混迷亭日乗 Editor's Talk


5月31日
神戸高校卒業35周年記念同窓会第2回目の会合。2次会に、パンフレットを制作した三宮・東遊園地のフレンチレストラン『maree』で行うことになった。
夕方、約8kmのジョグ。台風4号崩れの温帯低気圧のせいで、雨のなかとなった。
ビデオの『sabu』(山本周五郎の名作)を観る。小説のほうが哀切だったのはなぜだろう。俳優がいまふうで、かっこよすぎるのかな?


5月30日
大阪・心斎橋のMデザイン事務所に写真を届けた後、友人の経営するCDショップ『The Melody』で一服。来月、仕入れもかねて、ハワイ島コナでのハーフマラソンに参加する。ホントは3月のマウイマラソンの予定だったのだが、イラク戦争の余波で、出発を中止した。そういえば、私も最後のコナ(1993)から10年が経つんだな。
その足で、大阪城ホール会議室での2003年度第1回のJTU近畿ブロック協議会へ。新メンバーも加わり、不況下のスポーツ隆盛への道をさぐる。30歳代のメンバーに優秀な人材が出てきてうれしい。
6月8日の大阪舞洲(まいしま)スポーツアイランドトライアスロン大会のリレー部門で近畿ブロック役員チームが出場になった。ラン5kmを走ることに。会長だから断るわけにはいかない。99年の猪苗代、会津での大会以来のことになる。


5月29日
某大手建設会社企画開発担当者が、ある地域の「50mプール」が完成すれば「トライアスロン協会として、どのような使い方をされるか?」というヒアリングのため来訪。2時間ばかりの話をしたが、入札競争のため、実現するかどうかは不明。
夜、黒澤明の1952年作品『生きる』をビデオで観る。日本の小賢しい官僚社会を皮肉る鋭い映画を撮ってるのだから、あらためて脱帽。戦後7年目にこれほどの作品をつくるとは。
明治以降、都市でのモダニズムはサラリーマン階層に、思いのほか強く浸透していたのだと実感。官僚制も戦争をはさんだところで、ずっと続いているシステムと思わざるをえない。
死にものぐるいの人間がいて、はじめて、少しの仕事ができるというのは、情けないかぎり、であった。


5月28日
女房殿が紛失したと思われるCDの作成依頼のため銀行へ。ポートアイランドに、もはや銀行の店は存在しない。採算がとれない店舗は撤退あるのみ。ところが印鑑を忘れて、戻ってパーキングしようとしたら、コインが途中でつまったようで、管理会社に電話。どんくさいことは続くもの。
たまっていた協会関連の報告書類を処理するが、次から次へとルーティンワークが湧いてくる。もうあさっては近畿ブロックの協議会だ。
海外でも地震が続く。NGO恊働センターから連絡があり、雑誌『神戸から』に掲載されたアルジェリアテントの記事についての問い合わせ。
創刊準備号が手もとにないので、発行人だったOさんの会社に連絡。少し用意してもらうよう依頼した。アルジェリアでおこった地震の救援のためにNGOが動いているので、震災のきお世話になったアルジェリアテントの詳細についての情報を確認するためだ。
夜、pia julienへ。今日のゲストはソプラノの飯森祐子、バリトンの小村亮三。ピアノは、息子がお世話になっている、いつもの藤渓さん。彼女は僧侶の資格ももっていて、大阪のおきゃんなお姉さんという感じ。さすがに満席になった。小さなところのほうが気持ち良く歌えるようだ。『私のお父さん』はいつ聞いてもいい。
9時頃、リフォープのM代表が到着、「夏の芸塾」の進行打ち合わせ。いよいよキックオフが近づく。


