混迷亭日乗 Editor's Diary

8月24日

06年の国体トライアスロン競技の打ち合わせで、東浦町と淡路町の教育委員会担当者計名が来訪。S理事長とともに対応した。まだまだこれからだが、子どもたちの競技も併設することを依頼する。


8月23日

またしても仕事に追われはじめる。で、女房殿も私も夕食をつくる気力なく、料理に強いカメラマン推薦のビストロに行く。元町駅、仏壇の浜屋の西側にほど近い『猫熊矢』という。これが大当たり。実にていねいな味わいで、食べるものすべてにはずれがなし。娘も一緒だったが、三人とも満足して一人あたり3000円程度ですみました。おすすめします。


8月22日

倉敷市児島のトライアスロン大会へ。参加人数が500人をこえ、日本有数の51.5kmの大会で、さらにボランティアが3500人とすさまじい。
今年ははじめてランのコースを途中まで歩いてみた。風の道と名付けられた土の道が片道3kmぐらいにわたって続いている。道は狭いのだが、両脇の家々の植栽や思い思いの応援のしかたが、途切れることなく続く。ほんとにありがたいことだ。
表彰式と審判ミーティングを終えて、2時に発った。5時前に着いてジョグを1時間。選手に戻れたらいいな、とあらためて思う。
深夜、女子マラソンを観戦。常識をくつがえす野口みずきの勝利。ますます高橋尚子との真っ向勝負が期待される。これは監督の指導方法、マラソンの走り方にかかわる大いなる問題なのである。

8月20日

エアコンの修理、完了した。救われた思い。


8月17日

この3日間、女房殿は写真の整理のためわきめもふらずに、早朝までコンタクトシート(写真のベタ焼きみたいなもの)とにらめっこ。ホントにタフだ。
16日夜は、ひさしぶりに北野町のインド料理『シャミアナ』で食事。息子が産まれる前から二人で通っていた店だ。ここだと23年もの時の流れを感じない。

12日からぶっこわれたオフィスのエアコンの修理、早くて20日だという。修理代約8万円なり! おお寒!


8月15日

10日。飯田眼科にて視野検査。変化なし。ということはよしとせねばならない。20年来の友人、カナダのソルベさんの息子J君が訪日、一日だけ泊まっていった。身長187cmである。ストリート系・ダンサーとして、プロになりたいという。夕飯はグリーンカリー。

11日。娘、硫黄島から帰宅。なんだか家は仮の家みたい。

12日。太田出版の編集者とともにライターの北沢氏来訪。私のボスであったK氏のことで取材を続けている。Kがよく立ち寄っていた骨董屋のおやじさんに合わせて、ふだんぎのKについての証言を約2時間にわたって聞いてもらった。
関心のある方は、『Quick Japan』という、若者向けサブカルチャー(もう死語?)誌(隔月刊)を参照されたい。

13日。アテネオリンピック始まる。開会式、日本の行進までなんとかふみこたえた。まがりなりにも世界の平和の祭典、なのに米国はイラクでの停戦提案を軽くあしらった。オリンピックは失敗するより、成功したほうがいい。全世界200以上に及ぶ国と地域が平和のために参加する、これ以外に、どのような催しがあるというのだろう。
数千枚に及ぶ写真のなかから、46人の写真を探すセレクトが始まった。これから数日、女房殿は大変な日々となる。家族全員でやらないと間に合わない。お手伝いもお願いした。

14日。午前中に母と妹宅へ。坊さんは9時までに来てしまったそうで、ゆっくりと昼食をいただいた。
夕刻からは、神戸高校陸上部OB会に出席。だんだん上の世代の方が出席しなくなって、私たちが上から3番目となった。この日、8年下のTさん(国際武道大教授、女性)に初めて会った。生涯スポーツ分野において、また、知己が増えた。帰りに『Pia Julien』に立ち寄り、息子の支援に対する御礼をオーナーKさんに伝えた。また、店のライブの企画者でもあるピアニストのFさんにも、あらためて御礼を申しあげる。

そして、今日15日。終戦記念日。
早朝、上京する娘を新神戸に送り、その足で伊丹空港へ。アテネオリンピック・トライアスロン日本代表選手、男子2名、コーチ1名を見送る。成田で東京組(女子選手、コーチ、監督)と合流し、アテネへと向かった。
トライアスロンに関わって19年、こんなに深く関わることになるとは夢にも思わなかった。これまでで最高のレースを見せてほしい。女子が25日、男子が26日。一発決勝レースとなる。

若い選手たちの輝く顔を見ていると、それを子どもたちがまた、尊敬のまなざしで見ている。そうして、綿々とつながっていくのだな、と思うと、世界の各地で戦火と貧困に苦しんでいる人たちへの想像力をもっとオリンピック報道はなされねばならないとつくづく思う。

夜、今度は息子が帰神。写真セレクションのCD-ROMへの保存、もちろん有給。さっそく、写真のつきあわせが始まり、深夜まで及びそうだ。私は早朝の仕事ゆえ、12時にはZZZ。


8月9日

むちゃ忙しいわけでもないのに、もう一週間。
4日。夜半に雨。本来なら2期公園でBBQの予定が、室内に変更。ワークショップを終えたバングラケやプロデューサーのO氏らとともに、総勢9人で打ち上げパーティ。バングラケのCDにあわせて、せまいリビングで踊る娘とその相棒。音楽組はといえば、ハシでコップ、陶器をたたいてリズムをとる。まあ、にぎやかなことといったらない、幸い我が家の環境は周囲に響かないので助かる。

