混迷亭日乗 Editor's Talk

4月30日
午後、デザイン事務所のCO社で打ち合わせの後、「神戸を愛する市民ネット」のNさんと銀行へ。暗証番号の間違いによる再発行の手続きをしてもらう。その後、ソフマップで「論々神戸」用のプリンターを購入。スモール&コンパクトを優先にHP社のものにした。徐々に準備は整っていく。はやくHPをしっかりしたものに、とあせる。


4月29日
亡き父の誕生日。あれこれ思い浮かべながらジョギング50分。先端医療センターが威容を誇るポートアイランドの2期工事地区を走る。
夜、電通(大阪)初期のコピーライターであったH女史とその知人とお話。美容と健康が主題だったが、やはり健康食品のネットワーク事業の話になる。中小企業のオーナーは、本業の展望が見いだせない以上、やはり新規分野への進出をはかるしかないのか。とりあえずの名刺づくりから、さて、どうなっていくのか?


4月28日
松本誠氏は落選、26000票を獲得したもののダブルスコアだった。当選は37歳の連合系民主党を離れて無所属で立候補した男性。
敗因の分析だが、市民運動系勢力の多数派形成にはなにが必要で、どれだけの時間がかかるのか、誰も答えを出せていないという重い現実だけがのしかかる。生きている間に変化していくだろうか?
明石の花火事故責任の問い方にも、その要素があったのかもしれない。それはなにかというと、大方の非難の声をきくとは思うが、『なぜ、圧搾で事故がおきそうだという状況なら、その場を立ち去る動物的感覚が鈍くなってしまっていたのか』という問いである。近所の住民から、私は聞いている。ひどい人込みなので、歩道橋を避けて帰ってきた多くの人々がいたことを。いわゆるサイレント・マジョリティが存在したが、マスコミはこういう発言は取り上げないだろう。なぜなら、被害者に塩をすりこむようなものだからだ、だから、皆、言わない。
人間には危険を察知するセンサーが働くのが当然なのに、流れにゆだねてしまっていた。「あなたは現場にいなかったから、そう言えるんだ」と言われるかもしれないが、『圧搾死』が起きるほどの混雑にはかかわりたくない(というより、実験台に乗らなければわからないほどのひどさだったとしか想像のしようがないが)というのが今までの私の身の処し方だったから、そう思う。周辺環境の安全に慣れてしまった現代の日本の市民感覚にとって、危機を察知する能力が劣っていくのは当然で、それが現代日本の文明というものだからだ。
だとするなら、ここにこそ、個の責任でもって、人の流れに竿さすしかないではないか、と判断する態度が必要となる。
市長の道義的責任については、当然感じるのがトップに立つものの気概であろうが、政策の優先順位として、市長への刑事・民事的な責任追求に固執したのが戦術としてよかったのかどうか、私は疑問であった。
シングルイシューでの是非と行政全般のゼネラルマネジメントを計りにかける場合、人を選ぶ基準が違うという、これは認めなければならないことだと思う。


4月27日
たまの休み。ゆっくり寝ていたいと思っても、やはり6時台には目が覚めてしまう。からだのほうがリズムを覚えてしまっているようだ。
午後、五月晴れといっていい陽気の中、グリーンピア三木へ、7月の大会の打ち合わせ。この大会は、神経をすり減らすことが少ないので、のんびりした感覚で携われるのがうれしい。帰宅後、不在配達にかこつけて、中央郵便局までジョギング。往復約9kmを50分。連休が始まっているので、夕刻とはいえ、海岸通あたりはクルマの列が続いている。TVで横浜ー巨人戦を中途から見る。3-0で7回までリード。ところが私が見始めた6回ごろから横浜の打者は三振ばかり。おまけに、8回ツーアウトから、不運な内野安打とエラーで、絶好調の斉藤投手が交代、その後の投手が一人のアウトもとれず、なんと連続で10点をとられるていたらく。気分は最低に落ち込んだ。なにか理由がなければ、交代の理由がわからない。山下さん(監督)、説明してよ〜。
おまけに、11時過ぎて、明石市長選挙の結果を待っていたのだが、近畿地区では兵庫県が最後みたいで、なかなか始まらない。ついに、あきらめて、ベッドでごろん。電話がないところをみると、駄目だったのかなと、思いつつ、ZZZZ。


