混迷亭日乗 Editor's Diary

10月31日

朝、娘をアルバイト先まで送って、メイの散歩、そして、残っていた翻訳原稿の校正をチェック。翻訳文調をこなれた日本語に直していく。画面にも赤ペンが踊っていた。

神戸新聞を開くと、昨日の兵庫県高校駅伝神戸地区予選の結果が出ている。わが母校は残念ながら10位だったはずが、1位の学校がコースミスで失格。繰り上がって県駅伝(11月14日)に出場できることになった。全国の雄、西脇工と報徳と一緒にレースができるのだ。アンカーの一年生が10位におちて、ゴール後、泣き崩れていただけに、その喜びたるや一入だろう。
今は、生徒数が小さな学校になっているが、がんばっているので、なんとなくいじらしい。

日曜日に「論々神戸」のHPの更新ができるのは久しぶり。

夕刻になって、事務所で寺子屋を終えた女房殿が帰ってきて、「映画、6時20分からよ、行くのなら急がなくちゃ」といので、MOVIX六甲へ。『隠し剣孤影抄 鬼の爪』(山田洋次監督)、すでに原作である『鬼の爪』『雪あかり』を読んでいるので、脚本はミックスされ、時代背景も幕末となっていた。
あらためて、渡辺京二さんのいう「江戸という文明が滅んだのだ」という言葉が胸に沁みる。


10月29日

JR住吉駅近くの『CASSALADE』(カッサレード、ここのケーキは絶品。娘などは一口ごとに「うまいなあ、おいしいなあ」を連発している。私も同感。11月10日から16日まで、芦屋大丸に出店するので、お近くの方はお試しあれ!)と、梅田のJ社に納品。
サンケイビルの裏玄関でけつまづいたら、右靴の底レザーがぺろりとめくれ、口パク状態に。さっそく桜橋交差点の靴おじさんに相談すると、「ええ皮やなあ、新しい靴買うより、底全部変えたほうがいいで。今度持ってきて、うちの工場でみるから」と。今日のところはとりあえず応急処理してもらって、700円でした。しかし、「皮はいいけど、底は手抜きしているで」と。これはオーストラリアの「カントリーロード」のもの、神戸店閉店の際に買ったものだった。おじさん、やっぱり鋭い。


10月28日

26日。JTUのA理事長とO事務局長が来阪するので、大阪・貝塚まで半日をつぶして、トライアスロン大会開催の打診を貝塚市長に対して行ってきた。市長の意気は高いが、まだまだ道半ばというところ、それにしても財政事情は厳しい模様。

27日。乙川優三郎の新刊『芥火』を読了。相変わらず江戸市井の民と武家の情理を描いたら、うまい。藤沢周平の後継者に一番近いのではなかろうか。また装幀も一貫して菊池信義だ。本棚に並べるとその控えめな美しさが際立つ。

今日は久しぶりに天満橋の友人Sの会社を訪れた。以前、ペンディングになっていたDMの制作の件だったのだが、それもさることながら、我が家にメイが来るきっかけをつくったのは彼ら夫妻であり、その犬、コニーが亡くなって2年、とうとうがまんできず、この11月にめでたく2匹の子犬(♂&♀)がやってくることになったというニュースで、釣鐘町の「しゃぶ一」でしゃぶしゃぶをいただきながら、楽しいひとときを過ごす。

紀伊国屋書店で内田先生のラカンとレヴィナスに関する第2部『他者と死者』(海鳥社)を購入。先生のライフワークはこれの三部作を完成させることで、その後は隠居らしい。


10月24日

23日から東京。今年の総決算である第10回日本トライアスロン選手権東京港大会(お台場)。午後3時頃に本部のある日航ホテルに到着。折からの結婚シーズン、3組ほどのカップルのあでやかな晴れ姿を目撃。なんでも東京で人気の高い式場らしいが、一泊3万円ともいわれるホテルだけに、随分な費用なのだなあ、と嘆息。
有力選手の記者会見、選手説明会、環境委員会提唱のビーチクリーン作戦を終えて、女子委員会のフォーラムを終えれば今日のスケジュールは終了というときだった。
地震である。会場のアポロンの間のシャンデリアが鳴り出したのだ。風鈴が集合で共鳴しているように、頭上でしばらく鳴り続けた。思わず、壁に手をついてなにかの支えを求めていた。
6時の開会前、講演の途中に2度、大きな揺れを感じたのだが、もっとひどいところがあるに違いない、という直感。どこが震源地なのか?
無事、フォーラムを終え、大阪から審判で参加のTさんの学生時代の友人が開店したばかりという麻布の串揚げ『亜蘭』にて、JTUのN
技術委員長とともに大阪・京都・愛知・岐阜から参加の審判たちと会食。午後11時過ぎに解散、お茶の水のホテルまで。
テレビを見ているかぎり、被害の模様はまだよくわかっていな様子。新潟県の山間部ということで、阪神淡路大震災ほどではなさそうだ。