5月27日
今日の発表は、浜松から来られている中学の先生、Sさん。教育の現場から。
いまの教育問題を語るときに、おさえておかやなきゃいけない要点をわずかA4シート2枚におさめられた。おみごと!
学習指導要領は10年に一度変えているという。社会の変化に応じてということだが、ついていけるわけがないのに、どうして追いかけるのだろうか? 準備も入れるとすごい期間だ。
時代遅れと言われないために、文部科学省も必死なんだろうが、いいことがしようとしすぎて、あっちこっちに気をつかいすぎて、いったい私は誰? 状況につかっているみたいだ。
教師に威厳を取り戻せ、というのは無理な注文か? 
夜、昔の出版仲間 Mくんの勤務する会社で、『神戸からの手紙』(70年代後半に神戸新聞出版センターが発行していた、一応ファッション誌)という名の雑誌を復刊させたいという要望のブレストに参加。なんでもNPO法人組織で発行するという。元気の出る神戸発の雑誌、今年中の発刊をめざす。
アドバイザーみたいな役割でMくんをサポートすることになりそうだ。


5月26日
昼食のため家に戻って、なにげなくTVをつけると、「永山則夫」のドラマが映っていた。冷麺をつくりながら、聞いていると大竹しのぶが、永山の母を演じている。気になって食べながら見ていると、大竹の演技力で、もう駄目だ。ぼろぼろと涙がこぼれていく。
貧しさにおりあいのつかなった夫のDVに耐え、母は実直に生きたにもかかわらず、結果として殺人者になっていく則夫を救えなかった。母に責任はないが、母ゆえに「なして?」と自分を責めていく。
青森の極貧による「いじめ」「不登校」は、当時の日本のどこにもあったともいえるが、東北だからなお、厳しかったともいえる。一方で、高度成長時代のまっtだなかで、中卒は「金の卵」ともてはやされ、首都の中小工場に就職していった時代のことである。
ご存じでない方のために言っておくと、永山は今から33年前、ゆきずりの4人のいのちを、捕まるわけにいかないとの短慮から短銃で理不尽にも奪い、連続射殺魔として、当時の世間を震撼させた男である。私と同じ学年だ。
逮捕後、極貧と無知というキーワードで、みずからがなぜ犯罪をおこしたのかを、獄中で大学ノートに書きつづり、のちに多くの著作を残し(印税は被害者の遺族に渡る)、新日本文学賞を受賞、日本ペンクラブの会員にも推挙され、ペンクラブが「いかに優れた表現者であろうとも殺人者を会員にするわけにいかない」との決断に抗議して、中上健次氏ら日本を代表する作家たちが退会する騒ぎにもなった、という経緯がある。
逮捕後、則夫の母は、魚の行商を続けていたが、95年に脳溢血で死去。8人の子どもたちは、いずれも不幸な道をたどっていったという。
則夫は97年に死刑が執行された。
一方、殺害された4人は、いずれも則夫に出会ったがために「問答無用」状態の死。彼等は則夫にとって固有名詞をもつ人間ではなく、世間の目の代表者としてみなされ、則夫の歪んだ憤怒の目標になってしまっただけである。とりわけ、2人のタクシー運転手、奪われた売上金はいずれも一万円に満たないものだった。理不尽のきわみである。
理由が社会にあり、人間にあるという、まだ、とりまく世界はわかりやすかった時代の痛ましい事件であった。
午後6時24分。岩手中心に大きな地震が起こった。気付いたの7時前のNHKTV。しばらく、情報が少なかったので、ひょっとして激震地があるのでは? と心配するが、ほどなく震度6弱とのこと、阪神淡路のようにはならないと、ちょっと安心。これって、不謹慎? 福島も震度4程度なので、連絡するまでには至らず。


