混迷亭日乗 Editor's Diary

10月31日

私の編集における「師」KMが亡くなった、という連絡をうけた。10月のはじめのことだという。二次情報なので、確認をしないといけないが、たぶん、そうなんだろう。顎の癌で、今年3月より、大阪のM病院で療養中であった。
最期の手紙(ハガキ)は8月7日の消印。広告代理店D社のディレクターへの連絡を頼む、というものだった。

表には、G3 X-GIRLという米軍のヘリコプターのクロッキー風のイラスト。
そこに、「60’past years → 90's p.s → 21 century NO WAR」
という自筆文字。
そして、
……
部屋に冷房が入った。
もう夏が始まっているのだ。
ニッポン国(JAPAN)も、ボチボチ目を覚ましてもいい季節だ。
いま、ジャーナルの日々と真面目に向き合って 市民は確かな市民権を持つように努力してもいいダロウ、と皮肉を言ってみる。
……
という言葉が連ねられた。

そういえば、女房殿が娘のジャズダンスの舞台(11月15日)の案内を京都の陶芸家Kさんに連絡したところ、ちょうどカンボジア旅行の時期で残念、という返事をもらった話をしていたので、これも一種のシンクロニシティなのだろうか。
彼女もKMのもとで働いたスタッフと長い付き合いだったので、思いは一気に25年以上も前にワープしてしまった。

ひとことでいえば、「かっこいい編集者」だった。
昼間からの酒飲みで、音楽と競馬と写真とル・クレジオをこよなく愛し、「一無頼」として広告の世界を泳ぎまわり、金にむとんちゃくで、多くの人々に迷惑をかけて、逝ってしまった。
しかし、私にとっては、どんな末期を迎えたとはいえ、「師」であることにかわりはない。ただ安らかに眠ってほしいと願うばかりだ。
昭和16年、京都市生まれ、である。


10月29日

JR住吉駅、住吉神社西側の洋菓子店「CASSALADE」(カッサレード)へ出向く。高校時代の同級生の息子さんが腕をふるっていて、開店一周年を迎えた。味はすこぶる良し、掛け値なしに、お薦めする。彼女によれば、なんでも山手幹線沿いの店と2号線沿いの店だと、客層が異なり、若干値段に差をつけねばならないという。東神戸の人たちだと、この感覚はわかっていただけることだろう。
小さいけれど優れた店をお手伝いしたことで、クライアントが少しずつ大きくなっていくのは気持ちいい。
甲野善紀先生の人間講座、時間を間違えて、見られず。アホである。再放送をビデオに録画するしかない。忘れるなよ!


10月28日

火曜日は女学院。院生の発表。今週は「陰祭」。
はじめて聞く言葉だが、民俗学ではなじみの言葉のようだ。本祭に対しての陰祭。メインに対するサブの関係。神社を核にしたコミュニティの復活。それが大事な時代になったのでは、という指摘。
祭のことだからして、宗教性をおびた話になる。戦後60年になろうとする昨今だが、50〜60年代に祭の喪失は始まり、90年代以降、復活の波が起こっているのは、輝ける戦後民主主義の鑑、アメリカン・ウエイ・オブ・ライフからの離脱が始まっているからだろう。

疑似祭として、いろいろなイベントが花盛りだが、その一例として気になっているものがある。そこで「よさこいソーラン」ばかりがなぜもてる、と同年代の院生や聴講生にきいてみた。
やはり、先生のいないクラブ活動みたい、自由参加で、みなと一緒になにかをつくりあげる達成感があるから、という。

そうそう、いつ頃からこの「達成感」という言葉を、若者から聞くようになったのだろう? 気になってしかたがない。少なくとも、私は震災前には聞かなかったような気がする。というのは、ボランティアとの関連で聞くようになったからでは、と思うからだ。
よく言われたよね、「茶髪のにいちゃんが、嬉々として手伝ってくれた。人はみかけによらない」とか、「自分を必要としてくれる人たちがいてよかった」などなど。してみれば、人間関係の希薄さが沸騰点に達していたからこそ、このような言葉をして、関係をもとめ、夢中になれるものや自己探しが始まり、その活動を肯定する言葉として浮き上がってきたのだろう。どうでしょうか?


