混迷亭日乗 Editor's Diary

9月30日

中秋の名月は本来昨日だったが、今日でも中空に輝いていた。夕方、F薬品にて色校正のチェック。若干の手直しがあり、居留地のデザイナー事務所によってから、事務所でその処理。
いきがけに週刊文春の記事を読んであきれた。「負け犬」と「オニババ」を対比して、三砂先生の著書を紹介しているのだが、そのまとめかたが、内田教授のHPに書かれていたことのほぼパクリではないか。三砂先生への取材の気配すらまったくない。ただ、オニババとセックスと妾にひっかけて、ページをつくったに過ぎなかった。もう少しましかなと思っていたのだが、嗚呼。
今日で9月もおしまいか、暑い9月だった。
朝夕涼しくなったとはいえ、それでも、夏のジャケットを着れば汗をかく。嗚呼。


9月29日

淡路景観園芸学校の原稿、あらためて仕上げて送稿。やっと一段落である。
台風21号、今夜半にやってくる。8時過ぎあたりから、横殴りの雨と風。事務所のガラスに西からたたきつけ、吹き寄せられた水がドアの下から浸入。あわてて、タオルなどで防いで、事務所のシャッターを閉め、帰宅。
福岡の姉が送ってくれた和牛黒牛のステーキをいただく。もう、絶妙の味わい。ごくたまに極上の和牛を食べたくなるのは、人情です。


9月28日

シンポジウム「震災ボランティアの10年」に出席。コーディネーターをのぞいて、皆知っている人たちばかり。話を聞いていて、人と防災未来センターのS専任研究員が、随分場慣れしてきているなあ、と変なところで感心していた。
中身についてはまとめて「論々神戸」で発信する予定。終わった後は、二次会に出席せず、女房殿が東京で、娘も京都ということで、メイの晩ご飯のためにすぐ帰宅。


9月26日

土曜日、淡路景観園芸学校の原稿をできるだけ仕上げて、ワールドカップのため愛知県蒲郡へ。
夜、7時40分ののぞみで、現地9時50分着。はやいなあ。駅前の安いビジネスホテルに投宿。
花園大学の学生への返事を書く。60名近くいるので、これだけで2時間は費やした。
明日は、愛知県協会Y理事長に迎えに来てもらうことになったのだが、それが5時30分。トホホ、である。

翌朝、そんな気持ちはツユとも見せず、大会会場へ。途中、聞きしにまさる急勾配のバイクコースの坂部分を見せてもらう。標高90mの小高い丘(弘法大師像のあるエリア)を一気に駆けあがり、駆けおりる。最大斜度12%の難コースだ。狭い、危険、という意味ではその通り、しかし、ITUのM会長(カナダ)は、地元の反対もなんのその、自身の案を押し切った、という話だ。このコースで来年は世界選手権が行われる。1989年ITU世界トライアスロン選手権が始まって以来、15年を経て、初めての日本開催となる。
レースは、午前中に、キッズの大会を終え、女子からスタート、そして男子が始まり、それぞれ日本人は女子6位、男子10位が最高位だった。
アテネの疲れがあるのだろう、男女共期待の選手は出場しなかった。残念である。日本人選手にはずぶとさ、ワイルドさが欠けると言われる所以だ。
夜のアワード・バンケットはパスして、兵庫から審判員として参加したHTAのM常任理事と一緒に帰途へついた。帰りは、ひかりで約3時間。


9月24日

ジュンク堂で調べものの本を探していたら、ユリイカの『はっぴいえんど』特集を見つけて購入。内田教授の大滝詠一論が所収されているやつだ。
帰ってから事務所で、レコードを3枚、立て続けに聴いた。やはり、「ゆでめん」と「はっぴい・いいえ・えんど」(勝手に名付けた2枚目)ですなあ。
昨今のJロックとやら、Jポップとやらに、はっとさせられることのない昨今の、よいひとときであった。ついでに、四人囃子も大音量で聴いてやった。いがった。


9月23日

秋分の日、一応休みだが、事務所にて出稿した写真の製版用チェック。
夜、50歳以上の夫婦なら映画料金1000円の日だとかで、女房殿と『華氏911』を観た。こちら側とあちら側、どちらもアメリカ的で、アメリカ・イデオロギーの衝突、根っこは同じという気がして、気は晴れない。


