混迷亭日乗 Editor's Diary

2月29日

2月も今日で終わる。

鎌仲ひとみ監督のドキュメンタリー映画『ヒバクシャ』を観る。会場は北野・山本通のCAP HOUSE。だからして、ジョグで行く。約5kmの道程。
イラク・アメリカ・日本、それぞれの被爆が取り上げられるが、劣化ウラン弾といい、チェルノブイリといい、廣島長崎の原爆といい、いずれも、じわじわと身体の内部から蝕まれるプルトニウム被爆。因果関係がはっきり証明されるわけではないが、研究者らは「大いなるクロ」という確信があるようだ。
副題に「世界の終わりに」とあるのは、まさしく、被爆者が被爆者と気付かずに死んでいくことの謂いかもしれない。
このままいけば、何世代か後に、あるいはその前に、人類は自滅する……、おっと、終末感にとらえられては、オウムがそばに。
映画の後は、中川博志(論々神戸第16号執筆者)お手製のインド・カリーを食す。私にはフツーの辛さだが、知人たちには「very hot!
」だったようだ。

藤原新也『なにも願わない ただ手を合わせる』を読了。ちょっとまいったな、といういい写文集。西国巡礼、日和佐、黒蝶、門司、少年時代、菜の花、……。キーワードがいちいち、なにかと袖すりあう、縁の不思議。


2月28日

コピーの仕上げをMくんに送信。それから『アメリカ時代の終わり』(下巻)を読む。途中で切り上げ、4時には内田先生宅へ。
5時からの打ち上げ宴会の前に、「子育て」についてのコメントをいただく。
このため、バッティングした友人Nさんの会社設立15周年の小宴には、参加できず。女房殿に託す。
『現代日本文化論』聴講生&院生&学部生の宴会は、皆さんの持ち寄りのおかずをいただきながらの、大宴会。10数名入り乱れて、あちこちで議論の花が咲く。実に楽しい。
丁度、『Meet's
』のK編集長が内田先生の連載ゲラを持参。拝見すれば、「結婚は損か得か?」。いやあ、おもしろい。『Meet's』の来月号、再来月号をぜひ、御覧あれ!
名残惜しくも11時には、失礼したが、今年も聴講生として、よろしく、なのである。
今回、女房殿も出席。びしっと「きもの」で、皆さんの輪に。とりわけ、浜松の中学の先生3人組とは、同じ年代の生徒をかかえるだけに、興味津々だったようだ。
その話によれば、O先生の学校は、いわゆる荒れていると称される学校。そこで起きていることは、もう先生の半分は、なかばやる気なし、あきらめの境地をさまよう、という。それほど、親と子の秩序が乱れているというわけだ。
例えば、ヤンキーがヤンキーを産むサイクルが早くなる(つまり、40歳でジジババになるんだぜ!)、ということは、30前後で子どもを産むことの多い、いわゆる中産階層より、彼らがいつかは多数派になる、かも? そんな日本って、いったいなんなんであろうか?


2月27日

滋賀県が2009年に招致を予定しているワールドマスターズゲームズ(4年に一度の市民のオリンピックのようなもの)の第3回招致委員会にJTU猪谷千春会長の代理で出席。勘違いで、大津プリンスホテルに少し遅れて着いた。
ところが、会議は思いもよらぬ展開に。
というのは、前日に行われた県議会で,議員46名のうち、42名が条件がクリアできなければ招致に反対だというのだ。
招致委員には当然、県議会議員も数人入っている。知事の与党も反対だというのだから、愕然。そんなことはとっくにクリアされているからこその招致委員会、というのが競技団体の基本認識だからだ。
こちとらとしては、コースを守山市一帯から、彦根・長浜地区へと検討をしていきたいという段階なのに、である。
こういう国際的なイベントには、さまざまな軋轢や障害がつきまとうのは当然であるが、書いていると長くなってしまうのでやめておくが、国際ー日本ー地元、この3者の意識のずれは、いつも起こる。そのたびに、地元は一皮も二皮も向けていくのである。
当然プレスも同席しているので、明日の地元の新聞がいかに扱うか、滋賀県のO理事長にファックスしてもらうよう頼んで、大津を後にした。

