混迷亭日乗 Editor's Talk

6月29日
珍しく出かけなくてもいい日曜日。ゆっくり寝たいと思っても、メイが起こしにくる。そして、朝の散歩。
さわやかな青空だ。ウォーキングに余念のない、ちょいと太り気味のおじさんをめざとく見つけて、すりよっていく。目的はたぶん「オヤツ」である。案の定、もらった経験のある人は必ず覚えているので、アタリ。そんなご近所のおじさん、おばさんに愛されているメイである。
9時半からクラブの月例練習会。バイクのボトムブラケット(クランクの据え付け部分)がゆるみ、15kmぐらいで走行不能となった。おそらく、経年疲労。続いてのランは5km、22分30秒で、ゼイゼイハーハー。もう少し走ってあげないと、からだもつらいよね。
午後は、今週から始まる花園大学「現代メディア文化」の講義レジュメづくり。昨年とは違う講義のやり方をしてみるつもり。
夜、レッスンを終えた娘をまじえて、一日遅れの女房殿誕生お祝いの夕餉。南京町の広東・福建料理『小小心縁』(shaoshao shin-en)へ。夏の芸塾を応援してくれる店でもあり、11時まで開けてくれるので、遅めの夕食にはもってこい。味・調度とも、デリカシーに富み、上品なお店なので、女性にお勧めいたします、です。
ただ、non-alcohol beerは、やはり“間に合わせ”でしかないなあ。


6月28日
朝、三宮の飯田眼科へ。緑内障、2度目の眼圧チェック。10日に一度のペースで、数回チェックしてから、治療に入る。眼圧とはそれほど変化があるようで、おおむねの数値を定めることが大切なようだ。それによって、薬も処方箋も違うということだ。
終えて、近くの古書店で山本周五郎の未読の文庫本を3冊ばかり購入。それから、今日は女房殿の誕生日なので、お祝い用のラッピングペーパーを購入し、その足で、昨日行けなかった「テキパキ」へと急ぐ。
昔の友人の最近の動向など、彼女の店が交差点になっているようで、おしゃべりしているうちに、さっぱりカットしてもらって、神戸へ戻り、3時から6時半までリ・フォープで打ち合わせ。夏の芸塾で手伝っていただく演劇集団の方たちが来ていて、宣伝広報の方法とと役割分担、受付のスタッフ構成を決める。演出・脚本もするYくんは、『シュプリッターエコー』という批評紙を出したばかりで、その宣伝もかねて、手伝ってくれるという。なかなか、ひきしまった内容で、ここにも希望の芽が見える。
午後9時に練習を終えた娘を神戸駅前まで迎えにいって、そのまま、南京町で食事を、と思っていたら、ついても連絡ができない。しばらくして、友達の急な事情で三木にいる(後で聞いたところによると、一種のパニック障害のようだ)、という携帯メール。
そこで予定変更。しばらくご無沙汰していた北野・山本通りのラーメン『天遊』へ。ラーメン通の息子も好きな店だ。
この店は、いつから来はじめたろうか。小学生の頃から子どもたちを非常に可愛がっていただいた。息子は「おにいちゃん」というのに、娘には「お嬢」とおじちゃん、おばちゃん(もういくつになるだろうな?)が、なんだかずいぶんふけたように思った。
それもそのはず、実は2ヶ月ばかり、おじちゃんが肺炎にかかって店を閉めていたという。ちょうど再開したところだった。スープの味調整にてこずったらしい。こってり、肥後もっこす味のラーメンとぎょうざで、今夜は一丁あがり。
帰ってきてから、娘は、急な事情とはいえ、女房殿に平謝り。南京町は明日に延期。


