混迷亭日乗 Editor's Diary

1月31日

ようやく内田教授の『レヴィナス 愛の現象学
』(せりか書房)を読了。難解、晦渋で、往生したものの、最後のほうで、なんとなくこういうことかな、という感じが伝わってきたような……。しかし、師は遠い。
午後、笹川スポーツ財団への助成申請書類の作成。その後、50分のジョグ。南公園の南の2期工事区に、ポートライナーの延伸路線の橋脚が出現していた。見なれぬ風景にとまどいを覚える。
シャワーの後、「論々神戸」の原稿にかかり、仕上げ。そして、「論々神戸」の発信と、結局オフィスに12時頃までいてしまった。もう、眠い。帰る。


1月30日

早朝の勤めで、転んで顔をかすって、眼鏡のレンズを割った。フレームは大丈夫だが、またしてもドジである。
大阪ガス、CMの人選。夜の8時頃までかかってしまった。
遅かったのだが、それから母と妹の家で、娘の壮行の夕餉。運転しなくていいので、ボジョレヌーヴォ、1本あけてしまった。いい気分。


1月29日

スタッフにまかせっぱなしだが、クライアントである「らしさドットコム」(HPヒット 月間600万を誇る)の営業統括マネジャーが来訪。あわせて、ヘアショウを企画した現役学生のイベントプランナーの女性も。ヘアケアの世界=業界、私にはお手上げ。
ジュンク堂で資料を探してから、北野にまわって、グロサーズで買い物。ミューズリー、ピーナツバター、ジャム、チーズ、サンドイッチスプレッドなど、いつものものを購入。好きなものだけにうれしい。
夜、灘区六甲道での集会「駅前議会」に出席。無党派市会議員井坂信彦氏の企画。この模様を「論々神戸」次号でレポートする。
出席者に顔なじみは一人だけ、という珍しい会であった。いかにも勤め帰りの会社員という感じの人が多かった。灘という土地柄か? 
逆に言えば、通常つきあう人々は、外から見れば私も含めて、かたまっているのかもしれない。


1月28日

娘のアフリカ行きは2月7日。最後の予防接種だったので、和田岬にある神戸検疫所へ連れていく。建築されたばかりか、きれいなオフィスだ。待合室には、世界各国の風土病、伝染病に関する情報がところせましと張り出されている。黄熱病(野口英世を思い出す=福島・猪苗代町の出身)にもふれてあった。
もちろん、訪問するギニア、マリにも複数の病気が発生している。心配ではあるが、それも恒常的なこと。完全撲滅などありえないのだから。


1月27日

『論々神戸』の前身、『神戸から』の発行人だった呉さんから連絡。身内の方のことで、心理カウンセラー、精神科医を紹介してほしいとのこと。
『神戸から』のときにも登場していただいた、甲南大学の中井久夫先生門下の友人、T君(現在、甲子園口で開業)、同じく、同大学の羽下大信先生、そして、内田教授と親しい名越康史先生(大阪)を紹介した。
身近に「こころのやまい」に陥る人が増えてきた、ように思う。私が年を重ねているせいだけでもあるまい。ストレスが増え,複合汚染が進み、複雑な情報に取り囲まれた社会のなかで、身体感受能力が開発されないなら、それも当然だ。思春期に表れるか、成人して表れるか、更年期に表れるか、そして突発的な地震のような外部から襲われるか、いずれにしても、「こころ」にとっては生きにくい時代になってしまった。
そんな周囲環境にもへこたれない精神は身体性の能力を育むことと不可分であろう。
写真家の糸川燿史さんから手紙。氏が監督した映画『東京ダンシング アフリカ』について問い合わせしたものへのお返事である。アフリカの舞踏家と打楽器奏者(ジャンベ)が東京に滞在したときのドキュメンタリーなので、さっそく娘に伝えた。
糸川さんには、子どもたちが幼少の頃に,二度ばかり、スタジオにて「家族の肖像」(モノクローム)を撮っていただいたことがある。
話を聞いた娘、「もう出発前には会えないけど、帰ってきたら、必ずあいさつに行く」と。