帰ってきてから、バタバタとコピーを書き散らして、およそのところで、デザイナーのMくんを待つ。したがって、震災復興研究センターの報告会には欠席。

オウムの麻原に死刑判決。
95年から10年目、震災とともに記憶される年であった。新・新興宗教の跋扈した80年代の帰結、身障者の反逆、オカルト・超能力・新宗教の三位一体に身を委ねるほどに、家庭の力が弱くなっていたという苦い現実を見せつけた。多くは闇だ。


2月25日

週明けからかかっていた企画のアウトラインをデザイナーのM君に渡す。今夏のコンペは4社参加。いつもは大手広告代理店D社のチームだが、今回は違うD社。
夜、花園大学「現代メディア文化」講師陣の04年度打ち合わせにかこつけてのお食事会。キーパースンの坪谷令子画伯宅で、氏の手料理をいただきながら、終電近くまで。実際のところ、明石・魚の棚で仕入れた小料理屋顔負けのオリジナルなおかずが勢ぞろい。
相変わらず明石海峡と対岸の淡路島の灯火は夜目にも美しい。が、この日集まったKさん(児童文学作家)、Mさん(被災地NGO恊働センター)、Kさん(阪神高齢者・障害者支援センター)をまじえ、日本の行く末やメディアや人としての生き方など、いくらしゃべってもつきたりない談論で終始。
こういうときは飲み過ぎに気をつけなきゃ、と思ってセーブしたときはすでに遅し。JR、ポートライナーと乗り継いで、自宅近くでついに、植え込みにゲロッパ! 土に栄養を与えてしまった。ZZZ。


2月24日

誕生日である。何回目とはいうまい。女房殿は塾を休講して、準備。9時頃からお馴染みF夫妻との食事会。メインは大きなスズキの天然塩焼き、それにそれぞれがお総菜を持ち寄っての祝宴。酒は、03年の雑誌『特選街』で金賞受賞した福島・二本松の「奥の松」(ここは母の実家があるところで、高村智恵子と同郷)と黒エビス、大満足である。ま、いまさら誕生日だからうれしい、なんてこともないのだが、これもかこつけて、一杯やりましょう、のことなんで、まあいいか。気持ち良く早春の夜は更けた。
女房殿からのプレゼントは、なんとコンバースのホワイト・バスケットシューズ、よくは知らないが、いかにもオールドスタイルという雰囲気だ。バッシューなんて、いつから履いていないだろうか? 学生の頃、American Trad.が好きだった女房殿らしいチョイスであった。Thanks a lot! 
ちなみに、私は嫌いであった。

2月22日

21日、土曜日。朝から生暖かく、なんでも20度近くにあがったとか。
食事、掃除,洗濯、そしてお勉強。チャールズ・カプチャン著『アメリカの時代の終わり』(上巻)をやっとこさ読了。次いで、一気に下巻といきたいところだが、メイの散歩で2期まで行った。週一でも、辺りの風景は神戸空港開港に向けて確実に変わっていく。
夜、英数塾を終えた女房殿が『シービスケットのレイトショー、9時からだけど、行く?』とのたまう。ホイホイと、のって六甲アイランドへ。
アメリカの大恐慌後、辛酸をなめる大衆が希望を仮託したのは、一頭の小さな競馬馬、シービスケット。私は、映画になるまで、その存在を知らなかった。
ところどころ涙して、人と馬とのなんどもくりかえされたであろう会話を想像しながら観ていた。時代こそ違うが、アーウィン・ショウの『rich man, poor man』を久しぶりに思い出した。
大量生産、大量消費に突入する1930年代もまた、時代の大きな転換期だったのだ。そしていつも、多くの大衆が否応なく翻弄されていく。そして、わずかの者が「アメリカン・ドリーム」を体現する。

今日は、JTU全国一斉公認審判員更新講習会&試験日。毎年、2月の第4週に行われている。午後2時まで、顔を出して、帰宅後、コンペのオリエンテーション資料をじっくり読む。官僚の作文だけに、いいことが書いてあるのだが、実際の風景がしっくり浮かんでこない。おもしろい企画が求められているわけでもないので、切り上げてジョグへ。40分ほどだったのだが、今日も力が入らない感じ。木曜日のときは、すごい脱力状態(ハンガーノック状態=エネルギーの枯渇)だったので、気にはしていたが、どうもよくない。どうしてだろう? 昼食抜きでもないのに。
女房殿は、朝から午後9時まで、ほとんど休みなしで英数塾。しかも、その後、オスカー・ワイルドの「サロメ」をモチーフにしたヘアーメイク撮影、立ち会いのため、春の嵐のような雷雨のなか、大阪に出かけていった。帰りはおそらく午前様になることだろう。

