論々書架2 Library

ここには『論々神戸』に掲載された原稿(46号〜)が所蔵されています(45
号〜、26、27号は号外のため割愛しています)。
1号〜45号は、論々書架に保存しています。

●BACK NUMBERS バックナンバー

・no.51

●2005年の掉尾にあたって、市民派惨敗の神戸市長選挙に思うこと

 2005年の神戸市長選挙、もうはるか彼方の出来事のようでもある。

 矢田立郎 198661
 せと恵子 105780
 松村つとむ 56903 投票率30.36%

 いわゆる市民派といわれる人々が結集して戦えなかったのは前回と同様であ
るが、投票率が38%から30%に落ちたことは、市民派にとっては憂慮にた
えない結果となった。

 もともと候補者選びで後手後手にまわっていたのだから、ずいぶんとつらい
選挙戦だったはずだ。
「時間があれば」という強気の発言をするのは戦う陣営だから当然のこととし
て、支援陣営に組織を持とうが持つまいが、戦いにマイナス要因をさがしたく
はない気持ちはわからないでもない。だが、全体の盛り上がりのなさの一因は
市民派側にも当然あったのだ。

 候補者を最後まで一本化できなかったことも敗因の大きな要素ではあろうが、
それ以上に、フツーの市民のなかには着々と進行する神戸空港に対する無力感、
さらには財政破綻という致命的な欠陥が現実には見えてこない市民にとって、
現状打破に賭ける気持ちすらなく、「まあまあええやん」という実情には現職
が合致していたということなのだろう。とどのつまりは、「誰でもええやん」
という気分の瀰漫である。  

 前回、木村史暁候補をかついだ「神戸再生フォーラム」(構成は、市民派+
共産+新社会など諸団体)は、今回の選挙は善戦だと評価する。しかしながら、
客観的にみるならば、前回以上に、戦う前から負け戦に挑んでいるようなもの
だった。
 陣営を構成する政党は、勝っても負けても、極端に言えば負け続けていても
民主主義の法治のもとでは、一定の支持基盤がある限り生き続ける。加えて言
えば、市民派を支える市民運動家のなかにも、初期の頃の清新さが消える代償
に選挙のプロに変貌し、運動そのものが自己目的化する傾向が見られ、自らの
政策に固執するあまり、「大きくざっくり」まとめあげて政策実現へのステッ
プアップする方向へは、なかなか辿り着かない。
 まして、一度も権力の座についたことのない政党などは、負け続けることに
慣れきっており、信念だけは曲げないでいるつもりだろうが、”いま”という
時点での気分を的確につかむことに長けてはいない。で、明確な負け戦を善戦
と評価して次につなげようとする。

 しかし、フツーの市民は、一度でも選挙というものに深く関わり、負けてし
まえば、「負けた」という砂をかむような事実を受け入れるしかないのである。
ひょっとしたらこの1票がドラスティックな展開に関わるかもしれないという、
よほどの魅力、期待感がない限り「この人に委任しよう」と思って、ずっと政
治にかかずりあう「ゆとり」などありはしない。選挙はもうコリゴリという気
分をひきずってしまうのがオチである。

 一方の、市会会派「住民投票・市民力」のかついだ松村候補のほうも惨敗だ
った。
 約2000弱の推薦団体を持つ現職市長(それにしては得票が少ない)が強
いのはわかっていても、やはり対抗する候補者の魅力がなければどうにも太刀
打ちできないことがはっきりした。「おれがおれが」なんていう人々も願い下
げなのは、前回の乱立候補者の人品を見てもよくわかっていたはずだ。なのに、
候補者を最後まで引っ張っていってしまった。近くで見聞きした人の話を聞い
ても、期待していたのに反してオーラが感じられないのでガッカリという声だ
ったのである。

 私の友人も東京から彼を応援した。しかし、単にネットワークのからみから
の応援では話にならない。「平成維新」を叫び、ITを過信してあてはずれの選
挙をやった大前研一氏といういいお手本が東京にはいたはずなのに。 
 応援した議員には、完敗と認め、大いに反省している議員もいれば、「そも
そも、神戸市民は市長なんていらない! と思ってる人が多い」と嘆く議員も
いる。候補者の一本化ができない時点で、どちらも応援しなかった議員もいる。
 いかにも議会会派らしい話で、議員としての長所でもあり、戦う勢力として
の短所でもある。

 いずれにしても魅力的な候補をかつぎだせないのは、残念ながら、それが今
の市民派の実力だというしかない。
 その閉息感を打破するには、小泉ではないけれど、やはり「この人ならなん
とかやってくれそう」という候補者をたてなければ、いくら田舎をかかえてい
るとはいえ、大都市では話にならないのである。
 残念ながら日本にはアメリカ流の民主主義(例えば、大統領は多少ボンクラ
でもブレーンがしっかりしていればいい、ダメなら4年で変えればいいさ、と
いうシステム。また、銃を持った民主主義と言ってもよい)は似合わないし、
無意識のうちに「世間」に拘束される日本における民主主義では、異種を接ぎ
木するようなものだから、都市と田舎が同居したような神戸の場合、「この人
大丈夫かしらん?」と思わせた時点で、選挙戦のスタート地点は後退するのだ。

