混迷亭日乗 Editor's Diary

2月28日

通販カタログの再企画プレゼンテーションは7日に決まった。
内心ぴりぴりしながら、企画のつめを行う。ほぼ85%までできあがったが、残りが問題だ。
で、2月はもうおしまい。
食事前のジョグ、まだまだ風は冷たく、手先がかじかむ。左右のバランスとフラットな着地を意識しながら走るが、まだまだ体感できない。4マイルほど走って切り上げた。3月に、適当な近場で一本ぐらいレースに出ておかないと、からだがしゃきっとしないかもしれない。


2月27日

26日。土曜日は午後から夕刻まで、原稿かきの仕事。暗くなってジョグ。体重が65kg台になってきたように思う、が安心はできない。

日曜日、午前中、JTU公認審判員更新講習会に顔をだす。午後からは全国一斉受験なのだが、監督者の両Mさんにおまかせし、引き上げる。講習者の一人がNTT勤務なのだが、いつも不思議に思っていることとして、「トライアスロン=JTUに特別協賛しているのに、また所属オリンピック選手もいるのに、社員には全然伝わっていない」ということだった。昨年のアテネでも、社内報にちらっと載ったぐらいで、社員は知らない、という。
私にもわからない。個別契約なので、他の実業団スポーツに比べれば、大したことない、という認識なのか。

夜、個人情報保護法4月施行のことで、ITにくわしいMくんに来てもらい、お手製のお好み焼きとワインでもてなす。関連部分の書式の雛形作成をお願いする。なにせ、4日が提出の締め切りだが、細かいことなので気が重い。
あ、そうそう、今度出たアサヒの発泡酒「ゴールド」はなかなか味がおよろしいようで。


2月25日

飯田眼科にて、半年ぶりの視野検査。結果は、あまりよろしくない。見えない部分が帯になっているところが出てきた。
検査前にここ一週間ぐらい、朝の薬のせいか、目がはれぼったくてしょうがない、と訴える。
と、先生曰く、「結膜炎以外の目薬は、目にとってはよろしくない。対症なので、それ以外の部署には迷惑なものよ」。
うーん、そうか、やはり、薬は毒なのである。風邪薬は胃にはよろしくないし、睡眠薬は正常な部分に影響を及ぼすもの。副作用なんて言わないで、毒がまわった、といったほうがいいのかも。
先日の理事長の奥様の件(リュウマチと間質性肺炎)も、すでに16人もの死者が出ているというのだからただ事ではない。きっと薬害訴訟が起こると予測する。


2月24日

小雨。夜になり冷え込む。隠してもしょうがない55th Birthday。

JCの知人であり、娘さんがバレエで娘と一緒だったS氏の奥さんのお通夜。一年半の闘病後の死、51歳だった。鼻腔内悪性腫瘍の脊髄転移によって致命傷となった。
人の運命は転変する。老舗特殊電機関連商社を継いだSだったが、昔、息子を亡くし、ここ数年で父を亡くし、会社が倒産し、今度は妻を亡くした。
聡明で清楚なたたずまいだった彼女だったが、いったい、Sにどういう言葉がかけられるのだろう。
集まったJCの友人たちに、たんたんと病状を知らせるSの言葉には、妻の闘病生活をともに闘ったという自負が垣間見えた。
女房殿が娘さんとしばし話しこんでいたが、母への追慕とは別に、気丈な面も伺えたという。関大卒で、NECに入社が決まっているそうだ。
ただ、残された遺族に幸多かれ、としか言いようが無い。
Sも強く生きていってほしい。

その後、生田川畔の北京料理『悟空』で、女房殿と食事。台湾系日本人のマスターと三人で、個人的、社会的四方山話ができてよかった。ここには書けない話もあった。字義通り、書けませんので、スミマセン。

ともかく無常と無情を感じずにはいられない誕生日となった。


2月23日

20日。今日のつぶやきにも書いたように、静かな日曜日。
10kmのジョグ、約55分間。思いのほか寒くて、雪雲にのって運ばれてきた雪が、夕陽に照らされてきらめき、冴え冴えとした寒気とあいまって、走るリズムに弾みがつく。きれいな日没であった。