2月20日

飯田眼科。先生は、最強の薬のコンビが効果を発揮していないという。若干、さし忘れの日もあることにはあるのだが、両眼とも、10台の前半になってもらわあないと困るんだが……、と。もういちど眼圧をチェックしてから、次の処置を考えよう、ということになった。

夕方、小学校5・6年時代(丹波・柏原)の野球での友達で、グラフィックデザイナーをしているM君が、コンペの依頼にやってきた。兵庫県庁のしごとだが、ばたばたとつくってやらなくてはいけない。あとは、向こうの胸先三寸。

2月18日

ハンガリアン・ナイトと銘打ったコンサートのため、大阪・梅田新道のザ・フェニックスホールへ。
ハンガリーの国立F.リスト音楽院に学んだクラリネットの上田浩子、ピアノの高橋孝輔、そしてゲストに名古屋フィル・コンサートマスターであるヴァイオリンの日比浩一というメンバーで、ハンガリーの「現代」を象徴する楽曲の演奏会。
後日、F薬品の件で、取材をする予定なので、その事前仕込みというわけだ。予想通り、リストやブラームスによるハンガリー楽曲(ジプシー=ロマの影響を多く受けたもの)のイメージはうすく、その分、ききやすい現代音楽風といってよい。
これは息子の演奏の時にも思うことだが、私たちはふだんCDやテレビでは、一流どころの音楽を浴びている。どうしても、それらと比較してしまうので、彼らに定評はあっても、すごい感動というものにはつながらない。
いわゆる眼や耳がある程度、肥えてしまえば、おのずと厳しい批評につながってしまう。それはそれと割り切ってしまわないといけないのだが……。

ところで、出かける前に、コートをとるために娘の部屋をのぞいたら、ツルッとすべりそうになった。なんで? と足もとをみると。長径30cm短径15cmぐらいのアメーバ状の水たまり。思い付くのは、うーん、オシッコ? メイしかない。匂いはそんなにしないのだが、私の鼻は鈍感だ。
あたふたと掃除して出かけたのだが、そのことを電話で女房殿に言うと、「年だから近くなっているのかしら? ここんとこ忙しかったから、がまんさせたかも」と

女房殿は、コンサートの前に、犬仲間でもあり、友人でもある彫刻家の金月抄子さんの大阪での個展をのぞいていたので、その話をすると彼女に言われたそうだ。「うちのダンちゃんは、一日4回外に出してるわよ。犬も年とると寒がるのよ」と。メイも、要注意の年齢にさしかかってきたようだ。


2月17日

今日はギャラリー島田での「火曜サロン」、有機農法に取り組む四万十川流域のお百姓(実は尊称=百のしごとができる人)と相生の農業NPO法人理事長によるお話と、おいしい有機野菜を食べての小宴とあいなった。
参加者は、神戸復興塾とまちづくり研究所の面々を中心に、30名ほど。
食べものをめぐる話題のときにいつも思う。
家庭の基本は「食卓」と言うのが私の持論だが、便利さと忙しさに慣れきった現代人に、子どものために手間ひまかけて料理をつくってあげて、というのは、とんでもない要望なのかもしれないと、最近は思うようになった。
だいたい女性の結婚願望や子ども願望が薄れているのは、やはり、仕事の中断や、お金がかかり、一人暮らしの気ままさを失い、可処分所得の減少など、マイナス分を上回るだけの感情の高揚を結婚によって得られないという寂しい現実があるようだ。
ま、結婚であれ、事実婚であれ、未婚であれ、母であることの「充実感」は、なにものにもかえがたいものであろうが、結局のところ、女性ではないから、心底のところは謎なんである。


2月15日

朝7時に眼が覚めた。あたふたと大阪・吹田の千里国際学園にむけて、クルマを飛ばす。今日はJTU主催ちびっ子トライアスロン教室。この学校は、10年も前のこと、息子の進学先にとも考えていた学校だった。しかし、あまりにも遠すぎるので断念した経緯がある。こじんまりとしているが、ぐるっと観た限り、なかなかよさそうな雰囲気だった。
イベントは、約60人ものちびっ子がランとスイムの講習を受けるもの。約3時間、楽しく終えることができた。主管である大阪府協会のスタッフが完璧にこなしてくれたので、安心してみることができ、東京から急遽やってきたJTUのO事務局長も大満足。来たかいがあったというものだ。

