混迷亭日乗 Editor's Talk

7月31日

『論々神戸』第2号、無事、発信。
夜、女房殿が好きな役者、役所広司主演の『うなぎ』を観る。監督は今村昌平。公開されたときは、気にもとめていなかった。話をすると長くなるので、やめておくが、犯罪につながるプロセスに、言葉のやりとりとはずみが大いに関係し、ボタンの付けちがいが加速度的に進んで、ことを起こすのだと思わされる。
そのプロセスを、だれが正確にあとから表現し記録できるのかという、重たい宿題が残る。ならば、弁護士、検察官、裁判官に、推論できる創造力が求められるはずだが、それができないのであれば、第三者として誰がその任を負うのか? 誤審が絶対に起こりうる所以である。
たしか今村監督の『神々の深き欲望』を観たのは学生時代? 後に自殺する(?)沖山秀子という怪女優がおぼろげに浮かんでくる。もう一度、観てみようっと。 


7月30日

早朝は霧雨と蝉しぐれ。なんだか、まわりの風景が見なれぬものに変わり、一気に知らない過去へと戻ったかのようだ。
昨日の酒が残っている。ううう。つらい、そして、眠い。資料に目を通していても、眠気が襲ってきた。
夜、「神戸市政を考える会」。北九州大学の池田清先生が、神戸市財政の危機的状況の報告をした。問題はその克服について、どうするのかが問われるのだが、その展望を出さないと、カウンターパンチにはならないだろうとの認識。まさに、だから、どうする? 次の課題。
体調不良のため、二次会を遠慮して、9時過ぎに帰宅し、タイ風グリーンカレーをつくる。私は好きなのだが、女房殿や娘は、いつも辛すぎるという。

藤沢周平の『夜の橋』を読む。映画『たそがれ清兵衛』を思い出していた。演者の所作がいちいちしみ入った。とりわけ子どもたちの瞳の演技がすばらしい。もそうだが、宮沢りえがたすきをかけるシーンのかっこよかったこと。
誰の言葉だったか、貧困なのはいけないが、貧乏はいい、というのがあった。これは、物質的に貧しくても、身体と精神は「しゃん」としている謂いだと思っている。逆に、裕福でも貧困人はいっぱいいるってことだ。


7月29日

26日、夏らしい陽光が戻る。宮城県で震度6の地震。予想される宮城県沖地震との関連はないという。幸いなことに、死者は出ていない。
冷夏、集中豪雨、そして地震。今年の東北は自然災害のオンパレード。世が世なら、為政者の失政の責になるのだが、いまはそういう時代じゃない。
夏の芸塾第3弾、93歳になるモダンダンスの江口乙矢の講演。アシスタントの若い女性二人とともに、基本中の基本を話していたが、現役であるという自覚が元気を伴わせているのか、驚きであった。
最後までいられず、姉の義父の四十九日法要のため、新開地の真福寺へ。約30分のお経を聴くあいだ、あらためて、このような型があることで、人の死と記憶に思いをはせる時間を持つ大切さを認識する。
その後、母妹宅で神戸花火を鑑賞。ビルの合間に華やかな大輪が咲き乱れる。12年前、急性肺炎で入院中の中央市民病院の屋上から、見上げた花火を思い出す。そこは患者たちの特等席だった。

27日。晴れ。日曜だが、D社提出の関西某有名私大のPRプランの企画書作成のため、一日、事務所。夕方、中央郵便局までジョグ。約9kmを50分で。メリケンパークを通るが、西の木立のなかに、ホームレスのブルーシートが目立つ。しかし、貧窮というイメージからはほど遠くみえる。
夜、ポートアイランド2期工事区の公園で、ご近所のF夫妻とともにバーベキュー。大安亭市場で仕入れた鶏肉のうまいこと。ワインも空けてしまった。夜8時にはポートピアランドの閉園とともに花火があがり、あたりは静寂に包まれる。