10月26日

午前中、ギルガメシュ練習会。少し遅れて参加。いつもの常連メンバー4人で、1カ月ぶりのバイク30km+ラン5km。あたたかな陽射しのなか、ゆっくりサイクリングのペースで、脈拍160まではあがらなかったので、快適な汗を流す。
ポ−トアイランド2期工事区の広大な空き地に鳶が数羽、珍しく舞っていた。里山での鳶だと、日本の田舎の風景そのものなのだが、殺風景な場所には鳶も似合わない。空き地になにやらが潜んでいるのか、上昇気流が何らかの理由で発生しているのか。

午後、カルボナーラをつくって、KATと一緒に食べた。彼女はその後ショッピング。毎週、三宮にでかけてはショッピングを楽しんでいる。香港系アメリカ人女学生、その生態たるや意外に幼いので、????

90年代の徒花というべきか、レーザーディスクで『The Long Goodbye』(ロバート・アルトマン監督/エリオット・グールド主演/ジョン・ウイリアムス音楽)を久しぶりにみる。もう20数年前の作品だが、相変わらず、ヘンなハードボイルドでおもしろい。勝手に気に入っているのだが、フィリップ・マーロウのへらずぐち、というのは自分にないものだけに、いつみても愉しい。そして、いろいろな細かい仕掛けもくすっと笑わせる。あー、よかった。テーマ音楽は、いまだに映画音楽の最高峰のひとつだと私は思っている。

海の向こうではフロリダ・マーリンズがチャンプになった。個性あふれるチームで、よくやったと思う。老舗ヤンキースに2勝3敗からの逆転勝ちだもの、すごいぜ!


10月25日

朝からトアロード、Cデザイン事務所。ダイヤ鑑定書の手引き構成プランについての検討。
ついでに、東急ハンズで、ここ2年買いそびれた“365 Dogs Calendar”(made in US)を購入。部屋の壁に新たなピンナップが加わる。
げほげほ、せき、変わらず。睡眠を十分とりたい。


10月24日

のどがいがらっぽくなり、初期の風邪状況、小さな咳がごほごほ。熱はないので、別段どうこうはないのだが、私にとっての季節の変わり目が始まった。要するに秋が非常に短い。
少し動いても汗をかく季節から、かかなくなる季節=冬までの期間、私は体温調節に苦労する。
夜、JTU近畿ブロック協議会で大阪城ホール。大会の安全対策について、Kメディカル委員とS技術委員を中心に、ブロックとしてのガイドラインを決めなければならない。安全対策は予算と裏腹なので、ほんとうにアタマを悩ませる。それにしてもお金がない。


10月22日

週初めのことだが、飯田眼科で視野検査。自覚としては、少しずつではあるが、進行しているように思えたが、やはり、右目の上方部分、左目の右側は検査の光を感知しない。要するに、改善されていないということ。投薬の効果と障害の進行がせめぎあっているということらしい。で、投薬が2種類になった。最適だと思われる薬を点眼すると脈拍が今以上(60前後)に遅くなるので、先生は使うのを躊躇されている。私は平気だが、医者としては副作用を避けたい、という。で、次善の薬が追加された。毎日、ほぼ同じ時間帯に点眼するのは意外に面倒である。まだまだ習慣にはなりそうもない。

NHKの人間講座で甲野善紀先生の古武術が始まっている。今日は3回目だが、初めて見た。一度、講習で拝見しただけだが、そのときの先生と変わらない語り口で、刀さばきを披露された。再放送もあるので、最初から見てみたい。


10月21日

2週続いて火曜日の雨。雨の日の印刷物の納品は誰でもいやですね。濡れないように神経をとがらせないといけません。
で、女学院のある岡田山にも蕭々と雨が降る。雨に日は学校休む、という学生も多いとか。木々の色づきはまだ目立たないが、確実に秋になった。坂を歩いても汗が出なくなった。ホント、汗っかきだから。
今回は「資本主義」。いまや、ハイパー資本主義時代と言われて久しいが、資本家というより投資家がのさばる時代となった。さもしい限りである。
製造業、サービス業しかり、人間の手になるものは、モノに多真視意(どうして、魂が出てこない? ことえりのバカ!)が憑依すること、これをおろそかにしてはいけない。human factorの介在するしごとを、大切にしていこう。
また、地球レベルの話でいえば、これからのニッポン再生には、環境再建産業が必須のものになる、と言い切ってもいいかもしれない。