今日、知ったこと。今月当初に茨城大学の女学生が惨殺された事件があった。彼女はトライアスロンの日本学連で、役目をまかされていたのだという。驚いた。東京の日本学連事務局は青山のJTU事務局に居候している。犯行が行われた日は、学連の会合で東京の事務局にいたというのだ。テレビ朝日のニュースステーションでは、事務局のあるビルが映されたとのこと、なんたること! あーあ。


2月14日

11時に、トアロードのダイヤモンドジュエリー「unreve」での撮影。春のような陽光で店もこころなしか輝いてみえた。
その後、オフィスでたまっていた書類、論々神戸についての整理。15号で依頼していたお二方とも、今日には現稿が入る予定。
夜、ビデオで『七人の侍』を観ていたが、前半であえなくダウン。
明日も早いので、もう寝る。
そういえば、バレンタインデーだったね。いくつかいただいたので、満足満足。


2月13日

04淡路島トライアスロン、第一回目の打ち合わせ。県の第3セクターである「夢舞台」の経営実態は、報道にもあるように、よろしくない。したがって、単年度黒字が至上命令。となると、協賛の減額へとつながる。我々にとってもよろしくないことになる。延べ2000人以上も集まるイベントなのに、ブーブー。
帰りに、20年以上なじみの北野のカリー「シャミアナ」でランチ。その後、ギャラリー島田で、17日の火曜サロンのことなどで油売り。丁度、神戸二紀会の西村功展に来られていた方(麗しき女性)とおしゃべり。なんと、内田教授の朝日カルチャーセンター(大阪)での受講者だという。ここでも、先生のファンには30代〜の女性が多いことが例証された。


2月12日

朝、一件の打ちあわせを終えて、駆け付けたのに、すでにD和尚の読経は終わっていた。昨晩、次姉が「11時半よ」と言ったと記憶していたのだが、姉は「私がいいまちがえたのかなあ」と怪訝そう。別行動の女房殿も遅刻。このところ、きもの姿が板についてきた女房殿ではあるが、きものについては先輩の叔母さんのアドバイスなど、参考にしているようだった。なんでも、女房殿は実母の黒留め袖を着ていく機会が早く来ないかな、と願っているのである。とても気に入っているらしい。
Dさんは真言宗の僧侶、神戸青年会議所の先輩で、ときおり、別の会合でお会いする。ひとしきり世間話をした後、手作りの昼食をいただいて、ほろ酔い加減で引きあげた。


2月11日

父の命日。平成2年から、もうあしかけ15年になる。
妹の勤務の関係で、法事は明日になった。
ゆえに、午前中から、師・内田教授の引っ越しの手伝いのため芦屋へ。クロネコヤマトのプロたちの邪魔をしないように、ほんのお手伝い。女学院の院生、合気道、聴講生、入り乱れて10数名。予定を大幅に短縮して2時40分には大方片付いた。そこで、3時過ぎから、さっそく「たのしい」宴会と相成る。
内田先生とのご縁は、私にとって、35歳のときのトライアスロンにも似て、大きな位置を占めようとしている。
食べ盛りの若い衆の宴が続く中、夜は姉たちとの会食があるので、7時に引き上げた。

会食は、旧居留地の和風料理「東荘」。いまふうのおしゃれな店構えで、女性に人気がある。法事のため、福岡の長姉、神戸の次姉の東京在住の甥っ子(ITソフト制作会社勤務、3月からサンフランシスコへ)が来神。彼を中心に、場はわいわいと。うちの三姉妹はとても仲がいい。母はといえば、みんなが集まってくれることがうれしいので、にこにこしながら、食がすすむ。長らくの病弱ではありながら、亡き父の齢をこえて、元気にしている。
ときおり、父の視線を感じることがある。たいていは、右斜め後ろの高みにいるようだ。死者の残す功徳は、後に続く者にとって、少なからぬ影響を与えるということが、身にしみるようになるのは、いつなのだろう。