29日、夕刻より、花園大学「現代メディア文化」非常勤講師陣の前期終了打ち上げ。雨模様の明石海峡を借景に、画家のTさん宅での贅沢な饗宴となった。6月、講義の一こまとして行われた永六輔の講演ビデオを聴きながら、明石のたこ、すずき、あなごなど、小料理屋顔負けのTさん手作りの美味に舌鼓。74歳になる永さん、ますます“舌”好調。マスメディアがだめなので、自分がメディアになっちまえ! という気持ちわかるよな。7時には、女房殿も加わり、レシピを教わっていたようだ。
神戸新聞I記者の『論々神戸』についての取材もはさんで、夜は更けていき、京都・大阪組は9時半頃、そして神戸組は11時頃の解散。


7月24日

そういえば、蝉の声を聞いたのは18日だった。今年は、まだ大合唱にはなっていない。わがポートアイランドでの南方系クマゼミと地元系アブラゼミの勢力分布はいかがか。大阪あたりでは、クマゼミが圧倒しているということだ。ここでも、在来種は危機にさらされている。

夜、CASのFeature Meetingで、『論々神戸』と『市民および市民社会』というテーマで発題。16名ほどの参加。来ていただいた方、ありがとうございました。9時すぎまで、ワイワイガヤガヤと議論。震災から10年という逃れられない区切りへ向けて、何をどう発信できるのか、みな、あれこれ悩む時期である。8月11日までに、そのアイデアがある程度まとまるだろうか?


7月22日

実は、20日から背中の筋肉と大腿二頭筋が少し張っていて、ようやくおさまったという感じ。19日の気錬のせいだが、毎日少しでもやっていけば、慣れていくのだろうが、こころいれかえねば、そうはならないので、ムムム。


7月21日

19日。朝、徳島に向かっていたHTAのM技術委員から連絡。豪雨のため土砂崩れが発生、明日のひわさうみがめトライアスロン大会は27日に順延となったとのこと。審判員は急遽引き返すという、大変ご苦労なことであった。
選手も役員・審判員も大変だが、しかたがない。天には逆らえません。

午後、女学院で、韓式意拳の光岡英稔先生の講習会。支点を使わない体の使い方など、実践的な講習だったが、先生の強さはただものではなく、しかもひょうひょうと、いかにも古武術師然としているが、それでいてカリフォルニア育ちというカジュアルさも持ってらして、すごい青年である。
約5時間にわたったが、汗びっしょり。HTAのS副理事長を誘った。彼は、気功、ヨガ、杖術、合気道をこなしている。Sさんも積極的に質問していた。

ここでも私が20年前に習っていた空手道円容拳『凛塾』の塾生に出会うことになった。まだ若い整体の仕事をしているSくんだが、甲野先生の講習にも来ていたらしく、当時広川武先生(3年前に亡くなられた)の弟子で四天王といわれたうちの一人、入江先生が継がれているという。
光岡先生に、無謀にも挑みかかり、軽く拳を受けて鼻血ブー。でも、いい経験をした。天狗の鼻は折られるものである。天下の先生の拳だもんな。
入江先生に、よろしく伝えていただくことにして、これからまた、おつきあいが始まるかもしれない。

懇親会はいつものフジヤ。西宮で八卦掌などをやってらっしゃるTさん(GS経営)のお相手をする。交通事故による三途の川を渡る臨死体験をうかがう。父親と虎と花畑が現れ、それはきれいなところだったという。
そして、三宮のワインバー「re-set」へ。帰宅は、やはり午前1時すぎとあいなった。

20日はさすがに9時過ぎの起床。女房殿いわく、「すごいいびきだったから、逃げ出したわよ」とのこと。20年ぶりの武術の稽古だもの、疲れてたんだよなあ。テーマ「国民国家」についてのエッセーを書く。北野武の『dolls』を観る。予告編からの期待とは裏腹で冗長な感じ。こっくりしながらだったけど、監督・演出・脚本に、無理がある? 残念でした。

21日。海の日という祝日。娘が夜行バスで東京から帰神。アフリカはマリ出身のダンサーの講習を受けにいっていた。常にリズミカルで、大地をとびはねるダンスのようで、すごく気に入ったようだ。たぶん、来年本気でアフリカ行きをするのだろう。
朝の2時間労働を終えて、10時頃から再び寝る。約2時間の睡眠は、気持ちいがった〜。