1月26日

朝からばたばたしていて、NPO法人リフォープ(現代美術)
の総会(といっても少人数)のため、北野のギャラリー島田へ。11時過ぎに終えて、Oガスの調査作業に入る。このため、当初予定していたシンポジウムを欠席。結局、その日中にはできず、明日に持ち越す。ごめんね、電通さん。
夜は、久しぶりにKIFCHA(キフチャ・Kobe International Food, Culture & Health Association)というふざけた名前のグループの集まりに顔を出す。実は、私は所属していた神戸青年会議所の「とある」委員会の面々が中心の集まり。とてもきさくなひとたちなので、K弁護士を中心にさりげなく集まって、さっと引き上げる。美味しい欧風料理とともにドイツビールとドイツワインをいただく。舌福。


1月25日

昨日、午後から25日まで、JTU近畿ブロック拡大協議会のため、大阪・箕面の箕面観光ホテルにでかけていた。
阪急箕面駅に降り立ったが、箕面の滝に行楽に出かけた中学生のとき以来であろう、ほとんど覚えていない。
古い建物だが、高台にあり、大きな展望風呂から大阪の街並が見下ろせる。
そして、お湯が、ほどよい温かさで、ぬるぬるしていて、とても気持ちいい。温泉気分である。
夕方から懇親会、そして翌日9時からお昼をはさんで午後4時30分までの会議を行った。昨年、死亡事故が起こったため、メディカル委員(3名とも医者)を中心に、今年は例年になく、近畿ブロック管内大会での事故防止のためのガイドラインの討議ということで、緊張感の漂う会議となった。
中味のある会議になったので、主管してくれた大阪府トライアスロン協会の皆さんはじめ、ブロックのメンバーに感謝。
さすがに、帰ってきたらほっと一息。


1月22日

厳冬。小雪散らつく。
またしてもドジ。JR三宮─大阪間、昼特回数券12枚購入して、背広の胸ポケットの名刺入れにしまったはずなのに、電通PRからの帰り、大阪駅で出そうとすると姿がない。名刺入れからこぼれ、さらに胸ポケットからも、11枚すべてこぼれたという信じられない話。
この冬は、もちつきのときの帽子忘れに始まり、財布、印鑑、回数券と、忘却と紛失の月となった。これって、健忘症か!?


1月21日

在日フランス人、ジェローム・ブエ氏、ツールドフランス(世界で最も著名な自転車のロードレース)へのアマチュア参加&観戦ツアーの企画をもって来訪。ビジネスではなく、氏の自転車好きが嵩じて企画とあいなった。日本人参加枠を150人確保(最低催行人員は80名)。広報の協力をする。フランス中部のリモージュ(陶器で有名)付近だけに、旅費は1週間で約32万円。休みとお金と自転車野郎(もち、女性もOKですよ)、この3つが重なったら、いまのニッポンではどれぐらい集まるだろうか?

飯田眼科で検診。薬が変わって眼圧14と16。少し低くなった。来月、3回目の視野検査。
その後、大阪・心斎橋の「テキパキ」で、いつもの散髪。それから、旧老松町のギャラリー「千スペース」にて、友人でもある写真家、長島義明氏の個展を観る。平和な時代のアフガニスタン、キューバ、ヨーロッパ、阪神大震災、そして、今回はじめて「人」が現れない風景写真を見せてもらった。世界のほとんどの地域を歩いた彼が覗く視線は、同じ人間であることのいとおしさにあふれている。
神戸に戻って、久しぶりに「神戸市政を考える会」に出席。4月に発足する神戸再生フォーラムや、間近に迫った京都市長選挙に出馬している広原盛明先生(龍谷大学教授)応援の手立てを協議した。01年、神戸市長選挙で私は木村史暁氏(元日銀神戸支店長)を表立って応援した。そのとき、広原先生には、なみなみならぬ恩義をいただいたのである。終了後、いつもの小料理屋『花へんろ』で、わいわいがやがやと。いわしのてんぷらが美味であった。
そこでプロサッカーJ1「ヴィッセル神戸」のことがひとしきり話題になった。今回、ヴィセル神戸を経営買収したクリムゾングループの三木谷氏は、神戸市長選挙のとき、主たる役割を果たした三木谷隆一神戸大学名誉教授のご子息なんである。したがって、突如、ヴィッセル神戸を、真に市民球団(フットボールクラブ)とすべく、スポーツには縁のなさそうなメンバーたちが、力を入れていく、という事態にあいなった。
なんだか、ミスマッチでおもしろいことがおこりそうだ。