2月10日

カナダ・モントリオールに住むようになって13年の知人(グラフィックデザイナー♀)から、翻訳・出版を打診されていた小説がようやく届いた。昨年末発送で1カ月以上かかったことになる。
A5版変形・500頁に及ぶ大著である。翻訳料だけでも、上製本(ハードカバー)・3000部・300頁と想定しても、その印刷製本費に及ぶのではなかろうか。うーん、いやはや。


2月9日

京都市長選挙。広原盛秋先生(龍谷大学教授、元京都府立大学長)は、善戦及ばず。01年の神戸市長選挙では、私が積極的に応援した木村史暁氏(元日銀神戸支店長、現関西・関東雇用創出機構社長)の応援弁士として、10回をこえる支援をしていただいた。
今回私は京都の知人に投票依頼するぐらいしか手伝えなかったが、神戸といい,京都といい、候補者の人品・資質とも優れているのに、表には結びつかない。また、フツーの市民のなかでのひろがりが思ったほどには到達しない。善戦ばかりでは、予定調和の世界に留まるのみ。


2月8日

明けて8日、寝坊した。急いで、JTU2種審判員更新講習会のため、兵庫駅前へ。開始9時だと思っていたら9時半だった。飯も食べないで飛び出したのに。
昼食をはさんで、午後4時まで長丁場、近畿ブロックのトライアスロン競技運営、大会運営の課題についての討議を重ねる。
トライアスロンは、競技場が自然だけに、全国いろんなところでの課題が、全国の技術委員会のメールねとワークによって、共通の話題になる。一つ一つ、現場で解決していかなくてはいけない。
要は、競技本部長、技術代表、審判長の責任の取り方が問われるのであり、それに対しての「覚悟」に尽きるのだが。
悩ましい問題は大会とともに、続く。


2月7日

いよいよ娘の旅立ちの日。出し巻き、納豆、みそ汁、香の物、ご飯という典型的な朝食の後、伊丹空港へ送っていく。ANAで成田へ飛んで、アエロフロートでモスクワ経由、パリ着。一泊して、エールフランスで、ギニアの首都コナクリまで。
大きなバックパックを背負い、とびきりの笑顔で搭乗口に消えていった。帰りのクルマのなかで、女房殿が「友達や、バイト先の先輩や同輩たちから、『よく、親が許してくれたのねえ』と言われたって。でも、私の娘だもの。反対なんかしないわよ、ねえ」と、同意を求める。
私にしたところで、娘の方向性の微調整はするものの、ベクトルは彼女が決めたこと。大いにがんばってほしいと望むだけだ。
心配する以上の成長をとげて、4月3日に、元気な声が聞こえる日をこころ待ちにしている。
娘の部屋の壁には、たたみ半畳位の大きさの西アフリカの地図が張ってある。サハラ砂漠に道はない。大きな地図に、かぼそい道路が周縁を遠慮がちに走っている。
訪問するギニア、マリ、セネガルの近隣国には、内戦のシェラレオネ、貧困のギニアビサウがあり、難民の流入をはじめ、現代の奴隷ともいわれる子ども誘拐など、ヨーロッパ近代がもたらした文明による過酷な日常が点在する。
「ダンス」という人間の表現の根源に関わる様式に魅入られた娘にとって、アフリカン・ダンスは、それほど大きな位置を占めたということになる。

同じ頃、21歳の私は、逆に世を斜にとらえ、自らのなかをぐるぐる迷走していた。青春と言うには、華やかさにかける内向の日々、かろうじて音楽や小説の世界に逃げていたのではなかったか。

午後、06年兵庫国体の競技開催地担当者と、競技団体担当者の合同研修会。終了後、トライアスロン競技開催の東浦町と淡路町の担当者と簡単なお話しあい。来年3月には、両町を含む北淡5町の合併で「淡路市」となる予定なので、今年中にその筋道をつけておかなければならない。
さっそく、国体担当者を決めなくてはいけないのだが、問題は人材だ。
夜、娘がいないので、タイ風レッドカリーをつくる。辛さが鼻を突き抜けて気持ちいい。

その後、先行ロードショーのレイトショーで『ロード・オブ・ザ・キング 王の帰還』を観賞。3時間半をこえる大作。圧倒されて、じっと見入っていた。女房殿は「指輪物語」が大好きだったので、楽しみにしていた。満足、満足、といったところか。しかし、帰宅は午前2時である。限界を越えていた。