21日。四月から施行される個人情報保護法に関して、大阪のJ社の説明会。今後、仕事をする際の契約は、保護するための対策を講じていないところとは締結しない、と宣言したに等しい。零細企業や個人事業者にとっては思わぬ出費となる。で、帰りに堂島のジュンク堂で、関連書籍にあたったのだが、20種近くもあって、選ぶまでにいたらず、下の階にあるワルツ堂にて、レナータ・テバルディのオペラ・アリア集(要するにいいとこどり)を求めて帰社。
夜は、HTAの常任会。理事長の奥様が、リュウマチの薬の副作用で、耳慣れない間質性肺炎に罹り、入院とか。あちこちで、体調思わしくないニュースを聞く。

そして今日、このところ、朝、目が腫れぼったく、うっとうしい。どうも、いつもの朝の目薬をさした後に感じるようになったのではないかと疑う。明日はちょっと遅らせてみよう。

夜、大阪能楽会館にて、若手研修生の能を観劇。無料で見せていただいた。ありがたいことである。このような場を経験して、育っていくのだなと感心。ムム、やはり眠い。何度かこっくりいったが、気分はしゃきっとするのでよい。
終了後、内田先生とウッキー、同じ女学院の英文科の鵜野先生と、12月もご一緒したメンバーで「冨ずし」へ。中トロから始まって、あじやいわしや赤貝、ひらめなど美味しく、お酒もいただいて、いい気分。
帰りに電車のなかで、精神の病についての先生の卓見を聞かせていただく。精神科医VS患者と言う様相についてである。人権問題と関わりあうので、ここには書けないけれど、やはり現場はすごい。どっちが主導権をとっているのやら?


2月19日

18日。夜、小雨のなか、約35分のジョグ。13日の駅伝で打撲した左膝の痛みがほぼ消えた。

19日。午前中から、カッサレードの景気をさかなにスタッフ4名で通販カタログの企画会議。だいたいの方向性が見えてきた。夕方、「キッチン・トレーラー」という北欧の映画を観に行ったのだが、あえなく討ち死に。ほとんど寝ていたので、観ていないにひとしい。十分睡眠をとっていないツケがくる。帰りに、HMVによって、レナータ・テバルディの入ったオペラアリア名曲集と、久し振りのフランソワーズ・アルディの新譜『tant de belles choses』(仏盤)、そしてジェフ・ベックの75年録音のインストゥルメンタル「blow by blow」(英盤)を求めた。いずれもNHK-FMからのエアチェックで、この偶然性によって、最近の購入を決めている。選択の幅は狭いが、それもよし、と割り切っている。

アリア集を聞きながら夕食したのだが、女房殿が「なぜ、テバルディの声が好きなのかしらん?」と聞くので、「俺にも、わかんね」とこたえる。
ちなみに私の好きな女性ボーカリストは以下の通り。(クラシックは除きます)
 過去からいくと、60年代からはペギー・マーチ、レスリー・ゴア、ミシェル・フィリップス、西田左知子、サンデー・デニー、ジョニ・ミッチェル、カーラ・ボノフ、ミルバ、ジュリエット・グレコ、リンダ・トンプソン、マディ・プライア、フランソワーズ・アルディ、ニコレッタ、ジェーン・バーキン、パティ・スミス、薩めぐみ、堀内美紀、大貫妙子、ブリジット・フォンテーヌ、北原ミレイ、イザベル・アジャーニ(歌手ではありませんが、LP一枚所有、存在そのものが許せる人です)などなど。
80年代以降になると、クリシー・ハインド、マドンナ、ディアーヌ・デュフレーヌ、シャーディー、パトリアシア・カース、ヴィクター・ラズロ、アラニス・モリセット、モイヤ・ブレナン、具島直子、おおたか静流、中森明菜、椎名林檎など、思い付くままにあげてみたが、なにか共通点はおわかりだろうか? ワタナベが自覚していることは一つあるのだが……。


2月17日

朝、関空へ娘を見送りに。昨年に引き続き、アフリカンダンスのワークショップのため約45日のアフリカ・ギニア行きだ。帰国以来、アルバイトで貯めた資金で旅立っていった。二度目とあって、本人も落ち着いている。マレーシア・クアラルンプールからパリ経由、コナクリまで。