1月20日

最後の大学院の授業で女学院に出かける。まとめ、ということで、内田教授が「今後の日本におこる階層の2極分解による文化資本の遍在」と題してお話された。
乱暴にいえば、東大ですら、入学する18年の間に、浴びてきた文化的素養のある者とない者(つまり、受験勉強必死入学派と少数の裕福家庭ゆとり文化一杯入学派)との落差が目立ちはじめ、それが小さな閉鎖社会をつくってしまい、知識詰め込みの教養ではない、本来の教養が欠落する学生が大量に出てきている現実が、まことによろしくない、ということなのである。
それにしても、東大入学者の親の年収が平均1500万円(つまりは、年収何億、何千万という家庭の子どもも多いということ)にもなるという数字は、確実に世襲的なるものが蔓延していることを表す。
そこでテーマをめぐって、議論を開始。
低位にある者たちの怨嗟、反乱が起こるか否か、戦前の2.26事件に象徴される、権威にあぐらをかく奢侈な者どもへの天誅が起こるか否か、そして、
「お金」が基準となる文化資本そのものがおかしい、
「お金」がなくても文化資本を育てることができる、
閉鎖集団の心地よさは、はじかれる者にとっては、ありがたい、などなど。90分はいかにも短い。
1年間の打ち上げは、女学院入学試験が終わってから、たぶん、弥生3月。
内田先生はもちろんのこと、院生、学生みなさん、一年間ありがとうございました。本当に勉強させていただきました。


1月18日

さらに、情けないことは続く。財布を紛失したようだ。気付いたのが夜の6時頃。朝日ホールから自宅までのどこかのようである。朝のジョグ1時間走の爽快感がふっとんだ。現金はお恥ずかしい限りなのでいいだが、明日からクレジットと銀行のキャッシュカードを止めて、再発行という面倒な手続きとなる。うんざり。


1月17日

小雨、山沿いは小雪まじり。
朝9時すぎに、鷹取駅近くの大国公園からスタートして、新長田・大正筋商店街、新装なったアスタ久仁塚、六間道商店街、丸五市場、真野地区を通って、御蔵地区まで、ウォーキング。追悼式と公園&集会所開所式に出席。さすがに、多くの関係者が顔をそろえている。市民活動関連の専門家オンパレードであった。

午後からは、友人のY弁護士が主催する追悼催し『未来の糧』に。講師はすべて彼女の知己だが、男女共同参画社会、連帯保証問題、心身療法(ユング派)、地震とのつきあい方(地球物理学)、保育における親子の絆など、多彩。
ここで、衆院選挙以来、市村浩一郎衆院議員(民主)と偶然再会。連帯保証問題を超党派で取り組んでほしいというY弁護士の依頼に呼応して出席したという。少し、貫禄が出てきたかな、という感じだったが、あいかわらずフットワークは軽い。退席のあとは、神戸元気村に顔を出すといって、かけていった。

夜、女房殿が行く予定の映画『マーサの愛のレシピ』を鑑賞。ほのぼのとした佳品。ドイツ映画ではあるが、ドイツはドイツらしく、イタリアはイタリアらしく、良さも悪さをひっくるめて、ヨーロッパらしい映画であった。
しかし、招待券忘れたり、娘の練習帰りピックアップの勘違いなどあって映画の余韻は減殺された。「幸せは ほんのちょっとの 匙加減」というキャッチコピーとは裏腹。ほんのちょっとのふしあわせ、とあいなった。