6月27日
ラジオ関西『am神戸』にて、淡路島大会の事務処理打ち合わせ。S事務局長におまかせでよかったのだが、同じビルにある神戸新聞論説委員Aさん、社会部のIさんにも声をかけようと思って早めに出かけた。夏の芸塾、そして論々神戸、淡路島大会と、あわせて、情報を提供する。Aさん、Iさんにも執筆依頼をする。
夕方、所用で大阪のD社へ。6時をすぎて、いきつけの心斎橋の美容室「テキパキ」(友人、知人しか行かない、江戸時代の髪結い床みたいなところ。オーナーのJは30年来の茶飲み友達)に電話するも応答なし。ひょっとして、気まぐれの旅行か? 雨が激しくなる。
帰りの阪神電車で、不快に出会う。
同じ車両の後方でぐずっている女の子がいた。混んでいたので、見えないし、事情もわからない。しかし、ぐずる声は徐々にヒステリックになっていく。母親とおぼしき人の声は聞こえない。
私は、幼児の泣きながらの訴えが苦手だ。また、それを押さえられない母親、あるいは父親の対応もほとんどが不愉快だ。
それはなぜかと、女房殿とも話すが、幼児の不快には理由があり、それはきわめて生理的なもの。それに対する、あやしかたや上手なおさめかたを学んでいない、あるいは、学ぼうともしない親が目立つ。
その元への対応が間違ったまま、時が立てば、場をわきまえないガキどもが学級を我が物顔でかきまわす。電車に乗っても、レストランでも、劇場でも、公共の場所で、私的ないさかいをまき散らす。
一方で、昨今の幼児虐待という事態を聞くにつけ、いつのまにか「子を育てる」という知恵が断ちきられてしまっていることに慄然とする。
徐々に大きくなってきたので、ついに尼崎駅で下車したようだ。どうも電車に乗りたくなかったようだ。車内にほっとした空気が流れる。近くにいた高校生らが、「おれは好きやったのになあ」とぽつり。


6月25日
兵庫県生涯スポーツ連合の総会・理事会にHTAのM副会長の代理で出席。国体デモスポ行事の開催地での淡路島トライアスロン大会の宣伝をする。
帰りに花隈から高架下の古本屋をちょいとのぞく。山本一力の直木賞受賞作『あかね空』(未読)が¥200、塩野七生の『サロメの乳母の話』(文庫で既読)が¥100と、ともに上製本なのに信じられない値段。なんだか得した気分。ついでに、好物のミューズリーやジャム(苦味マーマレード)などを購入して帰宅。
ベイスターズは9回表、進境著しい田村の逆転2ランで勝ったかな、と思ったら、その裏、ストッパーであるはずのデニーが一人のアウトもとれず、同点にされ、変わった左腕森中が1球めの死球で幕切れ。またも、ぬか喜びのつらい敗戦。


6月24日
メルマガ登録をまぐまぐに申請。いよいよ発行が近づいてきた。大谷成章さんの「記憶」にまつわるエッセイで準備号を作成。HPもなんとか、かたちらしくなってきた。
大学院は二度目の「身体技法」。発表は、american footballの経験者でY新聞広告局のTさん。アメフトの経験と古
武道・武術との相関関係を論じる。となれば、ここは内田教授の独壇場。今日も、武術の鍛錬とは常に死をかかえて生きること、その耐えざる思考の持続がいまを生きさせるということをあらためて認識する。
いつ死んでもいいようにふるまうこと、これは意識してもむずかしいが、そうありたいものだ。
夜は、神戸大教員の藤野一夫氏の「ドイツの文化環境と文化政策」見聞記を聞きにいく。神戸をほんまの文化都市にする会の主催。主にハンブルグ市の文化行政とNPO、ボランティアの活躍について話されたが、お金の規模が違う。愕然たる差だ。州の10省のうち、文化関連省が3つもあるんだもの。
先進国でありながら、教育のなかでしか文化を考えないわが国、損得が大きな位置を占める国での文化芸術振興の道は、はてしなく続く。