5月25日
24日朝早くM常任理事のクルマで神戸を出発、氷上郡青垣町へ。トライアスロン大会の運営準備だ。選手関係のグッズの点検と表彰対象商品の仕分けに午前中を費やした。午後から受付を開始するが、今年の前日受付はパラパラという程度。泳げばよかったなあ。午後5時から7時まで主要スタッフミーティング。終了後は地元のO常任理事邸での愉しい食事と宴会。O邸は、トライアスロンの合宿もできるようにと、Oさんがdo it yourselfとばかりに、何年もかけて、ほとんど自分で建てた家だ。行くたびに、どこがが変化している。今年は、山小屋風屋根裏部屋が完成。その雰囲気は常任の紅一点、Yさんが独占した。
5時半起床で大会の準備。今年も約120名の参加。キッズジュニアが減った分、学生と一般が増えた。9時の開会式には、アナウンサーを今回予算の関係でカットしたので、女房殿に急遽お願いということに。メイも連れてきたので、本部あたりの芝生でごろごろ。朝から午後2時頃まで、外で皆にかわいがられて気持ち良かったことだろう。
例年通り細かな運営ミスがあったものの、おおむねいい感じでレースは進行。オリンピアンであるチームテイケイの小原工、西内洋行選手、さらにはアテネオリンピックの日本代表をねらう田山寛毅選手も応援に来てくれた。今年も事故はなく無事に終了。これからは赤字の事後処理と地元との合同反省会に入る予定。
帰宅後、夕食は青垣町で仕入れた但馬肉での焼肉。実にジューシーであった。都会では100g¥1000円はするでしょう、と女房殿。午後10時にはもう睡魔がおそってきて、ZZZ。


5月23日
今年も私の好きな劇団クセック(名古屋)の関西公演が見られるというので、会場の関西外大へ。枚方市からバスで5駅ほど。雑然とした住宅街にこつぜんと鉄塀に囲まれたスペイン風というか南欧風の新しい校舎が現れる。娘の通う箕面の山裾、大阪外大のグレー色とは大違い。広い中庭を赤煉瓦色の校舎がとりまいき、黒髪の少ない女学生がたむろしている様に、思わず「ここはお金持ちの大学か!」。
今回は、なんでも日本演劇学会の前夜イベントという位置づけがあるらしく、全国から関係者が集まっている。
クセックが扱う演目には、スペインの戯曲家ロルカの作品が多く、その翻訳・シナリオに外大の田尻陽一教授が担当していることもあって、外大での公演となったようだ。
会場の谷本(?)記念講堂がまた立派。座席前スペースのゆとりは十分、椅子にはテーブルまで付いており、2000人ぐらいの収容ができるのではないか。スゴイのひとことにつきるが、クセックにとっては広すぎるように思う。
今回はセレスティーナといって、ロミオとジュリエットの原型ともいうべき、悲恋と業の物語。いつもの作品よりは、学生諸君もわかりやすかったのではないか。が、その分、カタルシスが足りなかったようにも思えた。
内田教授が「買わなくていいよ」と言われた『疲れ過ぎて眠れぬ夜のために』を読了。それでも卓見はあちこちに散らばっている。
娘に読ませたいと思っても、父が薦める本を素直に読みますかね? 目に付くところに置いておこう。


5月22日
「夏の芸塾」協賛依頼書をしあげて、NPO法人リフォープ(Rokko Island Water Front Open Air Play)http://www.riwfoap.comへ届ける。出演者は、詩人の白石かずこ、モダンダンスの江口乙矢、ジャズピアノの佐藤允彦、彫塑の水島石根、現代美術の元永定正。7月から断続的に神戸の国際大学とジーベックホールで開催する。いずれも四半世紀以上も現役で活躍している方々で、そのエキスを若者たちに味わってもらおうという催しである。それぞれのイベントにディレクターを配置しているが、江口先生については女房殿が担当している。


