混迷亭日乗 Editor's Diary

1月31日

年に一度の大きな会議、JTU近畿ブロック「拡大」協議会が終わった。
29日、朝から会議のためのコピー枚数約700枚。ぎりぎりまでかかって、寒空のなか、グリーンピア三木へ。懇親会用の三木の地酒「にごり酒」を皆さんに飲んでいただくために買っていく。
うどんすき(極太)と飲み放題で、出来上がったが、露店風呂に使って、部屋で盛り上がっている二次会へ。
歓談しばし、私にとってはにごり酒は一杯で十分だった。12時前までにひきあげ、7時まで熟睡。

30日。近畿2府4県のJTU加盟団体と専門委員の出席27名で、午後3時半まで。
05・06年度もJTU理事(近畿ブロック会長兼務)に決定。4期8年の最終任期に入る。なんとか会員拡大をはたして、次の会長にバトンを渡したい。

帰りは兵庫県のS副理事長が同乗して、その間、霊的世界の話など、あやしいとおもわれるかもしれないが、スピルチュアル・カウンセリングの話に終始する。彼とは韓式意拳の講習会にも一緒に参加したことがある。トライアスロンだけじゃなく、合気道、杖術、ヨガもこなしている。今年も4月の宮古島トライアスロン大会に出場が決まっている。トライアスロンの友人でこんな話ができるのも、楽しい。
近畿ブロックの皆さん、おつかれさまでした。あと2年、よろしくね!

帰宅後、内田先生の近著『先生はえらい』を読んだ。受講中やHPでも、部分的に開示されてはいたが、流れるようにリズミカルに話が進んでいく。
先生(師匠)がいつ前景化するのか、求めなければ現前には現れないことだけは確かなことで、私にとっては、編集のうえではK.M.氏(あの世びと)
であり、思想のうえでは内田先生であり、すでに人生としては第3のステージに移行しているのかもしれない。。
今どきの若者はうらやましい、こんな話が小さいときから聞けるなんて(筑摩のプライマリー新書という新・新書なのであります)。


1月28日

24日、深夜からの「ぞくっとした感覚」を覚え、その後おかしくなった体調不良の原因は、どうやら「霊気」にあったのかもしれない。内田教授のブログでは、残ったメンバーの状態が荒れていたとのこと。霊的状態に鈍な私でさえ、その余波があったということか。いまだに完全にはなおっていない。

今日、午後、大阪で心斎橋から梅田まで地下鉄に乗った。6時頃のデザイナーとの打ち合わせのことをぼんやり考えていた。
ドアが開いて、乗り込んで扉の前に立ったら、点字のお知らせがったのでさわってみた。「この車両は6両目で、前から2番目の扉です」とある。「ふーん、親切なんだ」と。ま、どうってことのないいつもの風景だったのだが、なにかが違う。それに気が付いたのは淀屋橋駅を過ぎてからのこと、釣り下げてある輪(吊り輪っていうのかな?)がピンク色なんである。変な車両だと思ったときに、はっとした。昨今流行りの「女性専用車両」だったのだ。「こりゃいかん」と思って、着いたらソソクサと出て、次の車両に移って、「やれやれ」と思って、着いてみたら中津駅だった。反対の社虜湯にのって梅田に戻る、というお粗末な話でありました。
でも、当然という感覚で乗っていたら、怪訝な雰囲気は感じないもんなんですな、全然、敵意に満ちた視線は感じませんでしたから。でも、願わくば、女性の方々、ほんとに「ぼーっとしている」場合があるんですよ、許してくださりませ。

まだ、明日あさってのJTU近畿ブロック協議会の資料をこさえていない。なんとかしなくては!