5日。名古屋公演とワークショップに向かう面々を新神戸まで送る。バングラケにはシドニーオリンピック・トライアスロン・ナショナルチームの真っ赤なTシャツをプレゼント。素材がいいので、長持ちすると思う。
娘は急遽、鹿児島県の硫黄島(人口120人だそうな)でのワークショップ(バングラケよりもさらにエライ人が指導)に参加するらしく、またしても去っていった。

7日。11時からの仕事の打ち合わせを終えて、久しぶりに南京町の『てん』の白しょうゆラーメン&ぎょうざを食す。相変わらずスープが美味い。
早い夕方、約50分のジョグ。暑いさなか走っていると、やはり思い出すのはハワイ島の大地。今走っているスピードは、スイム2.6マイル、バイク112マイルを終えた後のフルマラソンのスピード(1km5分台)よりも遅い。しっかりと大地を蹴っていたんだなあ、と回想する。甘美な思い出だ。

夜、恒例の神戸花火大会。約5000発だそうだ。メイを連れて女房殿とともに神港突堤まで散歩。空間に余裕があるため、混雑はしていない。8時15分、花火が始まり、しばらく空中をあおいでから、サッカーのアジアカップ決勝戦、日本VS中国の試合を見るために、中途で帰る。

日本は数々の不利な条件にもかかわらず、立派に戦った。世界をまたにかける選手たちは、少々のことではへこたれない不屈の精神力をつけつつある。一握りの選手から、層の厚さをみせつけるまでに成長した。そんな選手を誇りに思うのはジーコ監督ばかりではないだろう。
重慶での日本バッシングから始まったアジアカップ、思わぬ展開にホゾをかんだのは中国政府だったであろう。日本の反応よりも西欧からの反応にピリピリしていたのではなかろうか?

8日。暑い。「リフォープ」の摩耶山でのイベントが始まった。急にやらなければならないしごとが入ったため、参加取り止めに。
女房殿は塾。洗濯しながら、なにげなく高校野球を観る。恐るべき夏の風物詩だ。真夏の昼下がり、どこからかから来こえるラジオの実況中継は、戦後日本の原風景の一つといってよい。
昼寝の後、某関西有名私大のアンケート調査の原案を作成。「結婚観」だそうだが、こんなアンケートが出てくるのも、女子大生が増えたことと関係があるのだろう。9日、清書してD社に提出。

9日。続いて「習い事」観の作成。これは10日に提出。
夜、HTAの常任理事会。13日、淡路現地最終視察で、コースと警備計画の最終確認。参加人数は、190名ほどでなんとか面目が立った。審判長、及び各パートのチーフをほぼ決定。未定はM審判長に委任。そして、いよいよアテネが迫ってきた。今回は9時半には散会。


8月3日

台風一過とはいえ暑い。
昼食をとりに我が家へ戻ると、ギニア人打楽器奏者(ジャンベ)バングラケ氏に出会う。昨日、心斎橋でのコンサートを終えたあと、ホームステイというわけだが、遅かったので私はすでに寝たあとだった、というわけで、ごあいさつ。
娘がギニアでお世話になったのだが、今回の来日では、いろいろ雑用をしていたようなので、数日間、神戸で世話をするらしい。

しごとを終えて、明石まで。いつもなら、坪谷画伯宅まで歩いていくのだが、さすがに今日はタクシーに乗った。ちょうど降りる頃に東の空を見遣ると、なんと虹がかかっているではないか。それも完璧に円弧を描いている。ここまでくっきりした虹を見たのは、記憶になく、随分遠い昔に遡らなければならない。
なにかの前兆? それはいいこと? もしくは?
花園大学特別講師たちの前期を終えての打ち上げ的集まりだが、坪谷さんの手料理はすごく美味しい。絵本だけではなく、料理のレシピ本を出したいくらいだ。企画してみようか?
容器も、青を基調とした、骨董っぽい、古道具屋さんで集めた皿や小鉢が趣味のよさを物語る。談論風発、料理とお酒に大満足で、午後11時前に失礼をば。


8月1日

31日午後、日本ジュニアトライアスロン選手権大会のため、岐阜県長良川に向けて出発。途中、彦根の手前で部分的に強烈な雨に見舞われるが、渋滞もなく、2時間45分で海津町の会場に到着。
開会式と審判ミーティングに出席して、7時頃退出。宿が大垣駅前だったので、ラーメンでもと思ったのだが、通りかかった小体な居酒屋風の店のカウンターで食事。正解であった。

今朝、5時半起床、6時過ぎ出発。会場まで約45分。過ぎ去った台風の影響で強風。大会は決行するが、雨も降ったりやんだりの繰り返し。
開会宣言を行ったあと、北海道から沖縄まで、全国から集まったジュニア(12歳〜19歳)の精鋭約70名の熱い戦いが始まった。水温28度、気温25度という、酷暑の長良川では考えられない気象条件で、気持ちよくレースできたと思われる。
ジュニアの表彰式を見届けて退席。帰りもスムーズで、3時半には神戸に着いた。

疲れてるのに、若い選手の躍動美にあおられたのか、走りたくなって、約45分のジョグ。さっぱりして、HTA主催のアテネオリンピック壮行会(西内洋行、田山寛豪両選手、八尾彰一監督)に出かける。
協会関係者約30人によるカジュアルであたたかく、なごやかな雰囲気の壮行会。選手にはリラックスしていただいたのではなかろうか。
8月26日はかたずをのんで、TVを観ることになる。


03年3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
04年1月
2月3月4月5月6月7月9月10月11月12月
05年1月いま