6月23日
22日、第3回日本デュアスロン選手権若狭路大会のため、高浜町・大飯町・小浜市に出かけた。ちなみに、duathlonとは、ラン+バイク+ランで行われる競技。舞鶴道が小浜西まで開通したため、約2時間余という早さで到着。休憩の必要がない距離感となった。しかし、土曜の昼だというのに、この交通量の少なさには、あきれる。そして、中国道吉川IC〜小浜西ICの高速料は¥2800であった。
このあたりは、主に海水浴と釣りと原発の組み合わせで、町の活性化をはかっている地域。この大会も、福井テレビが中心となって、活気のあるイベントづくりを、ということで96年から始まった。その年、私は選手で出場し、敦賀出身のご近所のF夫妻も応援にかけつけてくれた、思い出のある大会である。
主催者でもある若狭湾観光連盟のH会長によれば、少子・高齢化がすすみ、なんとか青年・壮年を地元によびもどすため、なにができるか悩みの種だという。
レースは、沖縄出身で、山梨学院大で箱根駅伝10区を走った経験のある長谷 亮選手が、3連覇をねらった高橋靖夫選手(岡山)を2秒差で退けて、初優勝。女子は、危なげなく松本晴美選手(岡山)が3連覇を果たした。
一般参加者含めて440名の参加ではあったが、女子が30名というのが、やはり寂しい。相変わらず、普及は課題にのぼったままだ。
一緒に出かけたわがクラブGilgameshのKさんは女子の5位入賞。ごきげんの一日となった。


6月21日
映画『鬼が来た!(原題:鬼子来了 監督・制作・脚本:姜文(チァン・ウェン)』を朝日ホールで観る。おもしろく、哀しく、つらく、こわく、最後は狂気でthe end! 2時間を越す長尺だが、テンポがよくて、最後まで引っ張る力を持っている。旧日本軍の残虐性は理不尽きわまりないが、これは強いと自認している軍自体のもつ特質で、むしろ普遍的なものと私はとらえた。2000年カンヌ映画祭でグランプリをとったのも、うなづける。


6月20日
昨晩、久しぶりに「神戸市政を考える会」に出席。学者や文化関係者が多いこじんまりとした会だが、神戸市の財政破綻について意見をかわす。国や自治体の膨大な借金だが、生きているうちに、自身にふりかかってくると思わない限り、多くの人は切実に感じない。そうであれば、この問題を争点にしづらいのがいまの現実。ゆでがえるの状況がほんとに来るかもしれない。


6月19日
兵庫県体育協会に、少し遅れていた大会開催事業補助金申請書類を送付。
市民社会推進機構の一員、ラジオ関西(am神戸)社長のYさんが、6月末の株主総会にて退任される。そこで慰労会の案内がきた。なんだか早いような気がするが、ほんとうにご苦労さまでした。彼のような社長がもっと巷にいれば、まさに市民活動は成熟すると思うのだが、米国流利益第一主義に染まった経済人たちは、不況をいいわけにして、死ぬ思いでがんばっている、とおっしゃるだけ。
有効なお金の使い方は、持っているひとほど熟知しなければいけないのに、なかなかそうはしてくれない。