1月25日

疾風怒濤のごとき週末が終わったら風邪をひいた。鼻がグシュグシュ、痛い事このうえない。
21日の横浜出張から、息子の新しいアパート(小竹向原)へ泊まり、22日は一日中渋谷でJTUの理事会から池袋に移り、甥(サンフランシスコ在住)の結婚式の前夜の会食、23日は椿山荘での結婚式、その日に神戸に帰り、24日は晶文社主催の内田教授(哲学と武道)、甲野善紀(武術家)、名越康文(精神科医)の大鼎談と、みっちりとつまった4日間。
ちょっとやそっとでは書ききれないので、沈没。


1月18日

昨日とは打って変わって
快晴。画家のAさんの作品紹介パンフのラフをF氏に渡し、そのまま女学院へ。今年度、大学院の最後の授業とてNTT出版の編集子が列席。一年間の「アメリカン・スタディーズ」の内容が、なんでも今秋には上梓される予定だとか。どのような本になるのか楽しみである。終了後は打ち上げ。前期には海外だったので出席していなかったし、今週末には内田先生の兄上の会社にお邪魔するので出席し、修士課程・博士課程の諸君と歓談。
同じ日に行われた黒田裕子さんと竹下景子さんとのトークには出席できず、主催者の島田さん、ごめんなさい!


1月17日

朝から冷たい雨。いつものように5時25分に目覚め、おつとめに行くクルマの中で5時46分を迎える。合掌。
10時からの鷹取・大黒公園出発の「残党i-walk」(まちづくり研究所の野口隆一さん曰く)に出掛ける予定が、急に体調を崩し(ひどい下痢)思いとどまる。午前中、じっとしていた。
しばらくラジオの番組(NHKとkiss-FM)を聞いていたのだが、多くの声をとりあげていたが、若い人たちの声では、「神戸の街は復興しましたね」「素敵な神戸になるまでの努力に感動」とか、肯定的な声が多く聞かれ、あらためて、皮相的な部分を眺めていることに気付いていないのだな、と思う。
2×4工法の住宅の街並にひそむ「非日本的な美意識」が、これからの日本人にどのような精神的なダメージを与えていくのか、誰も教えようとしては来なかったのではないか。

ようやく午後になって持ちなおしたので、夕方、仕事の打ち合わせに外出。さすがに寒くなっていて、雪こそ降らないまでも、雪のあとの街が濡れているさまは、当時の記憶を辿らせるには十分の湿っぽさだった。

あの日、暗闇のなか、キャンプのランプとカセットコンロで暖をとり、明るくなって、行方不明がわかった姪(当時、春日道に住んでいた)の行方を探すため、三宮の街から元町へ。液状化したポートアイランドから、1mもの段差のついた神戸大橋を渡り、新港町から京橋、明石町の大丸、元町駅の北にある神戸中学校(当時は生田中学だった?)の避難所まで出かけたのだった。このコースはビジネス街だったので、ほとんど人は住んでおらず、居住地区で起こっていた惨状は知るよしもなかった。
幸いにも姪の無事を確認し、また自宅に戻ったのだが、ただただ「この尋常ならざる事態」に整理するノウハウも持ち合わせず、自動販売機でお茶を求め、とまどいながら歩いたものだった。…… 書き出すとながくなるので……。

震災の日から大阪へ脱出するまでの一週間、私は「混迷亭日乗」と名付けた記録(ワープロで書いたもの)を残している。いろいろな人々に助けられたものだった。
私家版なので、知人に配布しただけであったが、また、いつかどこかで公表することもあるだろう。


1月16日

午前中、事務所。午後から元町の画廊「エキヴァレンス」へ。論々神戸の寄稿者でもある写真家の永田収さんの個展「下町 未来」に。
ランニング姿で走る。往復8km余。天皇・皇后陛下のおでましで、辻々に警察官。同じビルに現代美術作家の「リ・フォープ」事務所もあるので、今日は一石二鳥。永田さんと宮崎さんは初対面、お互いに紹介して、6時頃まで、震災と写真談義。いい写真なので、出版したいのだが、たいていが「写真集は他の理由がないと売れない」と難色を示す。

