混迷亭日乗 Editor's Diary

3月23日

22日、雨。あらためて運転免許更新のため明石へ。印鑑忘れて、近くの売っているところを教えてもらって買いにいったため40分ほど、ロス。「ヒャッキン」と呼ばれる100円均一ショップで売っていました。
優良運転者のため、今度は5年後、ですね。帰りに明石駅で、久し振りの「玉子焼」を食す。三宮の「立花」のほうが美味しい。

『論々神戸』で言及した乙川優三郎、ギャラリー島田の島田さんが感応してくれて、自らが発信されている画廊日記で『冬の標』を推薦してくれた。神戸で乙川ファンが少し増えるだろうな。
誘い水にのって、就寝前に『生きる』に所収されている『安穏河原』を再読。結果、またしても枕頭を濡らすことに。

3月21日

20日。6時過ぎの起床時には、昨日のお酒が少し残っているかな、という感じだったけど、会場の南千里の公園についた頃には、消え去っていた。
今日は10マイルレース。初めてのコースだけど、小刻みなアップダウンがあると聞いていたが、その通り。ゆったりめにスタートし、様子をみながら走ってみたのだが、キロ表示がないので、ペースわからず。フィニッシュしってみれば79分。1km5分で走れていた。上出来である。
あとは4月10日、芦屋でハーフマラソンを走り、ゴールデンウィークに3〜4時間走(六甲山)を経験すればなんとかなるだろうという目算だ。
帰宅しると、ニュースで福岡で震度6弱の地震。
福岡の長姉宅には連絡つかず、次姉に電話。「携帯のメールで無事、確認したわよ」。福岡市内に住む甥の家の食器棚から食器が散乱した程度だったという。義兄は九州電力の役員、すぐさま、危機管理対応にかかっていることだろう。

女房殿、法事(名古屋)から、帰神。
義母は広島で足止めをくらい、福岡まで着いて、たぶんホテル宿泊だろうとのこと。携帯電話持っていないので、本人からの連絡を待つしかない。
名古屋の法事では、長崎の義母から「5月16日の法事には帰って来るように」と言われたとかで、私の鯖街道と重なってしまった。

3月19日

女房殿は昨日から法事のため、珍しく名古屋へ出かけている。
で、いつものように朝のお仕事、メイの散歩、朝食、洗濯。次いで宅急便2件を待っている間にピンクフロイドの「対」をかけながらの掃除。0時半をまわってしまったので、それからランに入ったのがちょっと浅はかだった。30分過ぎあたりから力が入らなくなってしまった、あきらかにガス欠。持ち合わせていた120円もって近くのコンビニで、買えるものをさがしたら「ビタミンC1000」。とりあえずそれを飲んで家まで2kmを歩いて帰った。
シャワーを浴びるより前に、特製皿うどんでようやく一段落。
ガス欠に見舞われるとホントどうしようもないので、思わず「鯖街道72kmの山中でのガス欠」をイメージしてしまい、恐怖感に襲われる。携帯食糧をきちんとしなければと自戒。

夕刻より京都へ。縄をモチーフにして精力的に作品を作り続けている八木マリヨさん(神戸高校の先輩)の個展のオープニングパーティに出席。北大路の民家を改造したかに見えるギャラリー「感」に行く道すがら、閑静な住宅街の落ち着いた佇まいに、さすが京都、と感心する。ガレージに散見されるのはベンツ。いわゆる、京都の文化・学術人が住う一帯なのかもしれない。

ご子息の仁君のサウンドパフォーマンスで始まった。
巨大な縄作品から小さな作品まで、素朴で力強い作品が呼吸していた。
京都で陶芸している友人、Kちゃん(♀)を誘っていたので、京都駅イセタンにある日本料理の老舗「和久傳」で夕食。三連休の初日のせいか、店は賑わっていた。料理の味はすこぶる良かったのだが、延々と10時半までしゃべりこんで、味を吟味するには及ばず。
なにせ久しぶりに加え、また私のボスだった故・小島素治氏の関連で知り合っただけに、加えて昨秋、弟君を病で失っているだけに、饒舌だったのかもしれないが、彼女の家は、ある意味、阪神間の上流階級(お金にはこまらない)だったがために、周辺にはそのお金にからむもめ事が散在している。
ここでも「金」があることのある意味での不幸が影を落としている。
でも、Kちゃんは、宇野千代の作品世界に出て来るような、お嬢さん育ちではあるけれど、環境がどう変わってもまっっすぐな気持ちはかわらない、凛とした気持ちのよさを持っているので、終生、お茶飲み友達としてつきあっていきたい。