 4年前、市長選挙の最大の争点は神戸空港建設の是非だった。
 その神戸空港は来年2月、テイクオフすることになった。
 できてしまった以上、この空港が市民のお荷物にならないように、どう利用
し、どう活用し、どういうプロセスで盛衰を辿るのかを監視するのがこれから
の市民の役割でもあるだろう。 
 賛成した市民が空港を利用しないなんてことはないけれど、反対にまわった
市民のなかでも多くの市民が使わなければ、ますます、市民につけが回ってく
るという、まさにふんだりけったりということではあるが、それでも敗れたの
だから、そこはいさぎよく認め受け入れるしかない。それがフツーの市民のお
おまかな気持ちではなかろうか。 
 それでもいやなら、実力阻止(権力側はこれをテロという)という手もある
が、それがほとんどの場合、あくまでもスローガンにすぎないのは過去の反対
運動の歴史が物語っている。

 前々回の大西候補の流れがあったのかもしれないが、前回の負けの反省があ
ったのなら、さらに今回真摯に反省するのなら、市民派と自認される諸君は、
一旦すべてを白紙に戻してスタートすべきだろう。
 なにをいまさら、言われなくてもわかっているという話でもあるが、もし2
009年も戦うというのなら、ライトからレフトまで集められる可能性を持つ
魅力のある候補者を探し出さなければどうにもならないと思われる。

 市民運動にしても、シングルイシューにおいて、ある程度決着がつくのなら、
その時点でさっと解散し、その後は運動の遺産を受け継ぐものと破棄するもの
とを選別して、新たな戦線を作りなおすのがスジだと、今回フィールドに降り
なかった外野席の私は思う。

 最後に、今回当事者として関わった人々からの寄稿をぜひお願いしたい。公
式見解というのではなく、忌憚なく意見を交わすことで少しでも光明を見い出
せればと願うばかりだ。

・no.50

●ニューオーリンズから来た記者     磯辺康子(神戸新聞記者)

ハリケーン「カトリーナ」の直撃を受けた米国・ルイジアナ州ニューオーリン
ズ市の地元紙、「タイムズ・ピカユーン」の記者が11月、神戸を訪れた。
阪神・淡路大震災の復旧・復興過程を学び、ニューオーリンズのために役立て
たいという。被災者や自治体職員、大学教授らに会い、精力的に取材を続けて
いた。

被災からまだ3カ月。ニューオーリンズの人々は、あえぎ続けている。電気や
水道などのライフラインさえ復旧していない地域もあり、遠方に避難したまま
の住民も多い。タイムズ・ピカユーンの記者は、泥に埋まった住宅の写真を示
しながら、「これはハリケーンに襲われた直後の写真。今行っても、このまま
の状態だ」と苦々しい表情で話した。

3カ月前、「カトリーナ」の被災地の状況を映し出す映像に、私たちはアメリ
カという国の暗部を見た。そのひとつは、逃げ遅れた被災者のほとんどが黒人
貧困層だったことだろう。避難命令が出ても、彼らには車がなく、移動できな
かった。日本の25倍という巨大な国土を持ち、バスなどの公共交通機関が少
ないアメリカでは、「車がない」ことは「貧困」を意味するといってもいい。
避難所を映し出す映像には、白人の姿がほとんど見当たらなかった。

阪神・淡路大震災以降、日本では災害対策の手本のようにいわれていた連邦緊
急事態管理局(FEMA)も、大失態を演じた。FEMAは4年前の同時多発
テロ以降、新設された国土安全保障省の一部門に格下げされ、災害対策は明ら
かにおろそかになっていた。
そもそも、FEMAは東西冷戦時代の1979年に創設され、自然災害より
「有事」を意識した組織だった。冷戦終結後、「有事」という仕事が減って自
然災害対策に重点を置くようになり、94年にロサンゼルス近郊で発生した大
地震では、その役割を評価された。ただしこれは、その年が中間選挙の年で、
被災地が大票田のカリフォルニア州だったため、クリントン大統領(当時)が
力を入れただけ−ともいわれる。

そうした政治的意図を考えれば、民主党支持者の多いニューオーリンズの救援
に、ブッシュ大統領(共和党)が熱心でない、ということも不思議ではない。
タイムズ・ピカユーンの記者は「政府には被災地へのシンパシー(共感)がな
い」と怒りをあらわにしていた。

アメリカの差別のすさまじさは、私自身、一時期アメリカに住んでみて実感し
た。「安全だ」と知人にいわれて部屋を借りた地区で、黒人の姿を見たことは
なかった。歩いているのは白人か、ある程度お金を持っているアジア系。しか
し、黒人やヒスパニック系が多い地区に行けば、白人を見かけることはほとん
どない。住む場所は、人種や所得で分断されている。アジア系の中でさえ中国
系、韓国系、ベトナム系などがそれぞれ別の居住区を形成している。

もちろん、アジア系で英語が満足に話せない自分自身も、差別される対象であ
り、「馬鹿にされているなあ」と感じることはしばしばあった。馬鹿にされる
くらいなら我慢するが、あの国では緊急時に見捨てられる可能性もある。「カ
トリーナ」の被災地の映像が、改めてそう教えてくれた。