10月20日

さわやかな日曜日。ゆっくりといっても、7時半には勝手に目覚める。メイと散歩して、朝食をつくって、しばらくして、ジョグ。1時間ほど、ベートーベンのレオノーレ序曲と80年代のAORとともに走る。足の調子は2週間前より快調、キロ5分ペースでいけたのではないだろうか、その足にあらためて感謝。
メジャーリーグ、ワールドシリーズを途中まで観る。みんな個性があって、見ていて愉しい。いい試合だったね、フロリダ・マーリンズの選手、ほとんど見たことはないのだが、若くて颯爽としていて気持ちがいい。

午後からは、トライアスロン関係のたまっていた書類を整理。淡路島大会の会計処理については、まだひと悶着ありそうな気配。数十万とはいえ、赤字を出してまで、大会をやる意味があるのか、と言われそうだ。
そして、『子どもは判ってくれない』を読了。またしても、新たな所見をいただいた。内田教授の日記は、そのまま鋭いエッセーになっているので、一日たりともおろそかにできない。

月曜日。土曜日撮影の写真をクライアントに届ける。さすが、Sさん、ひきしまったいい写真となった。技術とは、経験則から生み出されるものだけど、この写真のよさを、読者のどれだけの方々が判っていただけるのだろうか。
夜、KATが観たいというので、NHKの連続ドラマ『夢見る葡萄』(?)を観る。なんでも林真里子のお母さんの伝記がベースらしい。大正時代の設定だから、時代背景について、拙い英語でKATに説明するが、判ってもらっているかなあ? 


10月18日

週末。朝からダイヤモンド・マリッジ・リングの撮影。大阪・新町でクライアントとカメラマンとで缶詰、8時間。光の反射によっていかようにも変化するだけに、むずかしい撮影だった。ゼクシイの読者に、うまく伝わるだろうか? それだけが勝負だ。
三宮に着いて、ジュンク堂に頼んでいた渡辺京二の『逝きし世の面影』(葦書房)を引き取りに。大作だが、愉しみにしていたもの。「逝きし世」とは、江戸末期、外国人の眼に映った世にも平和なくにと人々の暮らし、だ。
ずっとなかったのに、なぜか平積み(といっても分厚いため数冊)になっていた。私の注文が呼び水になったって? それはないか!
内田教授の『子どもはわかってくれない』(新泉社)も発見、なんとライトエッセイの棚で平積みだった。隣に、いしいひさいちのずっこけ戦争漫画本があった。相乗効果はどうかな?


10月17日

道路公団総裁の更迭問題で騒いでいるが、お互いの言い分を聞いていると、まるで薮の中。いつか誰かが真相を発表するのだろうが、小泉の権力闘争の矛先が、旧田中派、経世会に向いていることだけは忘れてはいけない。郵政も道路も土建も彼らの牙城である。
自民党を改革して、別の権力構造をつくろうとする日本のネオコンみたいな勢力がじわじわ増殖していることも覚えておいたほうがいいのではないか? 新聞やテレビではわからないことが多すぎるのだ。


10月15日

昨日の今日だが、内田教授が大阪の朝日カルチャーセンターで講演する日だったが、時間的に行けず。来月は、予定を入れておく。


10月14日

大学院、今日のテーマは「精神疾患との共生、カウンセリングの問題」。
精神疾患については、本当に多種多様な精神疾患があるのは、あまりに研究が細分化しすぎて、新たな病をわざわざつくりだしているように、思えてならない。たとえば、トラウマを必要以上にことあげしたり、アダルト・チルドレンなんて、誰が言ったかしらないが、ほんとに病かよ、と思いたくなる。
で、今日はいろいろ教えていただいた。

さまざまな精神疾患の患者に共通しているのは、「自尊感情の欠如」。これを再構築することが大切なのだ。そのための処方箋だが、一つには「自分のことを嫌いにならないようにすること」と、もう一つは「自分を好きになること」がある。前者には、カウンセリングの限界がみられ、後者は、みごとに立ち直る。やはり、広い地球の誰もいないところであってさえ、「自分が好きだ」と言えるほうがいい。
また、道徳でいえば「誰にも迷惑をかけていないからいいじゃないか」という言い種があるが、これは最低のレベルの水準を保っているだけだ、ということがわかっていない。そのレベルだと、「誰もあなたも“その程度”だとしか思わないよ、レスペクトしないよ」ということを知るべきである。

さらに、内田教授はいいことを言われた。
仕事や職業は、自分が不要になるように努力する、自分を滅ぼす方向にまっしぐらにいくことが大切だ、と。つまり、医療関係者なら医療がいらなくなるように一生懸命仕事をすることだし、自分の仕事は、次の人に追い越されることを「諒」とするのがいい生き方なのである、と。
だとするなら、いま首相経験者がすごい高齢にも関わらず引退しようとしないのは、どういうことか、おのずとおわかりいただけるだろう。