その後、24日のFMの準備。市民活動で避けては通れない問題「市民とはなにか?」。「ナショナリズム」とのからみもあるので、福田和也+香山リカの『愛国問答』を読む。知らなかった重要なことが二、三、あきらかになって、ますます、難しい時代に入っていくことを感じる。これをどうまとめるか。
夕方、ジョグ50分。8時にはメリケンパークで娘のジャズダンスをメイと一緒に見にいく。ますますプロっぽくなっているようだ。


7月18日

4回めの眼科通い。今日の眼圧は、低くなって16。先生いわく「検査慣れしてきたかなあ」。はじめは20だったのである。後2回は計ろうね、とのこと。しかし、右目だけでは本が読みづらいのは確か。視神経は痛めつけられている。
今夜はお好み焼きをつくる。10日に一度は食べるだろうか? 我が家は、キャベツと山いも(もしくは長いも)とにんじんで(私だけで食するときは、これにチリメンジャコが加わる)下ごしらえをする。関西では邪道らしい。
今日のトッピング、肉をラムにしてみたところ、娘から不評を買った。匂いがあるらしい。私の鼻は鈍感だ。
で、昨日に続きシンクロナイズドスイミング。ロシア・サイボーグVS日仏混合振り付け師との対決。結果は、うむを言わさずロシアのねじふせ勝ち。
スポーツと芸術のあわいを彷徨うこの種目は、この先、どんな進化をとげるのだろう? たいがいじゃない練習だぜ!
おまけ。ベイスターズ、さよなら勝ち! 何年ぶり? というほど、遠い昔の話のようだ。でも、この試合見ていない。見てたら、胃が痛くなったろうなあ!


7月17日

午後、20年以上、なじみになっている北野のインド家庭料理「シャミアナ」へ。来週24日、シャミアナで、Feature Meeting(FM)の発題をするため、貸し切り予約確認。最低10人は集めないといけない。第8回目だが、最低参加者数になるのではないかな。北野は静かになっているそうな。
帰りに、『論々神戸』に寄稿いただいたので、ギャラリー島田に立ち寄ると、偶然『神戸から』の発売元だったE社の社長がいた。
当時、発売元として、ある程度期待した営業をしてくれなかったので、なんという出版社か、と腹立たしく思っていたのは事実。これも地元神戸被災地の出版社だから、ということだけでは、呼びかけに乗らないほうがいい、という教訓だった。
はじめに創刊ゼロ号の発売元になってくれた大阪の出版社S社にしておけばよかったのである。なにせ、営業は私のいた出版社の元同僚Tくんだったから、協力的なのはあたりまえだ。
その彼も、震災2年めに脳腫瘍で急死した。まだ、45歳にもなっていない突然の病死だった。ストレスとしか考えようがなかった。

夜、私製おめんうどん、もどき、をつくる。知らない人は、ほんものの「おめんうどん」を銀閣寺近くの店でためしてみてください。美味しい具がいっぱいのつけ麺であります。
食べながら、水泳の世界選手権、シンクロナイズドスイミングのソロを見ていた。独占放映権を得たTBSの番組の作り方は、もうバラエティと一緒。音を消して見ていたい番組の一つである。


7月16日

14日。涼しい朝。今年はまだ暑くならない。寝苦しい夜は一、二回で済んでいて、ありがたい。
ついに『論々神戸』の創刊号を出す日がやってきた。震災に関わり続けている気鋭のHくんのエッセーでいく。なんでも読者は50人からのスタートだそうだ。反響? 期待はしていない。
夜、HTAの常任理事会。淡路島大会の相談なので、2時間程度では消化しきれない。16日の神戸新聞事業社との打ち合わせで、未決事項を埋めていく。

15日。この日も涼しい。いい感じだ。
午後、第61回国民体育大会の第1回実行委員会。末松会長の代理で出席。式典プロデューサーに映画監督の大森一樹が決定していた。知らなかったので、終わったら声をかけようと思ったが、記者会見のため途中退席したので、できず。
実行委員会は儀式である。終わったら、脱兎の如く女学院に向かう。

