混迷亭日乗 Editor's Diary

7月30日

滋賀県ワールドマスターズゲームズ招致委員会(解散)のため滋賀県庁へ。残念な結果ではあったが、せっかくの機会なので、日本トライアスロン連合の代表として、WMGAの理事会での議決の詳細と安藤副知事の個人的な感想を求めた。
議決の内容は開示されないが、全理事出席も定かではなく、推測によれば、満場一致だったという。直近のオリンピック開催地はやはり強かったわけだ。
安藤氏は「アジア初について強い感心があった。開催の力は十分にある、との評価をいただいたと思う。ただ開催する側のリスクを避けたいという安心感はシドニーにあった」といった。

滋賀県にとって、マスターズスポーツ推進の機運と今回培った人的ネットワークの大きさは、4年にわたる招致費用約7000万円は決して高くはなかったのではなかろうか?

夜、甲東園でのコンサート。息子の同級生(東京芸大4年生 2人とも女性)が作曲した作品の発表会。ヴィオラ、フルート、クラリネット,声楽のプレイヤーが参加。
いま作曲したということは、「現代音楽」としてくくられるであろうが、やはり作り方というのがあるのか、まずは「現代音楽」っぽい作品に仕上がっていた。
作曲家と演奏家、それぞれが刺激しあいながら、未知の曲づくりにチャレンジする。聞きやすいものではなけれど、イメージ、感性、音による表象、そして仮託、22歳の若き作曲家たちの意欲が聞き取れて気持ち良かった。

甲東園駅に降り立ったのは、高校・大学時代以来、もう30年ぶりにはなるのだろうか。
ブラザースフォアの4曲シングル、500円。レコードを初めて自分のおこずかいで買った駅前の店、あるはずもないと思っていたが、想像通り、駅前は様変わりしていた。


7月29日

猛暑のなか、今年2度目のKIFCHA(Kobe International Foods & Culture Assosiation H はなんだっけ?)という、神戸JCーOBの会合。ま、ひらたくいえば、近況報告もあわせて、昔の委員会仲間とわいわいがやがや、である。
会場はメンバーの一人Eさん所有のビルにあるアウトドア派のカジュアル・レストラン『TEE PEE』。名前どおり、アメリカンインディアンのテントがイメージになっている。味は、スタッフ同様20代の若者向け。石釜で焼く、肉・パスタ中心で、Eさんは業績てこ入れのため、我々に利用してください、との意もあって、販促の一環として、お招きいただいたというわけである。

飲食業の創設と撤退のサイクルは短くなっている。これもスピードのなせるわざだろうが、どうも街に落ち着きがなくなっていくようだ。


7月26日

雑用の日。夜、HTA常任理事会。1日に技術関係スタッフにて海峡公園内バイクコースのチェックをお願いする。
女房殿は昨日から北部但馬地方への取材。但馬牛や棚田活用など、今秋開催予定のグリーンツーリズム・イベントの仕込み。お土産は、むっちゃ辛い甘長とうがらしと手作りこんにゃく。さすがの私もその辛刺激にはまいった。一本食べてフィニッシュであった。


7月25日

24日。花園大学の学生たちのメッセージへ返事を書く。一人ひとりに対応しているので、2、3時間はあっという間にたってしまう。合間に昼寝と、読み残している塩野七生の『ローマ人の物語 第10巻 終わりの始まり』をひも解く。日が落ちてからジョグ。約40分、7kmぐらい。汗を出し切ると気持ちがいい。
ベイスターズ、ジャイアンツになんと0対11。これは不愉快。鯛の塩焼きの美味がふっとんだ。

なにも予定が入らなかった「めずらしい」日曜日。外出をせず、洗濯して、飯つくって、本を読みながら昼寝。夕方から、メイを海に連れていった。いつもの明石・松江海岸である。暑いとはいえ、今日は曇り空、6時半ともなれば海には誰も入っていない。打ち寄せる波が少し高いようだ。
棒切れを海際に投げては、メイが泳いで口にくわえ、「レトリーヴ」する。何度繰り返しても、全然飽きたそぶりを見せず、まさに本能としか言い様がない。
こちらが疲れたところで引き上げる。
もう一人、誰かいてくれれば、私も泳げるのだが、それは次回のお楽しみに、とっておこう。


7月23日

21、22日とお昼頃、無性に眠くなった。やはり体内時計は正直だ。
今日は、アテネオリンピック壮行会のため、日帰りで東京へ。会場の赤坂プリンスで、カメラマンT氏と旅行での確認事項を聴取。
5時半からの壮行会、約200人で盛大に行われた。地域ブロック理事(10人)の参加は、北海道、四国、中国まで確認できたが、後は東京近隣の理事にとどまった。
JOC副会長の話を聞いていると、リップサービスとはいえ、ひょっとするとメダルに手が届くかもしれないという期待がいやがうえにも高まる。
メダルをとるととらないでは、マスメディアの取り上げ方も雲泥の差、非情なものである。
終了間際、会場別室でアテネ仕様のユニフォームの採寸をしてもらった。エーゲ海をイメージしたリゾートタイプのジャケット、パンツ、シャツ、タイの4点セット。
これ以上は太らないように祈るばかりである。