そういえば、彼女と同じ外大生のYさんが、アフリカ大陸を自転車で縦断していたことが報じられていたが、彼女は昨年のギニア行きについて、多くのアドバイスをくれていたようだ。その行動力を買われてか、朝日放送に就職が決まったという。

アフリカについて見聞しながら勉強することで社会性を身につけるようで、日本とのあまりの落差に、複眼的なものの観方も知らず知らずに会得していっているのか、精神的にもタフであることは羨ましい。

夜、キフチャというJC-OBの気の合う仲間たちとの会合。北野のドイツワイン・レストラン「ローテローゼ」にて。首謀者のK弁護士(剣玉コレクションで朝日に掲載)は青森・弘前の出身、いつかは行ってみたいところの一つ)、会津藩の始祖保科正之の評価をめぐって意気統合、白ワインをかぱかぱいただく。そのせいか、帰りは市民広場駅まで二駅乗りすごすはめに。


2月16日

14日、またしても、小学校へ刃物男が浸入、教師を刺身包丁で刺殺した。17歳の卒業生だという。
捜査の結果、どのような分析がなされようと、多分、これで、さらに学校の警備をかため、学校は閉じた空間になっていくことだろう。学校の学校たる存在価値が軽くなっていく。

震災に襲われた被災地の学校は、地域に開かれた学校をめざしてきた。これも、変更を余儀なくされるかもしれない。地元の港島小学校には大きなフェンスどころか、門扉さえない。それはむしろ誇りに思ってよいことだった。息子や娘が通っていた頃には、多少の不良やワルはいたが、可愛いものだった。今は、むしろ、そうではないフツウの子どもに「殺意」が宿る。
学校やお寺は、地域のコミュニティの核である。学びはもちろんのこと、避難所であり、遊び場であり、友だちと会えるところだった。卒業した丹波・柏原の崇広小学校の校庭は広く、東側にはすぐ山で、大きな滑り台のある山裾で走り回って遊んでいた。郷愁だと笑われてもいいけれど、からだ全体で遊ぶ場所が確かに在ったのだ。

亡くなられた先生には心からお悔やみを申し上げる。
卒業生が学校へやってきてくれたら、ガードは低くなるのは当然だろう。
ここにきて、本気で武術を身につける必要を感じている。さすれば、殺気を感じて、致命傷をはずし、死にまではいたらなかったのでは、と。

江戸時代の寺子屋を復権させようと考える私や、同じ考えを持つ人たちにとっては、暗雲がたれ込めてきた。ホントにイヤな時代になった。
いかに厳重に警戒したとしても、問題は学校の外に出て行くだけだと思う。そして、そんなことに神経を使わなくてはいけない先生方を気の毒に思う。


2月14日

忙しい一週間だった。

9日。トライアスロンクラブ・メンバーである保険マンのIくん、NPOでスポーツの家庭教師プロジェクトを起業。そのお披露目会に、東灘区選出のU市会議員とともに出席。理事の就任をお願いしたので、当然といえば当然。事務所に帰って、企画書を仕上げたら午前様になっていた。

10日。朝から横浜のF社へ。社長を相手に、1時間ほどのプレゼンテーション。おおむね気にいっていただけたようだが、3社競合なので、安心はできない。
東京へ出て銀座の伊東屋へ。ブックカバーとケルト文様のペーパーウエイトなどを求めた。紛失したテープカッターの代わりになるヤツがみつかったので、在庫問い合わせしてもらう。新幹線で、帰りは18時30分頃。