前期最後の授業でテーマは天皇制。三島由紀夫作品に心酔する院生Kさんの発表は、文化としての天皇制が続くとしていたが、これまでまともに考えることなんて、今の若者たちはしていないんだということをあらためて痛感。
内田教授は、「もしこれからの日本に天皇制なかりしば、この国は、混乱し、溶解していくのでは」と。
まさに、統合の象徴を持たないわがニッポン国は、空として、無としての天皇制をもつことで、かろうじて箍があるのだとしたら、実に寂しい話でもある。

1970年11月25日、三島は自衛隊市ヶ谷駐屯地にて、割腹自殺。このとき、私はすでに学園闘争挫折後の空虚感漂うキャンパスで、友人たちと話あっていたが、結局は「わからない」というもやもや感をひきずることになる。リアルタイムで内田教授は東京にてアルバイト先で知り、やはり友人たちと討論したという。そのとき、いつもは理路整然と現象を分析してみせる東大の優秀な理論家どもも、やはり「わからない」。つまりは、「謎」だ、
そこで先生のひとこと。三島は「天皇制を、てめえら、マジで考えてみな!」という「謎」を残していったのではないか、と。希代の思想家は、そのような謎を残して死んでいく。

いま、芸能人をみる感覚で天皇家を見る庶民が多く、天皇制を支持する国民が80%を超え、イデオロギーとしての天皇制がもはや言説として通用しない現実が重くのしかかる。
そして、戦前の「国体護持」に郷愁を持ち続ける政治家が、クリーンで明朗で親しみのある元首としての役割を天皇におしつけ、みずからはダーティな部分を引受けるなんぞ、見苦しいことこのうえない。

象徴、無私、神秘、宗教性、芸能、儀式、貴種など、どの言葉をとってみても、わが国固有の文化にいきついていくのが天皇制、だとすれば、単純に「天皇制反対」で、天皇制が無化するわけはない。
もし、敗戦後、アメリカが、占領軍司令官マッカーサーが、天皇制を解体したとするなら、いかなることがこの国に起こっていたか、私の想像力では、そのおぞましさに耐えることは、不可能なようだ。


全ての古墳や陵墓を発掘すれば、天皇がいかなる民であるかは分かるが、純粋日本人などいるはずもなく、すでに出自からして混血であるからして、「万世一系」など茶番であることは、みなうすうす知っているはずで、美濃部逹吉の天皇機関説が、しごくまっとうに思えてくる、前期最後の授業であった。

で、終わった後は、愉しい懇親会。西宮北口の居酒屋で、そして三宮のワインバーで、先生、院生・学部生・聴講生いりまじってのおしゃべりで、帰宅は午前2時とあいなったのである。

で、16日。眠い。やはり涼しい。ついに異常気象だというニュース。毎年、言ってるよな。でも、地球だって変になるよ。
今日は日米ダブルで、オールスターの日。もちろん、観られない。

全然関係ないけど、ラジオから流れてきた演歌というのか、ちょいとハスキーボイスの女性歌手の歌が気になったので、誰なのかと思っていたら、チェウニという韓国人らしい。声がよくて、伸びがあって、注目。この手のアルト声に私は弱い。いってみれば、NHKのおばさんアナウンサーの声に弱いのだ。
トーキョートワイライトっていう歌だったが、カタカナしか似合わない都市というのも好きになれないねえ。

夜は淡路島大会の運営会議で神戸新聞事業社へ。おおよそ運営のめどはついたのだが、この不況下、31日の参加締め切りまで、どのぐらい参加希望者が増えるか、楽しみである。

ビデオで黒澤明監督の『赤ひげ』(1965)後半を見る。原作は山本周五郎。40代になるまで、あえて通り過ぎていた作家である。
画面では沈黙が大切にされていて、あらためて、いい映画だと思う。この50年、私たちが失ったものは大きく、若い頃、失うものなどなにもない、なんて意気がっていたのは、いったいなんだったのだろうか?