と、ここまで書いてきて、日本もそんなに変わらないじゃないか、と思う。
阪神・淡路大震災後、持病の悪化で次々に倒れていった高齢者、情報が得られ
ずに孤立した外国人や障害者…。社会的に弱い立場に置かれている人々が災害
で見捨てられる、という構図はアメリカと変わらない。
タイムズ・ピカユーンの記者から聞いた被災地の課題は、私たちの経験と驚く
ほど似ていた。政府と被災地の「温度差」、高齢者の体調悪化、住宅再建の難
しさ…。FEMAが被災者に配った支援金の話題になったときには、「申請の
仕方さえわからない人も多いはず。自分たちのように情報を手に入れられる者
はすぐにもらえるが…」と聞かされた。

彼は、神戸での取材で「孤独死」という言葉を知ったという。華々しい「復興」
の陰で次々に消えていく命。「ニューオーリンズでも起こり得るだろうか」と
尋ねると、「あるかもしれない」という答えが返ってきた。

■プロフィール Isobe, yasuko
1965年、兵庫県尼崎市出身。関西学院大学大学院文学研究科修了。198
9年から、神戸新聞社記者。阪神・淡路大震災の被災地の復興過程を中心に、
災害関連の取材を続けている。

・no.49
●バリ島からの警告     森きくお(画家)

3週間前、ウブッドのパサール(市場)で爆弾が置かれ、難なくことを終えま
したが、観光客の必ず立ちよるこの市場も狙われていました。とにかくオフレ
コでコトの真実が一般の人に伝わりません。この後、バリ在住の野村領事から
ウブッド在留者に対して市場や西洋人の集まる場所を避けるようにと勧告があ
りました。
また、バリの海外資本の病院とUPS運送会社の間にも爆弾設置がされたようで、
道路の片面閉鎖をして、その前にあるジェトロの職員も避難しました。

日本総領事館もいま、頻繁に渡航者、在留者に危険警告を出しています。
テロ組織の幹部たちが爆弾を所持して徘徊しており、自殺爆破者以外にも多く
の人間がかかわっているようで、バリの次はジャカルタと見られています。
特にラマダン(イスラムの断食祭)の後のレバラン(断食祭明けの大祭。イス
ラム暦の9月(10月)が断食祭、10月(11月)がレバランで、盆と正月
を合わせたような祭日。働く人にはボーナスが出たりするので、大いに祝う)
も危険な時期と見られています。

本当に危険な時代を迎えているようですが、我々、小さな人間は、大きな自然
や一方的な暴力に立ち向かうには小さ過ぎます。
大きな流れに巻き込まれ、我を忘れがちな世の中です。

テロといってもいろんな目的のテロがあり、政治的、宗教的、経済的、また憎
悪、嫌がらせ、怨念と人の持つ破壊的エネルギーが多くの人を一瞬で殺傷する
という卑劣な手段で行われ、一方、自然においても破壊的なエネルギーが多く
生まれます。

パキスタン、スリランカ、スマトラ、バリ、カリマンタンそして日本へと伸び
た、ユーラシア・プレートの破壊的エネルギーは大きな自然災害を生むと同時
に今そこに住む人たちのエネルギーまで、ネガティブに変えてしまいます。
人間も自然の一部である事の意味が最近よく解ってきました。
すでに、パキスタン、スリランカ、スマトラでは多くの犠牲者が出ています。

バリ島は、西洋人、東洋人、そしてバリ人が居住していて、いろんなエネルギ
ーが交錯していて、ある意味では非常に国際的な島です。
イスラムの人にとっては、インドネシアはイスラム国なのに、バリ島だけがヒ
ンドゥ教であり、そして世界の人から憧れられている島であり、生きていくだ
けでも大変な中近東のイスラム圏は自然の恩恵すら少ない厳しい風土ですから、
バリ島を”嫉妬”し、一般的に白人を邪悪化する傾向にあると思います。

インド、中国、ブラジル、インドネシアと、自然の恩恵に恵まれてどんどん経
済大国になっていく国に対しては当然、嫉妬からくる怨念、憎悪が生まれてき
ます。
それに加えて、アメリカのブッシュ大統領の中近東でのオペレーションは石油
価格のコントロールで、現地の人にとっては、自分たちの土地の恩恵である油
で世界を牛耳り、そして豊かになっている国に対して複雑な思いがあるのでし
ょう。
また、ブッシュの一方的な攻撃が彼らにとっては最大のテロで、「目には目を」
となって、プリミティブな戦闘道具を持って対抗しています。
ブッシュがイラク、イスラエル、クエートなどから手を引けば、テロも少なく
なってくると思いますが、世界はオイルという世界経済のライフラインで国の
経済を守っているので、手を引けないのでしょう。
すべての戦争の裏の目的は、人間の持つ、男社会の持つ、力の欲からきている
と思います。

マヤ暦*の2012年の地球崩壊に向かっているような気配も感じられます。

バードフルー(鳥インフルエンザ インドネシアではすでに五人の被害者)も、
自然発生のものなのか、またサリンをはじめ、中近東の勢力が持つ細菌兵器に
よる人為的なものかもわからないのです。バリ島でも観光客に人気のスミニャ
ック地区で大量の鶏が死んでいます。
政府は養鶏場や鳥屋さんに近寄らないよう示唆しています。鶏だけではなく猫
などの動物も媒介します。人間同士の感染が判明した時点で、各国は海外交通
アクセスを閉じる用意もしています。