1月16日

寒梅記。ちなみに、菜の花忌は司馬遼太郎。誰の命日かおわかりだろうか。
藤沢周平である。
私が、彼の小説を読みはじめたのは、没後のこと。一冊読めば,芋づる式になる予感があったので、40代になるまでノータッチだった。
予想通り、今にいたっている。

夜、松方ホールで天満敦子ヴァイオリン・リサイタル。主催は、市民活動資金援助のために設立された団体『ぼたんの会』。収益は、イラン大地震への救援にあてられる。参加者へのチラシ投げ込みを手伝うため5時半にホールへ。
天満さんの音色の華麗さ、力強さに感銘をうける。気分良く弾けるというのは芸術家にとっても心地よいもの、という情感が伝わるような独奏であった。耳福、耳福。


1月15日

第13号を発行した。耐震補強の問題点を指摘した平戸潤也さんの現認報告が痛切である。


1月14日

フリーペーパー『神戸からのメッセージ』(隔月刊)の発行人でもあるT氏が創刊号を持って来訪。執筆陣をアドバイスした経緯もあったので、協力御礼の意味もある。広告収入が資源となるだけに、健闘を祈る、としかいいようがない。


1月13日

午前中、エッセイを書き上げて、女学院へ。年初めの講義だったが、テーマは外国人労働者。発表は仏教大学大学院生社会学専攻のNくん。簡潔に問題点をまとめてくれたが、結局、いまのところ解決策は、帯に短し襷に長し。
ただ、内田教授いわく、「(安価な)外国人労働者を入れよ、という見解は、資本の論理。短期スパンでの損得判断という資本の要望であることを忘れては行けない。お互いの国民にとって不幸」と指摘。上手に流れ込んでくるような妙案はないはずで、いままで成功した例もない。
だったら、日本が収縮、低迷したっていいじゃない。もともと、大きな国じゃないんだから、ほどほどに行こうよ、という選択肢は、これからの生き方として、「あり」ですよ。
すべてカネという拝金主義は、グローバルスタンダードの一面でもある。

夜は、ギャラリー島田で、「美術館にもっと光を!」という著書もある美術評論家(前姫路美術館副館長)伊藤誠さんのトークに出席。ここでも、美術館、博物館、図書館という、カネにならない文化の共有財産への風当たりが強いいまの時代への疑義が話された。
経験談ではあったが、安藤忠雄設計の兵庫県立美術館は、かっこいいけど、鑑賞者や学芸員のための施設ではないようだ。学芸員や美術を愛好する市民に愛されない美術館って、いったいなんだろう? きわめつけは、なかにあるコンサートホール(もどき?)については、音響、客席など、二度と行きたくない、という意見(演奏者からも)が続出。
これって、なに? 
貝原前兵庫県知事と彼が蜜月だったからといって、それはないよね。

終了後、関係者数人と軽い食事。東門筋に近い三角市場、家庭料理の「やすだ」。二度目だったので、ようやく場所は覚えた。安くて美味な小体なお店なのでお勧めする。


1月12日

3連休といっても、まとめての自由時間はない。指導者養成講習会、最終日でグリーンピア三木へ。今年は、3月のデュアスロン、7月のトライアスロン,2つの大会をここで開催する。総支配人と企画担当課長にご挨拶。
身売り話が公然化している全国のgreenpia(厚生年金保養基地)だが、我々にとっては、ぜひとも存続をお願いしたいところ。大会が開催できる場所には、ホントに苦労するのだから。