7月13日

11日。「神戸からの手紙」執筆候補者リスト、遅ればせながらMくんに送付。毛色の変わった人々を中心に選んだが、さて、どの程度残るだろうか。

12日。曇天。朝、いつもの2時間労働を終えて、JTUちびっ子トライアスロン教室のため、奈良のドリームランドへ。高速だと1時間で着くようになった。近畿ブロックでの開催なので、JTU指導者養成委員やスポンサーの杏林製薬の人などとともに見守っていた。小学生中学生など30名の申し込み。楽しそうにコーチのインストラクションにしたがって、スイム・バイク・ランをこなした。いつものように、保護者の方々には、食事の大切さと、基礎体力がいかに大事かという話を最後に少しお話して解散。昼食を簡単にすませて、神戸へ。ところが、猛烈な睡魔に襲われる。なんとか、がんばってたどり着いた。

この後、女学院で佐藤学先生の講演「新しい教養のありかた」があるので、遅れてもでかけるつもりだったのだが、ベッドへ直行。目が覚めたら6時であった。やはり、毎日5時半起きの影響か。
メイの散歩で北公園へ。みなと異人館で結婚披露が行われている。新郎新婦ともモーターバイクのツーリング仲間のようで、お友達のバイクが30台ほど勢ぞろい。メイに近寄ってきて、カメラで撮影。曇り空だけど、みなと神戸らしい背景で、絵になるポイントだ。

13日。昨日に続き、6時に出発。今日は同じドリームランドで「アクアスロン」大会。奈良県協会と大阪府協会の共催で、120余名の参加。流水プール(1周500m)を使っての大会で、開園時間の10時までほぼ競技を終えるスケジュール。子どもたちのレースのピストルを鳴らして、しばらく観戦した後、10時前には後にして、三宮の市民福祉センターへ。

脳腫瘍の手術の後、左半身不随だったクラブのKくんは、懸命のリハビリにつとめ、いよいよ障害者スポーツ水泳大会へのチャレンジの日が来たのである。知的障害、身体障害、それぞれのクラスにわかれて、競技を行うのだが、応援者も多く、すごい人出だった。
種目は25mのバタフライと50mの自由形。いずれも片手での泳ぎだ。とくに、バタフライは、肩のローリングがおこると泳法違反にとられやすいので、心配であったが、実にきれいなフォームでなめらかに泳ぎきって金メダル。以前の彼の泳ぎよりも上手なことに、応援仲間は感心することしきり。
クラスは参加者1名だったのだが、脳腫瘍とか脳挫傷とかの後遺症は、息を止める恐怖感を伴うので、なかなか水になれないらしく、出場者が少ないのだそうである。
さすがトライアスリート、リハビリも非常に早かったし、こらからもさらに、近畿大会、さらにはパラリンピックまでと、彼のチャレンジは続いていくだろう。細君もウルトラマラソンに出場しているが、二人して第2
の人生を共に過ごす姿には、あらためて拍手を送りたい。

さて、今度は夏の芸塾の第一弾のため、六甲アイランドの神戸アートカレッジへ。彫刻の水島石根先生と画家の元永定正先生の講演である。心配されていた通りの入りだったが、いまさら嘆いてもしょうがない。
木訥な自然児で、彫ったり刻んだりするのが大好きだという水島先生、「へんなもん作ろうやないか」という具体美術で名をはせた元永先生の話は、学生たちに少なからぬ衝撃を与えたのではないかと思うが、どうだろうか。

終了後、学生たちと一緒に、元永先生の大好きなカラオケへ。現代美術と演歌、先生のなかでは見事に共存するらしい。ご機嫌で歌って帰られた。
それにしても、吉原製油という大企業の経営者であり、二紀会の大御所が、海のものともやまのものともわからない「具体美術」を支えたのである。
お二人とも、ピュアであるからこそ、まわりのこころが動いていく、のではなかろうか。