24日、朝7時に起床、お台場へ。女子のスタートが8時10分。文字どおり日本一を決する戦いなので、レベルが高く、スイムの遅れでバイクへ移れない選手が出てしまう。顔を覆って泣き崩れる女子選手を見るのはしのびない。しかし、それが日本選手権。来年は、さらにスイム力を向上するしかない。
男子・女子とも、アテネオリンピック最高位の選手が優勝、地力を見せつけ、印象に残るレースとなった。
トップレベルの選手がほぼ全員し、全国地域代表の選手も多く、過去最高の参加選手で、大いに盛り上がった選手権だった。

昼は息子と食事。来春、芸大卒業後の身の振り方について、思うところを話す。より厳しい環境で演奏家として生きていこうとするのだから、「よし」として送り出すしかない。

午後8時過ぎ、帰神。『新撰組』、坂本竜馬暗殺を見る。三谷脚本は、複数説ある真犯人に、京都見回り組、佐々木只三郎暗殺説をとった。私は、薩摩陰謀説の立場をとる。
竜馬や中岡が生きていたなら、明治維新はもっと早まっていた、という言説が定着しているが、そのifは、果たしてそうだろうか? 想像をたくましくするだけでも、違った近代日本が見えてくるかもしれない。

地震は過疎の村落を襲い、交通網を遮断している。これから救援活動が本格化していくのだろうが、被災者への公的支援、今度は正念場だ。 


10月20日

雨。今年、10回目の台風が上陸、直撃した。午後3時過ぎには事務所を閉めて、自宅へ。作業をしつつも、NHKの情報を流す。日本列島がコースレーンのような2004年である。
小熊英二『市民と武装』を読む。アメリカは建国以来、暴力を抱え込んでしまった国(州という国家連合、だからベースボールはワールドシリーズだ)ゆえに、銃は宿痾になっている。アメリカで銃規制が成功させることができれば、ノーベル平和賞を何回あげてもいいと思うほど、国自体がアポリアをかかえこんでのたうちまわっているのが今、ではないだろうか? 国として尊敬されるわけがないよね。


10月19日

台風の影響による秋雨前線のせいで雨。
女学院、後期始まる。テーマはアメリカの教育。
日本の教育がアメリカの教育を追っかけていくようになって幾星霜。
今日初めて知ったこと。アメリカの中等教育の教師は全然尊敬されていない、しかも低所得。いわば階層内循環だ。
州毎に自由裁量にまかされて、スキルを教えて、はいおしまい。午後は、別の仕事(副業)をしなければ暮らしていけない、らしい。
生徒が先生を敬わない教育、ディベートで相手を打ち負かす技術を教える教育、単なるインストラクションを繰り返す教育、ってなんだろう? 

階層を飛び越えて、努力した者が富と名誉を得るアメリカン・ドリームの内実はいよいよ、色あせていく。

帰りに「いかり」に寄って、パエリアの材料を仕込んだ。ここにいると、日本の不景気は感じられない。


10月18日

早朝、約4kmの通勤ラン始まる。この効果が出るのはいつの日か?
県立淡路景観園芸学校「5年の歩み」、夜になって出稿。そのため、夜のHTA常任理事会、遅刻。国体対策専門チームをつくることが決まった。


10月17日

11日。体育の日。いい天気で、ジョグ。1時間をこえて走り込む。まだまだ陽射しは夏の残りのようだった。

12日。内田教授の新著『死と身体』、『東京ファイティングキッズ』を購入。前者は朝日カルチャーセンターでの講座の収録を中有新にしたもので、後者は、友人であり、リナックスカフェの経営者でもある平川克美との往復書簡集(インターネット)。内田教授、平川氏、ともに1950年生まれ、表紙の小学生時代のモノクロ写真が微笑ましい。
装幀に反して中味は、刺激的な発言に満ち満ちているので、ぜひご一読をおすすめする。

15日。午後、大阪で写真撮影につきあう。夜、大阪でJTU近畿ブロック協議会。先日の理事会報告を中心に、課題を伝達。登録人員の増加に向けて、改革案提出を依頼。さて、妙案が出てくるだろうか?

