混迷亭日乗 Editor's Diary

4月18日

朝から暖かい。というよりも暑いくらいだ。
午後から打ち合わせがあるので、午前中に50分、約8kmのジョグ。2期の公園は花盛り。チューリップはもう、しなびかけている、暑すぎるもの。
打ち合わせを終えて、出張用の軽いジャケットを一枚購入。
その後、オフィスで、7時過ぎまで、カリカリと企画書を書く。
陽射しにあたって、疲れたのか、夕食をつくる元気なし。
娘に代わってもらう。
10時半には、もう寝ることにした。


4月17日

居住区のまわりの歩道の躑躅が咲き始めた。

朝からオフィス。今週のF薬品の納品にトラブルがあって、気が重い。次の作業へのプランや
夜は、「unreve」の打ち合わせ。

帰宅して、新聞やらテレビの報道を見ていると、人質解放の世論がなにやら、妙な方向に流れているようだ。「自己責任」という、またしても、権力を持つものと持たざるものとの絶対的落差をネグレクトして、彼らに重荷を背負わせようとしている。
日本の「世間」の怖さは、こころ根のいい人であればあるほど、それを思い知らされる。であればこそ、ここは、声をあげて、彼らの為してきたことへの基本的な肯定を表したほうがいい。


4月16日

週末の金曜日、いろいろつめておかねばならないことがあって、忙しいことこのうえない。


4月15日

夜、三宮のクラシック・ライブ・バー『pia julien』で、昨日に続き『カルテット アミーコ』のライブ。9時過ぎだっただろうか、お客さんが突然、携帯を見ながら「人質が解放された!」と叫ばれた。
無事であるとのこと、ひとまず、ひと安心というところ。


4月14日

今日も午前中ばたばたとして、お出かけ。
午後から、大阪府の南端、淡輪青少年センターで、HTAのM副会長に同行、「オリンピック選手になった私」というテーマで、大阪市立此花総合高校1年生に講演、その後の、トライアスロンという競技の魅力について、私が話すという構成。
M副会長は、1952年のヘルシンキ五輪代表。52年前、彼は19歳、同大生だった。往時のユニフォーム、パンツ、スパイク、ゼッケンを見せていただく。シングレットはウールだった。ヘルシンキは寒いところだからだろう。針が12mmもあるだろうか、錆びついていたが、スパイクの黒皮は奇麗だった。カンガルー製だという。

単位制高校なので、府下全域から生徒は集まってくる。女子3分の2、男子3分の1という割合、意外であってはいけないのだが、みんな、静かに聞いてくれた。
教頭先生によれば、これから、うるさくなっていくらしい。15歳の頃を思いながら、話した。
午後5時すぎに終えて、息子のグループクラリネット四重奏『カルテット アミーコ』のライブコンサートのため、京都までひとっぱしり。開始の7時30分、少し前に到着。

狭い店に約20名のお客さん、といっても、演奏者関係が6人はいたなあ。
早朝、深夜バスで東京から着いた彼らは、スーパー銭湯につかって、清水寺へ参詣したらしい。
若さゆえの、体力で1時間30分の演奏を乗り切った。
偶然、神戸高校13回生で、京都芸大から京都交響楽団、大阪フィルでコンサートマスターをなさっていたヴァイオリニスト、藤井允人さんが来られていて、お話させていただいた。息子にとっても光栄なことであった。


4月13日

午前中、必死で仕事を片づける。
午後、体協の会長・理事長・競技力向上委員会に途中まで出席。それからF薬品でイルランド&ハンガリー下見の打ち合わせ、というより顔あわせ。道修町から西梅田まで担当代理店の課長らとそぞろ歩き。
大阪駅西隣で今度の出張に持っていく「シグマリオン」をチェック。中古で3万円台。
夜はHTAの常任理事会。阪急三宮駅高架下西端のカフェになった。お客さんが少ないので選ばれたという。いつまで店はあるのだろうか?
論議の内容は、かんばしいものではなく、大会の規模縮小に向けて、知恵しぼり。帰宅は11時過ぎ。