いや、盛り沢山な一日であった。


7月9日

8日。朝、とあるオーディオ部品の商品紹介コピーをリライトする。ベンチャービジネスの一種。受注生産のみで30万円もする手作り製品なのだが、高額商品だからこそ、売れるかもしれない。
午後、女学院。暑い。汗を乾かすため、空き教室で作業。今日のテーマは『国民国家』。近代になってからの比較的新しい概念だが、やはりナポレオンとフランス革命が契機。ということは、200有余年で耐用期限が切れてしまいそうなところにきているのだが、いやいやしぶとく生き残っていくのかもしれない。愛国心とのからみがあるから、いろいろごちゃごちゃはあるが、EUのように普遍的な基本線でまとまって、○○系ニッポンジンが増えていくのは明白だし、東アジアのなかでは、日韓の基軸ができていくようにも思われるので、希望は捨てないでおきたい。
夜、ラジオ関西社長をめでたく退任されたYさんと、明石市長選に出馬するため神戸新聞社をめでたく退社されたMさんの慰労会。主催はCivic Action Syngicate、というマフィアっぽい、なんともたいそうな名だが、なんのことはない、市民活動を推進するグループの一つ。論々神戸の論陣をになう、22名もの多士済々が集まって、食べて飲んだ。日本酒愛好家が複数いたので、地酒の銘柄をあれこれと注文して、気付いたら11時まで。あらためて、原稿依頼について念を押す。

9日。朝から花園大学講義の準備、「戦争報道」レジュメのリファインに入り、まとめる。今日が前期の最後の授業。出席率は良好だが、男子に数名、就寝する奴がいる。授業妨害ではないので、放置するが、こちらの話も大真面目だから眠たくなるのもわかる。八木主任教授にご挨拶して、非常勤講師であり、画家のTさんと一緒に、三宮のおふくろの味的割烹で、打ち上げ。おかずが美味しい。終盤、隣席の常連らしき青年と話す。彼は、ビジネスで上海やバンコクによく出かけているようで、Tさんもアジアにはよく行くので、お互い話は盛り上がった。
最近の上海は東京以上、とてもエネルギッシュで、帰国すると、日本は元気ないようにみえてしかたがない、という。目がキラキラしているというのは、希望のある国だから、ともいえるが、その一面拝金主義でもあるわけで、経済がアメリカナイズされると、固有の社会を急激に崩壊させていくことに気付いているのだろうか? 日本のようになってはいけない、と思うのだが。


7月7日

世間では七夕。
午後、子どもたちがお世話になった近くの保育園のO先生が事務所に立ち寄る。あの頃は(20年前)、できたばかりの保育園で、学校を出たばかりの新米先生(当時20歳)が多く、子どもたちと一緒によく泣いていたように記憶する。いまは3人のお子さんの立派なお母さん。しばらく休んでいて、今年から、現場に復帰されたそうだが、いまの子どもたちとその保護者との接し方で、すごいストレスを感じる、という。なにが大きな原因なのかわからないが、母親の育ち方がまちまちだったのか、その対応に時間をすごくとられてしまうらしい。
「ママちゃん(女房殿のこと)に、話を聞いてもらいたいの」と伝言していった。
ほんとに、どんな家庭で育ったのだろうか? 預かる園児のお母さんたちは25歳以下のお母さん、35歳以上のお母さんが多いそうである。なぜか、その間の年代がブランク。


7月6日

5日朝、グリーンピア三木トライアスロンフェスティバル2003のため、用意をして7時に事務所を出た。雨である。同行のMさん、Yさんとともに、9時にグリーンピア三木に到着。410名の参加者用の競技グッズを投入する作業が2時頃までつづき、その後は、当日用の参加者下調べ。
夕食前に露天風呂に入り、ゆっくりしたつもり、でも30分ぐらいだから、気分は長風呂したいのに、なっていない。夕食後、スタッフミーティング。そして、大阪府協会のU理事長からJTU主催イベントでの課題などを聞く。また、JTUとの調整に入らねばならない。中央課題と地域事情、永遠に続く問題でもある。結局、12時すぎになってしまい、またしても睡眠不足。