6月18日
気になっていた眼のことで、眼科医院の門をくぐる。娘がかかったことのあるお医者さんだが、感じが良かった、というので三宮へ。
実はこの3月だったか、全国紙の全15段広告で、「緑内障」(眼圧上昇による視機能低下がおこり、視界に雲がかかったような視野狭窄に陥る病気。重傷になると失明する)早期発見キャンペーンのような記事が出たことを覚えてらっしゃるだろうか? カラフルなモザイクが集積した円を観て、チェックするようなテストがあり、それで「ヘン」と思ったら、眼科医に検診してもらいましょう、というようなものだった。
そのとき、これは緑内障の気があるな、と思っていたのだが、このところ、睡眠不足のせいか、眼の疲れも感じているので、ようやく出かけたのである。
お定まりの視力検査に始まり、問診、さらには検査とすすみ、約1時間で、先生は判断をくだした。
私は、右目に疑問を持っていたのだが、先生の想像どおり、左目もすでにかかっていた。右目の視界の上部約1/3は想像どおりだっが、左目の右側約1/4までもとは思わなかった。つまり、右目にとらわれすぎていて、左目の視野狭窄には気付かなかったというわけだ。
さて、緑内障は、回復するわけではない。進行を止めるだけだが、それも薬か、手術しかない。
白髪の穏やかな物言いをなさる飯田先生は今後1ケ月の間に数回眼圧を検査して、手術するかどうか決めましょう、という。眼圧というのは、午前と午後でも異なる数値が出るらしい。
先生は、さらに、自らセカンド・オピニオンを推奨された。なぜなら、すっと、治療をしなくなる人が多いから、という。つまり、複数の先生に同じことを言われたほうが覚悟をする、というのだ。
私は、この先生は信じられると思った。いわゆるコミュニケーションが成立する先生だったからだ。次の検査は28日である。
夜、サケほぐしとタマネギのパスタ、さらには必殺“ねばねば”パスタ(納豆、長いも、ナメタケ、生卵)をつくり、ひとりで食べながら、小津監督の『彼岸花』を観た。つい、頬が緩むのがわかる。
1958年のプログラムピクチャーなのに、この“今風娯楽性”のなさは、なんだろう。当時の庶民は小津の映画にでかけるのではなく、映画館に出かけることが楽しみだったのか? 山の手中産階級はあこがれのライフスタイルだったのだろうか? ほんとうに庶民に愛された映画だったのだろうか? なんて疑問をあらためて思いつつも、私はこの世界が好きだ。
そして、温かい気持ちのまま、観終えると、そのまま、ベッドへ、ZZZ。


6月17日
大学院、授業の前に「夏の芸塾」のチラシを配布。さて、何人が観にきてくれるだろうか? 
今週のテーマは活字媒体の危機からニッポン再生の鍵をさぐる、はずだった。ところが中身は、日本文化論から始まったので、ぐっと軌道がそれていって、国民国家や、二重国籍やら、ホームレス、政治的ただしさ(politically collect)から、他者性までという、なんともつかみどころのない授業になってしまった。それでも、内田節は相変わらず冴え渡る。
舌をかみそうなアイデンティティだが、日本人であることを避けたいと思ってもしようがないし、やはり、世界に出れば、中身がどうあろうと、日本人の一人として見られるわけで、そうなりゃ、やはり名刺の一つもきちんと持っておかなきゃいかんだろう。いやな日本人、すてきな日本人、どちらもちゃんと私のなかに端座しているんだからね。
授業中、今年の春退官された、国立民族学博物館館長の石毛直道先生の近著、『サムライニッポン』のことを思い浮かべていた
でもね、エッセイ、どう書こうか戸惑ってしまうぞ。困ったなあ、Sくん。
横浜ベイスターズは、対阪神タイガース、12連敗。つらいなあ。負けてもいいから、元気出していこうね!


6月16日
14日朝、5時半起床、新幹線で蒲郡へ。ITUワールドカップ蒲郡大会に合わせ、JTUの理事会、社員総会。蒲郡商工会議所のオーバル形の立派な会議室で、まず理事会、2時間。昼休み終えて、社員総会では全国47都道府県の代表が集まる、はずが半分ぐらいか。委任状出席とは、ちと寂しい。終了後の懇親会の後、ホテルへ戻って、寝転んだ。オフィシャルの手配だが、ツインのシングルユースでこんなに広い部屋は必要ない。外国人選手たちも宿泊。
8時頃から指定の居酒屋『つぼ八』でコースの夕食。岡山、広島、高知、香川といった面々とともに久しぶりの懇親。終えた後、JTU強化委員長とJr.の面倒をよくみている強化のスタッフM氏、さらには関東ブロックのJTU理事Nさんがカウンターにいたので加わったのだが、強化委員長の訴えというか、ぐちというか、JTUの財政事情による影響が私たち以上に厳しいものであることを実感。
ますます、国家としてスポーツを支えることの重要性への認識をあらたにする。これがGNP世界第2位の国のスポーツ財政事情かよ! と腹立たしくなる。くちさきばかりの支援だから、オリンピック代表選手であっても、その後の生活はなんら保証されるはずもない。企業が元気な頃は企業まかせ、企業に力がなくなってきたときは、そのまま放りっぱなし。常人ではなしえない域にまで高めたパフォーマンスへの讃辞が口先ばかりでは、選手としてもはりあいがないというものだ。
ハングリー精神だ、一人で強い国々を転戦だ、なんて人は簡単にいうけれど、一応の先進国で、一流のプロでありながら飯が食えない、というのはどう考えてもおかしい。予算の配分が間違っている、となれば政治の問題だ。
軽いカクテルを大の大人がちびちびやりながらの、寂しい話となってしまった。

