混迷亭日乗 Editor's Diary

9月30日

神戸女学院大学院、「現代日本文化論」後期の授業始まる。院生は別にして、学部生の出席がわずか。教室が閑散として見えた。どうしてだろう。先週の花園大学では、38名中28名の出席であった。
今週のテーマは『医療における「まなざしとことば」』。神戸女子短大で教鞭をとられるN先生の発表。先生が先生の発表をもとに院生が議論する。なかなかあるもんじゃない。
「死」と「生」とはなにか? いろいろ考えられるだろうが、いまのところ、確定しないほうがいいですよ、という判断が知恵というもの、としておこう。

今日、教えてもらったことだが、それがそのとおりなら、以下の事実は知っておいてよい。
大阪教育大池田小事件のT被告は、以前に何回となく事件を起こして精神病院の入・退院を繰り返している。その実績(?)により、年金月額約20万円が国家より支給される。これは、他の多くの働く人々と比べても、生きていくために「有利」である。働きたいけど働けない、のではなく、働けるのに働かない。

だとすれば、このような人間に悔悛することを期待して、「国家が犯罪者を更正すべき施設である刑務所で保護する」ための弁護というのは、いったいなんなのか? あまりにナイーブな性善説である。

誤解をおそれずにいえば、T被告の脳を解剖し、いかなる要因が脳のなかにあるために、あのような凶暴さが現出するのか、悔悛しない凶悪犯罪者の脳内を研究することこそ肝要だと考える。
繰り返される「2度と起こさせないために」というのなら、後世の人々のために、やるべきだろう。
脳は特別だ、なんて言わないでいただきたい。内臓は解剖しても、脳はだめだというのはおかしい。
私が臓器提供に踏み出さないのも、臓器はパーツではないのだ、という感覚、死体はものではないのだ、という感覚を大切にしたいからだ。

夜、ギャラリー島田での恒例の「火曜サロン」、芦屋の山村サロンを運営する山村雅治氏のトーク会、に遅れて列席。休憩時間に、息子がクラリネットを演奏する。ストラビンスキーの曲を10分ほど、披露。このような機会を与えていただいた島田さんに感謝。


9月29日

HTA常任理事会。死亡事故報告書確認と、大会運営、競技運営ほか、さまざまな反省点の集約。午後11時すぎまでの長丁場となった。


9月28日

27日。昼、トアウエストのCデザイン事務所で打ち合わせの後、日本木管音楽コンクールのため帰神した息子とともに、元町の風(ほんとはなかが百)月堂ホールへ。ニューヨークを拠点に活躍するマリンバ奏者名倉誠人Nakura, makotoのコンサート兼トーク。
日系アメリカ人に作曲してもらったという「ホップ・ステップ・ジャンプ」は圧巻。マリンバの音色を縦横無尽に駆使し、深くしみこむ表現力がすばらしい。
また現代アメリカのクラシック界で、日本人演奏家が、どう生きるか、という内容の話も聞けたので、息子にとっても、とてもためになった、と思うのだが、実は耳にタコの話かもしれない。
名倉さんの後援者であるSさんとKさんに、息子を紹介していただく。いつかは競演できるまでになってほしいという夢想を抱く?

28日。今度は娘のダンススタジオ発足10周年の発表会。神戸文化中ホールは、満員である。いつのまにか、阪神地域、200人以上もの会員を擁するスタジオとなった。彼女はもうすぐ6年になるが、もはや、セレクト・メンバーとなり、単なるアマチュアの域をこえている。踊っている姿には、なにやら余裕のようなものが感じられ、ふだん接する娘とは違うのである。ステージをわがものとするいった体で、大人の雰囲気を漂わせ、ダンサーという職業になじんでいくのでは、と。
来年は、大学を休学して、スワヒリ語の本場、アフリカはケニヤ、タンザニアにほんとに行くのだろうか?
ところで、買って1カ月以上、「つんどく」になっていた、乙川優三郎『武家用心集』をひもとく。藤沢周平なきあと、その系譜を確実につないでいけるのは、この人だと私は思う。
読んでいると、lつつましくも豊かな時間が流れる、ように思える。世界はセピアと地味なみどり色に覆われていく。


9月25日

今回の事故報告書のツメに入る。関係機関に配布する兵庫県トライアスロン協会(HTA)の公式文書となるものだ。
それとは別個に、(社)日本トライアスロン連合技術委員会へのS審判長報告書、さらには、大会全体の反省点を列挙した大会運営報告書が必要となる。最後の運営報告書は、まだこれからの作業になるが、まずは29日が一つの峠となる。