帰宅したら、女房殿は取材で大阪、娘はバイトで、夕食をつくる。昨日、神戸グロサーズで仕入れたタイ風蒸しご飯をつくる。チキンとヨーグルトとルウに、オーストラリア米で煮込む。仕上げは、カシューナッツと干しぶどう。ちょっと薄味だったが合格点。

食後に、書きのこしていた原稿をしあげて、10時頃事務所を出るとしのつく雨に。明日は、雨の1.17になりそうだ。


1月15日

小雨がしょぼふる神戸、である。事務所で雑用。その後、トアロードの「アンレーヴ」で、春のイメージ写真についての打ち合わせ。終えてから。トアロードを上がり。北野工房のまち(旧北野小学校校舎)での「震災定点写真」展、さらには山本通りのCAP HOUSEでの「阪神大震災・記憶の〈分有〉のためのミュージアム構想│展」に向かう。トアロードを歩いてのぼるのは久しぶりだ。
23年前、乳母車の息子を連れて、大丸から異人館通りの自宅までゆらりゆらりと歩いて上がったことが思い出される。当時のままの面影が残っているのはほんのわずか。震災で東川崎に移転していたNHK神戸が新築されて戻ってきていた。街並としての風情が失われているのは指摘するまでもない。

展覧会を企画した新進気鋭の若手研究者たちの思いは、時間を持ってその場に望む事が大切だと教えてくれる。さらりと見ましたよ、という展覧会では決してない。かなりの言説がおしこまれた展示カタログの一言一言が、これかっらのミュージアム構想には必ず押さえなければならない論点をさしだしている。「記憶を辿らせる」ミュージアム、人間の善悪を内包した行いの結果もたらされた災害と戦争(惨劇)への輻輳したアプローチは、これから美術館・博物館建設に携わる者たち必見ではなかろうか。

夜はご近所仲良し組で中華料理の「悟空」で新年会。あれから10年で、震災当時の話で盛り上がる。仕事の関係で数年、和歌山の新宮に行っていたSさんが「1月17日がきても、お話する人がまわりにはいなかったのよ」と。ぽつぽつと話しても、やはりわかってくれる人に話したい、という気持ち、それは全世界の被災者に共通するものでもあるだろう。周りの雰囲気で、話題にできはしない、のだ。


1月13日

あれよあれよというまに一週間。震災10周年記念イベント報道で紙面とテレビは埋め尽くされてきた。いい話と悪い話が渾然一体となって流される。

8日。休みっぽいが、事務所で K大アンケート調査の分析を行う。

9日。昨日に続き、調査の分析。そして、ギルガメシュの会報を発信。中央郵便局まで一走り。

10日。さらに続いて調査の分析。ようやく峠を越えた。ジュンク堂で本のまとめ買い。『日本の論点2005』、高橋悠治『音の静寂 静寂の音』(これは読了後、息子に送ることにする。というのは、音楽の社会性について、ふつうのクラシック界の人たちが考えていないような知のきらめき言葉が散見できるから)、塩野七生『ローマ人の物語 13巻』など。

11日。大学院は『アメリカの同性愛事情』。不当なまでに無視されていたという歴史から「カミングアウト」が始まるとともに、正当な市民としての権利を求める「同性愛」、多様な性の認知などの方向と、断じて「同性愛」を許してはならないとする方向に分裂してしまったアメリカの寂しい風景が浮き彫りにされた。ゆるやかなグレーゾーンにあるものを無理矢理分化しても、それには無理がつきまとう。
ただ、性の関係にはどうしても権力を行使する者とされる者の関係が現出する。その関係によって立つ性的関係がしあわせな関係とは和他視にはどうしても思えない。
来週は2004年度最後の授業で、終了後は楽しい打ち上げ、となる。この一年の授業、はたして、どのようなかたちの本になるのだろうか? 担当編集者の苦闘が今から想像できる。

