混迷亭日乗 Editor's Talk

3月31日
聴講生面接である。全部で15名(♂12名 ♀3名)だった。リタイアされたようなお年の方から、現役の大学院生まで、スーツ組とカジュアル組が半々ぐらい。すでに内田教授に面識のある方も数名。一筋縄ではいかない人たちなんだろうなと想像する。
面接は内田教授ともう一方、女性の先生? 一人約10分ずつとはいえ、終わったのは午後1時すぎ。待ちが3時間という我慢の面接であった。最初の女性が「みなさん、通るそうですよ」と伝達。さてさて、どんなことになるのやら。


3月30日
29日。東京。朝、5kmほどのジョギング。JTU(日本トライアスロン連合)理事会・総会。理事2期を終え、来年度から3期めに入る。課題は次から次へとやってくる。今回は総会もあったので、兵庫県協会からは清水副理事長が出席。総会後のお疲れ会に続き、新幹線のなかでも、いろいろしゃべりながらの帰途となった。こんな時間が楽しい。
30日。私のトライアスロンクラブ「ギルガメシュ」の練習会(私は計時係)とクラブ長老の加藤さんの還暦お祝いのBBQパーティ。ホームグラウンドであるポートアイランド2期公園での美味しいひとときであった。夕方、一緒に出ていたメイ(我が家の犬、9歳♀)と帰宅して、シャワーを浴びたら、どっと疲れがでて眠くなり、8時頃まで爆睡した。


3月28日
東京。午後、仏語の翻訳を頼んでいたE.B嬢(通称:エリー)と渋谷で落ち合う。彼女は2008大阪オリンピック招致委員会で働いていたときに知り合った人。その後、FIFAワードカップ関連組織で活躍していた。でも、この4月からは東京で仕事を開始する。そこで、在京の、JTUの理事でもあるWさんの翻訳会社を紹介することになった。うまくいってほしい。
その後、独自のゴルフ理論を展開するK氏の本を出す予定なので、挿絵を依頼したい漫画家Mさんと新小岩で初対面。編集内容が具体的な話になってから、依頼することにする。
夕方は息子(東京芸大在学中 クラリネット専攻)と上野で会って、しばし歓談、このHPのことを頼む。6時になると先約があるとかで、彼の演奏で伴奏してくれているピアノ専攻のこまきさんと立ち去っていった。
しかし、私が困ったときの夜の電話だけで、解決するとは思えない。今でも、文章を打ち込みはじめると勝手に次の行がボールドになってしまう。わかんな〜い。


3月26日
急に思い立った例の聴講のことで、関西大学で成績証明書をもらい、その足で神戸女学院に向かった。4時締め切りで、滑り込みセーフ。
30年前とは大きく異なり、関大は明るかった。まさに女学生が多くなったという実感。クラスメートだった法学部の市川教授は来ていなかったので、時間潰しは学食でと、総額452円のランチとなった。当時、先鋭で舌鋒鋭かった市川君にもらった聖書はいまもちゃんと持っている。


3月24日
さっそく神戸女学院大学の事務室に電話すると、私のような者でも受けつけると言う。そこで、急げとばかりに、午後出かけて願書をいただくことにした。従妹は中高と女学院だったが、遠い世界の話だったので、はじめて神戸女学院の門をくぐった。立地している岡田山は、春休みではあったとしても、実に静かである。門をくぐって、急な坂を上り、ガードマンの案内つきで駐車して、事務室に向かう。親切というよりも、警備である。それも当然か。
文学部事務室、見る限りは女性の職員だけだが、いかにも地味(すみません!)。静まり返っており、自然に声も小さくささやくようになる。
健康診断書、最終学校の成績証明書などが26日までに必要。さて、まにあうだろうか?


3月23日
昨年来、「ためらいの倫理学」を読んでから、とても気になっている内田樹(Uchida, tatsuru)教授の研究室HPを久しぶりにのぞいたら、大学院の聴講生募集、「大手をふって神戸女学院の門がくぐれますよ」とある。誰でもいけるのだろうか? でも締め切りは26日、願書すら送ってもらっていると間に合わない。しかも、証明書のたぐいはどうなんだろう? とりあえず、24日がでたとこ勝負。だめならだめで縁がなかったということだ。


3月22日
世界唯一無比のアメリカ帝国が仕掛けた戦争が始まっている。

この春、二十歳の娘がベトナム、タイへ出かけた。アルバイトで貯めたお金で、私たちと一緒ではない、はじめての海外一人旅である。今風の子ということでは、政治的社会的な動向にかかわるそぶりはしなかった。しかし、ベトナムでは当然、戦争の痕跡にふれることになる。帰国して、彼女に変化は二つ現れた。
 一つは生理的なもの。帰国後、一週間ほど経ってから猛烈な腹痛に襲われたことだ。魚介類に付随した細菌が潜伏していたらしい。幸い、緊急入院し四時間におよぶ点滴で、見事に回復した。若い体はすばらしい。
 もう一つは、映画「地獄の黙示録」(Apocalypus Now)を観たいといって、ビデオを借りてきたことだった。なんでも、現地のガイドさんから、すすめられたらしい。この素直さが娘のとりえでもある。
 ドアーズ The Doorsの「ジ・エンド The End」、ワーグナー Wagnerの「ワルキューレ Die Walkure」が、きわめて印象的な1978年の大作である。アメリカ人にとってのベトナム戦争において、前線の将校、兵士が否応なく襲われたトラウマが描かれている。公開時、私は映画を観なかった。ただ、二枚組のサウンドトラック(LPレコード)を買って聴いていた。いまもこのレコードは手もとにある。

 ビデオを観終わった頃から、対イラク戦争が始まった。
 彼女は、「なぜ?」「どうしてこうなるの?」をくりかえす。私は、知っている限りの知識で、対応していく。できるだけ、客観的に話してみる。
 彼女の大学での専攻はスワヒリ語。英国植民地という事実のなかから整備されてきたアフリカ言語を学ぶことと、今度の戦争がこれからの世界観にどう影を落としていくのだろうか。
 そういえば、ちょうど彼女の年の頃、私は直接行動の渦にいた。いや、もう終焉に近かったといってよい。いわゆる陰惨な「内ゲバ」の世界から逃げた。

 空から武器が降ってくる。武器で肉体がえぐられる。恐怖はいまもなにかの拍 子に甦る。

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