9月24日

22日。大阪・心斎橋。11月オープンのジュエリーショップの『ゼクシイ』への広告を入稿。遅めの昼食をベトナム料理『ベトナムフロッグ』で。なんだかひさしぶりにしっかりとしたランチ(といっても定食だが)をとった気分。
夜、HTAのS常任理事と神戸ライフセービングクラブの代表、事務局長と事故調査について面談。ボランティアでありながら、救命のプロとしての矜持が発言のはしばしに滲む。

23日。秋分の日。ふつうなら墓参する日なのだが、事故報告書についての、文言修正のやりとりに時間をとられてしまう。
夜、明石で天然鯛を釣ってきたFさん夫妻をはじめ、ご近所の仲良し組と、自宅で久しぶりのなごやかな夕食会。

24日。雨、激しく降る。花園大学、連続講義の最終回。「ことば発想法」についてレクチャー。出席したいた学祭の広報担当の学生に、企画の進め方について、アドバイス。さて、11月、「element of pleasure」というテーマの学祭、さて訪れることができるだろうか? 
同行の講師、Tさん(画家)は、この日、百万遍にある、なうての料理屋『梁山泊』での、永六輔さんを囲む会に出席されるため、円町駅で別れる。


9月21日

淡路島大会での死亡事故について、私たちの事故調査は続いている。

しかし、『ドキュメント災害史展 1703〜2003』(国立歴史民俗博物館)だけは、見ておきたかった。論々神戸のためにも、研究員のTさんにも会ってお話ししたかったので、昨日、千葉県佐倉に、日帰りで強行した。報告はあらためてHPに掲載するので、後日。はじめて、デジカメを操作した。うまくHPにとりこめるかどうか、不安はつきまとう。
自然災害では記録が残っているものしか、あきらかにされないので、生き残ったひとたちの記憶がベースで記録になることもありうる。
さらには、自然災害は絶対に起こるものだから、科学の粋をこらして防災計画をつくったとしても、おのずと限界はあり、その限界が人類に幸せをもたらすものではないことはあきらかだ。
何度でも言うが、壊れたコミュニティの再生か、はたまたそれに代わる紐帯をいかにつくるか、に尽きるのではなかろうか。それがむずかしいがゆえに、みな、苦労をしている。
1995年が徐々に歴史になろうとしている。
その意味では、震災の語り部をはじめ、しつこく記憶し、記録していくことは、いま、その意味がわからなくても、いつかは誰かの役に立つのかもしれない。


9月18日

この日乗が始まって以来、はじめての空白の10日間となった。
実に気ぜわしくストレスフルな10日間だった。
正直、疲れ果てている。
自身の管轄下のトライアスロン大会において、ひとりの死者を出してしまった。いくら祈念したところで、もうあともどりはできない、という現実が続いている。


9月8日

なんだ、この暑さは。
KATと一緒に電車の乗り方、帰り方を教えるために甲南大学まで出かける。校門左手に建設の槌音が。なるほど法科大学院の建設だ。システムが変わると新たな公共工事が発生する見本のようなもの。
女房殿が大阪のスタジオで撮影のため、夕方までアウトなので、私が主婦がわり。39名のホストマザーのなかに、男性は4名のみ。留学生のこの3日間の報告会。世話役の方がいう、「今はハニムーンのようなもの、緊張していい子ぶって背伸びしていますから、すばらしく思えますが、日常の退屈さが支配するときが必ずきます」というのは、ごくあたりまえに聞こえる。
到着の日は、ハンバーグ。土曜日の夜はお好みやき。そして、日曜日は旬の秋刀魚。はじめてのトライで、半分まで食べた。
基本的には魚は食べていないようなので、徐々になれるかどうか? というのは、ライフスタイルとしては、むしろ日本の現代の子どもたちに共通なのかもしれない。だって、日本のテレビドラマ(若者に受ける)のこと、よく知っているのだから。
あ、そうそう、日曜日は、奈良ドリームランドでのトライアスロン大会、奈良県協会へのご苦労様訪問。大会は午前中に終わるので、KATを誘ってみた。疲れているだろうけど、「行きたい」というから、連れていった。奈良公園の鹿、東大寺、春日大社へと、くそ暑いなか、散歩。休憩茶屋で、くずもちとわらびもちを食す。なんのことはない、私の好きなものを食べさせてみたかったわけ。
大仏にびっくりしたり、二月堂からの眺望に、携帯カメラでバシャバシャと撮影。日本の携帯は留学生の間ですごい人気である。
さっそく絵はがきとお守り携帯ストラップを買っていた。両親とボーイフレンドに書いて送るのだという。そりゃそうだろうな。