11日。父の命日。15年経って16回忌。福岡の長姉夫妻(旦那様はQ電の役員、本当にお世話になっている)も長男の再婚相手とともに来神戸。阪神間に住むたった2軒の親戚にご紹介とあいなった。甥(次姉)の二人のお嫁さんも、遠くから初お目見え。一気に女性が3人も増えて、実に華やいだ雰囲気に。伊達和尚の読経も渋いもので、あちこちでお経は聞くものの、伊達さんの読経は上等の部類。正座しがいがあるというものだ。
その後、西神墓地へ全員で墓参り。あらためて、親族の「いのち」の連鎖に深い感動を覚える。夕食会は、ハーバーランドのイタリア料理「ポルト・アズーロ」。トスカーナ地方のワインが素晴らしく、気持ちよく酔いましたね。
15年という月日、二人の叔父(母の弟)は父が没した年齢を越えた。その叔父たちを見送って、姉妹とともに母の家に。
そこで、妹が「こんなのあるのよ」と言って、母が結婚式のとき(64年前)に着ていた振り袖を登場(モノクロの写真でしか見たことがなかった)させた。どうして今頃、出てきたんだろう? 
それはさておき、鶴と松と波をあしらった見事なもので、娘や若いお嫁さんたちが代わる代わる着せられて(女房殿がささっと着つけ)、記念撮影。歓声にあふれた命日となった。
父が神戸で亡くなったからこそ、こういう集いが持てる。さぞかし、喜んでくれたことと思う。父は消えてはいない。

12日。早朝のお仕事の後、スリープ。午後、ビデオで『白いカラス』を観た。人種差別、DVをテーマにした佳作だが、結末の意味がわからない。未必の故意で死亡させた男の言葉の意味がわからない。娘を女房殿も首をかしげていた、という。これだけでも、映画としてはイカンですな。テーマがいかに深刻なものであってもね。もう一つ、ポリティカル・コレクトは、なくてもいい亀裂を再生産させるシステムです、ね。
夜は、不運が続く坪谷画伯を励ます会のため、明石のご自宅へ。20人たらずのこじんまりとした会だが、お料理は絶品ぞろい(数人でこさえてくれたらしい)。将来は小料理屋の坪谷ママになるだろうのセンスはすごい。趙博(チョウ・パギ)と矢野さんの音楽もあって、大いに盛り上がり、地元組を残して午後10時半過ぎに失礼した。

13日。午前はJTU2種審判員更新講習会に出席。午後は、久し振りのバレンタインラブラン駅伝に出場。3区5.2kmをなんとか24分台で走った。ホントにからだって正直で、うごかないものですねえ。でもね、出場152チームで50位、我がギルガメシュは全員50歳以上。これはもう、ほめましょう!
ゆっくりお風呂に入って、襷リレーの際に転倒したので、打った左膝をいたわってあげる。しかし、転んだ3回とも左側、ということは絶対にバランスが崩れているに違いない。整体してもらいに行かなくては。背骨の左側帯、左のハムストリングス、いずれも右に比べて張っているのがわかるのだから。


2月8日

5日、フォーラム「人間の未来」に参加。基調講演は河合雅雄、シンポジウムは小山修三、鷲田清一、池内 紀、という豪華メンバー。
終了後、写真家のTくんとお茶。企画中のカタログ表紙への依頼。作品のCD-ROMを預かる。
夜、ご近所の建設会社社長、Fさんの還暦祝いの夕食会。11時ぐらいで眠りこけてダウン。

6日、NHK-FMで往年のソプラノ歌手、レナータ・テバルディの特集。メイの散歩のお伴で、ききほれていた。こんな番組、NHKだけだものね。思わず拍手。バッシングに会っている報道部門とはえらいちがい。ま、昔から中立だなんて思っていないけど、単なる政府発表をなぞっているだけのニュースが多いのはどうしてかね? 
視聴料、衛星放送が入った時点で、私は不払いをやめました。それ依頼、自動引き落としになっております。女房殿も今回の件ではなにもアクションを起こしていないので、私も別に。
でもお願いだから「民放」にはならないでよね!
午後、舞洲へ。大阪府協会JTU2種審判員、免許更新の講習会。2月13日には、兵庫県協会も行う。

7日。プレゼンテーションのため、横浜出張が10日に決定。デザインレイアウト案を9日中に仕上げてもらうために、いろいろ準備。打ち合わせが3件。最後の案件はカタログ表紙について坪谷画伯宅を訪れ、どのようなイメージとタッチでいくかご相談。その後、美味しい食事をいただく。ちょうど、神戸でデザイン家具を制作販売されているO夫妻も来られて、最終電車まで、歓談。パンフレットをいただいたが、まさしく一生もののような家具。お金があれば、の世界である。
ここで奇遇を知る。
息子が昨年初めまでつきあっていた北大の女性の父親が、Oさんたちの師匠筋にあたる家具職人であったことが判明。修業時代に大変お世話になったそうで、彼女の小学生時代を知る人たちだったのだ。驚いたのなんの。