3月17日

15日。午後から運転免許更新で明石へ。3年間無事故・無違反だったので、すっすと行くかと思ったら、視力検査でひっかかった。どうしても0.5までしか見えないのである。3年の間に、近視はまたまた進んでいた。
女性の検査官(?)は「出直されるか、すぐそばの眼鏡屋さんで2万円も出せば、すぐつくってくれますけど」とおっしゃる。でもじっと私の眼鏡をみて「でも、気にいるほうがいいですよね。24日までに、直接ここに来て下さい」とのたまった。で、そうすることにした。
帰りに三宮の行きつけの「モリカワ」に寄って、レンズをチェック。−7.5、−7.75にしないと、車クリアの0.7が見えないわけである。さすがに「おーっ、見える見える」、あたりまえだけど。
フレームは、30年前に着用していたジョンレノン・スタイルが復刻したと聞いていたので、5種類のなかから選ぶ。色は同じゴールドで巻きつるだが、今回は縁なしを選んだ。予定外の出費だけど、今度は5年後だもんな、60歳でありまする。
食後、事務所に戻って、メルマガ「論々神戸」を発信。終えたら午前様になっていた。うーっ、眠い。

16日。一日中、不備だと指摘された個人情報関連の提出用書類をこさえる。ほんとに疲れる。ほぼできたところで、気分転換に夕方のラン。日曜の64kg台のせいか、軽い感じで約45分。計ってみると64kg台前半へ突入。今年一月最高値だった68kgとは大違い。20日の10マイルレースが楽し身になってきた。
で、夜は必殺納豆中心ねばねばパスタと酒蒸しあさりボンゴレをつくる。我ながらウマイ!

17日。件の書類を大阪のJ社に提出。締め切りは明日だけど、たぶん感じでは今度はいけそうだ。帰りに堂島アバンザのベトナム料理店で、と思っていたら「ベトナム・フロッグ」(チェーン店)だった。思いのほか大きな店だった。清々しい野菜のおかゆがからだに気持ちいい。


3月14日

12日。寒い。ファイル修正の依頼を処理して、大阪へ。午後4時までJTU近畿ブロック協議会。土曜の午後にもかかわらず集まっていただいた。今後2年の活動方針案を採択していただく。ホンネをいえば、そのままちょいと一杯なのだが、神戸に戻って震災10年市民検証研究会の出版記念の集いに顔を出すので失礼する。
柳田邦男氏の巻頭のお話には間に合わず、その後の報告と、懇親会には出たのだが、出席者が思いのほか少なく、寂しい。
雑談で神戸山手大学学長の小森星児先生が篠山に引っ越されると聞く。震災後、5度目の引っ越しだが、神戸から近くなったとはいえ、車で1時間強はかかる。丹波篠山で晴耕雨読とまではいかないまでも、離れたところからしっかと目を見据えられることだろう。10年経つと、当たり前のことだが、みな所属やら立場も異なってくる。
帰り道すがら、北野坂の事務所に戻られる建築家(まちづくり研究所)の野崎先輩と四方山話。市町合併でまちづくりがうまくいかない例を聞かされた。

13日。朝は掃除と洗濯の主夫業。仕事する気おこらず、途中から名古屋女子国際マラソンを見てしまう。なぜって、大島めぐみ(しまむら)を応援していたからだ。今のマスメディアの注目度合いでは、トラックで世界選手権に出ても、上位入賞がむずかしいのでほとんど注目してくれないのはしかたがないが、29歳になって結婚して(相手は大島健太=雑草育ちの長距離ランナー)、マラソンでもう一度、世界選手権へ、というあたりは先輩に弘山晴美(資生堂)がいるので、これからの次世代の範になってほしいと思う。

夕刻になる前に、走る。ちょうど、神戸空港へと南進するポートライナーが陸を離れるあたりで、雪雲が北西風に乗ってやってきて猛烈な吹雪に遭遇。気持ちいい寒さで気分は軽い。約70分走ができて、満足。体重計はついに64kg台。まずは、順調に回復傾向にある。