12日。震災前に仕事をしていた神戸の著名な洋菓子店の当時の担当者が来訪。神戸・北区で店を持ったのでごあいさつにいらした。雑誌メディアに紹介してほしいとのこと。味には定評があるので、推薦するにいささかのためらいもない。が昨今の情報誌は代替りしているので、パイプをつなげられるのはほんのわずか。

夜は、ギルガメシュの例会。バレンタインラブランの駅伝出場メンバーを決める。5kmなので、大したことはないのだが、早く走ることに慣れていないのだけど、まあどうにかなるさあ。4名全員、50歳台のメンバーとなった、おお。

13日。朝食をいただいていると、柳田邦男氏が「絵本」について話していた。なにげなく見ていたのだが、一冊の本に救われたという全国の視聴者ら某大なファックスが送られていた。驚きでもあるが、絵本のもつ「強さ」を今さらながら思い知る。座右の書ならぬ、座右の絵本、である。ある少女とある犬との関係を描いたシンプルな物語が、紹介されていたときには、思わずメイを見ながら、勝手に涙がぽろぽろ出てくる。一人だったので、出しっぱなしにしておいた。いつかは来る別れの日を思いながら。

K大アンケート、分析終了。残すは、総評のみとなった。
夕食は、友人の店『串乃家』の持ち帰り串揚げ。
なにかと不祥事続きのNHKドキュメント、新潟・山古志村のルポを見ていると、やはり涙。喪失感を埋めるには、ほんとうに時間と手間がかかる。被災地の一人ひとりの物語がこれから長く続いていくことだろうが、我々の10年と新潟のこれからは、同時に進行していくので、お互いの協力と支援はいっそう必要とされていく。

木曜日はこれも韓国のドラマの一つ、「チャングム」の日。今週はしっかり初めからみた。まだ12話だけど、いつもハラハラドキドキ。理不尽な封建社会の宮廷のことだからして、生死の瀬戸際が、すぐそばに深淵をあけている。


1月7日

5日。神戸JC時代の委員長だったFさんが来訪。なんでも画家の紹介パンフレットの相談だという。不動産を生業とするFさんがなぜ? とも思うがそこは作家のこと、北野町に所持する不動産の売買の関係で、そんな話となったらしい。レベルの差はあれ、JCネットワークの縁である。今でもおつきあいできるJCの仲間は損得関係がほとんどないので、肩がこらない、いい意味での「坊ちゃん気質」を持ってらっしゃる方が多い。

6日。朝から雨。午後遅くにあがる。手を切る風が冷たい。この冬、一番の寒さだろうか。夕方、日が暮れてから、6kmのラン。年が明けてすでに4日間も走っている。まともな練習をやめてからは、初めてのこと。
今年はなんとか気合いを入れて少しでも走られるようにすることが目標。

で、今日は面白いものを見せていただいた。宝塚歌劇場(記憶ではなんと45年ぶり?)で行われた「関西アマチュアトップコンサート」。友人のT和尚ご夫妻の子息と令嬢が出場するのである。
ともに全国金・銀クラスの滝川第二高校のブラスバンドに所属しており、滝川はマーチングもこなすのだが、今年初めて件のコンサートに出場することになったらしい。滝川の動きのフォーメーションは実に柔らかく、アメーバ状に動き回り、メリハリよりは自然の流れのなかでの場面転換がなめらかで、最近のマーチングの流れを体現しているように思えた。

一方、吹奏楽での関西は全国レベルなので、トップと世評の高い大阪の淀川工業高校もトリで出場、座奏を行った。さぞハイレベルの演奏を聞かせてくれるのだろうと期待したのだが、この日のコンサートはコンテストではないせいか、ポップスみたいななじみの曲を演じるばかり。
お世辞にも期待以上とはいえず、がっくりした。なんだがブラスバンドの狭い世界での自己満足みたいなもので、これが43回も続いているというのだから、絶句。