6日、朝5時半から始動。17回めの大会だが、今年も当日は雨が降らないジンクスは生きていた。女房殿とメイも参加。
曇天のなか、午前10時30分、キッズ(小学校3年〜6年)からスタートして、午後2時50分、大人の初心者クラス最後の組まで、順調にプログラムは進み、事故もなく、スムーズに進行した。メイは大会本部テントの芝生の辺りで、おとなしくウロウロ。私が表彰式にかかった頃、ちょいと吠えていた程度。
この大会はストレスが大きくないので、気分的にらくだ。表彰式も滞りなく終えて、帰宅は7時すぎ。風呂に入り、夕食を食べて、しばらくすると、10時頃になり、横になって本を広げるが、もう駄目。寝た。


7月3日

雨。猫の目のように天候が変わる。梅雨らしい梅雨のようだが、こころなしか例年よりも暑くないような気がする。
メルマガ『論々神戸』へのまぐまぐの認証がおりた。
夜、神戸市の2001年復興記念パートナーシップ事業への参加団体交流会がHTAとリ・フォープの二つの顔で参加。『神戸クラリネットオーケストラ』の女房殿は、塾のため欠席、M事務局長が参加。2005年、震災10周年に向けて、予算が大幅に縮小されるものの、また動き始めるようだ。
その後、市民とNGOの国際防災フォーラム第2回準備会の二次会に出席。こちらも2005年に向けて、国際NGOなども含めた広い範囲の参加団体で何をするのか、実質内容をかためていく。すでにアルコールが入っていたので、人と防災未来センターのSさん、KECのYさん相手に、しゃべりすぎた。このグループには『論々神戸』に執筆依頼している方々が多く、あらためて念押ししてお願いする。


7月2日

朝から爽やかな空気。ひんやりしてここちよい。午後、花園大学へ。担当講師のTさんから、「今年は一、二年生だけど、ちょっと落ちついてるわよ」と聞いていたので、正攻法で講義。メディア文化のことを語る前に、「いま、私が思う日本の世相」について、レジュメを作成。V.E.フランクル、養老猛司、石毛直道、池谷裕二、そして内田樹などの著書を引用してまとめたもので、学生には、90分みっちりで、かなり重いものになったと思う。一回目、さて、彼らの受け止め方はどうだろうか?

夜、サンタラニでギルガメシュの月例会。参加8名。13日、身体障害者水泳大会で、わがクラブのメンバーKくんの初挑戦を応援することに。左半身が不自由ゆえ、片手クロール、バタフライになるが、きっと金メダルを手にいれることになるだろう。


7月1日

雨の日。大学院の日。一週間がとても早く感じる。
今日のテーマは、「マスメディアと司法」。発表するKくんは、司法試験にチャレンジ中の青年。マスメディアによって、フレームアップがなされて、誤認逮捕や冤罪が生まれてしまう現況について憂える内容の報告がされた。

それに対する内田教授の知見は、鋭かった。
権力が機能することの意味は、権力が誤りを起こすシステムだからこそ、であって、もし、権力が誤謬なく、適正に機能するものであれば、むしろ、それが起こす民衆へのトラブルは、多大ものになる。独裁権力をみればわかるはず。その権力に誤りは存在しないのだから。
一方で、冤罪はなくなりそうもない。推定有罪でも無罪になるし、推定無罪でも有罪になることがあるのも事実、それもまた、許容すべき誤差というのであろうか。不本意な判決となった当事者にとっては、たまらないが、そこへいたるプロセスには、前提として何かがある。だから、客観的な証拠調べに重点がおかれるというわけだ。

また、マスメディアも第四権力といってもよく、とりわけ、映像を持つTVは、そこに陥る危険性を常に孕んでいると私は思っている。
マスメディアについては、いいたいことがいっぱいあるが、いつも思うのは、ミニにはありえないことだが、ゴーマニストが多すぎること、マスメディアの特権を知らず知らず身に付けてしまうことだ。

夜、ビデオで小津安二郎『麦秋』(1951)を観る。芸術祭参加作品。東京のアッパーミドルクラス、結婚にまつわるお嬢さんがたの会話が微笑ましい。でも、この映画に、多くの庶民が観にいったというのは、やはり遠い世界への憧れだったろうか。私は好きだけど。

2003年3月4月5月6月8月9月10月11月12月
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11月いま