1月10日

早朝お勤めの後、午後から差し入れ(+バナナ)をもってグリーンピア三木へ。この時期にしては暖かい。
Y指導者養成委員長から紹介していただき、ご挨拶。
初級の指導者の方には、甲野善紀先生の古武術の生かしかたを例に、他競技のヒントを受け入れる貪欲さを、中級の指導者の方には、さらに異分野(芸術文化など)での気づきへのアンテナ張りを申し上げた。要は、スイム・バイク・ランを教えているだけでは駄目だよ、ということである。


1月9日

友人の経営するT社に顔を出して、今日からグリーンピア三木で(3泊4日)始まっているJTU初級・中級指導者養成講習会への差し入れをいただく。参加は全国から合わせて30名ほど。東京から5人のトライアスロン界の第一線のコーチ達が集結して、次世代の選手を指導者を養成するもので、年に一回行われる。中級コースは西日本では初めてのこと。
トライアスロンはまだまだ歴史が浅いので、資格認定者は、全国でも少ない。したがって、いまが大切なときなのである。
夜、ご近所の仲間、Sさん(大手建設会社)が仕事で但馬(たじま)の香住(かすみ)へ出張して、みごとな松葉ガニを背負って帰ってきたので、Fさん、Mさんともども、さっそく新年の宴会。
なんでも、余部(あまるべ)鉄橋(十数年前に列車が強風のため食品加工工場の上に落下して、死亡事故を起こしたところ)の、再架橋工事の入札だったらしい。冬の強風、烈風にも高さ40mを越す陸上鉄橋だけに、予算もさることながら、工法の選択もポイントになるそうだ。
わいわい過ごしていたら、午前様になってしまった。バタンギュー。


1月8日

たまっていたメールへの返信を書いて、市民社会推進機構(以下、CAS)の総会へ。といっても、かた苦しいものではない。
今年から始まろうとする神戸大学との民・学連携事業の態勢づくりが課題。誰がコーディネーターをするにせよ、相当の知力と膂力が必要なので、担当は○○さんかな、と勝手に思っているが、幹事会で決められるそうなので,おまかせ。なにせ正式会員ではないもので。
この席で、16日の天満敦子ヴァイオリン・コンサートの切符を「市民基金神戸」の黒田さんから購入。売り上げの収益は急遽イラン大地震救援にあてられることになった、という。まことに時宜にかなったことだ。
神戸大学大学院生が3人出席していたので、終わってから、ごあいさつ。彼らにも『論々神戸』の執筆を頼むときがくるはず。Aさんが「論々神戸、読んでいます」、と言ってくれたが、素直にうれしいものである。


1月6日

中間報告を送信してから、飯田眼科とフォーラム関連資料書籍を求めに三宮のジュンク堂へ。
眼科では顔を見るなり、看護婦さんが、「渡邊さん、眼、どうしたの? 赤いわよ」。自覚はない。ただ、薬の点眼が11時頃といつもより遅かっただけのこと。先生いわく「お酒、飲んでないよね」。当然でありまする。
残念ながら、眼圧は落ちていない。右が17、左が19。12月から追加した薬の効果がないらしい。ついに、脈拍が遅くなる副作用があるとされる薬にチェンジ。これで様子見となった。要するに、6月にかかって以来、状態は踏み止まって、悪くなっていないだけのことなんである。がっかり。しかし、「これ」とは、これからもつきあわなければならない。
ジュンク堂へ行く途中の古書店で、立て続けに必要な本(仕事と私事)が3冊見つかったので購入。トクした気分。ジュンク堂、専門書とはいいつつ、三宮店とサンパル店で、どちらかにしかない本があるので、結局2店に立ち寄ることになった。
夜、借りていたビデオ『殺意の夏』(仏)を観る。確か2回目だけど、イザベル・アジャーニだから、いいのよ。でも、途中で数回コックリ。映画に限らず、なにごとにも短期集中できる女房殿に「寝てたわよね。木曜日に返すわよ」と言われた。よくあることなんで、また、観るさ。


1月5日

オフィスでの仕事始め。こもって、提案する環境フォーラムの下調べ。明日には中間報告して、7日には調査は終わりの予定。
JTU関連の処理メールがたまっている、むむむ。