8時前にやってきた息子にお土産(といってもゴロワーズ。フィルター付き、しかも軽いゴロワーズが2種もある。時代ですなあ。)を渡したせいで、最終ののぞみに遅れ、新大阪どまりで乗り換え、12時に三ノ宮に着いた。
本をもっていくのを忘れたため、車中はひたすら眠りこけた。


7月20日

無事、帰国した。
暑い。東京はもっと暑いそうだ。
帰りの湾岸線の高速からの車窓を眺めるにつけ、この灰色のコンビナートというか、うら寂しい風景は、ブダペストの北部地区でみた旧社会主義時代の零落したどでかい居住アパートに似ているので、ショックであった。

世界でも有数の美しい国土を持っていた国が、どうしてこんなことになってしまったんだろう? 鉄筋コンクリートが似合わない国であることへの再認識があれば、もう少しマシな都市づくりができたであろうに。


7月12日

昨日は奈良アクアスロン大会のため、朝早くからドリームランドへ。今年は170名をこえる参加。やはり、スイムとランは気軽に参加しやすいのかな。
そういえば、昨年はイリノイからの留学生KATを連れていって、終了後、東大寺や春日大社を散策したのだった。

今日は、全日空ゲートタワーホテルで最終のミーティング。主なスタッフが勢ぞろい、いよいよ明日から緊張の旅行が始まる。帰ってからも、てんやわんやの準備となった。睡眠時間は少なくなる。さて、何時頃寝られるだろうか?


7月10日

暑気にあたった疲れのせいか、無性に眠くなる。こんな日もあるさ、はいいのだが、いよいよアイルランンド&ハンガリー本番出張の準備をしなくては。


7月8日

シドニーオリンピック、トライアスロン日本代表男子選手の壮行会が、猪名川町・川西市の共催で行われたので、HTA関係者に声をかけて出かけた。できるだけ多くの参加者を、ということだったが、地元の人たちを中心に約300名も集まり、大いに盛り上がった。


7月7日

七夕です。あちこちで笹飾りを見て、ふっと「いいな」と思った。
今日も暑い。京都は暑い。梅雨はどこへ行ってしまったんだろう。

午前中、学生たちのコミュニケーション・カードにコメントをしていたら、思いのほか時間がかかってしまい、あたふたと花園大学へ。前期最後の講義ゆえか、教室はほぼ満席。しかし、エアコンが効かず、汗が流れ出す。
ついに坪谷画伯(女性にもいうんだったっけ?)が「教室、変えよ!」と号令一発。なんとかみんな助かった。
坪谷さん、参院選大阪選挙区の候補者、辻元清美の応援のため、灰谷健次郎氏が堺市に来るというので、梅田で下車。
ほんの数十分のビールタイム。うまかった。ビヤガーデン大盛況の猛暑である。

この一週間、やはり忙しくて、さぼった日乗であった。以下に回想しておく。手帳見ながらの思い出しである。

1日。JTU理事会と1件の打ち合わせで東京。いよいよオリンピック。今回のアテネにはいけないが、日本選手団のユニフォームデザインが決定し、文化服装学院教授でもあるデザイナー(猪谷会長のご指名だ)の説明を受ける。他の競技団体にはない、メディタレニアン・ブルーとレモンイエローと茄子紺がキーカラー。エーゲ海のイメージで、明るく軽い風合いがいい。ただ、ふつうに着るには勇気がいる。ジャケット、パンツ、シャツ、タイの四点セットで約6万円也。お買得だろうな。

2日。暑い。論々神戸23号、発信。一日遅れですみません。
夕方より、淡路町の教育委員会をたずね、体育協会の例会にお邪魔し、淡路島大会のボランティアスタッフ依頼をかねて、ご挨拶。
神戸からほんの30分ほどなのに、まだまだ地方の町の色合いが濃いという。トライアスロンなどが当たり前というには、ほど遠いのが実情。朝のジョギングなんかしたら、すぐにニュースが広まってしまうとか。

3日。とにかく暑い。朝のお勤めを終えて、グリーンピア三木大会の準備。夕方までいて、一旦帰宅。

4日。朝5時に出発。ボランティア君をひろって、6時に到着。長い一日が始まる。スタッフ案内から始まって、レース終了から後片付けまで、約12時間。炎天下のなかテントのなかとはいえ、コース監察のスタッフは、長時間で選手よりもグロッキー。

5日。火曜日の大学院での発表のレジュメ準備。テーマは、ペリー来航と日米関係150年。

6日。暑い。今週もクルマで女学院へ。キャンパスの森のなかで今年初めて蝉の声を聞いた。
歴史の系譜学について、内田教授の高説をたまわる。確かに、偶然性、蓋然性といったものに引っ張られて歴史は動いているようだ。いつも感心するが、先生はレジュメの内容を事前にチェックしているわけではない。しかし、必ず大切なこと、大事なことを指摘される。
アメリカの独立戦争が明治維新へのアメリカの関与をさせなかった、という指摘をはじめて聞いた。南北戦争がなかったら、日本はほんとにアメリカの植民地に
なっていたかもしれない。それほど、アメリカのパワーは強力だった、ということだ。もう一つ、幕末の優秀な人材は、幕府側、薩長側、ことごとく、と言っていいほど死んでしまったことで、これが後の侵略への道を辿る遠因にもなっているという見解は覚えておいてよい。歴史にタラレバはない、と言われるが、そういう想像力は必要なのである。


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