人間の持つ、憎悪、嫉妬、怨念が怒りとなってきている時代で、バリ島やイン
ドネシアの人も、どこの人も、皆それをもっています。
インドネシアのテレビドラマにおいてもこの種のドラマも多さには驚かされま
す。それゆえ、アガマヒンドゥ、ムスリムのような信仰、宗教がその人間の持
つネガティブなエネルギーをバランス化するために、なくてはならないものに
なっているのかも知れません。
人間のほとんどの価値感は長い歴史と社会のリーダーによる洗脳文化で支配さ
れ、皆、信じていることが事実であるか、真実であるかも追求していません。
情報隠蔽はこのリーダーたちの都合で、最後に知らされるのが一般の人なので
す。
リーダーたちの都合で発表しない事実が表面に出ることなく、多くの人に被害
が及びます。このシステムで生きていくことの危険性を、いま世界的規模で阻
止しなければならないと思います。(11月4日 記)

追記:11月7日
断食明けのレバランは危ないとされていましたが、やはり、今朝、ジャワ島の
マランで爆発、また昨日はイスラム地下組織のジェマ・イスラミの幹部でもあ
り、爆発物関連の博士号を持つ、アザベリ(マレーシア人)がジャワで追いつ
められ、自爆していることから、これからの計画も一気に過激に急速に進む模
様です。
アルカイダ組織と繋がるアジアの地下組織は、マレーシアのイスラムの中にも
あり、沢山のグループがインドネシアを狙っています。怖いことです。

*マヤ暦 
マヤ文明で使われていた暦ですが、カレンダーというより、宇宙、地球、そし
て生命の記憶を元に考えられた時間、特にカール・ユングも唱えている、シン
クロニシティの考えのもとに全てが必然という、共時性に則ったもの。
2012年2月22日に地球が崩壊すると言われているが、根拠はない。

■プロフィール Mori, kikuo
神戸市生まれ。1965年〜84年、カリフォルニアを中心に、就学、美術制作、
ギャラリー活動に従事。85年〜2000年は大阪で「スタジオ・ストローク」を
開設、パブリック・アートを中心とした制作活動。
2001年〜、バリ島、ウブッドにスタジオを開設。絵画制作及びメールマガジン
「バリ通信」を月2回、発信している。

・no.48
●「救急看護」から「災害看護」という視点へ     山崎達枝

多くの犠牲を払った阪神淡路大震災から10年、新潟中越地震から1年が過ぎ、
その後も国内・国外を問わず人々を震撼させる、思いもよらぬ自然災害、頻発
する人的災害が発生し、多くの人々が被災を受けている。

国内外の様々な地域で、災害発生後という劣悪な状況下で医療支援活動を行っ
ている看護師の姿を目にする機会が多くなってきている。災害発生の増加に伴
い各病院施設や都道府県看護協会等では、災害看護教育研修や訓練が開催され、
減災のための認識は高まってきているが、「この辺りには災害は来ないから」
とはっきりと答える人もまだいるという、地域によっては温度差があることも
否めない事実である。                            
私はこれまでの経験から、災害看護とは「刻々と変化する状況の中で、被災者
の必要とされる医療及び専門知識を提供すること」であり、「その能力を最大
限に生かして、被災地域、被災者のために働くこと」であり、したがって、
「被災直後の救急医療から精神看護・感染症対策、保健指導など広範囲にわた
って、災害急性期における被災者・被災地域への援助だけでなく、災害サイク
ルすべてが災害看護の対象者である」と定義づけている。

災害看護とは救急看護であると思っている看護師もまだまだ少なくない。災害
によって被害を受けた人や二次災害に巻き込まれる可能性の高い人は、避難所
生活を余儀なくされる。避難所は災害発生から一定の期間にわたって生活する
場所であり、今後の生活再建に向けて第一歩となる場所でもある。避難所の立
ち上げ(開設)から避難生活者のための看護も重要なのである。

現場から多くのマスコミが消えた頃、取材報道が新聞紙面の一面から消える頃、
人々は災害を忘れかけ始める。しかし、被災地ではそれから復旧・復興に向け
ての長い戦いが始まる。

急性期には救急看護専門看護師のマンパワーの確保が第一となる。その後、時
間の経過と共にその場に応じた看護の提供が求められる。目の前の対象者が病
院の患者と違って、目に見える傷を負った被災者ではなく、日常生活にはなん
ら支障はないが、しかし家に住むには危険性があるのでと多くの人が集る避難
所へと移り、病院の看護から日常生活支援へと対象者が変わってきている。
そこでは一人ひとりのニーズを知り、目に見えないニーズをさぐり、決め細や
かな看護を提供できる。とはいえ、被災者の要求にすべて応えるのが適切な看
護ではないことは言うまでもない。

被災者の皆さんにとって「なにをどうすることが一番良いのか」、被災者と共
に考え、寄り添いながら、一緒に行っていくことが大切である。
被災者の自立を損なうことなく、エンパワーメント(*1)を守り、災害急性
期から、実現性のある(アドボカシー*2)中・長期までを考えた看護支援が
最も重要なのである。