10月13日

ホテルを出た途端、強風に気付く。クルマで20分ほど、幕張に到着。ほんとに風がきつい。スイム会場を見たら、唖然。スタート&フィニッシュ地点であるおおきなポンツーン(浮き桟橋)が、前後左右に揺れており、とても入水できる状態ではない。波高2mはあるだろうか、即刻一般のレースはスイム中止を決定。WCについては、判断を保留。ITU(公認)、JTU(主催・主管)、CTU(主催・主管 千葉県トライアスロン連合)の三者協議が重ねられ、スイム中止ではなく、急遽、隣接する浜田川河口(昨年設定コースに酷似)から上流750mに遡る一往復で実施された。
当然、海上保安庁から認可されたコースではないので、現場判断である。事後処理は大変であろうが、ITUの意向が強く反映されるため、ここでも世界水準と許認可権金科玉条の日本水準との落差が顕著にあらわれる。
設営スタッフが、脚立を使って取り付けばしごを急造、開始時間を約1時間遅らせてスタートした。まさに、自然の威力に左右されるトライアスロンならではのぴりぴりした神経戦が行われたのである。
日本選手は女子7位中西真知子、男子16位西内洋行が最高位。メダルとベスト10に入ることはできなかった。
終了後、アテネオリンピック強化対策本部の選手・コーチに対するブリーフィング。直接、猪谷会長、三宅副会長・対策本部長、荒井理事長、山田強化本部長、そろって檄をとばす、というものだったが、ここで選手やコーチから、これまでの強化本部に対する意見や不満が出たことで、執行部の思惑どおりではなかったかもしれないが、私はむしろ良かったのではないかと思う。
アテネまで、1年を切っていて、これからの対策本部のやり方次第でアテネが成功するか惨敗するか、選手もそうだが、JTU執行部にとっては、まさに正念場にかかるということだ。
選手たちのアワードパーティに出た後、さすがに、帰りの新幹線では、断続的に寝てしまった。トライアスロンも報酬のない仕事、ではある。


10月12日

朝、起きれず、ジョグはなし。10時から、ホテル内会議室でJTU理事会。予定では中小を入れて2時に終わるはずが、昼食なしで3時を過ぎてしまう。国際トライアスロン連合(ITU)レス・マクドナルド会長のスピーチが長かったのと、アテネオリンピック対策本部長である三宅JTU副会長(重量挙 五輪金メダリスト)の方針説明が予定をオーバーしたことが主たる原因、でありました。
あわただしいランチのあと、他の理事たちは、ワールドカップ会場視察に幕張へ出かけたが、私はホテルでダイヤモンド鑑定書についての原稿を書き、6時にはフィニッシュ。
夕食は京成千葉中央駅そばの居酒屋で、西日本のブロック理事と関東ブロック理事、実業団チームテイケイのY監督などと歓談。11時にホテルに戻った。
明日は5時30分、ロビー集合だという、クルマで連れてってもらうのだが、勘弁してよ! という気分。


10月11日

昼過ぎ東京着。その足で、江戸東京博物館へ。2回目なのだが、前回は時間が足らず、ゆっくり見られなかったので、今回は2
時間を確保した。資料展示のほうは、入れ替わっているものもあるが、実物大での日本橋(部分)や、歌舞伎小屋(部分)、江戸庶民の長屋、纏、鐘などは、前回どおり。あっと言う間に時間は流れる。
いつも思うことだが、古文書がすらすら読めたらおもしろいな、と。隠居できる身分になったら、というはかない願望である。
4時半に四谷駅で息子と待ち合わせ、紀尾井ホールへ。上智大から歩いていると、黒背広のSPらしき姿が見え、黒塗りのクルマが数台連なって過ぎていく。息子がひょいとのぞいて、「たぶん皇太子やろ」と。
ひょっとして、このオーストラリア国立室内合奏団の演奏にくるのかな? と思った。ホール入り口でオーストラリア大使館広報部のMさんに聞くと、「どうして、知ってるの?」と、怪訝顔。公式訪問ではないそうである。だから、聴衆も知らない。開演5分前に、皇太子ご夫妻は2階席前中央に着席されたが、拍手は、近い人々から自然にわき起こった。
コンサートは、チェロをのぞいて、全員スタンディングで演奏。プログラム前半のピアソラが圧巻、かっこよかったです。クラシック・バンドネオンの音色はいいものです。魅せるクラシックでありました。
夕食をおえて、宿泊先の千葉のホテルへ。雨が降り出した10時過ぎに到着。思いのほか立派なホテルでびっくり。明日あさっては、大丈夫だろうか?