15日、朝6時には勝手に目が覚める。ゆっくり寝ていたいのに駄目だ。起きた以上は、さっと着替えて、ジョグに出かけた。昨年できたという大型複合レジャー施設、蒲郡ラグーナまで行こうとしたが、意外に遠そうだったので、途中で引き返す。静かな三河三谷あたりのジョグとなった。みかけた選手に声をかけても怪訝だったのは中国の女子選手。昨年あたりか ら中国の選手はスイム出身の選手を育成する方針に変えたらしい。本気を出すと強くなるのは目に見えている。北京までにアジアのトップはもとろんのこと、メダルをねらうためになりふりかまわぬ補強をしてくることは間違いない。
会場の蒲郡競艇場では、一般のレースにはじまり、ちびっ子ジュニアの競技が行われ、12時から女子エリート、14時半から男子のエリートと行われた。
大会の推移を見てこられた高円宮殿下が、昨年突然にお亡くなりになり、今年は久子妃殿下お一人のご来臨となった。
今日の仕事の一つはお出迎えとお見送り。並んで深々とおじぎをする。貴賓室で、JTU猪谷会長から、ご紹介にあずかり、宮様が参加された『1000人のチェロコンサート』のことを申し上げた。主催者Mくんは高校の同級生でもあり、近所に住んでいる串揚店のオーナーだ。
レースでは、昨日の暗い話をぶっとばすような成績を日本人選手は残した。女子の関根朋子(NTT東日本、西日本)が3位銅メダル、男子の平野司(関西大学、わが後輩)が6位に入る大健闘。平野はスイム、バイクとずっとレースをつくり、ランの2周(約7km)までは2位をキープ、ひょっとすると表彰台にのぼるかという期待をいだかせてくれた。まだ弱冠20歳だが、WCでは2戦続いて、日本人トップとなった。
昨日はクライ話だっただけに、関係者としては一転して晴れやかな一日となった。帰途は近畿ブロックから参加の審判員のクルマに同乗させてもらう。帰宅はほぼ12時となった。


6月13日
T社にて、『神戸からの手紙』の編集会議、のようなもの。阪神打出駅まで、ずいぶんかかる。事務所から1時間、芦屋は遠い。
創刊号は11月頃の発刊予定。内容はKOBEへのオマージュになるんだろうなあ。おじさんたちでベーカリーレストランでの夕食、しかもアルコール抜きでは、なかなかリズムにのれない。ちょいと疲れて帰宅。


6月11日
同じ会館で、告別式。会食を経て、父の菩提寺となった湊川の真福寺で初七日を終えて、それぞれ、帰途についた。福岡からは長姉がきていて、一年ぶりに会った。昨年のいまごろは、某大企業の役員である義兄にしごとのことで相談していたのだった。いろんな意味でお世話になっている。
父の命日に、近しい親族が集まることを楽しみにしているらしい。妹に相談しよう。
14年前の父の葬儀のことを思い起こす。
底冷えのする2月、多くの参列者にきていただいた。神戸に血縁・地縁がないために、葬儀・菩提寺・墓と、すべて神戸JC(青年会議所)の知己に頼った。父の墓は、西神墓苑のなか、公職最後の地、淡路島がのぞめる場所にある。
父は結局、故郷の福島には帰らなかったのだが、はたしてそれでよかったのだろうか?
帰りのクルマのなかで、女房殿が「私の葬儀は性海寺でしてね」と言った。西区の押部谷にある同じく真言宗の由緒ある寺で、住職ご夫妻とは家族ぐるみのおつきあいをさせていただいている。
が、私はそうはいかない。やはり義理を重んじるので、真福寺でしてもらいたい。でも、これって、これからも神戸にいると思ってのことか?