内田教授、今年の授業は東京出張のため休講。しょっぱなから欠席になるところだったので、救われた。
なんでも今年は、東京からも聴講生が登場するらしい。
ホームページの画面構成が変わったためか、エッセイのコピーペーストができなくなった。全部見事な文字化けさん、である。


4月12日

早朝の港島中学校の桜並木が落花さかんなり。今年はお花見というお花見をする余裕もなく、この季節を過ごす。
カメラの件で、母・妹の家を訪れる。

人質は解放されていない。彼ら、及びその家族への非難、中傷、いやがらせが目立ってきた、という。
まさに国論の二分、というよろしくない徴候だ。


4月11日

朝から、先月さぼってしまったギルガメシュの会報をつくって、午後からはJTU近畿ブロックの技術委員会へ顔を出す。
12時のNHKのラジオニュースで、日本人解放は24時間以内に行われるという朗報を聞く。

三宮駅から兵庫駅までの間、隣にいた若い黒人が、明石駅には何時頃着くのか? と聞く。なんでも、1月中旬にシアトルを発って、カリブ海からアフリカ大陸へ渡り、インド洋をこえて、タイ、ベトナムを経由して日本へやってきたという。で、どうして日本の物価は高いのか、と聞く。私にむずかしい経済用語でしゃべる能力はなく、「それを説明すると、非常に話が長くなる、だから、説明できない」と言って、ごまかした。ま、わずか、10分程度の時間ではあったが、きらきら光る瞳のナイス・ガイではあった。
技術委員会は、約4時間の会議だったので、長野に帰ってしまう明石のUさんのサヨナラ展示会には行けずじまい。さらには、ロバート・キャパの映画も今日が最終日。間に合わず。断念。

だからというわけでもないが、携帯電話を変えた。
もう何年使っていたんだろう。ポイントがたまりすぎて、タダだった。
操作が面倒なので、あずき色が気にいったので、娘と同じモデルにして、必要事項だけ教えてもらうことにする。
帰宅して、今日こそはと、30分のジョグ。約6km。ポートアイランド2期公園にチューリップが見事に満開。一旦通り過ぎたものの、思わず引き返して2度味わった。あか、しろ、きいろ、むらさき、まだらむらさき、整然と咲き誇る。
思わずいまのイラクとの落差に、あらためて思いがいたる。

さて、使い方を教えて、と思って帰ったら、なんと、今朝早く、東京へ出かけたという。ありゃ、ま。
というわけで、かけるにも、マニュアルとにらめっこ。

午後11時、この時点では、まだ3人は解放されていない。


4月10日

まだ早朝は冷んやりしていた。朝から、のばしていた原稿を書いて、「論々神戸」の原稿を整理しつつも終わらず、夕刻からはダイヤモンドショップのオーナーとデザイナーとで、パンフレットの打ち合わせ。

夕食は、手軽なところでパエリアにした。
ところが、娘はダンスのレッスン仲間と夕食、女房殿は大阪の著名なヘアーメイクのスチリスト取材で、遅くなってしまったので、一人でパエリアである。寂しい風景ですなあ。
救いは、フランソワーズ・アルディの60年代の曲ばかりをコンパイルしたディスクとジェーン・バーキンのデュエット新作、そして、息子が教えてくれたゲルギエフのショスタコーヴィッチの交響曲5番、であった。それしても、いまだにゲルギエフと覚えられない。
ギドクリフ、ギエクレフ、ゲルリエフ、ギルキエフ、となってしまう。こんな人は初めてだ。

日本人解放への報せは届いていない。
聞くところによると、インターネットの世界では、「自業自得だ」とか「国家に迷惑かけやがって」とか、非難轟々の声もあるらしい。かかる言辞には、ふれるのも不快なので、知らないことにする。
また、ご家族の会見も、感情がたかぶらざるをえず、見るに忍びない。