2月6日

厳しい寒さの立春だった4日、東京出張が決まって、ハンガリー政府観光局、アイルランド政府観光局での写真セレクションのために上京。
朝8時台の新幹線。途中、関ヶ原は墨絵の世界、真冬の日本の里山風景。この冬、はじめて本格的に雪景色を観た。ちょっと感動して、しばらく、窓の外をじっ見入っていた。

どちらのオフィスも小さかったが、対応がていねいで、気持ち良く、とはいってもそれぞれ2時間ばかりかけて、必要な写真をていねいにピックアップ。
アイルランドは資料も多くて、みているとダブリンのシティ空間の把握が一挙に進んだような気がする。一方、ブダペストは、のどかな空気が伝わってくるようで、ドナウ川の流れのように、ゆったり、のったり、という感じ。
いずれも、欧州の周縁だけに、その匂いが待ち遠しい。

最終の「のぞみ」まで時間があったので、急な連絡ではあったが、息子が大学を終えるのを待って、東京駅の「上野精養軒」で食事。しばし、音楽談義。交響曲よりも室内楽が好きだ、という息子だが、そのマーケットが小さいだけに困難な道ではある。
4月には、神戸・京都で3日連続のコンサートをやるが、それもこじんまりとしたもので、今後のネットワークづくりといってもよい。
11時過ぎに新神戸着。娘が明日の出発をひかえて、最後の荷物チェック。
神戸は今年一番の冷え込みだったようだ。


2月3日

節分。星まつり(護摩節供)に参列のため西区押部谷の性海寺へ。久しぶりにKAT(香港系アメリカ人・甲南大留学中、3カ月間我が家にホームステイ)を連れていく。
ろうそくの灯りだけのなか、読経が続き、護摩が焚かれ、紅蓮の炎がお堂の中を染めていく。炎は1.5mにも達するだろうか、煌々たる輝きと護摩の焼ける匂いがお堂を充たしていく。小さな空間ではあるけれど、荘厳なひととき。般若心経の読経だけが聞こえる冬の行事、KATにも強い印象が残ったようだ。
お土産に、永幸和尚作成のわらじのかわいらしい御守り(交通安全)をKATにプレゼント。
このために、マリンバ奏者名倉誠人のコンサートはパスせざるをえなかった。また今度を楽しみに。


2月2日

もう如月。私の誕生月に入った。
日曜日、午後から「わくわく市民神戸市民公開講座」のため、三宮から元町5丁目あたりまで、ぶらぶら歩いていく。人通りが多いな、と感じるほどではない。会場のまちづくり会館あたりになると、人口密度は疎らになる。真ん前の洋装店では、カシミアのコート(正札¥178,000)が泣きそうな値段(¥28,000)で売られていた。
2時から始まった講座「市民版50条の参画条例」に集まったのは約20名、しかし、新聞社記者(朝日、神戸、毎日)3名が取材。その関心の高さが伺われる。条例は、中味が問題。神戸市の条例と市民版条例を比較検討すれば、いずれが、今後のニッポン社会にとって必要なのかは一目瞭然。その辺りを精査して、書く熱意と時間をさくかどうか、記者およびデスク(記事の生殺与奪をにぎる存在)の力量が問われる。
終了後、代表のTさんら数人と歓談。大丸前の明石町の『銀座ライオン』がいつのまにやら『ミュンヘン』に。しかし、中味は変わっていないようで、変な感じ。ギネスもあった。ギネスの生(1パイント)は相変わらずうまい!
夜、娘のアフリカ行き壮行にかこつけて、いつものご近所パーティ。ところが11時になっても娘は帰ってこない。なんでも、外大の先輩で、世界27か国放浪したという先輩に会っているとかで、話が長くなっているのよ、と女房殿。それにしても、いい加減にしろ、と腹を立てて、沈没。

2日。OガスCM出演候補者への依頼の件で忙殺される。
その一方で、F薬品の件でのアイルランド行きの雲行きがあやしくなってきた。DNP(大手印刷会社)という強力な対抗馬がいるらしく、巻き返しをはかっているそうな。J代理店にがんばってもらうしかない。DNPは昔仕事をしていたが、当時の担当課長は、いまは映像部門に転進。おそらく、そこなんだろうな、という皮肉。
11日、内田先生の引っ越し手伝いは、なんでも引っ越しやさんがやってくれるそうで、拍子抜け。考えればそうだわな。


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