9月22日

朝、国体準備局へのぼりなど返却、したと思ったら旗を忘れた。
午後からは、花園大学へ。コミュニケーションカードの返事の残りを車中で朱書き。私の担当、4コマの最後の日。発想法の演習で、かたい頭がようやくほぐれてきたのかもしれない。いつの時代も若い人全般が柔軟思考というのは幻想だ。
その後、12月の最終講義の後のコンパ会場チェックのため、坪谷画伯と円町の『養老の滝へ』。しゃべると飲んでしまいます。帰宅して、しばらくしたら、眠くなり、バタン。
『オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻すために』三砂ちづる・津田塾大学教授(光文社新書)を読んだので、クラスの女学生たちに、今年一番の収穫と言って薦めた。果たしてどれぐらいの人が読んでくれることだろうか。
女性の「性」に関しては、あまりにも西欧近代の価値観に染まりすぎてきた反動が現れてきている。もう一度「軸」をしっかと確立して、女性が「軸」になっていれば社会は安定するのだが。


9月21日

予定が変更となり、あわてさせられた。急遽大阪へ出て、4時半にF薬品メモリアルブックの出稿前最終のチェック。これで、修正を終えて、明日印刷所へという手はず。


9月20日

19日。淡路島大会、無事終了。トライアスロンからデュアスロンになってことについて、執拗に抗議してきた在日外国人(白人)も無事完走。詳しくは言わないが、もう少し「郷に入れば郷にしたがう」というのがマナーだろう。白人の傲慢さ、健在である。
レースは救急車に運ばれるさしたる事故もなく、ほっとした。日本選手権への出場選手も決定した。
風は強いが、雨天の予想に反して好天。遅れてきた陽焼けと、土曜日からやはり緊張の糸が張っていたのだろう、疲れはてて早めに寝る。

また今日から5時半起きが始まった。それでも、久しぶりに走った。1時間5分。最後、ダイエー前の舗道の石畳の段差で左足つま先をひっかけ転倒。あっと思ったときにとっさに左肩から受け身で一回転。左膝の擦過傷ですんだ。我ながら、見事な転び方であった、と思う。多少なりとも武術の心得があれば、怪我は小さなものですむ。しかし、わずか2cm位の段差にけつまづくとは!
午後、ジュンク堂にて、まとめ買い。川田順造、矢作俊彦、四方田犬彦、橋本治、田中優子、三砂ちづるという面々。


9月17日

明日からの大会に備えて準備。兵庫国体準備局まで、横断幕と旗とのぼりを借りにいく。着ぐるみはすでに予約で満杯。19日は兵庫県下でイベントが多いらしい。


9月16日

一日2回も神戸新聞情報文化ビルに出入りする。午前中は、ラジオ関西にてアテネオリンピック代表の田山寛豪選手と八尾彰一コーチの番組出演につきあう。その後、遅い朝食で、アテネでの日本選手、支援・応援団の様子を尋ねると、選手本意の支援とはどういうものなのか、あらためて考えさせられる。それにしても、兵庫県協会からは誰もアテネに行ってなかったので、悔いは残る。来て欲しかったというのはコーチの自然な気持ちだろう。
2度目は、夜の大会最終の事務方の打ちあわせ。理事長、審判長と同席。しかし、不安はまだまだ残っている。


9月15日 

なんと、HP更新を20日間も休んでしまった。24日の日記を最後になんの断りもなくプツン。論々神戸も配信せず、という有り様。
その間、アテネ・オリンピック、台風、911、子どもたちへの陰惨な事件、いろいろあったが、やはり仕事の忙しさに、気力すら萎えていたというのが現実で、それを突破するだけのパワーがなかったというだけのこと。
少しは涼しくなったので、これからはなんとかやっていきたい。

今日は花園大学後期の始まり。アテネ・オリンピックに見られたスポーツ・ジャーナリズムへのリテラシーをまくらに、発想技法の講義。50人以上の出席だった。
帰りに京都駅前で、サルベージというモツ料理が名物の??で、坪谷画伯とちょいと一杯。昨日の食欲の無さが少し回復したみたいだ。


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