3月10日

9日。取引先が大阪から来られたので、ランチは久し振りに北野のインド家庭料理『シャミアナ』へ。私にとっては、辛い部類ではないのだが、若い女性にとってはきつかったのか、残されてしまった。
アサヒ(マスターをこう呼んでいる)によると、近々に無謀にも、元町に「支店」を出すという。神戸ヤマハの南側路地を入ったところ東側だそうな。1人でどうやって2つの店をやるの?
女房殿の体調、もひとつらしいので、夕食をつくる。焼き魚と野菜(根菜の煮物とおひたし)、納豆、しじみ汁というあっさりバージョン。

10日。

とうとう暖かさを感じる日が訪れた。作業ジャンパーが不要になり、キャップも暑く感じるようになった。春である。
一日、事務所で書類書き。夜、35分のジョグ。65kg台をキープ。
女房殿の調子、いまだすぐれず。大阪で午後に4件も打ち合わせを入れるのだからそれは無理というもの。
せっかくのキムチ鍋も、私1人で食す羽目に。

それでも木曜夜のお楽しみはNHK-BS『チャングム』第21話。チャングムの開き直りにも似たがんばりと、亡き母の形見の力と祈りで、指導教官のハン・サングンがチェゴ・サングン(宮廷厨房女官の最高位)に昇進決定。しかし、破れたチェ・サングンがサングンたちをからめとって猛烈な巻き返しに出るところで、続く。
韓国純愛ドラマは知らないけれど、うちの家族はコレに全員はまっています。アフリカ滞在の娘も、これだけはビデオ録画を女房殿に厳命していったのでアリマス。
見ていない人には「なんのこっちゃ」でしょうが、ご勘弁を!


3月9日

7日。11時過ぎの新幹線で横浜へ。2回目のプレゼンだった。感触だが、我々の提案は中身重視のため、地味で、インパクトに欠けたようだ。しかたがない。売れてなんぼの世界だけど、通販だからといって、売り一本で攻めていいものかと思ってしまうのだ。3社ともS社に提示して判断をあおぐということ。確率三分の一。U社長は「まだ100%決まった事業ではないので、S社の判断にゆだねる」という。U社長の別の事業アイデアにも期待してみよう。
終わってから、湘南快速で池袋まで、地下鉄に乗り換えて、息子のアパートのある小竹向原へ。
地図を確かめて、近くの城北公園まで軽いジョグ。ひのあたらない道端に、金曜日の雪のよごれた塊が残っている。小さな畑もそこここにあり、以前はまったくの郊外だったことを伺わせる。公園のそばには疎水というには人工的すぎる流れがあり、東京にしてはましな環境だと思う。
近くのスーパーでの食品は、神戸より断然安かった。簡単な食事をすませて、早めに就寝。物音のしない静かな住宅街だった。

8日。地下鉄有楽町線で銀座まで。松屋の美術画廊で個展が始まった安藤岬先生を訪ね、ご挨拶。迫力のある絵と陶と書が並ぶ。小一時間にわたって、いろいろお話を伺う。画伯の師である須田剋太は国画会の重鎮だった人。私の中學三年時の担任、遠藤賢太郎先生(現・山形大教授)も国画会の会員で、司馬遼太郎の『街道が行く』(挿絵:須田剋太)に登場したという縁があって、安藤先生も喜んでらした。
すぐそばの伊東屋によって、注文していた南部鉄のテープカッターを受け取る。荷物がずっしりと重くなった。
昼の新幹線で帰神。村上春樹の『海辺のカフカ』、文庫版が出たので読み出す。展開が読めなくてわくわくする。帰ると事務所が少し整理されていた。明日はお客さまのようだ。
なにもない事務所が一番いいが、それは、絶望的。

夜、東灘・魚崎のK邸でのチェロのコンサート。吉川よしひろさんという山形出身のニューヨークで活躍されているチェリスト。クラシック、ジャズ、ポップスの垣根はないのはとうぜんとしても、そのスタイルははじめてのもの。はじめにリズムをフィンガーピッキングで弾いたのち(ウッドベースの役割?)、それが、エフェクターのような小さなモニターから再生され、それにかぶせて主旋律が奏でられるという芸なのである。