6月10日
女学院、今日は『家族』がテーマ、薬品会社の役員だったKさんの家族の肖像にもとづいた発表だった。対極として、いかにも現代風な惨澹たる家族を描く村上龍の『最後の家族』をあげていたが、いい家族とはなんなのか? という根底的な問いがなかった。
教授は、家族のもたらす害毒があるからこそ、個人を不幸にしないためにはどいうすればいいのか、という逆転の発想が必要と説く。
・家族は、人間が成熟するための修行の場である。
・家族の食卓とは、ごはんがおいしく食べられるように気遣いする場である。
・個人の領域に踏み込んで、統合させる家族はよくない。
・家族という他人と一緒に暮らす不愉快さを克服できれば、他の社会においても、要求されるコミュニケーションの質を高く維持できるであろう。
 などなど。
 質疑については、お通夜のためにパス。クルマをとばして、兵庫駅の葬儀会館へ。義兄の故郷は岡山県の山間、智頭地方である。親族中心のこじんまりとしたお通夜となった。
性格のいい甥に新しい恋人ができたこと、姉の家に「ひなちゃん」というミニチュアダックスがやってきたことなど、また新たな輪廻転生が始まっている。

6月9日
長期病気療養中だった、次姉の義父が亡くなった。90歳の往生である。不謹慎かもしれないが、自宅で介護していた姉の負担も、これで軽くなる。


6月8日
好天に恵まれる。午前中に学生の予選会。幼い頃から知っている友人の娘さんが同志社の応援に来ていた。今年の選手名簿に載っていないので、不思議に思っていたら、今年一年、交換学生として早稲田に籍を置いているという。また一段と大人っぽく、まぶしいくらいになっていた。

午後は一般の部。いよいよ3年ぶりのレースが始める。といっても大したものではなく、たったの5kmのランだけなのだが、周囲のスタッフにひやかされながらの出場だ。和歌山県連合のスイム、バイクが快調で、思ったよりも早くバトンタッチ。MCの応援に送られて気持ち良くスタート。
今日のウエアは、99年の佐渡大会以来のシングレットとスイムパンツという、いかにもトライアスロンらしいもの。しかし、下腹部の脂肪は覆い隠せず、決して美しいものではない。走り出しはなかなかで、前をいく女性を1kmあたりでパスしたが、夢咲大橋の登りにかかると、もういけない。息があがって、力強さがなくなり、みるみるうちにスピードが落ちる。頂上を越えて下った先で折り返すと、50mほど後ろにWorld Olympian Associationアジアオセアニア事務所のベレシュ所長(88年ソウル五輪の近代五種選手)が走っている。もう一度登って下って、先の折り返したら、確実につまっている。これはヤバイ、追いつかれそうだ。どうみてもベレシュさんは、はやそうな体形じゃないのに、どうして? 
つまりは、いかに私の走力が落ちているかがわかったということだ。つかまらないようにと思っても、からだがいうことを聞いてくれない。また、朝からの暑さで、水分補給が多すぎたのか、おなかが張っているようで、不快感が出始めた。残り1.3kmあたりのAid Stationで、スタッフから声援を受けるが、余裕はない。
とうとう残り1kmをきったところでつかまった。彼も私だとわかっているので、一気に抜きはしない。しばらく並走したが、私に合わせているようだったので、go ahead! というが、一緒にいこうよ!、とスピードをあげない。結局、フィニッシュロードで手をつないで気持ち良くフィニッシュした。
フィニッシュの後の疲れと開放感がないまぜになった、だらんとした感覚が実に気持ちいい。チームの2人もうれしそうだ。久しぶりに味わって、やっぱり選手のほうがいいなあ、とつくづく思う。スタートのときにStop Watchを押し忘れ、記録はさだかではない。やっぱり、レースから遠ざかると、間抜けなことがおきてしまう。
リレーには9チームが参加、わがチームは3位だった。本来なら入賞だが、役員が表彰されてもシャレにならないので、あくまで参考タイムということを大阪協会に進言、めでたく一般参加の6チームに表彰が行われた。
はじめは「ご冗談でしょ、心臓発作でもおこったらどうすんの」と大阪協会の申し出を断ったのだが、50歳以上の役員チームがよたよた走るのもご愛嬌(?)だと思っていただけるなら、来年も続けてみたい。
夜、近所のTさん母子(女房殿、息子ともに親友)と一緒に夕食。