土曜日の夜は、高校時代からの友人Nが久しぶりに札幌からやってくるので、同じ山岳部だった3人が集まって、わいわいと。実は、私、一年生の一学期までは山岳部だったのである。退部して陸上部に移ったのだが、そのわけを話すと長くなるのでやめる。
数年ぶりだったので、東亜食堂でいっぱい食べて、piajulienでワインをぐいぐい、なにせ、資産家が混じっているので、上等ワインなんである。うまかったなあ。結局、午前一時頃までしゃべっていたが、やっぱりいいなあ。
ちなみにNは、北大卒業後、そのまま札幌にいついてしまい、北海道をはじめ、全国的にも個人映画界、ミニシアター界では知らない者はもぐり、といわれるほどの存在感をしめしている。
私の子どもたちは、いまだに「熊のおじちゃん」と呼んでいる。


9月5日

あわただしいことが多くて、ぽろぽろと忘れていることに気づく。暑さのせいとは思いたくないが…。今週は、日中は雑務に忙殺され、夜が全部つまってしまい、忙しいとしかいいようがなかった。
また、女房殿はといえば、美容関係最大のサイトの内容構成と取材、原稿と非常に時間がタイトなため、午前様の日々が続く。
4日の夜は「神戸市政を考える会」。京都からいらした龍谷大H先生のもらす言葉、「神戸のみなさんに会っていると愉しい」と。来年市長選挙を迎える京都の政治状況は、市民レベルでニュートラルに考える、なんてなまやさしいものではないらしい。はっきりしているのは、「あいつはどっちや」。
今日は、そこにフレッシュな風が吹いた。イリノイ大学アーバンシャンペイン校で広告と日本語を専攻する、甲南大学への留学生、通称“KAT”(キャット)がやってきた。香港生まれのアメリカ人だが、大学でも日本文化クラブに所属するほど、日本で勉強がしたかった、という。シャイで愛らしいと聞いていたが、小柄でもあるし、街を歩いていると日本人と変わらないだろう。
心斎橋から急いで帰ったのだが、さっそくで申し訳ないが、遅い夕食となった。これからは、娘が一人増えたという感じの生活が始まる。お土産にUIUCのロゴ入りビジネスカードケース(名刺入れ)をいただいた。女房殿にはポータブル・ソーイングセット、娘にはピギーの貯金箱、いずれもUIUCのグッズである。娘は自分の大学(大阪外大)とのスケールの違いにびっくりしていた。


9月2日

飯田眼科。2週間の投薬は効いているか? 眼圧は14と16。私の場合、先生としては、それを両眼10〜11にもっていきたいらしい。
夜、震災10周年市民検証研究会。会の趣旨、行事、スケジュール、会費、代表者、幹事、幹事会の性格、予算など、概略が決定。神戸新聞社論説委員、社会部記者、兵庫県防災担当者などと同様、一会員として関わっていく。
代表者のYさんは、神戸新聞を経て、元ラジオ関西の社長。このほど、元町に民間シンクタンク、「ひょうご・まち・くらし研究所」を設立する予定。彼のような経営者でもあり、一市民でもあるような感覚をもつ人々が増えれば、都市は確実に変わっていくのだが。


9月1日

今日も蒸し暑い。メルマガ論々神戸第4号、無事発行。30日付神戸新聞に記事が掲載されたので、その影響もあってか、少し読者が増えたようだ。書いてくれたI記者には、寄稿をお願いしている。いつとはいえないが、掲載できるのを楽しみにしている。
関東大震災80周年。全国各地で防災訓練が行われた。小中学校の始業式でもある日だけに、「防災の日」にあわせて取り組んだ学校も多かったようだ。
夜、神戸新聞事業社にて、淡路島大会の運営会議。S理事長が出席してくれたのだが、肝心の技術代表、審判長がなぜか欠席で、体面なし。先週の常任会議はいったいなんだったんだろう。10時過ぎに帰宅。飯食ったあと、処理案件多いが、とりあえず寝る。