災害看護において日本の人的貢献はめざましいと思うが、さらに、専門職とし
ての知識・技術を発揮し、上記のような適切な時間帯に、適切な看護提供がで
きる「人材育成と指導者育成」が急務と考えている。まだまだ災害看護への認
識は広まっていないと考えているので、これをもっと高めていきたい。

編者注1:自発的な力量形成や能力向上。
  注2:地球温暖化防止、軍縮など、特定分野における考え方や利害を擁護
     し、唱道する活動。政府や政党の意志決定に影響を与えるべく、ロ
     ビー活動を積極的に行う。

■プロフィール Yamazaki, tatsue
都立病院5回の転勤を経て、2005年6月まで広尾病院勤務。同病院救命セ
ンター看護師および災害対策担当としても活動。現在、執筆や講演等を行う一
方、救援活動にも積極的に参加。国内の災害だけでなく、イラン地震での難民
援助に従事、スマトラ沖地震では医療団とともにインドネシアで救援活動を行
った。また、イラクにおける復興医療支援のための国際会議や阪神・淡路大震
災から10年を経た神戸で開催された国連防災会議に参加。
www.disaster-nursing.com

・no.47
●バム Bam 震災復興の支援紀行    プロジェ22代表:大津俊雄

イランの首都テヘランから南東へ1,000Kmの砂漠の中に、隊商の交易拠点とし
て5,000年来栄えてきたバムというオアシス町があります。バム城(世界遺産)
には、アレキサンダーやマルコポーロも泊まったことでしょう。人口は98,000
人で、ナツメヤシを生産する、美しく豊かな町でした。近年は周辺に自動車工
場団地ができつつあります。実は隣国アフガニスタンとは大違いで、イランは
とても豊かな大国です。ペルシアのお姫様のような美人も闊歩する、オープン
な社会です。

2003年12月26日(この日の一年後がスマトラ沖地震)の朝5時半に、
町外れを震源とする地震が起きました。M6.5でたった7秒の揺れでしたが、
地表浅い震源だったので1G以上の上下動と800galの水平動という強震
に町は襲われました。住民は「フライパンの上の豆のように飛び跳ねた」と表
現します。阪神大震災での私の経験とそっくりです。

その7秒で住民は半数になりました。死者43,200人、建物被害49,000棟。
寝ている上にレンガの壁が降り注ぎ、圧死(窒息死や打撲死)したのでしょう。
私は十ヵ月後に現地入りしましたが、旧市街地では九割の建物が倒壊しており、
町は壊滅状態でした。瓦礫の山があれば「そこは住宅だったのだな」と分かる
だけです。復興などはまだまだ手付かずでした。道端の破れテントの中で、両
親を無くした孤児がポツンと勉強していました。

何故こんなに被害が出たのか? 民家の造りは日干しレンガを分厚く積み上げ
て窓の少ない平屋建です。砂漠地帯で暑さ寒さを防ぐ伝統的な建築です。とこ
ろが壁厚が50cm、床厚が60cmもあるので、重量が何トンもの重い構造に
なっていたのです。しかも中に鉄筋を通して補強をしていませんし、レンガの
間をセメントでくっつけていないので、ここに横の力が加われば、建物が一瞬
にして瓦礫の山になるのは当たり前です。

このような危ない住宅に地球人口約60億人のうち40億人が住んでいます。
そして世界の天災は発展途上国とも重なるのです。中国の唐山では、やはりレ
ンガ造りの民家に寝ている時の地震で24万人が死にました(丁度、文化大革
命の最中で日本には伝わりませんでしたが)。似たような揺れで神戸では死者
6,000人、カリフォルニア・ノースリッジで60人。この桁の違いを見れば、
これはもう「天災でなくて人災だ」とお分かりでしょう。しかも「心身を癒す
住宅が凶器になる」なんて、こんなに怖いことはありません。しかし他方、人
災だと割り切れば対策を練る元気が出てきます。「8時間を過ごす寝室さえ壊
れなければ、死者は格段に減る」ことに気付けば、情緒的な涙を振り払って、
建築構造を科学的に勉強する勇気が湧きます。

バムの新しい建物の瓦礫には、鉄骨がうず高くからんでいました。どの鉄も飴
のようにグニャグニャに曲がっているのです。よほどの力が加わったのでしょ
う。工作機械でもできないほどのひん曲がりようです。阪神の大震災でも、こ
れほどの例はありませんでした。この建物は旧民家工法そのままで、高さを二、
三階上積みして、鉄骨で補強したものです。構造的には鉄骨を縦横に組み上げ
ているので「一応」ラーメン構造です(日本の中高層ビルの工事現場でよく見
かける「柱と梁で檻の形を成して荷重を支える」現代建築のスタンダード構造
です。壁は軽いパネルを張り、全体を軽く造ります)。

しかしラーメン構造にしては鉄骨がやけに細くて接点が溶接されておらず、壁
・床は焼きレンガに代ったとはいえ分厚さは昔のままで何トンにもなっている、
これは一見ラーメン風の「にせラーメン構造」だな、と私は見破りました。こ
れでは静時の垂直荷重に耐えても、地震時の横揺れには一たまりもありません。
鉄骨はレンガを支えきれずに曲がり、引き千切れて、家族を守れませんでした。