5月20日
午前中、「一夫一婦制」のエッセイにかかる。仕上げたが、一日おくことにする。女学院へ。今日のテーマは「身体技法」。同志社の大学院志望のO君の発表。学びの場での身体経験が大切ということ。内田教授、わけありのしわがれ声だったが、意外と長口舌をふるった。
で、今日のキーワード。
学ぶ側は《decency ディーセンシー》。礼儀・作法で、自分に必要な最大限の利益をひきだすこと。
教える側は、《自学自習できるマナーを教える》ことに尽きる。そのためには《技術・技法》がものをいう。
職人がものをつくるところを見せればわかる。現実はこうなんだぞ、と体感させればいい。「自分がつくるとどうなるか? 自分だったらどうなるか? 自分もこうなるんだぞ」と想像させること。教育には、このリアリティが必要。
終わったところで、ウッキーと さんが、私のチョコレート色の鞄(リサイクルレザーで安い)をみて、「これいいですねえ、どこで買ったんですか?」とストレートに聞く。東急ハンズと、これまた素直に返事。定番商品なのかな?
その後、神戸・北野のギャラリー島田へ。Feature Meeting (Civic Action Synd
icate=市民社会推進機構 主催) に出席。いつものメンバーに加え、氏の親しい知人も合わせ26名もの参加。震災後の芸術文化についての総括をオーナーの島田誠氏が分析。域内でまとまる神戸文化人の「井の中のゆで蛙状態」にあきれはてる。ニューヨークで認められても神戸の人はほとんど知らん顔の音楽家、マリンバの名倉政人(神戸高出身)などを例にあげ、少し異色であればシカトするなんて、了見が狭い。
講話の後、ワインで小パーティ。さらに、10名ばかりで2軒隣の「pinchos」でまた少しワイン。日本語の流暢な青年ソムリエ(?)がサウスオーストラリア出身だったので、シャルドネ「scottish nantoka」を注文。いやあ、うまかった。帰宅は12時前。
「今日はメイの誕生日よ、わかってた?」と女房殿。たらふく、肉をほうばったらしい。我が息子と同じ嗜好である。メイは10歳の大台に乗った。 


5月19日
息子がメールソフトをいじってから、上京した。おかげでメールの送信が可能となった。なんでも、ある場所にパスワードを打ち込んだから、という。首をひねりながらの結果オーライだ。論々神戸のスタッフにもメールでエッセイを依頼した。誰が一番早く届けてくれるだろうか?
午後、青垣大会のプログラムを作成、夕方にいつもの印刷屋に出稿。金曜日にあげてもらう。


5月18日
グリーンピア三木でのトライアスロン教室。12名の参加。大阪府協会の担当ではあるが、JTU近畿ブロックの主催のため、出かける。午後3時に帰宅。シャワーして午睡を1時間。その後約1時間のジョグ。足の動きは意外に快調、腕のふりを意識しないで淡々と。ポートアイランド2期工事区の南端まで走る。あたりは空き地ばかり。BGMはエマニュエル・パユのフルート、エンツェルベルガーのオーボエ。
2期工事区から800m沖合にできる神戸空港へのポートライナー延伸工事のため、すでに橋脚が海中に立っている。膨大な赤字を生み出す空港(第3種地方空港、滑走路2500m)は完成する。完成はするが、いまからその廃止も含めた空港の有効利用を考えなければならないなんて、なんという公共工事だろうか。赤字を出しても市民のためになるなら大義名分も立つかもしれないが、この空港にはその存在理由は存在しない。2005年、阪神淡路大震災10周年の年に、ばかばかしい構造物の空港は完成する。


