全体が見えるようにと、一番後ろの席。やはり、前から3列目では見えていなかったものが見えていた。少し演出もいじっていたが、2回も観られて満足満足。7月のスペイン公演の成功を祈るばかり。そして、クセックがもっと正当な評価を受けるようにならなければおかしい。
公演後、栄の「ラシック」にて、名古屋ですから「えびふりゃあ」、特大エビフライを一度は食べないとね。しっかり満腹になって、降りていくフロアをチェック。女房殿の好むものが意外にあったので、ウインドウ中心にショッピング。
いつのまにやら、万博行く元気消え失せて、そのまま帰宅。
従姉妹ご夫妻にはお世話になりました。星ヶ丘にさようなら。
一切の渋滞も無く、約2時間半で神戸に着いた。


5月5日

連休週間もはや後半。

1日。雨。BBQ中止の朝、9時から一年ぶりかのバイク。ポートアイランドの外周を40km、走った。1時間30分かかるのも当然か。でも、自転車の爽快感、雨のなかでも変わらず、忘れていた快感が蘇る。

乙川優三郎の新著、連作集『むこうだんばら亭』を読む。銚子の居酒屋を舞台にしたよるべない庶民の生きようを描いたもので、いつもながらの細やかな心理描写に人の真実と虚勢を観る。

内田先生の日記で、数十年同じことを続けることの定点観測が人生の変化を見事に表すことの大きな意味を考えさせられた。20年以上にわたって、毎年、自らの意志で、同じ時期に同じことをずっと続けていることが私にはない。ルーティンのすごみ、これもまた、変化しないで変化することの現れである。

2日。区役所に印鑑証明。ロシア語翻訳、到着して一安心。夕刻、ハーバーランドまでランニング。ホームレスのブルーテントを排除したメリケンパークには、大きなネオンサイン「神戸からありがとう」、しかし、そばには木々のライトアップとはいえ群青色の灯りが悪趣味。
娘から人生相談。苦楽相互に訪れる青春の日々。

3日。打ち合わせのため安藤画伯のアトリエへ。大阪・住吉の下町住宅街にモダンで大きな建物が目立つ。途中、大阪の高級住宅地、帝塚山を通るが桑名正博の家の前で「へえ!」。

4日。昨日、今日とまるで夏。午前中、トアロードのアンレーヴで打ち合わせ。15日用のレース・シューズをチェックしてから帰宅。
ポートアイランド外周の20km走、1時間52分。まあまあの感覚。
夕食は、長田区のみくら5でジェナグルに合流。女房殿が通訳兼お世話役として、港めぐりや、ショッピングにつきあった。船に乗るのははじめてで、大いにはしゃいでいたそうである。

娘は大阪外大アフリカ研究会の皆さんと愛知万博出演のため名古屋へ。

そして今日、立夏。丹波市青垣町でトライアスロン大会の打ち合わせ。高速使って1時間半で着いた。昼食に旬のたけのこをいただき、山間部の春の匂いが漂う。
しかし丹波とはいえ、ここでも夏の陽気、帰りに寄った地元の肉屋のおじさんは、「春がありませんのう、ついこないだまでストーブ出しておりましたけんの」と。
で、夕食は当然焼き肉。やわらかい赤身のバラ肉でありましたこと! 連休週間もこうして、はやウイークエンドになってしまいました。


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