伝統と近代の出会いはすばらしい文明を生むことがあります。しかし「古いだ
けの伝統工法と形だけの近代構造」が安易に借用されると、両方の弱点が相乗
効果を呼んで、とんでもなく危ういものができあがります。1100万人の都市
テヘランに巨大地震が来れば18万人が死ぬという予想があるそうです。そこ
ではバムより太い鉄骨と、軽い中空レンガを用いた10階ほどの中層ビル群が
近代都市の風格を呈していますが、基本構造は「にせラーメン風」の弱点を抱
えているので、「死者はその10倍だ」と私は想定しました。

ではどう改善できるのか? バムのシンポジウムで、私は神戸の復興過程を報
告するとともに、気付いた上記の点を熱く語りました。曰く「民家のレンガ積
みは腰までとし、上は軽量パネルの壁と屋根を乗せる。伝統景観も“命あって
の物種”だから、仕方ない・・」と。しかし余り受けませんでした。

帰国して、私は自分の着眼点を現地に伝えたいと試みましたが、上手く行って
いません。イランの大学の先生とも話をしましたが、かみ合いませんでした。
そのうちに政情が益々イスラム化しました。私たちは途上国に対して、どう向
き合うべきか、悩みます(イランは途上国ではありませんが、耐震構造に関し
てはそう思います)。
私は歯がゆさを感じました。「私の考えは正しい、“科学的”だ。これを一刻
も早くバムの人たちに教えて“あげないと”危ない。どうしたらいいのだろう
?」 あせるばかりです。ここで一息ついてみましょう。

さて、アフガニスタンで見た支援活動を思い出してみます。難民キャンプには
UNICEFマークのついた井戸・テント・小麦袋が隅々に行き渡っていました。
医療援助NGOのアムダ(岡山)やカレーズ(静岡)は、現地に根付いていま
した。ぶどうの苗づくりに対して、協同組合が金を貸す仕組みを指導したコー
ド(神戸)も「魚を与えず、釣竿を与える」コンセプトでうまくいきました。
成功しているNGOは現地のカウンターパートをうまく育てています。以上は
素晴らしい活動例です。

しかし海外支援の現場では、チグハグな場面にも出くわすことがあり、「NG
Oは任意だから、ノーチェックで、何でもありか?」との疑問を持つこともあ
ります。自省も含めて。
NGO援助では次の二点を押さえておきましょう。それは「援助で元気をもら
っているのは一体どっちだ」ということで、答は「こっちだ(援助する側だ)」
という点です。もう一点は、上手な援助によって被災者側は「世界の人々から
同情されている、忘れられていない」という安心感・自尊心・連帯感を持つこ
とができて、「人を信じて自立する勇気が涌き出る」という精神的効果がある、
という点です。援助は、心の贈与とその環の完成(まるでポリネシアのクラ交
換)を地球規模で開始しているとも言えます。
では、いっそ精神的支援に照準を合せてコンセプトと手段を再編したほうが、
お互いの幸せに近づくのかもしれません(どなたか『ボランタリー社会の神話
と構造』を執筆してくださいませんか?)。

閑話休題。では途上国にどう向き会えばいいのか? 国連レベルの理念を見て
みましょう。
例えば途上国への住宅開発の理念は、公的住宅提供を卒業して、今やイネーブ
リング(enabling)原則の時代になっています。つまり、「住民が自由な責任
主体として住まいを作れるように、障害を除いてあげて、個人の能力を発揮さ
せる」方向です。
また、アマルティア・セン博士(インド ノーベル受賞者)の開発論は「人間
をケアの対象として、あなたが彼らのニーズを考え与えるのではなくて、“人
間を変化の作用素”としてとらえて、あなたが“彼らの自由をどう拡大できる
か”を考えなさい」と述べています。いずれも含蓄のある素晴らしい言葉です。

私はええ加減さと危うさを抱えながらも、イネーブリング原則やセン博士の理
念を基本として、具体的にはどう動けるのか? と考え込んでしまいます。
が、答は出てこず、今夜も居酒屋で飲んでいます。横から旧友が酒臭い息でカ
ビ臭い変革論を吹っかけてきても、私のコップの表面には、あのテントで学ぶ
孤児の姿が浮かんでくるのです。

●プロフィール Ohtsu, toshio
1944年生まれ。プロジェ22代表。震度7の灘区で被災し、防災意識を呼びか
ける「市民語り部キャラバン」で全国を回り、「人的被害研究会」で死亡原因
を調べ、復興のまちづくりを考える「神戸復興塾」をおこし、それを定着化し
たNPO「神戸まちづくり研究所」の起ち上げメンバーになった。現在、その
延長で、アフガニスタンを教育と医療で支援するNGO活動もしている。

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●カトリーナが語るもの     本誌:渡邊 仁
 
アメリカはカトリーナというハリケーンのために未曾有の混乱に陥っているよ
うです。世界で最も強く、最も富んだ国で、またしても、大自然が牙を向き、
人工の堤防を破壊して、大惨事を起こしてしまいました。

私は、ルイジアナ州ニューオーリンズ(新・オルレアン)に行ったことはあり
ません。当初、フランス系の植民地ゆえに、名前がつけられたのでしょう。限
られた報道で見る限り、非白人で低所得者層の貧困地帯(弱者と呼んでいいの
でしょう)の居住区を狙い打ちしたかのようなありさまです。