1月4日

正月最後の日曜日。今日はトライアスロン協会の会報の原稿をまとめる。これも年内にやっておくべきものだったのだ。
午後遅く、有馬温泉の温泉神社に初詣。人出が多いのにびっくり。温泉街のリニューアルが功を奏しているのだろうか、古いものを上手に生かしていく気配が感じられた。裏六甲、箕谷の次姉宅は、ちょうど甥が東京に帰るところだったのでパス、となった。
夜はご近所のFさん宅で、新年会。息子のTくん(阪大?年生、高校の後輩)のガールフレンドが来ていた。ということは、これで娘だけが誰もいない、ってことに。なんだか不思議な話。
というわけで、とうとう今回のお正月も、ゆっくり読書、というわけにはいかなかった。内田教授の『レヴィナス 愛の現象学』もまだ、塩野七生『ローマ人の物語』も、すでに新刊がでてしまった。ウーム。


1月3日

娘の初稽古のため、岡本まで送ってから、オフィスでトライアスロンクラブ「ギルガメシュ」会報を作成し、発送。ほんとをいえば、昨年中に出しておきたかった。
夜、「ラストサムライ」を六甲アイランドで鑑賞。シートの幅が広くて、指定席。ゆったりと見ることができた。試写のときと違い、細部に目が行く。
細かいところをつけばいろいろあるのだが、やはり、よくできたエンタテイメント映画。


1月2日

朝、食事前に中央郵便局まで、賀状とともに約8kmの走り初め。気分よく走れた。
昼過ぎから、HPの更新にかかる。
今日は娘の21歳誕生日。
実は、昨晩寝ていたら、女房殿に突然起こされて、「病院へ咲耶を連れてって!」。なにごとかと思いきや、夕食の牡蠣があたったらしい。で、あたふたと着替えをして、連れていこうとすると、トイレから出てきた娘が「大丈夫みたい」と蒼白な顔で言う。それで、女房殿が、背中をさすりながら、寝付かせたという次第。アルバイトで、体調不良だったのかもしれない。
で、誕生日。
娘はポツリと一言。「今年は悪いこと、起こるんちゃうかなあ?」。
ま、そんなこと思わないで、「元気にアフリカ、行ってらっしゃい」と、皆で笑いとばす。
母は、また、グズグズ言って、妹を困らせて、来ていない。だから、4人での誕生日の祝いとなった。


1月1日

謹んで新年をお祝い申し上げます。
おだやかな元旦となった。
世界の大荒れとは違うことが、かえって大きな不安にも繋がる。
母と妹が訪問して、一緒にお雑煮を食する。うちの雑煮は、母の味である東北ベースの関西風味。おすましに、雑多な具(鶏、人参、ごぼう、かまぼこ、蛤、しいたけ、水菜など)、そして、関西の丸もち。これを、女房殿(長崎)にも継承してもらった。美味である。
実業団駅伝は、層の厚い中国電力が初優勝。日本を代表する長距離陣による、ハイレベルの戦いが続く。
年末に出かけられなかった父の墓参りに西神墓苑へ。父が晩年過ごした淡路島の見える丘の上の墓地である。その足で、友人であるTさんが住職をしている押部谷の性海寺(しょうかいじ 真言宗)へ、年始のご挨拶。夕刻だったので、忙しさが一段落していたのか、お茶の時間となって、しばし談笑。古い歴史を持つ寺なので、除夜の鐘突きに、大勢の人々がやってきたとか。
神戸のはずれの地味なお寺なのに、若い人も年々増えている、という。口コミで広まっているのだろう。良いことだ。
2月の節分大護摩供奉修「星祭り」も注目の行事。

永幸和尚の一月のことば

ほとけさまと わたしたちの たいせつな いのち こたえあい ゆききし


2003年3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
04年2月3月4月5月6月7月8月9月10月
11月12月
05年1月いま