4月25日
午後、大阪に出かけて、心斎橋の行きつけパーソナル美容室「テキパキ」へ。いつものように短くカット。オーナーは、x-wifeの大学時代の親友。ここ15年以上は、ずっと彼女に面倒をみてもらっている。それから、広告代理店D社へ。大阪市HPの英・仏・中・韓の翻訳を担当したので、その関係でお世話になった担当者に、連休の一日、「野外のランチ」をお誘いに。私としては3日がいいのだが。その足で、別セクションの担当者Kさんに顔を出す。「ちょうどよかった」という感じで、某製薬会社の新商品に関する研究論考の翻訳を依頼される。内容の感じでは、東京の翻訳専門会社のW社へ頼まなければいけないようだ。
Kさんは、もとはJ社だったが、いまはD社でバリバリやっている女性。「企画ばかりで、しかもすぐ明日、みたいなのが多いから」と、愚痴る。「正式じゃなくても、相談に乗るから」と、ちょいと助け舟。


4月24日
午前中、NTTの電話取り付け工事。303-2510がおニューの番号。「論々神戸」の専用電話になる。覚えやすくてよかった。しかし、私にはまったく駄目な番号もある。例えば、NPO法人リ・フォープの電話はいつまでたっても覚えられない。ゴルフの技術論の文体のサンプルを書きあげ、K氏に見せる。OKとのこと、そのかわり、別の原稿を受け取る。箇条書きのようになっているので、今までの原稿との整合性をチェックしなくてはならない。ちょっとかかりそうだ。
夜、広告代理店 J社の担当者(女性)を三宮のクラシックライブバー「pia julien」に招いて会食。紆余曲折があって7ケ月もかかった某化粧品会社の100年小史完成の打ち上げのようなもの。今日の出演はチェロとピアノのデュエット。雨の神戸の、ゆったりとした気持ちよい時間だった。


4月22日
元町130周年記念誌の企画に入る。明日には間に合わせるつもり。
2回めの授業。聴講生のトップバッターは、Meets Regionalの江編集長で『日本語』というテーマだった。関西弁のエクリチュールを雑誌のなかにどう落とし込むか、というものだったが、コンビニ言葉への不快のことにも及んだため、若者のバイト経験則からの質疑応答があり、ドライブ感のある横道にそれていって、「こんなんでいいのかな?」という面白いものになった。
臨席の学部の3回生は、先週、教室に男性がいることの不審さを顔にあらわしていたので、いっとう先に声をかけた子。「お引き取りを」という内田教授の要請にもかかわらず、教室から出ていかなかった子。彼女は内田教授のことをよく知らなかったらしく、私が説明をすると、俄然面白くなってきたようで、目を輝かせていた。
今日の授業をどう600〜800字のエッセイにするか? が、週末の課題である。
授業後、江氏を中心に10名ばかり、西宮北口で居酒屋談義に入る。何人かの研究者志望の院生と話した。10時には切り上げた。それぞれ、特徴のある子たちで、これからがおもしろそう。しかし、ひとり浮いてたようにみえる「社会学者」くんの前途は多難だ。
次回(5月6日)は、クラスの懇親会が予定されている、楽しみだ。


4月20日
明石市長選挙に打って出る知人、松本 誠(元神戸新聞記者)の選挙が始まった、出陣式が10時からだったので、霧雨模様のなか、バイクで出発。約22kmに1時間もかかってしまった。練習不足は如実、からだは嘘をつかない。
支持者約100名を前に、選挙事務所と明石駅前で第一声をあげた後、市内を巡回していった。MBSのパーソナリティ、川村龍一が関学新聞部の仲間という縁で、司会進行を担当していた。ラジオから流れてくる川村節と同様に、さすがプロ、安心して聞いていられた。
それにしても、通行人で政策ビラを受け取る人が少ない。10人に2、3人といったところか。いままで、投票率20%程度だったというから、それも当然か。
朝霧の歩道橋事故、大蔵海岸陥没事故に対する責任回避ともいうべき首長のいた明石、である。候補者は全員新人だが、主たる敵は民主党を離党して無所属になった37歳。自民、民主、公明、社民、自由推薦という、いかにも兵庫ならではの構図。また、すべての候補者が市民派を標榜するという、まぎらわしさ。
その困難な戦いではあるが、わずか8日間の選挙戦を素人集団で支えていく。