FEMA(フィーマ・連邦緊急事態管理局/ノースリッジ大地震被災者救援での
賞賛など、災害対応の模範組織とされた)は、ハリケーンの威力を過小評価し
て油断し、初期対応が遅れ、あまつさえブッシュ大統領は「堤防が決壊するな
んて誰も予想していなかった」と述べる始末。
 そのFEMAを03年の新設・国土安全保障省(DHS)の一部局に格下げたの
は、自然災害よりテロ対策を金科玉条とし、カネも人も集中させたブッシュ政
権でした。なぜなら、DHSの最大の関心事はテロ対策だからです。

このような救出/支援活動への行政府の対応のまずさを指摘するのは当然のこ
とですが、そのレベルの問題よりもさらに深いアメリカ社会の「悩ましさ」が
露呈されたように思うのです。
それは階層社会の身もふたもない本質です。差別をあからさまにしなくなって
はいても、階層社会そのものが人種差別の結果としてあらわれてきています。
「そんなことはないさ、パウエルだって、ライスだって黒人じゃないか」と言
われるかもしれませんが、黒人のなかですら階層社会ができてしまっているの
だから、それはあたりません。仮に人種差別がなくなってとしても、他の要素
で差別するのが、レーガン、ブッシュ以降、進行してきた階層社会です。

階層社会とは、この世に生まれ落ちてきたところから始まる財力、学歴、教養、
情報、社会関係資本というハンディが、幼児期から成長していくにつれ、強化
されていく社会でもあります。機会の平等という言葉がその現実を覆いかくし
ます。
アメリカン・ドリームは、いまだにあるのでしょう。しかし、「有徳とノブレ
スオブリージュ」ではなく、「年収と名声」で評価される社会に勝ち上がる
「アメリカン・ドリーム」って、いったいなんなんでしょうか。そんな「夢」
が語られるほどに落ち着いた、ゆとりのある社会がいまのアメリカだとはとて
も思えません。

一方で、略奪と強奪、暴行も起きました。警官だって、同情しているのか、は
たまた面倒はこれ以上うんざりなので、「生きて行くためにはしようがないね」
とばかり、見て見ぬふりしています。人が大切にされない社会で、極限状況に
さらされれば、なにかのきっかけで暴発するのは、枚挙の暇もないことです。
これが世界最強の民主主義の模範的だとされる近代市民社会でしょうか? 
世界の果てまでも民主主義を植え付けていきたいというミッションを背負った
伝導師たちの足下の社会でしょうか?
外部からの規制がなくなると、いわゆる「市民」の仮面をかなぐりすてて、な
んとも思わない人間が多数存在する社会が、市民社会でしょうか? 
生きるための物資がないとなれば、「礼節」はどこかへと、消えていってしま
いました。

随分前から、「市民社会の成熟いまだし」として、闘い取る民主主義を経験し
ていないのが我が国、という評価が、いわゆる旧革新陣営からされてきたので
すが、コミュニストを放逐し、度を越したポリティカル・コレクトネスがまか
りとおる、こんな市民社会なら、むしろごめん被りたいところです。

911以降、ことさらに、境界を築き、他者を恐れ寄せつけず、自らを守るこ
とに汲々、恐々とするアメリカ。
次なる稼ぎどころは総選挙で歴史的大勝利を得たコイズミ率いる日本の市場
(郵便貯金の340兆円)で、世界を狙い続ける投資家たちが手ぐすね引いて
待っているアメリカ。
スポーツの社会でも、MLBをはじめ「アメリカだけが世界だ」と言わんばかり
のアメリカ。
 
 今回の天災と人災のコンプレックスに、文明としての危機感をマジで感じな
いとすれば、もうそれは、まさしく「アメリカ帝国」の没落への序章が始まっ
た、と言っていいのではないでしょうか。

・no.46

●「震災後遺症障害者」にエールを送ってください。   城戸美智子(神戸市)

「震災後遺症障害者」、そんな言葉を知っていますか?
心だけの傷ではありません。命の次に大切な身体に一生背負ってゆかねばならない傷を負いながらも、日々懸命に生きている人たちのいることを。

私の娘は、震災当時、中学3年生。瞳をキラキラさせ、春からの高校生活を夢いっぱいに語っていた姿を今も忘れることはできません。

そんな娘は、ピアノの下敷きとなり、助け出したときには、もう意識はありませんでした。落ちた高架、垂れた電線に道を塞がれながら、一言では言い尽くせない思いをして、やっと辿り着いた病院で、「あと12時間の命」と宣告されました。
しかし、娘は若さゆえの3%の望みを勝ち取り、「死」からは還ってきてくれましたが、以前の娘とはすっかり人が変わっていたのでした。

真っ暗なトンネルに迷い込んだ私たちは、出口も見つからぬままの辛い日々を過ごしていました。

震災から6年目、名古屋の病院で、娘が人間として生きてゆくのに大切な記憶力、集中力、認知力などに障害を受ける「高次脳障害」であること、そしてこの障害が、なんの制度も支援もない、福祉の谷間にあることを知りました。
娘は、この震災で、こんな大変な障害を受けたことも気づかれず、またその障害さえも理解されていないという、二重の谷間に落ちながらも、障害と向き合って生きています。