16日。ご近所のFさんが八丈島旅行、そのお土産を肴に、Sさんをまじえいつもの食事会。娘の友人も加わって、12時までわいわいと。レースがなければ早起きがないので、土曜の夜が一番気分的にラクだ。

そして、今日、ジュンク堂書店で、矢作俊彦『The Wrong Goodbye
』、木田元・竹内敏晴『待つしかない、か。ー21世紀 身体と哲学』、乙川優三郎『芥火』、三浦展『ファスト風土化する日本』、白倉敬彦『江戸の春画』をばたばたと購入。その後、ハーバーランドへ行って、秋冬シーズン用のランニングタイツ&シャツを求める。
これは明日から、早朝ジョグを始めるから。新港町まで往復4km。仕事場が変わるからとはいえ、これで多少なりとも、体重増加はなくなるかも?

話は変わるが、先だって兵庫県庁の近くにある古書店で『ユリシーズ』全3巻を購入した。手もとにお金があったので、えいと買ってしまった。半額近くで¥7000なり。死ぬまでにきちんと読むことにする。ホントかな?


10月10日

金曜夜は、大阪でWorld Olympian Association主催の大阪賞受賞式に出席。イリナ・ルビンスカヤ(ポーランド短距離のメダリスト)、ミヅノの水野社長、オリンピック・ツルース運動の代表者、明石康氏(元国連事務次長)が受賞された。オリンピック招致委員会以来、なじみの方が多いが、関西国際広報センターでの仕事のときの窓口だった方がスポーツ振興公社に移動。思わずびっくり、今度は立場を異なってのおつきあいとなる。
関・大阪市長はもちろんのこと、助役の大平光代さんも出席。彼女は元非行少女で、若くして暴力団組長の妻となり、その後離婚して、弁護士となり、著書『だからあなたも生き抜いて』が話題になったことで、ご存じの方も多いだろう。
イメージどおり、地味ないでたちで、クレバーな感じ。『私、トライアスロン、大好きですよ。放映されるときは観ています』と、うれしいことば。
一方、ソウル五輪背泳の金メダリスト、WOAの理事でもある鈴木大地・順天堂大学教員はといえば、やはり、そのまんまの好青年。大阪府協会の若手理事と、気さくにスポーツ談義をしてくれました。

9日は、JTU理事会のため、始発で上京。台風22号のせいで、45分の遅れ。今年は東京オリンピックから40年、連休ではスポーツ関連行事が目白押し、とのことだ。
事務局会議室の窓をたたきつける雨の渋谷で、夕方まで理事会。新幹線が動くのも20時以降のことと推測して、青山通りをはさんだところにある和風割烹で懇親会。猪谷会長はじめ、理事長、常務理事、国際委員長、国体対策委員長などと、懇談。
雨上がりの頃解散し、私たち家族の東京の後見人ともいうべき二子玉川の麻生家へと急いだ。自宅にお邪魔するのは何年かぶりのこと。旦那様が中国語の先生、奥様がテキスタル・デザイナー兼織作家というご夫妻で、もう25年来、おつきあいさせていただいている。というより、お世話になりっぱなし、なのである。
遅いのに、お手製の美味しい料理とワインを、たっぷりといただき、お風呂もいただき、ベッドにバタンQとなった。

10日。深い眠りで9時過ぎの起床。旦那様と近くの住宅街の手作りパン屋さんまで、焼き立てのパンを買いに散歩。閑静な住宅街には、有名な銀座『喜八』のオーナーの邸もあり、世田谷トラスト財団指定の森もあるのだが、この森、財団の財政難からマルベニに売却、地下3階・地上3階のマンションが建つことになったとか。まったく、不粋なことである。旦那様は「引っ越して来た時には、まだ畑も多かったんだけどね」と。

ゆっくりと、たっぷりとブランチをいただき、渋谷の事務所(工房)にでかけられるので、送っていただく。シルバーのポルシェがゆったりと発進する。どう説明していいかわからないけど、マニュアルでのギアチェンジもゆったりで、ポルシェのオーナーで、こんなに優雅に運転される方も珍しいと思う。そうだ、まさにスローライフをずっと前から実践されている、と言えばわかっていただけるだろうか。

昔、知り合った80年当初の頃は、フィアットの500(燃料計なし、オイル計なし、だぜ!)に乗っていて、箱根の別荘に行くのに「ターンパイクがしんどいのよ」、と笑ってらしたことを思い出す。私はその頃免許を持っていなかったが、トトトトと走っていくその姿は、白いプンプクリンの子犬の走りだった。
村上春樹原作、大森一樹監督の『風の歌を聞け』には、赤いフィアット500が走って横転するシーンがある。大森君は、その車を京都の中古車屋で見つけた、と言ってたけど、確か当時で80万位がオシャカになってしまったのは残念だった。なにせ、Art Theatre Guildだから3000万円映画だったはずだ。