5月17日
今日は息子のコンサート。昨日夕刻、東京から帰紳。主催は奏明会。兵庫県出身の東京芸大生(現役、OBとも)を応援する保護者の会である。当初、義父の三回忌で長崎に行く予定の女房殿が夜行バスに変更。午後、舞子ビラへ。五月晴れ。窓を開けっ放しで須磨海岸線を走ると気持ちがいい。
出演する8名(♀6名、♂2名)のみなさん、出身校は、県立西宮高(音楽科4名)、神戸高(2名、息子と同級の作曲科Dさんー女性)、山手女子高(音楽科1名)、洲本高(1名、淡路から初めての芸大生だそうだ)。やはり音楽科が中心だ。
今回は、出番が20分ということもあって、まわりのみなさんに積極的にPRしなかったのだが、それでも母と妹、それに私の高校の同窓生たちが来てくれた。娘は神戸まつり出演のジャズダンス練習のため、欠席。
演奏は、さすがに上手。なかでもソプラノのMさんはすでにプロといっていい。のびやかで、力強く、表現も豊かで、聞き惚れた。イタリアでの勉強の成果が如実に現れたのだろう。
終了後、奏明会設立10周年記念パーティ。出演者と会員中心だが、箏のOさんが淡路島の出身で、なにげなく父君にお話したら、驚いた。
1970年代半ば、私の父は洲本市役所の助役をしていたのだが、Oさんは市役所に勤務しはじめた頃で、父をよく知っていた、とのこと。「洲本では珍しい、会津若松出身の女将のいる店によく連れていっていただきました」「そういえば、息子さんは渡邊さんの面影がありますねえ」と感慨深げに話してくださった。
これもなにかの縁で、なんだか幸せな気分になった。
舞子ビラの社長もいらしていたので、会長のお膝元でもあるし、なにかと便宜をはかっていただけるようなので、来年予定の兵庫県トライアスロン協会10周年の宴の有力候補にあげることにした。


5月15日
在日本オーストラリア大使館文化部から、今年展開されるAustralian Arts Festivalsのコピーワークの打診。おおまかのことしかわからないが、とりあえず返信メールを英文で出さなくてはいけないので、女房殿にお願いする。
夕刻、論々神戸の外部スタッフに「HP観てよね、そしてエッセイ書いてよね」というメールを送ろうとしたら、まただめだ。Bucchiに連絡するも、不在。おい、どうしてなんだ! といじわるコンピュータを呪いたい気分。


5月14日
午後、Bucchi登場。HPソフト『「GoLive」はあつかったことないな』といいつつ、着手。マニュアル本はあるものの、ほとんど無視! で、みごとHPは一丁上がり。スゴイ、感心! 
でも、いつも思うが、あのマニュアルはなんだ! 不完全なものに手間ひまかけて、利用されないものをつくっている。この膨大な無駄を誰も改善しようとしない。ずっと感じていることだが、不完全な商品にもかかわらず、堂々と売れるIT商品への不信感は払拭されることはない。
夜、JTU(Japan Triathlon Union)のスポンサー、NTTのハウスエージャンシーであるNTTアドの担当者と大阪で会う。まずは、顔合わせで、お互いにプラスになる地域での協力事項をさぐることに。その後、大阪府協会理事長らとともに、軽く一献。ホントに不景気で、大阪の舞洲スポーツアイランド大会(6/8)への参加者が少なく、リレーの部に近畿ブロック役員チームで参加することになる。
私の最後のレースが1999年8月のあいづ大会(会津若松は両親の故郷に近く、それぞれの実家への挨拶もかねた旅。女房殿とメイにとっては、はじめての福島で、犬と一緒に泊まれるペンションとキャンプをさがしていった愉しい旅だった)から約4年、もうそんなになるのか、とあらためて月日の流れを実感。
ま、ランだけだからなんとかなるでしょう!