4月9日

日本史の転換点になるやもしれぬ、日本政府への匕首だ。
語の真の意味での「イラク復興支援」に携わってきた日本人が捕われた。
さっそく、NGO、NPO関連のサイトではメールがとびかって、日本政府への「即時撤退」を呼びかけ、市民の、そして世間の、声のうねりを起こそうとしている。

小泉は、少なからぬ選択肢のなかから「撤退はありえない」と早々に宣言した。アメリカのラムズフェルド国防長官は満面の笑みをたたえて、「対応」を評価する。
当初から、自衛官が殺害されたら撤退という選択が、日本政府には、あったはずだ。なぜなら、非戦闘地域での復興支援が大義名分だからだ。大義名分が崩れたら、政策転換はありえるという判断だ。
しかし、その可能性が、そ民間人、しかも、復興支援を実質的に担ってきた人たちに、先に現れてしまった。

ある国際法学者は、国際法のもとでは、「国家が個人に優先する」と断言している。つまり、国家の体面は、個の生命にかかずりあってはいられない、というまことに怜悧な見解だ。これが、政府の高官のホンネだろう。
見殺しにしても、小泉は「私は国家のために、撤退はしない。この判断は後世の歴史家が判断するだろう」とのたまえばいい。
彼らがイラク派兵自体を誤りと認めるならば別だが、戦争という二者択一しかない極限状況での判断を、「あれは間違っていた」と言えるのは、何十年も経ってのことだ。

派兵を支持した人々には言いたい。

いまさら、捕捉したグループ(君たちはテロリストと呼んでいるが)への憎しみを語ったところでどうなる。こんなことは予測したうえで、賛成したのだろう。もし予測していないのだとしたら、自らの不明を恥じることだ。

願わくは、戦争状態ではありながら、捕捉したグループが、少なくとも侵攻されたイラクの人々の立場に立って活動してきた人々だ、ということで、幾分かの理解をもつことで、彼らの「生命」に及ぼさないことを祈るのみ、である。


4月8日

朝からばたばたして、一段落してから、WOA(World Olympian Assosiation)のハル・シュミット会長来日の記念講演で大阪ドームへ。ハンガリー出身のフェンシングの金メダリストだ。
アテネオリンピックの開催の進捗状況を話されたが、IOC委員の立場上、きついことは言えないのだろう、100年後の近代オリンピックへのプロセスでも、オリンピックに与えるテレビの影響力がきわめて大きいことがよくわかる。オリンピックの放映権料がIOC予算の80%を占めるのだから、その無言の圧力は大きい。
その後、いつもの心斎橋の「テキパキ」でさっぱりと整髪して、近況報告をかねて、CD shop「メロディ」を訪ねる。ますますハワイアンっぽくなっていく。個人的に彼が直接仕入れるアロハシャツはとてもいいもので、約15000円。高くても売れている。
4月16日、息子のJR芦屋駅北モールでのコンサートのチラシ、店に貼ってくれるそうだ。
夜、イラクでNGO関連の日本人3名が拉致され、3日間以内の自衛隊撤退を要求。拒否されれば殺害するという声明を出している。
恐れていたことが、先に民間人を相手に起こってしまった。
おのれの責任で、自衛隊を派兵した小泉よ、どうするのだ! 
戦争とはまことに理不尽のきわみである。


4月6日

28日から、長いお休みだった。
年度末からここまで、まったく余裕のない日々が続いて、なにもできなかった。予定どおり原稿が入らないこともあって、「論々神戸」を一回とばすことになってしまった。いろいろ世間は騒がされており、いろいろコメントできるものもあったのだが、それもできずじまいで、本当にスミマセン。
体力の低下を痛感する。
あらためて、態勢のたてなおしをはかりたいのだが、続いて、22日からは10日間の海外出張が入り、そのしわよせが予想されるので、これまた、なんとも歯切れが悪い。
どうかご容赦されんことを!


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