10月10日

明日から東京なので、午前中にばたばたとかたづけして、大阪へ。午後から電通のホールでスポーツ産業学会関西支部のシンポジウムに出席。テーマは「スポーツと関西経済の活性化 阪神タイガース優勝の経済効果」についてというタイムリーなもの。タイガースどうこうというより、許認可権を握る霞ヶ関の存在が、東京一極集中の原因であることがよくわかった。関西の地盤沈下、むべなるかな。
途中、D社プロジェクト推進室のMさんにご挨拶。早めにきりあげて、心斎橋のT社で撮影の打ち合わせ後、新町のカメラマンS氏の事務所へ。初めての場所でずいぶん迷ってしまった。なんとか18日撮影、20日「ゼクシイ」(結婚情報誌です! すごいです! 持つのが恥ずかしいです!)納品、ということに。


10月8日

午前中、毎日新聞の取材。初めて赴任したのが神戸支局、担当して4年という男性の記者。『論々神戸』への取材だが、神戸新聞、朝日新聞についで、ということになる。震災を中心にして、いろいろ話をさせていただいた。地元紙の神戸新聞をのぞくと、若い記者たちは、震災を知らない。赴任先は選ぶべくもないのだから、震災のこと、一から勉強しなければならない。が、果たして、そのような時間が彼らに与えられているかといえば、そんなことはない。
であれば、地元のNPOが、連続して、記者勉強会というようなものをレクチャーんすべきではないだろうか?
さて、どのような記事になりますやら。掲載日が決まったら、教えてくれるそうである。
午後、友人であるT社のNさんが来訪。中国古木家具の輸入についての相談。新しいビジネスになるかどうか、求める客との接点をいかにつくるか、でないとミスマッチが起こる、そして在庫の山だ。今月、中国にいって、さらに情報の収集するという。
夕刻、クライアントとデザイナーをまじえて、『アンレーヴ』の紙袋、封筒、名刺などの最終チェック。


10月7日

大学院、今週のテーマは「地域共同体」。解体され続けてきた、戦後の歴史。ようやくここにきて、その再生をはかろうとする機運がっでてきているが、道は険しい。大胆な発想が求められるところだが、内田教授は、ばかにされてきたが、と前置きしながら、キーワード『廃県置藩』を提唱。
47都道府県の解体と江戸時代後期の約270藩の復活である。いわば、風土の身の丈にあった行政区分の復活で、我が意を得たりというところ。
奇想天外とは思わない。兵庫県各地を転々として生きてきた身としては、そのほうが自然である。
無理な合併は不必要である。スピードと効率主義優先は、もう、愚かしいとしか思えなくなってきた。


10月6日

朝刊を観て驚いた。民主・自由両党の合併調印より、道路公団の藤井某の更迭がトップ記事だった。なんでも、小泉流の一流の政局判断だそうだが、それはともかく、全国紙の永田町政治記者たちは、ニュースバリューの価値判断をその優先順位で表現した。大局というよりも、小局である。ようやく政権交代という、ありえなかったことが置きうる可能性に、なんら期待をしていないというか、記者クラブの問題といい、それこそ、既得権益の55年体制に安住しているといわれてもしかたがないだろう。
医療に関するエッセイを書く。あまりにも専門的、細分化された問題が多く、はっきり言い切れない。しかし、医療が進めばすすめほど、人間が退化し、細菌が強くなるようで、こわい。
夕刻、大阪・心斎橋。ダイヤモンド・ジュエリーショップ『アンレーヴ』のテント生地、封筒、レターヘッド、挨拶状、案内状など紙見本、色見本にて決定。


10月5日

朝方、久しぶりにジョグ。1カ月ぶり? 2期工事区南端のほうへ足をのばす。ここからは淡路島北端、須磨から芦屋までの六甲連山が見渡せる。売れ残る企業空き地のため、建物が少ないせいだ。ふとハワイ島でのアイアンマン・コースを思い出す。
もう、10年も前になるのか。
私のアイアンマン・レースは、93年が最後になっている。
気がつけば、85年のプラザ合意の年に独立。そして、トライアスロンをはじめ、まさに、バブル終焉のときに、アイアンマンからはなれ、日本経済の推移と時を同じくしている。
バブルの恩恵を受けたという自覚はないにもかかわらず、なんだかへんに符号するのが不思議だ。
94年は、予選の琵琶湖大会でパンクによるリタイア、そして95年の震災。以降、練習不足もともない、アイアンマンには出場しなくなった。