5月13日
朝から大騒動。財布がない! 淡路島大会の大事な第1回実行委員会のため、8時30分には出て、S事務局長宅へいかなきゃならない。ひょっとして、昨日、ダイエーの靴修理コーナーからの帰途、紛失? 女房殿に、最悪、CDなどストップをお願いして、出発。またしても「あきれた人ね」という、情けない話。
10時、明石海峡公園管理センター会議室に入る前に携帯メールで、「あったよ」と。安堵する。淡路町長はじめ、地元の代表者の方々、am神戸、K新聞事業社、そして我々と、メンツがそろって、委員会は無事終了。いよいよ募集要項の作成だ。
さすがに花の公園、小さな花々があちこちに咲き誇っていて、五月晴れは気持ちいい。
「女学院」、今日のテーマは「一夫一婦制」。仏教大の社会学者Nくんは、フェミニズム主流派の言説をまとめた考察を提示したもの、一夫一婦制を桎梏と感じない私や内田教授、さらには同世代の院生からビシバシと質問があり、たじたじ。
ただ、結婚については、軽く「一度はしてみたほうがいい」という私のいい方にカチンときた院生が「同性愛者のことなど、考えていない発言はおかしい」と反発。除外しているわけではないのに、やはり、そう受け止められるのがいまの時代か。
今日のキーワード。
一つは、短文エッセイの鍵は「The Door is open」。
意見として断定はするが、そこから考えが派生していくような断定であること。文が短いのだから、まとめてはいけない。うーん、奥義だなあ。

二つ目は、「産湯と一緒に赤ん坊まで捨てちゃいけない」。
人間の作った制度は疲弊することが多いが、有史以来存続している制度は、それなりに理由があるのだから、制度そのものをぶっこわすことがはたしていいのかどうか? 吟味することが必要だ。
エッセイの提出義務は5本だが、これも勉強なので、全部書いてみることにする。
さて、私のテーマはなんにしようか? 

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5月11日
6時40分起床。雨模様。県民大会開会式、雨で中止かなと思ったが、すでに連絡の放送は29分だったために、判明せず。小雨なら決行かと思い出かけたが、中止だった。11時30分から、トライアスロン協会理事会のため、そのまま、常任理事数名と青垣大会の打ち合わせ。理事会では、協会の決算報告の監事人選と登録意義をめぐって、議論。来年度は会計士の導入とNPO法人化に向けて動くことになる。リフォープのIさんに相談してみるか?
夕方、HPの件でついに、Bucchi(元『神戸から』のスタッフ、現サウンドパフォーマー)に連絡。なんとかしてくれと依頼。「じんさん、そんなん、ボクがやりますよ! ハハハ」、そこで北野・山本通のCAP HOUSE(これも現代美術集団の拠点)へ。この日、インドの横笛、バンスリーの日本の第一人者(本人いわく、ひとりしか演奏する人はいない)Hiros(ご近所に住み、かつ私に似ているので、初めて会う人には兄弟です、と言っている)のCD発表記念の小パーティだったようで、合流。その後、Bucchiを『pia jurien』に連れていって、簡単な食事。帰り際に、大阪での演奏会を終えたピアニストの藤渓さんがいらしたので、ちょこっと歓談。11時には帰宅。


5月10日
神戸高校卒業35周年同窓会の打ち合わせ。11クラスの幹事がほぼ集まる。が、肝心の世話役Mがドタキャン。簡単なことだけ決めて、31日に再度集合。なんのこっちゃ。そこで、将来の後援会のため? 息子の17日のコンサートチラシを配布。同じクラスだったGさんが来てくれるかもしれない。


5月9日
夏のイベント『感動への憧憬』のポスター原案ができあがったので、リフォープ事務所で代表とADKの打ち合わせ。美術作家であるM代表ととGデザイナー Y氏との感覚のずれがおもしろい。来週早々にも企画趣意書をあげて、協賛依頼をはじめることに。終えてから、ジュンク堂書店へ。内田教授の『れ鵜゛ぃなすと愛の減少額』(すごい変換だなあ、正しくは、レヴィナスと愛の現象学)ほかを求める。いま、新規参入の新潮新書の一挙10冊発売のほとんどが売れ行き好調という。
なかでも養老孟司の『バカの壁』は、タイトルだけでもう、買っちゃえ、となるな。ビートたけしの『はだかの王様』もしかり。近年の本のタイトルは、コピーライターの域に達しているものが多いような気がする。幻冬舎のせいか。