命がある、生きているのだからいいじゃないか、と言われたらもう何も言い返すことはできません。でも、障害者となった身で、しかも知れば知るほどに厳しい福祉制度の壁を感じながら、これから先、娘は長い人生を生きてゆかねばなりません。そんな不安だらけの重い現実を知っていただきたいと思うのです。

震災10年の今年、全国・全世界へ向けて「発信」というなかには、「震災後遺症障害者」のことはありません。

私は、行政に向けて言いたいのです。
それは、「震災負傷者」に対しての行政窓口がなかったことです。

こころの窓口、PTSDとは叫ばれたけれど、こころなんて言ってられなかった私は、身体の窓口を探していました。どこかへ行けば──ではなく、「負傷者専用」の窓口を“明確に”示してほしかったのです。
そうすれば、こんなに迷いもせず、苦しまず、少しは方向性が見えていたかも知れませんし、同じ境遇の人たちとの出会いがあり、励ましあえたかもしれません。
そういう意味では、私はいまだにひとりぼっちです。

震災の教訓を発信するというのであれば、このことは絶対抜け落ちてはならないことだと思うのです。大きな災害が起これば、必ず負傷者が出るのですから。
私は命の次に大切な元気な身体を失い、傷ついた身体と戦いながら、毎日を一生懸命に生きている、そんな人たちを忘れての震災復興、震災10年の総括とは、いったいなんだろう、と思っています。

『元気ひょうご』を目指すのなら、私たちも元気にしてください。
10年間送られてこなかったエールを送ってください。
                           (神戸市 城戸美智子)

・no.45

『神戸から』から10年。
 長野で『神稲(くましろ)いのちのフロンティア』を開校しました。

                 神稲いのちのフロンティア・主宰 吉田比登志

日々の流れは、いまさらながら速いものです。震災後の神戸に入り夢中になって動いてきた時から10年が過ぎたとは! 最初の『神戸から』(『論々神戸』の前々身)の中で、私は“大地が揺れ動いた神戸では、この都市文明が堅固でないということを知った子どもたちがいる。これからの神戸の動きを注目すべきだ”といった文章を書きました。
その後、「遊学舎」(長野県美麻村)は火事で全焼し、震災の光景がフラッシュバックしました。
また田中康夫氏が長野県知事に当選した日には、「ゆいまーる神戸」の石井明美さんが、「田中さんのこれから」を非常に心配していたことを覚えています。

そしてこの4月から私は南信州の豊丘村というところの東洋大学の元セミナーハウスで“ともに暮らし、ともに創る、農に根ざした生活実践学校”『神稲いのちのフロンティア』を開校しました。一年を通して一緒に暮らし、生活技術を習得し、生き方を考える塾です。
テーマは“いのちの気づき”。

心理カウンセラーをしている『自殺未遂』という本の著者は、何人もの若者から「なんで死んではいけないのか、私の自由でしょ」と反問されたといいます。ここに現代の典型的な思考パターンがあるのではないでしょうか?
自動車があれば自由にどこでも停まれるし、お金があればなんでも自由に買える。コンビニに自由を感じる若者たちがいる。“自分のいのちは自分が所有しているのだから、死ぬも生きるも自分の自由・・・・?”
これは「自由」というよりは「所有」ということではないのでしょうか?

戦後の日本の考え方は自由を一番の価値とすることから始まった、と思います。新聞で報じられる殺人事件や集団自殺などには、私たちの考え方や感覚になにか地殻変動が起きているのではないかと感じさせるものがあります。
「神稲いのちのフロンティア」はこのようなことを生活の中で考え、感じていく場にしたいと思っています。

7月16〜18日には、村の人からお借りした一ヘクタールの田畑を中心に坂島集落をどう再生していくか、というシンポジウムを行いました。
 日本の多くの山里が過疎化と高齢化と共に消えつつあります。山村で育まれた文化、自然と共生してきた先人の生活の知恵は消え失せ、田畑は放棄され山は荒れ放題です。豊丘村の坂島旧集落も六軒ほどのそんな集落のひとつです。

長野県は信濃川・木曽川・天竜川という大きな三つの川の源流域ですが、森林は荒れ放題で、いま大きな危機にあります。放置した山は崩れやすいもの。一度崩れた自然は再生するのに数倍の費用がかかるといわれます。上流で起こったことは下流の都市に大きな影響をもたらします。

普段は水の流れていない涸れた神戸の川が、雨が降るとドッと水が流れていましたが、上流の森は大事な共有財産です。
都市は都市だけでは生きられないことをもう一度思い起こす必要があるのではないでしょうか。

『神稲いのちのフロンティア』:TEL&FAX 0265-35-6707
E-mail/u-gakusha@mug.biglobe.ne.jp
http:www.saijiki365.net(近日公開予定)

□プロフィール Yoshida, hitoshi
震災後、「自立の村応援団」として神戸で支援活動を行い、雑誌『神戸から』の設立発起人の一人となる。長野・美麻村遊学舎を経て、現在に至る。

1947年生まれ。79年長野県美麻村の廃校の校舎を使い、美麻遊学舎を設立。震災後「自立の村の応援団」として支援活動に従事、雑誌「神戸から」の設立発起人の一人、今年4月に生活実践学校「神稲いのちのフロンティア」を設立。


表玄関へ論々書架