で、夕方、新神戸に着いたら大渋滞。諏訪山まで30分以上もかかってしまった。
ギルガメシュのBBQパーティに、1時間半の遅刻。メンバーのKさん宅のルーフバルコニー(マンションの最上階)で、焼き肉パーティ。諏訪山から須磨まで夜景が美しい。とても神戸らしい風景で、まだ若くして、このような住居を手に入れるとは、さすが看護師さんである。10時にて退席したが、約15人も集まってくれて、久々に楽しい会合であった。


10月6日

兵庫のじぎく国体デモンストレーションとしてのスポーツ行事(略称:デモスポ競技)の会合。トライアスロン競技の表彰状数量と参加の手引き(県民にわかりやすいもの)のフォーマットの説明を受ける。
ある品物の納品でトラブル発生。スタッフが対応に追われて、一息ついたのが10時過ぎだった。


10月5日

ボスだった小島素治氏の一周忌。なにも願わずただ手を合わせる。

矢作に並行して読んでいる四方田犬彦『ハイスクール1968』(新潮社)に、あろうことか小島氏の作品『サブ』5号ーアンファン・テリブルーの写真が口絵に。氏に影響を及ぼした数々の作品、「ガロ」「COM」などとともに並べられていた。これもシンクロニシティなのか。
彼の出身校、教育大付属駒場は東大付属みたいな学校だったが、早熟な子どもたちのなかでも思想的に渇望していたインテリの高校生活は、私の大学生活と同じレベル以上に到達していて、まさにおそるべき子どもたちだった。
例えば、中央公論の『世界の名著』シリーズ、高3になってやっと読みはじめたのに、彼らはすでに中学でそれを経験していた。ファッション風俗などしかり、東京の1960年代は、田舎の同時代とは、隔絶していたのではなかろうか?


10月4日

矢作俊彦の『ららら、科学の子』(三島由紀夫賞 新潮社)を読了。1968年・中国・指名手配・密航・蛇頭・兄妹・女子高生・居場所はどこ? がキーワードのように思えた。30年間、負い目をもって離日し、情報途絶した社会から今の日本へ現れた浦島太郎には、この社会がどのように見えるのか? ふとありえない自分を空想してみる。


10月3日

くせなのか5時、7時に目が覚め、そして8時に起床。午前中に少し残っていた原稿を片付けて、午後「論々神戸」用のシンポジウムのまとめを仕上げて、送信。2日遅れだけど勘弁してつかーさい、約150人の読者の皆さん。

南京町で仕事仲間の写真家の個展へ、女房殿と一緒に出かける。画廊のオーナーによれば、土・日の人出はすごいが、その分、平日がまばらだという。
屋久島の写真がほとんどだったが、屋久島でも観光公害がひどいと漏らす。山への全面立ち入り禁止期間を設けないと現状よりさらに悪化するのは目に見えている。ご祝儀というか、一緒に行ったブダペスト・くさり橋の写真をいただくことにした。
南京町で、切れていたキーマン茶、はっかくなどを購入し、帰宅。日がとっぷりと暮れた頃、ジョグを30数分。2日連続で走ったなんて、何年ぶりか? でも、気持ちはいい。これまた体重計で計ってみると、67.2kg。かろうじて踏み止まっている状態。さて、来月のレース日まで、65kgに落とせるかどうか?


10月2日

薬が切れていたので、飯田眼科へ。土曜日の午前中はさすがに混んでいた。ずっとつきあう眼圧降下点眼液、である。

午後3時からトアロードのダイヤモンドショップ「unreve」での打ち合わせを終えてから、サンプラザの眼鏡のモリカワで、巻きつるが折れそうだったので交換。店主によれば、在庫がなくなったら、もうおしまいですねえ、とつれない話。要するに、巻きつる部分を螺旋状につくりあげる職人がいなくなっている、という話。一本の針金(材質は違うが)になってしまっているわけだ。ここでも、巻きつるが好きな人が減っていて、寂しい需要がこういう結果を生むことになる。
せっかくのいい技術が残念。大切に取り扱うことにする。

夕方、前回転んで以来のジョグ。膝小僧は瘡蓋状態で良好。約8km。11月7日の青垣もみじの里ハーフマラソンにエントリーしたので、少しは走っておかないと、というわけであります。
風の流れが秋になりました。


03年3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
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05年1月いま