5月8日
ADSL開通の日。相変わらずメールができないので、息子に携帯でメール。指示をあおぐが、受信がOKなのに、送信ができないのは不思議らしく、お手上げ。困った。ibook使用のJさんに訪ねるも、メールソフトはユードラで、あえなく沈没。何度チャレンジしても、時間の無駄。ADSLの速度に感動する場合ではない。
某製薬会社の新コンタクトレンズの効果についての研究論文翻訳を納品。なにしろtechnical termのオンパレード。今回は、さすがに東京の翻訳事務所に依頼した。翻訳読んでも、おぼろげながらの結論がわかる程度。


5月6日
GW休み明けの女学院での授業、出る時に前回課題のエッセイを忘れたことに気付く。2回目は佐藤内科医の「精神疾患」。議論のなかで、聴講生に鬱病がおおいことが判明。教授も、2度の経験を自白。離婚と震災後、だそうだ。正論と被害者意識が重なると発病の可能性は高くなるとか。病気の程度の品評会みたいで、なんだか「へん」な感じ。今回は発言せず。
終わった後、懇親会。26名もの参加。相変わらず自己紹介がへた。気の利いたことの一つも言えないんだから、いやになる。このところ、おおたけまこと、に似ているといわれることが多くなってきた。若い人はテレビのバラエティ番組をよく見ていることがわかる。2次会は、神戸方面の7人で三宮の「gospel」、15人も入れば満席の小さなバー。入ったとたんにSteely Danの曲がかかっていて、印象はgood。生田新道の「串乃家」(友人の店の第一号店)の横から上がるところ。音楽の話などで」盛り上がり、12時まで。今日、女房殿は東京出張で、メイはひとりぼっちの時間が多い日だった。


5月4日
朝、Triathlon Club「ギルガメシュ」の練習会。ラン3km+バイク30km+ラン3kmのデュアスロン形式。久しぶりに心臓がバクバクして、バイクは20kmでリタイア。前輪の空気圧の低さもあって、実に重かった。そして、メンバーのKさん、Iさんの仕込みによるBBQパーティ。お子さんもいれて約20名のにぎやかなランチタイム。2時半にきりあげて、娘の出るステージを観に、メリケンパークへ。パーク入り口の直角の段差に乗り上げ、前輪はパンクの憂き目にあった。経年劣化があるため、ま、しかたない。
日焼けしたため、腕と腿から下が若干熱っぽい。5月の紫外線はさすがにきつい。10時にはベッドにごろん。


5月3日
午後、友人のY夫妻(某放送局勤務と弁護士)とともに、西宮目神山のM宅へ。久しぶりだったので、迷路のような道順を一本間違えたが、さすが弁護士、最後の角を正確に記憶。無事到着。仕事のからみもあって県立美術館木村館長の講演に出席していたD社のM氏(マルチな趣味人)も遅れて到着。目神山のM氏の奥様はフランス人だが、昨今の日本女性よりも、日本的な人。仏語の翻訳で、お世話になっている。
お互いの子どもたちが小さかった頃、年末のもちつき(まさに肉体労働である)に、よく参加したものだった。ここで、私はもちつきの技法を学んだといってよい。毎年、友人をとっかえひっかえ、誘ったものだった。その意味は分かりますね? 富山の地酒で限定版大吟醸の成政という、まろやかでとろけるような味わいを持つお酒、実に気持ち良く酩酊。さらに、牛しゃぶを囲んでの、楽しくも知的刺激に富んだ夕餉だった。


5月1日
夜、被災10年をひかえて、市民とNGO「防災」国際フォーラムの開催準備委員会へ出席。『論々神戸』としては、大谷さんの代理というつもり。発言するつもりもなかったのに、進行役のM氏がふったために、望ましい市民社会へ進化についての悲観と楽観にふれてしまった。でも、未来に向けて、希望を持とう、というのは、それしかないもんね。

2003年 3月4月6月7月8月9月10月11月12月
04年1月
2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月
いま