曲では、アメリカに来て50年間、日本に帰っていないという、身寄りのない90歳をこえた老人ホームのおばあさんを思ってつくった「MEMORY OF GOSHEN」という曲がこころを打った。

「私はひとときも日本を忘れたことはありません」

ニューヨークという厳しい世界では、「オリジナリティ」がなければ勝負できない、という証左である。でも、息子に聞かせてみたい。好き嫌いは別にして、気迫で生きている音楽家の世界であり、それをサポートするプロデューサーがいる、ということを。
お客さまには、神戸出身のソプラノ歌手、深川和美さんも来てらした。今度、京都・法然院で、童謡にチャレンジする、という。


3月6日

5日。朝はそれほど寒くないが、午後から冷えるという。土曜日だが、企画書の仕上げのため事務所へ。夕方、45分のジョグ。65kg台をキープ。これが普通になればいい。終えてから、デザイナーのN氏の事務所で、プレゼン仕上がり状態をチェック。
夕食中、些細な第三者のことで、女房殿と口喧嘩。言い方の問題なのだろうが、言った言わない、覚えてる、覚えてないで……。
テレビなんぞ見る気にもならず、甲野先生の『身体から革命を起こす』(新潮社)を読了。月末のJTU理事会において、推薦図書にあげたい。理事と強化本部長のどのぐらいの人が感心を示すだろうか?

朝、メイと散歩していると、港島中学校からやんやの声。野球の練習試合であることはわかったが、なぜか背番号のないユニフォーム姿の生徒や保護者が高い金網(運動場を取り囲む)の外にいる。かごの中でレギュラー陣だけで野球をしているのだ。
なんとも言えない寒ざむしい光景。これをして教育的というんだろうな。ボールゲームという言葉は、ここでは死んでいた。

その後、朝食をと思っていたら、息子からのメールでまたひと悶着。まったく手におえない。お互い事務所で、違う仕事に集中。昼食も、自分で納豆スパをつくったら、時間差という理由で食べない。
事務所に戻って再び企画書をしあげ、プレゼン用ボードも受け取ったので、こうして日記を書いている。

これから、中央郵便局まで一走り。16日、東京での『カルテット アミーコ』のリサイタルのフライヤーを在京の知人、友人に送付するためだ。


3月4日

3日。雛祭り。そういえば、娘はギニアにいるので、おひな様はお出ましにならなかった。でも、女房殿は、ちらし寿司と蛤のお吸い物、そして筑前煮とはたはたをつくって、母と妹宅で一緒に遅い食事。こうやってなにげなくおしゃべりしながら食べることだけでも、母の癒しになるのだろう。
母は歩くのがほんとに億劫になってきている。デイケアサービスの日でないときは、家のなかにいることが多い。近くの市場まで散歩したら、とは言うもののなかなか。妹も、あまりきつくは言わない。
福岡の長姉に、亡父と母の昔について、書き残してほしいと頼む。9歳違うので、私の記憶よりも前のことを残しておいてほしいのだ。
父は、S市の助役を勤め上げ、ある地質調査会社の神戸事務所をまかされて悠々自適だったときに発病し、だからというので、ワープロを購入して、自伝、のようなものを書こうとしていた矢先に亡くなってしまった。
父の思考を知る術はもはやない。


3月2日

大阪のJ社に4日提出の個人情報保護管理体制についての書類を、夕方までかかって書き上げる。宅急便送付時間に間に合った。
これでびしっと通るかどうかわからないが、一日の余裕があるので、訂正があれば対応できる。
このため、今日、出かける予定の京都での「コスモスフォーラム」は欠席。動物行動学の日高敏隆氏だっただけに残念。

夜は東急ハンズ西隣の「nomina」でギルガメシュの例会。5月15日の「鯖街道マラソン」の要項を見て、いよいよだな、と身のひきしまる思い。今年が最後になるかもしれないので、とにかくチャレンジする。小浜から京都まで76km、二つの峠越え、12時間の制限までに、ゴールの出町柳にたどり着けるか? 
参加資格、フルマラソン4時間30分以内は、楽にクリアできるものの、最後に走ったのは、たしか97年の宮古島トライアスロン大会の最後のランではなかったか? このブランクやいかに?

1日発行の「論々神戸」、島田誠氏の震災10年の事業についてのエッセイ。11年目の冬が去ろうとしている。


03年3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
04年1月
2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
05年1月2月いま