同じクラブのAくんのバイクと出会う。彼は、40歳にして子宝に恵まれた。奥さんは、東京国際マラソン、大阪国際マラソンに出場経験をもつランナー。出産後、半年を経過し、つい最近、ジョグを開始したところ、さっそく兵庫県中部の大河内の市民ロードレースで、優勝した。子どもの世話をお互いに協力しながら、練習しはじめている。
ジョグは、1時間をこした。さすがに、50分を過ぎると膝から「疲れたよ」という信号がくる。より、すり足気味にして、帰宅。

午後はオフィスで、原稿書きと書類の整理。
事故報告書のことで、HTAのS事務局長と思い違いが発覚。また、修正の憂き目にあう。がっくり。
夜、久しぶりに母と妹が夕食で来訪。足が痛いと訴え、出無精になっている母を女房殿が説得した、というかたちだが、そうでもしないと、自分で決断できなくなっているがゆえに、妹も辛いところ。


10月4日

朝のお勤めの後、あまりに眠いので寝てしまった。
午後は市民版参画条例研究会主催の第3回市民参画シンポジウム。県立のじぎく会館に主催者発表で180人の参加。
秋葉広島市長、白井尼崎市長、坂口高石市長がメインスピーカーで登場。それぞれの市長の孤軍奮闘ぶりを聴く。
大きな市であれば、いったんできあがった権力を解体しなければ、区への権限委譲しても意味はないことがよくわかる。
終了後、「神戸から」で取材して以来、交流のある杉山知子さんの展覧会のため、近くのCAP HOUSEに立ち寄る。広い空間に、ここ数年の連作がずらり。ここでも「関係性」がテーマになっていて、ぬくもりのある世界が広がる。
帰りに北野の「神戸グロサーズ」で切れていたママレードジャムなどを買う。苦味があるので、私しか食しない。好物のグリーンカリー、レッドカリーのペーストが¥150、ダイエーとは雲泥の差。


10月3日

からだがだるい。頭もいたい。淡路島大会のサンテレビ放映(10/5)のチェック。これをめぐってHTA内でも意見がわかれる。放映するな、放映する、事故のテロップを挿入する、挿入しない、ご遺族にお知らせする、お知らせしない…、5日放映はわかっていた日程なのだが、思いは及ばず、連絡がわずか3日前では、ゆっくり考えるひまもない。
番組としては、よしとせねばならないが、結局、テロップは挿入せず、また四十九日までは、直接ご連絡はしないということになった。
HTA常任理事にメールで報告、気が重い。


10月2日

大阪・心斎橋へ。ジュエリーショップ新店舗のロゴタイプ決定。これから11月6日のオープンに向けて、一気呵成に開店準備物の制作にかかる。
夕食は、北海道の男爵いもと牛ミンチ、タマネギをベースにしたコロッケを娘と息子が協力してつくる。美味なり。
私はこの間、テレビで習った「納豆ときのこのいためもの ワイン風味」なるものに2度目のチャレンジ。しかし、前回ほどの好評ではなかった。なにか手順を間違ったのか、量を間違ったのか、わからないのがくやしい。
KATは、イリノイ州に住んでいるせいか、ポテトが好きなのであるが、意外に生野菜はだめ。
5人そろっての夕食は珍しい一日であった。


10月1日

来年2月に開催される「HYOGONコミニュケーション祭」の企画段階での広報アドバイスのため、西元町の市民活動神戸センターを訪れる。仕掛人の方々のご苦労を思うのだが、市民力をつけるために、いろんな方向からのアプローチが必要。
夜、トライアスロンクラブ「ギルガメシュ」の月例ミーティング。今月は、例の事故のため、余裕がなく、会報を出せなかった。
会場のショットバー「サンタラニ」のマスターから、ピカソの銅板を所望する人はいませんんか? とのこと。これも、処分しなければならない事由があるわけで、ご時世である。
そういえば、ピカソ好きって、公言する人って、まわりにあまりいないんじゃないかなあ。もしいたらご一報くださりませ。


2003年3月4月5月6月7月8月9月11月12月
04年1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月
11月12月
05年1月いま