4月19日
東急ハンズで皮穴あけの道具を購入。ついでに古書店をのぞくと、初回の講義でふれられていた『The Catcher in the Rye』(村上春樹訳)があったので、購入。¥1600→¥1100だった。
午後、事務所で読み残している本を2冊、読書する。BGMは、Sandy Dennyの『Who knows where the time goes?』(LP4枚組セット)とAl Stewartの『Year of the cat』。ぶっとおし、大音量で聴く。気持ち良かった。


4月17日
今日はいよいよ甲野善紀先生の術理が見られる日だ。
絶好のバイク日和。午前中で事務所をきりあげ、女学院まで出かける。昨年11月以来、久しぶりにサドルに乗った。パンクしないように祈る。途中、クライアントであるT社によって、バッグタグの色校正を届ける。バイクパーツの卸売りをしているので、スタッフとも顔なじみ、というか、バイクのプロといってもいいレベルだから、「渡邊さん、長い間、そんな格好見てませんねえ。バイクは大丈夫?」と笑われた。愛車は、震災の年(1995)にT社で組み立ててもらったもので、今も私の好きなフレームである。パーツの経年劣化はあるものの、まだまだ美しい。
女学院まで約20km。信号にとめられながらも約1時間で到着。
3時から始まった。聞いてはいたが、まさにひょうひょうたる風貌。すぐに始まった。古武術というより、創作武術、日々進化していく先生の指導だ。いちいち術を説明されるのではなく、まずは学生たちの体育の授業の一環だから、悪漢から身を守る護身術の伝授から始まった。
昔、もう20年前にもなるが、空手道円容拳を習得してなんと二段をいただいた私としましては、そのときの指導者、広川先生の姿がまざまざと思い出された。
静かで、柔らかくて、強くて、崩れない、そして相手の力を吸収するかのごとく殺してしまう。
とにかくはやい。そして、からだの部分を瞬時に統合して、衝撃的な力を噴出させる。相手はその動きが察知できないので、対応できずに崩れていく。
3時間に及ぶ講習を終え、懇親会へ。多くの人たちの参加予定だったのだが、なにか行き違いがあって、結局、芦屋の内田教授宅で、約10名ほどでなごやかに。書棚に、『世界の名著』全50巻ー中央公論社版(?)がある。もっとも、ほとんどは読んでいないのだが、懐かしい。
噂の精神科医、名越先生も参加されていた。聴講生参加は私含めて3名。まずはおとなしく、そして楽しく、女学院流のパーティ初体験であった。
夜の2号線、ライトの力が弱いので歩道を中心に駆け抜けて帰宅。12時を過ぎていた。


4月15日
午前中、ADSLの工事というので連絡を待っていたが、なかったのでNTTに連絡。ところが、なぜか、電話がつながらない。配線の接続が問題だったようだが、解決したらと思ったら、今度はファックスがつながらない。そこではじめて、ISDNのiナンバーの消滅とともにファックス回線も切れることがわかり、元に戻すことにした。はじめから伝えてくれればいいのに、クソ! 工事待機のこの1か月、『論々神戸』にとってはまったく無意味な時間と化した。
そこで、あらためて、別回線をひいて専用にすることにした。また、工事を待つことになる。それまでこのibookでのインターネット接続はできない。自分の頭の悪さがイヤになる。

大学院での初めての授業が始まった。今年1年の演習の進め方と、各人20分のテーマ発表とそのテーマについてのエッセイ(600〜800字)を最低5本の提出が決まった。

大テーマは『日本の没落と再生』。そして小テーマ候補は以下の通り。
ナショナリズム(国民国家/天皇制/市場経済(資本主義)/地域共同体/家族/一夫一婦制(強制的異性愛体制)/売買春/学校/マスメディア(TV)/活字媒体/身体技法、型、作法/日本語/葬礼、呪鎮/医療、介護/精神疾患/
さて、なにを選択するか?

旧石器時代以降、共同体(人間社会)になくてはならないもの、いろいろ。
例えば、起源神話、歴史、伝統、性差、コミュニケーション、象徴、記号、贈与、儀礼、葬礼など。

●記憶に残ることば
合気道師範の多田先生曰く、《武士は用のないところへは出かけない》
だから、事故にあうのは、基本的には本人のせいである。
村上春樹曰く、《すぐれた作品は、皮膚を通じてからだにしみ込む。倍音が鳴っている状態に》なるという。なるほど、いい表現である。