2月4日

立春。
朝起きたら、女房殿のメモが食卓に。節分豆ともに、「年の数だけ召し上がれ!」と。54個、食べた。

やけに陽射しが明るい。朝から脳がぼけている、ついウツラウツラ。危うく約束に遅れるところだった。
神戸が初めてというJOCトライアスロン専任コーチの飯島健二郎氏とランチを食べながら、普及のための駅伝大会のブリーフィングを受ける。専門種目の選手もまじえての複合駅伝という前向きの大会なので、協力を約束。近畿ブロックでも、来年は実現できるように、各加盟団体にも声をかけることにする。

食後、新神戸駅に送る道すがら、メリケンパークの震災痕跡を案内した。ここぐらいしか「当時のママ」が残ってないのは、かえすがえすも悔しい。もっと世界へ、防災を訴えるのなら、記録と記憶の双方を残さなければならなかった。

大阪・桜橋の交差点の掘建て小屋(というかカプセル屋台というか)の靴磨きのおじさんから、靴の修理を受け取った。ブーツ二足、きれいになって戻ってきたら、うれしくなった。往復の電車のなかで「やりなおし教要講座」(村上陽一郎)を読み終えるつもりが、あえなく睡魔におそわれてダウン。白河夜船状態に。


2月2日

今日も寒い。うちの事務所はガラスのスウィングドアなので、強風にあおられて、隙間ならぬ風が吹き込んでくる。通常のエアコンも、ファンヒーター全開でも室温は20度まで達しない。したがって寒い。とくに足元が。
海岸通のCデザイン事務所で打ち合わせをして帰る路すがら、「ベルルッティ」や「フェンディ」「ルイヴィトン」「ポールスチュワート」「オールドイングランド」といった名だたるブティックはすでに春の装い。あたりまえか! しかし、イメージの落差が大きすぎて、なにやら寂しくなった。

新潟は豪雪となった。屋根に降り積もった雪の重みでミシミシギシギシと家が悲鳴をあげる。
記憶では「三八豪雪」(昭和38年)がぶり返してきた。黒の車体に白いラインが優美な姿をもつC62蒸気機関車が白い壁のなかで立ち往生している写真は『SL』というグラフ誌だったろうか。たしか、北陸街道で数多くの大型トラックも前に進めず後ろに戻れずで、救援を待つばかりであった。
当時とは交通網が違うので今回はそこまでにはならないものの、被災地の苦渋にはただただ衷情を思いやるばかりだ。

夜、遅めではあったが、3人そろったので、お待たせのすき焼き。福岡の長姉が送ってくれた福岡和牛の上等品。かくも見事な「霜降り」たるや、金額を失念するばかりの鮮やかさ。もう、なにも言うことなく、にこやかにただ箸を滑らせるのみ。
11日の亡父の命日には来神するので、再び親族の集い。父の吸引力はいまだ衰えず。


2月1日 

早朝、一歩出れば、道路をのぞいて白一面の雪化粧。暗闇のなか、まだ雪が舞い降りてくる。路面凍結はしていないようなのだが、いつもより注意深く車を走らせた。
無性に雪が降るとうれしくなる。小学校の3年半、冬には雪が降り積もる但馬の浜坂で暮らしたせいか、はたまた福島の血がなせることなのか、雪国の方には申し訳ないが、たまの雪はホントにうれしい。
さっそく、朝の散歩ではメイを中公園に連れて行って自由にさせる。ほうっておくと、いつまでも帰らないので、切り上げたのだが、予定時間はオーバーする。
その分朝食の時間が少なくなった。
今週の「今朝の三枚おろし」(ラジオ大阪 朝8時10分頃 武田鉄矢のトーク番組)では、内田教授の『私の身体は頭がいい』を取り上げている。ここ一年で、P.フランクル、キューブラー・ロス、甲野善紀、三砂ちづるなどの著書も取り上げていたので、いつかはと思っていたが、武田鉄矢ってホント読書好きなんだな。


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