三宮でダンス練習を終えた娘と合流し、女房殿が「ヤキトリ」を食いたし、というので探す。時間も遅かったので、3軒目に飛び込む。これがまた、チェーン店のチェーン店らしいしつらえで、一応の体裁と能書きはあるものの、味は↓、で失敗。
娘のアフリカ志向は一向に衰えをみせず、学術的にダンスの研究を行ってきた先達の文献にあたっている。2月からは再び、ギニアとマリのワークショップへ旅立つ。


1月4日

早朝は雨。事務所にいき、一応仕事始め。並びの店や事務所はまだ閉まったままで、人通りはほとんどない。といっても「論々神戸」の更新やら、事務所に来た賀状の返礼などから始め、新聞の切り抜きなど資料の整理など、電話もほとんどかかってこない、静かな一日。夕方で切り上げ、中央郵便局まで8kmのラン。
息子は、今日、東京に帰った。すぐに群馬交響楽団のほうへ行くとか。4月からの新生活のため、すでに練習のできる住居も板橋に確保、さて演奏家としてやっていけるのかどうか、親ばかは心配する。


1月3日

平成十七年乙酉 元旦。
暮れ大晦日の激しい雨とは打って変わってのおだやかな一日。
2004年は「アナスホリビリス」(最悪な年)であったといっていい世界の情勢。今年こそはもう少し「平穏」であってほしい。

家族4人で午前3時半までの「花札」遊び。予想どおり、息子と女房殿が勝つ。
早めに目が覚め8時に起きて、いつものメイとの散歩が始まる。そして、実業団駅伝をみながら、賀状に目を通し、返礼を書いて即、中央郵便局へ、ランにて投函。往復8kmの走り初め。
初詣はいつもの諏訪山の諏訪神社。女房殿と二人そろっての大吉ははじめて。今年息子が厄年なので、お祓いを受ける。彼にとっては、昨年は「ひどい年」だったそうだ。その足で、北区の姉宅へご挨拶。23日に結婚式をひかえている甥は、まだサンフランシスコ。

2日。快晴。箱根駅伝往路。中央大の上野純一郎選手(1年)にアクシデント。この学年はレベルが高く、大学内での競い合いが男子長距離陣の活性化につながっていく。順天堂大の今井正人(2年)選手が箱根山登りで従来の記録を2分も破る驚異的な区間新。彼にとっては坂を坂と感じさせないほどの走り方で、感服感服。
午後、暮れに行けなかった父の墓参りへ西神まで。風もあまりなく、おだやかな陽光に包まれていた。これまた、いつものように友人のお寺、性海寺(真言宗)に立ち寄ってお茶をいただいて、帰りに住吉の「CASSALADE」でバースデー・ケーキをピックアップ。
夜は、娘の誕生日なので、母・妹と一緒にお祝いの膳であったのだが、期せずして、息子・娘の中学時代のブラスバンド部員の同窓会の様相となる。皆、島のなかに実家があるので、遅くまでがやがやと。私だけは、よるに弱く、かやの外で寝る。

3日。美味しいお節も丁度頃合い良く少なくなってきた。
2日までに書くといっていたHTAの会報原稿を送って、1時間以上、ポートアイランド2期の南のほうまで走る。空港へのアプローチ(道路、ポートライナー線路)はほぼ完成しているようだ。
今年は、5月の鯖街道マラソン(80km)に向けて、できるだけ練習をしたい。
反藤一利の『昭和史』を読了。ホントに「アホ」な戦争をやってしまったんだ、とあらためて認識。大事の前には、必ず人間関係をめぐる小さな事象が起こっていることがよくわかる。それに気付いて、押しとどめられるか否か、歴史に学ぶことの大切さ、為政者こそそれが必須でなければならないはずなのだが。
続いて、読み残しの塩野七生『ローマ人の物語 11巻』へ。もう、13巻がでているので、早く追いつかなくては。


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