4月13日
なにもない日曜日なので久しぶりにゆっくり寝られると思っていても、7時すぎには目覚めてしまう。めし作って、メイと散歩して、昼、パソコンに向かって、HPの制作をすすめていると、女房殿が「奏明会」(兵庫県出身の東京芸大の子女と保護者の会)の幹部会、それから鬱病に陥った友人の弁護士宅に寄って、様子を見てから、3時頃にl帰宅。そこで、約55分(10km)のジョギングへ。暖かくて気持ち良かった。BGMはR.シュトラウスの『アルプス交響曲』、ちょっとそぐわなかったが、ま、いいか。
その後、知人が候補者である神戸市会議員選挙に。娘は、バイトで時間がないといって、はじめての投票機会なのに、さっそく棄権。「おじちゃん、大丈夫や」と、まさか落ちるとは思っていないようで、ここでも、ま、いいか。
夜は、ご近所のFさんが泉佐野から仕入れしてきた新鮮な魚で、ご家族とともに我が家でお食事会。充実した夕飯となった。県会、市会とも、知人の5人はみな当選した。選挙の日はどうしても夜ふかしとなる。どうしても見てしまう。どこかで、大きな変化が生じるという幻想をいだいているからであろうか。


4月12日
午後から大阪へ。『具体』という1950年代から華々しく活動した現代美術のグループメンバーだった故・村上三郎氏の個展。今日は、その会場で作家の今井祝雄氏と芦屋美術博物館の学芸員山本淳夫氏のトークがあり、招待されてもいたので、出かけた。桜宮駅から造幣局の通り抜けを目指し人々で混雑が始まっていた。ちょうど、源八橋の下から、大学のクルーが対抗戦でもあるのか、スタートのスタンバイをしているところだった。
今回の個展の初日、父譲りの「紙やぶり」披露した、氏の子息であるまんが評論家、知彦氏とは30年来の知人である。聞けば今年から京都の精華大で講師をつとめるという。「学生に、なにさせよう?」といつもの柔和な苦笑。年をとっても変わらない。どうみても、二人とも50すぎのおっさんには見えないだろうなあ。こちらも立場こそ違え大学に関わるので(講師と聴講生)、少しばかり大学のことについて話をして、夕刻、舞洲スポーツアイランドへ。大阪府トライアスロン協会の年次総会に顔を出す。大阪は近畿の柱としてがんばってもらわなければいけないので、会長はじめ、理事たちに檄をとばす、といっても、優しくではあるが。


4月11日
永六輔・灰谷健次郎・柳田邦男という強力なリレートークに参加。とりわけ震災後の神戸の市民活動に関わってきた人たちだけに、まるでゲームのごとくはるか彼方の戦争を「お茶の間」(もう死語か? 今ではリビングというらしい)で観戦する現在の状況のもとで、《いのち》《生老病死》にまつわる、面白くもあり、静かな怒りに満ち、落涙するもありの、3時間に及ぶ実のある話であった。この催しの収益は、「市民基金こうべ」の寄付となる。
それにしても、戦争におびえ、まどうイラクの人々の映像が焼きつけられるにつけ、権力を持つもののおぞましさに、身震いがする。昨日、ニュースの映像で、アメリカ兵のイラク兵捜索のため、家族とともに家から追い出され、おびえているイラクの少女の表情を見た。ほんのわずかの時間だったが、まぎれもない現実である。その後のことはわからないが、いまなお、私と同じ時間を生きている、と思いたい。一瞬の彼女の顔を忘れることはないだろう。
夜は、先週に引き続き、車を飛ばして青垣町へ。大会実行委員会の正式発足となった。帰りは、ひたすら眠く、雨の中、緊張のドライブ。M常任理事とともに、無事神戸にたどり着いた。


4月10日
K新聞事業社K部長らとともに、淡路町長、東浦町長への表敬訪問。今年も大会の実現への協力依頼。明石海峡大橋を通れば、三宮からわずか30分で現地へ到着。東浦町役場の裏に桜があり、ここでもみごとに咲き誇っていた。いくら近くなったとはいえ、やはり都市にはない静けさがある。
町長も語っていたが、船でしか往来のなかった時代、故郷に錦を飾るために、商売に、立身出世に、と本土へ渡っていった人たちの覚悟に思いをいたせば、簡単に移動が可能な時代となっては、これまた相当に想像力をはたらかせないとわかりづらくなっているのは間違いない。