6月7日
バイクの調整に手間取り、8時45分には出発するつもりだったが、9時になってしまい、10時までに女学院につけなかった。1時間を切るのは難しかった。5分遅刻。女学院にしてはすり鉢形の大きな教室で、200名ぐらい。中身は内田教授の独演会。講演は、最新のニュース、出生率最悪と発表された少子化社会、有事法制法案の国会通過の2つの話題を切り口に、これからの日本社会の姿について、アドリブ的にとうとうと語る。
『有事』についての教授の持論は、目には目を歯には歯をという『同罪刑法』的イデオロギーでは片付くものも片付かない、また『無時間』という軸では、責任を問うてもなにも解決しない、という独創的なもので、従来の護憲、改憲派の人々には、ついていけないのではないかな。
くやしいけれど、米国の手のひらのなかでしか動けない日本だという認識を忘れてはいけない。北朝鮮だってそうである。本気で対抗しようとすれば、今回のイラクになってしまうのだ。
ところで、1928年の『不戦条項』ってしってますか? そこに日本国憲法の第9条の原型があることは、国際法、外交の専門家はみんな知っていることだという。だとしたら、第9条はなにもおしつけではなく、あたりまえのことを書いてあるだけだ。むしろ誇りに思えばよい。
院生、聴講生も多数参加。カフェ『nekura
』の場所がわかる。帰りは55分、43号線経由の方が早かった。
シャワー後、冷麺をさっとつくって、舞洲トライアスロン大会へ。環状線の人身事故のせいで、電車は遅れ気味。桜島駅からバスで、大会受付会場のロッジ舞洲へ。近畿ブロックからの応援審判のほか、神奈川、岡山からも2種上級審判員もかけつけている。日本学生トライアスロン選手権の近畿ブロック予選会でもあるので、昨年の和歌山美山大会の熱中症続出の二の舞いは避けようと、救護には神経を使う。夕食後、他府県からの応援メンバーと懇談宴会。あっというまに12時近くになってしまう。競技主管の大阪府協会の連中は5時30分起床だ。私は7時まで眠らせてもらった。


6月6日
昼、『るるぶ』の新規新規取材で神戸にきたMくんととpia jukienで、いろいろ相談。神戸のなにを訴えるのか、神戸の見せ方、語り方、手あかのついていない言葉で語ること、それができるように。
夜、松方ホールホワイエで、浪速の唄う巨人、趙博(チョウ・パキ)=シンガー。在日で、河合塾の英語講師も兼ねる、文字どおり100kgを越す巨漢=の「唄うキネマ『マルコムX』」を鑑賞。休みなしで1時間45分、映画を講談のように語り、唄うパフォーマンスには迫力と凄みがある。黒人差別と戦い続けて、テロに倒れたブラックムスリムの指導者マルコムXが、いま鮮やかに甦った。終了後、主催者のNさんらとJR神戸駅前の『源よし』で打ち上げに参加。長田のFMわぃわぃの女性スタッフ、ラジオ関西の新人報道社員、神戸新聞社会部記者なども参加、まさしく、わいわいと11時半まで。


6月5日
夏の芸塾、チラシの原稿を送付。ついでに神戸新聞文化事業部に後援の依頼。次長としばし、神戸の文化状況を話す。スケールメリットのない文化芸術イベントなので、集客の難しさがつきまとうのは宿命みたいなもの。夕方からリフォープで、打ち合わせ。協賛獲得の話に及ぶと、妙案がないのでで、しばし、静寂。ノルマじゃないけど、がんばろう! とつぶやくのみ。


6月4日
『神戸から』創刊準備号をはじめ、創刊号や2号など、初期の在庫をお願いしていた発行元のK社を訪ねると、準備号がないとのこと。そこで、準備号だけ発売元になってもらった大阪の出版社、青心社に問い合わせると、これまたサンプル1部だけしか残っていないという。こりゃ、幻の準備号になりそうだ。昔のスタッフ(いまはもう、みな神戸にはいない)しか持っていないだろうな。なんともはや、である。私がワルイ、ククク!
市民社会推進機構(CAS)のFeature Meeting、次回は私なので、事務局のYさんに、7月24日、「『神戸から」から、『論々神戸』」という題にて、問題提起する。場所は、長年のなじみの店『シャミアナ』、北野のインド料理店である。貸し切りにするので10人以上、集めてやらないと気の毒なので、メンバー以外にも声をかけてみるつもり。
夜、サンタラニで、TCギルガメシュ例会。参加7名。6月の練習会は29日。オーナーが今度はじめたおにぎりショップのおにぎり2つを買って帰る。300円なり。


6月3日
大学院、今週は「強制的異性愛体制」について、現役美容室経営者Mさんの発表。同性愛、性同一障害、性的倒錯、bi-sexual、少年愛など、あっというまの90分。なかでも、『meets regional』編集長Kさんの提起がユニーク。バブリーな頃、北新地で遊んでいた頃の話と断って、「なんで大阪弁のおかまっていやへんねん? おかしいんちゃうん?」で、ひとしきり推論がとびかったのだが、「おかま」になるという文脈(エクリチュール)のなかでの言語習得によって、晴れて「おかま」共同体の一員になれるのでは、と思うにいたった。
だいたい性をめぐる言説に、「これが正しい」というものはないだろうし、「清く正しく美しく」とは、幻想のなかでの了解事項であると認識しているからこそ、最大公約数によって是認されるのだろうし、ときたまそうではない御仁があらわれて、放逐されるのも、ごく自然なことなのだと思われる。


6月2日
夏の芸塾、ジャズピアニスト佐藤允彦、詩人白石かずこのパフォーマンスの開催場所、ジーベックホール担当者Mさんとの打ち合わせ。7月19日、8月2日の当日スケジュールが決定。
公演チラシとプレスリリースの原稿を4日にあげることになった。


6月1日
朝7時30分までぐっすり眠っていた。目覚ましなしで、久しぶりのこと。
予定のなかった日なので、午後、神戸・湊川神社へ。内田教授の謡と舞を観にいった。最初、行くつもりだった女房殿は、塾のレッスンを入れて不参加。
謡が終わった後、先生、しびれをきらしていて、退場するときにスッテンコロリン。立ち上がるときから、やばいなあ、と思っていたのであるが…。慣れているはずなのに。ドジな先生!
舞囃子は『船弁慶』、大太刀使って気持ちよさそうに舞っていた。最後に舞われた下川先生の『天鼓』は、さすが。でも、衣装が観たかったなあ。
その後は、来ていた院生、聴講生、卒業生と一緒に軽く一献。現役院生の普段の生活が伺い知れておもしろい。なんでも彼女たちの研究室は別名『カフェ NEKURA』(スペルについてはさだかではない)というそうだ。
些細なことだが、ドクターSはお姉さん座りがラクだという。そういえば、私もあぐらは得意じゃない、腰が疲れるような気がする。耐えられる時間は少ないが正座の方が座ったな、という感じなのである。


2003/3月4月5月7月8月9月10月11月12月
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