4月8日
開店のときに、DM、レターヘッド、封筒、診察カードなどを制作したA接骨院・鍼灸院の封筒を増刷しようとしたら、印刷営業担当から、同じ用紙が絶版だという連絡。
ここでも、いいものが消えていった。理由ははっきりしている。需要が少ないせいである。全般的にコストばかりの追求になっている傾向があるため、しごとのうえで、技術の粋をきわめた紙々の選択が許されなくなってきている。幸い、理解していただけるクライアントがいれば、提案が通るのではあるが、割合が減っているようだ。
グラフィックデザイナーから、用紙の選択にこだわるしごとなんて、久しぶりだなあ、なんて言われると、ここでも日本文化の衰退の徴候があるんですよ、と言いたくなってしまう。
紙は消費するものではあるけれど、常に私たちとともにあるもの、なのですよ。


4月7日
花見に酔って、美酒に酔って、昨夜、出席の返事をしていた大阪でのWorld Olympian Associationの会長来阪レセプションを失念していたことに気付く。ベレシュ所長(WOAアジアオセアニア事務所)、ごめんなさい!
女学院の聴講生登録のため、岡田山へ。わずか10分位でですんでしまった。来週15日、ぶっつけで授業が始まる。
前回面接で隣り合ったT氏(大手新聞社広告局勤務)としゃべりながら山を降りて、K事務所へ。
ゴルフ技術論の編集企画案をブリーフィング。あらためてK氏の蘊蓄を聴きながら、かつて制作したという解説ビデオを預かって帰る。やはり、絵で見るとわかりやすい。さっそく、近所の友人からいらなくなったクラブをいただいて、そのレクチャーを自分でも試しながら、文章を練ることにする。
クラブを握るのも何十年ぶりのことだろう。ゴルフ好きで上手だった亡父のフォームが浮かんできた。生きているうちに、一度たりとも一緒にプレイしてやれなかったことが今でも悔やまれる。


4月6日
二日続けての花見、なんてここ何十年も経験していない。今度は西の明石公園だ。震災後、まちづくり研究のプロ集団『神戸復興塾』委員長のO氏とは懇意になり、彼の紹介で翻訳のnative speaker's checkをお願いしているアメリカ人のローリーさんと一緒に桜の花の下でのさわやかな宴である。メイも同伴、たらふくお相伴に預かった。ローリーとメイの共通項は、西洋産、♀、ダイエット。今日はspecial dayだったようだ。
陽の光と美味しい料理とうつくしい花にかこまれて、酩酊。


4月5日
20代の頃、一緒に小さな出版社を切り盛りしていて(いまはない)、現在は大阪で編集プロダクションを経営しているY氏、M氏の誘いがあり、京都円山公園しだれ桜の観桜会&飲み会に参加。石塀小路で、観光客が扮したに違いない舞妓さんに出会う。自然な風景ではあったが、歩き方が不自然の極み。やはり、ここは都で観光地。
出版状況や思想界の話題など、久しぶりに話し込んだが、関西の全国区レベルの著者のことで、「この著者知っているか?」とポケットから出されたのが『寝ながら学べる構造主義』であった。思わず、黙っていられず、聴講生になることを話してしまう。いやいや、内田教授の世間への伝染は確実に進んでいることを実感。しかし、すぐさま、それは我々の世代(フランス哲学や文学にたぶらかされた世代)だからだろうという、否定の気持ちもまた・・・。


4月4日
K氏から依頼されている出版予定の「ゴルフ技術論」の内容構成を練る。
夜は、県中央部の氷上郡青垣町で、5月開催のキッズ・トライアスロン大会の打ち合わせ。今年から、地元参加組を増やすためリレー種目の充実をはかることになった。今年は、SSF笹川スポーツ財団の助成がなくなったため、ほんとうの意味での手作りの大会になる。まさにゼロベースからのチャレンジだ。


4月2日
商用のベトナム、香港から帰国したN氏の会社へ、商品タグのデザイン案を届ける。ようやく報じられはじめたSARS(急性肺炎)の話になる。彼曰く、「観光客でマスクしていないのが多いのは、やっぱり日本人や」。広州での見本市イベントに参加するかしないか、今日明日にでも返事しなくてはならない、という。
帰宅して、娘に商品見本のバッグを見せると、ひとこと「売れへんのちゃう? Nのおじちゃんには悪いけど、私は買わへん」。


4月1日
今年で2回目の「淡路島国際トライアスロン大会」の開催地である国営明石海峡公園事務所所長へ開催根回しのご挨拶。9月開催に向けて、しばらくは行政関係など団体への挨拶まわりが続く。

2003年 3月5月6月7月8月9月10月11月12月
04年1月
2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月
いま